山川草一郎ブログ

保守系無党派・山川草一郎の時事評論です。主に日本外交論、二大政党制論、メディア論などを扱ってます。

身も蓋もない弁明

2006年05月16日 | メディア論
「身も蓋もない弁明」というものが世の中にはある。「それを言っちゃおしめーよ」というか。いや、そういうことを言う人は概して正直者だったりするし、個別の事情も察してはいるのだが・・・。それでもなあと、思うのだ。

というのも最近、インタビューでの発言が問題になった現役の職業記者や元記者が、「いや、あれは相手の本音を聞き出すためのテクニックでね」といった趣旨の弁明をしているのを、相次いで目にしたからだ。

いずれも、日々の取材活動で日常的に使っていた手法で、それ自体に問題はないとしながらも、その過程を公開したこと(または公開されたこと)については、反省しきりといった感じなのである。曰く。

自分がまず大げさに話すことで相手の警戒心を解き、本音を語ってもらうという手です。僕自身、取材の中ではよく使っている手ですが、トーク番組のようなセッティングの中では、控えるべきだったかもしれません。(時事通信社編集委員の湯川鶴章氏。事情はこちらを参照)

あれが僕のインタビューのテクニックの1つなんだよ。インタビュー相手に同調的な意見をまくし立て、相手が気を許したのを見計らって、すかさず「で、実際にはどうなの?」とか「でもさ、そういうのって建前論じゃん?」とかけしかけて、つい本音をしゃべらせるように持っていくという。いわば、僕が記者やっていた時の職業技術の1つだったわけ。実際の記事では、そういうこちらの誘導文句はもちろんまったく書かないから、いかにも相手の本音だけがずばり出てきたような記事になる。(元雑誌記者の有名ブロガ―、R30氏。事情はこちらを参照)


言っていることは分かるし、プロの取材とはそういうものだろうなとも思ったりする。じゃあ一体何が引っかかるのかと言うと、ご両人がいかにも堂々と教え諭すように「実はこうだ」と反論していることに、少々驚いたからなのだ。つまり。

「そういう裏話って本来、恥ずかしいことではなかったっけ?」ということである。

御用聞きのごとく、政治家や官僚にインタビューしに行って「ほほう、なるほど、なるほど」と相槌を打つ。「いやー僕なんか、馬鹿ですからこう思うんですけど、どうですかねえ」と極端な持論をぶって、重い口を少しでも開かそうと努力する。

そういう「技術」は職業記者なら誰でも身に付けているものだろう。意識しなくても自然と身に付くのかもしれない。「さあ話してください。黙って聞いてますから」という態度で取材しても、重要なことは何一つ聞き出せないに違いない。

「相手の本音を聞き出す技術」が重要なのは理解できるが、そういう取材風景はなるべく他人に知られたくないものではないか。政治家を取り囲んで取材する番記者。「癒着している」などと批判されることの多い彼らにも、言い分はあるだろう。

夜な夜な政治家の自宅に通うのは、「議論をするため」ではなく「ネタを仕入れるため」のはず。大げさに相槌打ったり、「僕はこう思うんですがね」と相手に同調してみたりするのも、職業上のテクニックだろう。

なるべくスムーズに相手の本音を聞きだすためには、同調した「素振り」を見せるのは当たり前だ。単独取材はもちろん、複数の記者が同じ対象に取材している場面では、彼らは「共犯」関係にある。

もしも取材の最中に「あんたの言ってることはおかしい」と食ってかかる記者がいたら、「分かったから別の機会でやってよ」と思うだろう。公開された記者会見とは違うのだ。

たとえば、そうした取材風景をたまたま東京に出向している地方新聞社の記者が目撃したら、奇異に思うだろう。「まるで先生に教えを請う生徒じゃないか」と批判するかもしれない。批判されても番記者たちは反論しないだろう。それが彼らの仕事だからだ。

「いや違う。あれはただのテクニックで、心の底では馬鹿にしながら聞いてたんだ」などと打ち明ける記者がいたとしたら、その記者を私は信用しない。取材相手に失礼だし、何より自己保身のために取材の裏話を語るのは、取材者と取材先の暗黙の諒解、言い換えれば「仁義」に反すると思うからだ。

