さこういっぱく

「左後一白」は名馬の証です!

愛馬物語20

2009-06-06 | 愛馬物語
続き:愛馬6頭(ウイッシュ/1勝、ホルダー/1勝、オリンピア/未出走、イノセント/未出走、エディフィス/未勝利、ラヴリー/未出走、チャプター/未出走)

トホホな結果に終わった2003年も幕を閉じ、私の愛馬も心機一転、巻き返しの2004年を迎えることになる。
その記念すべき第1戦はシルクホルダーから始まった。

2004年1月5日、一口人生初の正月競馬にホルダーが出走してきた。京都500万下ダ1400である。鞍上は吉田稔も前走・前々走の凡走が影響して11番人気と低評価。でもこれはしょうがないです。私も馬券は買えませんでした。良くて掲示板かなくらいに思っていたのです。しかもこの日は仕事。中継も見れません。まあ、勝ち負けにはならないだろうから、かえってリプレイ見ようっと。そんな感じでした。
携帯に友人からメールが入ります。「おめ!」・・・えっ!?勝ったの???マジで?このメール以後、もちろん仕事どころじゃなくなりました。ネットで検索しても直ぐにはわかりません。そして・・・「惜しい、ハナ差差されてた」と続報のメールが。残念2着だったようです。残念ですが、まあ十分な結果だと思いました。
帰ってリプレイを見ます。いつものように後ろからの競馬。しかし徐々に進出すると末脚点火!あっという間に先頭に踊り出ます。これぞホルダーの競馬です。よし!勝ったと思った時に後ろから2番人気のハリーコマンドが飛んできました。僅かながら差されてしまいました。ハリーはホルダーより後方の位置取りでしたが、きっちり捕えましたね。上がりはホルダーの37.6秒に対しハリーは37.5秒。僅かコンマ1秒で優勝を逃してしまった訳です。勝ち馬のハリーは今も(2009年6月現在)現役。48戦を戦い抜いています。実にタフな馬ですね。
この時は悔しいより嬉しさが勝っていましたが、このハナ差がこの後のホルダーに大きく、大きくのしかかってくるとは思いもしませんでした。

ホルダーはこの後同じ条件、同じ鞍上で続戦します。しかし結果は7着に敗れてしまいます。前走の出来から悪くても掲示板と思っていただけに落胆しました。前走からしては全くらしくない走り。原因が後になって発覚します。「骨折」です。折角このクラスも卒業間近と思っていた矢先の出来事でした。
ホルダーについてはこの後、長い、長い休養に突入することになります。しかも骨折が癒えて、さあこれからというときに天栄にて屈腱炎も発症し、更に長い休養を余儀なくされるのでした。

大将格であったホルダーの離脱は私にとっても大きいものでした。その間頑張ってくれたのが、シルクエディフィスです。
2003年の終盤に一筋の光を見出した彼。年が変わってもタフに走り続けました。2004年の初戦は3着。そして5着と大崩ない堅実な走りに変わってきました。未勝利はいつでも勝てる状態になっていたと思います。そして2004年の3戦目にはついに記念すべき一口馬主初の1番人気をもたらしてくれました。もちろん1番人気になるより、1着になったほうがいいのですが、やはり嬉しいものです。パドックでも推奨されるようになりましたしね。でも彼はフツーに1番人気を裏切り7着惨敗。とくにアクシデントがあったわけではないのですが、展開が合わなかったのかもしれません。惜しむらくは上り調子の時に挫石に見舞われたこと。これがなければ・・・と思います。

愛すべきスポーツ根性娘であったウイッシュにも2004年が訪れました。しかし、そこには昔のど根性娘の片鱗もなく凡走の繰り返し。陣営も相変わらずレース選定が一貫せず、結果の出ないダート戦を使ったりしています。2004年もいきなり2戦連続の殿負けを喫し、もう引退も覚悟した3戦目。福島芝1800に出走。実はこのレースのメンバーには同じシルクからシルクロゼットが、愛馬エディフィスの姉オリエントビーナス、エクススピーディが出走していまして、なんかシルク繋がりを感じたメンバーでもありました。
このレースで、僅かながらウイッシュにも復活の兆しが見えたのです。いつになく積極的なレース展開をし、10着には敗れたものの、最近のレース振りでは一番良く見えました。これなら距離を短縮すれば、数戦内には掲示板もあるかも?なんて考えたものです。しかし、ここに立ちはだかったものやはり陣営でした。勝ち上がらせてくれた厩舎なので、感謝はしていますが、いきなりの引退発表。やられました。本当に悔しかった。引退して地方へということでしたが、元々ダートは苦手な仔なんだから、なんとか繁殖に上げてもらいたかったのですが、それも叶わず。骨折後は1度として適鞍を使われることなく引退になってしまったことは無念の一言に尽きます。沢山の思い出を残し、ウイッシュが去っていきました。

年が明けて、仲間を増やすことにしました。この年は既にラヴリー・チャプターと牝馬2頭に出資を決めていましたが、更に追加を計画していたのでした。計画では牡馬2頭に追加すること。しかも関東1頭、関西1頭の予定。お目当ては①父アジュディケーティング 母アサーティブプリンセス(アサート)と②父マーベラスサンデー 母クレバーウーマン(ホスピタリティ)の2頭。まず①については当歳から募集されており、全く売れている気配がありませんでした。売れていない原因として考えられるのは、血統的な問題と馬体が貧弱だったせいだと思われます。こちらはまだ時間がありましたので、締め切り間際まで待つことにしました。
②については、かなり出資意欲がありましたね。まず、マベサン牡馬で1000万と安価だったこと。ブラックタイプは平凡でしたが、割と堅実に走る血統であったこと、馬体も悪くなく、なんと言っても「さこういっぱく」だったことが決め手となり、年明け直ぐに追加することに決定。後のシルクパスワードです。
しかし、パスワードと名前が付いた時は少々、いやかなり凹みました。かっこ悪いと思いました。まあ、慣れてくると違和感なくなるんですけどね。

ホルダーそしてエディフィスと今1歩のレースが続き、「一体、優勝はいつできるんだろ?」という疑問が頭を駆け巡ります。すでに最後の勝利からは1年以上遠ざかっている状態でしたので。「このまま一生勝利から見放されるのかもしれん。」凹みモード全開です。

しかし、勝利の美酒が思わぬところから飛び込んでくることなど全く想像もしていない2004年の春でした。

続き:愛馬6頭(ホルダー/1勝、オリンピア/未出走、イノセント/未出走、エディフィス/未勝利、ラヴリー/未出走、パスワード/未出走、チャプター/未出走)