
教職にあるときのこと、ある日の朝、女生徒から電話があった。
「先生、ゴメンね、今日、学校休むよ」
「え、どこか体の具合でも悪いの?」
「へへ、ちがう、恥ずかしくて言えないけど…、先生だから言うね、電車賃がないの」
「通学定期があるでしょ」
「へへ、うち貧乏でしょ、定期を買うまとまったお金がなくて…」
「じゃあ、いつも切符を買ってるの?」
「そう、バイトのお金が入らないと、切符を買うお金がなくて…」
電車の切符代?
JR根岸線は山手駅から鶴見駅までの切符代だ。
当時たかだか200円程度だったと思う。
しかし、歩いて来るとなれば、毎朝遅くとも5時前には家を出なければならなかっただろう。
家庭に経済的な余裕があれば、専門学校や短大、大学に進めるだけの学力は十分にあった。
卒業後の進路に彼女は自ら就職を選んだ。
欠席日数が増えれば不利になる就職試験で、健気にもそんな自分でも受入れてくれる企業を何とか探した。
これは20年ほど前の県立高校でのことだ。
きょうび「子どもの貧困」がよく話題になる。家庭の貧困が子どもの成長や教育にネガティブな影響を及ぼすケースはとても多い。
32年間教職にあって私は痛切にその現実を知った。

とても学力のある子、当然、大学・短大への進学だと思った
彼女は就職を選んだ
多くは語らない彼女だったが、もし夢があり
家庭に経済的余裕があれば…もっと広い選択肢もあったかもしれない
毎朝、起きるとテーブルの上に親がおいてくれた小銭で通学電車に乗れた子
置かれていない日には、学校に来れない
欠席時数がいよいよ危なくなると、何駅も歩いて登校した
お昼ごはん代もないままに
わたしたち、教員には何もできないもどかしさが
いつもそこにあった