例示した両人は、正直なのだと思う。「誤解を解きたい」という事情も理解しているつもりだ。と同時に「それを言っちゃおしめーよ」の思いも禁じ得ない。そういう弁明が通用するなら、どんなにか楽だろう。そう思ったとしても決して口にせず、黙って批判に耐える。それが記者ってもんじゃないのだろうか。

なんとも明け透けな、身も蓋もない弁明が、当然のごとく流布されている現状が、何となく落ち着かないのだ。〔了〕


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11 コメント

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それって、ジャーナリズム? (biaslook)
2006-05-17 00:41:06
「ネットは新聞を殺すのかblog」と「R30」のリンクが逆になってます。修正願います。



私は記者がそんなテクニックを使っていたことを初めて知りました。多くの人が初耳だと思います。

それはジャーナリズム論として、どうなのでしょうか?

また、諸外国の状況をご存知なら教えてください。
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リンク修正しました。 (山川草一郎)
2006-05-17 13:47:57
ありがとうございました。さて―



まず「ジャーナリズム論としてどうなのか?」とのご質問ですが、ジャーナリズム論としては「邪道」でしょう。もっと正攻法でいくべきだと思います。ただ、まあ、建前論だけじゃうまくいかない相手も世の中にはいるだろうから、奇策が必要な事情も理解できます。



「毎日新聞社会部」という退屈な本を読んでいるところですが、戦後すぐの新聞記者は、偽の号外を刷って関係者に見せて反応を探ったり、布団屋を装って殺人事件の犯人を追ったり、とにかくあらゆる手を使っていたようです。これらも倫理的には「禁じ手」でしょう。新聞記者というのは昔から、そういうものです。塀の上を歩く。向こう側に落ちないスレスレのところを、バランス取りながら。



外国の事情はよく知りませんが、似たようなものじゃないでしょうか。目に見える記者クラブ制度がない点(実は見えない障壁はあるのですが)と、署名記事が一般的である点を除いて、欧米も日本も記者の職業に大差はないかと。野球とベースボール程度の差はあるでしょうけど。欧米でもジャーナリストは嫌われ者です。



彼らは本質的に「卑怯者」なのです。背後から拳銃を撃つ。そのタイミングを常に図っていると思ったほうがいい。周到に言葉を選びながら答えないと、損をします。うっかり「本音」をしゃべると、公表されてしまう。「そういう意味じゃない」と抗議しても後の祭り。だまされる方が軽率なのです。



まあ、そういう世界だからこそ、取材者と取材先の「仁義」が美談にもなるわけですが。書くか、書かないか。読者を取るか、取材相手を取るか。「ローマの休日」で描かれた主人公と王女の関係は、そういう取材者と取材先の緊張を前提とした恋物語になっているわけです。グレゴリー・ペックはオードリー・ヘプバーンを騙し切れなかった。



正直に言うと、湯川さんとR30さんの弁明を、私は額面どおりに受け取っていません。あれが本当なら、本文に書いた通り、それを後で公(おおやけ)にしたりはしないでしょう。手の内を明かす、恥ずかしい行為ですから。



湯川さんのブログと周辺の証言を読んでいけば分かりますが、湯川さんは悪意のあるコメントには法的手段を取るべきだという考えを持っていて、インタビュー相手からその考えに沿った答えを引き出したかったのでしょう。「大げさに話すことで相手の警戒心を解き、本音を語ってもらうという手」というのは後付けの理屈で、実際には「本音」を語っているのは湯川さん自身だったと思います。



そこまでは許容範囲だと思うのです。しかし、問題は湯川さんが思っていた以上に複雑だった。だから訴訟を煽ったのはまずかったと思い直した。そこで「あれはインタビュー相手をひっかけて、本音を言わせるための技術だった」ということにして、自分を正当化したのだと思います。社会的立場とかいろいろあるのでしょうけど、「ちょっといただけない態度だな」と思うのは、私だけではないでしょう。



R30さんについても、よく読めば、「インタビュー技術」という説明は腑に落ちない。唐突に流れを絶って自説を展開している印象が強く、相手をしゃべらせる手段としては疑問です。あちらもインタビュアー自身の「本音」が出たのでしょう。



