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子育てペンギン☆徒然なるままに

“出すぎた”杭は打たれない!をモットーに子育て・平和・みんなが主役をテーマにワーキングママは今日も走ります♪

サンタさん、また来年ネ!

2012-12-26 | つながり
クリスマス
昨晩、NORANDのサンタ追跡を覗いたら
はお仕事を終えて長いお休みに入ります。また来年をお楽しみに
と、メッセージが。
サンタさん、トナカイさんお疲れさまでした


今年もつらつらと書き連ねてきましたが
お付き合いいただき、ありがとうございました(まだ早いか?)

最近は…
子どもも児童クラブからはひとり帰りだし
日没も早く寒いから、外で遊ぶ子どもたちにも会えず

働くママは
ご近所さんや、ママ仲間に会えずにちょっと淋しい…

風の便り
○○ママと◇◇ママが食事していたよ~
なんて、聞くと…残業続きの自分が悲しいデス
わたしも呼んで~~


さて、職場ではサンタさんに手紙を書いた子どもへの
「返事」に苦慮しているパパさんもいます

「いつまで信じてる?」なんて話題にもなりますが
こんな時代ですから
子どもたちの想像力をかきたてる「夢」は大切に守りたいですよね

「えーー、サンタは親だよぉ」なーんて言う小生意気な子がいたら
…冷静に
「ふーん、□□ちゃんちにはパパやママのサンタさんしか来ていないの?残念だねー」
と、かわして…NORAD(北アメリカ航空宇宙防衛司令部)の中継会議を見せてあげましょうウシシッ


パン屋さんでかわいいディスプレイ見つけました




変革に期待する、変革を期待する

2012-12-17 | つながり
明治維新の時代

幕末、民衆の情報収集力は今では想像できないほど高かった
今のような新聞・ニュースの発達していない時代に

「誰の言葉を信じ」
「誰の行動が民衆のためになるか」

ひとりひとりが自分の判断で政局を見極めていた

ということを、先日、新聞記事で読んだ記憶がある

時代の変革を迎えるときに
歴史から学ぶことは何か?

江戸から明治への変革

従来の幕府政治に疲弊した民衆に
甘い言葉で「変革」を煽った指導者たちは
その後、民衆の望む姿から逸れた方向へ「変貌」していった

実際に、一揆件数は
江戸期よりも明治期のほうが多い

租税は諸外国に対する国力増強のために跳ね上がり

民衆の期待は裏切られていったからだ



時代を変えることは
1年2年のスパンでは結果を見ることはできない

変革とはそんなものだ

今回の選挙
私たち、民衆は既成のマスコミに踊らされることなく

誰の言葉が真実で
誰の行動が私たち…いや、次世代の子どもたちのために…「吉」とでるのか

考えた結果なのだろうか

私たちが求めるべき社会のありようは
誰か「に」期待するものでもなく
何かが変わること「を」期待するものでもないだろう


フクシマ・ゲンパツ・ワタシタチノすすむ道

2012-12-06 | つながり
  
12月8日(土) 地球市民プラザ(通称:あーすぷらざ) JR根岸線「本郷台駅」下車すぐ
10:30~

神奈川県高等学校教職員組合の教育研究集会が開催されます。




全体会記念講演は次のおふたりです

どなたでも、参加できます(無料)


田中優

1957年東京都生まれ。
地域での脱原発やリサイクルの運動を出発点に、地方公務員をする傍ら「環境、経済、平和」活動に関わる。活動で生計を立て公務員を退職。現在では、「未来バンク事業組合」「天然住宅バンク」理事長、「日本国際ボランティアセンター」 「足温ネット」理事、「ap bank」監事、「一般社団 天然住宅」共同代表を務める。立教大学大学院、和光大学大学院、横浜市立大学の 非常勤講師。 著書に『シリーズいますぐ考えよう!未来につなぐ資源・環境・エネルギー①~③』(岩崎書店)、『地宝論』 (子どもの未来社)、『原発に頼らない社会へ』 (武田ランダムハウス)、などがある。

開沼博

1984年福島県いわき市生まれ。
福島県立磐城高校、東京大学文学部卒。現在、同大学院学際情報学府博士課程在籍。専攻は社会学。2006年から福島原発の研究に着手し、現在は、在籍する東京大学とフィールドワークを行う福島大学との往復生活を続けている。
東日本大震災後に出版された修士論文を基にした著書『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社)は、これまでにない視点で原子力発電をとらえた書として大きな関心を呼んだ。2012年9月には、『フクシマの正義 「日本の変わらなさ」との闘い』(幻冬舎)を出版。




登校風景

2012-01-10 | つながり
神奈川の小中高校は今日からスタートするところが多いですね!

