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ミャンマー・日本語学校ブログ

ミャンマーでの生活、教育、ビジネスなど
ヤンゴン在住12年の作者がお届けします。

パゴダの被害は?

2008年05月16日 | サイクロン関係
先週から何となく思っていたことが、今日発売のジャーナル誌にそっくりそのまま出ていたので、びっくりした。

ヤンゴン市もサイクロンで大きな被害を受けたが、シュエダゴンなど主なパゴダはどうだったのかということ。

先週、シュエダゴン、スーレーの2箇所のパゴダを遠景から見たが、まったく被害を受けていなかった。

特にシュエダゴンパゴダは高さが約100メートルあり、上空は地上よりずっと強い強風が吹いていたに違いない。

そのパゴダの一番上には「セインプードー」と呼ばれる最も神聖な部分がある。
そこにはダイヤ、ルビーなど高価な宝石がたくさん埋め込まれている。
(仏教徒の市民による寄付)

これは確か、はめ込み式になっていて、しっかり固定されているわけではない。

にもかかわらず、折れたり吹き飛ばされたりせず、全く損傷を受けていないというのはすごいと思った。

これはもしかして、お釈迦様の特別な力のおかげかも....とふと考えてみた。
(キリスト教徒の私が言うのも不謹慎かもしれないが)

この私が思ったことと全く同じことが今日のジャーナル誌に載っていたのだ。

サイクロン禍で何となく暗い話題が多い中、これは明るい話題ではないか。

他にもボータタウンパゴダ、チャウタンの水中パゴダも全く被害を受けていない。

破損したのは電灯を取り付けた柱だけが折れたというから、さらに驚いた。
パゴダの中の俗的な部分だけが被害を受けたということになる。

ミャンマーは不思議なことがよく起こるが、これもそのうちなのかもしれない。

電気が来た!

2008年05月15日 | サイクロン関係
今朝、学校に来てみると電気が来ていた!

復旧するまでに2ヶ月かかると見込んでいたのに、こんなに早く来て本当によかった。

しかし.....

電圧は242ボルトと、定格の220ボルトより強めになっている。

直接、電化製品につなぐと壊れるおそれがある。

ミャンマーでは電源から直接、電化製品につなぐことはしないで、途中に電圧安定器を置く。過電圧の場合は下げて、足りないときは電圧を上げるのだ。

これで分校も本校も電気が来て、ほっとした。
しかし、素直に喜んではいられない。

ヤンゴン市内のほとんどの世帯はまだ停電が続いているし、水にも苦労している家庭が多い。

早く元の姿に戻ることを願っている。

追伸:
今週末、被災地のクンジャンゴンに救援物資を持って行く予定です。
天気が心配だが、そんなことは言っていられない。

サイクロンの後遺症

2008年05月14日 | サイクロン関係
この2,3日、短時間ではあるが激しいスコールと、強い突風が吹いている。
昨日の突風でついにマンションの窓ガラスに大きなひびが入ってしまった。
あの猛烈なサイクロンの風には何とか耐えたのだが、昨日は油断して窓を半開きにしていたのがまずかった。

サイクロンが過ぎ去った後も、ミャンマーの人たちはまたサイクロンが来るのではないかと毎日怯えている。
激しいスコールになる度に、「これはサイクロンが来ているのじゃないか」と心配そうに電話をかけてくる人が複数人いる。

日本人なら台風のことをよく知っていると思っているのか、全く知らない人たちが明日の天気予報を教えてくれと電話をかけてくる。(私は天気予報士ではないのに。)
そういう人には「国営新聞の天気予報欄をしっかり読んでください。」と答えている。

ミャンマー人は新聞の天気予報欄をぜんぜん読まない。テレビの天気予報もぜんぜん見ない。新聞に天気予報欄があることさえ知らない人も多い。
現在のところ、ベンガル湾にサイクロンが発生しているという情報はない。
にもかかわらず、またサイクロンが来るという噂(コラハラ)が毎日聞こえてくる。

この前なんか、「今日の午後4時に大地震が来る」という噂が流れてきた。
それで、大騒ぎになり住んでいるマンションの住人全員が階段から地上に降りて行った。
マンションに残ったのは日本人の私と家族だけになった。もちろん、地震は起きなかった。

