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思考の7割と収入の3割を旅に注ぐ旅人の日々

一般的には遊び(趣味)と見下されがちな「旅」も、人生のなかでやるべき「仕事」である、という気概で旅する旅人の主張と報告。

西武百貨店池袋本店8階「夏山フェスティバル」ミニトークショーのトリは肩透かし? でもなかったか

2011-06-27 21:30:15 | 登山
東京都・池袋の西武百貨店池袋本店8階の南A10で明日28日(火)まで開催の「夏山フェスティバル」、毎週土曜日のミニトークショーの先週分も先々週分も触れたので、せっかくだから今月覗いたほかの場の催しも絡めながら25日(土)のことも。

13日の投稿でも触れたようにかねてから、僕的には今月の一大事に据えていたこの日2回目のトーク、『岳人』の廣川建司氏、『山と溪谷』の神谷有二氏、『PEAKS』の朝比奈耕太氏、の山雑誌3誌の編集長による「山対談」を楽しみにしていた。
が、蓋を開けてみると聴衆は15人ほどと思ったよりも空いていたなあ。なんでだろう。夢? の組み合わせだったのに。関係者らしき人々も少なかったような。

それでその内容は、トークのなかでも触れていたが三氏それぞれの登山論やこの催しにちなんで八ヶ岳への想いについての議論的なものになるかと思いきや、実際には震災後の3誌それぞれ、そして3誌が「野外雑誌協同体」として組んでの取り組みに関する途中経過報告が大半だった。催しの趣旨を考えるとやや肩透かし? な内容かとも思ったが、このご時世ではそうなるのも無理はないか、と僕としても一応は想定内の話だった。

『山と溪谷』というか山と溪谷社の今月の動きのひとつにあった(現在発売中の『山と溪谷』11年7月号でも少し触れている、日本山岳遺産基金の活動の一環としての)石巻高校ワンダーフォーゲル部への装備提供について。
そこは今春、例年以上の12人の新入部員が入ったそうで、神谷氏が事前に学校へ行って生徒たちに直接訊いたところ、ほとんどの部員が程度の差はあるが家が被災した影響で登山装備を揃えるのが大変だ(毎年、新入部員の仙台市街に赴いての装備の新調に1人あたり5万円かけるのが慣例だが、今年はそのお金も用意できない状況の子ばかり)、ということでヤマケイが今月上旬にウェブサイトで読者向けに(未使用品の)装備提供を呼びかけ、結果、読者と15社ほどのメーカーの協力もあって夏山の最盛期前になんとか提供できるようになったそうでなにより。そこからさらに8月に、ヤマケイ主導で八ヶ岳の登山を(お金絡みではないカタチで)彼らの合宿をお膳立てする計画もあるとか。

例年以上の部員増の理由はやはり今回の震災で登山のような野外を歩いたりテント生活したりする、非常時を生き抜くための技術を会得したい子が増えたことだそうで、そうなるのもわかる。
今後は宮城県のほかに岩手県や福島県の学校にもこの活動は拡げるそうだが、ほかの地域はどのくらい変化があったのかね。例えば、僕の大学時代のワンゲルの後輩に岩手県・遠野の出身者がいるが、あそこは北方の早池峰山など山々に囲まれて登山が歴史的にも盛んなほうだと聞いたことはあるし、同様に若年層に登山が改めて注目される傾向はさらに調べてゆくともっとあるのかも。

『PEAKS』というか(エイ)出版社としては、まずは朝比奈氏が前々から付き合いのあった、(僕はシェルパ斉藤さんなどの雑誌記事で約10年前から存じ上げている)四万十川での独創的カヤックツアーの主催で知られ、阪神淡路大震災でもボランティア活動を経験している「四万十塾」の木村とーる氏が石巻市で震災直後から炊き出し支援で3か月ほとんど休みなく活動し続けていることに触れ(これは4日(土)に覗きに行った「ランドネピクニック2011」の若者ばかりの夜ライヴの合間に軽く報告していた内容とかぶる。とーる氏は間近で見ると記事の印象よりも背が高かった)、それを知ってのちに日本赤十字社の義援金の配分遅れの問題によってそれが頼りにならないことから、被災地のアウトフィッター(ガイド、ツアーリーダーのような野遊びに誘うことを生業とする人)を支援したいと独自の資金作りの方法として「青空ユニオン」をホーボージュンさんとともに立ち上げ、野外業界全体をオークション活動で巻き込んで長期的に支援している最中。

今後は専用サイトを設けて、さらに業界著名人からのモノの出品によるオークションのほかに、(先の投稿で高橋庄太郎さんの件を挙げたが)著名人と一緒に何かをできる権利をもっと取り入れるかも、という話もあった。ちなみにほかの人名の事例は山野井泰史・平山ユージあたり。このへんの名前まで挙がるとかなり強力なオークションになりそう(あとはもっと一般的に知られている? セブンサミッツ関係の有名人たちの名前も少々触れていたけど)。
また、何かを共有することのほかにも、雑誌の表紙に登場できたり、その著名人と何か楽しんだことを記事にして誌面に反映させるところまでの権利も付ける、みたいな構想? もあり、それは面白いのでどんどんやってほしいっす。場合によっては僕も資金作りを頑張ってその権利獲得に参戦したい気分。

それで、『岳人』は何もやっていないというわけでもなくて、ここ3か月の誌面でクライマーからの視点の震災関連の話は出しているし(馬目弘仁、澤田実、谷口けい、など)、トークでは触れなかったが4日前の21日(火)午後に両国の江戸東京博物館ホールで版元の東京新聞主催で「夏山の魅力と安心登山」というフォーラムがあり、その登壇者のひとりの田部井淳子氏が地元の福島県の山をもっと歩こう! とPR大使みたいな役回りを自ら買って出たり、ほかにも震災関連の話もありつつ今夏の登山に向けての注意を促していたが、こういった誌面以外の催しも増えるのかも。
個人的にはトークの端々にあった廣川氏の、「震災後に(ボランティア活動などで身体を動かして)汗をかきたがる人が増えてきた」、「(特に『岳人』は)結構危ないことを紹介している(でも遊びのことで、そこから得ることもある?)」、「海へ行くよりも山へ行くほうが賢そう(「修行」とかの意味合いで)」、みたいな言い回しが面白かった。失礼ながら年の功?

全体の印象としてはそんな感じで、ホントにマニアックな登山論や八ヶ岳の話はほとんどなかった。まあいいか。
事前予想よりも三氏と3誌が火花をバチバチ散らす敵対的な雰囲気ではなく、雑誌作りの歴史の多少を越えてホントにガッチリ組んで協働している友好的な感じは三氏のやりとりから窺い知ることができて、良かった。山に親しむ者同士だったら事故処理など不測の事態でも助け合える精神が根付いているし、やればできるわね。

そのほかに3誌の毎月の出版に関する細かいことで僕的にツボだったのは、6月号から掲載されている3誌共通の「野外雑誌協同体」のページは『PEAKS』のデザイナー諸氏が見本を十数点作ったなかから選んでいる、3誌ともに大日本印刷で刷っている(おそらく市ヶ谷の本社工場とその近辺)、3誌ともに毎月15日の発売日は同じだが『岳人』は他2誌よりも毎月少し早めに発行できる理由は編集部員がほかよりも高齢化? のせいで印刷前ギリギリまであまり残業しなくて済むように進行しているから、みたいな話。こういう突っ込んだことを聴きたかったのよ、と多少は満足できた。

まあとにかく、意気込んで行った甲斐のあった濃い1時間だった。これで三氏揃ってのお目通し? が済んだこともあって今後は幾分やりやすくなると思うので、またの機会にもっと“山ヤ”らしい突っ込んだ話を期待したい。



そういえば、ミニトークショーは11日(土)と18日(土)のも合わせて全6回中4回聴いた。オマエはどんだけ暇なんだよ、と言われそうだが、一応は仕事も少々あったけどそれをさぼってでも行きたかったのだから、仕方ないじゃあないか。
来年以降も同じくらいのレベルの催しを継続してほしいなあ。


※28日(火)の追記
誤字を訂正し、少々追記しました。

西武百貨店池袋本店8階で開催中の「夏山フェスティバル」のアツさと『PEAKS』編集部員の意外な反応

2011-06-13 21:45:59 | 登山
今月の8日(水)から28日(火)までの日程で、東京都・池袋の西武百貨店池袋本店8階の南A10、野外・スポーツ関連の店舗の出店が多い一角で催されている「夏山フェスティバル」が超気になる。

まあ夏山といっても八ヶ岳、特にその長野県側の山々と山小屋を特集するような体で催していて、その特設会場付近の店舗で3000円以上買い物すると八ヶ岳関連の景品がもらえるかもしれない抽選会に参加できたり、週末にいくつかの山小屋主人たちによる出張相談会みたいな場が設けられたり、同じく週末に山雑誌編集者と山小屋主人を交えてのミニトークショーが行なわれたり、と例年以上に登山に力を入れて盛りだくさんの展開。当然、ここ1、2年の山ガールブーム? の好影響も後押ししている感じやね。この階は普段から若い女性も多く訪れるから。
ただ、僕は取り立ててそこで買い物する予定はないので、期間中に池袋に立ち寄ったさいに会場を時折眺めて、今回のために設置されている八ヶ岳関連のパンフレットをもらって八ヶ岳の知識面のメンテナンスをするくらいで軽く接する程度で済ませるつもり。まあそれでなくとも近々、久々に夏場の八ヶ岳へ行こうかと昨年から企ててはいるけど(ここ数年は冬に行くことが多いから)、そのためには最近の経済的な底打ち状態をなんとか打開しないと厳しいなあ。

そのなかで、僕が特に注目しているのが3点目のミニトークショーで、11日、18日、25日と各土曜日の午後に1時間のが2回ずつ行なわれるのだが、いずれもなかなか豪華な面子だと思う。なんなら計6回分すべて聴きに行きたいくらい。
と言いつつ、ひとまず先週11日の2回分はきっちり聴きに行った。あまり広くはない特設コーナーにパイプ椅子を並べて聴衆は20人前後とこぢんまりとした場ではあったが(僕のようにあえてトークショーのために予約してまで意気込んで訪れる人よりは、たまたま買い物に来て通りすがりで足を止めた客のほうが多かったが)、小規模のわりには内容は思ったよりも濃かった。
トークショーの面子とテーマはウェブサイトの「夏山フェスティバル」のところに詳しいので、山好きと山雑誌好きは要チェックや、と思う。

