山川草一郎ブログ

保守系無党派・山川草一郎の時事評論です。主に日本外交論、二大政党制論、メディア論などを扱ってます。

ありがとう、ご苦労さん、さようなら。

2006年05月05日 | 政局ウォッチ
政治について書こうという意欲が湧かない時期がある。変化がないときは当然そうだが、変化が起きていても別段刺激されない場合もある。今がそれだ。前原誠司氏の党首辞任を受けての民主党代表選で、小沢一郎氏が新代表に就任。「まずは自分自身変わらなくては」と変身をアピールし、千葉7区補選を制した。新聞政治面は活気付き、テレビも小沢氏のキャラクターに焦点を当てる特集でにぎわった。

小泉純一郎首相との共通点、自己責任の精神を唱えた13年前の著作。「角福戦争」になぞらえる向きもあった。どれも「なるほど」と頷ける解説で、敢えて付け足そうという意欲は湧かなかった。そんなわけで、しばらくブログの更新をさぼってしまった。民主党の鮮やかな復活劇に「政界は一寸先は闇だ」と今さら書いても、陳腐なだけだ。

「今は過渡期だから」ということも、政治について書く意欲が湧かない理由の一つかもしれない。自民党は9月の総裁選で、「小泉後」の新たな路線を選択する。小沢氏も来年の参院選までは、準備期間と見定めているようだ。今の時点であれこれ評論しても、さほど意味はない。そう思うとキーボードに向かう気力も失せてしまう。

とはいえ、このまま怠け癖がついては何かと不都合なので、既に語りつくされた感のある話を、書きつらねてみることにした。

まず、多くのメディアで指摘されている通り、小泉首相と小沢氏はよく似た政治家だと思う。経歴でいえば、同じ年に慶大経済学部を卒業。世襲議員で、一方は福田赳夫氏に師事し、もう一方は田中角栄氏に寵愛された。「非情」といわれる割に、先達に対して見せる古めかしい「忠義心」も似通っている。

特に興味深いのは竹下登氏との関係だろう。失脚した田中角栄元首相を裏切り、新派閥を結成した竹下氏。小沢氏はそんな竹下氏と行動をともにしながらも、田中氏が出廷するロッキード事件公判を最後まで熱心に傍聴したといわれる。後に竹下派を割り、自民党を割って出た小沢氏の行動の背景に、“親父”に背を向けた竹下氏に対する葛藤が秘められていたようにも思える。竹下氏が死去したとき、自由党党首の立場にあった小沢氏のどことなく冷めた態度が、そんな憶測を誘引する。

他方、自民党内で「アンチ経世会」の闘志として頭角を現した小泉氏だが、これも知られているように、竹下氏に可愛がられた中堅議員の一人だった。初入閣は竹下内閣の厚相。大蔵委員長、大蔵政務次官などを務めた経歴も、大蔵族のドンだった竹下氏の後ろ盾によるものといわれる。竹下氏の秘書だった青木幹雄氏とは、現在に至るまで良好な関係を維持している。

経歴と異なり、政策に関しては「似て非なるもの」との見方がある。が、私はこの見方に懐疑的だ。小泉氏と小沢氏の思想は、よく似ている。自己責任と明確なルールに基づく開かれた競争社会。中央政府の関与を極力小さくし、自律した民間法人が支え合って、自治体としての国家を構成するのだ、という両者共通の思想は、慶応義塾の創始者である福沢諭吉の考え方に通じる。

従来は、その思想、政策を実現するための手法に、両者の違いを見出すことができた。まず大方針を打ち上げ、反対派との妥協を繰り返しながら漸進しようとする小泉氏のやり方に対し、妥協を許さず、合理的に押し切ってしまうのが小沢流とされた。だからこそ「小泉さんは口先だけで、改革なんかする気はない。すべては抵抗勢力との茶番劇」という小沢氏の評論にも、説得力があった。

