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思考の7割と収入の3割を旅に注ぐ旅人の日々

一般的には遊び(趣味)と見下されがちな「旅」も、人生のなかでやるべき「仕事」である、という気概で旅する旅人の主張と報告。

高かったけど面白かった銀座の竹内洋岳報告会と、17年前から交流のある“サバイバル登山家”との直接対決

2012-10-10 18:00:39 | 登山

6日(土)午後、読売・日本テレビ文化センター(よみうりカルチャー)が主催の、竹内洋岳氏の8000m峰14座完登記念の「報告会」を、銀座ブロッサムへ聴きに行った。大きな会場だから聴衆は300人以上はいたのかなあ。入場料は大人1800円と目玉が飛び出るくらいに高かったけど。新聞社主催の一般向けの公開講座的な催しでは、このくらいの金額になるのはしゃあないか。

竹内氏に帰国後に生でお目にかかるのは今回が初めてで(こういった公の催しでは2回目)、そこはぜひ聴いておきたかったし、それにこの催しは2部構成で第2部のほうが服部文祥氏とのトークセッションというのも(高くても)気になっていた。むしろその直接対決のほうが楽しみだったりした。

ちなみに上の写真は会場のその開始前で、本番中は撮影禁止で。でもべつにフラッシュを焚かなければ撮ってもよいと思うけどなあ。ケチだなあ。

第1部の竹内氏の単独の報告では、まず自己紹介的な未公開映像を見せてから、登山を始めた頃から8000m峰14座完登への登山人生の流れを振り返り、まあ一般向けの報告なのでここ4か月の各種媒体のインタビュー等をほとんどチェックしている僕としては既知のことばかりだったが、直近の5月のダウラギリI峰登山で10年秋のチョーオユー登山からの同行者である(今年はほかにも、登山業界内でも話題で僕も当然観ていた日本テレビ『世界の果てまでイッテQ!』の“イッテQ!登山部”でイモトアヤコが行ったアコンカグア・マッターホルンの登山にも撮影の「仕事」で同行している)、中島健郎(=けんろう)氏との信頼関係について熱っぽく語っていたのは初耳の部分もあって特に興味深かった。

今回は登頂はできなかった中島氏だが、竹内氏の5月26日(土)の登頂後の下山で(上部キャンプの撤収と荷揚げした荷物の回収のために)中島氏が下から応援に来てくれる計算があったからこそ登頂できた、と中島氏への謝意をしきりに述べていたのは印象的。中島氏は登頂を断念したときよりもその下山の出迎えのときのほうが好調で(高度順化の速度が竹内氏とは若干異なるのかも?)、登頂を目指す“サミットプッシュ”と26日夜の高所でのビヴァーク(着の身着のまま野宿)によって27日(日)の下山の続きでは疲労困憊の竹内氏が荷物をほとんど中島氏に背負ってもらったとか「犬の散歩のように」先導されたとかいう話は、8月中旬に放送のNHK『グレートサミッツ』でも出ていなかったことか。

続いて(第1部よりもこれが目当てで訪れた聴衆のほうが多いと思われる)第2部は、竹内・服部両氏の握手から始まり、なぜこのふたりの組み合わせなのかを1996年に同行した(登攀中はロープを結び合ったこともある)K2登山の前年の出会いと翌年の登山の様子から説明し、服部氏が年齢的にはやや先輩なのに、しかし最近は竹内氏よりも(登山業界においての実績や知名度では)下に見られていることが悔しい、みたいな嫉妬心? を剥き出しにしながら、(立正大学と今は無き東京都立大学という)「あまり有名ではない大学出身者」同士の互いを持ち上げるよりは貶める? ツッコミ合戦になり、予想以上に面白かった。
これはおそらく、K2の模様も少々描かれている『サバイバル!』(服部文祥、ちくま新書)を事前に読んでいれば、よりわかりやすかったかもなー。

基本的には事前に会場から募った竹内氏への質問を参考に今回の場では代表して脇役である服部氏らしい毒のある独特の物言いで詰問してゆくカタチで、各種取材ではあまり出せないネタを引き出し、記憶力が弱い(『初代 竹内洋岳に聞く』(塩野米松、丸善)ではK2登頂者は8人とあるが実際は12人であることを忘れている)、ファッションチェック(登山ごとにジャケットの色を変えている。いつの登山だったかが判別しやすいように?)、提供・共同開発で懇意のカシオ・プロトレック(竹内氏の特設コーナー?もあるよ)以外にも高級時計好き、高所登山のリスク(服部氏曰く「三途の川を2回渡りそうになった」05年エヴェレストでの脳血栓と07年ガッシャブルムII峰での雪崩→救出→再起。背骨の治療で一時期はシャフトを背中に埋めて真の「マシン」になったこと)、高所登山においての食事と排泄、という流れになった。
その合間に、K2登山が8000m峰に登ると凄い(偉い?)と周りから敬われる最後の登山だった、その登山隊は野望の塊(K2登頂で名を馳せたい若者ばかりで、特に野心家? の服部氏はギラギラしていた)、服部氏は当時は唯一の社会人で普段は洒落た格好だったのが今は“サバイバル登山家”と成って……、そもそも「サバイバル登山」ってなんすか? と竹内氏からの17年前からの時代の変化にもかかわる逆質問もあった。この掛け合いでふたりの関係はK2以外にも共通項が多くて良好であることがわかり、なにより。
僕個人的には、各種取材でも第1部でも一人称は「私」で通して丁寧に語ったり受け答えしたりする竹内氏が、服部氏との本性剥き出し? のやりとりによってつい「俺」と言ってしまうくらい白熱した終盤からが対談は本格的に面白くなりそうだと思ったが(ちなみに服部氏はどの講演等の場でも基本的に「俺」で通している)、エンジンがかかったところでお開きの時間になったのが残念。第2部の時間は会場の都合で50分弱と短くなってしまったので、また別の機会を設けて再戦してほしいなー。ある程度の歯止めがかかってしまう雑誌記事ではなく、やはり生の対談形式で。

終了後はロビーで両氏の本を販売してサインもしていて、盛況だった。ただ、服部氏の代表作『サバイバル登山家』『狩猟サバイバル』(ともに、みすず書房)は2000円と特別価格にしていたのにあまり売れなかったか。今回は明らかに脇役の立場である服部氏の本のほうがそこで場を広く取っていたのが可笑しかった。
そういえば今回の催しの内容とは全然違う話だが両氏の本、竹内氏のほうは以前にもツッコんだことがあるが、実は服部氏の本も販売停止にするほどでもないけどツッコミどころがたくさんあるのよねえ。という校正者からの視点で、実はそこで本が売れてゆく様子をやや複雑な心境で眺めて、売れるのは誤植などを修正したあとにしてほしい!! と叫びそうになったのであった、僕個人的には。

でもまあとにかく、催しとしては大成功だったと思う。とても楽しかった。ちなみに服部氏は翌7日(日)からしばらく、北海道へサバイバル登山に行っているそうで。

なお、竹内氏は母校の立正大学でも今年の開校140周年記念の公開講座として講演を来月に2回行なうことが決まったが、そのどちらかに僕もいち卒業生としてぜひ聴きに行きたいなあ。

これで一件落着、となるのかどうか

2012-07-25 11:55:33 | 登山
先週の「那智の滝」の一件の続き。
部分的に再開された? 大西氏のウェブサイトに、滝の登攀に関する三氏の連名による謝罪文が23日付で掲載されたが、まあこれが妥当な行動だと思う。社会人であれば。

それにしてもこの事件? 当夜から賛否両論巻き起こっているが、僕もこの1週間、そもそも「宗教」や「御神体」って何?(そういうふうに現状は神格化されているか否かにかかわらず、地域も問わず、自然は大切にするものではないの?)とか、人類(と宗教)の歴史よりも前に地球の歴史の時間軸で考えるとあの行為への自然的な影響は台風・大雨や風化に比べるとどうなんだろう? とか、「プロ」や「スポーツ」のような語句を用いた岩登りという行為への認識のズレのようなものも垣間見られた報道の在り方とその精度とか(特に東京スポーツの記事は誤記というか誤認識も目立っていて酷い。まあ“東スポ”だからなあ……)、いろいろ考えることは多かった。
今もまだ引きずっているし、(ここ数年のブームに便乗している夏場に富士山を目指す山ガール的な初心者も含めて)登山に携わる人全員がこれを契機にこういうデリケートな問題を改めて議論したほうがよいのではないか?(専門誌のひとつの『山と溪谷』は来月発行の12年9月号の特集で扱うのが「山の新常識」というタイムリーなネタだし)とさえ思った。
最近は各地の私有地内での岩登りのマナー悪化による軋轢を指す“アクセス問題”や、富士山・屋久島のように入山者過多による入山規制の検討なども含めて、人為的・季節的な規制を強化する必要のある地域も徐々に増えつつあるし。

