熊本城内
勘定合って銭足らず
=計算は合っているのに、肝心の現金が不足している
理論と実際とが伴わないことのたとえ=
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「学ぶ心」
松下幸之助「道をひらく」
自分ひとりの頭で考え、自分ひとりの知恵で生みだしたと思っていても、本当はすべてこれ他から教わったものである。
教わらずして、学ばずして、人は何一つ考えられるものではない。幼児は親から、生徒は先生から、後輩は先輩から、そうした今までの数多くの学びの上に立ってこそ自分の考えなのである。自分の知恵なのである。だから、よき考え、よき知恵を生みだす人は、同時にまた必ずよき学びの人であるといえよう。
学ぶ心さえあれば、万物すべてこれわが師である。
語らぬ木石、流れる雲、無心の幼児、先輩のきびしい叱責、後輩の純情な忠言、つまりこの広い宇宙、この人間の長い歴史、どんなに小さなことでにでも、どんなに古いことにでも、宇宙の摂理、自然の理法がひそかに脈づいているのである。そしてまた、人間の尊い知恵と体験がにじんでいるのである。
これらのすべてに学びたい。どんなことからも、どんな人からも、謙虚に素直に学びたい。すべてに学ぶ心があって、はじめて新しい知恵も生まれてくる。よき知恵も生まれてくる。学ぶ心が繁栄へのまず第一歩なのである。
城の周りをこんなに時間をかけて、ひとりで歩いた記憶は今までない。初めてである。それはそれで気持ちがいい。石の上に腰掛けて城を眺め、行過ぎる人をただ意味もなくボーと見つめ、人生を振り返り、自分らしく生きようと心に誓う。人間何かを失えば、何かを得る。
ありがとうございます。その気持がうれしいです。
(*δ,δ)σス・キ・ヨ♪♪
得ることも。
特に、最近は道を選択しなければいけなかったから、棄てないと拾えない。って思いました。
新しい仕事も、やり方1つにしても・・・頭の中のごみも棄てないと新しいものが入ってこない。
これまでに培った自分と言うものをある程度柔軟に漂白して、積み木を積むみたいにゆっくり積み上げていかないといけないのだなあ。って思いました。
年をとると言う事は、経験も自信もあるということで、それが逆に邪魔する事にさえなり、しっかり考えて行動し発言しないといけない事も多々あるようです。
がむしゃらに生きてきた事で知らず知らずのうちに自分に鎧と刀を持たせて自分を守ってきたのかも知れません。
負ける価値、負ける勇気も必要なのかも知れません。
と、tomoさんのブログを読んで、ぼ~っとひとりでかんがえました。
自分に厳しいと人にも厳しくなるのでそれはダメですよね。まだまだ修行が足りないわ。。。
事後報告です。
そうすれば いろんなことが学べるんでしょうね~(^_^)