様子が変わったのは、郵政事業民営化をめぐる昨年の政局からだろう。党内政争をきっかけに衆院を解散し、民営化反対派の選挙区に対抗馬を擁立した小泉氏。法案修正では妥協を重ねたものの、法案が参院で否決されるや、原理原則に基づく合理的な政治判断で、反対派を排除した。新自由主義政党への純化。新進党を解党した小沢氏と同じ選択を、政権与党で実行しようとしたのが小泉氏だった。(その結果、小沢氏は数を減らしたが、小泉氏は増やした)

昨年の衆院選で自民党は圧勝したが、その原因を、テレビの「小泉劇場」に乗せられた有権者の浅はかさに求めるのは、いささか短絡的だろう。国民の相当多数が、小泉氏の取った行動に共感し、その共感が選挙制度によって増幅された結果が、衆院の3分の2という議席数だった。

逆にいえば、先の衆院選での民主党の敗退は、「小泉改革はまやかし」と呪文のごとく唱え続けた同党の戦略の失敗を意味していた。これまでは首相の妥協的手法によって、その呪文が効果を発揮したのだが、郵政解散は呪文の持つ説得力を完全に吹き飛ばしてしまった。

民主党がいくら「あれはまやかしです。茶番です」と叫んでも、有権者の眼前の光景は、どう見ても本物の権力闘争以外にありえなかったのだ。「お化けなんて嘘。お化けなんていない」と現実に眼を閉ざした当時の民主党にあって、小沢氏は冷静だった。「郵貯簡保を廃止または縮小し、遠隔地の郵便は国営で維持」という小沢氏が打ち出した代案は、政府与党案よりも確かに魅力的ではあったが、国会に提出しなかった案を選挙期間中に提案されても、有権者は戸惑うしかない。

結果としてあの衆院選で、小沢氏は多くの同志を失った。小沢氏に代表選出馬を決意させた理由の一つは、郵政政局に対する党の対応のまずさ、歯がゆさがあったのではないか。

民主党代表に就任した小沢氏に対して、いまだに国民の多くの期待が集まるのは、小沢氏の小泉評に垣間見える「率直さ」が理由のように思える。もちろん野党の指導者として、ただひたすら政権党を批判するのは当然の業務である。小沢氏自身、自由党党首として、民主党幹部として、小泉首相を厳しく批判し続けてきた。

その一方で時折、本音を吐露する場面もあった。最近では代表選前後のインタビューがそうだった。

「政権党にいて、少しずつ少しずつ変えて行こうというのなら、それはそれで一つのやり方。僕も自民党にいたらそうやっていたかもしれない。ただ、それを『改革だ、改革だ』と言うからややこしくなる」

「郵政民営化をやると言っている人を党首に選んでおいて、ごちゃごちゃ言う方がおかしい。僕だって同じようにやっただろう」

「小泉首相は権力闘争に徹し切れる人物。だから手ごわいし、これだけ長い間、国民の人気を博することができた。その意味においては、僕は到底かなわない」

どれもこれも、平均的な日本国民が聞いて「そうなんだよなあ」と素直に頷ける内容だ。ひたすら「国民は小泉劇場に踊らされた」と嘆き続ける聡明な知識人たちに比べ、小沢氏の分析が実に沈着冷静で、有権者の心理を見抜いていることが分かる。補選に入ってからは、また鋭い小泉批判に回帰したけれども、平時のインタビューにこそ小沢氏の本音が現れているように思う。小沢氏は既に、小泉改革「茶番」説を捨てているのだ。

結局のところ、「小泉政治」なるものは「小沢政治」の亜流だった。亜流だからこそ、不徹底な点がある。本家にしてみれば、亜流の目指す「方向性」を批判すれば、天に唾するのと同じことになる。なんとも批判しずらい相手だ。「どうせ名をかたるなら徹底してやってくれ」というのが、「改革ブランド」本家である小沢氏の偽らざる本心だったろう。その意味で、昨年の郵政政局は「バッタものの意地」を見せ付けた。「なかなかやるじゃないの」と本家の職人を唸らせた。