滝の件は一般的にはもちろん賛否の「否」の意見、つまり“正論”が圧倒的に多いが、ただ擁護とはまたちょっと違うがそれに異を唱えて報道の煽り方にもブレない「賛」の意見もたしかに見聞きしていて、先週から今週にかけて僕も友人とメールのやりとりでだが人間の本能の行方やひとつの物事を把握する力の多少にもかかわってくるそっち側の話もした。
例えば、最近の大飯原発再稼動の問題や(徐々に全国的に広まってきた)それに抗議するデモ活動、いまだに国レベルでは大幅な改善策が見られない福島第一原発の対応や東京電力の相変わらずの怠慢ぶりの問題から、意図的に目を逸らせるための扇動的で感情的な偏った報道になっていたのかな? とは僕も思うふしが少々あるし。
まあなんにせよ“正論”や“常識”は踏まえながらも、(宗教とその宗派による対立も世界各地で現在も多々あるように)立場と経験の多少によってはひとつの物事の見方はガラッと変わることもある、と改めて思った。

大手媒体の報道のように熱しやすく冷めやすい一過性の取り上げ方で終わらせるべきではないこの件は、今後もしばらく引きずると思う。

この一件に関してはこれで終わり。


※28日(土)の追記
上記の謝罪文にある、22日に謝罪しに行ったことを報じる記事も25日じゅうに出ていたが、これで収束とみてよいのだろうか。そういうことにしておくか。

なお、この件に関してはこれでもうホントに終わりで、コメントも受け付けないことにしました。議論したい場合はほかの掲示板等でお願いします。

僕は到底できないし、他人にも勧めることではないが

2012-07-17 21:00:59 | 登山
15日午前に起こったという和歌山県・那智の滝を登攀した事件は、報道を知ったその夕方以降、もちろん気になる。
登った3人組の大西・佐藤・宮城の三氏というのがそれぞれ、今年上半期の山岳専門誌の記事にも頻出の登山業界的著名人というか相当の実力者たちだからなあ(大西・佐藤氏については最近では山と溪谷社の『ROCK&SNOW』55号のインタビューにも詳しい)。逮捕と釈放は当日中に済んだものの彼らの社会的な信用の低下とともに、勤め先や協力者など周辺への影響もそこそこあるはず。
当人たちのウェブサイト・ブログも当然ながら昨日には削除・閉鎖なのかどうかはわからないが閲覧できないようになってしまった(15日はまだ覗くことができた)。フェイスブックは未確認。
ちなみに僕は過去に佐藤氏のみ、登山話をトークイベントで一度聴いたことがあって、人と成りはなんとなくわかる。

僕は基本的には同感のこの記事のとおりに(以前にもちょいちょい触れているが、このブログ主は母校の先輩)、法律云々以前にやはり登りたくても登ってはいけないところがあってよいと思っているし、諸外国でも主に宗教的な理由で登山を規制しているところはあるので、こればかりは仕方ない。もちろん他人にも勧められない。

ただ、(僕も心当たりは多少はあって理解できる“バリエーションルート”にも言及していて登る側の立場も踏まえた)この記事の憶測にもあるように登っているのがばれてしまったから下降せざるを得ない状況となったのかは詳しくはわからないが(一部報道では拡声器で警察に咎められたとか)、3人は実力的にも他者にばれることなく完登して突き抜ける自信もあってこの行為におよんだと察するが、結果のように事件となって世間から白い目で見られて干される? 可能性も見据えたうえで、もしそうなったとしても生きてゆける(批判・非難を受け入れる)強い覚悟を持って挑んだのかなあ、というそもそもの滝に取り付くうえでの心持ちの度合いも気になる。しかしウェブサイト等を覗けなくなったということはその覚悟にブレがあったのかなあ、とも思ってしまう。

専門誌の来月号以降の対応と、三氏の今後の動向を注視したい。登る実力に限ってはホントに日本を代表するくらい高レベルの若手クライマーたちだから、今後の復活ぶりも当然見続けなければ。


※追記
佐藤氏がウエア開発で契約していたゴールドウイン(ザ・ノース・フェイス)は今日午前に契約解除を発表したが、まあ社会通念的にそうなっちゃうよなあ。

高田冨士にも登頂

2012-07-16 23:59:59 | 登山
富士塚の続き。

15日(日)午後、東京都新宿区西早稲田の水稲荷神社の「高田冨士」を登ってきた。
ここは今月15日と16日(月祝)の2日間のみ開放の富士塚で、という情報は得ていたので、ちょうどほかに都内へ出かける用事にくっつけて行ってみた次第。












先月末に行った十条富士と駒込富士との違いは、塚はちゃんと円錐形になって野趣あふれる感じだったこと、(2枚目の写真のように)コンクリート固めではない土道の登山道に急ごしらえの角材を建てて電球の照明を施していること、(4枚目の写真にあるように)参拝者に頂で鐘を鳴らすように仕向けていること、か。
山麓? には(学校の入学式・卒業式でも見かける)紅白の横断幕を張っていて仰々しい雰囲気を出していたのはよくわからないが、まあでも1年に2日間のみの祭事なのでそういうふうに“ハレ”の日の演出をしたい心境はなんとなくわかる。

神社のほうの参道に並んでいた出店は日中の暑さにやられたこともあって? ゆるい雰囲気で地元民は少なかったが、神社の脇の広い場所に盆踊りの用意もあったので夜もそこそこ賑わうと思われる。まあ基本的にここも地元の祭事だからなあ。

筋肉痛で富士塚に連続登頂

2012-07-05 17:30:21 | 登山
先月30日(土)、つまり前回の投稿の武川岳登山の翌日に、東京23区北部の富士塚へ開山の日に合わせて行ってみた。しかも2座連続で(富士塚もふつうの山と同様に勘定は「座」でよいのだろうか?)。
だから、前日の登山の筋肉痛が朝から思いっきり出ていた状態で以下の写真にもある富士塚の登山道(階段)を登るのは、思ったよりも難儀した。その距離は短いがきつかった、冗談抜きで。

行ったのは北区中十条の「十条富士神社」と文京区本駒込の「駒込富士神社」で、どちらも初訪問。

ふたつとも3年前に開山式を観に行った台東区下谷の小野照神社よりも常に開かれていて、開山日限定で開かれるそこよりも普段から参拝者も多いらしい。ただ、十条のほうは大概は開山式が始まるであろう11時を狙って行ったのに何もなかったので、かしこまった開山式みたいなものは行なわれていないのかなあ。それとももっと早い時間だったのかなあ。どうなんだろう、よくわからない。地元の情報に通じていないと、そこに合わせるのは難しい。

まあ、付近の縁日の俗っぽさも含めて、土地柄によっていろいろ異なる点はあるのかもしれない。
それに今年は開山日が週末に重なったので、平日か休日かの差異もあるかも。参拝客も例年よりも多かったのかなあ。十条のほうでは正午前に(ホンモノの富士山の盆の時期あたりの登山道のように)大渋滞だったし。


●十条富士神社












●駒込富士神社












この富士塚の分野は依然、「富士講」の時代とは違って現代では厳密には「富士」か「冨士」かの表記の違いも含めて不勉強のままなので、今後もできるだけ開山日を狙って行ってみたい。
実はこの日は駒込のあとに(事前にもう3座ほど下調べしておいたなかから選んで)もう1座登り、1日3座登頂の“ハットトリック”を狙っていたが、駅の階段昇降でも苦労するくらいの久々の筋肉痛では酷く疲れて断念。行く前日からへばっていてはいけません、体調管理はしっかりと、と良い教訓になった。

ああでも最近、友人から富士塚に関するある計画? の相談も持ちかけられているため、今後も夏に限らず都内各所の富士塚へはちょくちょく出かけることになるかも。

埼玉県内で日帰りだったけど、9か月ぶりの復活登山

2012-06-30 23:30:25 | 登山

梅雨の晴れ間に恵まれすぎて好天だった29日(金)、昨年9月下旬に3人組で行った奥多摩の沢登り以来の登山に行ってきた。だから9か月ぶりか。

なんだかんだでこんなに期間が空いたのは(まだ自発的に山へ赴いてはいなかった)中学時代以来のことで、なぜそうなってしまったのだろう。まあ2月の沖縄県での右足首のケガの治りが遅かったせいもあるが、原因はほかにもいくつかある。

登山に一家言あるひとりとしてはこういうことは由々しき事態なので、二度と起こさないように気を付けたい。
当たり前だが、頭でっかちの机上登山ばかりではなく実際の登山にも行かないとね(そんなことは周りからとやかく言われなくても自分が一番よくわかっている)。

で、行ってきたのは西武秩父線沿線の武川岳(1051.7m)で、4、5年ぶりだったか。



※12年7月5日(木)の追記

武川岳への登山、過去の登山記録を辿ると4、5年どころではなく01年秋以来の約11年ぶりだった。この近隣の伊豆ヶ岳や武甲山や妻坂峠には1、2年おきに行っているため、記憶が曖昧でごっちゃになっていた模様……。
ちなみに前回も今回も単独行。というか基本的に本ブログで登山話を挙げるさいは誰々と一緒に行った、と明記しない限りは四季を問わずすべて単独行動で。

そういえばその前回の登山で、この頂上付近でジバチに狙われて、ここから南の名郷への下山で1時間ほど執拗に追いかけられ、特に頭を狙われ続けた、という苦い記憶が今も鮮明に残っていて、実は最近までちょっとトラウマになっていて避け続けていた山なのだが、今回はそういうことはなくて完全に払拭できた、と思う。いや思いたい。というか今回はその払拭のために出かけた、ということもある。