思わず「本音」をしゃべっていまった人が、後になって「あれは本心ではない」「そういう意味ではない」「曲解された」と弁解するのは、よくあることです。既存メディアに対するその種の批判も、ある程度は割り引いて考える必要がありましょう。



それにしても、「あれは相手をひっかけるために、よく使っている手なんです」と、悪びれもせずにブログに書いてしまう神経は、理解できません。一般論としてそういう手法があることは分かりますが、具体的事例でそれを言ってしまうと、どう考えてもインタビュー相手を貶めているように見えます。「あれは本心ではなく、テクニックだったのだ」という彼らの弁解が、たとえ事実だったとしても、です。
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Unknown ()
2006-05-18 22:17:20
>R30さんについても、よく読めば、「インタビュー技術」という説明は腑に落ちない。唐突に流れを絶って自説を展開している印象が強く、相手をしゃべらせる手段としては疑問です。あちらもインタビュアー自身の「本音」が出たのでしょう。



 なんていうか、インタビュー記事って基本的に「編集するもの」という認識はおありですよね?



>唐突に流れを絶って自説を展開している印象が強く



 そこ、編集じゃん? とは思いませんか? 文章切った張ったすると、どうやっても繋ぎの悪い箇所は出てくるものかと思いますが。



 なんでまたいきなり「本音」なんて言い回しが出てくるのか、よくわかんないですね。とりあえずそういうことにしとけば以後の自説展開が楽だから、ってことでしょうか?
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Unknown ()
2006-05-18 22:28:07
 私自身はそれほど経験積んでいるわけではないので大したことは言えませんが、インタビュアーって、それなりに経験を積んでくるとイタコ状態になるんですね。口寄せしちゃうっつうか。

 自分が喋ってるのと相手が喋ってる分の境目が段々曖昧になってくるというか、自分口寄せやってふたり分喋ってないか? みたいな状態になってくる。



 あと、会話の応酬の中からちょっとしたきっかけで(他人からのツッコミが原因で)変にアドリブが利いて自分でも思いもしなかったような発言が「出る」ことがある。

 「出す」意志に基づいて出された意見じゃなく、「つい出た」状態の意見。そんなんでも、出れば頂きますから、何はともあれ「出す」「出させる」を最重視するものです。



>それにしても、「あれは相手をひっかけるために、よく使っている手なんです」と、悪びれもせずにブログに書いてしまう神経は、理解できません。(中略)あれは本心ではなく、テクニックだったのだ」という彼らの弁解が、たとえ事実だったとしても、です。



 そこを理解できないか、相手の事を慮っていいように処理すると、今度は「何か隠してる」と言われるんです。どっち転んでも、結局悪く言われるから一緒なんですな。



 あとまあ、基本的に「無駄に正直」な姿勢を保つのは、超重要です。そうじゃないと、配慮がどうあれ、何か隠してるっぽい人に対して「インタビューされる人は決して口を開かない」という現実があるからですね。



 部外者にどう思われようとも、とりあえず話を聞きだすために「無駄に正直」な姿勢を保つことは、基本中の基本といっていいでしょう。

 相手の事を慮るのは「馬鹿の後付け」なんですよ。
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はじめまして。 (山川草一郎)
2006-05-19 00:28:44
いくつか興味深いご指摘をいただきましたので、考えてみました。順を追って。



まず「そこ、編集じゃん? とは思いませんか?」というのは、例のインタビューが「編集されている」ということを示唆されているのでしょうか。R30さんは「無編集での公開」に異議を唱えたけれども受け入れられなかったと書いておられたので、てっきり編集はないものと受け取っていましたが。



次に「なんでまたいきなり『本音』なんて言い回しが出てくるのか、よくわかんないですね」という部分ですが、多分、R30さんも問題にされた発言が「自分の本音ではない」という主張はしておられないように思います。むしろアジアと日本の話を出すことで、逆説的に松永氏を諭そうとしたのだ、と主張しておられたように記憶しています。とすると、やっぱり「テクニック」というよりは「本音」なんではないでしょうか。



湯川さんの方は完全に「自分は訴訟を勧めたわけではない」(つまり「本音」ではない)と否定しておられますが、R30さんは必ずしもそうは言っていない。R30さんの説明は、二重の弁解の構造になっているように思います。



