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Natural Mystic ~ナチュラルミスティック~

There's a natural mystic blowing through the air

帰宅困難者

2011-03-12 09:59:56 | Weblog
 柏での仕事を終えて、ワゴンにて外環経由で首都高移動中、それは来た。運転している後輩がふざけてハンドルを小刻みに切って揺らしているのだろうと思い、注意を促すと、
「なんか変ですよ。風じゃないし...。」
地震と気づき、ハザードを出し車を寄せて止めるも揺れが半端ではない。周りを見るとビルのブラインド等が半端ではなく揺れていた。カーラジオはNACK5で小林克也が「落ち着いてください!」としきりに繰り返していたが当の本人が慌てふためいている。

 様子を見ながら車を走らす。高速横の高層マンションの給水塔のパイプが破れ、水が漏れジャバジャバ流れていたが被害の規模は全く分からなかった。

 首都高を飯田橋で降りると、歩道は建物から出た人々でごった返していた。

 同乗者の全員がやばいと思い、家族へ連絡を取ろうとしたが携帯はつながらない、あるいは全く使えない状態だった。私はかろうじて何度かやってどうにかメールは送付できた。

その後、お客さんのところへ寄るも、被害の規模は全く分からなかった。

30分ほどかけて事務所に着くと、会社の皆が表に避難していて、拍手で出迎えられた。音信不通になっていたのは我々外回りの部隊だけだったらしい。

社屋にひび割れが入ったため退社命令が出た。とはいえ、交通手段がないため徒歩にての帰路となる。トイレを済ませ、それなりの購入しなければならないモノ、帰宅ルートを想定し、16時水道橋発となった。総行程30km弱。決して歩けない距離ではないが革靴にスーツ・コートである。カバンがビジネスではなくDパックであったのが唯一の救いである。外堀通り沿いに歩くも道は渋滞。避難用ヘルメットや緊急持ちだしリュックを背負い歩いている人々も見受けられた。ちょうど、福島の親や兄弟からメールが入りどうにか無事との確認が出来た。しかし、肝心の嫁や子供からの連絡が取れない。

市ヶ谷で自転車屋を見つけた。一瞬購入し、これで帰ろうかとも考えたが、歩道の混雑具合、また車道の異常な混み具合を見ると安全とは考えられず、やめた。

薬屋にて行動食とペットボトルのお茶を手に入れ歩き出す。ちなみに携帯電話の予備バッテリー類はこの後、何処に行ってもすべてドコモ用は売り切れであった。

曙橋を過ぎると一角に毛布にくるまり避難してる幼児の集団を目にする。保育園が危険と判断したらしく親の引き取りを待っている様子であった。自分のちび共との連絡が依然なくかなり焦る。

新宿三丁目にてようやく嫁からのメールが入り、全員の無事が確認できた。


【シャッターが閉ざされた西武新宿駅】

【精油所炎上のニュース】

17時新宿着。西武新宿駅は明るいにも関わらずシャッターが降り、全く再開の目処が付かない。駅前でユニカビジョンを見て焦る。千葉の精油所が大火災を起こしている実況だった。ここに来て災害の規模を垣間見ることとなった。

新宿から青梅街道をひたすら歩く。辺りは救急車・パトカー・消防車とやたら騒がしい。環七を過ぎ、高円寺・阿佐ヶ谷間で日は落ちた。途端、めっきりと寒くなる。相変わらず徒歩の行列は続いている。荻窪を過ぎ、環八を越える。かなり寒かったためラーメン屋にて暖を取る。ここでのテレビ中継で東北地方の災害の生々しさが映し出されていた。未だ情報が錯綜していてテレビの情報はほんの一端に過ぎないであろうにその規模は想像付かないような感じであった。その後、気を取り直して歩くもコンビニは我々のような人々のために店内に椅子を置いたりする店舗が次第に出始め、トイレ・公衆電話は行列になっていた。

