<font size="4"> 大好きな柿の季節が来ているので、つい食べてしまう。高血糖状態や、低血糖状態、身体に高いインシュリンが存在するのも良くない。
直腸癌の手術をしたばかりであるのに、食い意地が停まらない時がある。元々自己欲望の抑制力は弱いほうだった。
HA1Cが、7.2から8.5に上がってしまった。医師に怒られた。
加齢でか、呑む薬の影響であるか、やたらと眠い。痛み止めの『トラムセット』心臓の薬とちょっとした不安に対処する『アルプラゾラム』この薬は、ソラナックという向精神薬のジェネリック医薬品。『オロバタジン塩酸塩』痒み止めの薬である。
上記の薬の副作用は、全て脳の機能の一部を阻害することで効果を出す。従って眠くなる。
また体験上、意識が多少薄れる可能性もあるし、集中力が衰えるのも体験している。
こうした薬の影響で、自制心も衰える可能性もある。
所謂、麻薬性のある薬、依存性のある薬ではないとされているが、海外では、痛み止めの薬が脳に与える麻薬性がある薬が医療用として処方されているが、麻薬として使われている。
アメリカテレビのドラマで、『ドクター・ハウス』というのがあった。怪我からの慢性的な痛みに強烈に効く薬による依存症になっていることが、天才医師のドラマになっていた。痛み止めは脳の一部に麻痺を起こさせる薬であるので、依存度が高い。実際に闇の世界で売り買えしているそうだ。アメリカは強烈な競争社会、激しいストレスに麻薬が蔓延る要素が常に存在している。
前にも書いたが、今回の直腸癌の手術では、痛み止めに、神経ブロックという、背骨の大きな神経から別れる神経の部分に自動てきに、一定の量の麻酔薬を時間的に間隔を置いて注入される仕組みで痛みを感じなくする方法で、術後5日間続けて終わった。部分的な神経ブロックであるが、脳への影響もあったのではないかと体験している。一時期、手の震えや、身体の小さなな震えが起きたことがあった。
意識も集中力も、抑制力も衰えていたように思う。
薬の服用で、維持されている高齢者の現状がある。厚生労働省で、高齢者の医療費の自己負担をどんどん増やす方向へ向かっている。
しかし、若年層でも何かの持病があり、薬の服用が欠かせないひとは沢山存在する。安倍総理も消化器系での持病があるようで、公表はされてはいないが、あの顔色の悪さから、常に服用している薬があるはずだ。
人類は、自然淘汰という摂理を変えてしまっている。二足歩行を実現した野生的な世界で存在していた時は、その影響で色々な病や生まれ持った不完全さで、赤子の生存率が低かったであろう。生存とは実はかなり厳しいことで、生まれてから成長できる確率が低かったはずである。この状態を自然淘汰という。
しかし、良いのか悪いのか、医療が生きる力の無い赤子も生き伸ばしている。はっきり明言する。そのための社会的な費用の負担は莫大なものだ。
一方で、国と国との争いで、高度に発達した兵器で簡単に残虐に人殺しをしている。大国の狭間で、宗教対立で、貧しくて社会的に差別されたマイノリティーが、憂さ晴らしのためにか、爆弾による殺戮をしたりしている。
しかし、建前論で、パラリンピックに高額の費用をかけている。軍人が怪我をしてパラリンピックに参加している矛盾。
少し、話題が逸れましたが、生きようとする我々生物の本能。子孫を残そうとする性欲。残してはいけない遺伝子の所有者も、子どもを産み育てることに拍手を送る人も多くいる。
私の家族には、劣勢遺伝子が存在する。そのことで、私は、私の家族への対処で言いしれぬ苦渋と、その世話をしてきた。人は、自己愛があり、自らの存在を否定しては生きられない。この自己愛で、真実からは遠のいて生きている。
私の性格なのかもしれないが、生き続けることで、周囲に依存したり、迷惑をかけなければいきてゆけない人もいることへの大きな矛盾を感じてきた。そうした人も、この自己愛で、自らの生き様を否定することはできないで生き続けて行く。しかし、その人も幸せな一生は送れないで終わっていった。
『色々な人間が存在することで、個性と社会との融合で社会は成り立っている。』というのは建前で、こうした人が生きて行くためには、保護者的な人の存在が欠かせない。その本人とその保護者の苦闘には誰も助けることはしない。
私は、自分の生活能力も含めて、結婚して子を成して育てる自信がまったくなかった。性欲の本能で子ができてしまった人で、その子に及んだ遺伝子や、時には、親という意識が無い状態で育つ子にダウン症が現れて、放棄してしまう親もいる。離婚して再婚となる場合でも、男から捨てられるのを恐れて、子を放棄する母親もいる。
私は自虐的思考なのだろゆか、考え続けましたが、勇気も自信もなく、歳を重ねてきたが、これで良かったと思っている。
自ら命を絶つことができないことは、まえに経験している。それでは、最後まで生き抜こうという覚悟もできずにいる、情けない男の末路である。
