2006年9月25日に埼玉県川口市戸塚の市道で小鳩保育園の園児が死傷した事故が発生し、その4日後の29日にこの現場を見に行ったことは2006年9月30日の投稿で触れた。この事故を受けて川口市は、それまではきちんと速度を制限していないこの市道で(法定速度は時速60km)改めて制限速度を時速30kmに設定し直したことは、報道で知っている。で、その後この市道はどうなったのか? を昨日の午前に、6か月ぶりに現場を再訪して改めて確認してみた。そのときの写真が以下。


①上が2006年9月29日に撮影した、当時保育園児の列が井沢英行被告の運転していたクルマに追突された場所。下が29日現在の、上と同じ場所。改めて撮影してみて比較すると、白色と緑色の路側帯が引かれて(幅員が狭まっているような目の錯覚を促して)クルマへの注意喚起には少しは役立っているようだが、新たに市道の幅員が広がっているわけでもないので、これまでと同様にここを通行するクルマは周りの歩行者に充分注意する必要があることは変わりない。

②①のような路側帯は、事故のあった直線道路の事故地点の南北150mほどしか引かれていなかった。ただ、道路面に橙色の「30」という標示はこの直線以外にも周辺の路地にもいくつか新たに描かれてはいた。標識の設置や線・数字を描くだけでもクルマの運転者に対しての効果は上がるのだから、各自治体で毎年度末に行なう、アスファルトを剥がして掘り返してまたすぐに元に戻す、「仕事のための仕事」という感じの予算消化のための余計な道路工事なんかよりもこのような安全につながる整備により力を入れてほしいものだ。このほうが数倍有意義なことだと思うのだが。

③事故現場付近の交差点にもこのように通常の道路面の灰色とは色違いの、キラキラ光る細かいガラス片? を混ぜた舗装にしてクルマへの注意喚起を促すように整備していた。この新規の舗装はやや厚めに敷いてあり、一応は灰色のところと数mmの段差があるが、クルマのぶ厚いタイヤではその段差はわかりにくいかも。段差よりも視認性重視か。この事故現場周辺はほかにも同様の幅員の直線が多く、できればそちらにも路側帯などを整備してほしかったのだが、予算の都合もあるのか、とりあえずは事故のあった直線道路のみ重点的に整備されていた。
この付近の道路を通行するクルマとその運転者をしばらく観察してみても、やはり昨年に事故があったことは大半が知っているようで昨年よりは減速して市道を通行していた。本来は徐行すべき幅員の道路なので、ここでは速度を抑えるのは当然のことで、井沢被告の事故当時の時速60km近い速度というのは中央線での車線の分離もないこの市道においてはどう考えても「危険運転」である。

④県道から制限速度40kmの道路から生活道路へ入っていく数か所の入口で、この左の四角の標識のように住宅地域内の市道は30km制限の道路であることを新たに標示していた。他県でもこういう整備は行なっているのかなあ。
ちなみに、僕の地元近くの志木市ではここまでの写真のような道路の整備が結構盛んで、ここ1、2年のことを思い出しても、住民から危ない、迷惑、と苦情があった道路の危険箇所に、苦情を受けてから数日以内に車止めを設置したり路側帯を引いたりした、という迅速な対応をしていた事例もいくつかある。こういう問題はやはり行政の担当者の当たり外れや彼らの意識の多少によるのかな。

