山川草一郎ブログ

保守系無党派・山川草一郎の時事評論です。主に日本外交論、二大政党制論、メディア論などを扱ってます。

前原さん、その論理は。

2006年02月22日 | 政局ウォッチ
比較的ヒマだったので、仕事の合間に小泉首相と前原民主党代表の党首討論をテレビ観戦した。ライブドアの堀江前社長が武部自民党幹事長の二男への送金を誰かに指示したとされる問題で、民主党が疑惑の根拠としている電子メールに関して「新たな証拠」を提示すると思ったからだ。結果は期待はずれだった。

前原氏は「国政調査権の発動を前提に銀行名と口座を示す」と主張し、小泉首相は「先に証拠を出してほしい」と言い返す。相変わらずの非建設的な議論だ。この状態がしばらく続けば、やがてメディアの関心も薄れ、疑惑の真偽はうやむやのまま忘れ去られることだろう。

それにしても、前原氏の主張は苦しいと思う。金融機関に対する口座情報開示命令を「国家権力の行使は極めて注意深く慎重であるべきだ」と拒む首相に対し、前原氏は「権力はどこにあるのか。野党でなく、与党だ。われわれは権力を持っていない」と言う。なんだか訳が分からない。

国政調査権は国会が行使するものだ。その可否は委員会の多数を占める与党の意向に左右されるが、行使する主体はあくまで「国会」である。
「国会の権力行使は抑制的であるべきだ」
「権力を持っているのは与党でしょう。うちは野党だから関係ない」
というやりとりは、意味を為さない。

国会議員は、民間人から見れば「権力」だ。その権力を民間人に対して、安易に行使していいはずがない。タレントの江角マキコさんがいかに年金未納だろうと「参考人招致しろ」という要求は通らないのである。

前原氏は「挙証責任は、証拠もなしに個人攻撃を始めた民主党側にある」とした首相発言に対して、「(イラク戦争前に)核兵器を持っていない証拠を示すのはフセイン大統領の仕事だ、といったのは小泉首相じゃないか」と反論した。やはりいただけない。

いや、言っていること自体はごもっともなのだが、その論理を民主党が使うのは自己否定につながると思うのだ。ちなみに「民主党ニュース・トピックス」によると、大量破壊兵器に関する首相の発言は、2003年7月23日の党首討論に登場する。以下、抜粋要約。

まず、では、大量破壊兵器はないと菅さんは断言できるのか。私はそうは思わない。(菅直人君「国民に答えてください」と呼ぶ)私は、これは国民に答弁しているんです、国民に向かって答弁しているんです。

それは、十二年前からイラクは、国連の決議を無視してきた。そして、かつてイラクは、イラク国民に対しても化学兵器を使用している。多くの国民を殺害してきた。なおかつ、たび重なる査察団、これについても、無条件、無制限に大量破壊兵器があるかないか、疑惑を証明しなさいということに対しても誠実に対応してこなかった。

国連の決議、たび重なる決議、十回以上にもわたる決議に対しても、無視あるいは軽視し続けてきた。だからこそ、国連安保理決議で、一四四一初め決議が行われてきている。疑惑を晴らす、これをイラクが証明しなさい、証明責任をイラクに最後に与えるといったこの決議にも、イラクは誠実にこたえてこなかった。そういう状況から、私は、イラクに大量破壊兵器が今でもあると思っております。

また「保健師ブログ」さんによれば、2005年1月27日の予算委員会では、小泉首相が次のように述べている。

「フセイン大統領がみつかっていないからイラクにフセイン大統領は存在しなかったとはいえない」これは私は当然だといえますよ。

あのころ色んな質問に答えてた。大量破壊兵器みつかっていないから、永遠にないというようなトーンだったから、そうとは限らないと。あのときの状態、国連での議論、国連での決議、フセイン大統領がしん(どもり)ぎ、あの、審査を拒否する、妨害する状況をみれば、これはあるなあと思っても不思議じゃないんだ。

で、私もアノ頃はいずれはみつかるんじゃないかと思ってた。で、結果的にはないという。思うと予想と見込みが外れる場合はある(声をでかくして)しかし、アノ頃の状況から見れば、ほんとに大量破壊兵器をもっていないと思うんだったらば、フセイン大統領は国連の査察を受け入れて、自らないですよと、証明していれば、戦争は起こっていなかったんです。(そうなんです。と手を上げる)

これに対して、民主党を代表する菅直人氏は「私もかなり多くの総理大臣をみてきましたけれども、たしかに総理大臣もいろいろですよね。これほど、国民を馬鹿にして開き直った総理大臣をわたくしはみたことがありません」と皮肉ったという。

