団塊世代の人生時計

 団塊世代として生きてきた「過去」、「現在」、そして「未来」を、自分自身の人生時計と共に綴り、「自分史」にしてみたい。

産直市 JA広島中央産直市西条中央店

2009-05-04 07:07:44 | 産直市場
           産直市 JA広島中央産直市西条店

                            2009年5月2日(土)

 この産直市は年中無休とある。しかし、スタッフに聞くと、正月と盆には休むということだった。
 
 産直市には、観光客をターゲットにしているような所もあるが、この店はいわば近所のスーパー的存在で、それで年中無休なのかもしれない。面積は小さい。

 たけのこ、新玉、卵を買った。卵は「もみじ」という名が付いている。卵黄が赤いのだそうだ。

 ビール牛のことは、2回書いた(2009.1.11、1.25)が、ここに置いてある肉は、ビール牛だ。このビール牛の味の特徴は、「濃厚」ということだろう。味の付いていないような輸入牛があるが、いくら安くても買う気になれない。

 来店者とのコミュニケーションを図る意図か、やたらと掲示物が多い。昔懐かしいさつま芋の茎のレシピが書いてあった。
①皮をむく
②葉の方から、5センチくらいずつ折って取り除く
③キンピラの様に油炒め
④醤油とみりんで味付け
⑤ごぼう、ちくわ、油揚げ等と一緒に

 さつま芋というと、青木昆陽を思い出す。
(以下ネット参照)
江戸時代、享保の改革の時期に、8代将軍であった徳川吉宗は、実用の学問を奨励し、特に農業の分野で多くの人材を登用した。その一人に青木昆陽がいた。昆陽は江戸で生まれ、京都で学び、再び江戸に帰って才能を認められた。たまたま享保年間に西国が飢饉にみまわれ、幕府は飢饉の際の食糧確保の方法を考えなければならなくなった。これにこたえ、青木昆陽は、やせた土地でも収穫が期待できるサツマイモに着目し、その実用化に成功した。サツマイモは関東各地や伊豆七島にまで広がっていった。サツマイモの試作地は九十九里と現在の千葉市花見川区幕張で始めて、ここで試作に成功したという。このサツマイモのおかげで当時貧困に苦しんでいた農民たちを飢えから救うことが出来たという。この甘藷(サツマイモ)の栽培は、江戸時代の飢饉だけでなく、太平洋戦争時も救荒食物として多くの人々を救ってきた。現在の九十九里地域では甘藷の名産地ではなく、多くの農作物が栽培されている。

 「太平洋戦争時も・・多くの人々を救ってきた。」とあるが、私の母は、戦争後もさつま芋御飯をよく炊いていた。私は大嫌いだった。

 歴史は繰返すというが、食料自給率40%を切るという現状では、何時又さつま芋のお世話になるか分からない。

(写真)2009年5月2日、広島県東広島市西条町地家7958 JA広島中央産直市西条店(082-431-0051)

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