⑤市道の入口の歩道の切れ目には、このような注意の絵も描かれていた。たしかにこの付近で小さな子どもと暮らしている親としては、特に衝撃的な事故であったからより注意深くなるだろう。日本で7400万台以上のクルマがそこらじゅうで走り続けている限りは(拙著『沖縄人力紀行』(彩図社刊)では7300万台と書いたが、これは2002年時点の数字で、クルマの生産が盛んな日本においては当然ながらその台数は年々増え続けている)、このような事故は今後どの地域でも起こる可能性はあるだろう。
とりあえずはクルマの運転者への罰則をもっと強化したり運転免許保持者を制限しないと改善されないし、クルマを運転することによって気が大きくなる感覚を締め付けていかないと、このような事故は再び発生してしまう。
この事故の裁判が先月上旬から始まり、かねてから「危険運転致死傷罪」を適用したいところだが適用できない井沢被告に対し、「業務上過失致死傷罪」の最高刑である懲役5年、という判決が16日に出て、公判4回という短期間で終わった。まあこれは当然の判決で、僕のような一般人が見てもやはり物足りない判決という感がある。被告に轢かれた保育園児の遺族もこれは無罪に等しい判決であると憤っているし、被告を裁いた裁判長のほうも現行法でこの一件を裁くには限界があると示唆していた。つまり5年の刑期が終わりさえすればまたこのような悪質運転者が現れるということだから、遺族としてはたまったものではないことは僕もわかる。
被告は罪を償ったら再びクルマを運転したい、と言っているようだが、現行では刑期が終われば被告の希望どおりに再びそのようになってしまう。こんなことを許してよいのだろうか? 諸外国ではこのような悪質な事故への対処法としては、日本の10倍以上の1000万円以上の罰金刑に処すところもあれば、轢き殺した場合は殺人罪に問えるし、生涯免許取り消し処分を出す国もあるという。僕は日本でもクルマという一歩間違えると巨大な凶器にも成り得る乗り物を大量生産している責任上、これらすべての罰則を導入すべきだと思っている。たとえすべては無理としても、せめて特に3番目の処分は必ず行なうべきである、と10年以上前から切望している。
日本でもクルマは日常・非日常ともに必要不可欠な便利な移動手段ではあるが、そのほかの公共交通も諸外国よりは比較的発達していて、クルマ要らずの生活をやろうと思えば充分できる。まあ北海道や北海道以南の山間部のようにクルマが特に必要な地域もあるが、その必要はあまり感じない鉄道や路線バスが発達している地域もある。被告はたしか埼玉県北東部の栗橋町在住だと記憶しているが、ここも鉄道ではJR宇都宮線と東武日光線が通っていて、それぞれ少なくとも毎時2~3本の列車が運行されている。北海道や四国・九州などよりは公共交通の普及度を考えると数段恵まれていて、クルマの必要性もそんなに高くない。だから、べつに事故を起こして免許取り消しになっても、それ以前に事故を起こしていなくてもクルマがないことで「食べる、排泄する、寝る」という生活の本質にはそんなに支障はないはずだ。もし支障があるのであればほかの移動手段を検討したり、地元近くで働いたり、公共交通の発達している都市部に引っ越したり、という選択肢もある。それが嫌なら、今回の事故のようなことを起こさないようにより注意深く運転すればよいだけのことだ。走行速度もこれまでよりも10~20km程度緩めるとか。
以前も書いたがクルマを一度も所有しない家庭に育った僕としては、交通に関しては全国的に見ると比較的恵まれている埼玉県に住み続けている限りはクルマは要らないだろう、と思っている。ウチの両親も、仕事で間接的にクルマに便乗することはいくらかあったが、それでも自分たちでクルマも運転免許も所有することなく僕ら男3人兄弟を育てたという実績がある。そのような観点から考えると、被告の「再びクルマを運転したい」という言い分はどうしても詭弁に聞こえてしまう。
被告のように生活道路を、時速60km近い速度を出しながら、しかも走行中にヘッドホンステレオの操作をするような尋常ではないことを積み重ねた愚行は、どう考えても自分の実力を過信している「驕り」がある状態としか言いようがない。これで4人の幼児が亡くなったのだから、最低でも「危険運転致死傷罪」で懲役20年に処されるべきで、それ以上の「殺人罪」による無期懲役ものの罪である。このような愚行を「危険運転」ではないと言い張る人がいるのであれば、その言い分をじっくり聴いてみたいものだ。
昨日見に行った事故現場で事故の教訓として道路の整備が進んだことはいくらか評価できるが、やはりこの問題の本質はクルマを扱う運転者の周りの移動者への意識の低さと単なる良識のなさにある(先行している歩行者や自転車の直近を減速したり大きく除けたりもせずに幅寄せ気味に通過するようなこと)。それに拙著の168ページでも書いたが、やはり現在の日本はクルマが多すぎる。運転者としての適性をより詳しく調べて、罰則をより強化して、さらには運転者の人数を制限すべき時期に来ていると思うけどなあ。
ただ、そういうクルマの運転者に不利な言い分ばかり出すと、歩行者のほうも道路の横断歩道以外からの斜め横断や信号無視のようなふざけた歩き方をしているだろ、自転車であれば並進や無灯火や車道の逆走をしているだろ、クルマの運転者のほうばかりが悪く見られるのは心外だ、という真っ当な運転を心がけている運転者からの言い分もあるだろう。そのどちらが良いのか悪いのか、ということをよりわかりやすく判断するためにも、最近タクシー会社で事故分析のためによく導入されている、事故の数秒前の前方の映像が記録される「ドライブレコーダー」の一般車への普及が急務である。こういった人命にかかわる機器の導入であれば大歓迎で、クルマ周辺の開発はカーナビゲーションとかスライドドアとかバックモニターとかいう余計な機能よりも(これらの付加価値は運転技術の向上で補えるのでは?)、環境性能や車幅の短縮とともにこの機器の開発が先決だと思うのだが。なんで今まで開発されてこなかったのだろう、と不思議に思う。
でもとりあえずは、クルマを扱うさいに運転者が天狗にならずに謙虚さを保つための罰則強化が先決だよな。僕がクルマよりはやや非力な自転車に乗っているときでさえ少々気が大きくなることがあるのだから、クルマを扱う人たちがその動力が自分の実力であると勘違いすることによって、鼻は相当高くなるだろう。クルマの運転者に対する、その鼻をへし折るくらいの処罰はより厳しく行なってほしいものだ。