ちなみに登山は、西武秩父線・正丸駅を13時すぎに発ち、(昨年の冬に伊豆ヶ岳のついでに目指したものの積雪が多すぎて引き返して未到達だった)旧正丸峠と正丸峠を経由してから武川岳を登り(上の写真は17時頃。平日の夕方では誰もいない静かな頂上)、(10年夏の大持沢の沢登りの帰路でも経由した)妻坂峠と(名水の「延命水」を汲める)生川を経て、あとは横瀬駅まで車道を延々と歩く、という7時間弱の行程だった。

なお、午後が中心の行動というのは最近も出版が相次ぐ登山入門的な本やムックでも夕立や雷の発生がどうとか、ということであまり他人に勧められることではないが、空模様を見ながら常に天候悪化の兆しがあれば行程を即変更する心づもりでこれまでも午後からでもよく行っているので、周辺の下山路もほとんど踏破済みでよく知っている慣れた山域の日帰り登山でもそこは怠らない。

まあ今回はリハビリ的な意味合いの登山だったので歩みはもっと鈍くなっても致し方ない、梅雨だから雨もあるだろうし、と覚悟していたが、案外上手い具合に進み、先月末から不調の腰と左膝も大丈夫だった。予想外に動けて自分でも驚いた。街地では普段からよく歩いていて、特に最近は金欠のせいでできるだけ交通費を浮かせるために駅をいくつか飛ばすために1時間くらいはふつうに歩くことが良いリハビリとなって、上手い具合に効いたのだろうか。
でも翌日の筋肉痛が酷かったけど。

ここ数年、山ガールブーム? や、媒体では特に目立つ(エイ)出版社などの出版物の乱発? によって比較的若い登山者や書き手の流入が盛んになってその読者の成長も著しいが、僕は最近は(金欠のせいで)あまり野外へ出かけていないせいでその伸びしろに対応できる知識・経験の“貯金”が目減りしていることによる焦燥感も多少あるので、付いて行けるように今年はもっと大幅に復活したいものだ。(お金では買えない体験である?)一家言あることにまで“借金”が発生してしまうのは由々しき事態なので、ここは気を付けたい。

でもまあ、9か月も空いて鈍っていた勘は今回いくらか取り戻せたので、下半期はただでさえ低調だった昨年以上にいろいろ登りに行けるといいけどなあ。あとはこの“貧困登山者”に依然横たわるのは、経済的な問題なんだよなあ。

『岳人』12年6月号の表紙が凄い

2012-05-15 21:45:01 | 登山
今日発売の『岳人』12年6月号の表紙にはとても驚いた。
登山にあまり興味関心のない人にもかなりの影響はありそうな気がする。売り上げはいつもよりも間違いなく伸びるだろうねー。
こういうのは、これまでは登山業界的にタブー扱いされてきたのかどうかはわからないが、ここ数年の登山媒体の流れを考えてもかなり大胆で革新的なことだと思う。ライバル誌を大きく出し抜いたわね。

ひとまず登山記事もざっと読んでみたが、ちゃんと『岳人』らしくなっているし。
ただ、その記事のなかで誤植っぽいところを2か所見つけてしまったが、そこは黙っておこう(それがなければ完璧な記事なのになー)。

2012年ザック買い替え問題

2012-02-12 23:59:11 | 登山

先日、もう13年近く愛用しているモンベル、というかゼロポイントの40Lのザック(モンベルの商品群の呼称では「バックパック」か)の左肩のほつれが酷くなったので修理に出してみた。雨蓋は昨夏に修理したけれども、今度は本体のほう。
その結果、無料で対応してもらえた、のは助かった。



写真は、上が修理前、下が修理後。

が、そのさいに僕も薄々感じていたことだが生地の劣化がかなり進んでいて、今回のような部位の修理方法も現行のザックはもう以前とは異なり、今回は特別に無料で対応したがその後の使用は保証できないと注意・指摘された。

昨年だか一昨年だかのある雑誌の登山道具特集でザックは5年程度で買い替えを、という記述があり、そんなに短いのはもったいないだろ、と正直思ったが、プロの山岳ガイドなどは使用頻度によってはそのくらいが妥当か、と改めて思った。でもこれはプロに比べたらそんなに連れ出していないから13年も保ったのだろうけど。とはいえ、標高3000m級の夏山縦走や沢登りから近所のフリーマーケットや古本市の出店のさいの荷物運搬まで、登板回数は常に多い。今度の沖縄県行きでも使うし。

それに、これより上の60Lのサイズの18年使っているザックはさらに多くの問題があり、条件の悪い山へ行く場合は生地の薄さも含めてこれ以上ボロい状態で行くのはまずいよなあ、と先月の北海道で観念した。なので、山道具に関する緊急課題はザックだな、ということでこれらの買い替えを今年の大きな目標に掲げる。

最近、各誌で頻出するホーボージュン氏や高橋庄太郎氏など有名アウトドアライターは職業柄、毎年のように買っていていくつも所有しているから、そのひとつくらいは安く譲ってもらえないかなあと思ったりもするが、まあ僕はすでに欲しいモノのこだわりはあるので、今春以降の新製品の発売状況も一応は気にしながら、極私的な選択肢に邁進したい。


ああそういえば今回と関連のあることで、昨年末にザックではないがある衣類の修理を某有名メーカーに依頼したら(世間一般的にはモンベルよりも有名であろうブランドを抱えているところ)、そのジッパーのスライダー交換という素人目に見ても比較的簡単そうで早く済みそうな箇所だったのに依頼後の見積り提示などの連絡が一切なく、思いのほか時間もかかり(3週間くらい)、結果的には無料で済んだけれども全体的には腑に落ちない対応ぶりに落胆した。
それに比べるとモンベルは見積りの連絡も依頼から早ければ1日か2日で来るし、修理も1週間ほどで完了する。モンベルの段違いの対応の早さとともにメーカーごとのアフターケアの差異にびっくり。それは季節や依頼件数の多少にもよるのだろうが、社内の体制の問題もありそうな気がする。
ほかにも修理してほしい(騙し騙し使っている)モノはいくつかあるので、今度、ほかのメーカーのモノもいくつか試してみるかなー。

現在の日本の登山業界を牽引しているひとりで15年ぶりに会った先輩は、良い意味で丸くなっていた

2011-11-19 22:00:45 | 登山

今月はホントに仕事がてんこ盛りで、現在も9日(水)から22日(火)まで14連勤中だったりして、例年の半年分の分量の仕事をここ1か月で慌しくこなしている感じ。でも校正という仕事は頭では慌しくなってはダメで冷静に対処しなきゃならんのだけど。
なので、ブログが疎かな状態に自分でもがっくりきているし、連日ここを訪れてくださっている200人前後? の方々にもなんか申し訳ない気分。でもツイッターは毎日やっていますんで、そちらのほうでまたお楽しみいただけると幸い(最近の仕事絡みのぼやきとか、忙しいと言いながら新調したテレビにすっかりはまっているとか、自転車で負傷した話とか、ネタはいろいろ)。
ホントは書きたいことは今月に起こったことでも2、3あるし、過去の仮投稿も早く完結させたいのだが、今はどうにもならんからまた追々。
言い訳は以上にして、でもひとつだけ特筆したいことを。


そんななか13日(日)の午前、出勤時間を無理矢理に遅らせて東京都・吉祥寺のICI石井スポーツ吉祥寺店の店内を借りてMarmot(マーモット)が催した、UIAGM国際山岳ガイドの平岡竜石(ひらおか・りゅうせき)さんのヒマラヤ登山報告会を聴きに行った。今秋のいくつか山・旅関連の催しで最も楽しみにしていたやつ。今年、ガイド役でエヴェレストとマナスルと8000m峰2座にお客さんを登頂させているからなー。

で、以前も少し触れたが改めて詳しく触れると、平岡さんは厳密には僕が学生時代に属していた「立正大学II部ワンダーフォーゲル部」の7学年上の先輩。だから現役時は直接の絡みはなくてこれまでにも2回しかお会いしたことがなかったのだが、平岡さんと僕に共通する先輩や同期のOB、それに平岡さんにとっての後輩で僕の先輩にあたる方々からは噂話をしょっちゅう聞いていた。ここには書けないことも含めていろいろ。でもやはり総合すると、学生時代から部員のなかでも特に“山ばか”みたいな感じだったそうで。まあ大学以前から登山はやっているそうだし。

それで、平岡さんが現役時はワンゲルとともに山岳部にも属して掛け持ちのようなカタチで活動していたそうで、まあ登山のレベルは他大学と同様に正直、“水平”のワンゲルよりも“垂直”の山岳部のほうが高いから、南米やヒマラヤなどのより高くより困難なほうの山へ、という上昇志向の表れで次第に山岳部の活動に移ったのだろうね。このへんの流れについて、いつか改めて詳しく訊きたいのだけど。
ちなみに「立正大学山岳部」というと、1990年代にシシャパンマとエヴェレストへの登山も実施しているし(大学山岳部が単独で8000m峰へ登山隊を出すのはこの頃はまだ珍しいほうだった)、それに学年的に平岡さんの少し下には現在、日本人初の8000m峰14座全山登頂を目指していて、今秋には13座目のチョーオユーに登頂して(直近では、先週の『週刊ヤングジャンプ』の真ん中あたりにそのカラー報告記事があった)、登山業界においてのここ数年の時の人である竹内洋岳(たけうち・ひろたか)さんがいて、昨年に本ブログで触れた『初代 竹内洋岳に聞く』(塩野米松、丸善)にも書いてあるが、1991年のシシャパンマの登山にともに参加していた、というつながりも当然ある。