ちなみに、18日は行けるかどうかまだわからないが(山小屋泊とは別件で、ある主人に個人的に突っ込んだ内容の相談ごとというか質問したいことはあるが……)、25日は特に2回目の、『岳人』の廣川建司氏、『山と溪谷』の神谷有二氏、『PEAKS』の朝比奈耕太氏、と、3誌の編集長による「山対談」が最もアツい、と思っていて、山関係の講演会やトークイベントも大好物の僕としてはがっつり本気で聴くためにすでに予約してある。万難を排して行く。
この組み合わせは初めてらしく(ここ十数年の自称山雑誌マニアの僕も、こういった公の場での山岳関係者のような“山屋”的でマニアックな人たちではない、一般的な客層向けにライバル誌同士の長がぶつかり合う催しなんて聞いたことがない)、あとで誌面でもこの模様はちゃんと反映させるべきかね。先月に3誌の連名で震災後に立ち上げた「野外雑誌協同体」の活動の一環としても。
なんならもっと大きな会場で、時間も1時間どころか2時間以上かけて公開討論? みたいなカタチで催してもよいくらいの一大事だと思うけどなあこれ。そんな感じで今後も継続するのかなあ。

まあこれもひとえに、『PEAKS』が昨春の月刊化から1周年でようやく軌道に乗ってきて? 歴史ある『岳人』と『山と溪谷』と対等とまではいかなくても、それらの読者層よりも比較的若い世代を意識して作っている媒体としてそこそこ認知されてきたからこそ、この三つ巴が実現したのかね。それは各書店の野外系雑誌コーナーでの並びや扱いを(3誌の毎月同じ発売日の15日以降に)随時観察していてもわかる。
とにかく、今からすんごい楽しみ。


以下は蛇足だが、11日のミニトークショーを2回とも聴いたことは触れたが、そこで少々面食らったことがあった。
すでに公に告知されて名前も挙がっているのでここでもそのまま触れるが、その日に特に目当てだった人物は山岳ガイド(しかも日本よりも制度が厳格なフランスの有資格者の)の江本悠滋氏と、『PEAKS』編集部の森山憲一・平方理恵の両氏、だった。
僕と同世代でツイッターでもフォローしている、前々から気になっていた江本氏の話も面白かったが(でも挨拶しそびれた)、副編集長の森山氏と女番長? の平方氏とは終了後に挨拶して、ついでに立ち話も少々できた。
で、そこで初めて聞かされたのだが、なんでも編集部内に本ブログをよく覗いてくださっている方がいるらしく、その影響で僕がブログで何かヘンなことを書いているとか、校正の仕事をやっているとか、ふたりも含めて編集部内で僕のことがなんとなく知れ渡っているらしい。

そんなことを唐突に聞き、しかもせっかくだからとその方が喜ぶ? とのことでなぜか記念写真も撮ったりして、と予想外の展開で驚いた(僕のデジカメでも撮ってもらったが、その写真は恥ずかしいので非公開とする)。単にいち読者として顔見世程度に軽く挨拶できれば、という程度の心づもりだったのに、そこまで認識されているとは意外。両氏ともに思ったよりも気さくだったのは良いことだが、なぜそうなるのかと状況がよく呑み込めなかったので微妙な気分。
でもまあ、本ブログを特に僕と趣味嗜好が比較的相通ずる? 野外業界人に覗かれるのは悪いことではないので、今後はそのへんも気にしながら続けていくことにするか、と意識はやや変わった、かもしれない。僕のほうからも『PEAKS』の読み方が多少は変わるかも。今週発売の7月号の北アルプス特集はいつもよりも増ページで力が入っているのでぜひ買ってくれ、と勧められもしたが、それは発売されて3誌が出揃ってから考えよう。

今後、「公」の仕事でもそれ以外の「私」の時間でもどちらでもかまわないので、ぜひその方とお会いしてプロの編集者目線からのブログのダメ出しを受けたいなあ。これまでに『岳人』と『山と溪谷』の編集者からの印象も多少は聞いているので、『PEAKS』的にはどう映るんだろう、と僕のほうも雑誌をよくネタにしていることもあって気になる。なんなら出版社に直接出向く用意もありますよう。
今後ともよろしくお願いします。ただ、できれば「公」のほうで話が進むと幸いであります。

ああそれと、『PEAKS』6月号で募集を始めた月刊化1周年企画で、雑誌関係者と一般公募の読者が7~9月に一緒に山へ行く「リーダーズ・セッション」は面白い企画だなあと思っているが、僕もいち読者として応募を検討中。でもなんかすでに申し込み殺到で募集定員分は軽く埋まったらしく、今後は編集部の誌面作りの都合優先で人選してゆくことになるそうで。だったら企画を追加する余裕はあるのかしら?
僕がこれから応募して入り込む余地があるのかどうか。まあ前向きに考えよう。

奥武蔵もしっかり雪山らしくなっていた

2011-02-16 23:59:45 | 登山
今日、地元である埼玉県は奥武蔵の山へ行き、昨日のふとした思い付きから多少のコース変更はあったものの、伊豆ヶ岳(851m)を登ってきた。小学生の頃から慣れ親しんでいる山で、登頂は8回目。

で、なんでこの時期かというと、積雪のある状態の標高1000m前後かそれ以下の低山も大好きで、(今冬は豪雪地帯では厳しいところもあって少々申し訳なくも思うが)ちょうど14日(月)夜に関東平野にも結構な量の雪が降り、僕の家の周辺でも5cm以上の積雪があったことを考えると低山でも雪山らしくなっているだろう、と降雪直後の一昨日(15日)は仕事でダメだったが今日に喜び勇んで出かけたわけ。地元でそんな好機は年に1回あるかどうかなので、貴重な体験でしたわ。

どんな感じだったかは、以下の写真を。



西武秩父線・正丸駅前。このあとに山に分け入ってみると、たしかに今回は甘くない状況だった。降雪直後の低山、侮るべからず。


無雪期の週末には多くの登山者がここから入山する、伊豆ヶ岳への最短コースとなる登山口。もうすでに雪山の佇まい。


標高500m付近。ここですでに15~20cmの積雪があり、駅から1時間足らずで雪まみれになるのはこの山域では珍しいこと。最もよく歩かれるコースなので、踏み跡はあった。一昨日(15日)の降雪直後に入った人はすねあたりまでのラッセルを楽しめただろうねえ。


正丸駅からゆっくり登っても2時間弱で着いた伊豆ヶ岳の頂上。終日晴れて、最高の山日和であった。実はここからさらに西に進んで武川岳(1051m)への縦走を考えていたが、ここまででも満足してしまった。だから西進はやめた。
中高年登山者を数人見かけたなあ。平日だったから若者はいなかったけど。通算8回目の登頂で20年以上の付き合いのある山だが、こんなに雪があるときに訪れたのは初めて。


頂上付近の吹き溜まりは、膝くらいまでの積雪がある箇所も。


今回は無雪期用の軽登山靴を選択したので、それに合う低山用の6本爪軽アイゼンを使った(昨年廃業のカジタックス製)。ただ、思いのほかの積雪量だったため、だいたい標高700m以上はこの奥武蔵のほかにも奥多摩や丹沢といった近場の低山でも、10~12本爪のより重厚なアイゼン(と冬山用登山靴)で登ってもよかったかも。


西武鉄道から伊豆ヶ岳を登る人にはお馴染みの、北方の正丸峠。峠道は冬季閉鎖していなかったが、所々で凍っている箇所もあり、クルマには厄介な路面状態だった。


せっかく来たからと峠から少し北上して「関東ふれあいの道(首都圏自然歩道)」のコースにも設定されている旧正丸峠へ向かったが、どんどん積雪量が多くなり、800m未満の正丸山よりも先の川越山から踏み跡が消えた。それでしまいには膝丈のラッセルになってびっくり。ツボ足ラッセルで来た道を振り返るとこんな感じ。


無雪期はなんのことはない家族連れでも楽しめるハイキングコースも、踏み跡が完全に消えると厄介ですなあ。
川越山から旧正丸峠まで通常は20分程度だが、ラッセルが続くと峠からの下山も含めるとさらに時間がかかると思い、正丸峠へ引き返した。
まさかまさかの積雪量だったなあ。自然歩道上で「遭難」の言葉が頭に浮かぶとは思わなかった。寒波の入り方によっては身近な低山でもこんなふうに輪かんじきやスノーシューが必要な状況も起こり得ることを思い知り、面白かったとともに勉強になりましたわ。


正丸峠に戻ってからは再び登山道へ入るのはめんどくさくなったので車道をうねうねと下り(クルマは1時間に1台しか通らなかったのでラクだし静かだった)、まだ周辺は雪化粧の正丸駅に戻り、一周したカタチ。ホントにちゃんとした雪山で、予想以上に面白かった。タイミングが合えばそんなに遠出しなくても雪山状態を楽しめるのだ。


以上。

雪山登山のつもりが雪遊びに

2010-12-31 10:00:00 | 登山

今年最後の投稿は、つい先日の野遊びのこと。

28~30日に、長野県・飛騨山脈は蝶ヶ岳と常念岳を東側から単独で登りに行ったのだが、結論から言うと登れなかった。というか登るのをやめた。

まあこれは、特に29日の降雪が多くて踏み跡が完全に消えていて数年ぶりに輪かんじき(雪山登山者のあいだでは「輪かん」「わかん」「ワカン」と表記したり呼ばれたりすることが多い)を履いてのラッセルになったことと、18日の催しで痛めた股関節と右膝の痛みが再発して思った以上に身体が動かなかったこと、31日だから今日に本ブログをきちんと更新したいこと、が主な言い訳で。“山ヤ”風に言うとすんごい惨めな“取付敗退”というやつかね。
ピッケル・アイゼン・ゴーグル・ツェルト・予備食料など、雪山へ行くうえでの標準的な装備は過不足なくふつうに整えていたのに、それらの出番も一切なかったなあ。しょんぼり。

今年は私生活で、特に下半期はいろいろ落ち目なことが多発してちょっこし連鎖もして、さらには山も含めて思うように野遊びにも行けず、ホントにいろいろと過去最低の1年だった。これでもう底は打って来年からは回復するとは思うのだが、どうなんだろうなあ。
この年末にそれらを一気に払拭するために今回出かけたわけだが、運動不足で病み上がりだとこの程度か。課題がたくさん見付かってしまった。うーむ。いつかは同じコースでリベンジもしたい。もうちょい雪が少ない時期にでも。

でもまあ久々に雪中キャンプを2泊できて、それに今回の山行というかハイキング? からデビューさせた道具5点の実力もバッチリわかったので(先日、少しは給料が入ったので設備投資? に力を入れた)、現在の30代中盤になった自分の実力も改めて計れて、収穫も多かった。
身体も道具も、そこは来年もそれらがばりばり活躍してくれる機会を作らねば。

