山川草一郎ブログ

保守系無党派・山川草一郎の時事評論です。主に日本外交論、二大政党制論、メディア論などを扱ってます。

「鳩山由紀夫」は二度死ぬ?

2003年09月11日 | 政局ウォッチ
政界再編が、いよいよ現実味を帯びてきた。本日付け朝刊各紙によると、民主党の鳩山由紀夫前代表は講演で、小泉純一郎首相の政治姿勢に共感の情を述べた上で、自民党が総裁選の結果、分裂した場合の小泉氏との連携に意欲を示したとのこと。

また、同日付けの産経新聞では、その小泉氏がインタビュー記事の中で、公明・保守新両党との連立解消の可能性に言及した上で「他の政党、グループが協力したいということなら歓迎したい」と語っている。

一般に、政治家の政局に関する発言は(1)相手の反応を探りたいときの観測気球(2)発言への反動作用を見越した誘導作戦――の2パターンがあると言われる。

鳩山氏に関しては、民主・自由両党の合流構想が頓挫していた数カ月前にも同じような趣旨の発言があった。このときは、煮えきれない菅執行部への「ブラフ」であり、(2)の効果を狙った発言と受け取られた。しかし、民主・自由合併が合意された後、今のタイミングで再び同趣旨の発言が飛び出した背景には何があるのだろうか―。

★マキャベリストの戦略的妥協

小泉氏と鳩山氏は、政策を越えた「情」の部分で相通じるところのある政治家だ。小泉氏が「自民党をぶっ壊してでも」と改革への決意を語れば、鳩山氏も民主党代表選後の混乱時に「国民のためにならない民主党なら、いつでも解党する覚悟だ」と平然と言ってのけた。

また、両者は「戦略的妥協主義者」という点でも共通する。小泉氏は、自民党総裁という最高権力の座を得る過程で、遺族会や医師会などと戦略的提携を結んだ。総裁就任後も、創価学会を持ち上げ、青木幹雄参院幹事長の妥協を引き出しながら少しずつ目的を達成してきた。

鳩山氏も、昨年の民主党代表選で、中野寛成氏の旧民社党グループと戦略的提携を結んで「不利」と言われた選挙を勝ち抜いた。ただ、小泉氏が総裁就任後「8月15日の靖国参拝見送り」「医療費国民負担の増加」などで遺族会、医師会を次々に裏切っていったのに対し、鳩山氏は代表再選後、旧民社党議員のごり押しに負ける形で中野氏を幹事長に任命し、党内の不興を買ってしまった。

鳩山氏には、小泉氏ほどの「冷徹さ」がない。代表選で苦戦する最中に周辺議員から「マキャベッリ語録」を贈られた鳩山氏だったが、目的のためには手段を選ばぬ「マキャベリスト」には、最後までなりきれなかった。

そんな鳩山氏に対し、小泉氏は今年、国会近くのそば屋で同席した際に「あんたは人がいいから、だまされるんだ」とからかったという。しかし、実は小泉氏こそ「鳩山由紀夫」という政治家を、政治的に暗殺した張本人なのだ。

★幻の連携工作と政治的「死」

首相就任から半年たった2001年秋、小泉氏は当時民主党代表だった鳩山氏に接近し、連携を持ち掛けたことがある。道路公団民営化問題で党内の反発に苦慮していた小泉氏は、鳩山氏と国会近くのホテルで密会した際、次のクエスチョンタイム(党首討論)で、連携に向けた「合図」を送ると約束した。その合図は「自民党の抵抗勢力があっと驚くような発言」だったという。

党首討論で鳩山氏は熱烈に首相へのラブコールを送った。しかし結局、最後まで小泉氏の口から「あっと驚く合図」を聞くことはできなかった。

それもそのはず、小泉氏は党首討論に先立ち、赤坂見附のホテルで青木氏と密会し、道路公団民営化問題での妥協を引き出すのに成功していたのである。

文字通り「橋を外された」格好の鳩山氏は、党首討論での失態から党内の求心力を急速に失った。菅直人幹事長(現代表)らの忠告を受けた鳩山氏は、年が明けた03年1月の党大会で「自民党との対決」を打ち出したが、マスコミや党内左派、若手からは「小泉政権への対応がブレすぎる」と逆に批判される結果に。

当時、菅氏や小沢一郎自由党党首は「小泉首相の支持率がいくら高かろうと、野党第1党である民主党は、選挙で自民党を倒して政権をとるべきだ」と主張していた。若手議員も、鳩山氏には「野党代表」の資質がないと批判を強めた。しかし、菅氏らの言動には政治的思惑が絡んでいたのだ。

小泉氏との連携工作は当時、鳩山氏の側近だった熊谷弘国対委員長(現・保守新党代表)によって水面下で進められていた。熊谷氏の政敵に当たる菅、小沢両氏がこれに反発するのは当然の成り行きだった。

連携工作の挫折により、鳩山氏は自由党との共闘路線へと傾斜するが、菅氏周辺や若手グループは秋の代表選で鳩山氏の再選阻止に全力を挙げることになった。小泉氏との連携に動いていた熊谷氏が、菅、小沢両氏に歩み寄る鳩山氏を横目に、党を去る決意を固めたのはこの頃だったといわれる。

代表選では、当初苦戦が伝えられた鳩山氏が、旧民社党系組織の全面支援を受け再選。しかし、この結果に納得しない菅氏周辺や若手グループによって鳩山氏は代表の座から引きずり下ろされてしまう。

ここに至る経緯の発端はすべて小泉氏だった。のちに鳩山氏は、小泉氏の背信を降り返り、「思えば、あのときにわたしの民主党代表としての命運も尽きたのだ」と語った。鳩山氏は、小泉氏との戦略的連携を模索し、遺族会や医師会と同じように使い捨てにされたのだ。

