6日(土)午後、読売・日本テレビ文化センター(よみうりカルチャー)が主催の、竹内洋岳氏の8000m峰14座完登記念の「報告会」を、銀座ブロッサムへ聴きに行った。大きな会場だから聴衆は300人以上はいたのかなあ。入場料は大人1800円と目玉が飛び出るくらいに高かったけど。新聞社主催の一般向けの公開講座的な催しでは、このくらいの金額になるのはしゃあないか。
竹内氏に帰国後に生でお目にかかるのは今回が初めてで(こういった公の催しでは2回目)、そこはぜひ聴いておきたかったし、それにこの催しは2部構成で第2部のほうが服部文祥氏とのトークセッションというのも(高くても)気になっていた。むしろその直接対決のほうが楽しみだったりした。
ちなみに上の写真は会場のその開始前で、本番中は撮影禁止で。でもべつにフラッシュを焚かなければ撮ってもよいと思うけどなあ。ケチだなあ。
第1部の竹内氏の単独の報告では、まず自己紹介的な未公開映像を見せてから、登山を始めた頃から8000m峰14座完登への登山人生の流れを振り返り、まあ一般向けの報告なのでここ4か月の各種媒体のインタビュー等をほとんどチェックしている僕としては既知のことばかりだったが、直近の5月のダウラギリI峰登山で10年秋のチョーオユー登山からの同行者である(今年はほかにも、登山業界内でも話題で僕も当然観ていた日本テレビ『世界の果てまでイッテQ!』の“イッテQ!登山部”でイモトアヤコが行ったアコンカグア・マッターホルンの登山にも撮影の「仕事」で同行している)、中島健郎(=けんろう)氏との信頼関係について熱っぽく語っていたのは初耳の部分もあって特に興味深かった。
今回は登頂はできなかった中島氏だが、竹内氏の5月26日(土)の登頂後の下山で(上部キャンプの撤収と荷揚げした荷物の回収のために)中島氏が下から応援に来てくれる計算があったからこそ登頂できた、と中島氏への謝意をしきりに述べていたのは印象的。中島氏は登頂を断念したときよりもその下山の出迎えのときのほうが好調で(高度順化の速度が竹内氏とは若干異なるのかも?)、登頂を目指す“サミットプッシュ”と26日夜の高所でのビヴァーク(着の身着のまま野宿)によって27日(日)の下山の続きでは疲労困憊の竹内氏が荷物をほとんど中島氏に背負ってもらったとか「犬の散歩のように」先導されたとかいう話は、8月中旬に放送のNHK『グレートサミッツ』でも出ていなかったことか。
続いて(第1部よりもこれが目当てで訪れた聴衆のほうが多いと思われる)第2部は、竹内・服部両氏の握手から始まり、なぜこのふたりの組み合わせなのかを1996年に同行した(登攀中はロープを結び合ったこともある)K2登山の前年の出会いと翌年の登山の様子から説明し、服部氏が年齢的にはやや先輩なのに、しかし最近は竹内氏よりも(登山業界においての実績や知名度では)下に見られていることが悔しい、みたいな嫉妬心? を剥き出しにしながら、(立正大学と今は無き東京都立大学という)「あまり有名ではない大学出身者」同士の互いを持ち上げるよりは貶める? ツッコミ合戦になり、予想以上に面白かった。
これはおそらく、K2の模様も少々描かれている『サバイバル!』(服部文祥、ちくま新書)を事前に読んでいれば、よりわかりやすかったかもなー。
基本的には事前に会場から募った竹内氏への質問を参考に今回の場では代表して脇役である服部氏らしい毒のある独特の物言いで詰問してゆくカタチで、各種取材ではあまり出せないネタを引き出し、記憶力が弱い(『初代 竹内洋岳に聞く』(塩野米松、丸善)ではK2登頂者は8人とあるが実際は12人であることを忘れている)、ファッションチェック(登山ごとにジャケットの色を変えている。いつの登山だったかが判別しやすいように?)、提供・共同開発で懇意のカシオ・プロトレック(竹内氏の特設コーナー?もあるよ)以外にも高級時計好き、高所登山のリスク(服部氏曰く「三途の川を2回渡りそうになった」05年エヴェレストでの脳血栓と07年ガッシャブルムII峰での雪崩→救出→再起。背骨の治療で一時期はシャフトを背中に埋めて真の「マシン」になったこと)、高所登山においての食事と排泄、という流れになった。
その合間に、K2登山が8000m峰に登ると凄い(偉い?)と周りから敬われる最後の登山だった、その登山隊は野望の塊(K2登頂で名を馳せたい若者ばかりで、特に野心家? の服部氏はギラギラしていた)、服部氏は当時は唯一の社会人で普段は洒落た格好だったのが今は“サバイバル登山家”と成って……、そもそも「サバイバル登山」ってなんすか? と竹内氏からの17年前からの時代の変化にもかかわる逆質問もあった。この掛け合いでふたりの関係はK2以外にも共通項が多くて良好であることがわかり、なにより。
僕個人的には、各種取材でも第1部でも一人称は「私」で通して丁寧に語ったり受け答えしたりする竹内氏が、服部氏との本性剥き出し? のやりとりによってつい「俺」と言ってしまうくらい白熱した終盤からが対談は本格的に面白くなりそうだと思ったが(ちなみに服部氏はどの講演等の場でも基本的に「俺」で通している)、エンジンがかかったところでお開きの時間になったのが残念。第2部の時間は会場の都合で50分弱と短くなってしまったので、また別の機会を設けて再戦してほしいなー。ある程度の歯止めがかかってしまう雑誌記事ではなく、やはり生の対談形式で。
終了後はロビーで両氏の本を販売してサインもしていて、盛況だった。ただ、服部氏の代表作『サバイバル登山家』『狩猟サバイバル』(ともに、みすず書房)は2000円と特別価格にしていたのにあまり売れなかったか。今回は明らかに脇役の立場である服部氏の本のほうがそこで場を広く取っていたのが可笑しかった。
そういえば今回の催しの内容とは全然違う話だが両氏の本、竹内氏のほうは以前にもツッコんだことがあるが、実は服部氏の本も販売停止にするほどでもないけどツッコミどころがたくさんあるのよねえ。という校正者からの視点で、実はそこで本が売れてゆく様子をやや複雑な心境で眺めて、売れるのは誤植などを修正したあとにしてほしい!! と叫びそうになったのであった、僕個人的には。
でもまあとにかく、催しとしては大成功だったと思う。とても楽しかった。ちなみに服部氏は翌7日(日)からしばらく、北海道へサバイバル登山に行っているそうで。
なお、竹内氏は母校の立正大学でも今年の開校140周年記念の公開講座として講演を来月に2回行なうことが決まったが、そのどちらかに僕もいち卒業生としてぜひ聴きに行きたいなあ。