ちなみに、最近新調した道具は以下の5点。

新富士バーナー レギュレーターストーブ ST-310
サンジェルマン ジェントスリゲル ヘッドライト GTR-731H
モンベル サンダーパス ジャケット
モンベル スーパーメリノウール バラクラバ
モンベル メリノウール アルパイン ソックス

我ながらそんなにお金をかけずに、良い買い物をした。今後が楽しみな道具たちである。

来年は今年の払拭を引き続き行なうために、そして本ブログのタイトルがウソではないことを示しながら再び旅人らしくあるために、もっといろいろ出かけたいものだ。



ではまた来年。

初めての「人力」のオフ会で軽く登山しちゃうよ、のお知らせ

2010-12-12 23:59:01 | 登山
飽きずにちまちま続けてきた? 本ブログがついに、とうとう、来月5日(水)に開設から5周年を迎えるという節目を記念して、というわけでもないのですが、巷では近年よくあるいわゆる「オフ会」なるものを良い機会なので来月後半に初めて開催します。

なぜか徐々に人目につくようになったらしくてアクセス数も年々緩やかに増えつつある本ブログを、実際に覗いているのはどんな方なのかを知りたいから、というのが主な理由ですね。まあこれは一昨年あたりから考えていたことですが、なんかタイミングが合わずに実現には至らなかったんすよねえ。

で、会を僕が主導でやるとしたらただの飲み会では面白くないし、単に野宿するだけではあの集団のパクリで疑惑が持ち上がるのもイヤなので、と思い、やはり「人力」にまつわることで、なかでも手っ取り早く考えるともう登山しかないよな、という結論に至ったのでした。というわけで今回は、僕の得意な軽めの山へ行く低山への登山なのです。

それで、最近の登山の傾向を振り返りながら、今回の開催へ向けて思うことを挙げておきます。
特に今年は「山ガール」の人気上昇ぶりによって登山経験の比較的少ない若者が一気に増えて(まあどこまでが「若者」かの線引きは置いておいて)、これまでの大学山岳部や社会人山岳会で(植村直己の名著『青春を山に賭けて』の序盤の記述みたいな)神様←→奴隷もしくは師弟みたいな関係のもとでしごかれていっぱしの“山ヤ”として成長してゆくのが本筋、というややお堅い? 登山業界の風潮から、昨年あたりから急に風向きが変わったかのように会社・学校などのサークル活動やオフ会的に登山人口が増えそうな可能性が拡がっているなかで、それに対応する仕組みづくりが急務ではないか、みたいな話ももちろん小耳に挟んでいます。
最近は、年齢を問わずそういった旧来の登山を学ぶ・仲間を作る組織にまったく所属せずに一般の講習会や独学で経験を積んでいる人も多く、講習会ならまだしも独学が充分ではないことによって安易な事故につながる事例もあり(まあ加齢の影響も多分にありますが)、ちょっとの注意によって防げるつまらないミスは減らしたいよなあ、という思いも少々あります。

しかし嘆いてばかりもいられないので、登山のレベルはプロの山岳ガイドや登山ツアーの講師ほど専門的ではないにしても、一応は世間一般的には人並み以上に登山経験と知識はあるらしい者のひとりとして、登山の裾野をより拡げるという名目ではないけれども、せめて自分の目の届く範囲内の友人知人にはできるだけ山を登ることの悲喜こもごもを一緒に登ることによってきちんと伝えたいよなあ(「他人に連れて行ってもらう」よりも「自らの意志で行く」という姿勢が望ましい、などなど)、という思いから、基本的には単独行が好きではあってもここ3年は比較的連絡の取りやすい身近な仲間内でよく山へ行ったりもしています。その実績は本ブログで度々触れているので、「登山」のカテゴリの投稿を参照していただければ。
ええとついでに僕は何者かというと、(過去に数人のヒマラヤニストも輩出している、しかし今は無き)立正大学II部ワンダーフォーゲル部出身、とも改めて挙げておきます。

で、これまでは仲間内でやっていた登山を、ちょうど良い機会なので本ブログを覗いてくださる方へ向けて、と対象を拡げて試しにやってみよう、ということで今回企画しました。自分のブログに書いていることへの責任を取りつつそれを実証する、という個人的な意図も含んでいますが、まあそれは僕の内心の課題なので置いておいて、今後継続するか発展するかの方向性はまだわかりませんが、まあまずは試しに催してみます。

それで毎度のごとく前置きが長くなったのですが、一応ざっと仮に決めてある予定としては、


期日    : 2011年1月15日(土)
         軽い降雨・降雪の場合でも決行、ただし酷い天候の場合は22日(土)に延期の可能性あり
集合場所 : 西武池袋線・池袋駅
集合時間 : 10時


という感じで、池袋から西武池袋線で埼玉県の飯能方面へ向かい、いわゆる「奥武蔵」の、天覧山・多峰主山、日和田山、越上山、伊豆ヶ岳、武川岳、のいずれかを登ろうと思います。山は当日の参加者の顔ぶれを見て決めようと思います。行程はそんなに長くはなくて日帰りで行ける、鉄道駅から出発して鉄道駅へ戻ってくる100%人力移動の登山です。
また、終了後は池袋へ戻り、軽く打ち上げをやるつもりです。そんなに大人数でなければ池袋だったら受け入れてくれる店はいくらでもあるはず、と20年来の池袋マニアとしては楽観視しています。

しかも、飯能や秩父という山域は僕は30年近く前から四季を問わず行き慣れていて、行く予定の山の近辺のコースも9割がた踏破していて地形もほぼ把握していますし、何か問題が発生しても対処できる自信はあるので(ひとつ過去の事例を挙げると、冬の積雪時の棒ノ嶺や蕨山にも登ったことがあって軽めのラッセルも経験していますし。このへんは万が一他者に頼るとしても、人里も近いし)、まあそういう決め方にします。今回はそれでも対応できる山域に設定しました。

ああそれで肝心の参加者の募集についてですが、山はまったくの初めての山ガールや山ボーイ? 候補でも、僕よりも近年の登山に詳しい、もしくは本ブログに違和感があって僕と徹底的に議論したい方でも、とにかく僕との面識の有無や居住地域や老若男女を問わず誰でもよいと思ったのですが、あくまでこの場では僕の思いどおりにやってみるということで、軽くではありますが参加条件を以下に絞ってみます。


1. 国内外問わず「人力」の移動手段による旅や登山にこだわり、「人力」こそが旅の基本であると信じてやまない方
2. 2010年(今年)、本ブログを毎月欠かさず3回以上覗いている方
3. 拙著『沖縄人力紀行』(彩図社刊)や編著『野宿塊』を読んでいて、しかも現在も所有している方


の3点のうち、いずれか1点の条件に該当する方、とします。
なにぶん今回初めてなので、僕とある程度の共通項があり、かつ本ブログの意図にも賛同できる(長々とした駄文の多さにもめげない、飽きない)方が来てくださるとより嬉しいもので。3点すべてだとかなりハードルは高いはずなので(というか、そんなに僕が好きで? 酔狂な方はこの世にいるのかしら?)、いずれかとします。当日、参加確認のためにこれらに関するマニアックな質問をぶつける予定。拙著を持参された方にはサインも無理矢理書きます。

また、その登山でひとつ少し変わったことをやるつもりなので、参加する方には特に必須の持ち物としてヘッドライトを用意していただきたいのですが、まあ無理そうであれば僕がいくつか所有しているなかから貸し出すこともできます。

ホントは、登山初心者向けの山岳専門誌の記事や教科書的な書物ではこういう口約束みたいな同行者の募り方や適当な計画の立て方ではいかん、と間違いなく怒られる曖昧さでしょうが(そのへんが気になる方は、例えば発売中の『岳人』10年12月号の第1特集の山岳遭難話でも厳しく触れているので、それも参照するとよいかも)、僕はそれは程度の問題だと思っていて、もちろん適当ぶりがダメな場合もあるというさじ加減はわきまえているつもりで、でも同行者の力量を鑑みて行程をしっかり選べば今回は行ける、と踏んでいます。というか、仲間内の登山でもいつもそうしています。そりゃあ何か問題が起こっても同行者と協力しながらも責任を取れる範囲内でなければ、他人と一緒に行くなんてことはできませんからね。それはお金を取る・取らない山行にかかわらず共通する要素なので。
ただ、最近の登山者は行く前の計画から何事もきっちり決めるよりもエスケープルート(逃げ道)を多めに設定するなどしてある程度の曖昧さを残すというか選択肢の幅を持たせたほうがとっつきやすく、その許容範囲を見極められればそういう適当? な登り方があってもよいではないか、と僕は思っているので(あくまで登山も「人力」の旅の一環として捉えていて、徒歩旅や自転車旅でも寄り道する余裕もなくあらかじめ決めた道を脇目をふらず進むだけなのも寂しいし)、僕はそういう曖昧さを結構大事にしているのです。

実はここ数日はインフルエンザやノロウイルスではないけど風邪をひいたりなんだりで体調を崩している現状でこんなことを企てている場合ではないのだけど(先月までの仕事の忙しさのツケがまわっているだけ)、まあ来月に合わせて体調はきっちり戻すつもりなので、ご心配なく。

ああそうそう、催行人数は最大で5名と考えていますが、最少では1名(つまり僕とマンツーマン)でも行くつもりなので、そこはご承知を。力量を知っている僕の山関係の友人知人が手伝いに来てくれればもう1~2名増やしてもいいかもなー。

では、ご希望の方は事前に参加の意志を確認したいので、参加する旨を、

watarureport@mail.goo.ne.jp

宛てにメールで、来月5日(水)頃まで受け付けます(僕のより詳しい連絡先をご存知の方は、そちらでも可)。そのさい、氏名(実名)、すぐに連絡の取れる電話番号かメールアドレス、22日(土)へ延期した場合の参加の可否、を教えてください。

登山について何か質問等があれば併せて聴きますし、これに先立って何か登山の装備を新調したいという場合は、東京都・埼玉県在住の方であれば今月中は比較的自由な時間が多く取れるので実際にお会いして買い物にも付き合いますよ(他人の登山道具の買い物に付いて行くのが昔から大好き)。
また今回をきっかけに、オマエなんか信用ならん、もっと登りたいんだ、と意欲満々の方には、僕の人脈も辿りながら各人の方向性に沿ってより深く登山を教えてくれる適切な人や集まりを考えます。
今回の催しはあくまで、まずはその前段階としてそんなにお金をかけずにお試しで山を歩いてみる、という体で行なうつもりです。比較的高くつくガイド等の催しとは違って仲間内感覚で行くのでもちろん無料ですし。単にそのきっかけを安く提供できれば、と思います(登山は本気で続けてゆくとなると意外にお金がかかるので、その苦しみ? はよくわかります)。いきなり夏の富士山よりも、高尾山とかこういう低山から段階を踏むほうがいいと思うけどなあ。