ちなみにバス停は何処へ行っても行列。バスの中も大混雑であった。しかし、歩いている自分と抜きつ抜かれつでそれほどスピードは変わらないように思えた。

21時、田無の西武線のガードが見える位置まで来ると徒歩集団の一部から歓声が上がる。見るとガードの上を電車が動いていた。青梅街道を逸れ、田無駅に行くと依然、シャッターが降りたままであった。対応に追われている駅員に怒声・罵声が浴びせられていた。先ほどの電車は線路確認のための回送電車であったのだ。

青梅街道まで戻ると遠回りなので東京街道沿いに進む。田無タワーを過ぎ花小金井近辺まで来て、初めて並んでいない公衆電話を見つけ、嫁に電話をする。あっさり繋がると、
「え!?今日帰ってくるの?晩ご飯ないよ...。」
という間の抜けた返事であった。

小平駅にさしかかったところで踏切の遮断機の音が聞こえた。駅に行くと電車が動いていた。これが復旧後の初便であったらしい。

23時過ぎ、最寄り駅を降りる。コンビニによると馴染みのオーナーが店番をやっていた。電車が止まり交代要員がこなかったため残業になっているとのこと。幸か不幸か食料品を中心にあらかた売り切れ、とりあえずビールしか購入できなかった私を哀れんでいた。23:15、自宅着。何とも疲れた徒歩行であった。その後、テレビを見て災害の規模のでかさに唖然とするばかりであった。

今朝から友人・知人に連絡を入れてみているが岩手の知人には一向に連絡が付かない。無事を祈る...。

JA1RVL

2011-03-03 22:02:03 | Weblog
 先月5日の高尾南陵ハイキングの際、草戸山でアマチュア無線をしていらっしゃる方にお会いした。一時期かなりやりこんだ私にはこの光景はやはり魅力的であった。やはりちび共と山を移動した際、山頂で得られる高度を利用し無線で遠くと話す喜びは一入である。

 帰宅後、失効した2通の『無線局免許状』を引っ張り出し悩む。一つは7N3で始まるコールサイン(無線局・放送局の電波呼び出し符号)で95年に取得したものある。関東近辺では何も問題なく使えたのだが、いざ地方へ行くと非常に使いにくいことこの上ない。一般にアマチュア無線のコールサインは6桁で頭の部分3桁(プリフィックス)はJ●1とかJ●7という形式で始まるものが多い。ちなみにこの場合の1は関東地方、7は東北地方で無線免許を申請したこととなる。ところがこの時期関東はコールサインがJA・JH・JR・JE・JF・JG・JI・JJ・JK・JL・JM・JN・JO・JP・JQ・JSの順に割り当てられ、これで一旦配布が終了。その後JA1を除いたJH1からの失効したコールサインを再割り当てで配布した。しかしこれもいっぱいになってしまい、7K1・7L1・7M1・7N1~7N4までの頭が7で始まるものが割り当てられた。ちなみに私の当時のサインは7N3VUGであった。これは関東とは隣接しない地方に行くとJN3とよく間違われた。この場合3は関西地方を表すため関西から来た人物とまず誤解される。正式に7N3と分かっても甚だしいときは外国人とごかいされることもあり、関東地方の人間と分かってもらえるまで時間と労力を要することもしばしばであった。

 もう一つの免許状に記載されたコールサインはJA1である。これはAから始まるだけのことはあり、無線のコールサインの中では初期の頃に配布されたものである。先に記したように再配布の際はJA1の割り当てはなかった。しかし03年頃の再再割り当ての際、再び使用されることになったのだ。そんな経緯で私は、全く偶然で手に入れたものだ。しかしこのプリフィックスは非常に人気があった反面、どうにも私のような若輩にとってはベテランを気取っているようで恐れ多く使いにくかった。またこのJAというのはどうにも昔の農業協同組合をイメージさせ何とも...。