一つ目が「オウムの犯罪は日本の侵略と同じなのに、松永氏を責める人たちにはその自覚がない」という趣旨の発言について、「あれは日本がアジアに対して詫び続けなければいけないのと同じように、松永氏も謝罪しなくてはならない」と言いたかったのである、という弁解。



二つ目が「じゃ、なんで松永氏に同調しているような態度を取ったのか」と聞かれれば、それは自分のインタビュー技術なのだという弁解。



「本心ではない」という弁解は二つ目の方ですね。一つ目ではない。この点、私自身も未整理だったかもしれません。ちょっと反省してます。で、本来、誤解を解くには前者の説明だけで十分なんじゃないかと私などは思うのですが、なぜ後者の説明が必要だったかといえば、その「事情」は理解できるのです。



あのインタビューが掲載された時点では、おそらくR30さんはここまで弁解する必要はなかったと思います。ご本人も「出てしまったものは仕方がない」と書かれてますね。無編集での公開には反対したそうですが。



問題は、その後の別のインタビューで、インタビューに応じた弁護士の方がR30さんの発言に疑問を投げ掛け、しかもインタビュアーの方が「私もあれっと思うことがありました」と、まさしく“同調”してしまったことにあります。これによって、R30さんは苦しい立場に追い込まれたと思います。ご自分の名誉のために、説明しなくていいことまで説明しなくてはならなくなった。



その結果が、「あれはテクニックなのだ」という二つ目の弁解だったのでしょう。「インタビューの仕方の勉強になりました」と感謝してくれたはずの人が、別のインタビューでは「私も変だと思いました」と言っているのを読んで、冷静でいられる人は少ないと思います。この点で、R30さんには非常に同情の余地がある。「事情は察している」と書いたのはそういう意味なんですが、その上で「でも、やっぱり、それは言わずに飲み込んだ方が良かったんじゃないですか」という趣旨のことを書いたんです。



「売文日誌」さんのトラックバック先のエントリーでも、私が理解を示した「事情」について詳しく触れていないのは問題じゃないかとご指摘をいただきました。確かにR30さんがなぜあの弁解に追い込まれたかを書いた方が、よりフェアーだったかもしれません。この点についても反省し、この場を借りて、詳しく書かせてもらいました。



私さんのご指摘で、特に面白かったのは「インタビュアーって、それなりに経験を積んでくるとイタコ状態になるんですね」という部分です。無意識のうちに相手に同調してしまう心理とでもいうのでしょうか。それはあると思いますね。私もそういう側面の方が実は大きいのではないかと思います。



「次に何を聞こうか」「どう聞けば相手は喋るだろうか」とか考えながら、話を聞いてるわけですから、頭の中は真っ白に近い。だから知らず知らずに同調してしまうのでしょう。それは「ある程度、経験を積んだ人」よりも、むしろ「経験の浅い人」に起きがちな現象ではないかと想像したりもします。



とにかくインタビュー中は必死で、自分を客観視して、インタビュー記事を読んだ読者の反応なんか考えている余裕はないんじゃないでしょうか。だとすると、やはり「無意識のうちに同調してしまっている」というのが実態に近くて、「相手の本音を語らせるためのテクニック」というのは後付けの、といっては正当化の理屈ですよね。そんなに格好良いもんじゃない。インタビュー取材の実態って、恥ずかしいものだと思うんです。



ただ、何度も書きますが、R30さんがそういう少し気取った言い訳を書いた事情、いや書かざるを得なかった事情というか、多少、ツッパらざるを得なかった事情は分かるんです。同情はしています。



ただまあ、あまり堂々と「あれはテクニックだったのだ」と書いてしまうと、インタビューでは和やかに話した相手(この場合は松永氏ですが)はそれを読んで、何と言うか、急に突き飛ばされたような感覚を抱くんじゃないでしょうか。R30さんが他の人にやられたのと同じように。そういうのは「やっぱりどうなんだろう」と思ってしまんです。いや同情はしてるんですけど。
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Unknown ()
2006-05-19 21:57:56
>それは「ある程度、経験を積んだ人」よりも、むしろ「経験の浅い人」に起きがちな現象ではないかと想像したりもします。