一応、当日は時期的に降雪の可能性もなくはないですが、もしあっても過去の傾向を考えるとそんなに積もるほどでもなくて心配ないと思います。でも大雪の場合は延期を基本に、対策を当日までに考えます。

まあ仮に応募ゼロであっても、その日はひとりででも行くつもりなので、予定は空けておきますけどねー。
ではまた長くなってしまったけど、ご応募お待ちしております。



※おまけ


飯能方面の山のイメージ写真として、10年2月に行った日和田山近辺のを挙げてみますか。
基本的には樹木ばかりだけど、このくらい眺めの良いところもあるのですよ。

創業80周年記念にちなむ催しにしてはなんとも……

2010-12-03 11:30:09 | 登山

1日の投稿にある野宿の半日前のできごとに遡る。

先月30日(火)夜、山と溪谷社の創業80周年記念として出版された『単独行者(アラインゲンガー)』と『ヤマケイ文庫 垂直の記憶』の発売記念講演会として、それぞれの著者の谷甲州氏と山野井泰史氏が「ひとりで山に登る」、つまり単独行をテーマに対談する催しが東京都千代田区麹町の「TOKYO FM HALL」で行なわれた。
元々は何事においても単独行志向の僕としてはもちろん話の内容は良かった。その詳細は今後発売される『山と溪谷』11年1月号か2月号の誌面にもくまなく反映されるだろうから、そちらに譲る。ただ今回、それは置いておいて立腹したというほどでもないけどすんごい気になったというか疑問に思ったのは、運営面というか参加者の扱いについて。

今回の催しの聴衆の募集は無料で先着300名で、インターネット利用で特設ページから申し込む、という方法だった。これは事務的な手間をできるだけ省くことを考えるとわかる措置だが、しかしこれでは普段の『山と溪谷』などの紙媒体の読者のなかでPCを使わない・使えない、けれども講演会には興味ある、という読者もいただろうに、受付はPC利用のみという情報格差? が発生している。
まあ最近は身内や友人に申し込みを代行してもらう対策もあるが、そういうことは自らやりたい人もいるだろうしなあ。
しかもこの催しのフライヤー(上の写真左)も、僕が見かけた限りでは東京都内のいくつかの書店や山道具店に散らしてはいるものの、やはりその書面上でも申し込みは特設ページからのみと謳い、アナログ? な読者を完全に締め出している。
さらに特設ページから申し込むと向こうから受付が済んだことを知らせる、そして当日の「講演会参加証」のメールが届くのだが、このメールを印刷して当日持参せよ、という手間もかけている。これはほかの一般的な催しでは氏名と電話番号程度の個人情報のみわかる参加者名簿を作って受付時にそれをチェックして随時確認すればよいのでは、と思ったが、まあそういう手順になっていた。参加希望者にはメールを出力すべき環境も強いているのね。これは近年はネットカフェやビジネス関連の名刺作成や大量印刷等を行なう店にUSBメモリにでもそのメールを入れて持参して、そこで出力してもらう手もあるけど。
でも面倒っちゃあ面倒かな、まずこの申し込みの手順からしてうーむ、と不思議に思った。

次に、今回募集した300名は開催当日の数日前に定員に達していて、そうなるとその締め切り後はいくら問い合わせてももうダメ、当日のキャンセル待ちみたいな臨時の救済措置もなし(当日の受付時に手間がかかるし、あとから申し出た人を特別扱いで一度受け容れるとすべて受け容れなければならなくなって収拾つかなくなる)、ということになる。これは会社の担当者に前日に電話で直接確認したことだが、まあとにかく余計な仕事を増やしたくないということらしい。

で当日、蓋を開けてみると結局は僕の目視で少なくとも50席以上の空席があり(終了後に座席にある資料が持ち帰られていない様子を正確に数えれば、60席以上あったかもしれない)、一般的に無料の催しというと、とりあえず申し込んでおけと気軽に申し込んで実際に来場する意欲の低い人もいるのが常だが、そういう中途半端な人の煽りを受けて申し込みが締め切り前にできずに遅れた、もしくは催しがあることを遅めに知ったがすでに締め切られて、行けるのにもうダメで諦めざるを得ないと悔しい思いをする人が損をする、という事態が実際に発生していたのはなんだかなあ、と思う。

というのも開催数日前になってからだが、これに興味のある僕の友人知人を2名追加したかったのだが、そういう事例も定員に達したあとでは一切ダメ、と問い合わせ時にはっきり言われて、そんな話を真に聴きたい意欲満々の、そして当日に行けることがわかりきっている人が空席があるのに入れない、という事態はなんとも歯がゆかった。
そういう人たちを実際に入れるかどうかはわからないよ、という条件付きででもいいから当日のキャンセル待ちの列でも別個に作ってでも少しは受け容れることができれば、より話を聴ける、そしてその後のロビーでの谷・山野井両氏の著作の即売でもより売り上げを伸ばせたはずなのに、と思った。
これは受付時に参加証の提出ではなく、きちんと名簿を作って来場者をチェックするカタチにすれば、開始時にどのくらい来ていない人がいるのかもその都度パッと見でだいたいわかると思うのだが。

ちなみにこのとき、会場への交通の主な手段としての東京メトロ半蔵門線が(最寄り駅は半蔵門駅)、都心から南西へ延伸している東急田園都市線で17時50分にあざみ野駅で発生した人身事故でちょうど開始前の時間帯に一時不通、その影響で折り返し運転とダイヤの乱れも発生していたという不運もあって、その煽りで遅刻する人も多少はいたが(実はこの不通によって事前に予約済みの僕の知り合いが1名、会場に到底間に合わないということで来場を諦めていた)、それでも空席は50席以上あった。まあこれは同情の余地はあるけれども、それでも開始時間に間に合わなければそれは当人たちが悪いので、時間内に来場しているキャンセル待ちの方を先に受け容れて、遅刻した方は立ち見、という方法もあったのではないか。
まあ実際には、会場でそういった余剰人数が発生しても全員着席できたと思うけど。

それから講演後のサイン会についてだが、そんなふうに全体の開始時間が鉄道の遅延で遅れてそれに遭った人をしばし待ったこともあって、開始時間が11分遅れて進行もずれて、事後の会場の撤収作業も考えるとサイン会の時間を短縮かも、という焦り? も主催側にあったと思う。
それを見越してか、サインは谷・山野井両氏の署名のみで個人的な名入れなどはダメ(あとこういう場でよくあるのは記念写真撮影とか花束贈呈とかかな)、というお触れが事前にまわっていて(会場も含めて写真撮影も一切ダメ。それはまあわかるが、両人がそれぞれ許可すればいいんでないの?)、両人はただただ次から次へと流れ作業的に自分の名前を書いてゆくだけという、なんとも淡白なサイン会となった。というよりも単なる公開型の署名大会だった。まあそれぞれの著者と至近距離で顔を合わせられたことはもちろん嬉しくて良かったけどね。

実際にその列に並んだ人も両人それぞれ100名もいなかったかな(本が高価なこともあってか、谷氏の列のほうが短かった)、おそらくそれは主催側の予想よりもはるかに低い人数で、結果的には終了予定時間の20時45分の7分前にはサインを求める人はすべて捌けきっていた。だったら名入れもできたじゃあないか、進み具合に合わせて臨機応変に対応できたんじゃないの、と僕は列の最後のほうにあえて入って全体を観察していて思った。
というか、著者と読者が万難を排して? 直接対面しているのにサインは流れ作業でそれだけ、というのもなんか逆に寂しかった。芸能人やもっと高名な作家みたいに100人とか200人とかいたわけでもないのに。

この慌しさは、このホールを借りるさいの料金設定が21時までなので、それ以降は延長料金が30分ごとに発生するためにできるだけ21時までに収めたい、という意図があったのは今となってはよくわかる。この類の貸し会場の夜の時間設定は21時までというのが多いから、そこは同情の余地は多少あるけれども。こういう会場、22時くらいまでに設定してくれないもんかなあ、そうしたらもっと利用する団体は増えると思うのだが。

だが、繰り返しになるがせっかく著者と読者が直接対面しているのだから、時間を30分延長してでも参加者各々にほんの少しでも両人に挨拶なりなんなりができる時間的な余裕があって然るべき、と思う。延長がイヤなら、開始時間を18時30分ではなく18時に早めればよいのではないかと。そうなると仕事の都合等で来にくいという参加者もいるだろうが、そこを有給休暇なり早退なり仕事を倍速で片付けるなりでやりくりして、その時間になんとか合わせて来るくらいの気合も聴衆側にも必要だと僕は思っている。それも無理なら費用はかさんでも期日を土日祝日に設定すればよいし。

まあさすがに、この2日前に別の催しで角幡唯介氏に今年の開高健ノンフィクション賞受賞作の『空白の五マイル』(集英社刊)にサインをもらったときのように刻印まで押してくれたくらい丁寧に応対してくれとは言わないが(角幡サイン会は20名程度だったかなー)、流れ作業をホイホイ進めて両人のサインに際して何か一声かけることさえ許されない空気が漂っていたのはどうなんだろうねえ。ホントに寂しい限り。
できれば、また別の機会にサイン会のみの場を、書店や、登山系の催事に理解のあるICI石井スポーツの「アースプラザ」などで再度設けられるとよいと思うけどなあ、どうなんだろうなあ。

というわけで、特に今年は個人経営のカフェで参加者数名程度の小さな会場から今回のような300名規模の会場まで大小様々な場所で旅・登山関連のトークショーや講演会を硬軟問わず聴いてきた(数えてみると今回のヤマケイのが今年20本目)、それに今回と規模と内容の差は雲泥だが昨年にいくらか柔軟性のあるトークの催しを個人的に主催できた経験を踏まえて視ても、この催しは全体的に主催側が読者への還元よりも無難にコトを運ぼうとするがゆえの杓子定規ぶりというか頭の固さが目立ち、せっかく肝心の話の内容が良かったのに、80周年記念という冠が付いているわりにはお粗末でツッコミどころ満載の催しであった。なぜ全社を挙げて大々的に行なっているのに、当日の人員もそれなりに配置して費やしているのに、そんなに落ち度がいろいろあからさまに見えてしまったのだろうか、ああもったいないもったいない、としきりに思った。
ホントはヤマケイの関係者の方々に少し挨拶しようかと思ったが、催し全体のそういうことが目につきまくったので、それを先に整理して考えたいがために特に何もなく会場をあとにした。それを考えてばかりだったものだから、ここ数年で山野井さんの奥多摩の御宅に泊まりに行くくらいの仲である知人からの山野井さんへの伝言も伝え忘れちゃった。

