<font color="darkgreen">
上の地図は、東京周辺の高低差を見てみようと載せました。画像が重なってしまってます。済みません。
画像は正式名『岩淵水門』といいます。水位が高くなると、国土交通省の管理下で水門は閉められて、隅田川への流入を遮断します。
*************************************
身体の痒み、ということで、痒み止めの薬を呑んでいる状態を過去述べてきました。アレグラのジェネリックや、オロバタジンなど、ヒスタミンを押さえる医薬品です。
花粉症などの人は馴染みがあると思います。
副作用として眠くなることです。
しかし、今、このヒスタミンを押さえる薬を呑んでいません。
痒みの原因として、体質と、2型糖尿病が大きな要因です。
痒くてたまらなくなるときもあります。神経的に興奮状態で痒みが増すことがあります。
昨日の茨城県が震源の震度6弱で、東京の私の住む、足立区は、表示される震度よりも大きく揺れるようです。
東京の下町という言い方がありますが、現実に低い土地で江戸時代に埋め立てられた湿地帯だったそうです。関東に流れる大きな河川では、利根川と荒川、多摩川が主な河川になります。
荒川は、隅田川へ流れて東京湾に達していました。そのために、江戸時代、明治時代には洪水が頻発して大変であったようです。そこで、現在の赤羽大水門という箇所から、人工的に隅田川を経由しない河川を造る大工事を大正時代から昭和時代に造り、40年くらい昔は、荒川放水路、と名前がつけられていました。この大工事で、隅田川の氾濫はなくなりました。しかし、荒川放水路が決壊すると、東京が水浸しになるので、その後この荒川放水路の堤防が、かなり補強され続けました。
もう一つ、利根川が、江戸時代の前期には、東京湾に流れてきていたのですが、やはり洪水と、湿地帯の改善のために、現在の霞ヶ浦に注ぐような大工事がされたそうです。
こうして、江戸の下町が繁栄しましたが、殆どの大名屋敷が、高台に造られました。暮れになると恒例の赤穂浪士のドラマですが、吉良邸が向島にあったそうですが、あまり土地価格としては高いほうではなかったようです。
東京は、下町以外では、高台が多く、上野の山、東大のある本郷周辺、有名な青山などの高台があります。有名な渋谷は、谷底なので、周囲は坂にかこまれています。現在の山の手線が、谷底を走っているぶぶんがあります。鉄道は意外に高低差が克服できません。ですから下町ふくんでは、高架線になり、高台では、谷底を走ったりしてます。
こうした高台に大名屋敷が多く造られたそうです。実際に高い部分を『山の手』といい、庶民の町、江戸の文化が花開いた町を低い土地であるために『下町』といったそうです。
話は逸れましたが、そういう訳で、私の住む、足立区の千住地区は、隅田川と荒川にはさまれていて、大地のすぐ下は、粘土層が出てきて、すぐに地下水が湧き出てきます。地盤が軟らかいので、地震の揺れも大きく、長く続きます。
私が、関東大震災に遭った母親に育てられたせいでしょうか、母は地震がくると激しく反応しておびえます。その影響でしょうか、子供の頃は、P波(地震速報で、観測装置が初めにくる震動で細かい震動を感知して予報するシステム)を感じてしまうようになり、学校の教室で、地震だ!と叫んだのですが、瞬間、みんなに笑われましたが、すぐに大きく揺れ出して、地震が起きました。
そんな訳で、大きくゆったりと長く揺れた我が家で、緊張と興奮で、暫くして体中が痒くなりました。
しかし、薬に頼らずに慣れようと現在訓練中です。暖まると痒くなります。血糖値が高くなると痒くなります。呑んでいおる薬の種類が多いので、少しでも止めるべく努力しています。font>
上の地図は、東京周辺の高低差を見てみようと載せました。画像が重なってしまってます。済みません。
画像は正式名『岩淵水門』といいます。水位が高くなると、国土交通省の管理下で水門は閉められて、隅田川への流入を遮断します。
*************************************
身体の痒み、ということで、痒み止めの薬を呑んでいる状態を過去述べてきました。アレグラのジェネリックや、オロバタジンなど、ヒスタミンを押さえる医薬品です。
花粉症などの人は馴染みがあると思います。
副作用として眠くなることです。
しかし、今、このヒスタミンを押さえる薬を呑んでいません。
痒みの原因として、体質と、2型糖尿病が大きな要因です。
痒くてたまらなくなるときもあります。神経的に興奮状態で痒みが増すことがあります。
昨日の茨城県が震源の震度6弱で、東京の私の住む、足立区は、表示される震度よりも大きく揺れるようです。
東京の下町という言い方がありますが、現実に低い土地で江戸時代に埋め立てられた湿地帯だったそうです。関東に流れる大きな河川では、利根川と荒川、多摩川が主な河川になります。
荒川は、隅田川へ流れて東京湾に達していました。そのために、江戸時代、明治時代には洪水が頻発して大変であったようです。そこで、現在の赤羽大水門という箇所から、人工的に隅田川を経由しない河川を造る大工事を大正時代から昭和時代に造り、40年くらい昔は、荒川放水路、と名前がつけられていました。この大工事で、隅田川の氾濫はなくなりました。しかし、荒川放水路が決壊すると、東京が水浸しになるので、その後この荒川放水路の堤防が、かなり補強され続けました。
もう一つ、利根川が、江戸時代の前期には、東京湾に流れてきていたのですが、やはり洪水と、湿地帯の改善のために、現在の霞ヶ浦に注ぐような大工事がされたそうです。
こうして、江戸の下町が繁栄しましたが、殆どの大名屋敷が、高台に造られました。暮れになると恒例の赤穂浪士のドラマですが、吉良邸が向島にあったそうですが、あまり土地価格としては高いほうではなかったようです。
東京は、下町以外では、高台が多く、上野の山、東大のある本郷周辺、有名な青山などの高台があります。有名な渋谷は、谷底なので、周囲は坂にかこまれています。現在の山の手線が、谷底を走っているぶぶんがあります。鉄道は意外に高低差が克服できません。ですから下町ふくんでは、高架線になり、高台では、谷底を走ったりしてます。
こうした高台に大名屋敷が多く造られたそうです。実際に高い部分を『山の手』といい、庶民の町、江戸の文化が花開いた町を低い土地であるために『下町』といったそうです。
話は逸れましたが、そういう訳で、私の住む、足立区の千住地区は、隅田川と荒川にはさまれていて、大地のすぐ下は、粘土層が出てきて、すぐに地下水が湧き出てきます。地盤が軟らかいので、地震の揺れも大きく、長く続きます。
私が、関東大震災に遭った母親に育てられたせいでしょうか、母は地震がくると激しく反応しておびえます。その影響でしょうか、子供の頃は、P波(地震速報で、観測装置が初めにくる震動で細かい震動を感知して予報するシステム)を感じてしまうようになり、学校の教室で、地震だ!と叫んだのですが、瞬間、みんなに笑われましたが、すぐに大きく揺れ出して、地震が起きました。
そんな訳で、大きくゆったりと長く揺れた我が家で、緊張と興奮で、暫くして体中が痒くなりました。
しかし、薬に頼らずに慣れようと現在訓練中です。暖まると痒くなります。血糖値が高くなると痒くなります。呑んでいおる薬の種類が多いので、少しでも止めるべく努力しています。font>