地震を予知することは絶対に不可能であることをミャンマーの人たちは知らない。
地震大国、地震対策先進国の日本でさえ地震を予知することは無理なのだ。

初めてのサイクロンを経験して怯えているとき、わざと社会不安を煽っている輩がいる。それで得をするのは米、食料、建設資材を売る商人たちである。

先週、ヤンゴン郊外の北ダゴン地区(妻の親戚が住んでいる)に行ってきた。
その親戚の話によると、トタン屋にトタンはあるが、売ってくれないという。
なぜかというと、「政府がトタンを売ってはいけないと命令を出したから」とか。
その近辺の他のトタン屋も同じことを言っていたそうだ。

命令の目的は、壊れた家は修理させない。壊れた家の住人は皆、新首都のネーピードーに移住しなければならない。新首都に移住させるためにトタンの販売を禁止にしたという。
それを聞いたときは、なんて酷いことをするのだろうと思ったが、後になって全くのデタラメであることがわかった。

商人たちはトタンの値段が上がる時機を待っていたのだ。できるだけ値段をつり上げて、莫大な利益を得ようと企んでいたわけだ。

災害で皆が困っているときに、人の足元を見て利益を得ようとする商人がいることがはっきりわかった。

今日はまたヤンゴン川の水位が14フィート上昇して、町が大洪水になるという噂が流れた。なんでもベンガル湾に大きな低気圧があって、そのために潮位が上がるのだそうだ。

低気圧があるのは確かだが、ベンガル湾に低気圧があるだけで高潮になることは絶対にない。こんな変な噂が次から次へと流れている。

その後の物価変動

2008年05月14日 | サイクロン関係
↑被災直後の様子

昨日タクシーで市内を移動したとき、料金は1000(100円)チャットだった。
一時は初乗り2000チャットだったから、半額になり元の水準に戻った。
バスも50チャット→500チャット→200チャット→100チャットと変わっていき、今日バスに乗ってみると元の50チャットに戻っていた。
交通に関してはもう元の状態に戻ったといってよいのではないか。

米は品薄状態が続いている。
スーパーにも普通のミャンマー産白米はなく、あるのはシャン米(ジャポニカ種に近い)、バスマティ米、タイ米などの高級米だけだ。
昨日、となりに住んでいるインド人が米1袋をどこかの米屋で買ってきたが、1袋40,000チャットに高騰していたそうだ。(普段は22,000チャットくらい)

米が足りなくなるという不安が今、ヤンゴンの人たちの間で話題になっている。



↑現在の様子

海外の報道姿勢について

2008年05月13日 | サイクロン関係
今日は反政府派に批判されることを覚悟でブログを書くことにする。

今日初めてミャンマーのサイクロン禍に関する記事をネットでざっと読んだ。
全ての記事で「今回のサイクロン被害に対する軍事政権の対応は酷い」という論調になっている。
果てしてそうだろうか。私はそうは思わない。

災害の発生の翌日には実に迅速、機敏に動き「自然災害対策本部」を設置し、テインセイン首相が本部長となった。そして首相自ら陣頭指揮を執り、パテイン市に救援拠点を置き、各被災地にヘリコプターで入り、現地の状況を確認し、自身で救援物資を届けている。
他の大臣たちも総動員で各地域の担当を振り分け自ら援助物資を届けている。
被災後から現在まで連日に渡って、その活動ぶりが国営紙などで報道されている。
日本の首相やアメリカの大統領がここまでやるだろうか。
日本の首相のように、被災から何日か経って、防災服を着て現地に入り、住民とちょっと懇談、励まして終わりというような形(人気取り)だけの活動とは全然違うのだ。

「若い僧侶たちが倒れた大木の撤去作業をしているのに政府は何もしていない。」という写真付きの記事があった。私がこの10日間、実際に町を見て回った経験から言えば、大木の撤去作業をしているのは大量に動員された軍の兵士たちであり、僧侶は一度も見かけなかった。
今日も雨が降る中、全身びしょ濡れになりながら、倒木や枯葉の撤去作業をしていた。

「ミャンマー政府は外国からの援助を拒否しているから酷い」というが、援助物資は全て受け取っている。
断わっているのは各国からの救援隊(=人)だけなのである。
断わる理由は明らかである。
受け入れ態勢が出来ないからだ。救援隊がヤンゴン空港に着いたとして、それからどうするというのだろう。誰が救援隊に応対するのか。誰が各救援隊の担当地域を振り分けるのか。地理が不案内な外国の救援隊を現地まで案内するための要員も必要だし、警備の人をつける必要もある。現地には宿泊施設、トイレ、水、電気などない。
国内がてんやわんやの時に、お客様を応対しているどころではないのだ。