★自民党の変質

2年数カ月の小泉政治がもたらした最大の功績は、「派閥の崩壊」だろう。よく考えると、小泉氏が総裁選の公約に掲げている「郵政3事業民営化」も「道路4公団民営化」も、政策に見えて政策ではない。いずれも「特定郵便局長会」「日本建設業協会」という、橋本派の伝統的票田組織の解体を意味するものだ。それは「政局」であり「権力闘争」なのである。

橋本派は従来、これら団体の支持を受け、選挙(国政選挙と総裁選挙)に強い派閥として求心力を維持してきた。その見返りとして、これら団体を優遇する政策もとってきた。特に参院橋本派は、選挙で支援を受けるだけでなく、これら団体の出身者を党推薦候補として比例名簿の上位に載せ、数多く当選させてきた。

それだけに、橋本派の事実上のオーナーといわれる青木幹雄氏参院幹事長が、今回の総裁選で小泉氏の推薦人になったことは、矛盾に満ちた選択だった。野党からは「政策が違うのに支持するのは、国民を愚弄する行為」との批判が聞こえて来るが、小泉氏の公約が「政策」でなく「政局」であることを考えれば、青木氏の選択は権力闘争での「全面降伏」を意味していると言っていいだろう。

思えば自民党は、結党当初から特定団体の支持に頼る政党だったわけではないはずだ。当時の自民党には(1)旧民主党系を中心とする政党政治家の「党人派」と(2)旧自由党系に多かった官僚出身政治家の「官僚派」とが混在していた。

大野伴睦や河野一郎、鳩山一郎に代表される党人派は、岸、福田、中曽根政権を経て、現在の江藤亀井派や森派に引き継がれている。一方の官僚派は、池田勇人や佐藤栄作ら「吉田学校」出身者によって「保守本流」を形成し、現在の堀内派、加藤派の源流となった。

東西冷戦時代、自民党は「資本主義市場経済」を守る名目で、主に財界の支援を受けた。この頃から財界出身の議員が、まばらながら出現するようになった。当時の野党第1党である社会党は、選挙のたびに労組の組織内候補を国会を送りこんでおり、これに対抗し、自民党も少しずつ、業界団体との関係を深め、推薦候補を受け入れるようになったのだ。

やがて佐藤派の分裂で、党人派にも官僚派にも分類できない「田中軍団」なる新派閥が誕生する。「木曜クラブ」などと称されたこの集団は、高度経済成長後の時代背景を受け、業界団体との蜜月関係を築きあげた。

集団は、田中角栄氏からクーデターで主導権を奪った竹下登氏の指導のもと、「創政会」「経世会」「平成研」と名を変えながら、数の力を背景に「鉄の結束」を固めていった。「特定郵便局長会」「日本遺族会」「日本建設業協会」などの支援団体が次々と組織され、団体の推薦候補が自民党議員として永田町に送りこまれるようになったのは、この頃からだ。

政治はやがて、一部特定の関係者によるものへと変貌し、国政選挙での投票率はGDPと反比例して下降曲線を描いていった。

★「派閥」政治の解体へ

このような政治に終止符を打ち、政治を一般国民の手に取り戻そうと、21世紀の日本に颯爽と登場したのが小泉氏だった。「派閥」が溶解していく現状は、小泉氏が始めた「孤独な戦い」が支持を広げ、勝利への最終段階に入ったことを意味しているのだ。

一方、野党第1党は、社会党から民主党へとバトンタッチしたものの、民主党の中には旧社会党系、旧民社党系のグループが今も存在し、「派閥」活動を展開している。

「旧党派グループは派閥ではない」と民主党幹部は繰り返し言う。しかし、現に旧民社系などは今も、産別労組が送り込んでくる候補を無条件に受け入れている。旧社会党系も同様で「全逓」と呼ばれる郵便局職員労組の支配から抜け出せずにいる。

これらのグループは、確かに「ボスがカネを配って手下を増やし、権力を目指す」という伝統的定義の「派閥」には該当しないかもしれない。しかし、派閥政治の弊害はむしろ、支援団体という「選挙の圧力」で議員を拘束し、国策をゆがめてしまう、橋本派独特の政治手法ではないか。その意味では、民主党内の各グループも自民党橋本派と本質的にはまったく同じなのだ。

鳩山氏は、昨年の党代表選に立候補する際、こうした「派閥」の解体を目指すと誓った。若手議員の間にそうした声が大きかったのが主な理由だが、民主党という党を一から育ててきた鳩山氏にとって、それは純粋な使命感でもあったはずだ。

しかし、前にも述べた事情で、若手議員は党代表としての鳩山氏に不満を募らせており、苦境に立たされた鳩山氏は旧民社党系議員に助けを求めた。労組の支援を受ける旧民社系グループは、サポーター(党友)票を大量確保して鳩山氏の代表再選を実現した。

「労組依存体質からの脱却」を掲げたはずの鳩山氏は、組織票という甘い果実に手をつけてしまったのだ。

「医師会」や「遺族会」という橋本派の伝統的票田を切り崩して総裁になった小泉氏。その小泉氏が今、橋本派との権力闘争で勝利を収めようとしている。その一方で鳩山氏は、旧民社系派閥と手を組んだことで代表の座を追われ、党内非主流派の地位に甘んじている―。両者の現在の立場はあまりに対称的に映る。

「労組依存体質を絶つ」と、たった一人で代表選に立候補したときの鳩山氏の情熱を、私はもういちど信じてみたい。冒頭で紹介した鳩山氏と小泉氏の発言が、今度こそ実を結ぼうとしている新たな「連携」の萌芽となることを期待したい。(了)


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