僕は基本的には大好きな山と溪谷社、催しの運営面であぐらをかいたようなこの固さのまま今後もいくと、最近勢いのある出版社に出し抜かれるのも時間の問題かもしれない、と本気で思った。良い本を出版する会社なのはわかっているから、読者への還元という意味でのこういった催しももっと丁寧に扱ってほしいものだ。もっと柔軟性のある催しを。
と、『単独行者』と『垂直の記憶』をもちろん両方とも買っている立場から(ついでに挙げると『垂直の記憶』の単行本のほうも初版を持っている。ほかにも今年はヤマケイの本は数冊買っていて売り上げに1万円以上貢献していますよーだ)、僕の友人知人約3名がこの催しへ行けなかったというリベンジの意味も少々込めて正直に言わせてもらった。


※4日の追記
昨日、急ぎで書きなぐったせいで誤字が多かったのでそれを直し、少々追記もしました(東急電鉄に問い合わせて確認した、開催当日の東急田園都市線の不通のこととか)。
※12日の追記
リンクも追加し、さらに少々追記しました。いじるのはもうこれでやめておく。

※2011年1月末の追記
『山と溪谷』11年2月号にやはり、この催しの再録記事が掲載されていますわよ。

ネパールの懐かしい顔と誌面で再会、今度はできれば実際に会いに行こう

2010-09-23 15:00:18 | 登山

今月発売の『PEAKS』10年10月号のなかの、シェルパ斉藤(※1)さんの連載『シェルパ斉藤の山小屋24時間滞在記』で、今回は南八ヶ岳登山の重要な起点となる赤岳鉱泉を取り上げている。僕も近年もたまにここのテント場にお世話になっていて、比較的行き慣れた場所。でも貧しいゆえにテント泊ばかりで、いまだ鉱泉に泊まったことはないけど。いつになったらそんなリッチな泊まり方をできるのだろうか。

で、(八ヶ岳の東側の麓に住む)斉藤さんがいつものように小屋に24時間滞在したときの顛末を綴っているが、そのなかで最初の写真からいきなり、ええっ、と驚いたのが、知っている顔があったこと。
本文中でも前半で触れているが、鉱泉で数年前から夏季にネパール人のポーター(荷物を運び上げる歩荷人)を雇い始めたそうだが(という噂は2、3年前から小耳に挟んでいた)、そこに写っていたネパール人2人のうち1人のディビ・ライさんを僕も知っていたりする。まさかこの方だったとは。

というのも、ネパール国内に混在する複数の民族のなかでも比較的多いほうの部類に入るライ族(※2)のディビさんは9年前のネパールでの登山で、僕たちの小さな登山隊でもベースキャンプの生活を切り盛りするコック(料理人)として雇って1か月近く行動をともにしていたため、もちろんよく憶えている(ほかにもディビさんの補佐役として2人いた)。
というか、標高を問わずネパールヒマラヤを目指す日本の登山隊で日本人経営のエージェントの「コスモトレック」を介して登山計画を組んでいる登山隊やトレッキングの団体でこの方にお世話になっている人は多いはず。過去十数年の大学時代の先輩が参加していた登山隊でもディビさんをわざわざ指名して雇っていたくらいだったから。

指名、というのは、ほかにも登山隊のスタッフの業務で従事できる人材はピンキリでいるそうだが(性格や相性が合うか否かという意味で)、ディビさんはそのなかでも特に有能なほうで、仕事ぶりは真摯で誠実で、日本からの各登山隊に数多く帯同する影響で日本語の勉強にも熱心で、当時でも僕らもカタコトではあったが彼と日本語でやりとりできていたくらい。9年経って、しかも日本にネパールの(仕事にならない)雨季のあいだに出稼ぎに来るようになったということは、日本語はさらに上達しているのかな。当時、いつか日本に行って日本の山も登ってみたいと言っていたしなあ、それがまあ生活のための歩荷仕事ではあるけど、ようやく実現しているのか。

そういえばネパールの登山というと、世界最高峰のエヴェレストでも比較的低いトレッキングルートでも大なり小なり登山隊を組むときに雇う現地スタッフの人数や質の良し悪しも重要で、現地でも年齢やその仕事の経験の多少で偉い・偉くないの序列みたいなものができている雰囲気はある。だいたい下位から、

・ポーター(荷運び人。現地雇用が多い。「ローカルポーター」とも呼ぶか)
・ポーター頭(ポーターのまとめ役)
・キッチンボーイ(料理人の助手)
・コック(料理人)
・シェルパ(ポーターよりは高位の荷運び人。だいたい標高4000m超のベースキャンプより上への荷揚げを行なう意味で「ハイポーター」とも呼ぶか)
・クライミングシェルパ(ポーターよりは偉く、登山隊のベースキャンプより上の登山隊員のガイド・補佐役)
・サーダー(登山隊と現地スタッフをつなぐスタッフ側の責任者。登山も行ない、隊員と主従関係ではなく対等の立場になることも。※3)

みたいな順になっているか。
おおまかにはキッチンボーイより上位は登山隊に終始帯同し、ポーターは往復ともに現地で装備や食糧などの隊荷の量に応じて一時的に雇うことが多いが(大規模な隊だと1tや2tを超えることもあるから)、その量が多い往路のみカトマンズからより信頼の置けるポーター役を連れて行くこともある。
もちろん、位というか役職が上のほうがより稼げるわね。しかもディビさんくらい有能で信頼でき、登山隊から事前に指名そして予約されたりすると尚更か。

一般的にはこれらのスタッフをすべてひっくるめて「シェルパ」と呼ばれたりするが(厳密にはヒマラヤ山脈により近い高地出身のシェルパ族に限って「シェルパ」と呼ぶべきだが、ネパール国内でもいろいろな出身地からの民族で構成されたスタッフが混在する)、人によって役割は様々だったりする。複数の役割を兼務する場合もある(※4)。このへんは軽く触れていて登山の形態によっても微妙に誤差もあるかもなので、もっとヒマラヤ経験の豊富な方にツッコんでいただけると幸い。

で、登山隊の規模や経済力によって雇う・雇える人数も異なるが、9年前の僕らの場合はコックのディビさんがサーダー役も担っていて、現地スタッフ、例えばポーターとの隊荷の配分や日当の交渉なんかもすべてお任せしていた。というか、有能なのでディビさんは現場監督的な経験を積んでいけばいずれ立派なサーダーになれる器ではないか、との話もあった、というくらい、近年の日本の登山隊に欠かせない人材であることは僕も一緒に行動していてよくわかった。それ以降のここ8年の仕事ぶりは存じ上げないが、現在はよりその質は上がっているはず。

それで連載の話に戻ると、この取材は2か月前の7月下旬に行なったそうだが、僕がディビさんがいるらしいことを知ったのは先月にツイッター上で、登山関連のプロの方々のツイートでこの夏季の歩荷と、普段の地元のネパール・カトマンズではコスモトレックの隣でレストランを経営し始めているとかいう話も小耳に挟み、ああそこまで進化しているのか、やるなあディビさん、と感心した。どうやらそのレストランではモモ(チベットの餃子)が特に美味らしい。日本人向けの店なんだっけか。まあその活躍ぶりも、彼の人間性や彼が作るダルバート(ネパールの定食)などの料理の味を知っていれば納得。

そういえばネパール、ここ数年の国政の変化や登山・トレッキングの盛況ぶりなどは小耳に挟んでいるが(なんか小耳に挟んでばかりいるな)、9年前からうっすら考えているネパールへの再訪はまだ果たせていない。まあ今後行くタイミングはどこかしらで訪れるだろうが、というか前向きにその機会を作りたいとは思っているが、どうなりますやら。
もうひとつそういえば、最近の僕の友人知人で公私ともにネパール経験者は多く、現在もどちらかと言うと登山・トレッキング関連の仕事で度々行く人のほうが多く、よく考えたらその人たちに観てきてもらって近況を訊けばよいのか。

でもまあ、僕が実際に会いに行ったほうがよいに決まっているので、ゆくゆくはネパールへ再訪することを改めてこの場を使って誓っておこう。
でもその前に、来夏もディビさんが赤岳鉱泉に来るようだったら、ひとまずそこに会いに行けばいいか。そのくらいはさくっとやってみるか。ただディビさんが僕のことまでまだ憶えているかどうかはわからないけど(繰り返しになるが、彼にお世話になっている日本の山ヤさんは多く、述べ人数で数百人はいるはず)。
ひとまず、夏場に赤岳鉱泉へ行ってみようっと。

そういえば『PEAKS』は、このディビさん入りのカラー記事を保存したいがために月刊化されて以降初めて今月号を買ってみたのだが(※5)、たまにこういうハッとする記事があるから、今後もなんだかんだ言いながらも山好きのひとりとしてチェックし続けなければ。



●補足
※1 先月は『BE-PAL』10年9月号の連載の記述についてちょっこし批判的に絡んでみだが、そこでも補足したように僕は基本的に斉藤さんの書くものが好きなので、この連載も当然チェックしている。
※2 現在のネパール国内の民族についてはやはりネパール国大使館が詳しいか。民族についての記述もある。ネパール東部のシッキムのほうが出身のライ族は厳密にはこう呼ぶべきではないみたいだけど。
※3 ネパールの登山隊の場合、クライミングシェルパの頭でもあり、なかには正規の登山隊員よりも技術的に山慣れていて登れるものだから、その“お客さん”よりも先に登頂して良い結果を出せちゃったりする人もいる。このくらい上の役職になると各登山隊からの装備提供も多く、安い登山隊員よりも個人装備が充実し、8000m峰に複数回登頂しているやり手のサーダーもいるとか。中国では連絡官、パキスタンではリエゾンオフィサーと呼ばれる立場だが、これらはネパールと違って山には登らない人が国の決まりごととして(登山への興味の有無にかかわらず)事務的に就く感じ。
※4 ほかに、現在のようにGPSや衛星携帯電話が普及してパソコン持参でメールのやりとりや情報の受発信も容易になる以前は、「メールランナー」として隊の動向(登頂の可否や事故発生の第一報など)を麓へ駆け下って連絡しに行く飛脚のような役割もあったが、今はどこの登山隊もパソコン駆使で進んでいるからなあ。その様子は最近の週刊ヤングジャンプ連載『孤高の人』でわかるかと。まああれはパキスタンのK2登山の話だが、登山隊の仕組みはネパールとそんなに大差ない、はず。
※5 まだまだ『山と溪谷』と『岳人』に比べると軽さは目立つが、記事中に登場する人物も充実してきてだんだん面白くなってきた印象がある。ほかの連載では、「Because it is there… なぜなら、そこに山があるから」や「STANDARD EQUIPMENTS 定番が生まれる現場」も面白いっす。