欧米からの援助隊がもしヤンゴンに入ってきたら、「わざわざ救援に来たのだから、だれか現地の状況を説明しろ。車を用意しろ。ガイドをつけろ。警備をつけろ。安全を確保しろ。通信機器を用意しろ.....」など次々と注文してくるに違いない。そんなことできないと断われば「受け入れ態勢がなっていない。救援隊を無視している」ともっと非難してくるに決まっている。
それに、現地の悲惨な状況を外国人にあまり知られたくないという気持ちもあるだろう。
どこの国でも、どんな個人でも知られたくない、触れてほしくない部分はあるのが当然だ。
悲惨な状況が世界に伝われば伝わるほど、「政府は何もやってないじゃないか」と非難されるに決まっている。
結局、何をやっても非難されることになるのだ。

これはミャンマー人特有のプライドの高さに関係がある。
軍政だから外国人を断わっているのではなく、文民政権であってもたぶん断わっていると思う。
ミャンマーの人々は本当に誇り高い人たちだ。この点を理解しないと、この国のことはわからない。

「軍が救援物資を横取りしている。」とか「救援物資が空港に放置されたまま」という記事もあったが、この記事を書いた人は本当に事実を確認して書いているのだろうか。

外国からヤンゴン空港に輸送機で届いた救援物資は膨大な量になり、そこからミャンマー軍の小さなヘリコプターに積み替えるのである。軍のヘリに積み込まれたことを見て「横取り」と言っているのだろうか。
「放置されたまま」というが、一度に大量に届いた荷物を小さなヘリで全部をその日のうちに被災地に届けるのは物理的に絶対に無理なことだ。
ある程度は空港の施設内に留め置かざるを得ないのだ。留め置かれた荷物を見て、「放置されたまま」と言っているのか。何を根拠にして「横取り」とか「放置している」とか言っているのか、明らかにしてほしい。

今回の災害に対して、政府は実に機敏に迅速に、指揮系統もきちんとして一生懸命に対処していると思う。
(少なくとも自分はそう信じる。)

これがもし、文民政権だったら.......と思うとゾッとする。
救援活動は遅遅として進まず、もっともっと酷い状況になっていただろう。

何年前か、アメリカ南部に大被害を与えたハリケーンのときに、アメリカ政府は迅速、効果的に対応しただろうか?
日本からの援助の申し入れを、国内で十分対応できるからと断わったのではなかったか。

ヤンゴン市内の交通網は被災後5日にして完全復旧した。
電気も水道も電話も、市内ではどんどん回復しつつある。
あんなにムチャクチャな状態からこんなに早く復旧しつつあるのは、政府の努力の成果であることは認めなればならない。

私は軍政を擁護しているのではない。
民主化を早く実現してほしいと願っている立場だ。
しかし、日本をはじめ欧米のメディアの偏向報道はあまりに酷いと思う。
「軍政=悪」「軍政=酷い」が先にありきで、この線に沿ってしか記事を書こうとしない。
もっと事実を見て偏見のないフェアーな立場から記事を書いてほしいと思う。

被害が拡大した本当の原因は?

2008年05月12日 | サイクロン関係
(↑写真は被害の状況を伝えるジャーナル誌)

5月10日発行の国営紙によると、サイクロン(ナルギス)による死者が23,335人、
負傷者1,403人、行方不明者37,019人と発表されていた。
この数字が正しいとすると、史上まれにみる大惨事、大自然災害と言うしかない。

なぜこんなに被害が拡大したのだろうか。
1.サイクロンが襲ったのが夜中で、真っ暗な闇の中、逃げ場を失ったこと。
2.住民にサイクロンに関する知識がなかったこと。
4.政府や気象庁からの警報がうまく伝わらなかったこと。
5.泳げる人が少なかったこと。(ミャンマー人はほとんどが金槌です。)