年末から年始の駅への道、
登校班の子どもたちに出会えないと、やっぱり物足りないというか
淋しい朝でした。

今朝は、久しぶりに
ワイワイガヤガヤと賑やかな小学生たちの声にはさまれて
朝から気分も軽やかに出勤できました。

子どもの姿を見かけたり、声を聞けば
不思議と一日の活力がわいてくるし

公園におじいちゃんやおばあちゃんの姿を見かけると
自然と心が和むし

この世の中、さまざまな年齢層の存在が
人間の心を豊かにするのだなぁ
としみじみ思います。

「ひとりで生きてる」みたいな態度の人にもたまに出会いますが
決して、人間はひとりじゃいきられないだよなぁ・・・
自分は意識していなくても、必ず誰かの助けをもらっているんですよね
そして、そんな自分もまた、日常と変わらない生活の中でも
誰かの役にたっているんですよね。


そう思えば、駅など雑踏でのトラブルも減っていくだろうに…
と、思う朝でした。

山上のお父さん、さようなら

2011-11-14 | つながり
「山上の父」が
天に召されて一週間が経とうとしています。

今日、告別式を終え
最後のお別れをしました。

人はいのちをもって、この世に誕生した瞬間から
だれもが、それぞれに
この世界で果たす役割があると
聞いたことがあります。

山上の父は、72年の人生の中で、
それ以上のことを成し遂げた方でした。
そして、これからも
彼でなければ、できないことが
たくさんあったことと思います。
多くの人々の期待を受け
それを成し遂げる人格と実行力をもった方が
なぜ、こんなにも早く、天に召されたのか…

生前、
「自分を必要としてくれる人がいるならば、全力でうごくよ」
と、語っていたそうです。
本当に、そんな人でした。
他人を誹謗中傷する言葉を聴いたことがありません。
相談事があれば、真っ先に腰を上げて
まだ、行動を取りあぐねている者たちの一方で
すでに動きだしていました。

自分よりも人のために汗をかく。
そんな人でした。

だからこそ、多くの人が彼を信頼し、慕っていました。

「みんなが笑顔で過ごせる地域をつくるのが楽しくて仕方ない」
一緒にお酒を飲んでいる席では
必ず仰っていました。

だれも、彼に変わることはできないでしょう。

肩書も、勲章も、地位も名誉も何も関係ない

そんな人間の欲が作り出したものとは無縁の世界で
彼は活動していました。


自分は、何もできない存在なのに
いま、生きている。
山上の父は、私に何を望んでいたのだろうか
山上の父が、期待する行動力を私は持っているのだろうか

喪失感を抱えながら
答えの出ない自問自答を繰り返しています

集骨を済ませて、あの大きな声がもう聞こえて来ない
虚しさ、哀しさで一杯です


亡くなる2日前に
「自分は72までやりきったから、みんなにどうもありがとうと伝えてほしい」と
言われたそうです。

そして告別式の今日が、山上の父の73歳のお誕生日でした。

あんなにビールが好きだった彼が
氷水を「こんなに美味しい飲み物はない」
と、言われていたそうです。
「もう一度、自転車で外を走りたい」
とも。

山上のお父さん、
あなたから、教えていただいたことは記しきれないくらい
たくさんあります。
それなのに、まだ
何も恩返しをしていませんよ。

まだ天に召されるのは早すぎますよ。

山上のお父さん、
いつもの元気な声が聞こえてくるようです。

一緒にビールを飲みながら
がっはは!と笑っている声が聞こえてくるようです。

外へ出れば、自転車に乗ったお父さんに会えるような気がします。


心から、魂をこめて
御礼とお別れを述べますね。

山上のお父さん、
さようなら
そして…ありがとうございました。