遊民ヤギ爺

俳句と映画のゆうゆう散歩

枇杷の実

2022-06-11 16:14:07 | 日記

令和4年6月11日(土)

枇杷の実 

バラ科の常緑高木で果樹として栽培、高さ10m

12月頃に地味な黄白色の芳香のある小花を付ける。

果実は約半年後の今頃(6月)に熟する。

倒卵形の黄橙色の実で、表面には綿毛がある。

熟した実は果肉は甘く、皮は薄く手で簡単に向ける。

実の割には種は大きく、黒光りしている。

葉は長楕円形の大型で、厚みのある濃緑色の葉と黄橙

色の熟した実の対比は鮮やかで美しい。

実は食用とし、葉は薬用となり木材は堅く木刀となる。

枇杷の葉を干して煎じ、肉桂や甘茶を加え混ぜたもの

を「枇杷茶湯」といい、江戸時代には京や江戸の街の

店先で、暑気払いのために振る舞ったと伝えられる。

 

6月に入り、ご近所等から枇杷の実をよく頂く。

 

その殆どが楕円形の実で、自家の庭に生ったものだが、

中に真ん丸の大きな実を頂いた事がある。

ご近所のお宅が、中元用に届いたものを「御裾分け」

下さったものである。

どれも瑞々しく、甘く美味しい、、、、、

お陰様で、ここ数年は買った事がない。(カミさんの功

徳のお陰か?頂き物が多い。)

枇杷は手で簡単に剥けるが、カミさんが剥いた物を頂く。

平凡な幸せな、一時、、かも知れない。

 

今日の1句

枇杷を剥く皴の手に在る甘さかな   ヤギ爺


ラベンダー

2022-06-10 17:00:25 | 日記

令和4年6月10日(金)

ラベンダー

シソ科の木質常緑多年草、地中海沿岸原産

高さ60~70cm、 葉は線形で白粉を帯びる。

夏(6月~)頃、頂に穂状をなして青紫色の小粒状の

花をつける。

古代エジプト、ギリシャ、ローマ等地中海沿岸で野生

種が咲き、これを薬草として使用されていたようだが、

1930年代のヨーロッパで本格的に芳香植物として

栽培されるようになった。

日本では戦後、北海道や長野などで栽培されるように

なった。花を蒸留して揮発性のラベンダー油を採り、

香料、薬用とする。

その後科学香料の出現で、一時的に下火になったが、

1975年(昭和50年)頃、観光用として北海道

などで栽培、勢いを盛り返した。

香水、オーデコロン、石鹸や化粧品などに配合され

広く使用されるようになった。

 

(中日新聞の案内)、

名古屋市港区に在る「荒子川公園」では、ラベンダー

が見頃を迎えた。

28種類、3000株のラベンダーが栽培されて居り、

グレッソ、

アボンビー、

キューレット、

ラバンデイン、

フレンチラベンダー、

 

6月11日(土)~19日(日)迄の間「ラベンダー

フェア」が、3年ぶりに開催される。

この頃に吟行で訪れた事が在ったが、コンサート等、

色々な催し行われ、関連グッズ等も販売していた。

そうそう、ラベンダーアイスを食した覚えがある。

 

今日の1句

ラベンダー香に呆けたる昼日中   ヤギ爺


十薬の花

2022-06-09 16:47:46 | 日記

令和4年6月9日(木)

十薬の花 : どくだみ

ドクダミ科の多年草、 草丈20~40cm。

暗緑色の葉は心臓形で先が尖り、地下茎を伸ばし広がる。

初夏に茎の先端に4枚の白色の苞のある棒状の花序に淡

黄色の小花を密生する。

 

白い十字の花弁に見えるのは総苞である。

特異な臭気を持ち、葉・茎・根は薬用として用いられる。

漢方で、解熱、解毒、消炎剤などに利用される。

 

カミさんがご近所の工房へ出かけた。

(週一でクラフト手芸品を趣味で作る仲間が集まる会)

出掛けた後、ソファーの隅に携帯(スマホ)が忘れてあり

カミさんの友人にTEL、「名港へ散歩がてら届ける」と

伝言する。

大通り西側の路地裏に在る民家を、「工房と食事処」とし

ている。昼時は近隣に勤める方達の食堂となり、私(ヤギ

爺)も以前(数回)出かけた事が在る。

裏通りを歩いていると、各家の玄関先に色々な花の鉢植え

が在り、とりどりの花が出迎えるように、、、、、。

1軒の庭隅の余り日の当たらぬ所に、十薬の花がそれこそ

ビッシリ、所狭しと咲いていた。

白い十字のそれはとても可憐であるが、実はこの花には

とても強い臭気が在る。

私の実家の墓(平和公園)にはこの十薬(どくだみ)が

蔓延り、墓参の折りに摘み採ったのだが、後、強い臭気

が中々取れなかった。

この花は手入れはし易く手軽に育てられるが、とても繫殖

力が旺盛で、注意が必要である。

「綺麗な花には棘が在る」というが、十薬には悪臭があり、

ご注意が必要です。

 

