Natural Mystic ~ナチュラルミスティック~

There's a natural mystic blowing through the air

帰宅困難者

2011-03-12 09:59:56 | Weblog
 柏での仕事を終えて、ワゴンにて外環経由で首都高移動中、それは来た。運転している後輩がふざけてハンドルを小刻みに切って揺らしているのだろうと思い、注意を促すと、
「なんか変ですよ。風じゃないし...。」
地震と気づき、ハザードを出し車を寄せて止めるも揺れが半端ではない。周りを見るとビルのブラインド等が半端ではなく揺れていた。カーラジオはNACK5で小林克也が「落ち着いてください!」としきりに繰り返していたが当の本人が慌てふためいている。

 様子を見ながら車を走らす。高速横の高層マンションの給水塔のパイプが破れ、水が漏れジャバジャバ流れていたが被害の規模は全く分からなかった。

 首都高を飯田橋で降りると、歩道は建物から出た人々でごった返していた。

 同乗者の全員がやばいと思い、家族へ連絡を取ろうとしたが携帯はつながらない、あるいは全く使えない状態だった。私はかろうじて何度かやってどうにかメールは送付できた。

その後、お客さんのところへ寄るも、被害の規模は全く分からなかった。

30分ほどかけて事務所に着くと、会社の皆が表に避難していて、拍手で出迎えられた。音信不通になっていたのは我々外回りの部隊だけだったらしい。

社屋にひび割れが入ったため退社命令が出た。とはいえ、交通手段がないため徒歩にての帰路となる。トイレを済ませ、それなりの購入しなければならないモノ、帰宅ルートを想定し、16時水道橋発となった。総行程30km弱。決して歩けない距離ではないが革靴にスーツ・コートである。カバンがビジネスではなくDパックであったのが唯一の救いである。外堀通り沿いに歩くも道は渋滞。避難用ヘルメットや緊急持ちだしリュックを背負い歩いている人々も見受けられた。ちょうど、福島の親や兄弟からメールが入りどうにか無事との確認が出来た。しかし、肝心の嫁や子供からの連絡が取れない。

市ヶ谷で自転車屋を見つけた。一瞬購入し、これで帰ろうかとも考えたが、歩道の混雑具合、また車道の異常な混み具合を見ると安全とは考えられず、やめた。

薬屋にて行動食とペットボトルのお茶を手に入れ歩き出す。ちなみに携帯電話の予備バッテリー類はこの後、何処に行ってもすべてドコモ用は売り切れであった。

曙橋を過ぎると一角に毛布にくるまり避難してる幼児の集団を目にする。保育園が危険と判断したらしく親の引き取りを待っている様子であった。自分のちび共との連絡が依然なくかなり焦る。

新宿三丁目にてようやく嫁からのメールが入り、全員の無事が確認できた。


【シャッターが閉ざされた西武新宿駅】

【精油所炎上のニュース】

17時新宿着。西武新宿駅は明るいにも関わらずシャッターが降り、全く再開の目処が付かない。駅前でユニカビジョンを見て焦る。千葉の精油所が大火災を起こしている実況だった。ここに来て災害の規模を垣間見ることとなった。

新宿から青梅街道をひたすら歩く。辺りは救急車・パトカー・消防車とやたら騒がしい。環七を過ぎ、高円寺・阿佐ヶ谷間で日は落ちた。途端、めっきりと寒くなる。相変わらず徒歩の行列は続いている。荻窪を過ぎ、環八を越える。かなり寒かったためラーメン屋にて暖を取る。ここでのテレビ中継で東北地方の災害の生々しさが映し出されていた。未だ情報が錯綜していてテレビの情報はほんの一端に過ぎないであろうにその規模は想像付かないような感じであった。その後、気を取り直して歩くもコンビニは我々のような人々のために店内に椅子を置いたりする店舗が次第に出始め、トイレ・公衆電話は行列になっていた。

ちなみにバス停は何処へ行っても行列。バスの中も大混雑であった。しかし、歩いている自分と抜きつ抜かれつでそれほどスピードは変わらないように思えた。

21時、田無の西武線のガードが見える位置まで来ると徒歩集団の一部から歓声が上がる。見るとガードの上を電車が動いていた。青梅街道を逸れ、田無駅に行くと依然、シャッターが降りたままであった。対応に追われている駅員に怒声・罵声が浴びせられていた。先ほどの電車は線路確認のための回送電車であったのだ。

青梅街道まで戻ると遠回りなので東京街道沿いに進む。田無タワーを過ぎ花小金井近辺まで来て、初めて並んでいない公衆電話を見つけ、嫁に電話をする。あっさり繋がると、
「え!?今日帰ってくるの?晩ご飯ないよ...。」
という間の抜けた返事であった。

小平駅にさしかかったところで踏切の遮断機の音が聞こえた。駅に行くと電車が動いていた。これが復旧後の初便であったらしい。

23時過ぎ、最寄り駅を降りる。コンビニによると馴染みのオーナーが店番をやっていた。電車が止まり交代要員がこなかったため残業になっているとのこと。幸か不幸か食料品を中心にあらかた売り切れ、とりあえずビールしか購入できなかった私を哀れんでいた。23:15、自宅着。何とも疲れた徒歩行であった。その後、テレビを見て災害の規模のでかさに唖然とするばかりであった。

今朝から友人・知人に連絡を入れてみているが岩手の知人には一向に連絡が付かない。無事を祈る...。

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