小沢氏は、世間で思われている以上に「小泉政治」なるものを評価していると、私は思う。小泉首相の任期切れを目前にしての「真打登場」は、過去5年間、「あれが相手じゃ誰がやっても勝てっこない」という、現実主義者の冷徹な判断があったからに違いない。

今年1月の自民党大会で、小泉首相(党総裁)は次のように語った。
「よき歴史、伝統、文化を守りながらも、『保守したくば、革新せよ』という言葉を銘記して、新しい時代に対応できるような体制を皆さんとともに築き上げていきたい」

これに呼応するかのごとく、4月の党代表選で「変わらずに生き残るためには、変わらなくてはならない」と呼びかけた小沢氏。やはり餅は餅屋である。小沢民主党が、本家として「改革」の旗を引き継ぐのなら、自民党の「ポスト小泉」は、必ずしも新自由主義路線の継承にこだわる必要はない。保守政党に回帰した自民党と、自由主義政党に純化した民主党との頂上決戦のほうが、双方の多数派(すなわち実態)を反映し、国民により明確な選択肢を提示できるだろう。

改革に疲れた国民が保守政党を選ぶか。あるいはさらなる改革を望んで自由主義政党に未来を託すか。それは、まだまだ先の話。ただ小泉後のリーダーに“小泉的”資質が求められているとは限らない。賢明なる日本国民は9月の小泉首相の退任を見届け、こう言うだろう。

ありがとう。ご苦労さん。そして、さようなら。

〔了〕

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5 コメント

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「純化」にはまだ・・・ (ぱっと)
2006-05-06 20:45:00
興味深い分析ですね。確かに二人には似たところがあると思います。次は小沢民主党に期待といきたいところですが、小泉自民党との差異を挙げれば、「抵抗勢力」が依然として根強いことではないでしょうか。安全保障や国家観が正反対であるはずの横路氏と小沢党首が組んでいるなどと言われると、う~ん、という思いを捨て切れません。ご指摘のように「自由主義政党に純化」できれば一つの選択だと思いますが、まだそのような状況にはないようです(もちろん「純化」することが好ましいかという論点もあります)。全ての改革に反対するある種最も保守的な集団が民主党には残っていますから。
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そうですね (山川草一郎)
2006-05-07 11:39:40
既得権益の破壊に関しては、企業労組の組織内議員を抱えた旧民社党グループが障壁ですね。ここは数も多いし、背後に連合がいるので実はかなり厄介。



外交安保では、ご指摘のとおり旧社会党右派議員が中心となっている横路グループを説得しなくてはなりません。小沢氏は「国連待機部隊」という理想を語って、自衛隊の海外派遣を封印することで、彼らと「合意が成立した」としていますが、小沢氏の考え方は「国連という手続きを経た上で、米国からの要請に積極的に応えよう」というもので、小泉政権との違いは「手続き」論に過ぎません。政権を取った後の現実的政策判断では、両者間の意見の相違が表面化するでしょう。



何よりアジア外交に関しては、小沢氏は今も民主党内の少数派です。民主党内の最大公約数は、かつての自民党の保守本流、今で言えば谷垣派、津島派、河野グループ(麻生氏除く)といった勢力に近い。福田康夫氏や加藤紘一氏にも近いでしょう。簡単に言えば「大人の外交」。中韓両国とは議論はせず、大きな外交戦略の観点から不本意でも妥協していきましょう、という考え方です。



これらに比べて小沢氏は、対アジアに関して「非妥協」の最強硬派に位置します。おそらくは小泉氏よりも徹底している。小泉首相は中韓両国に「いつでも首脳会談をしよう」と提案していますが、小沢氏は「会いたくないなら会わなくていい。困るのは向こうだ」という態度を取るでしょう。「中韓2国を対手とせず」路線です。小泉氏と違うのは靖国参拝という非合理的、非科学的行為を「非妥協」のシンボルにはしないということ。