前原民主党は、その「国民を馬鹿にして開き直った」論理を、「国政調査権を発動して、武部氏二男の銀行口座を強制的に調べるべきだ」という主張の論拠にするつもりだろうか。それでは、イラク側が「大量破壊兵器などない」と言っているのに、「あるはずだ」と武力行使に踏み切ったブッシュ政権と同じではないか。

2003年7月23日の党首討論では、当時の菅代表が小泉首相をこう諌めている。

もし国民の皆さん一人一人に、あなたは大量破壊兵器がないと証明できますかと言ったら、ないものの証明はできないというのがこれは倫理学の前提でありまして、私が申し上げているのは、あるとかないとか言っているのではなくて、疑惑という段階で、それを総理という立場で存在すると断定したところに最も大きな問題があるということを申し上げているので、このことを答えられない総理に対して、一方的な質問に私から答える必要は全くありません。総理大臣が総理大臣としての答えをしていないわけですから。

菅氏は正しいことを言ったと思う。イラクには大量破壊兵器はなかったし、「ある」という米国経由の情報は「ガセネタ」だった。真偽の不確かな情報を根拠に実力行使はすべきでなかった、と民主党は主張していたはずだ。

苦し紛れの首相答弁を持ち出して逃げ切った前原氏は、結果として送金疑惑の根拠となったメールが「ガセ」だったと自認したことになる。根拠がガセなら実力行使(=国政調査権発動)はすべきでない。自己否定である。結局、小泉首相の詭弁に乗っかった時点で、民主党は負けたのだ。〔了〕




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8 コメント

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前原代表の責任 (山川草一郎)
2006-02-24 10:06:31
永田議員の辞職に関心が集まっているが正直、どうでもいいことだと思う。進退は本人が決めればいい。



国会で野党が政権の疑惑を追及するのは当然で、その際にすべての事柄について確たる証拠を提示しなくてはならないとは思わない。



怪しげな情報でも「こんな情報があるが、真偽はどうか」とただせばいい。政権から「それは事実と違う」という言質を引き出せれば成功だ。後で事実と判明したときの攻撃材料になる。経験を積んだ野党政治家はそうやって疑惑をさり気なく指摘して、政権党を追い詰めていく。



今回の「堀江メール」も本来は、「こんなメールを入手したが、事実か」とただして、武部幹事長が「息子に確認したが事実無根」と答弁したら、さらりと次の質問に移ればよかったのだ。二男の実名を挙げて「カネで魂を売った」だの「事実無根を証明せよ」だのと騒ぐ必要はなかった。



「証明せよ」というから「まずはあなたが証明せよ」と切り返される。返答に窮して「国政調査権を発動してほしい」と無茶な要求を付きつけて、自身をさらなる窮地に追い込んでしまった。



ここまでは「若手議員の勇み足」ですむ話だった。問題は、前原代表が「メールの信ぴょう性は高い」と何度も発言し、「党のすべての事柄について最終的な責任は党首、代表にある」と発言したことだ。「党首、代表」という言い方は、「武部幹事長のクビだけでは納得しない。責任をとって辞めるのは自民党総裁である小泉首相か、そうでなければ自分自身だ」という意味だろう。



党首同士のクビを懸けてのガチンコ勝負に持ち込んだのは、退路を断って勇ましかったが、これによって、若手議員の勇み足は「党首の責任問題」にリンクしてしまった。結果的に前原代表は政局判断を誤ったと思う。



私は前原氏には好感を持っているから、民主党代表を辞めてほしくはないが、「全責任は自分にある」と言ってしまった以上、辞めざるを得ないと思う。前原氏は「生き恥をさらしてでも党代表は続ける」と言っているらしいが、傷口を深める言動であり、残念だ。



代表にとどまるのは勝手だが、疑惑メールの真偽に決着を付けない限り、これから民主党がいかなる疑惑を追及しようとも国民から信用されまい。これから民主党が「総理は政治責任を取るべきだ」と主張しようと、国民は冷笑するだけだろう。



前原氏の最大の責任は、些末な疑惑に自身のクビを懸けてしまったことにある。取れない責任なら、最初から言及すべきでなかったのだ。

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比喩の力 (妙訝)
2006-02-24 22:40:23
野党は要職辞任、与党は口先の謝罪。…これを慣習にしてしまえば、政権交代など夢また夢って感じですが。



普通にイラクの比喩も、フツーに聞けば、ダブルスタンダードである首相の態度を責めるモノであって、

 イラクの大量破壊兵器=入金の疑惑

 武力行使=国政調査権発動

 国連査察=メールの真偽優先

…という対応をして、首相が基準を徹底するならば、前者を取るべきだ…と言う論理になっているのだろう。だから、この記事での指摘では前原氏にとって矛盾にはなっていないのでは?