 んー。なんと言えばよいか。まぁ、私もR30氏のことは詳しく知りませんからどうとも言えないんですけど。

>無意識のうちに相手に同調してしまう心理とでもいうのでしょうか。それはあると思いますね。私もそういう側面の方が実は大きいのではないかと思います。



↑「無意識か」「意図的か」の差といえばいいでしょうか。職業イタコか天然イタコか、みたいな。

 イタコ状態になっているときは、確かに無意識的に話進めちゃうことってあるんですよね。そこは否定しない。でも、そういう部分があるということで本気認定は、どうなのかなぁ・・・と。

 脳波測定でもしないと分からないんじゃないですかね? なんて言ったら身も蓋もありませんが。



>あと、会話の応酬の中からちょっとしたきっかけで(他人からのツッコミが原因で)変にアドリブが利いて自分でも思いもしなかったような発言が「出る」ことがある。(自分の発言から引用)



↑このへんの機微をよく分かっている場合、自分からそう仕向けるというか、人に術を施す前に自ら掛かっちゃうというか。そういう面もあるでしょう。自分で自分に術掛けて火達磨になって相手に突っ込んだら相手も燃えちゃった、みたいな。



 あと、本気か否かの境目って、例えばイタコ状態でお話したあと「相手に釣り込まれてやたら肩持ってしまうとマジ」「あれはテクニックですよと無様な言い訳(笑)した場合技術」という区分もあるかもしれません。強引ですが。

 なので、とりあえず言い訳したと。そういう解釈もあるかと。



>急に突き飛ばされたような感覚を抱くんじゃないでしょうか。

 そう思われるのも込み込みで、自分は職業技術を施しただけですよをアピールして「本気? まさかw」と言いたいのでは?

 相手のことを慮るのも重要ですけどね。慮ってる姿勢を打ち出すと、次回以降何かやったときに「相手に釣り込まれてやたら肩持ってしまうとマジ」認定されたりすると、そちらのほうが不利でしょう。

 そんな感じですかね?



 あとまあ、取材対象がどう思うかにも依りますけど、職業意識バリバリな印象を受けるほうが、却って喋りやすかったりもするんですね。下手に人間味があったりすると、喋りにくかったりするものです。

 言うと悪いかな? なんて思われてセーブされるのが一番困る。とにかくぶっちゃけて頂いてあること無いこと「自分の口から言わせる」に持っていかないと。



 囃し手は上手い具合に相手を乗せて何でもかんでも喋らせる方向性に持っていけばそれで吉で、その際の手法は特に問わない(客観的に見て破廉恥であっても善しとする)のが、まぁ、話取るときの常道ですね。

 なので、客観的に見てどうであっても、とにかく話取れば勝ちというのも、評価かと。



 読み手にいい人だと思われるようであっても、それで取材対象から話取れなかったら、単なる無能なんですね。それじゃあ意味が無い。
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うーん (山川草一郎)
2006-05-19 23:38:38
何と言うか、分かるようで分からないような、分からないようで分かるような。含蓄のあるお話ですね。いや、でも大体、おっしゃりたいことは分かりました。多分ですが。



「職業イタコか天然イタコか」というのは、あれでしょうか。卑近な例で言うと、「久米宏か古舘伊知朗か」といったところでしょうか。久米さんの相槌は妙にワザとらしくて、卑屈な感じもして好きになれなかったのだけれど、ゲストの話にひーひー笑った後で冷たいことを言って突き放したりするところがありました。その辺は面白かった。



その点、古舘さんは(プロに向かって失礼ですが)インタビュー術としては未熟かなと。オノ・ヨーコなんかマジギレしてましたし。郵政解散の前後に野党のゲストの話を遮って「小泉さんのように覚悟を見せてくれ」と言ったり。(いや私さんも私の政治的立場はご存知だと思いますが、当時から「殺されてもいい」とか「ガリレオ解散」とか「覚悟」とか、そういう演出はなんだかなぁと思ってたので。)



古舘さんのを「芸」だといわれれば、そりゃ確かにそうなんで、特に実況アナウンサーは「ゼロから自分を興奮させる」訓練を受けるそうですから、そういう習性を政治報道の世界に持ち込んだ画期的キャスターなのかもしれませんが。評価の分かれるところです。