平岡さんの大学時代以降の流れは、社会人山岳会というよりもより先鋭的な登山をやりたい同人組織のひとつ「山岳同人チーム84」に加わって登山を続けて、のちにツアーというよりは高所のガイド登山を数多く催行する「アドベンチャーガイズ」の活動に参加し(例年、エヴェレストにも公募隊を出していて、今春は登頂までの行程をWOWOWの密着取材が付いた影響で平岡さんにとっての古巣の、同じく高所に強い国際山岳ガイドの近藤謙司氏が率いるこの登山隊は話題になったわね。僕と同世代で登山歴5年の女性が登頂したとか)、09年からはそこを離れてフリーで活動するようになり、国内の山岳ガイドでも数少ない高所登山主体を活動を続けている。特に南米の山に強い、という実績も日本人ガイドのなかでは珍しい。
このへんの現在の活躍に至るまでの山一辺倒の経緯は、雑誌『PEAKS』で僕も好きな人物連載「Because it is there... なぜなら、そこに山があるから」でも早めに取り上げるべきだよなー。毎年、春から秋にかけては登山ばかりで外国へ行ってばかりなので、日本にいる冬場にこそぜひ。

ああそれで本題に戻るが、今回の報告会では今年行ったエヴェレスト(ネパール。だから=サガルマータ)、マナスル(ネパール)、ルンサール・カンリ(インド)の3峰について高い山から順に紹介していったが、それは「世界最高峰を登るためには」というテーマで進めて(ガイド登山なのでできるだけ安全に配慮して酸素にもシェルパにも頼る一般的? な極地法で)、まずエヴェレストがどんなところかを見せて、次にその前にそれよりも登りやすい8000m峰を一度は経験しておいたほうがよいという体でマナスルを挙げて(実際、マナスルの公募隊はゆくゆくのエヴェレストを狙うお客さんがよく参加しているそうで。近年の傾向を見ると、中国とチベットのごたごたとともに、カトマンズからヘリコプターでベースキャンプ手前までアプローチできる容易さもあり、他国の公募隊もネパールから中国へ回り道して行かねばならんチョーオユーよりもマナスルのほうが行きやすくて流行る、と思う)、さらにその前に富士山よりも標高の高い山を経験しておいたほうがよいという体でルンサール・カンリを挙げて、と、最終的な目標へ向けての逆算の流れで紹介していた。

なお、ルンサール・カンリのところの位置付けの山は例年は平岡さんの得意な南米の6000m峰へ行くことが多いが、インドでの登山が未経験で行きたかったから今年初めて行ってみたそうで。特にラダックは地域的にもネパールやパキスタンに比べても外国人に開放されたばかりであまり人が入っていなくて、ゆえに許可が下りれば自分たちの登山を楽しみやすいとのこと。
まあ、エヴェレストが最終目標ではない人もいてもよいと思うが(僕のように単純に外国の山へ行きたい、とか)、それぞれの顧客の登山するうえでの動機付けや目標への意識の差異についてもうちょい聴きたかった気はする。

ちなみに、平岡さんのブログで吉祥寺の模様を軽く報告しているが、その写真の真ん中の下の座席の、白色の上着を着ているのが僕。まあそんなことはどうでもよいか。
ただ、日曜日といっても午前中だったのと、あとは(近年、平岡さんと装備面で懇意の)Marmotによる広報がやや弱いこともあってか、事前申し込みは不要の出席者は13名か14名ほどと小規模だった。時間帯が早すぎたこともあったのだろうけど、これは現在の日本人の登山の流れを掴むうえでも全国的にもっと注目されるべき、山岳系媒体の関係者もちゃんと聴きに来るべきレベルの話だからもったいないよなあとしきりに思った。でもまあ、(前回の投稿の)前週に行ったくりっきーの催しとは対照的にこぢんまりとした空間もまた良かったけど。

これは来週に、平岡さんのブログで告知されている23日(水祝)午後のICI石井スポーツ神戸三宮店24日(木)夜のIBS石井スポーツ福岡店でも催される報告会も同様の流れになると思うが、どうだろうね。どちらも13日のよりは日時の条件はさらに良いので、富士山以上の標高(つまり外国)の山を視野に入れている人には(先輩だからというひいき目を取っ払っても)ホントにおすすめなので、行けるようであればぜひ。

結局は1時間の予定よりも15分押しで終わった報告会の終了後、聴衆との挨拶や(なかには来春に別の日本人ガイドとともにエヴェレストへ行く予定の人もいた)、平岡さんの登山の風景の一部を切り取った絵ハガキと、基本的にアメリカの山関係の絵柄のMarmotのトランプという土産品の配布がひとしきり済んだあと、手短にだが平岡さんと挨拶できた。
実は、実際に会うのはここ数年なんだかんだでタイミングが合わなくて結局、共通の先輩の結婚式以来15年ぶりだったので、実際には面識があるとは言い難い僕をまったく憶えていないのはまあ仕方ない。でも共通の先輩後輩の名前を出すとなんとなくはわかっていただけたかなあ。また別の機会を狙って伺いたい。なんなら、八ヶ岳山麓の御宅へ押しかけて個人的により突っ込んだ話を聴きたいくらい。
帰り際、自分の記念用というよりも、みんな忙しくてなかなか会う機会のない大学のOBたちに僕はたまに会うときに軽く報告する用のツーショット写真を撮らせてもらうのを忘れたのを悔やむ。また今度。

平岡さんが人前で話す様子を今回初めて観ると、近年はガイド業で多くのお客さん、特に(お金と時間のかかる高所登山が主体ゆえにその余裕がある)目上の顧客と接する機会が多いはずで、山の技術的なこと以前に言わば接客業の要素も多分にある仕事だと思うので、その影響で人柄は以前よりも随分丸くなっていたように見受けられた。
学生時代に先輩などからは、平岡さんは先に触れた上昇志向のためかかなり尖っていて? 先輩後輩の上下関係は他大学よりも比較的緩いように思うウチの部の気風のなかでも特に厳しいほうのひとだと聞いていて、大柄なこともあってちょっと怖い印象をこの15年ずっと抱いていたのだが(その15年前の酒席でもワンゲルの運営や登山への意欲について、酔いどれ状態だったにもかかわらず軽く説教を受けたこともあったし)、今回で印象はガラリと一変し、丸くなったといっても良い意味で丸くなったかな。
ちなみに、平岡さんも僕もまだ20代だったその15年前というと1996年だが、この年は僕が大学3年でワンゲルの部長を務めた年なので、余計にそういう細かいことまで鮮明に憶えているのよね。だから今回、(僕のことは忘却の彼方のわけわからんヤツに見えただろうけど)久々に再会して記憶を更新できて良かった。15年前の記憶では古すぎるもんなー。

ここ数年のほかの山岳ガイドに比べると、平岡さんもかなり凄いことをやっているのに各種媒体への露出が比較的少ないのはいち後輩として少々もどかしく思うこともあるが(どれだけ凄いのかが一般的に伝わり難い業界だからなー)、まあ殊更に一般的に有名になればよいというものでもなくて自分の守備範囲の顧客との実際の触れ合いによる地に足の着いた信用第一の仕事であることはなんとなくわかるので、今後も変わらぬペースでやっていくであろうその動向をしっかり注視し続けたい。

(もう廃部してしまったけど)ウチのワンゲルの直系の先輩で、その歴史的には登山に公私ともにどっぷり浸かっていた代表的なひとというと以前も触れた、(ここ四半世紀のヒマラヤ登山に精通している人でなければわかりにくい? 知る人ぞ知る?)03年に亡くなった野沢井歩(のざわい・あゆみ)さんがいるが、平岡さんのブログの右側に今後のガイド予定の山がいくつか挙がっているなかに野沢井さんが雪崩で亡くなったヒムルン・ヒマールを来秋に組み込んでいるのはその縁なのか、と勝手に思ってしまう。平岡さん、今や野沢井さん以上に、だからウチの部のOBのなかでは最も登山中心の生き方になっていて、しかも円熟味も年々増しているよなあ。

というわけで、近年の大学の山岳部・ワンゲルのような山系の団体というと部員の減少傾向の問題はどこも抱えながらも東では明治・早稲田・日本・法政・東海あたり、西では京都・同志社・関西あたり、の実績が目立つほうだが、それらよりも小規模なウチの大学の先輩も別団体だった竹内さんも含めて、結構やるのですよ。と、彼らほどに公私ともにどっぷりではないけれども同門? としてはワンゲルOBのなかでも比較的多く登山の事象に趣味的に依然かかわり続けているいち後輩の立場から、改めて触れてみた。

現在の日本の高所登山の分野で大学の先輩がふたりも先頭あたりを突っ走っているのはとても嬉しいことで、ここ数年、他人事ながらすんごい誇らしい気分。今後もそれぞれの方向性でホンモノの良い登山を継続できるよう、陰ながら応援しております。

あの有名人とついに初対面

2011-11-05 23:59:45 | 登山

まだ前のネタが済んでいないのにとりあえず次に進んでしまうが、今日、上の写真のに行ってきた。くりっきーに会いに。
これ、100名の定員に応募倍率が3倍らしく、当選したのは幸運であった。
でも実際には1名1回の応募で、この券を持参しての入場も1名ずつだったのに、カップルで来ていた人も多かったなあ。なんでだろう。