私としては、自民・民主の2党が(少なくとも双方の多数派)が、分かりやすく分かれて、選択肢を提示してくれれば、どちらがどうでもいいと考えています。つまり、今のまま民主党が保守政党化し、自民党が自由主義政党化していくというのも、ひとつの在り方だと思っています。その可能性も十分あるでしょう。



去年の衆院選は、リーダーがその気になれば短期間で政党の理念を一変できることを見せ付けました。新人候補を大量擁立して、当選させればいいのですから。小泉氏はそれを実践した、おそらくは吉田茂以来のリーダーでしょう。



ただ、完全に純化するのは難しい。自民党内の保守本流を自任するグループは、小泉首相の退陣後に自民党を再びかつての保守党に戻そうとするかもしれない。彼らは「われこそ自民党の正統派だ」と信じているので、間違っても離党し、民主党に合流すれことはないでしょう。加藤紘一氏らが民主党に合流してくれれば、実に明快な構図が完成するのですが、これは実現性が低い。



だったら、小泉後の自民党を保守本流の人たちに「大政奉還」して、一方の民主党をかつてのように「規制緩和」と「小さい政府」を唱える新自由主義政党に回帰させるほうが、まだ現実的かなと思っているところです。

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詳細な分析に感謝 (ぱっと)
2006-05-07 23:25:17
非常に詳細な分析をありがとうございます。現状では(自民党も民主党も)今度の様子を見守るということでしょうか。また、動きをフォローして分析して頂けるとありがたいです。

自民党の「保守」の方々や民主党の「社会党系」の方々に代表される「大きな政府」、「ゆりかごから墓場まで」(何でも国が面倒を見てあげる)の方々の受け皿はどこになるのでしょうね。自民党が先祖返りするのも難しいでしょうし、小沢民主党が新自由主義になっても難しいでしょうし、別の受け皿が必要になるのでしょうか。私個人は賛成しかねますが、こうしたニーズはそれなりに根強いと思いますから受け皿は用意する必要があるかもしれません。(受け皿と財源でしょうか(笑))
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左右の「保守」の受け皿 (山川草一郎)
2006-05-08 13:39:24
少し前に「小泉自民は保守政党か?」というエントリーを書いていて感じたのですが、政党の理念というのは、やはり近代政党の母国である英国が参考になりますね。つまり―



(1)産業革命のうねりの中で、規制撤廃と自由貿易を主張する新興勢力(=穀物関税同盟。今で言えばIT業界でしょうか)に後押しされる形で「自由党」が成長する。

(2)自由党の進める近代化政策に、農園領主(貴族層)が反発し、近代化への抵抗勢力としての「保守党」を後押しする。

(3)工業化が進むに連れて、都市部に労働者階級が発生。経済を「神の見えざる手」に委ねる自由党の放任主義政策に不満が発生。商工組合(フェビアン協会)を通じて労働者が連帯し、西欧社民主義を唱える「労働党」が台頭。同時に自由党が埋没。

(4)第2次大戦後、左傾化した労働党に対抗するため、保守党が自由主義者との共闘を強める。保守党の自由党化。サッチャー首相の新自由主義政策。

(5)冷戦終結で、「第三の道」を説く新しい労働党(ニューレイバー)が復権。自由主義政策を取り入れ、中産階級に支持拡大。保守党の没落。



以上は、英国政治史の素人の私見ですが、だいたいこんな感じでしょう。冷戦時代は、社会主義という共通敵の存在が、本来相容れない保守主義者と自由主義者との共闘を可能にしていたのです。冷戦後の保守政党内で、分裂が始まるのは当然といえば当然でした。