●別件の追記
そういえば偶然だが、この号の113ページに、現在エヴェレスト登山中のあの有名な栗城史多氏の著書でなんか先日は電子書籍化も果たした『一歩を越える勇気』(サンマーク出版刊)が書評ページに今更ながら取り上げられているが(僕も今年初めに一応読んでいますってば)、その紹介者を見て驚く。
しかし、どう転がっても、口が裂けても、天地がひっくり返っても、僕は今後も彼を「栗城様」とか「栗城隊長」なんて呼べませんっ。
ここ数年、マナスル・ダウラギリ・アンナプルナ・エヴェレストとネパールへ通う回数が多い彼について、いろいろな登山隊とかかわって多くの日本の山ヤを良くも悪くも知り尽くしていて、彼の登山隊にも仕事仲間がかかわっているであろうディビさんはどう思うのだろうか、という“雇われる側”目線からのまだ20代のやんちゃ? な“雇い主”への印象もいずれ訊いてみたいものだ。

玉石混淆? な後発の登山専門誌『PEAKS』に期待

2010-05-25 23:59:33 | 登山
昨年、出版社の野遊びの初心者に向けた野外系フリーマガジン『フィールドライフ』から登山の要素を抽出して定期刊行された雑誌『PEAKS』が、この1年の6号分の隔月刊行を経て今月号(10年6月号)から月刊化となった。ああついでに言うと、同じく初心者の女性向けの『ランドネ』も来月から月刊化なのよね。
というか、出版社のここ2年くらいの登山に限らず野外系雑誌・ムックの勃興ぶりは凄いね。あえて悪く言うと、その急激な大風呂敷の広げ方は大丈夫なんだろうか? と心配にもなる。

登山系の隔月刊や季刊や年1回発行の雑誌というかムックは結構あるが、月刊の山岳専門誌というと『山と溪谷』と『岳人』という二大巨頭がこれまで数十年君臨してきたところに新参者の『PEAKS』が割って入って第三の山雑誌と成り得るか否か(※1)、というのが野外系雑誌がカレーの次に大好物の僕としては今後要注目の点であるね。

それで、03から年4回発行で(野遊びにおいての)「永遠の小学一年生」を目指してきた『フィールドライフ』を読み慣れているが、そのノリの延長で、さらに実用的な情報も加味して進化した『PEAKS』の誌面の雰囲気はよくわかるが、今月号の1ページ目の、(『フィールドライフ』初期のヒラ編集部員の頃から名前は見知っていて昇進された)朝比奈耕太編集長の「月刊化のごあいさつ」という一文で初っぱなから、ん? と僕的に引っかかる点があった。
そのなかで、これまで『PEAKS』にかかわり、そして今後もかかわる関係者、そこで触れているところの編集部員やライター陣がアルパインクライミング経験者からこれから登山を始める初心者まで混在していて登山レベルは様々、という様子を「玉石混合」と表現している。が、これは「玉石混淆」(または「玉石混交」。読みはともに「ぎょくせきこんこう」)の誤りなんだろうか、それとも混ざっていることを「混合(こんごう)」とあえて表記しているのかはようわからんけど、校正者としてはやはり「合」と「淆(または交)」の1文字についてツッコミを入れざるを得ないのよね。しかもこれだったら、レベルの差異がある雑誌的には特定多数? の人がかかわっている有様を同じ四字熟語でまとめるのであればもっと単純に「多種多様」や「十人十色」のほうが妥当ではないかとも思う。

しかもこの表現、その1文字の誤植? の指摘のみでは簡単に済まされない問題も孕んでいる。
「玉石混淆」の意味を改めて考えると、「玉」が宝玉で「石」がただの石ころで、このふたつが入り混じった状態を指していて、「良いものと悪いもの」「賢人と凡人」「優れたものと劣ったもの」の両方が入り混じった状態、を表している四字熟語なのだが、この意味を件の一文の文脈に照らし合わせると、「玉」がアルパインクライミングで「石」が初心者、という悪い解釈もできる。これが校正者としてもいち登山者としても引っかかるのだ。

たしかに、後者のようになぜ山を登るの? 道具は何から揃えて始めればいいの? という感じの超が付くほどの初心者にとっては、例えば登山の技術のひとつの読図を(ここでは国土地理院発行の2万5000分の1地形図を事例に)とっても、山慣れている人は等高線の混み具合で山の傾斜ひいては地形の全体像を把握できたり尾根・谷の長さを見極めつつ湧水・沢のありかも予想したりできる。が、そんなモノが、それにそんな“読み方”がこの世の中にあることも山慣れた経験者から言われて初めて認識するくらいの初心者からすると(※2)、地図上の1cmが実際の250m=2万5000cmに相当するとか、地形図の上方は北を指すとか(まあ厳密には地図の北とは別に磁北があって微妙に西に偏っているけど)、等高線の間隔は10m単位(主曲線のこと)、とかいうこともちんぷんかんぷん、という人も多いのだろう。
ああちなみにこの事例、最近僕がかかわっている登山初心者の特に女性の実体験に基づいて触れていて、(地形図は、近年の登山でよく使われる昭文社の「山と高原地図」シリーズよりもさらに敷居が高いのか……)。認識はホントにこの程度なのよね。ほかにも装備への審美眼や危機管理など経験の多少の事例を挙げればキリがないが、まあいろいろあるか。

おそらく朝比奈編集長はそういった技術的な面で優劣の差がある、という意味で「玉石混淆」を使ったのだろうし、それはそれでひとつの真っ当な考え方だとは思う。だが、さらに僕のように深読みしたがる人がもう一歩突っ込んで考えると、アルパインクライミングが優れていて、初心者が行くような日帰り陽だまりハイキングのような女性や子ども連れでも比較的とっつきやすい軽登山が劣っている、という意味にも取れる。
言わずもがなのことだがあえて触れると、登山にそんなどちらが上か下かと競技のような優劣をつけるのはおかしいと僕は思っているし(※3)、まあヤマケイも岳人も同様だろうが『PEAKS』ではそういった登山スタイルの垣根を越えた特に若い人向けの情報提供を目指しているはずで、その意図を考えるとやはり「玉石混淆」は不適切な表現だと思うんだよなあ。僕もふつうに日帰りで行くハイキングも好きだし、近年は夏季の沢登りを特に突き詰めているし、さらに冬季には雪山をピッケル・アイゼンを駆使してがしがし行きたいこともたまにあるし、といろいろなカタチの登山を四季も山域も問わずなんでもやりたいと思っているクチで、ある程度の経験者ではそういう欲張りな人も多いはず。

まあひと昔前の「山ヤ」さんのように、ゲレンデでの岩登りとそこから少し発展した沢登りを経て冬季の雪壁・雪稜を登り込む、ゆくゆくはヒマラヤ山脈の高峰登山を目指す、と順序立てたうえでの上昇志向のある人々からすると、ハイキングや山菜採りのような低所での登山や積極的に山頂を目指さない「トレッキング」や「バックパッキング」を見下す傾向もあるにはあったが、今はいろいろな登山のカタチが生まれて多様性があって然るべき、それにどれが良くてどれが悪いとか判別すべきではない時代で、最近流行りの“山ガール”や山スカートもあってもいいんでないの? と僕は思う。
ほかにもここ数年加熱しているトレイルランとかフリークライミングとか野外フェスとか、実際に媒体の影響で格好や周りの友人知人のクチコミから入り込む人もいるし。雑誌の送り手も受け手ももっと柔軟な発想で取り組むべき。『PEAKS』の制作にかかわっている人のなかでその「玉」と「石」の多様性を特に知っているのは、どちらかと言うと「玉」指向の? 編集部員のひとりの(元ヤマケイ編集の)森山憲一氏かなあ。
ただ、入口はやさしいハイキングでも、いろいろ経験を積んで後々は「山ヤ」的な上昇志向に芽生えてより高くより困難を目指すほうへ進む人もいるだろうから、そういう人たちのために岳人や『ROCK&SNOW』のような媒体もあるべきだとも思うので、差別化を図りながらうまく共存できるといいね。

まあなんだかんだ言っても、『PEAKS』の間口の広さというか敷居の低さはアリだと思うので、もちろん大歓迎。
そういえば『PEAKS』の今月号を読んでいて敷居の低さに関することでひとつハッとしたのが、特集の「山ラブ。 ぼくらが、山に登る理由」。ここで9人の著名人を挙げているなかで、石川直樹、荻原次晴、小林紀晴、KIKIあたりの山とのかかわり方は知っているが、なかでもいわゆる芸能人代表? として緒方龍一(w-inds.)と工藤里紗(※4)も挙がっていて、ともに20代のふたりも山好きというのは全然知らんかった。そのインタビュー記事で過去の単独登山の事例として挙げている緒方の長野県・南八ヶ岳(しかも冬季)も工藤の埼玉県・鐘撞堂山も、登山レベル的にはかなり差異があるが僕も両方好きでそこそこ知っている山であるが、こういった芸能人も取り上げる柔らかめの記事はヤマケイや岳人ではあまり見られない守備範囲外のものだと思うので、こういう一般受けしやすい情報の引っ張り出し方は目新しくて面白かった。

先駆の二誌のようにン十年続いている伝統や格式(ある意味、縛り?)を重んじる必要はなくてそれらよりは軽くて自由度の高い立場にあるんだから、やはり読者層は若者に絞って流行りモノを的確に捉えた雑誌を作っていくとよいと思うなあ。でも、あまりにふにゃふにゃすぎるのも困るので、昨年7月中旬の北海道・トムラウシ山周辺大量遭難のような風化させてはならない登山の負の側面、楽しいことばかりぢゃないよ、ということも脅しまではいかなくてもそつなく報じてほしい。野外系雑誌では昨年に月刊化された『fenek』が1年しか持たずに今年から季刊に縮小してコケてしまったので、『PEAKS』にはそのぶんも含めて期待したい。そうね、誌面の雰囲気的には『BE-PAL』と『ヤマケイJOY』を足した感じがいいかなー。野遊びの良さをあまり堅苦しくなく柔らかく伝える、というのは僕も最近よく考えている懸案なので、おおいに参考にさせてもらいたいし。