くりっきーの催しは、ここ3年くらいの宿願? みたいな。何が宿願かというと、年間70本くらいらしい講演活動のなかで有料の催しは多々あるが、無料のはなかなか見当たらなかったから。ここにきてようやくタイミングが合った。というかホントは仕事があったのを放り投げて無理矢理行った感じ。無料で、というのがミソ。
ちなみにこれは、欧州の老舗登山関連メーカーのMILLET(ミレー)が主催のやつで、半ば販促的な催しだったけど。

で、実際に生で話を聴くと、細かい点ではいくつか疑問符は付いたが(最近よく出している「共有」という言葉の使い方とか)、でも全体的には賛否はひとまず置いておいてひとつの催しとして聴くぶんには案外面白かった。気さくな兄ちゃんで、でもかなり喋り慣れているなあ。

中身は細々と書きたいようにも思うが、ちょいと忙しいのでカット。まあ簡単には、生い立ち→今年のシシャパンマとエヴェレスト→ミレーとのウェアの共同開発話と宣伝、という流れだった。
普段の講演では山のことはあまり話していないらしく、今回のは山の話が中心だった。中継の技術的なことや、もちろん先月のカラス事件? の話もあり、これらはまだ各種媒体では出していない秘匿にすべきこともいくらかあったのかね。
それに、エヴェレスト以降にやりたいことも結構熱っぽく話していて、思ったよりも盛りだくさんの2時間だった。

それで終了後はサイン会というか少々の立ち話をできる機会もあり、ミーハーな一般人のひとりとしては、ミレーの最新モデルのカタログにサインをもらったり、次にツーショット写真を撮ったり、終いには握手もしたりとそつなくこなして、ようやく安堵。
やはりなんだかんだ言っても、一度は直接会っておかないとね。
これでまあ、本人の人柄はわかった。でも、周りの取り巻き? や、彼を巡ってうごめいている思惑? はまだまだ掴み難いなあ、一般人としては。

今後もそういう機会は訪れるのか。また機会があれば、3000円とか4000円とか払って行くのはどうかと思うので、できるだけ安く会いに行ってみたい。

欲しい山道具をある程度絞っていれば、もしくはメーカー不問ならば得かもしれないサービス(追記あり)

2011-10-10 22:45:45 | 登山
なんのことかというと、昨夜のテレビ『情熱大陸』に登場した、それによってちょいと時の人になった? 山田淳氏が昨年に起こしたベンチャー企業「フィールド&マウンテン」のサービスのことで、もちろん気にはなる。「日本の人口の7割を登山人口に」のような革命的? な言い回しも含めて。

その放送直前にご本人が、現在展開している事業を(最近は仕事が多忙でほったらかし状態だった)ブログに改めてまとめていたので、そちらのリンクから飛ぶとよいかも。

そのなかでも僕が特に興味関心あるのが、今年の夏前から始めた「山道具本舗」で、最初はオンライン販売している道具を購入はするけれども、実際に野外で使ってみて合わなければ、1か月以内であれば返品可で購入代金も返金される、という仕組み。
ここまでなら他社でもありそうだが、この返品されてきた使用感のあるモノをあとで「やまどうぐレンタル屋」のレンタル品として再使用して、そうやって流用することによってまたレンタルのほうで新たに利益を見込める、という、ふたつの仕組みを連携させながら販売の先のことまでよく考えているよなー。
あと、この中古品を(当然ながら)格安で販売する機会もあるようだが、学生や僕くらい貧しい者にとってはそちらも興味ある。でもそこはまだ大々的に展開していないのかしら。今後に期待。

ただ、この仕組みについてはまだ多少の不備も(ベンチャー企業だけに)あるようにも思うが(例えば、返品の期限を「1か月」としているがこれは30日間か31日間か、それに2月だと28日間か29日間になるので、月によって期間の長短の差があるのは不均等よね)、でも発想だけならこれまでにもありそうだったがそれを実際に事業として運営し始めた実行力はさすがですなあ。やはり革命児だなあ。

山道具本舗は今度、登山靴の購入を軽く検討しているので、試してみようかと考えている。興味のあるベンチャー企業へのご祝儀、というわけでもないが、ホントに特にキャラバンとミズノの靴は試してみたいし。
今後、営業というか交渉次第ではほかのメーカーの参入もあるかもしれないので、いち消費者としてはそれも軽く期待しておく。



※13日(木)の追記
本文を丸々書き直そうかと思ったが、別個に挙げたほうがよいと思ったので以下に本文に関する追記をいくつか。

※山田氏、番組放送前にこの出演のきっかけは地平線会議だと触れていて、実際に番組制作に携わったのは以前からチェルノブイリ取材などで知られるジャーナリストの高世仁氏の「ジン・ネット」という制作会社が担当していた。高世氏のブログでもこの回に関するきっかけや取材の様子について触れている。
ちなみに高世氏、今年は地平線会議の毎月の報告会でも震災に関する話がどうしても多くなったなかで、原発絡みの事象に詳しい者として1回登壇しているし、今月の報告会でも再度登壇する予定。

※時の人、については、例えば放送前に軽く確認しておいた山田氏のツイッターのフォロワー数が放送後にどんどん増えて、放送から3日経った昨夜には放送前から1000人以上増えていたりする。芸能人やアスリート以外ではこの増え方は凄いね。それに本人の放送後のツイートにもあるが、そのあとに会社の近辺などで声を掛けられる回数が増えてもいるようで、やはりテレビの影響力は絶大だなあ。

※不備、とはちょっと違うかもしれないが、(僕も気になっていた)番組の後半でレンタル品の配送トラブル発生のくだりもあったが、その後の話もブログに出している。まあ客商売なんだから当然の対応だが、会社が今後どんどん大きくなっていっても、こういう初心の姿勢を末永く貫けるといいね。

※なお、特に僕も好きな番組に挙げている『情熱大陸』、10年前から登山関係の人物に関してはほとんどきっちり録画していて、石川直樹、山野井泰史(×2回)、高桑信一、小山田大、小林由佳、木村大作、服部文祥、の回の映像も所有している。今回の山田氏ので8人目か。地平線会議関係では3人目って感じかね。これらはいつでもすぐに観直せるようにしている(小山田大以前はVHSだが、近々すべてDVDにコピーし直すつもり)、という、最後にちょっとした自慢。
これらを改めて観たいという方は、個別にメールで問い合わせをいただければー。

束の間の平日の秋の焚き火と沢泊

2011-09-30 23:59:59 | 登山

26日(月)から27日(火)にかけて、東京都西部は奥多摩のある沢へ行った。これは単独ではなく、昨冬に雲取山→愛宕山を登ったときのおバカ? で、一般的ではないやや特殊な仕事ゆえにふつうに平日に休みを取れてしまう3人で。

今回の催しは昨年末あたりに提案があり、ホントは夏に行くつもりだったがなんだかんだで休みが合わずに遅れて、結局は僕の最近の仕事の都合と休みの取り方が優先でこの日になった。
目的は、ちょこっと沢登りはするものの、夜に焚き火を囲んで酒を呑んで日々のあれこれや人生について語らう、という、まあ沢のなかで単に一夜をすごすだけのことで、ただただ普段の生活から離れて非日常の時間空間を愉しむことを目指した。まあ殊更に目指した、というほどでもないけど。

結果、僕も最近は仕事優先で山へ行く機会がなく、野外関連の媒体を眺めたり、他人のツイッターやブログでどこそこへ行ったなんていうのを頻繁に見かけると、ああうらやましいなあ、と溜め息ばかりでややストレスが増幅してもいた状況なので、それだけでも弛緩できて楽しかった。

上の写真はその泊地の早朝の様子で、ここはメンバーの1人が以前から好んで通っているために土地勘があり、JR青梅線の駅から徒歩で行ける感じのところ。僕は初めて行ったが、奥多摩の沢は10年ほど前からよく行っているのでまんべんなくそこそこ詳しいつもりだったが、こんなところもあるのかー、と目からウロコの景観が拡がっていた。またの機会に、純粋に沢登り目的で再訪しようかな。
ちなみに天気は、26日は曇りで夕方からやや雨もパラついたので、テントは持参しなかったのでツェルト(黄色のやつ。アライテントのスーパーライトツェルト1~2人用)を2枚連結してタープ代わりにして寝たが、夜半から晴れてきたのは幸いだった。翌27日は快晴でかなり暖かかったし。そろそろ寝るときも、何もなしのゴロ寝やシュラフカバー単体では寒くなってきたので、再び寝袋をフル活用する季節になってきたか。今年は標高3000m以上の山の降雪は例年よりもやや早いらしいので、平地も少しは早くなるのかしら。

沢で寝泊まりしたのは数年ぶりだったが、久々に体験して今後の沢泊のために大きめのタープが欲しくなった。「サバイバル登山」の服部文祥氏のように、アライテントに特注のタープを作ってもらいたいなあ。というか、そんな有名人ではなく僕らのような一般人にも特注対応してくれるのかなあ。