 新規で取得も考えてたが調べてみると今申請するとJG1、これは無線で聞きやすいようにアナウンスする場合Juliet Golf 1となる。考えた末、結局失効した Juliet Alpha 1 Romeo Victor Lima で申請し直すことにした。



 今日届いた免許がこれである。何と有効期限が閏年のしかも2月29日。今回は手っ取り早くSTANDARD社製のVX-7の技適で申請したため50/144/430MHz帯の運用周波数である。これでどんな運用が出来るものか...。

福袋

2011-01-15 09:52:39 | Weblog
 元旦のこと近所のアウトドア用品店へ行くと例年通り福袋が販売されていた。この袋、過去にも購入したことがあるが大きなハズレはない。中身が見えるモノ一切見えないモノ等々種類はあるが特に買うつもりもなく眺めていると馴染みの店員が声をかけてきた。
「今年もよろしくお願いします。この袋はお得ですよ!5000円のモノには20,000円、8,000円のモノには35,000円、10,000円のモノには50,000円分のものが入っています。」
と、指し示されたザックはノースフェイスのものでザック単体で定価8,000円代のものであった。隣にいた嫁が言う。
「今の(使っている)ザック、もう小さいんだよね...。」
現在使用中のものは確か、4年ほど前に購入したモンベルのものである。駆け回っているちび共に気づかれないように二つ購入となった。

 持ち帰りちび共が寝た後、嫁と開けてみて苦笑してしまった。中身は思った通り、全てアウトドアの一流メーカーの正規品ではあるが自分ではまず購入しないモノばかりであった。今ひとつ何を入れればいいかよく分からないサイズのポーチ。カップ麺1食分しか沸かせないヤカン。ピクニックマット。洗面用具一式を入れるパック。ペットボトルホルダー。小銭入れ。アルミボトル。小さく折りたためるバッグ等々、確かに合計すればそれなりの金額にはなるが、どうでも良い物が12品も入っていた。とりあえずそれらをどうするかは現在検討中であるが、ザックは大人でもワンデーハイクには良いサイズでちび共が背負うにもそれなりに良いサイズである。



 これをプレゼントにするという嫁との目論見で7年目のヤツらの誕生日を迎えるのであった。

 余談であるが、今回一番衝撃を受けた福袋は3年ほど前からコツコツと買い集めた焚き火台&BBQのセット(総額35,000円)程度のものが8,000円で売られていたことだ。しかも中身が見えるという形式で販売されていた事実にはかなりの衝撃を受けたのっであった(爆)

テロ

2011-01-07 21:28:53 | Weblog
 昼に職場を出て総武線が止まる最寄り駅へ言ったときのことである。駅では放送が流れ騒然としていた。JR中央線の車内で不審物が見つかり三鷹駅で停止。テロの可能性があるため乗車中のお客様全員緊急避難の後、隣の三鷹操車場に車両を移動させ、現在警察の特殊部隊を呼んでいる最中。そのためJR中央線はすべて運転を見合わせている。とのことであった。

 これは大変なことが起きるのか...。と思ってはいたが、総武線は定刻通り駅に到着となった。中央線の影響でかなり混雑してはいたが、何の問題もなく新宿へ着いた。


【下りの時刻表示は消え上りの表示は行く先さえも消えている】

 結果、この不審物は何でもなかったらしいが、これだけの大騒ぎ、ある意味テロではないだろうか...。

 それにしてもこれだけの大騒ぎとなってしまってはバッグの中に入っていたモノが多少高価なモノでも忘れ物と言って取りに行くのもなかなか度胸がいるかもしれない...。

以下、

中央線の不審物、実は衣類入りバッグ…避難騒ぎ
読売新聞 1月7日(金)13時38分配信

 7日午前11時頃、東京都三鷹市のJR三鷹駅で、高尾発東京行き中央線特別快速電車内に不審なスポーツバッグがあるのを同駅員が見つけ、110番通報した。

 駆けつけた警視庁三鷹署員が調べたところ、金属探知機が反応したため、一時は乗客らが避難する騒ぎとなった。

 同署幹部によると、バッグの中身は衣類などで不審物はなかったという。バッグは2両目と3両目の連結部分に置かれていた。電車が同駅に到着後、駅員らの誘導で、乗客約1200人が避難した。JR東日本によると、東京―高尾間の上下線が約1時間半にわたり、運転を見合わせた。 最終更新:1月7日(金)13時38分

