山川草一郎ブログ

保守系無党派・山川草一郎の時事評論です。主に日本外交論、二大政党制論、メディア論などを扱ってます。

小泉内閣を支持し、見放した人々

2004年12月12日 | 政局ウォッチ
8割という高さでスタートした小泉内閣の支持率だが、現在はほぼ4割の水準で低迷が続いている。かつては支持した人々が、この内閣を見放した理由は何であったか。

(1)世直しを期待した市民層

社会現象とまでいわれた政権発足当初の国民的熱狂を支えていたのは、小泉氏による「世直し」を期待した市民層であった。彼らは、竹下派支配と言われた自民党の構造を破壊しようとする小泉氏の姿勢に共感するとともに、官僚に牛耳られた政治を国民の手に取り戻すことに期待をかけた。民主党支持層の中にも多かったと思われる。

専門知識を振りかざす旧来のエスタブリッシュメント(官僚、政治家、メディア、インテリなど)を信用せず、一般国民の「常識」で物事を捉えなおそうとする傾向が、彼らにはあった。その背後には、長引く景気低迷や相次ぐ公務員不祥事のほかに、行政・社会・経済の複雑化に伴う専門家独占への反発、所得向上による大衆層の知的成熟-など様々な時代背景が横たわっていたと考えられる。

薬害エイズ問題の厚生省追及で名を馳せた小林よしのり、櫻井よしこ両氏らの活動は、そうした素人による「草の根常識革命」運動に裏打ちされていたものだったと見ることができる。彼らは従来の反体制的市民運動とは一線を画していた。一見、リベラルで好戦的な左翼思想に通じるものがあるが、彼らは新左翼に共感しないどころか、むしろそうしたイデオロギーに、無責任な「インテリ臭」を嗅ぎ取り、反発した。

(そのことは、小林氏らが後にいわゆる「草の根保守主義」の運動の担い手として、戦前の日本の立場を弁護する立場に回ったことで、新左翼陣営からも、ある種の衝撃をもって認知されるようになった)

自民党総裁選に出馬した小泉氏には、彼らが期待する「既存の体制に対する孤独な挑戦者」というイメージがあった。難解な永田町語でなく、分かりやすい明快な言葉で語りかける小泉氏の姿は、それだけでも世直し市民層の共感を呼ぶに十分だった。

加えて、内閣発足直後に行ったハンセン病国賠訴訟の控訴断念という英断は、「行政の過去の過ちの清算」という彼らの目標と合致し、その支持を強固なものにした。
 
しかしながら、幸か不幸か、首相就任後の小泉氏は彼らが期待したほどにはラディカルな行動をとらなかった。予算編成国会の最中に起きた田中真紀子外相と外務省との深刻な対立は、その転機となった。小泉首相は、外交機密費の闇に切り込むことを期待した市民層の予想を裏切り、「外相更迭」で事態打開を図ったのだ。

権力を握る手段として理想主義を掲げた小泉氏は、権力を握った時から、掲げた理想を実現するための現実主義者へと変身を始めたのだ。それは一面で「妥協主義」を意味するものであり、彼を支えた世直し市民層には重大な「背信」をも意味した。

小泉氏にとって「手段」に過ぎなかった体制破壊のスローガンは、世直し市民層にとっては「目的」のすべてであった。それゆえ、官僚や族議員を動かして改革を少しでも前へ進めようとする小泉首相の漸進路線は、市民層から見れば彼が「憎むべきエスタブリッシュメント」の側に回ったことの証左と見なされたのであろう。

(2)対外硬化を期待した保守層

自社さ連立時代、政府が常に近隣アジア諸国に配慮しながら外交を展開してきたことに不満を鬱積させてきた保守層の中の強硬派も、小泉内閣の登場に期待を寄せたグループの一つであろう。小泉氏が、自民党総裁選で「終戦記念日の靖国神社参拝」を公約したことが、彼らの期待を膨らませた。

その一部は前述の世直し市民層に重なるが、市民層と異なり、強硬保守層は旧来のエスタブリッシュメントの解体までは望んでいなかった。むしろ彼らは「体制側」に自らを位置付け、自民党を本来あるべき保守の姿に回帰させる役割を、小泉氏に期待した。

(イラク人質事件で、国家の立場から「自己責任」論を主張したのは彼ら強硬保守層であった。最近は「右翼」として一括りにされがちな小林よしのり氏らが、こうした論理に「国家が市民の行動にとやかく言うな」と反発し、一線を画したのは市民派としての矜持を示す好例だった)