①上が2006年9月29日に撮影した、当時保育園児の列が井沢英行被告の運転していたクルマに追突された場所。下が29日現在の、上と同じ場所。改めて撮影してみて比較すると、白色と緑色の路側帯が引かれて(幅員が狭まっているような目の錯覚を促して)クルマへの注意喚起には少しは役立っているようだが、新たに市道の幅員が広がっているわけでもないので、これまでと同様にここを通行するクルマは周りの歩行者に充分注意する必要があることは変わりない。

②①のような路側帯は、事故のあった直線道路の事故地点の南北150mほどしか引かれていなかった。ただ、道路面に橙色の「30」という標示はこの直線以外にも周辺の路地にもいくつか新たに描かれてはいた。標識の設置や線・数字を描くだけでもクルマの運転者に対しての効果は上がるのだから、各自治体で毎年度末に行なう、アスファルトを剥がして掘り返してまたすぐに元に戻す、「仕事のための仕事」という感じの予算消化のための余計な道路工事なんかよりもこのような安全につながる整備により力を入れてほしいものだ。このほうが数倍有意義なことだと思うのだが。

③事故現場付近の交差点にもこのように通常の道路面の灰色とは色違いの、キラキラ光る細かいガラス片? を混ぜた舗装にしてクルマへの注意喚起を促すように整備していた。この新規の舗装はやや厚めに敷いてあり、一応は灰色のところと数mmの段差があるが、クルマのぶ厚いタイヤではその段差はわかりにくいかも。段差よりも視認性重視か。この事故現場周辺はほかにも同様の幅員の直線が多く、できればそちらにも路側帯などを整備してほしかったのだが、予算の都合もあるのか、とりあえずは事故のあった直線道路のみ重点的に整備されていた。
この付近の道路を通行するクルマとその運転者をしばらく観察してみても、やはり昨年に事故があったことは大半が知っているようで昨年よりは減速して市道を通行していた。本来は徐行すべき幅員の道路なので、ここでは速度を抑えるのは当然のことで、井沢被告の事故当時の時速60km近い速度というのは中央線での車線の分離もないこの市道においてはどう考えても「危険運転」である。

④県道から制限速度40kmの道路から生活道路へ入っていく数か所の入口で、この左の四角の標識のように住宅地域内の市道は30km制限の道路であることを新たに標示していた。他県でもこういう整備は行なっているのかなあ。
ちなみに、僕の地元近くの志木市ではここまでの写真のような道路の整備が結構盛んで、ここ1、2年のことを思い出しても、住民から危ない、迷惑、と苦情があった道路の危険箇所に、苦情を受けてから数日以内に車止めを設置したり路側帯を引いたりした、という迅速な対応をしていた事例もいくつかある。こういう問題はやはり行政の担当者の当たり外れや彼らの意識の多少によるのかな。