改革を標榜する小泉首相は、合理的な近代化論者であり、根っからの自由主義者です。英国の保守党がブレアの労働党に自由主義政策を奪われたのと対照的に、「周回遅れのサッチャー」である小泉氏は、森政権時に民主党が主張していた新自由主義政策を横取りし、日本の保守党である自民党を新自由主義政党に改造しようとしたわけです。



政策を横取りされた英保守党や日本民主党が迷走するのには、無理からぬ事情がありました。彼らに「政権との対立軸を示せ」というのは酷な話です。政策を横取りするなら、本当は連立を組むのが筋なんでしょう。



英国では、労働党が自由主義政策を取り入れたので、保守党は保守主義に先祖帰りしました。しかしながら、戦後の英国社会はもはや「近代」を前提にしており、絶滅危惧種の貴族階級を基盤としたかつての保守党に戻るなら、「ミニ政党」化せざるを得ないでしょう。第三党の自由民主党に流れた「保守的な中産階級」の票をどう奪うかが、英保守党復活に向けた課題ではないでしょうか。



逆に日本では、保守党である自民党が自由主義政策を取り入れました。保守党が自由主義者に乗っ取られた場合、本来の保守主義者はどこへ行けばいいのでしょうか。



彼らは福祉や家族、古来の自然環境、結果の平等を重視する傾向がありますが、これらは民主党内のリベラル勢力と通じる側面がありますし、社民党とも一致する側面があります。問題は安全保障政策が正反対である点ですが、9条護憲派も今や「保守派」といっていいかも知れません。



ところで、民主党の小沢代表の思想は合理的で、近代的で、科学的で、進歩的で、小泉首相によく似ているのですが、個人的な趣味趣向に注目すると、大きく異なる点が見つかります。それは「伝統」に対する考え方です。小沢氏は「素朴で正直な日本人の良さ」をよく口にします。



当代随一のマキャベリストである小沢氏自身、政治家として「素朴」だとも「正直」だとも、私は思いませんが(小沢ファンの方にはすみません)、とにかく、そういう価値観にこだわります。これは近代化、自由化にはなじみにくい要素です。素朴で正直な日本人は、規制や保護のなくなった熾烈な国際競争では生きて行かれないからです。



(堀江氏のような「脱法的な悪知恵」は不要でも、日本社会を国際競争の嵐に本気でさらすつもりなら、少なくとも中国や米国に対抗し得るだけの「ずる賢さ」は必要でしょう)



小沢氏はそうした個人的な趣味趣向を、思想信条や政策と混同して扱っている嫌いがあります。もちろん、それは、保守主義者との共闘を意識して、意図的にやっていることなのかもしれませんが。左は横路衆院副議長、右は綿貫国民新党代表まで、幅広い野党勢力結集を目指すには、実に好都合な要素ではあります。



右と左の「アンチ自由主義者」を受け入れることが可能な最高の「受け皿」が、自由主義である小沢氏であったというのは、何とも皮肉ではありますが。

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幸せな格差社会 (山川草一郎)
2006-05-08 15:23:19
連投ごめんなさい。上で書いた小沢氏の内なる「保守性」について、少し補足します。小沢氏は最近よく小泉政権の対立軸として「共生」というキーワードを用いていますが、これなどは「左右の保守勢力」の糾合のために戦略的に編み出したものと考えていいでしょう。いわく―



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僕は日本のコンセンサス社会には問題も多いが、国民生活の安定を旨としてきた哲学は大切であり、そこから派生した「年功序列」や「終身雇用」は日本独自のセーフティーネットとして今後も守っていくべきだと考えている。

(略)

僕はいつも日本社会の革命的改革を訴えているが、日本のいい部分は維持すべきだと考えている。小泉自民党はその選別がゴチャゴチャになっていて、多くのシワ寄せが立場の弱い人々に押し付けられている。

(夕刊フジ「剛腕コラム」271号)