など色々と考えられるが、直接の原因は風だろうか、それとも水だろうか。

国営紙の表現では「サイクロン風による被害者」となっている。

今日発行のジャーナル誌に被災地の写真が出ていた。
風によって屋根が飛ばされたり、家ごと破壊された家も多く見られたが、意外に多くの建物が残ってる。

記事の中にクンジャンゴン町の被災者の証言が出ていた。それを読むと、
「風のせいで人が死んだのではなく水が最大の原因だ。水といっても川の水ではない。トー川(イラワジ河支流の川)にベンガル湾からの潮が逆流して来て、一気に水かさが増して、洪水になった。(中略)強風や川の水が溢れただけではそんなに問題ではない。人、家畜の命を奪ったのは夜明け前に一気に押し寄せた潮のせいだ。」とあった。

なるほどと思った。
これは明らかに高潮と高波(ただの高波ではなく津波のように波長の長い波)が一気に押し寄せたことが想像できる。

「一気に押し寄せた潮の流れは人、家畜をさらって行きそして引っ張って行った。」

これは大津波が押し寄せたときの様子と酷似している。
「引っ張って行った」とは一気に引いて行った引き潮のことだと思われる。
水かさが増えただけでは人は死なない。水に何らかの勢いが加わると、死亡率が何万倍にも増えるのだ。

今日の授業に欠席したある生徒の親族のことを他の生徒から聞いた。
その子の祖父はラプッタ町に住んでいたが、今回のサイクロンの被害に遭い亡くなった。家業として製塩業を営んでいたそうだ。生徒の従姉妹、従兄弟や製塩の現場で働いていた労働者60人は全員今も行方不明ということだ。
ラプッタは製塩の町として有名であるが、全ての製塩所が破壊されてしまった。
浸水しただけでは破壊されるということは絶対にない。
しかも体力のある若い青年60人が皆、行方不明になるはずもない。
これはやはり津波のように恐ろしい猛烈なエネルギーを持った潮の流れが発生したに違いないと思った。

日本には災害専門の研究者がいるが、ミャンマーにはいない。
だから、今回の大惨事の本当の原因はまだ明らかになっていないが、日本から専門家が現地調査すれば本当の原因がわかるだろう。


物価の変動

2008年05月11日 | サイクロン関係
(↑写真はガソリン待ちの車の列。ガソリンスタンドは遥かかなたにある。)
一時12000チャット(252円/リットル)まで上昇していたガソリン価格(闇レート)は今は8000チャット(166円/リットル)まで下がり、一安心だがこれでも日本のガソリン価格とほぼ同じだからまだまだ高値である。
政府からの配給価格は2500チャット(52円/リットル)であるから、その差は3倍以上にもなっている。
1日2ガロンまでの配給であるが、現在は3日分(6ガロン)を一度に配給してもらえることになっている。
だから、ガソリンスタンド前は長蛇の列が続いていて、その列は10km以上にも伸び、列の最後尾を探すだけでも大変である。朝4時から並んで、午後2時にやっとガソリンがもらえるのだ。ガソリンの配給を受けた人(タクシー運転手など)の中には、自宅に帰るや、ガソリンを抜いて闇で売る人も多い。タクシーを走らせるより、そのほうが儲かるからだ。
タクシーの値段も上がった。サイクロン前は初乗りが1000チャットだったのが、今は2000チャット。(188円)
メーター制のタクシーは初乗りが500チャット(47円)と定められているが、今はメーターを使用しているタクシーは皆無である。メータータクシーもサイクロンとともに吹っ飛んでいってしまった。
玉子の値段はサイクロン前は一個130チャットと安定していたが、250チャットに高騰し今は200チャットになっている。(一個、19円)
これでは日本の物価と変わらないではないか。
飲料水は1リットル入りペットボトルが300チャット→500チャット→300チャットと元の価格に戻った。
しかし、配達用の20リットル入り飲料水は350チャット→700チャットと2倍になっている。
バスは50チャット→500チャット→200チャット→100チャットと変わり、今はサイクロン以前の2倍の値段になっている。
ドルとの交換レートは1ドル=1100チャットで依然としてチャット高が続いている。
この非常事態のときになぜチャットが安定しているのか首をかしげるばかりだが、そのおかげで外国製のラーメンなど安くなっている。
日清の出前一丁ラーメンは530チャット→460チャットに値下がりしている。
それに引き換え、ミャンマー製のラーメンは値上がりを続けている。
ミャンマー人が朝食によく食べるモヒンガー(米麺に魚からとったダシをかけて食べる)は650チャット(揚げ物、玉子入り)に上がり、これでは庶民の味ではなくなり、高級料理になった。
一方、インド人が経営するダンバウ(鶏肉ピラフ)の店はサイクロン後も1500チャットと値上がりしておらず、大拍手ものなのだ。
イスラム教では不当な利益を取ってはいけないという教えがあるらしく、それを守っているのだろう。
ということは、不当な便乗値上げをしてボロ儲けしている輩がいかに多いかがはっきりしてきた。
今の物価は日本とほとんど変わらない。しかし、私の日本語学校の授業料は日本の12分の1の料金なのである。授業料を値上げしたいところだが、このような時期に値上げするとさらに生徒が減ってしまうだろう。
このままの経営でやっていけるかどうか頭が痛い。