そういえば焚き火も、ここ数年の毎年末の年越し野宿以外では久々にやったかなあ。27日の帰路で身に着けているものの大半が焚き火に燻された「匂い」だったのも久々の感覚(人によっては悪い意味での「臭い」だったかもしれないけど)。
そこで久々に焚き火をやっていて思ったことだが、近年、焚き火が全国的に規制される、文字通り煙たがられるような風潮があることは当然知っているが、3月の震災以降、そういった不測の事態が起こったときにも、このように電気に頼らずとも暖を取れて煮炊きもできる(僕はボーイスカウト活動などの影響で小学生のころからやっている)この技術は被災地でも随分役に立ったはず。特に生死にかかわる寒さが続いた3月中は。まあ報道の映像を観ると、瓦礫の一部からかまどを作ったり一斗缶を使ったりして、燃やす薪は同じく瓦礫から取っていたのが大半だけど。

あれから半年以上経って、避難所暮らしや野宿に近い生活からは脱して生死にかかわる緊急的な支援の時期はすぎて、そろそろどの地域でも焚き火というか直火に頼らざるを得ない状況は改善されたようだが、でもやはり何か起こったときにこういう技術は必要だと思うし、それを痛感した人も例年以上に全国的に多いはずなので、公的にも私的にも焚き火を煙たく思っている人はその考えを改めてほしいよなあ。特に野山へよく赴く人は。
また、最近の焚き火に関することで興味深かったのは、『岳人』の新谷暁生氏の連載「北の山河抄」で毎年の北海道・知床岬周辺のカヤックツアーでの焚き火を活用する実情について書いていたことか。全国的にもっと認められるといいね。

ついでに挙げると、メンバー3人とも平日に休みが取れる、と触れたが(その理由は昨冬の雲取山の投稿も要参照)、今年はその震災以降では3人ともに被災地へ数日間だが手伝いに行っていて、ひとりが石巻市、もうひとりが南三陸町や女川町、それと僕が亘理町、といずれも宮城県内だが4~7月頃の被災地の状況をわずかながら視てきているので、実際の先の一夜では取り留めのないバカ話ばかりでそういう込み入った話は具体的には出なかったが(まあ普段から原発や放射能の問題も含めて情報交換はしているし)、その経験もいくらか影響して今回は焚き火を積極的に愉しむ、というかその直火の力を再確認したかったためにこの流れになったのかもしれない。

というわけで、日常から軽く離れてちょこっとストレス発散になり、最近離れ気味の野外での生活技術の再確認もでき、実は27日の帰路で多少の道迷いも体験して、と僕としてもこぢんまりとしたゆるい催しながらもいろいろと有意義だった。

ちなみにこの集まりは“オフ会”と称して昨年から活動していて、それは一般的ないわゆる「オフライン」の意味もあるが、偶然にだが3人の名字のイニシャルがOとFとFのため(Fのひとりが僕)、その表記は厳密には“OFF会”となる。ああついでに触れると、いつでも“やる気スイッチ”が入らなくて本業では低調、というふがいない意味も多少含んでいる。
今後も毎年欠かさずではないかもしれないが同様のゆるさで不定期で継続してゆくことになるらしく、僕としても自分に正直に不安を抱えながらも行きたい単独登山よりはかなり弛緩したお気楽な雰囲気にはなるが、こういう仲間内の遊びもまた面白いので、ゆるゆる続けていこうと思っている。

ああもちろん、仲間内以外にも野遊びも誰とでも好むので、嗜好と日程が合えば今後もじゃんじゃん行きたい気持ちはある。もっとその時間とお金を作らねば。

ある登山中の行動食

2011-08-31 23:59:59 | 登山

前々回の投稿のように小ネタを出しすぎてネタ切れ気味なので、まだ先の沢登り関連で引っ張る。
そのときに携行していた行動食のことで、今年のどこかの山岳雑誌の企画でもこのような行動食を見せるのをやっていたが、それをパクってみる。

そのときは上の写真のとおりになんとなく事前に撮っていたのだが、ここ数年の日帰り登山に行く場合の平均的な組み合わせ。
でも最近は山へ行く機会が少ないので、もっと手抜きして菓子パンと惣菜パンが数個だけ、というときもよくあって、ほかにも種類を増やしたこれはやや豪華なほうかも。

ただ、これが1泊以上の泊まりがけの登山になると内容はまた変わってきて、最近の流行りではジップロックよりはナルゲンのようなポリカーボネートのボトルに収納する人が多くなりつつある? いわゆる“トレイルミックス”的なもので乾き物はピーナツのほかに、ポテコ、柿の種、アーモンドなども混ぜたり(このへんは夜の酒のつまみにも兼用できるやつ)、ほかにも小さな羊羹、大福、魚肉ソーセージ、角型チーズ、クッキー、かりんとう、冬場であればチョコレートも加えたり(夏場は溶けやすいのでほぼ避けている)、さらに飴類を多く加えたり(学生時代はカンロ飴ばかりだったが、近年は道中で風邪・乾燥などによってのどを痛めたときのためにスースーするのど飴を入れることが多い)、と味は飽きないように種類を増やしている。

あと、良い子は真似しないほうがよいかもだが、たまにマヨネーズを携行して直飲みする人もいるが(極度の“マヨラー”ではないが僕も数回やったことがある。でもマヨネーズの高カロリーのおかげで? 遭難から生還した話もたまに聞くしなあ)、似たようなもので僕の大好物としてもう少し経済的に余裕があるときは、キユーピー「パン工房」シリーズの「ツナ&マヨ味」が前々から好きなのでこれを携行して同様に直飲みしたりもする。食パンかロールパンでもあればジャムやバターのように塗って食べてもよいのだけど。ただ150gと少ないわりに220円前後と高いので、特売のときに狙って買っておかないとなあ。ちなみについでに豆知識だが、キユーピーの社名の「ユ」は小文字の「ュ」ではなく大文字の「ユ」。

また学生時代から、冬場限定でコンデンスミルクを同様に直飲みもしていた。気温が高くて雪が残っている春山では、きれいな雪にそれを垂らしてかき氷を堪能できたりもするし。

種類を多く、というと、写真にもあるがおにぎりと菓子パンを同時に持つこともここ数年よくやるが(でも冬場の氷点下の雪山ではおにぎりをしばらく持つと凍って悲惨なので、初日の早い段階で食べるか、あらかじめ選択肢から除外する)、これは行動中の体調や気分や場の雰囲気によって食べたいものが変わることを考慮してどちらかを選択できるように、ということで両方持っている。
どちらか余れば持ち帰っても帰路途中に食べてもよいし、なんなら両方いっぺんに食べてもよいし。僕は普段から食事でご飯とパンを交互に食べても平気な人なので、それでも問題なし。

ちなみに先の沢登り後に写真のもので登山中はおにぎり以外はすべて食べきっていて、余ったのはおにぎりと、入山前に買い足しておいたもう1個の菓子パン、の2個だけだった。

ホントは火器をあえて持たない日帰り登山でも、不測の事態によって当日中に帰れなくなったときの備えとして非常食用にもう少し多めに持つべきだが、今回は少なかったか。まあ持ちすぎると荷物が増えるし、経済的な問題もあるし。

基本的には、酷く疲れたときでも食べられるくらいに自分の大好物にすれば間違いないが、嵩張らないようにできるだけ小さくてもカロリーが高いものや小分けにできて収納しやすいものを選択する姿勢は昔から変わらない(ポテトチップスも好きだが、袋が大きくて携行し難いので避けていて、でもどうしても食べたいときには写真のように比較的小型のブルボン「プチ」シリーズのを用意する)。甘味と塩分という味のバランスとともにカロリーと重量のほうのバランスの取り方の試行錯誤は今でも続いていて永遠の課題やね。自分にとって外せない定番モノもあるが、新発売の菓子とかでちょっと変わり種を試したい気分のときもあるから。

そういえば、写真のは600円以内の出費で済んだが、最近は行動食のために2000円や3000円かそれ以上出費して大量に揃える必要があって準備ももっと入念に行なうくらい期間の長い登山にホントに出かけていないよなあ。そういう登山も、年内はちと厳しいがまた来年以降に機会を作って行きたいなあ。


※2011年9月下旬の追記

本文中の「ツナ&マヨ味」、先日、約2年ぶりに買ってみた。大好物なのにそんなに間が空くとは。



そうしたら、蓋の形状が変わったのね。知らんかった。
この改善は開け閉めしやすくなったのと、あとは蓋の上面の面積がやや広がったために逆さまにして立てるときにより安定する、という狙いもあるのかしら。
今後もびしばし買って、チューチュー食べよう(飲もう)。

ようやく月夜見沢ヒイラギ沢に行ってみたが、良くも悪くも盛りだくさんの内容だった

2011-08-13 08:30:35 | 登山
8日(月)、約1年ぶりの沢登りとして東京都は北秋川の月夜見沢ヒイラギ沢へ行ってきた。
ここ、13年前に沢登りを始めた当初から行こう行こうとずっと思い続けていたがなぜか機会がなく、今回ようやく実現した。

なぜ平日に行ったかについて先に触れておくと、先月末から6日(土)まで連続で働きづめで、やっとこの日が空いて天気予報も上々と行く条件が揃ったから。当初は7日(日)も空いてそこで行くつもりだったが、この日の午後に雷雨があるのが天気予報で容易に予想できたので回避して(実際に東京都・埼玉県あたりはゲリラ豪雨の範囲が広かったようで)、結局は8日に遅らせたカタチ。

写真20枚主体で軽く報告。


十数年前からJR武蔵五日市駅から西方の都民の森や南秋川、上養沢へ路線バスで行く、というのはよくやるが、藤倉方面へ行くのは今回が初めてだった。のどかな藤倉バス停(終点)。朝から好天で暑い。夏空。