昔遊び

2011-01-04 09:09:48 | Weblog
 酔っぱらった状態での帰路となる。約4kmの堤防までの道のりを進むと比較的満たされた腹も楽になる。多摩湖の堤防までたどり着きちび共との約束を果たすことになる。日の入り前ということで風も良い感じで吹いている...。ちび共の冬休みの宿題の一つ、『昔遊びをする』という課題がある。独楽回しやカルタ取りは確かに正月らしいが私の執っての正月の昔遊びは凧揚げである。奴凧等の和凧がスタンダードなのであろうが、三十数年前、『凧揚げキムちゃん』の異名をモノにした私の相棒は当然のようにゲイラカイトであった。

 一般に市販のゲイラに付属されている糸は35m程度である。今回私が用意したのは35m×2本。早速凧を揚げ始めると夕暮れの風に乗ってあっいう間に35mの糸は持って行かれた。つなぎ70m、この時点でゲイラは完全に舞い上がり、立木に糸を括り付ければ勝手に飛んでいた。


【中央右遙か上にある白い点がゲイラ】

 こうなるとちび共は興奮のあまり嬉々とし、私も嬉しさのあまり鼻歌も出る。

♪青雲~、それは~、君が見た光~、僕が~、見ぃ~た~、希望~...。

 嫁は横で笑い転げていた...。

 しかし、気持ちとしては更に糸を繋いで高く上げたいという欲が出てしまい、何とも悔しかったのであった。

エンゲル係数

2011-01-03 21:55:22 | Weblog
 狭山不動尊を参拝の後、西武ドーム横の併設の中華レストランのバイキングに寄る。大人1,500円、小学生1,000円、3歳未満無料である。昨年も寄った記憶がちび共にはあるらしく、ヤツらの要望により立ち寄った。1,200円余計に支払えば酒も飲み放題である。制限時間は1時間。ちび共は手始めに小さめのラーメン3杯を平らげ、カレー、餃子、焼売等々と続き、最後はフローズンジュースと食い漁り、終いには腹が痛いと言い出した。十年後が空恐ろしい...。



 私はというとビールを数杯のみ、良い気持ちになっていた。ところが会計を済ます際、愕然とした。あろうことかレジ横には無料の樽酒があったのである。これに気づいていればビールはせいぜい単品にし、樽酒を漁っていたに違いない...。冗談で腰に下げた空になったペットボトルに入れて良いかレジの女性に訊いたところ、困った顔で笑いながらも、
「それはご遠慮ください...。」
と恐縮されたのであった...。



ともあれ、備え付けの紙コップに並々と注ぎ、店を後にしたのであった。

この後、当然のように紙コップを手に、狭山神社の出店へ舞い戻りジャンクフードを食おうと思ったものの流石に食欲は満たされ頑張っても山形名物の玉コンニャクしか食えなかった。

ところがちび共は先ほどまで腹が痛いと言ってはいたが、そんなことは何処吹く風、「バナチョコが食いたい!」といいだししっかりと食っていたのであった。

10年後、我が家のエンゲル係数は如何ほどのものであろうか...。これに三男が加わるのは当然のことである。

おみくじ

2011-01-02 20:24:25 | Weblog

昨秋の10月23日、奥多摩にある武蔵御嶽山へ行った際、遊びでおみくじを引いた。神主さんの差し出したおみくじ箱から引き出した竹籤には五十八の番号が書かれていた。その番号を告げると神主さんは申し訳なさそうに五十八のおみくじを差し出したのであった。それには次のような文言が綴られていた。