サイクロン直撃(5)

2008年05月10日 | サイクロン関係
ガソリン価格は先日1ガロン12000チャットだったのが、昨日は8000チャットに下がり、ほっと一安心した。

ネットでサイクロンがヤンゴンを直撃する直前の気象衛星写真を見た。
ちょうどヤンゴン市の北部(モービー町付近)に台風(サイクロン)の目がはっきりと見えた。(ヤンゴン市に到着するまで強大な勢力を維持していたことがわかる。)
台風の進行方向東側が危険であることは知っていたが、それが裏付けられたことになる。
被害が最も大きかったイラワジ管区の南側の地域はちょうど台風の進行方向の東側に当たる。
ヤンゴン市も東側に当たっているので比較的、被害が大きかったのだろう。

妻のお兄さんと弟(私以外は皆、カレン族です)が10日の国民投票のために9日からパテイン市に里帰りしている。
被害が大きかったボーガレー郡区、チャイラッ郡区、デダエー郡区にはカレン族(キリスト教徒)の村が多く、友人がたくさんいるそうだ。
二人も友人たちの消息を心配している。

パテイン市のカレン族・キリスト教会の救援隊が舟で出動したが、連絡が途絶えてしまったために、2次災害に巻き込まれたのではないかと心配している。

今日入った電話連絡ではボーガレー郡区が特にひどく、風の被害だけでなく猛烈な雨のために地域全体が深さ10フィート(約3メートル)以上、水没しているそうだ。
この地域は周囲が川(イラワジ河の支流)に囲まれていて中州のようになっており、豪雨により急に水位が上がったため地域全体が巨大な河になり、人も家屋も家畜も全部流されてしまったとか。
地理的条件が被害を大きくしたようだ。

男たちは高いヤシの木に登って難を逃れたが、木に登れない、泳ぐこともできない女性たち子供たちの多くが犠牲になったという生々しい話を聞いた。

まだ確かなことではないが、今回の災害で一番犠牲者が多かったのはカレン民族になるかもしれない。

サイクロン直撃(4)

2008年05月10日 | サイクロン関係
サイクロン直撃により学校をしばらく休みにしていたが、昨日授業を再開した。
65人のクラス(初級)は50人の出席だった。
欠席の学生の中には授業を再開したことを知らない学生もいる(電話が通じない)ので、来週からはもっと増えるだろう。
昨日の天気は快晴。
教室内の温度32度、湿度60%だった。(もちろん停電中)
蒸し暑く汗を流しながらの授業になったが、何とか最後までできた。
学生や学校スタッフの中には自宅のトタン屋根が飛ばされるという被害もあったが今は修復して元気に登校してくれた。
さすが国民皆大工屋さんの国だけある。自分たちで何でも修理してしまうのだ。

5月7日付、国営紙より
被災地域から除外された地域(比較的被害が少なかった地域)
1.バゴー管区 2.モン州 3.カレン州 4.ヤンゴン管区内のタンタビン郡区、レーグー郡区、モービー郡区、タィッチー郡区、ココーチュン郡区。
5.イラワジ(エヤーワディ)管区内のパテイン市、カンジーダウン郡区、ターバウン郡区、チョンピョー郡区、イェーチー郡区、チャウンゴン郡区、ヒンタダー郡区、ザルン郡区、レーミェッナー郡区、ミャンアウン郡区、チャンギン郡区、インガプー郡区、ミャウンミャ郡区、エインメー郡区、ワケーマ郡区、マウービン郡区、パンタノー郡区、ニャウンドン郡区、ダヌーピュー郡区。
これらの地域は予定通り10日に国民投票が行なわれる。