今後の『PEAKS』、僕の山関係の知り合いが結構登場するのかなあ、という点でも楽しみにしている(実際、既刊の号で知っている人がちらほら登場している)。実際の雑誌作りも、編集よりもこれから参画する公募モデルや同業他誌でも活躍していて比較的名高い野外系ライターの活躍に懸かっているんだろうけど(堀田貴之、シェルパ斉藤、村石太郎、高橋庄太郎、森山伸也、成瀬洋平など。※5)。
そういえばもうひとつツッコミたい点として、ここ1年の『PEAKS』雑誌作りをいち読者として視ていて、ライター、カメラマン、ショップ店員、各メーカーのプレス担当、プロのモデルなど、制作にかかわる面子は懇意にしているごく内輪の面々で固めている雰囲気も感じるので(そういう代わり映えしないというかやや閉塞的な雰囲気が苦手な読者もなかにはいるかも)、それをもっと取っ払ってこれまでに一緒に仕事した経験のない無名だけれども熟達者、型破りな門外漢が誌面にもっと登場するといいのになあ、とも思う。もちろん読者の声ももっと反映させつつ。なんなら僕の友人知人でもそれっぽい尖った? 人にも心当たりがあるので、少しは仲介しましょうかー。

ただ、この月刊化で逆に悩みどころなのは、ヤマケイや岳人などともに毎月チェックする野外系媒体が増えてしまってそれらを追うだけでより四苦八苦するということ。どうしても好きなものだからやめられないしなあ。うーむ、悩みが増えて良い意味で困った困った。
それと、月刊誌に力が入るということは元の『フィールドライフ』の今後の去就も気になる。朝比奈編集長は09年夏号からこちらの2代目編集長も兼務しているが、まさか『PEAKS』が軌道に乗って忙しくなってくると休刊という可能性もある? でももしそうなったとしても致し方ないとはすでに覚悟していて、無料で続けてゆくのは大変だと思うから。
こちらも好きな雑誌なので、程良いバランスで併せて続くといいね。



●また長いからべつに読み飛ばしてもらってもかまわない注釈
※1
登山とは脈絡ないけど、十数年前の国内航空業界においての全日空と日本航空(+日本エアシステム)のあいだにスカイマークエアラインズが新規参入したときの力関係にちょっと似ていると思うのだが、どうでしょう。
※2
でもホントは地形図って、小学5年の社会科や中学校・高校の地理の授業で少しは触れていて程度の差は学校によってあるだろうけど知識としてみんないくらかは持っているはずで、特に地形図の存在を意識してこなかった人たちはそれを忘れているか授業をちゃんと聴いていなかっただけだとも思うが。登山をやるのであれば、少しは思い出してほしい。その使い方というか読み方の上手い下手が生死を分ける可能性もあるにはあるから。
※3
毎夏の高校総体や毎秋の国体の競技登山、近年流行りのトレイルランやスキーによるレース、それにフリークライミング・ボルダリング・アイスクライミングなどのコンペ、などとあえて競技にしているものも多々あることは当然知っているが、本項ではあえてそれらは除外して考えている。
※4
記事とブログでは「工藤理沙」と紹介しているのだが、所属事務所の公式なプロフィールを見ると名前は「里紗」では? まさか最近改名したってことはないよね? たまにテレビドラマなどで観る娘だけど。これも僕的には誤字と判断して、ここではプロフィールどおりに表記している。サイドリバーの注文ページ目次でも「理紗」になっているし。人名の誤植は特に失礼なことで……(以下略)。
※5
ヤマケイや岳人では敷居が高くて、『PEAKS』を介して初めて登山話に触れる方には新鮮な書き手ばかりなのかもしれないが、登山や自転車をはじめ野外系雑誌を常に十数誌併読している僕があえて悪く言うと、これらの書き手は他誌でも連載を持っていたり単発の特集・特別記事にも頻繁にかかわってきたりでいわゆる「アウトドアライター」として野外業界で頻出する見慣れた名前ばかりで、この市場の書き手はある意味寡占状態と言えるか(今月号では登場しなかった登山系のほかの著名な書き手も合わせると30~40人くらいで常にパイを奪い合っている状態?)。それが過ぎると特定の書き手のある種偏った? 思考や手法ばかりが流布される、という恐れもあるにはある。だから今後はもっと書き手も新陳代謝が活発になってもいいのかな、と常々期待しているんだけど。
まあ逆に良く言うとその方々の頻出ぶりは商業誌で記事にする筆力があることの証左でもあるが、僕のようによく視ている人からすると雑誌編集者との普段からの信頼関係の深さによって同じ書き手が重用され続けることで内輪っぽい印象を受けることもあることは否めない。続々出でよ新参者、という感じ。でも僕はその市場に直接食い込みたくはないけど(あくまでこの投稿のような少々嫌味? なことも書いちゃう野外系校正者(自称)という第三者の立場で居続けたいし、「仕事」として金銭の授受が発生しなくてもいいからホントに心底書きたい・伝えたいことは本ブログで完結させたいから)。

※そういえば、『山と溪谷』と『PEAKS』はそれぞれ編集部発信の、裏話やこぼれ話主体? のブログがあるのよね。『岳人』は今後やらないのかしら。まあ流行りのツイッターでもかまわないけど。あ、月刊ではないけどついでによく覗く『ヤマケイJOY』も挙げておくか。

東京新聞夕刊の山野井泰史的自伝みたいな連載

2010-05-17 23:59:03 | 登山

東京新聞夕刊1面の下のほうの連載「この道」に、6日付から山野井泰史氏が登場している。毎回800字くらいのものかな。
毎回買うと40円ずつかかって出費がかさむので、近所の図書館で数日おきに読んでいる。

連載は今日付で10回を数えていて、最初の1~2回は自己紹介っぽいものだったが、それ以降は小さい頃から順を追って山とのかかわりについて触れている。
毎回写真が1枚付いていて、過去に各種媒体でも見たことのないものもあり? 結構貴重かもしれない。特に4回目は中学生のときに埼玉県・日和田山に通っていたという話で、そこで男岩を登っている写真もあり(だから約30年前か)、おぉ、と感動。この頃からフリーソロをやっていたというんだから格が違うよなあ。

今日時点でパタゴニア・フィッツロイに行ったことに触れているから、このあと主舞台がヒマラヤに移って02年のギャチュンカン北壁の生還そしてリハビリを経て復帰、という登山の経歴を結構駆け足で触れるのかしら。普段の生活のことについてとかも(ギャチュンカンでの凍傷→指の切断のことは最初のほうですでに少し触れている)。

前回の連載に登場していた河野洋平氏が全52回だったので、おそらく連載回数はそのくらいになるのでしょう。だから7月の1週目くらいまでは楽しめそう。中日新聞もか。


ちなみに、写真左下の広いおでこは今年の大河ドラマの主役(の宣伝)。江戸時代後期と平成時代の英雄? である坂本龍馬と山野井さんが揃い踏みするいうのも今日付では偶然だが面白いなあ。

09年7月のトムラウシ山遭難の報告書

2010-04-18 23:59:36 | 登山
最近いろんなところに気が向いていてすっかり忘れていたのだが、昨年7月に起こった北海道・トムラウシ山の遭難に関する最終報告書が先月完成していて、あとで改めてきっちり読まなければ。
詳しくは社団法人日本山岳ガイド協会のウェブサイトにあるPDFで。

山岳ガイド専業の方はもとより、登山が好き、と自認する者の端くれとしてもきちんと理解しておかねばならない一件であるので、これを今後の糧にしなければ。
そして最近は(少しは経験者面している、という立場から)仲間と行く機会もそこそこあるので、単独でも複数人でも、山へ向かうときの危機管理の意識とそれへの対処法をもう一度見直さないとなあ。これを読んで気を付けよう。

これは、行く山のレベルや時季や人数に関係なく(たとえ東京都・高尾山程度であっても)、とにかくどんなカタチにせよ山を登る人は目を通しておくべきだと思う。

最近の登山絡みのつぼやき(つぶやき+ぼやき)

2010-03-06 06:00:16 | 登山
今年からの本ブログの新企画としてやろうと思っていたことに、現在はまっているTwitter(ツイッター)のパクリ的な手法があったのだが、結局は本家のほうに注力してしまっているためボツにした。

が、今週、僕の好む登山絡みのネタを偶然にも立て続けに拾えたので、ツイッターにツイートするほどでもない、というかよりマニアック? な細かい独り言を、日記替わりに短くつぶやいて、そしてぼやいてみたのをこちらでまとめ投稿してみる。「つぶやき」+「ぼやき」=「つぼやき」という感じで。うう、くだらない。
なお、ツイッターは140字以内という字数制限があるが、僕のほうは150字以内と制限をちょいと緩める。まあ単に僕が1と5という数字が好きなだけのことだが。


●1日(月)

・前日に本ブログに出した東京都内同日登頂というアホ登山企画、これに行けなかったある友人から感動した、というメールが。彼が大ファンである浅田真央の先の五輪の演技でのトリプルアクセル計3回成功よりも感動したようで。ブログを誉められることは珍しいので、反応の返し方に困る。


・その「感動」の意味は、(例えばGiri-Giri Boysや谷口けい・平出和也ペアのような)ひと握りの突き抜けた行動者にしかできない一般的にも理解し難い? 困難な世界レベルの行為ではなく、誰でも入れそうな土俵(東京都内)で誰でもできそうなやり方(軽登山)で遊ぶ道筋を作れた発想が面白いそうで。


・そう言われると誰でも作れるカレーが大好物であるように、僕はイチから新しいモノを創造するよりも、既存の事象にひと手間加えてまた新たな受け皿? を創ることのほうが得意なのかも。前者のような才能溢れる芸術家肌の技術力も行動力もないので、今後の僕の生きる道は後者のようなカタチの変化球の登山なのだろうか。


●2日(火)

・NHK『生中継 ふるさと一番!』で、青梅の山岳救助隊を取り上げていた。彼らのホームグラウンドの奥多摩は僕も頻繁に行く山域で、しかもこの中継の解説役の金邦夫氏の本を昨年読んだこともあって、この背負い救出とかの救助訓練実演は興味深い内容だった。今後お世話にならないようにしないと。


・NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』は富山県警山岳警備隊の分隊長・山田智敏(ちとし)氏。観ながら、今後の剱岳方面へ行くときにこちらもお世話にならないように、とまた気を引き締める。というかそっち方面は昨夏に行けそうで行けなかったので悔しくて今夏こそ行きたいので、前向き検討中。


・『プロフェッショナル』の続き。最近、雪山登山をともにする仲間内でもマンガ『岳』を引き合いによく話題になるピッケルの持ち方、隊員たちにも意外にばらつきがあるのね。まあ長時間の人力搬送で疲れてくると足取りも含めてだれてくるのはわかるけど。そこを鼓舞して、最後はまさに気合いと根性の体育会系な世界。