バス停から13分歩いただけで入渓点に到着。藤倉周辺で「檜原村デマンドバス」という100円バスの路線が設定されているのは初めて知った。まあ実際はワゴン車の大きさで数人乗りで、地元住民向けの路線のようで。


11時に出発し、出だしで初めてデジカメ水中撮影を試みる。本ブログで今年からデジカメは完全防水のカシオ・エクシリムGを使っていることはすで触れたが、これは今夏以降の主に沢登りや海遊びのために買い替えたようなもので、たしかにこれだと濡れや落下の衝撃をあまり気にしなくてよいからストレスを感じることなく撮りやすい(結局この日、200枚以上撮ったか)。今後も活躍の場を拡げたい。でも沢では流水なので写りはあまりよろしくないけど。


2~5mの滝がたまに現れる。でも大きく高巻いたりするほどではなくほぼ直登できる程度で、全行程で登攀具も出さずに済んだ。どこも水量は昨夕の雨の影響か思ったよりも多かったので、ここは特に水流の音が大きかった。


自然の恵みもちらほら。でも茸類は相変わらず不勉強なので避けておいた。


月夜見沢は基本的には河原歩きみたいな穏かなところが多い。そのぶん標高がこのへんでもまだ500m台であまり上がらないけど。


たまに足が着くかどうかの深さの淵もいくつかあり、避暑のためには泳いだり浸かったりして涼みながら遊べる。だから、このようなやらせ(セルフタイマー)写真を撮るのに勤しんだりも。このあとの後半の苦行? をまだ知る由もない呑気な前半。


道中で蛙も十数匹見かけたが、前半で出会ったこいつは捕まえても反応が鈍くてあまり動かず、岩の上に置き直してもまったく逃げようともしなかった。なので、せっかくなのでアップの写真を、しかも下から舐める感じで撮ってみた。蛙の首を凝視するのは珍しいか。


平成2年度に造ったらしい堰堤を2か所越えたりもする。右側から巻く。ということは人が入った形跡があるということで、この近辺から森林の伐採跡も見られるように。


滝の水量はここが最も多かったか。ここは流木の左側へ回り込んで左手で岩を突っ張り、右手は流木を掴んで登れば案外簡単に越えられる。


このくらいの浅さの水流やゴーロ歩きも多く、意外に疲れる。
そういえば今回から、昨秋の少しお金があったときに買っておいたキャラバンの渓流シューズ(“沢ヤ”さんたちは沢靴と呼ぶか)を新たに導入した。たぶん2、3年前の型落ちで商品名は現在は廃盤の「柳又アクア」。しかも靴底はフェルトではなく数年前から出回っているラバーソール「アクアステルスソール」を採用したモノ。
今年のカタログでは上級者向きと謳うこのソールの経験者の意見を探すと、岩場の多い沢や遡行終了後のちょっとした登山道歩きには効果大だが、苔やヌメリ・水アカでは弱くて滑りやすいらしく、たしかに滑りまくり、これまでフェルトだったら問題ない足の置き方でもたまに滑った。長らくフェルトの渓流足袋に慣れた身には履きこなすのにしばらく時間がかかる。
奥多摩の沢はだいたい苔が多い印象があるのであまり向かないかも。東京近郊では比較的岩場の多い丹沢のほうが向いているかも。今後は行く沢によってフェルトとラバーを使い分けて行くか。


月夜見沢の本流とヒイラギ沢の二俣の手前で林道・登山道に出るので(堰堤を造れたのはそのためか)、何か問題があれば途中でここから逃げられるし、藤倉バス停から登山道を登って月夜見沢を省略してここまで来てからこの先のヒイラギ沢のみ辿ることもできる。写真を撮りまくったりしてここまでで約3時間かかった。思ったよりも距離が長い沢なのね。


ヒイラギ沢からはやや狭くなって傾斜のある滝も増える。この滝は直登が厳しかったので右側から巻いた。巻き道の踏み跡はどこもしっかり付いていて、ほかの沢ノボラーが入渓している様子もなんとなくわかる。ただ、前日の雨のためか急斜面で土の不安定なところは緩んで崩れやすくて怖かった。


ヒイラギ沢は倒木が多く、滝が完全に埋まっていやらしい状態のところも。しかも表面は苔なので上に乗ると滑りまくる。乗り越えるのがめんどくさいし時間が余計にかかって閉口する。


いろいろ越えて登って標高850m超だったか、の沢の水流が消える源頭あたり。16時頃から雲行きが怪しくなって雷鳴が聞こえてきたが、ここまで来ると増水に遭う心配はなくなったのは幸い。しかしここからの、時間にすると20分弱の登山道へのツメの状況が予想以上に厳しかった。と言うよりもやばかった。その理由は最後の写真で。


なんとか登山道に出て、西へ数分登ると小河内峠(標高1050m)に出る。16時30分着。毎秋の“ハセツネ”のコース上でもあるここに来るのは3回目か。疲労困憊。
しかもここでもうひとつ参ったのは、なぜか着いたそばから蜂に頭と足(特に黒色のサポートタイツを穿いたふくらはぎ)をよく狙われて、2、3か所刺されそうになった(たぶんクロスズメバチか)。さらに下山時にも執拗に追いかけられて1時間ほどつきまとわれた。近くに巣があったとか何か神経を逆撫でするようなことはしていないと思うが、なんでだろう。
だから、じっと止まっていると刺されるので峠でもろくに水分・行動食摂取や着替えや登山靴への履き替えもできず、渓流シューズのまま逃げるように下山して、その新装備が土道でも案外歩きやすいことを不本意ながらも実証できたのは皮肉。でもまあ動きが鈍くなるツメの最中に狙われなくてよかった。


当初は時間に余裕があれば北側の奥多摩湖方面へ縦走しようと思ったが、蜂と小雨のせいで行く気が失せて、時間も奥多摩湖近辺の路線バスに間に合うかどうか微妙になってきたので、スタート地点の藤倉へ戻るように下山した。1時間ほどで集落に出ると、収穫物運搬用のレールがほぼ道沿いに続く。


予想していた、そろそろ夏の午後らしい? 雷鳴が近付いてきた標高1000m超の山の稜線を見上げると雲に覆われつつあり、写真左側にあるはずの御前山(1405m)は完全に隠れていた。


藤倉バス停に戻ってきたのは18時40分すぎ。あと少しのところで武蔵五日市駅行きのバスを逃がす。でも平日でも最終は19時台のがもう1本あって、藤倉は思ったよりも往復しやすいことが今回わかった。近いうちに再訪したい。ちなみにこのあと、約3.5km先の小岩バス停まで歩くとバス代が100円節約できるので、雷雨が本格的になってきても次のバスが来るまでの1時間弱で100円のためだけに歩いた(せこい)。
ここらへんの車道は風張峠を経て奥多摩湖へ抜けられる数馬方面の檜原街道と比べると、藤倉よりも少し西方で行き止まりになるためか夜は交通量はえらい少なかった。


最後に5つ前の写真に戻って正直に触れておく。
水流が消えたそこから斜度45度前後の沢の源頭部のツメで、いくつか登れるルートは見出せてあえて最短距離で行けて手がかりの多い岩のあるルートを選択したのだが、ある岩を掴むと運悪くガバッと大きく剥がれ、バスケットボールほどの大きさの岩を落とした(平日の午後でほかの遡行者がいないときだったのは幸い)。その拍子に手のひらと特に左手中指から小指の数か所を思いっきり切って、岩は右足のすねもかすめて、どちらも流血するくらいのケガとなった。その岩が足に直撃していたらホントにやばかったな、骨折やらなんやらで当日中に下山できなかったかもしれない。
ツメの真っ最中にザックをおろして応急処置できるような平坦地は見当たらないので止血する余裕もなく、手の傷は岩や木や草付を触って土混じりとなった指を舐めて血を吸い出しながら口内に土の味が広がりながらも太めで安定した木を狙って伝いながら登り続け、雷雲も迫って悪天傾向になりつつもあったためにいつもより冷静さを欠きながら登っていった。落ちたらホントにやばい箇所だった。

それで20分弱でなんとか登山道に登り詰めたが(その間、写真を撮る余裕もなく)、振り返るとこれまでの沢登り経験で最も一歩誤ると死に近い状況だったか。近年は他人の沢での遭難や事故話をできるだけ見聞きして教訓にしてはいるが、今回それが活かされていなかったか、と大きな反省材料となった。痛みもそうだが、流血するのを見ると冷静さはどうしても欠けるね。そもそも登るルートの選択が良くない。「急がば回れ」を久々に実感した。沢の難易度は1級で比較的やさしいと言われる沢でもどこかに落とし穴は潜んでいる。侮り難し。

で、写真は安全圏に入ったツメ終わりの登山道上で止血して水とウェットティッシュで泥を落としてから絆創膏とテーピングで切り傷を処置した左手。右手も手のひらと甲の数か所を切っているがこの左手のほうが傷は深かった。特に薬指の先端を縦に1cm、深さで2mmくらいざっくり切ったのが厄介で、出血が最も多かったのがここ。指の側面なら包丁とかでよくあるが、こういう切り方は初体験だった。
まあ屈強な“山ヤ”さんからすると、たかがその程度の切り傷でガタガタ言うな、と軽く言われそうだが、大小を問わず過去に受傷経験のある箇所ならまだしも、言い方はヘンだが普段ケガし慣れていない箇所を傷(痛)めて同時に血も見るとより精神的にこたえる(そして冷静さを欠く、という悪循環につながる)、ということが身に沁みた。良くも悪くも何事も経験、か。
そして5日経った今日、両手の傷口は順調に回復してようやく絆創膏なしで洗髪や食器洗いもできるくらいに普段の生活に支障ない状態に戻ったが、まだ多少の違和感はある。