プロの聞き手でいえば、田原総一朗さんなんかは確信犯的に、相手を怒らしたり、持ち上げたりするのが得意な人でね。あれはテクニックだと思います。前原さんを挑発したりね。「いや僕なんかは馬鹿だから、よく分からないんだけどね」と説明を求めて、プライドの高い人に気持ちよく喋らせるワザといい、「新聞記者の理想は、刑事コロンボだ」と言った人がいましたけど、田原さんなんかは小池朝雄の声で吹き替えたら面白いかもしれない。それはさておき。



「読み手にいい人だと思われるようであっても、それで取材対象から話取れなかったら、単なる無能なんですね。それじゃあ意味が無い。」というこの辺りのお言葉に真実が潜んでいるような気もします。インタビューに王道も邪道もなし。すべては結果次第。というところでしょうか。



あとR30さんについては、私のよく知らない文化を代表している部分もあるのかもしれない。R30さんに心酔される方が、よく「ネタ文化」とか書かれていますが。ワザと過激なこと、欠陥のある主張を書いて、議論を沸騰させる。不特定多数を熱くさせておいて当の本人は「あれはネタなのだ」「釣りなのだ」と言って、スルリとかわす。そういうスタイルを美学とするカルチャーが、アルファブロガー周辺にあるらしいことは最近知りました。



ひょっとすると、「あれはテクニックだったのだ」という弁明も、そういう文脈で読むべきだったのかもしれません。だとしたら、私は完全に「釣られた」ということになるのでしょうか。
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そういえば、はじめまして ()
2006-05-20 00:06:05
 すっかり忘れておりました。ご挨拶が遅れまして、失礼致しました。



>ワザと過激なこと、欠陥のある主張を書いて、議論を沸騰させる。(中略)そういうスタイルを美学とするカルチャーが、アルファブロガー周辺にあるらしいことは最近知りました。



 なるほど。そういうものですか。私も始めて知りました。私の場合は大昔(20年以上前)からブログ以外の日常生活でもそのスタイルで押し通しておりますので、カルチャーなのかどうなのか、よく分からないところがありますね。自分自身では「美学」とまでは思ってないですね。そうでもしないと皆容易に心を開かず上っ面で喋るというのを体験的に知りましたので、相手の心をこじ開けるための方便としてやっているだけのことです。



>ひょっとすると、「あれはテクニックだったのだ」という弁明も、そういう文脈で読むべきだったのかもしれません。だとしたら、私は完全に「釣られた」ということになるのでしょうか。



 かもしれませんね。ですが、そういう流れの中で「私」がそちら様を訪問し、それなりに話をすることができたので、それはそれで善しな一面もあるのではないかと。「私」の言動がお気に召さないようでしたら、逆効果かもしれませんが。



>「あれはテクニックだったのだ」という弁明



 言い回しとして非常に巧い(というか小ズルイ)のは、そういう言い方をして、尚且つ「釣り文化」を知るほど「実際は本気で突っ走り、後になってふと我に返った」としても、ひとこと言えばそれまでの事跡がリセットされる(そう解釈される)という効果もあることでしょうか。

 そういう意味で、軽く自己保身が入ってるかもしれませんね。

 …なんて言って、「そういうものか」と思っちゃったら、それは「釣られた」なんですね。



 本気なんだか冗談なんだか、やってる当人も個々のセンテンスをいちいち明確に規定しているわけではないかと。ですので、周辺が本気と取れば本気かもしれないし、技術と取れば技術かもしれない。

 古田織部の「侘び茶」的な世界観が、近いのかもしれません。割った茶碗を繋ぎ合わせて新しい美を創る、みたいな。



 その為に、「割る」行為が重要なのかと。
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あ、すみません。 (山川草一郎)
2006-05-20 00:51:32
>だとしたら、私は完全に「釣られた」ということになるのでしょうか。(自分の発言の引用です)



この中の「私」は私のことであって、「私さんが釣られた」という意味ではありませんので、悪しからず。いや多分、意味は通じていると思うのですが、念のために。
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元検の立場から (モトケン)
2006-05-23 21:47:54
 検事の取調べと重ね合わせて読ませていただくと、とても興味深いものがあります。

 取調べが可視化された場合、取調べ状況が裁判員にどのように見えるか、という問題の参考になりそうです。
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