引き続き指定された被災地域
1.ヤンゴン管区内のタームエ郡区、南オカラッパ郡区、ダゴン(港)郡区、新ダゴン郡区(南部)、新ダゴン郡区(東部)、ドーポン郡区、バズンダウン郡区、ボータタウン郡区、ミンガラータウンニュン郡区、北オカラッパ郡区、ヤンギン郡区、タケタ郡区、ティンガンジュン郡区、カマユッ郡区、チーミンダイン郡区、チャウダダー郡区、サンチャウン郡区、セィッカン郡区、ダゴン郡区、バベーダン郡区、バハン郡区、マヤンゴン郡区、ラタ郡区、ライン郡区、ランマドー郡区、アローン郡区、タンリン郡区、チャウタン郡区、トングワ郡区、カヤン郡区、トンテー郡区、クンジャンゴン郡区、ダラ郡区、セィッジーカナウントー郡区、インセイン郡区、ミンガラードン郡区、シュエピーター郡区、ラインターヤー郡区。
2.イラワジ(エヤーワディ)管区内のガプードー郡区、ラプッタ郡区、モーラミャインチュン(モン州のモーラミャイン市ではない)郡区、ピャーポン郡区、ボーガレー郡区、チャイラッ郡区、デダエー郡区
特に被害が大きいのはイラワジ管区内のこれらの地域であると思われる。
指定被災地域では国民投票が24日に延期になった。
<今日(9日)の状況>
ヤンゴン国際空港→5月5日から国内・国際線ともに通常通り運行。
ミャンマー国鉄→5月4日からマンダレー方面、モーラミャイン方面の列車が運行再開。
5月5日からピー方面、ヤンゴン郊外行き列車が運行再開。
5月6日からヤンゴン環状線が運転再開。
ダウンタウンの映画館→まだ休館中
ダゴンセンター、ユザナプラザなどの大型ショッピングセンター→閉店中
シティマートなどスーパー→開店
市内の主な大型ホテルは通常通り営業中。

みなさんへ

2008年05月09日 | サイクロン関係
大変多くの方からお見舞い、励ましのコメント、メールをいただきました。
本当にありがたく思います。

今は十分な時間がないので、一つ一つ返事することができません。
(発電機でコンピューターを動かしているので、長時間ネットが使えないのです。)

この場を借りて御礼申し上げます。

ヤンゴン市内はほとんど復旧しています。

今日から授業再開です。
あと10分で授業が始まります。
65人のクラスのうち何人来てくれるか。

追伸:
まだメールが使えません。
5月、6月に来ミャンマー予定の先生方は予定通り手続きを進めてください。

サイクロン直撃(3)

2008年05月09日 | サイクロン関係
サイクロンがヤンゴン市を直撃して5日が経った。
倒れた大木が撤去され、バスが通行できるようになり一見、元のヤンゴンの姿に戻りつつある。
ダウンタウンの一部の地域では水道の水が出るようになり、また一部の高級ホテル、サービスアパートメントなどでは電気が来るようになった。
そして、昨日の夜9時から私たちが住んでいるマンションにも待望の電気が来て、水道から水が出るようになった。
停電が解消されるまで2ヶ月はかかると予想していたので、こんなに早く電気が来たことにびっくりしている。
しかし、素直に喜んではいられない。
まだ市内のほとんどの地域では停電中であり、生活用水にも困っている世帯がほとんどである。(職場の日本語学校も停電中である。)
物価の急騰も市民の生活に不安を与えている。
普段は100チャットの玉子が今は250チャット。
玉子すら買えない状況なのだ。
バスの運賃がまだ普段の4倍になっているので、学生たちは学校に行きたくても行けない状態なのだ。
しかし、ヤンゴン市内はまだまだマシなほうで、郊外や地方の町の悲惨な状況を聞くにつけ悲しくなってしまう。
家ごと吹き飛ばされ、全てを失った人たちが何万人といることだ。
ラプッタ、ガプードー、デダエー、クンジャンゴン....
正式に発表された訳ではないが、これらの町は壊滅的な被害になっていることを人づてに聞いている。
中には村ごと消滅したという所もあるそうだ。
これらの町はイラワジデルタの穀倉地帯で30年前頃に日本政府のODAによって大型の精米工場が建てられており、米の積み出し港がある活気のある町だった。
私もこれらの町を訪れたことがある。
あのときの工場長、機械技師たちはどうしているのだろう。
40KGもある米袋を肩に担いで船まで運んでいた可愛い少女たちは今は大人になっているだろうが、元気だろうか。
今は電気も水もある生活をしている自分が情けなくなってしまう。