国連=国会でありアメリカ=与党だから、非常任理事国である民主党は、武力行使できない。アメリカは国連を半ば無視して、立前で国連の権力だと強弁し武力攻撃した。という対応で、確かに国会=国連に権力=武力は無い。



ただ、メディアは民主党を疑惑のイラクに比し、疑惑の元にその解釈から逸らされている。メールの真偽=大量破壊兵器の有無と、だから矛盾になるのでは? 少なくとも此方の方が寓意としての親和性が高い。

今見ている古館の番組では、ガセネタで武力行使をしたアメリカと民主とをイメージの上で重ねていた。比喩は善悪好嫌の中で巧みに滑りながら、印象を一方向へ誘導する。



此処でのご指摘を受けて、私は違った意味で矛盾を感じました。元もと菅さんに近い認識なので、査察を優先すべきだ…と考えたから、武力行使を肯定するような論理を認められない。この記事の後半の解釈を私も立てます。
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追記 (妙訝)
2006-02-24 23:12:28
イラク比喩を今更持ち出した事における最大の失策は、イラクに大量破壊兵器が無かったこと。無かったという認識が今の大勢であること。

そこに比喩すると言うことは、送金疑惑など実は無かったのだと…言うイメージの上での対応が生まれそこに落ち着く。

…これは失策などではなく、意図的に行っているのではなかろうか?
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比喩は比喩ですから (山川草一郎)
2006-02-24 23:45:52
比喩は比喩ですから、前原さんが本気でそれ(小泉首相の過去の発言)を根拠に、「だから国政調査権を発動すべきだ」と言っているとは思いません。おっしゃるとおり首相の「ダブルスタンダード」を皮肉っているだけでしょう。それ以上でもそれ以下でもない。



本文で「言っていること自体はごもっともなのだが」と断ったのはそういう意味です。実際、小泉首相に対するあてつけ、皮肉としては立派に成立していると思います。



「ないものは証明できない」という今の小泉首相の言い分は、確かに過去の発言と矛盾します。ただ、それを言ってしまうと、民主党も当時の立場と矛盾してしまうのではないか、と思うのです。



イラク戦争のときは、小泉首相と民主党は正反対の立場にありました。だから、もしその後に首相の立場が変わったのだとしたら、論理的には、今は小泉首相と民主党は同じ立場であるはずです。



それは、つまり「大量破壊兵器があるという確証がないのに実力行使をすべきではなかった」「まずは米国が大量破壊兵器の存在を立証すべきだった」という立場です。



前原さんは「小泉首相はいつから我々と同じ立場になったのか」と皮肉ったわけです。で、民主党と小泉首相の立場が同じになったということは、どういうことかといえば、それはつまり、民主党も小泉首相も「確証もないのに国政調査権を発動すべきでない」「疑惑を指摘した側が、まず立証すべきだ」という立場に立っている、ということでしょう。



しかしながら民主党は今、「国政調査権を発動すべきだ」「疑惑を指摘された方が潔白を立証すべきだ」と主張しているようにみえます。だとすれば、民主党もまた、小泉首相と同じく、いつの間にか立場を変えたことになります。イラク戦争のときの対立構図と、両者がまったく正反対に入れ替わったということです。



ただ何度も言いますが、前原さんの言ったことは、しょせんは皮肉であって、それ以上の意味はありません。ですから、別に論理が矛盾していてもいいのです。それは分かったうえで、「前原さん、その論理はちょっと…」と皮肉ったまでなのです。



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おっと (山川草一郎)
2006-02-24 23:47:14
すれ違ってしまいました。2番目の投稿内容は、まったくもって同感です。
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Unknown (妙訝)
2006-02-25 01:07:48
厳密な日時を追ってませんから、この私の指摘は的はずれかも知れませんが…、前原体制とそれ以前とで、民主が立場を変えていると見るべきでは? 変わっていないと仮定するから矛盾となって、変わったと仮定したら矛盾ではない訳で。権力の発動を!のあの強弁を見ると…やはり前原執行部は後者だ…と私には思えるのです。

もちろん、変わったことを党として明らかにしていないという意味では、党として自己矛盾を抱えているのですけれどね。
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うーん (山川草一郎)
2006-02-25 02:51:35
そんなに難しく考える必要はないかと。論理に矛盾が生じるのは「イラク戦争と送金疑惑メール問題は違うから」でしょう。しょせんは皮肉、言葉遊びに過ぎないのです。