こうしたわけで、前向きに病と闘う意識が確立しているわけではなく、食欲という本能に翻弄されながら、今、生きている。
直腸癌の手術をしたばかりであるのに、食い意地が停まらない時がある。元々自己欲望の抑制力は弱いほうだった。
HA1Cが、7.2から8.5に上がってしまった。医師に怒られた。
加齢でか、呑む薬の影響であるか、やたらと眠い。痛み止めの『トラムセット』心臓の薬とちょっとした不安に対処する『アルプラゾラム』この薬は、ソラナックという向精神薬のジェネリック医薬品。『オロバタジン塩酸塩』痒み止めの薬である。
上記の薬の副作用は、全て脳の機能の一部を阻害することで効果を出す。従って眠くなる。
また体験上、意識が多少薄れる可能性もあるし、集中力が衰えるのも体験している。
こうした薬の影響で、自制心も衰える可能性もある。
所謂、麻薬性のある薬、依存性のある薬ではないとされているが、海外では、痛み止めの薬が脳に与える麻薬性がある薬が医療用として処方されているが、麻薬として使われている。
アメリカテレビのドラマで、『ドクター・ハウス』というのがあった。怪我からの慢性的な痛みに強烈に効く薬による依存症になっていることが、天才医師のドラマになっていた。痛み止めは脳の一部に麻痺を起こさせる薬であるので、依存度が高い。実際に闇の世界で売り買えしているそうだ。アメリカは強烈な競争社会、激しいストレスに麻薬が蔓延る要素が常に存在している。
前にも書いたが、今回の直腸癌の手術では、痛み止めに、神経ブロックという、背骨の大きな神経から別れる神経の部分に自動てきに、一定の量の麻酔薬を時間的に間隔を置いて注入される仕組みで痛みを感じなくする方法で、術後5日間続けて終わった。部分的な神経ブロックであるが、脳への影響もあったのではないかと体験している。一時期、手の震えや、身体の小さなな震えが起きたことがあった。
意識も集中力も、抑制力も衰えていたように思う。
薬の服用で、維持されている高齢者の現状がある。厚生労働省で、高齢者の医療費の自己負担をどんどん増やす方向へ向かっている。
しかし、若年層でも何かの持病があり、薬の服用が欠かせないひとは沢山存在する。安倍総理も消化器系での持病があるようで、公表はされてはいないが、あの顔色の悪さから、常に服用している薬があるはずだ。
人類は、自然淘汰という摂理を変えてしまっている。二足歩行を実現した野生的な世界で存在していた時は、その影響で色々な病や生まれ持った不完全さで、赤子の生存率が低かったであろう。生存とは実はかなり厳しいことで、生まれてから成長できる確率が低かったはずである。この状態を自然淘汰という。
しかし、良いのか悪いのか、医療が生きる力の無い赤子も生き伸ばしている。はっきり明言する。そのための社会的な費用の負担は莫大なものだ。
一方で、国と国との争いで、高度に発達した兵器で簡単に残虐に人殺しをしている。大国の狭間で、宗教対立で、貧しくて社会的に差別されたマイノリティーが、憂さ晴らしのためにか、爆弾による殺戮をしたりしている。
しかし、建前論で、パラリンピックに高額の費用をかけている。軍人が怪我をしてパラリンピックに参加している矛盾。
少し、話題が逸れましたが、生きようとする我々生物の本能。子孫を残そうとする性欲。残してはいけない遺伝子の所有者も、子どもを産み育てることに拍手を送る人も多くいる。
私の家族には、劣勢遺伝子が存在する。そのことで、私は、私の家族への対処で言いしれぬ苦渋と、その世話をしてきた。人は、自己愛があり、自らの存在を否定しては生きられない。この自己愛で、真実からは遠のいて生きている。
私の性格なのかもしれないが、生き続けることで、周囲に依存したり、迷惑をかけなければいきてゆけない人もいることへの大きな矛盾を感じてきた。そうした人も、この自己愛で、自らの生き様を否定することはできないで生き続けて行く。しかし、その人も幸せな一生は送れないで終わっていった。
『色々な人間が存在することで、個性と社会との融合で社会は成り立っている。』というのは建前で、こうした人が生きて行くためには、保護者的な人の存在が欠かせない。その本人とその保護者の苦闘には誰も助けることはしない。
私は、自分の生活能力も含めて、結婚して子を成して育てる自信がまったくなかった。性欲の本能で子ができてしまった人で、その子に及んだ遺伝子や、時には、親という意識が無い状態で育つ子にダウン症が現れて、放棄してしまう親もいる。離婚して再婚となる場合でも、男から捨てられるのを恐れて、子を放棄する母親もいる。
私は自虐的思考なのだろゆか、考え続けましたが、勇気も自信もなく、歳を重ねてきたが、これで良かったと思っている。
自ら命を絶つことができないことは、まえに経験している。それでは、最後まで生き抜こうという覚悟もできずにいる、情けない男の末路である。
こうしたわけで、前向きに病と闘う意識が確立しているわけではなく、食欲という本能に翻弄されながら、今、生きている。