追伸:
昨日、パテインから電話があり、妻の両親とも何も被害なく無事であることがわかりました。パテイン市はほとんど被害がなかったそうです。

サイクロン直撃(2)

2008年05月07日 | サイクロン関係
↑写真は自宅マンションから見た光景。暴風のため屋根が飛ばされている。
サイクロンが過ぎた次の日(5月4日)、町を歩いてみた。
まったく別の世界に変わってしまっていた。
大木はほとんどなぎ倒され、電柱、信号機も曲がっている。
アジアプラザホテルのロビーのガラスは全て割れてしまっている。
バス、タクシーまったく動いていないので、歩いて日本大使館へ向かった。
途中、倒れた大木に押しつぶされた家もあった。
倒れた樹木のために、幹線道路のあちこちで通行止めになっていた。
1時間ほどかけてやっと日本大使館に着いた。
日本にいる家族に無事であることを連絡してほしいと大使館の館員にお願いしたところ、わざわざ日本に電話をかけてくれた。(そのときは大使館の専用電話だけが通信可能だった)
在ヤンゴンの日本人が多く住んでいるゴールデンヒルタワーも停電になっており、非常用発電機がないため、多くの日本人が困っていることも聞いた。
20階建ての高層マンションであるため、上り下りだけでも大変だろう。
次に歩いて学校まで行った。
幸いにも学校はほとんど被害がなかった。
(衛星放送用のパラボラアンテナだけが飛ばされる被害を受けた)

今、困っているのは電気、水道が止まっていることと、飲み水が不足していること。
そして、今日のガソリン価格は1ガロン12000チャットまで高騰しており、これでは学校経営が成り立たないのではないかという不安。(授業をするには発電機を動かすしかない)
1ガロン12000チャットというと、1リットルが256円ということになる。
ろうそくの値段も高騰して、スーパーでの定価が500チャットのものが道端で売っているものは1500チャットと3倍になっている。
バスは50チャットが一時500チャットと10倍に、(昨日は200チャット)あらゆるものが高騰している。

こんな状況では、日本に帰ったほうがいいかとあきらめの境地である。


↑学校近くのイスラム寺院の前の大木

↑信号機も至る所で曲がっている。

↑電柱も多くが倒れ掛かっている。

サイクロン直撃!

2008年05月06日 | サイクロン関係
やっとネットが使えるようになったので、学校からアップしています。
私たち家族は一応、何も被害なく無事です。

5月2日の深夜から5月3日にかけてサイクロン(ナギー)がヤンゴン市を直撃した。
サイクロンがヤンゴン市を直撃したのはミャンマー史上初めてのことではないかと思われる。被害はヤンゴンだけでなくエヤーワディ管区、ヤンゴン管区、バゴー管区など範囲に広がっている。

5月2日午後10時半→強風から暴風に変わりガラスが割れそうになる。手で必死に押さえている。(平均30メートル、瞬間的には50メートル以上の暴風)
5月3日午前6時半→暴風(雨なし)はこの時間まで続き、マンション近くのトタン屋根はほとんど吹き飛ばされる。大木が次々と倒れる音、ガラスが割れる音が聞こえる。
暴風は一旦、小康状態になって安心したと思いきや、今度はサイクロン本体に突入したらしく、バケツをひっくり返したような豪雨となり、さらにこれまで以上の暴風がプラスされ吹き荒れる。これでもかという暴風と豪雨がヤンゴン市内を襲っているのがマンションのベランダから見える。
5月3日午前9時半まで暴風雨が続く。雨は左から右方向に横殴りに降っている。
5月3日午後12時半まで豪雨は続く。その後、小雨となる。

これほどの強力な台風(サイクロン)は生れて初めて経験した。
一番恐ろしかったのは、暴風が8時間、暴風雨が3時間、豪雨が3時間、合計で14時間という長時間続いたことだ。その間は恐怖で一睡もできなかった。
日本の台風は2,3時間で通り過ぎてしまうので、ちょっと我慢すれば良いかと思っていたが甘かった。

妻の両親は今、エヤーワディ管区内の町にいるが、今でもまったく連絡が取れない状態で、どのような情況なのか心配しているところである。
(続く)