さすがに前原代表も、前原体制も、イラク戦争の正当性までは認めていないと思いますよ。もっといえば小泉首相だって本音では戦争に賛成はしてなかったでしょう。立場がそれを許さなかっただけで。

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どうやら (山川草一郎)
2006-02-26 01:52:15
前原氏は民主党代表を辞任しないようだ。永田議員の釈明会見で事態を収拾する方向でまとまりつつあるらしい。



前原氏の言行不一致は、彼自身にとって大きな失点となった。今後は「全責任は自分にある」などと軽々しく進退に言及しないことだ。



ただ、少し前向きに考えるならば、今回の一件は民主党にとって政権党に向けた一つの通過儀礼になったかもしれない。



野党の政治家と違って、政権党のリーダーは軽々に進退に言及してはならないし、時には本音に背いて嘘をつき通さなくてはならない局面がある。今の前原代表のように。



前原氏は今回、問題のメールについて「信憑性は高い」と繰り返し発言したが、途中からは彼自身も信頼性に疑問を感じていたはずだ。



強がりを通したのは、必ずしも自らの「保身」のためだけではなかっただろうが、世間からはそういう目で見られ、圧倒的な批判が党代表である前原氏に集中した。



政治家にとって、辞めるほうが楽な場面は多い。「潔く辞任」の誘惑を断つのは、実は相当につらいことである。



その点、小泉首相は絶対に自分からは辞めない。野党から「辞任すべきだ」「権力の座にしがみついている」「保身しか頭にない」と批判され、挑発されても、決して責任を放り出すようなことはしない。それが彼の信念だからだ。



これまでの野党は、あまりに軽々しく政権党に対する退陣要求を繰り返してきた。自らのクビを懸けて政権と対峙すれば「背水の陣」と喝采されるが、そうした攻撃は常に両刃の剣だ。



国政に責任を持つ首相は、立場上、簡単に辞めるわけにはいかないから、野党の退陣要求は慎重にかわすだろう。だからこそ「全責任は自分にある」と言い切る野党党首の断固たる無責任発言は、政権党との対比で「潔い姿勢」として国民の目に映る。



と同時に、政局の風向きが変わって野党に逆風となれば、たちまちその矛先は自らに跳ね返ってくる。攻め続けていた野党党首が、風向きが変わった途端にあっけなく辞任に追い込まれるのは、このためだ。



こうして民主党は次々に党首を変えてきた。党首を消費してきたと言い換えてもいいかもしれない。



威勢よく首相を攻撃していた民主党代表が、一気に劣勢に立たされ、代表職にしがみつき、党内や世論から激しい批判を受け、結局、辞めざるを得なくなる。そうした民主党の政局を、われわれは何度となく目にしてきた。実に非生産的なことだ。



取る気のない責任なら、最初から言及しなければよい。首相との対比で「潔さ」を演出したいがために、民主党のリーダーは安易に責任論を口にしすぎた。



前原氏も今回、やはり失態を演じた。言わなくてもいい「党首の責任」に言及し、首相に辞任を迫った。国政に責任を持たない野党党首だから、辞めるのは簡単だ。ところが前原氏は「生き恥をさらしてでも続ける」という。



この態度を単なる「保身」「厚顔無恥」とみるか、悩んだ末の「責任の取り方」とみるかで、評価は分かれるだろう。



自らの責任に言及しておきながら辞任はしないいう道を選んだ前原氏は、もはや政権党に対して退陣要求はできない。前原氏が今後、「総理は責任を取ってお辞めになるべきだ」と主張しても、まるで説得力がないからだ。



しかし「安易な退陣要求からの脱却」は長い目で見れば、民主党にとってプラスかもしれない。だいたいが任期途中で首相を辞任に追い込んだところで、議院内閣制のわが国では政権は野党に移らない。多数党の中でたらい回しされるだけだ。



選挙で政権を選ぶ議院内閣制の原則に従えば、衆院選での過半数割れ以外に首相を更迭することには、慎重であるべきだ。(一国の首相に政党党首としての任期があるのも、本当はおかしな話である)



首相が任期途中に辞める可能性があると、どうしても国会審議は「政争」の色を帯びやすい。政策の不備をつく議論よりも、スキャンダル攻撃と退陣要求のパフォーマンスに流れやすい。



民主党はもう、ことあるごとに首相に退陣を求めるのは止めにして、衆院の任期4年間は野党として政権党のチェック・アンド・バランスに徹するべきではないか。



前原氏の失態を教訓に「俺が辞めるか、あんたが辞めるか」式の不毛な喧嘩からは卒業することを、これからの民主党に期待したい。

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