平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から297日目(1月1日、日曜日)。
また、大震災発生から297日目の新しい朝を迎えた。
新しい年が始まる。平成24年、2012年、辰年。昨年は3.11の大震災から始まった感じがする。そして、毎朝「地震発生から○○○日目」のブログ書き続けてきた。これほどの自然災害が起きることをあらためて知らしめた。原子力発電所も絶対安全でないこともわかった。
政治も、経済も、国際関係も、そして私たちがかかわっている福祉の世界でも変革期にある。常に不安定で不安と不満が充満している。批判ばかりがのし歩いている。大事ばかりを論じて解決にいたらないケースが多すぎる。それより、脚下照顧。自分の身のまわりを見つめなおし、解決策を自ら提案し、実行し続けることが近道。ひとに説教たれるより、自らできることを一つずつやれるところからやるっきゃない。
まずは、「東北ブロック大会」の記録をまとめることが、私にとっての課題。
さて、第51回手をつなぐ育成会東北ブロック大会「第3分科会」(10月16日)において、通所施設でそこの利用者が災害時に1週間面倒みてくれたことにとても感謝していると発言があった。
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【引用始め】
第51回手をつなぐ育成会東北ブロック大会・(併催)第23回山形県知的しょうがい者福祉大会(平成23年10月15日~16日、山形国際ホテル)
大会スローガン「東北はひとつ、みんなでの力で東日本大震災をのりこえよう」
第3分科会(10月16日) 【その11】 「災害と家族」(育成会の被災支援活動の推進)
協議
通所施設で災害時利用者を預かってもらった
【司会者】 どうもありがとうございます。
今、利用者さんを安易に家に帰さないという事がありました。石巻の方でも保育園の子どもさんが亡くなって、そのご家族の方が施設でそういう時に帰した事で訴訟問題も起きています。
想定外というのは言い訳と今回の災害を見聞きして感じています。
障害者総合福祉法の骨格に関する提言も出されました。
今の宮城県の方の提言でも、今まで障害者について家族責任だったものが、地域責任に変わっております。
地域で障害者を支える総合福祉法が進んでいけばと思っております。どういうふうに変るのか。措置という形から支援費、自立支援法、そして総合福祉法という形に進んでおります。制度も内容もわかりにくい。どうやれば地域の中で、そしてこの災害と戦っていかなれければならないか、頭がもやもやしてくるんです。何か皆さんからご発言ありませんか。
【発言者】 宮城県から参りました。
仙台市育成会にも入ってます。仙台市育成会の事を含めて我が家の経験をお話しします。
この震災で全国の皆さんから多大な義援金を頂きましたので、宮城県を代表して御礼したいと思います。
私の子どもは間もなく40歳になりますけれども、グループホームに入って通所施設に通っています。
震災当時はグループホームから施設に通って、施設でコーヒー豆の分別の作業していました。地震だという事で迎えに来てくださいと連絡が入り、私も家にいましたんで迎えに行きました。
この時車使うと駄目だという事で歩いて迎えにいきました。引き渡しを受けその途中、生協で被災物資の配給をやってました。
2人で並びました。私の前までは勝手に皆持って行ったんです。でも、私達もいっぱい持って行こうとしたら、こっから駄目です。これだけしか駄目って言われた。
2人分カップラーメンとかもらって大分暗くなってから帰ってきました。
その晩は隣のご夫婦とうちの車の中で一晩過ごしました。
次の日、水がないものですから給水に行きました。
家族3人で給水に行ったところ、施設の職員も給水に来てました。何でこんな所に来ていると聞いたら、職員の人達が家を流されたりして帰っていないんだと言うのです。施設の中で生活しているんだという事でした。そして、私達見てやるから子どもさん預かっていいですよっていう声掛けしてもらったんですね。
それなら、子ども頼んで家の中片付けられるという事で、一週間程施設で家の子だけではなく5、6組の避難者が見てもらいました。
別に布団とか何とかあるって訳ではないですけれども、何とかその場での昼食時の備蓄等がありましたんで、何とかやりました。
私も米を提供はして来ました。
そんな事で一週間見てもらいました。私の施設は大したものだなと思って、感謝しております。
給水では2~3時間ぐらい並びました。町内で井戸ある所を見つけまして、井戸水を何とか確保しました。命の次に大事な水を確保して生活することができました。
たった一言あんたの子ども見てあげるからねっていってくれた施設、近くに指定避難所があったんですけれども、見てもらった事が本当に有難いなと今でも仏の様に感じております。
【引用終わり】
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困ったらお互いさま。究極の状況で助け合ってきたことがわかる。こうした話を聞くと「明けない夜はない」なあとつくづく思う。互いにがんばれる。
(ケー)