たとへば舵なき舟に乗る体なり
あとへもどせば損あり
先へ行くには力およばす
前後途にまよふ仕合なり
平生とも智の道行届かず今更難儀なりと知るべし

当然『凶』。遊びとはいえ流石にいい気はしない。厄流しという理屈で神社の木の枝に結びつけてきた。神主さん曰く、こうすれば万事良好というのだからある意味楽しい遊びかもしれない。

晴天に導かれ、馴染みの神社へ行くことになった。昨年末、双子に買ってやった22インチ自転車の慣らしを兼ねて西武ドーム向かいの狭山不動尊まで総出で出かけた。参拝後のおみくじは私と次男は大吉。長男は吉。嫁と三男は全く同じ内容で末吉であった。私と次男以外は皆、厄流しという理由でやはり木の枝に結びつけた。



しかし、前述の凶にふと思う。

この文言、今更ながら絶望的な話である。意訳すると、『なにをやってもだめです。普段通りにしてもあなたの頭はいかれているので今更ながら無駄な抵抗はやめなさい...。』

とでも言うことであろうか...。神様にも見放された通告である...。

このおみくじの文言を書いた人物はある意味『大吉』の文言を考えるよりやっていて楽しいのではないだろうか...。

初詣

2011-01-01 21:33:57 | Weblog
 聖徳太子は10人の人の話を同時に聞けたという。真偽の程は全く不明だが、これが事実だとすればやはり神業と言うことであろう...。

 特に出かける予定もないが、初詣くらいは行ってみようかと、総出で府中の大国魂神社へ行ってみた。今まで何度か行っては見たが元日を外していたこともあり、ストレスになるくらいの混雑には出くわしたことはなかった。
 ところが、行ってみて嫌になった。何と参道入り口の大鳥居からの長い参道は人で埋め尽くされ、賽銭箱の前にたどり着くまで30分の時間を要したのであった。



 お参りの間もひたすら背後の人に押され、ちび共3人連れてのお参りはそちらにばかり気を取られ一体何だったのかという疑問が残るほどのストレスであった。

 ふと、思った。この神社の神様はこれだけの人々の願いを一つ一つ聞くことは可能だのだろうか...。どう考えても聖徳太子の比ではなく、まさに神業である。

 このような大それたことを考えながらの参道の帰路、一瞬我が目を疑った。目の前を歩くオッサンの背中に破魔矢が突き刺さっているのである。



 今年もよい年でありますように。

八百万の神様

2010-12-31 22:49:57 | Weblog
 中学の美術の先生は読書家だった。授業の度に色々と楽しい雑学を披露してくれたのを覚えている。

 大晦日に合戦という穏やかではない表現は如何なものか...。
という定義は過去に当ブログで行ったことはあったが、その紅白歌合戦を見ていて思い出した先生の言葉がある。

「...日本って国は気候が四季がはっきりしていて、その四季の間にもいろんな季節があって、それに付随してかいろんな神様がいる...。八百万の神ってのがそういうもんだ。天照大神から便所の神様までいる...。」
聞き入る生徒である我々に慌ててこういった。
「...ああ、別に便所の神ってのはトイレットペーパーとか落とし紙でなくてトイレの神様ってことだからな...。」

