2型糖尿病の爺 病気で ドットコム

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『先入観』 真実は、自分の生活史が背景にあったりする。

2018年03月18日 | 日記
 私の中学時代に、今で言う、美術の学科で、近隣の河川の写生に出かけることになる。

 東京の下町で、隅田川と荒川の間の運河との交差する部分がすぐ近くに存在する。

 1960年ころで、高度経済成長に入り始めて、激しい公害が出てきてきた時代。

 隅田川は臭いが出てきてドブ川のうに流れ、荒川も子供時代に魚釣りができたが、その時期には魚釣りがもうできない状態になり始めていた。そんな風景を写生することになった。

 私は、絵を描くことにまったくの自信はなく、半分無気力に見たままを描いて終わった。印象にこんな汚い風景をと、いぶかる気分で学校へ帰って次の授業を受けた憶えがあります。

 1週間程して、校庭から校舎に入る入り口の目の前の壁に、見覚えのある絵が貼り付けられていた。私の写生の絵であった。しかし、私の絵の上にもう一枚の絵も張り出されていた。その絵を見た瞬間にだれの絵かすぐに解った。その絵の主は、小学校の頃から絵を描くのが上手く、印象に残る絵を描き、そのうまさも定評があった。その下に張られた私の絵。

 まず対照的であった。私の絵は暗く、どんよりしていて、当時のスモッグが架かった薄暗い風景であり、遠くの景色ほど汚い空気に霞んで見える状況が描かれていた。遠くの景色というのが、江戸時代に最初に架けられた、『千住大橋』の風景であった。脱線するが、日光街道の千住の宿が置かれた時代、徳川家康が亡くなったことで、家康の先人を真似る政治手法、臆病な家康が生き残り天下を納めた理由にいろいろな説があるが、家康の政策にあまり出てこないオリジナリティーがある。

 武田家が滅びると、その『武田家の赤備え』といわれる最強騎馬軍団を配下にして井伊家に管理させてゆく。そうした、家康は、信長の戦法やその失敗を良く熟知して、応用してゆく。秀吉が亡くなった後に、その秀吉の意向で、秀吉は、神になり、神社を作り祭り上げられる遺言をのこす。そうなって、神社が作られる。徳川家康もそれに習う。実に、素直である。良いと思うことは取り入れてドンドン実行する。これが徳川政権の270年の現実であろう。

 この、徳川家康の死後に祭り上げる神社が、日光東照宮である。そのために、日光街道が造られて、その通り道の隅田川に始めての橋を架けて、日光への参拝を繰り返してきたのである。もう少し脱線するが、松尾芭蕉の『奥の細道』の出発点が、この千住からであった。下流域の芭蕉庵から、船で千住に降り立ち、旅だったのである。

 
 本題に戻ります。この千住大橋が、スモッグに霞むように、遠くに見えたので、そのままに霞んだ橋をかいて、近くの川の流れは、そのまま汚い臭いながれとして描いたつもりでったが、その汚さは描きれない状態で時間になってしまったことを憶えている。

 非常に汚い、暗い、色のあまりない風景で、私の暗い性格が良く出ていました。

 しかし、日頃から絵の上手いな奴と思っていた上手い絵と比較されるように貼られている事への羞恥心みたいなものが私の気分を暗くしました。

 しかし、その絵の上手い奴の絵に嘘を多く見つけました。当日は晴れていたのですが、青空は見えませんでした。白い雲も見えませんでした。川の岸に草も花もありませんでした。しかし、その絵の上手い奴の絵は、明るく、青空があり、白い雲が浮かんで、川岸には草や花がえがかれています。とにかく明るい絵です。そして上手く感じるのは、天性の画面のバランスでしょう。私の未完成の絵と違い完成されてました。

 そんなことで、数日すぎる、ある日、美術の先生に廊下でバタリと合い、先生、酷いですね、暗い性格の奴の絵と、明るい性格の奴の絵を比較させることや、上手い絵と下手な絵の比較は、歪んだ表情をして抗議していたと思います。最悪の信条でした。自分の性格の暗さは良く解っていたからです。

 すると、教師は言いました。自分の絵を良く見ろ、あの汚い風景が良く描かれている。そして、あの遠くの橋とその川が、遠くなる風景の遠近感が非常に良く描かれている。普段おまえの絵に決して上手いと思った事が無いが、今回は無心で、何も考えずに描いたのが良かったのだ。おまえは、絵が下手ではない。美術の試験で、自分の手のデッサンを描けというのがあったろう。あのときの自分の絵に、おまえは、学年の10本の指に入るくらいの観察力が感じられた。あの写生画は、立派に描かれている。

