2型糖尿病の爺 病気で ドットコム

貨幣は、貸借関係で存在します。貨幣に金や銀の裏付けはありません。
貨幣の裏付けは、供給能力です。

 

自分の姿

2018年03月01日 | 日記
 size="4">私はいろいろな部分で解ったようなことを述べてきました。

 宇宙物理学の世界、病気の世界、人類学みたいな世界、しかし、学者ではありませんし、どちらかというと頭脳の回転も記憶力も悪いほうです。

 もっと沢山の本も読みこなしたいという欲望がありますが、自らの読解力のなさに、なぜ、もっと頭の良い人間に生まれてこなかったか、嘆き苦悶した時期もありました。

 実例を挙げますと、ロシア文学で、ドストエフスキーの書いた小説を読みました。例えば、『カラマゾフの兄弟』という小説があります。もの凄く長い小説です。ご存じの方も多いでしょう。1時間くらいの物語が、文庫本で100ページくらいに書かれています。また、翻訳文というのは、読みにくい部分もあります。

 この小説『カラマゾフの兄弟』を4回読んで、やっと何とか理解したのかな、と不安が残る状態です。勿論、キリスト教、ロシアですと、東ローマ帝国ですので、東方正教会で、『ロシア正教』となりますが、この1神教の文化の解らない部分があり、完全に理解は不能です。ちなみにギリシャも『ギリシャ正教』というそうです。

 読むスピードも遅く、理解力も無いので、何回も読み続けます。こうした能力のなさに、理解力のなさに、もどかしい人生を送ってきました。

 私は、金儲けができない、というか、世間一般の人と同じように損得や、儲けて贅沢をすることに、挑もうとしたこともあります。しかし、述べてように、多くのことで、理解力が弱く、知識の習得も遅く、高校進学の時に挫折をしています。

 小学校から、中学生になって、いろいろな科目で、理解ができなくて、何故? 何故?が沢山に現れてきてあらゆる科目で理解不能になりました。しかし、その何故?を質問させてくれない教育環境がありました。義務教育では、基本中の基本であるので、丸暗記をしろということです。また、1950年代から60年代にかけては、教育理念もコロコロ変わりました。戦前の反省から、自我を持たせる教育なるものもでてきたことがあります。日本人の御上に従順なのが無謀な戦争へ進んだとすることで、自分の意見を主張する教育をすると。しかし、自我の目覚めは、当時のアメリカ支配に抵抗する左翼勢力の反アメリカの運動で、マッカーサー大統領【間違いましたアイゼンハワー大統領でした】の訪日が延期されたりしまして、その自我の教育はいつのまにか消えました。

 また、カタカナの教育が小学校3年生できっちりと教えるとしていましたが、教育方針が換わり、小学校の3年生ではなく2年生の時におしえるとなり、大ざっぱなことしか教えられず、自然と憶え使っています。

 その他に印象があるのは、当時はジェット戦闘機がどんどん進化していて、F104という、音速を超えるジェット戦闘機が、中学校の校庭の上で、音速を超えるときの衝撃波が、ドンドンと二度にわたって響き、驚きを感じたことでしょうか。




 アメリカのNASAが発表した音速を超える際の画像。8年くらい前の写真



 中学教師も、当時『デモしか先生』といわれ、大学を出ても就職先が見つからずに教師でもなろうかという軽い気持ちで教壇に立っている人が多く、熱心な教師には出会いませんでした。

 数学で、放物線のグラフが書けるとします。やっとその方程式になじんできたころに、次に進んでしまいます。思いあまって、このグラフが書けることで、何で憶える必要があるのかと問うと、もうその部分は終わっている。只、憶えろ、と言われます。後に社会人になって、電波や光をグラフに表す機器をしり、あのときのグラフを書く数学的な方法はここまで進んで、実用化されている、と、しります。

 社会科の歴史では、大きな戦争の年代の暗記をさせられます。しかし、その戦争の歴史で、その時代の何に大きな影響がでたのかは、質問しても教えてもらえません。暗記しろと言われます。

 大人になってから、大学を出ても、また、教師として、その授業に立っても、教師個人に興味がなければ、教育指導要領に基づいてその範囲で進める授業でしか知識の無い教師が生徒の前に立っていたのだ。そうした現実を良くしることになります。

 しかし、馬鹿な私は、解らないことが解決しないと中々先に進めない不器用な部分があり、中学では、成績が相当悪い状態で終了して高校進学となりますが、母子家庭で貧乏でしたので、親が就職の安定している工業高校へ進められます。数学ができないのに、何でかと? 結局、退学して、他の兄弟からの圧迫もあり、定時制高校の普通科に編入します。兄弟は全て定時制高校でした。

 世間的には、全くの落ちこぼれの少年時代です。しかし、中学生のころより、夏目漱石や、志賀直哉、などの小説を、本が破れてしまうような状態になるまで何回も読み続けました。理解したいという欲望からでしょう。

 何事にも才能の無い私が、大人の世界の小説を読むこと自体が悪いのですが、父親が太平洋戦争で戦死しているので、酷い貧乏ぐらしでした。母親も貧乏な家庭で育ち、身の回りに童話などがありませんでした。酷く皮肉れた大人びた子供として育ち、小学校のときから、大人の中に入って、野球などをして遊んでいました。

 そうした、ことで、貧乏でしたが、そのことで、逆に、金銭感覚が弱く、損得に疎く、社会人になっても、得をしようとする周辺の人々に利用されたり、騙されたりと、してきました。

 ある人に言われました。人は損得、欲得ずくで生きている、君の存在は迷惑だ。と言われました。私が、そうした意識に弱い思考と精神なので、相手をしていて、違和感を感じて、私の反撃がないのにイライラしたらしいことを、後に知りました。

 要するに頭の回転が悪く、対応能力が弱いので、いつも孤独でした。仲間には、なれなかったのです。4人兄弟の末ですが、すぐ上の兄とは、4歳離れていました。母親は働きの出て、他の姉や兄はそれぞれ学校へゆき、記憶では、常に一人でポツーンとして過ごしていました。刺激の無い環境です。

 今回、こうして生い立ちを含めて書いたのは、こうした能力の無い私が、このブログを書いてきて、甚だ、後ろめたい思いが無くらないので、懺悔の意味です。

 ですが、書くことで、頭の整理や精神的な自分が現れていて、反省やら恥じたり、いろいろな意味で、自分を確かめる作業になっています。

 このブログを続けてゆこうと改めて思います。今年の5月で、74歳になります。自分探しは永遠に続きます。