終わってみれば、自然に浸りながら(でもやけに人工物も多かったけど)避暑と新装備デビューと前々から気になっていた沢の踏破という良い成果もあったが、それとともに行動のペース配分やルートの見極め方、それに結果的に行動不能には陥らなかったがその可能性も充分に潜んでいたことを示唆する? 負傷の事実を猛省しなければ。
最近もなんだかんだで山へ行く機会が減っていて野性味というか自然への適応力が薄れているのも問題で、そこもなんとかしないと。今年は特にご時世的に普段の生活面からもそこを特に意識して野遊びもより真剣に実践すべきなのだがなあ。
でもまあ反省はしながらも、沢の熟達者ほどではなくても久々に単独登山でちょいと追い詰められた状況に身を置いて、流血や緊張感からくる鼓動の大きさや後日の筋肉痛を通じて生きている実感をより強く得られたのは今後への糧となった、しかもこういうことがまだまだ東京都内でも体験できるのはある意味貴重なことだ、と前向きに捉えておこう。

年内に沢へもう2、3本行くかもしれないので、今回の経験をきっちり活かさないと。

雨蓋修理のお値段と、基本的に「ザック」好きの古い人間(追記あり)

2011-08-08 23:59:59 | 登山

前々からの懸案だった、かねてから登山でも行商でも愛用している40Lのザックの雨蓋を修理に出してみた。
モノはモンベルの「グラナイトパック40」で、1999年購入だからもう12年も使っているのか。これはこの間にもう2、3回モデルチェンジしているっけか(参考に、今年モデルのリンクを張っておこうかね)。でも使い勝手が良いから使い続けちゃうよなあ。
具体的な修理箇所は、雨蓋のファスナーの交換。
ああ、モンベルの場合は商品名は「ザック」ではなく「バックパック」で通っているか。


半年ほど前に突如、スライダーが片方外れた。元に戻らなくなった。


また、それとともに2年近く前から右から左へ閉めるさいの左端のほうでファスナーの目?(なんと呼ぶのだろう、この部分は)が潰れていて、いつもこの潰れた箇所より左側5cmくらいが開いた状態で騙し騙し使っていたが(だからあまり小振りのモノは収納できない。もしくは小型の小物袋やジップロックにまとめたやつを収納していた)、スライダーが外れたのを機に交換したくなった。


なので、ファスナーとスライダーを一気に交換した。ファスナーは古いものを外して縫い直す手間がかかったのだろうが、でも東京都内の店舗持ち込みで修理に出して、たしかモンベルの場合は大阪本社に送って対処するが(数年前にも60Lザックを修理に出したことがあるので、その流れはよくわかる)、それでも1週間とかからずに完了した。これは早いほうなんすかね。


で、修理できたはよいが僕の場合はその費用が問題だったのだが、あまりにかかりすぎるともう少し上乗せして新しいモノに買い換えればいいじゃん、ということになるが(家電品の買い換え時によくあることか)、でも直せばまだ使えるという貧乏性が勝って、最近も山岳系雑誌で最新のザック・バックパックがカタログ的によりどりみどりで紹介されているのを眺めてもあまり食指は動かない。
その専門家である小売店店員や雑誌編集者やアウトドアライターのようにとっかえひっかえ試したいとは思うが、貧乏人はそう簡単にはいかないよあ、と最近もあるライターがザック・バックパックをサイズは様々だが二十個以上所有している、みたいな記事を読んで、びっくりしたりもした。そんなに持っていてすべて使うのか、と。
僕は現状ではそれぞれ10年以上酷使している60L、40L、25L、の3つしか使い分けていないもんなあ。用途も例えば雪山縦走は60L、沢登りは40L、日帰り低山徘徊は25L、などとだいたい決まっているので、これだけでも現状はさほど問題なし。
でももちろん、お金があれば買い換えを、とは最近よく考えてはいる。そろそろ表面の生地に微細な引っかき傷や穴が増えてきたり、生地自体が薄くなってきてもいるようだから。遊びか仕事か、とか使う頻度によってはザックは一生モノとは限らず消耗品扱いになってしまうのもまあ無理はないか。

ああそれで費用に戻るが、修理依頼時に受付を担当した方によると4000円くらいかかるのでは? と言われたが、もしホントにそんなにかかるのであれば修理は断念して新しいモノへ、とかほかの選択肢もかなり真剣に考えた。
断念して、というのはもうひとつの選択肢としては、雨蓋は放棄するか(雨蓋なしでさらに使い続ける)、またはその要修理箇所のファスナーの部分をボタン留めに変えるとかして改造して、行動中は使用頻度は低くて軽いモノの収納に使おうかとも思っていた。例えばツェルト、ガス缶、食料の一部あたり。実はこの裏側というか内側にも小さなファスナーがあってそこからも補助的に少々の小物がいくらか入れられるのでそこを騙し騙しもっと頻繁に使おうか、とも思っていた。

が、実際に見積りが出ると税込みで2415円となり、まあこのくらいだったら修理してもよいか、と取り越し苦労に終わり、そのまま預けて修理続行で、完了して、引き取りに行って、本体に再装着してめでたしめでたし、と相成った。スライダーに新しいジップタイも付けてくれたが、この価格も込みなんだろうね。これは別売りだと290円(「ジップタイL」の場合)かかるのだけど。


ちなみに、この修理にまつわる再考に際して参考になった本に、今年2月の発売だが遅まきでつい最近読んだばかりの『ウルトラライトハイキング』(土屋智哉、山と溪谷社)がある。
ここ数年のウルトラライト志向の人々は「バックパック(ザック)」の軽量化のために「トップリッド」(雨蓋)が省略されたモノを好む傾向があるようだと知り(ゴーライトとかグラナイトギアとかクレッタルムーセンとか、ウルトラライト志向の各種ガレージブランドとか)、旧来のトップリッドに入れるような例えば行動食、小型水筒、地図、カメラ、財布、などの小物をウエストバッグやフロントバッグ(最近では特にパーゴワークスのHobo改めPaaGoのが有名か)やサコッシュに別納して携行する、というザック本体との二刀流の運び方も流行りつつあるのはわかる。たしかに週末のJR中央線下り列車にたまに乗ったさいにも年々よく見かけるようになったし。まあ特に山岳写真をやっている人は昔からカメラザックとともにウエストバッグを併用しているのはよく見かけるが、あんなにゴツイのではなくてもう少し軽やかに運べる感じか。

ただ、ここ数年で新たにハイキングやロングトレイル歩き方面から(最近の山ガールブームの飛び火の影響も多少はありつつ?)野遊びに参入してきた、もしくは新しいモノやウルトラライトマニアな人々にはそういう「トップリッド」なしのカタチもなんの疑いもなく浸透しやすいのだろうが、僕個人的には旧来の「雨蓋」付きで上部からモノを詰め込んでゆく「トップローディング」の「ザック」のほうがおそらく(両親が登山をやっていた影響で)産まれた当時の物心つく前からしっくりきているカタチで、その「バックパック」の項に少々書かれていた「雨蓋に雨よけの機能はない」みたいな論調にはやや違和感があったりする。
この時期の台風やゲリラ豪雨のような土砂降りではさすがに無理だが、梅雨のようなしとしと雨程度だったら生地によってはそのままでも(雨蓋内部のモノを小物袋で防水するとか)、もしくはザックカバー(パックカバー)を付ければなんとかしのげることもあるし、雨よけになるか否かは使う人の嗜好や思想によると思う。行き先の標高・起伏や気候の変化の度合いにもよるか。

僕はやはり「ザック」の考え方のほうが好きというか染み付いているんだなあ、あえて悪く言うと頭が固い古い人間なんだなあ、とこの本を読んで改めて思い知った。背嚢の表現も昔からドイツ語の「ザック(「リュックサック」を省略して浸透した表現、とよく言われる)」一辺倒なので、いまだに英語読みの「バックパック」と発音するのも書くのも面はゆい感じだし。
でも徐々にそういう最近の動向を意識して軽量化をもっと採り入れていこうかとは一昨年から考え始めていて、僕のような頭の固い人間の脳みそを揺さぶる目からウロコの記述も多い良い本であるね(著者の土屋氏も、アメリカで「ウルトラライト」の概念に出合う前の大学探検部時代は僕と同じ側だったそうだが、本の冒頭「はじめに」にもあるように、ここ10年で劇的に変わってしまったのかあ)。しかしこの本、物欲がかなり刺激されるのがまた別の大きな問題ですなあ。

修理してこれから再びしばらく酷使する件の雨蓋だが、でもほかにもできれば修理したいのに伝え忘れたところが2か所あって、でもそれはまだ今回のような(ファスナーが完全に閉まらないことによって)行動に直ちに支障をきたすような喫緊の問題ではなく、まあ行動不能に近い事態に陥ったときにまた考えればいいか、と思っている。
と言いつつ、また来年あたりに再び修理に出すことになるかも。