 放課後に誰も居ない時間にその二枚の絵をじっくり見て感じたのは、無心で描いた、私の絵に、遠く霞む千住大橋の遠近感が出ていて、なるほどと感じ入った思いをしました。そしてあの汚い川の水の流れを描こうとしていたことを憶えていました。その対比は、ある意味で伝わったようなのです。只、無心にかいた絵でした。

 そして、上に貼られた明るい上手い絵に、違和感を感じて見つめました。なぜ、あんな汚い風景がこんなに明るく描けるのか、不思議な思いを持ちながら、大人に成長しつつある時期に、ふと気がつくことがありました。

 その、絵の上手い奴は、小学校入学まえまで、地方の農村から東京へ出てきたことを知りました。その理由として、彼が、親の信仰している創価学会に所属していて、高校生の終盤ころに、当時、『しゃくふく』(どんな漢字なのか解らない)ということで、会員を増やす行為が、また救われるとして、かなり強引な勧誘活動が行われていました。その彼と議論していて、理屈では負けないので、地域の幹部などを連れてきました。しかし、納得できないので、断りました。彼はこんなことを言って、帰りました。『君は評論家でしかない』

 行動しないで、理論ばかり言う奴に腹が立ったのでしょう。そう言い残して帰りました。そんな時に、地方で育ったことを知り、彼の風景に育った環境の生活史があり、その風景は、青空であり、白い雲が浮かび、川縁では、草木が生えて花も咲いていたのでしょう。彼には風景はそうしたものだったのです。

 我々は、あらゆるものに、自分の心地よいフィルターを掛けてものを見ています。心のフィルターを除くことの難しさを感じます。

 また、脱線しますが、彼が『しゃくふく』としてすすめに来た、創価学会は、日蓮宗に属すと思います。私の近所の細い路地をあるくと、『南無妙法蓮華経』と激しく唱える声がきこえてくることがありました。

 その読経は、30分くらい続くそうです。この読経を一心不乱に30分も唱え続けると、いろいろな悩み事が消えてしまう現象が起きます。頭の中が空っぽになります。

 激しい運動をし続けると、息が上がり、疲れから放心状態になります。頭のなかは空虚になります。そうした状況で、立派と思い込んでいる人から、いろいろな教えを受けると、抵抗なく心の中に入り込みます。こうした、直感的な理解の仕方、或いは、こうした状況の精神状態になると、マインドコントロールが簡単にできます。

 何かの状態で、ある会場に大勢の人を集めて、集団てきに酔わされて、同調して、詐欺的商法にはまったり、韓国系の信仰宗教で、集団結婚式を挙げたりして、そのまま信じ切って、或いは、信じることを辞める怖さから、抜け出せない人も多くいます。

 ですから、本来の仏教的な宗教も、一神教も、その主教には、厳しい理論体系などが存在して、あらゆる宗教の都合の良い部分だけで創る信仰宗教には無い、厳しさがあります。間違わないような知恵の掟や、その知恵に規制が存在します。

 惑い、苦しむ、拘り、執着、人間の生きるエネルギーは欲望です。であるから、その欲望を達成しようと、争い、憎しみ、残虐性まで発揮してしまいます。

 欲望の強い人ほど、上昇志向が強く、権力まで手にしようともがきます。どのみち苦しむことになります。拘りのない、先入観のない、適度に欲望を抑えて、自由に、本当の自由に生きてゆきたいですね。

 ちなみに、日蓮聖人は、仏教で世の中を変えようとした人です。当時の鎌倉時代におは、密教がかなり誤解されて信じられていました。即身成仏。あるいは、その神秘性であるでしょうか。念じれば隣の部屋の閉じられた蝋燭の火も消せる。遠くに存在する人間に意思を伝えられる。などの教えがあります。鎌倉時代の密教や、武士の時代の政治への不信、疫病がはやり、寒冷化で、農作物の不作や社会の混乱のじきでした。

 大乗仏教には、拘らない教え、どんなことからも教えがあるといいます。唯物論や唯神論、あらゆることから学べといいます。自分からの解放が一番の幸せですが、難しいことです。毎日、偏見と欲望に振り回されて苦悩して生き続けています。