あれから何年も経ったがこのネタを歌で歌って紅白に出場する輩がいるとは思いもよらなかった...。



バーさんが亡くなったネタを曲にしてるってのはどうにも漢・ナガブチを思い起こさせそうである意味ロックです...。

てなこと書いていたら、

舞い上がり揺れ落ちる~...。

ってな、ビルボード真っ青な超過激なセクシーソングが絶唱されている。

...ともあれ、皆さん!
よいお年をお迎えください。

unknown

2010-12-30 09:55:43 | Weblog
 ああ、このキムチさんのブログは一体どうしてしまったんでしょうか...。

頑張って更新されていたこのブログは4月を境にぷっつりと更新されなくなってしまいました。



というよりキムチさんは一体どうなったのでしょうか...。

忙しいのでしょうか...。

とうとうネタが尽きたのでしょうか...。

ブログに飽きたのでしょうか...。

それとも...。

パソコンが壊れた位の話ならまだいいのですか...。

クリスマスも過ぎ、もう少しで今年も終わろうとしています...。


年初には体調を崩されたというログもありました。それでも、しばらくは更新されていました。

来年は、また世の中の変なものを多々アップして欲しいのですが...。

野球帽

2010-04-28 22:17:49 | Weblog
 幼い頃、子供が被る帽子と言えば野球帽。いわゆる店で普通に売られているキャップと呼ばれる物は大部分が12球団のそれで、他のデザインの物は見た記憶がない。特に人気のあったのは読売ジャイアンツの物で本来の黒字にオレンジの刺繍が施されたもの以外にも水色等のバリエーションがある物があったと記憶する。
 自宅で野球を見ていると長男が言った。
「スワローズとファイターズが試合してたらどっちを応援する?」
当然、スワローズである。
すると次男は言った。
「ジャイアンツだったらどうする?」
絶対にスワローズである。

ふと思う。チビどもは裏山に本拠地があるライオンズはともかくファイターズなんてチームはとても知っているとは思えない。訊いてみる。

「もしかしたら帽子が欲しいのか?今日学校でファイターズやジャイアンツの帽子被っていた人がいたの?」

案の定そうであった。授業の一環で親睦を兼ね、学校のすぐそばにあるお馴染みの狭山公園へ出かけた際、野球帽を被った同世代の子供を見て欲しくなったようだ。

 24日、早速府中の大型スポーツ用品店へ行ってみる。12球団それぞれのバリエーションが置いてある中、二人ともスワローズを欲しがったのは毎夜のように私が見ている中継の影響らしい。しかし、残念ながら子供用が赤ツバに黒地の一つだったため買わずに帰宅となった。


【揃いもそろった11/12球団・棚の右下のスペースが定位置なのだろうか】

 26日、昼休みに会社近くの東京ドーム横のショップへ行ってみて唖然とした。
何故か他は全てあるのにスワローズだけ置いていない。今年は開幕戦をやったのでおかしいと思い訊いてみると店員さんはこう言った。
 「去年から品薄で発注かけているんですが、何故か数があまり入ってこないんですよ。また連休に3連戦あるんでその分程度は入ってくるとは思うのですが...。」
 
 帰り道、新宿にあるスワローズの契約ショップへ寄ってみる。しかし、そこも赤ツバに黒地が2個あるのみ。次男はこれでいいが長男は一般的なネイビーブルーを欲しがっている。
 「先方には在庫はあると思いますんで2~3日お待ちいただければ...。」
 との回答。試しにデパートも覗いてみたが、もはや野球帽自体扱っていなかった。
 
考えてみれば野球帽自体昔ほど普通に見ていない気がする。見てもメジャーリーグも混じり複雑な限りである。思い直しネットで検索してみてもスワローズに至っては殆どが在庫切れ。注文販売となり送料もかかる。スワローズがそんなに人気があるとも思えない...。もしや買収の騒動でも水面下で出ているのか...。そんなことも思いもしたが、そんなトップシークレットが球団の帽子を作る会社に漏れるはずもないだろう...。
 
 こんな話題を職場の熱狂的なライオンズファンに訊いてみると意外な答えが返ってきた。
 「(東京ドーム横の店は)4月だからどの球団も揃っているんですよ。」

 彼が言うにはこうだった。プロ野球人気が低迷し、スタープレーヤーが不在となったためグッズ自体が売れない。そのため流通に乗せて卸しても在庫過多で大口返品となる可能性が高い。よって生産数を大幅に下げ、試合のあるときにグッズを卸し販売しているとのことであった。
 
 言われてみれば、最近は地上波での夜毎の野球中継はなくなったし、スーパースターと呼ばれるほどのプレーヤーも少ない。加えて日本テレビ系列が得意とした子供向けの野球アニメもない。なるほど子供たちの間にプロ野球は馴染みではないらしい。
 
