さこういっぱく

「左後一白」は名馬の証です!

愛馬物語13

2007-12-07 | 愛馬物語
続き(愛馬4頭:ウイッシュ/1勝、ソウルフルダンス/未出走、トリニティー/未出走、オリンピア/未出走)

ダイレクトの死により、風がいつもより冷たく感じる師走。毎年楽しみにしていた有馬記念でさえ、この年は全く覚えていません。馬券も買うことが無かったのでしょう。ようやく、そんな師走も終わろうとしています。

年が明け、2002年が幕を開けます。この年にデビューを控えている2頭のうちの1頭、ソウルフルダンスは既に入厩しており、デビューに向けて秒読み態勢となっていました。実はこのソウルフルダンス、夏のデビューを予定し産地馬体検査を受けていましたが、もう少し成長を促すということもあり、デビューは年明けの予定となったのです。

「こっ!これは!!」パチンコ必殺仕事人Ⅲでピンク盗人を捕らえた時の中村主水が発する言葉(パチンコネタですんません)でもまさしくそんな状況が私に訪れたのです。某G誌の「注目の新馬」コーナーで有力馬として記事となっていたのです。今までの愛馬では初の出来事に舞い上がりました。2回京都芝2000m、鞍上は松永幹夫。「新馬勝ちできるかも!」「ここを勝ってクラシックだ!」「ダンスにリアルシャダイですよ、誰が見てもクラシック血統ですがな」てな具合です。そして、記事が現実になります。

「んっ?なんか変だな」張り切って前日に競馬新聞を購入したものの、「あれれ?」10頭立てと手頃な頭数は良かったのですが、無印に近い状態。「おっかしいなあ。こんなハズじゃないんだけど・・・」確かにこの時期の新馬戦はなかなか骨っぽい相手が揃っていました。「楽には勝たせてくれなさそう・・・」

「おぉ!成長しとる。」まだまだ華奢な体つきでしたが、1歳時と比較すれば競走馬らしくなった彼を誇らしげに感じました。しかし、周りの馬たちの出来はそれ以上。「こりゃ、新聞の言う通り厳しいかも?」
そして、レースがスタート。いつものようにTV前で正座をしながら観戦。ポンとスタートを切るとハナを奪います。先行するとは思いましたが、まさかハナを切るとは思っていなかったので、ちょっとビビりました。しかし、当の本人は気持ちよさそうに逃げています。3角、4角を先頭で直線に向かいます。そこから鞍上松永のムチが入ります。私も力が入ります。拳を握り締め、「来い!来い!そのままやぁ!!!!!」気が付けば既に正座ではなく、立ち上がっての応援。しかし、楽に勝たせてもらえるようなメンバーではありませんでした。2頭に差され3着。コンマ2秒だけ負けてました。因みに勝ち馬はその後天皇賞へも駒を進めることになるエリモシャルマン。(ソウルフル7番人気、エリモ8番人気でした。エリモも人気なかったのね。)結果的に負けはしたけど、満足のいくレースでした。

話は前後しますが、前年オリンピアに出資した後、もう1頭に出資することになります。後のシルクボンバイエに出資検討をしていたのに関わらず、天邪鬼精神で出資を止め、その代わりに出資したのは・・・父ティンバーカントリー 母ビワハルカゼ(父 SS)後のシルクホルダーです。ツアーの際、馬体がひときわ目立っていたこと、父ティンバーに期待をしていたことなどが挙げられます。募集価格は1800万円。友人の出資していたロードアンビションは同じ父で4000万を超えていたと記憶しています。それから比べてもお買い得感があったことも理由の一つでした。栃栗3白の綺麗な馬でした。

さて、新馬を3着に敗れたソウルフルダンス、中1週で同じ京都の芝2200mの折り返し新馬戦を使うことになります。前走人気で敗れた馬も同じローテーション。今回も厳しい戦いになることは最初からわかっていましたが、前走3着という成績に前走以上に期待しました。ところが・・・先行していい位置につけたものの、そこから伸びることなく、8着に惨敗。彼の生涯を通じて最低の着順を記録してしまいました。勝った馬はソウルフルと同じ父を持つトウカイトレンド(鞍上 武豊)期待が大きかっただけにショックでした。

このソウルフルの活躍で曇っていた心がすっきり晴れたと思います。今後展開される彼の活躍に一喜一憂する日がすぐそこに迫っていました。

続く(愛馬5頭:ウイッシュ/1勝、ソウルフルダンス/未勝利、トリニティー/未出走、オリンピア/未出走、ホルダー/未出走)