このように、本来、体制側に近いはずの強硬保守層ですらも、小泉内閣はつなぎとめておくことに失敗した。最大の原因は「靖国」である。中国の圧力に屈して、8月15日の参拝を見送った小泉氏の姿勢は、それだけで支持を失うに足る致命傷だった。加えて、北朝鮮との国交正常化に向けたステップが「弱腰外交」の印象を強め、強硬保守層の政権離れを加速させた。

そもそも、小泉氏が総裁選で「靖国参拝」を掲げたのは、最有力候補だった橋本龍太郎元首相の基盤である遺族会を取り込むという一つの「戦術」であった。その意味では、彼の「現実主義」の現れだったのだが、公約を真に受けた強硬保守層は、首相就任後の小泉氏が「参拝時期をずらす」という、これまた現実主義的な妥協姿勢を示したことに失望し、憤慨したのである。

(3)行政改革を期待したインテリ層

小泉内閣を支持したのは主に、こうした市民や強硬保守層といった、大衆的で、どちらかと言えば「感情」を行動原理とする人々であったが、一方で小泉政権を一貫して嘲笑してきたかに見えるインテリ層の中にも、数は多くないものの、ごく最近まで支持者が存在した。

小泉内閣の登場に際して、インテリ層は早くから「支持」派と「懐疑」派に2分されていた。懐疑派は小泉首相の政治姿勢に、大衆におもねるポピュリズムを見出し、「パフォーマンスだけで中身がない」と批判した。大衆的な「小泉フィーバー」を嫌悪し、政治指導者をマスコミが持ち上げることの危険性を訴えた。作家の高村薫、佐高信両氏らがその代表格だ。

彼らは小泉氏個人の「知性」に疑問を投げ掛け、一般大衆に警鐘を鳴らした。「勉強嫌いで政策をまったく理解していない」といった、いささか誇張された主張は、しかしながら次第に大衆層の中に浸透していった。無論、そうした批判者の中には、従来の官僚主導体制の維持を狙う元大蔵省財務官ら守旧派も紛れ込んでいたのだが・・・。

(「専門知識を握る既存権威」に対して「常識の復権」を掲げて挑戦した小泉氏が、「専門知識の不足」を理由にインテリと大衆の双方から批判されているのは、皮肉な現象だ)

彼らの語り口は、世直し保守層が最も嫌う「インテリ臭」に満ちてはいたが、その後の首相の変心(と受け取られた現実主義の発露)により、結果として「正しさ」を立証する形になった。

そうしたインテリ層の中にあって、大衆的フィーバーには違和感を覚えつつも、小泉内閣の現実主義を冷静に見据え、その構造改革路線を支持し続けた人々も少数ながら存在した。彼らは、小泉内閣の登場を戦後政治史の中に位置付け、首相のパーソナリティに関係なく、その目指す方向性を「必ずしも間違っていない」として消極的に支持したのである。

意外と知られていないが、作家の立花隆氏はその一人だ。同じく作家の猪瀬直樹氏も(途中から当事者になってしまったが)このカテゴリーに含まれるのではないか。

彼らの多くは、しかしながら構造改革が思ったようには進まないことに苛立ちを覚え、自由党の小沢一郎党首が始めた「小泉首相の改革は本気ではない」との政権批判キャンペーンに、次第に説得力を感じるようになり、自由党合流後の新民主党へと傾いていった。

小沢氏の主張は、政権交代を目指す野党指導者としては当然のものであり、実態がどうであれ、彼はそう主張したであろう。問題はその批判が説得力を持ってしまうほどに、小泉氏の改革が妥協的に映ってしまったことだ。

道路公団民営化や三位一体改革などの要所要所で、「名より実」をとろうとする小泉首相の現実主義が裏目に出たのである。カネの流れを変える郵政民営化さえ実現すれば、日本の政治・財政構造は一変するという彼の信念が、その前段階での改革を妥協的にさせている。

このようにして、かつて小泉内閣を熱狂的に支えた「市民層」「強硬保守層」「インテリ層」は、この内閣の「現実主義」という本質に「欺瞞」を感じ取り、やがて去って行ったのである。

そして、そうした現実主義の最たるものは、イラク戦争への対応や「対米一辺倒」といわれるこの政権の外交路線に尽きるだろう。ここに挙げた3つの層のいずれもが、イラク戦争に反対し、政権を批判する側に回ったことは改めて言うまでもない。奇策を弄して自民党総裁の座に登り詰めた小泉氏の「現実主義」が、今や国民の支持を失わせる最大の要因となっているのである。

(了)

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