 試しにネットに並んだ12球団のキャップをチビどもに見せてみると、学友が被っていた帽子は、他にバファローズ・マリーンズ・カープ・ベイスターズといった球団も見られたようだ。ここまでばらつけば影響を受けるとすれば親の趣味、あるいは子供が何も知らずに好みのデザインで選んだとしか考えられないものであった。


【阪神戦で盛り上がる神宮球場】

結局は神宮球場の直営店でネイビーブルーを、また先ほどの新宿の店へ再び向かい赤ツバに黒地のものを購入することになるのであった。

一年生になったら

2010-04-06 18:11:32 | Weblog
 双子の入学式である。朝から気温も上昇し、今年の遅咲きの桜も満開でまさに桜の季節の入学式である。

 裏の同級生親子と揃って、ぶらぶらと小学校までの道のりが気持ちがいい。校門で配布されたクラス分けの表を見て嫁が唖然とする。双子は入学時は同一クラスという校長先生のお墨付きがあったようだが何故か長男は2組。次男は1組であった。

 ※ 余談だがこの件についての説明は全くない。それって教育者としてどうなんだ(笑)

まあ、いずれはバラバラになるのでそれはそれで一向に構わないが...。

 昇降口で子供達はそれぞれのクラスに上級生に案内されて入っていった。父兄はそのまま体育館で待機となる。

 時間が来て新入生入場。見てみると長男は緊張した面持ちであったが、次男は早速隣の女の子とじゃれていた。隣の嫁に訊いてみると全く知らない子らしい。

 そつなく式も終わり、それぞれにクラスで担任の先生よりオリエンテーションがあり終了となった。

 それにしても入学式のオープニングの入場時でピアノ伴奏で流れたお約束の曲『一年生になったら』を訊いてふと思ったことがある。


  一年生に なったら
  友だち100人 できるかな
  100人で たべたいな
  富士山のうえで おにぎりを
  ぱっくん ぱっくん ぱっくんと

友達100人出来て自分を入れたら101人ではなかろうか...。
仲間はずれは一体誰なんだろう...。



 ともあれ、あっという間に小学校入学である。

散策

2010-03-22 21:32:39 | Weblog
 小学校の低学年の頃、田舎の町の公民館に当時のトップアイドルであった野口五郎が来るという噂が流れた。クラス中その話題で盛り上がっていたが私自身どうにもこの話はうさんくさいと思っていた。隣にある県文化センターにでも来るなら分からないでもないがそれなら事前にテレビCM等でチケット販売の情報があっても良さそうなものである。ましてなんで過疎の進む我が町に来るのか、果ては100人程度しか入らない公民館なのか...。おかしな話である。
 さすがにそんなものは見に行くような人物は身内にはいなかったが、正しくは、野口五郎ではなく『野呂五郎』という全く持って意味不明な芸人が来たらしい。
 
 引き続き梅林をブラブラする。3男はようやく歩行がしっかりしてきたため歩くのが楽しくて仕方ないようだ。しかし、放っておくと何処へ行ってしまうのか不明なため目が離せない。行き着いた先には不思議なポスターが数枚貼ってあった。どうも、この梅林のステージで期間中リサイタルを開いた演歌歌手の方々のものらしい。

 何となく眺めていて凍り付く。そこには、


 
『古都はるみ』

と書かれた女性のものが貼ってあった。家に帰った後ネットで検索してみると2005年にCDを発売しているという事実以外、あまりはっきりした経歴は伺えなかった。野呂五郎といい、このような有名な芸能人に間違えそうな方々は一体どれくらい存在するのであろうか...。何とも不思議な興味をそそられたのであった。