今日の1句

どくだみの可憐な花の恐ろしき   ヤギ爺


新 緑

2022-06-08 16:56:25 | 日記

令和4年6月8日(水)

新 緑 : 緑さす

初夏の頃の瑞々しく爽やかな緑をいう。

木々に依ってその緑色は様々な色調を持っているが

時が経つと、それはほぼ同じ深い緑色に変わっていく。

そうなる前の文字通りの新しい緑である。

明るい緑が物に映えるさまを「緑さす」という。

「新樹」は、初夏になり瑞々しい緑の葉を一杯につけた

樹木のことをいう。 その新鮮さ、力強さと美しさに、

くよくよと思い煩う自分が、元気になって行く様に思え

てくる。新樹はそんな感じを表している。

また「万緑」というのは、濃淡さまざまで在った緑が、

見渡す限り一面の深い緑色になる真夏の草木を指す。

 

雨が上がり、下の公園の木々の緑は一層鮮やかである。

これに釣られて、久しぶりに埠頭公園へ散策に出掛ける。

 

大通りの並木も陽の光りに眩しく、、一気に夏の気配、、

名港のポートビルから埠頭公園に入る。

真っ青な空と木々の緑に、つい両手を広げて深呼吸、、

辺りに憚らず、、暫くして後ろを振り返ると親子連れが

ニッコリとして、、、、、、。

間も無く、梅雨の季節がやって来る。(暫く、暫く、、)

 

先年、犬山城の在る木曽川沿いに吟行に出掛けた際に、

国宝茶屋の「有楽苑」を訪れた。

有楽苑の在る庭園は、折しも新緑真っただ中で、門を

潜ると芝生の緑に真っ赤な緋毛氈が敷かれた縁台は、

色の対比が鮮やかで、茶立て人が運んで来た抹茶を手

にし、暫し庭に見とれていた、、、、。

ゆっくりとお茶をいただき、至福の一時でした。

 

今日の1句

新緑の茶立て眩しき緋毛氈   ヤギ爺


水芭蕉

2022-06-07 16:34:02 | 日記

令和4年6月7日(火)

水 芭 蕉

サトイモ科の多年草

本州中部から以北の山間部、高原の湿地・沼地に群生する。

雪解けを待って5~6月頃に、葉よりも先に高さ20cm

位の薄緑色の肉質棒状の花穂を出し、白帆のような先の尖

った純白の大きな仏焔苞を立て群生する。

花が終わる頃と、芭蕉に似た大きな長楕円形の葉が伸びる

ので、「水芭蕉」の名がある。

葉は淡緑色で長さは1mに達するものもある。

関東地方では尾瀬沼が有名であるが、この地方では白鳥庭園

や徳川園などの庭園にみられる。

 

私は前回の東京オリンピックの頃に寮生活をしていたが、

その頃、寮の先輩に登山(私のはハイキング程度)に誘われ

丹沢、大山、那須等の近郊へ出かけた。

その頃には歌声喫茶(灯、カチューシャ等)にも出かけて、

山の歌などを歌い、リクエストの多かった歌に「夏の思い出」

があった。

「夏が来れば思い出す、春かな尾瀬、、、」この歌に誘われる

ように、一度だけ尾瀬沼に出掛けた事がある。

この頃はハイキングコースのNo,1に上げられ、挙って出かけ

る。 

正に、歌の通りの景が広がり、この頃の一番の思い出である。

 

夏の思い出

作詞 : 江間 章子、作曲 : 中田 善直

夏が来れば 思い出す 

遙かな尾瀬 遠い空

霧の中に 浮かび来る 

優しい影 野の小径

水芭蕉の花が咲いている

夢見て咲いている 水の辺り

石楠花色に 黄昏る

遙かな尾瀬 遠い空

1949年(昭和24年)NHKのラジオ歌謡で、石井好子さん

の歌が流れて瞬く間に広まり、その後1962年(昭和37年)

NHK「みんなの歌」でも紹介されて、曲中の「尾瀬沼」は人気

の的となり、ハイキングコースNO,1となった。

尾瀬沼は、私の生涯の思い出の地である、、、、、

 

今日の1句

水芭蕉旅の思ひを準へる   ヤギ爺