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小泉政権がもたらしたとされる「格差社会」に異議を唱えての記述。連合の集会でも似たようなことを言っていました。小沢氏の主張は純粋に自由主義的でなく、自由主義と保守主義が共存しているようです。両方の「良いとこ取り」をされると、有権者が選挙で政権政党を選択する際の障害になるので、割りきってもらいたいところではあります。



ただ、注目したいのは、同じコラムで小沢氏がこうも言っていることです。

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重要なのは本人に選択させること。(本文一部欠落=山川注)次第で給与も高くなるがリスクも背負ってもいいという人に適用すべきで、それがイヤな人には給与は低いが安定した生活を保障すべきだろう。

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この考え方は興味深いですね。世の中には「キャリア志向の人」と「安定志向の人」が確かに存在します。小沢氏は両者を明確に分離した上で、後者には終身雇用や年功序列といった旧来の日本型セーフティーネットが引き続き必要だと説いているわけです。 



これまでの議論は、「米国式に転職を自由にし、社会の流動性を高めて、経済を活性化すべき」とする自由化論者に対して、左右の保守陣営が「日本式の終身雇用、年功序列こそが企業への忠誠心を育み競争力を高めてきた」と反論する構図になっていたような気がしますが、小沢氏の主張はこの2つの論に中立なのです。



ただし、よく考えると「キャリア社会」と「ノンキャリア社会」との2分する小沢氏の論は、一億総中流といわれた高度成長時代の日本社会との決別をも意味しているようです。実際、戦前の日本社会では大卒キャリア組が、いろんな企業の管理職を転々とし、非キャリア組はその下で黙々と業務をこなしていたのです。夏目漱石なんかは何度か転職していますね。今でも官庁などにはこの頃の風習が残っています(特に根強いのは警察官僚です)。



小沢氏の持論は、日本社会の2層化を進めるもので、安易に同調するのは危険なのですが、確かに現在の「格差社会」論に対する一つの回答にはなっています。つまり、なし崩し的に雇用契約を自由化すれば、「能力のある者」とそうでない者の格差は拡大します。「リスクを冒して挑戦する者」とそうでない者の格差も。ひょっとすると「恵まれた家庭環境に産まれた者」とそうでない者の格差だって拡大するかもしれない。



しかし、世の中には「管理職としての能力は高くないが、手元のルーティンワークを実直にこなすのが得意な人」もいるのではないか。あるいは「リスクを冒してまで出世したいとは思わない。平凡で平和な生活が一番」と感じている人も。こうした安定志向の層に競争を強いれば、落ちこぼれてしまうでしょう。小泉政権はそうした層を「待ち組」と総括し、「チャレンジしようじゃないか」と促しているのです。これは残酷な話です。



小沢氏は、そうした安定志向層に救いの手を差し伸べているようにも思えるのです。「無理に頑張らなくていいよ」と。ある意味で、それは「幸せな格差社会」と呼べるかもしれません。とすれば、小沢氏の主張は「格差」を前提としているのであって、「必ずしも格差が悪いとは思わない」と言わずもがなのことを口走って批判を浴びている小泉首相の思想と本質において大差ないのです。



対照的に「ポスト小泉」の有力候補とされる安倍晋三官房長官は「再チャレンジ推進会議」を提唱しています。安倍氏はその発表記者会見で、「フェアな競争こそが、経済を押し上げ、日本の力を強くしていく。勝つときも負けるときもあるが、勝ち組、負け組を固定化させてはいけない。再チャレンジできる社会を作ることが大切だ」と力説したそうです。



ここでは「格差」は、「当然の前提」とされず「是正すべき対象」と位置付けられています。小沢氏の主張とは好対照です。どちらの主張に「明るい未来」を感じとるか。それは現在置かれた立場によって、異なることでしょう。私個人は、政府が負け組に競争を強いる社会は、いささかお節介だな、と思うのですが。
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