屋台

2010-03-21 21:11:44 | Weblog
 食後、梅林を散策していると不思議な屋台を発見する。



 『たくあん』と銘打ってあるそれはそれだけで強烈なインパクトがある。しかし、なぜここでそのようなものが売られているのか疑問である。よく見れば巣鴨名物と書かれている。屋台にはたくあんが丸ごと並べられている。購入する人はいなかったが、巣鴨ではこのような屋台で老人達がたくあんを買い丸ごと囓りながら歩いているという映像が頭に浮かび言い得て妙である...。その光景を嫁に話すと、
「家に持って帰って食うに決まってるでしょ!」
といわれ、それもそうだと思い直してしまった。



 続いて見つけたのは『じゃがバター』の屋台。これは『バターつけ放題』と書かれていたがそのすぐ下にある缶の箱には『ミヨシマーガリン』と印刷されていた。また、『一子相伝の味噌』とも書かれている。味噌の伝承者争いに敗北した兄弟の運命は一体どうなったのであろうか...。

 『上州名物焼きまんじゅう』という屋台を見つける。やたら大きな饅頭で驚くも嫁曰く大きいばかりでスカスカらしい。



屋台のお姉さんの前掛けに『ヨーヨー釣り』とプリントされていた。一体この人の本業は何屋さんなのであろう。

そんなことを考えながら、春うららの梅林の徘徊は続くのである。

花よりジャンク

2010-03-20 21:51:54 | Weblog
 22年前、田舎の駅前のモスバーガーで『モスライス』なる新製品のポスターを見つけた。田んぼを空から撮影したものであり、田舎の農家の方々が写されていたのを覚えている。試しに食ってみるとハンバーガーのパンであるバンズの部分が米で代用されていて、中に焼き肉等の具材が挟み込まれていた。焼きおにぎりのような食感で、これを食うならおにぎりで十分だと感じ、それ以後食った覚えはない。まあハンバーガー自体滅多に食うことがないのであるが...。

 気温も20度を越えるとの予報。若干遅くなったが行きたい場所があった。昨年も行ったが、梅の名所『越生梅林』である。
 とはいえ、梅は二の次で実は立ち並ぶ露天が楽しみなのである。前回、昼食代わりに『お好み焼き』を購入した。それはとてもパサパサでお好み焼きと呼ぶにはほど遠い代物であったが、全く別な料理と考えれば非常に美味く、お代わりを頼んだ程であった。また、不思議な屋台『イノシシ汁』というのもあった。これは豚汁のブタの代わりにイノシシが入っているという食い物であった。味はともあれ話のネタには十分であった。

 一家総出で出向く。ぶらぶらしてみるも梅の盛りは回ったため人も少なく露天も減っていた。残念ながら昨年のお好み焼きの屋台は既になかった。仕方がないので『タコ焼き』『おでん』『うどん』『そば』『じゃがバター』と購入。ちび共は準備されたテーブルに着き、喜んで食っていた。



 しかし、私はそれらはあまり食わずにいた。実は背後に『ラーメンバーガー』なる屋台があったのだ。喜多方が発祥との説明書きもあり、興味がそそられた。購入しようとするも準備中であり、後20分くらいかかるとの話であった。しかし、食ったことがないものであり、今まで屋台ですら見たことがない。折角なので待って購入することにした。

 遠巻きに眺めていると、麺を茹で上げ湯切りをし、鉄板の丸枠に載せ、更にその上に麺に押しつけるように鉄の丸枠を乗せた。これが焼け固まり、いわゆるハンバーガーのバンズとなるらしい。その後、そのバンズにチャーシュー・メンマ・ナルト・ネギを載せ更に味付けとして客が指定した醤油・味噌・豚骨いずれかのペーストを塗り味付けを施し更にバンズで挟み込むという代物であった。



 できあがったものを味噌味で購入。好みでニンニク・豆板醤・胡椒が自分で使える。珍しがり結構な客が並び始めた。肝心な味であるが、確かにラーメンと言えなくはないが...。

 すっかり忘れていた22年前に食った、初めて『モスライス』を食ったときの記憶が蘇ったのであった。