⑤市道の入口の歩道の切れ目には、このような注意の絵も描かれていた。たしかにこの付近で小さな子どもと暮らしている親としては、特に衝撃的な事故であったからより注意深くなるだろう。日本で7400万台以上のクルマがそこらじゅうで走り続けている限りは(拙著『沖縄人力紀行』(彩図社刊)では7300万台と書いたが、これは2002年時点の数字で、クルマの生産が盛んな日本においては当然ながらその台数は年々増え続けている)、このような事故は今後どの地域でも起こる可能性はあるだろう。
とりあえずはクルマの運転者への罰則をもっと強化したり運転免許保持者を制限しないと改善されないし、クルマを運転することによって気が大きくなる感覚を締め付けていかないと、このような事故は再び発生してしまう。
この事故の裁判が先月上旬から始まり、かねてから「危険運転致死傷罪」を適用したいところだが適用できない井沢被告に対し、「業務上過失致死傷罪」の最高刑である懲役5年、という判決が16日に出て、公判4回という短期間で終わった。まあこれは当然の判決で、僕のような一般人が見てもやはり物足りない判決という感がある。被告に轢かれた保育園児の遺族もこれは無罪に等しい判決であると憤っているし、被告を裁いた裁判長のほうも現行法でこの一件を裁くには限界があると示唆していた。つまり5年の刑期が終わりさえすればまたこのような悪質運転者が現れるということだから、遺族としてはたまったものではないことは僕もわかる。
被告は罪を償ったら再びクルマを運転したい、と言っているようだが、現行では刑期が終われば被告の希望どおりに再びそのようになってしまう。こんなことを許してよいのだろうか? 諸外国ではこのような悪質な事故への対処法としては、日本の10倍以上の1000万円以上の罰金刑に処すところもあれば、轢き殺した場合は殺人罪に問えるし、生涯免許取り消し処分を出す国もあるという。僕は日本でもクルマという一歩間違えると巨大な凶器にも成り得る乗り物を大量生産している責任上、これらすべての罰則を導入すべきだと思っている。たとえすべては無理としても、せめて特に3番目の処分は必ず行なうべきである、と10年以上前から切望している。
日本でもクルマは日常・非日常ともに必要不可欠な便利な移動手段ではあるが、そのほかの公共交通も諸外国よりは比較的発達していて、クルマ要らずの生活をやろうと思えば充分できる。まあ北海道や北海道以南の山間部のようにクルマが特に必要な地域もあるが、その必要はあまり感じない鉄道や路線バスが発達している地域もある。被告はたしか埼玉県北東部の栗橋町在住だと記憶しているが、ここも鉄道ではJR宇都宮線と東武日光線が通っていて、それぞれ少なくとも毎時2~3本の列車が運行されている。北海道や四国・九州などよりは公共交通の普及度を考えると数段恵まれていて、クルマの必要性もそんなに高くない。だから、べつに事故を起こして免許取り消しになっても、それ以前に事故を起こしていなくてもクルマがないことで「食べる、排泄する、寝る」という生活の本質にはそんなに支障はないはずだ。もし支障があるのであればほかの移動手段を検討したり、地元近くで働いたり、公共交通の発達している都市部に引っ越したり、という選択肢もある。それが嫌なら、今回の事故のようなことを起こさないようにより注意深く運転すればよいだけのことだ。走行速度もこれまでよりも10~20km程度緩めるとか。
以前も書いたがクルマを一度も所有しない家庭に育った僕としては、交通に関しては全国的に見ると比較的恵まれている埼玉県に住み続けている限りはクルマは要らないだろう、と思っている。ウチの両親も、仕事で間接的にクルマに便乗することはいくらかあったが、それでも自分たちでクルマも運転免許も所有することなく僕ら男3人兄弟を育てたという実績がある。そのような観点から考えると、被告の「再びクルマを運転したい」という言い分はどうしても詭弁に聞こえてしまう。
被告のように生活道路を、時速60km近い速度を出しながら、しかも走行中にヘッドホンステレオの操作をするような尋常ではないことを積み重ねた愚行は、どう考えても自分の実力を過信している「驕り」がある状態としか言いようがない。これで4人の幼児が亡くなったのだから、最低でも「危険運転致死傷罪」で懲役20年に処されるべきで、それ以上の「殺人罪」による無期懲役ものの罪である。このような愚行を「危険運転」ではないと言い張る人がいるのであれば、その言い分をじっくり聴いてみたいものだ。
昨日見に行った事故現場で事故の教訓として道路の整備が進んだことはいくらか評価できるが、やはりこの問題の本質はクルマを扱う運転者の周りの移動者への意識の低さと単なる良識のなさにある(先行している歩行者や自転車の直近を減速したり大きく除けたりもせずに幅寄せ気味に通過するようなこと)。それに拙著の168ページでも書いたが、やはり現在の日本はクルマが多すぎる。運転者としての適性をより詳しく調べて、罰則をより強化して、さらには運転者の人数を制限すべき時期に来ていると思うけどなあ。
ただ、そういうクルマの運転者に不利な言い分ばかり出すと、歩行者のほうも道路の横断歩道以外からの斜め横断や信号無視のようなふざけた歩き方をしているだろ、自転車であれば並進や無灯火や車道の逆走をしているだろ、クルマの運転者のほうばかりが悪く見られるのは心外だ、という真っ当な運転を心がけている運転者からの言い分もあるだろう。そのどちらが良いのか悪いのか、ということをよりわかりやすく判断するためにも、最近タクシー会社で事故分析のためによく導入されている、事故の数秒前の前方の映像が記録される「ドライブレコーダー」の一般車への普及が急務である。こういった人命にかかわる機器の導入であれば大歓迎で、クルマ周辺の開発はカーナビゲーションとかスライドドアとかバックモニターとかいう余計な機能よりも(これらの付加価値は運転技術の向上で補えるのでは?)、環境性能や車幅の短縮とともにこの機器の開発が先決だと思うのだが。なんで今まで開発されてこなかったのだろう、と不思議に思う。
でもとりあえずは、クルマを扱うさいに運転者が天狗にならずに謙虚さを保つための罰則強化が先決だよな。僕がクルマよりはやや非力な自転車に乗っているときでさえ少々気が大きくなることがあるのだから、クルマを扱う人たちがその動力が自分の実力であると勘違いすることによって、鼻は相当高くなるだろう。クルマの運転者に対する、その鼻をへし折るくらいの処罰はより厳しく行なってほしいものだ。
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