・不正アクセスで1月下旬から一時閉鎖していたモンベルのウェブサイトが先月に復帰し、今日その原因調査報告が出た。まあ僕はクレジットカードを使えないので無問題、というメールも届いた。ただその期間中にこそサイトを使いたい山関係の野暮用があったので、今後二度とそういった不便が起こらないように祈る。


●3日(水)

・先週の登山で同行者に貸していて破損した、父が若い頃に使っていた年代モノのアイゼンのつなぎ部分をどう改善させるか考える。今春はもう使いそうにないので、来冬までにじっくり直して復活させたい。ひとまず東急ハンズで類似の素材や穴の加工法を模索してみる。


・今月公開の映画『アイガー北壁』を東京都内の試写会で観た。アイゼン未着用のときのピッケルの使い方や振り子トラバースの勉強になった。現代から見るとあの貧相な装備で登っていたのは凄いよなあ。それにしても僕は今後、振り子トラバースをやる必要に迫られる山へ行く機会はあるのだろうか。


・『アイガー北壁』の続き。当時の麻ザイルは現在主流のナイロンのに比べるといろいろ劣る点ばかりかと思っていたが、緊急時に編んであるのをほどいて短く切ってほかの用途に使いやすい? という利点があることも勉強になった。でも今はプルージック用の細めのスリングを用意すればよいだけのことか。


・『アイガー北壁』のまた続き。肩がらみの確保と懸垂下降というのも最近の先鋭的な登山を観ると考えられないよなあ。昨年の『劔岳 点の記』でわらじで岩を登っていたのを観ても思ったが、現代であえて当時と同じ装備で登ったら結構な冒険的行為かも。山の地質的気候的な厳しさは昔も今も変わらないだろうから。


・試写会後、同行した友人と某ターミナル駅地下で、お金がないので安い発泡酒を呑みながら反省会。この映画を試写ですでに観た著名人のコメント集の肩書きについて議論になる。「登山家」と「アルパインクライマー」と「アルピニスト」の違いはなんなのか、とか。これ、人によって解釈が異なるから判別は困難ですな。


・そういえばコメントを寄せていた人のなかに加藤滝男氏や今井通子氏の名前もあったが、若い頃に山ばかだったウチの父と弟(叔父)はまだ欧州やヒマラヤへ飛躍する前の彼ら彼女らと付き合いがあった話も小耳に挟んでいるが(故加藤保男氏も含めて)、みなさん良い歳になってきたのでその真相をそろそろ究明したい。


●4日(木)

・本ブログでも先月触れた『山と溪谷』の連載『でこでこてっぺん』の単行本、発売予定日よりも1日早く埼玉県内某書店に入荷していたのを見かけたので、触った。連載の1ページの上半分のあの17年間不変の枠を尊重した判型なのが面白い。1週間以内に必ず買うもん!


・『でこでこてっぺん』を触ったことにより、本ブログに先月コメントをくださったこの担当者さんが判明。数人予想していましたが、そうでしたか。以前がっつりお会いしたことがあるのは憶えていらっしゃるでしょうか(僕はよく憶えています)。今後も良い本を期待します。その前に、しつこいようですがサイン会を……。


●5日(金)

・山と溪谷社のムック『ヤマケイJOY』10年春号のトウキョウ・アルプス特集、昨年の学研のムック『Okugai』初号の「トウキョウトレイル」記事に酷似している気が……。まあ編集にDECOが絡んでいるからか。Okugai、昨秋の2号で止まっているね。休刊ではないようだけど。服部文祥氏の連載も面白いのに。


・『ヤマケイJOY』の続き。巻末のほうに巣鴨・ゴローの皮革製登山靴ラブリー記事があったが、実は僕もゴロー党なので混ぜてほしかった。靴はエグリーオーダーで使用歴は9年ですから。先週も履いたし。


・そういえば、近年は『BE-PAL』をはじめ野外系雑誌によくかかわっていて名前はよく見かける編プロ? のDECO、いち登山者としてもそっち方面が得意な校正者としても、僕が入り込む余地は多分にある気がする。若い女性ライターが多いのかしら。


・今年の日本アカデミー賞、昨年の『劔岳 点の記』が香川照之の最優秀助演男優賞と木村大作の最優秀監督賞を含めて6冠で、良かったね。まあ当然の結果でしょう。DVD、そろそろ買うべきなのか。


・そういえば山岳映画関連で先日知人とやりとりしていたなかで思い出したが、『運命を分けたザイル2』をうっかり観逃しているのよね。1は観ているけど。早めに観たい。DVDレンタルは再来月からっつう話はホントなのかしら。楽しみ。


あれ、よく考えたらどこかに出かけたというネタは皆無で、また書くだけ野郎になっちゃった。まあいいか。
こういう感じのまとめ投稿も今後はたまに出してみるかも。
以上。



※8日の追記
『でこでこてっぺん』、7日に池袋で買いましたよーだ。



四六判横という版型、珍しいよなあ。一応、大きさ比較の見本として、上に先月27日発売の『岳』(石塚真一、小学館刊)の11集を置いてみた。あまり変わりないけど。

それにしても、まだ全部は熟読しておらず、スペシャル描き下ろしと巻末の「でこでこライブラリー」しか読んでいないが、そこだけでも面白い。
ゲキさん、お子さんが大きくなったらまた沢登りに復帰するのかなあ。実は結構な沢ヤさんだもんなあ。ゲキさんくらい登れるようになりたい。
全体的にパラパラ見て特にツボで爆笑したのは、中身ではなくカバー表3(後ろのそで)の【下界の心得】。これは僕も花粉症持ちなので過去に数回やったことがあり、よくわかる。登山好きでかつ花粉症持ちおよびお子さんのいる方にはあるあるネタでしょう。

東京都最高峰・最低峰同日登頂

2010-02-28 12:00:30 | 登山

というのを、先週の23~24日にやってみた。しかも冬季に。

同行は、休日よりは平日のほうが都合の良いこともままあるフリーな立場で働いている、でもそのぶん僕と同様にちょいと貧しくていくらかの問題も抱えていたりもする野宿仲間2名(ともに男)で、実はこのおバカ? アホ? 企画は、07年の年末あたりから3人のあいだで挙がっていた約4年越しの宿願であった。でももちろん本人たちは超真剣に取り組んだ。
今回これがようやく実現できて、ついに男同士の約束を果たせて、まあとにかくここ1、2年抱えていた胸の支えがひとつ取れてすっきりした感じ。

ただ、実はこの計画は08年2月にも一度試みたもののそのときは雲取山の登頂は春一番の影響で断念したので、今回が2回目の試みだったりする。ホントはほかにも仲間内で同行者を募りたかったのだが、このふざけた? 計画の首謀者である3人の都合を最優先して、結局は僕も含むこの3人で平日に行ったわけさ。

で、上の写真は24日(水)9時台の東京都西部にある都内最高峰で一等三角点のある雲取山(2017.1m)の山頂なのだが、雲ひとつない絶好の、山頂でついのんびり寝転びたくなるくらいの陽気の登山日和で僕は通算8回目の登頂だー、とかいう感慨はほとんどなく、3か月前にも今回とは別の野宿仲間と登ったこともあまり気にすることもなく、さらにはここが今回の最終目的地ではなくてこのあと下山しながらもうひとつの山への登山の起点としてこの山頂を踏んだ、という経験は僕も過去にないので、新鮮な気分であった。

で、もうひとつの最低峰についてだが、これは人によって解釈というか選択肢が異なると思う。
大きくはふたつあって、ひとつが台東区浅草の待乳山聖天(まつちやましょうでん)という神社で、ここには標高は9.8mの三等三角点があって一応は一般的には山と認められてはいるものの小丘をさらに盛り上げた人工の山らしいということで、僕は2回訪れたことがあるが山と判断するには微妙な感じ。
そしてもうひとつが港区愛宕の愛宕山で、ここにも三等三角点があり、標高は25.7mとなっている。現在は登山道というか参道がいくつか付けられて階段やエレベーターまでもが付設されている人工っぷりの山だが元々は人為的に盛られたわけではない天然の山で、こちらも僕は数回訪れているが遠目から観てもこちらのほうがちゃんと山らしい外観ではある。
ということで、計画時に人工の山か自然の山かどちらにするかの2択で少し悩んだが、結局は三角点の標示がわかりやすいし、それに山って人類誕生以前からの造山運動による自然の賜物でしょう、と思い、さらに国土地理院発行の2万5000分の1地形図にも記載されてもいるということで後者、つまり愛宕山を目指し、登頂した。
あえてヒマラヤ登山風に言うとサミットデイ? となった24日のデジカメ撮影記録を見直すと、雲取山登頂が9時29分で愛宕山登頂が20時5分となっていて、この2点間の移動に正確には10時間36分かかった。とかいう参考記録はどうでもよいか。1日にこのふたつの頂に達した、しかも同じ装備と格好で継続して、という事実のみが当事者間の身体と心に刻み込まれていれば充分かと。まさに自己満足の世界。

そもそも登山とはそういう、レベルの高低に関係なく計画から実行を経て反省と考察に至るまですべて自分たちの力で計画して実行して判断してやり通して楽しみながらその責任もきちっと負うからこそ楽しめる完全に自分のための行為でそれによって周りに意図的に感動を与えるとか伝えるとかなんとかいう押し付けがましい巻き込み方が最近流行るのはおかしいししかも冒険者であるとか無酸素で単独で行ったとか殊更に主張してスポンサーに頼りきって自腹を切らずに行為におよびつつさらにはポータルサイトや雑誌などの各種媒体を利用しつつ余計に一大事にしながら突き進んでゆくのは果たして楽しいことなのだろうか? 第三者の思惑が過剰に介入していてホントに純粋にその行為を楽しめているのだろうか? とかいうことまで書き始めるとまた違ったネタになってしまうので、ここでやめておく。

ちなみになぜ今回は東京都内の山だったかというと、3人ともに最もわかりやすそうでやりやすくもあったから。ひとりは東京都民でもうひとりが千葉県民で僕が埼玉県民と住処はバラバラだったが、普段よく会う、そして仕事する場所というか生活の重点は大概は都内にあるので、やりやすいっちゃあやりやすい。
それに、人口1200万人超の結構な大都会トーキョーで、西部では冬季には写真のとおり積雪も見られる山が連なっていてツキノワグマやカモシカや猪も棲息していたりして、東部には海抜ゼロメートル地帯やお世辞にも超きれいとは言えないがたしかに東京湾という江戸前寿司のネタにも困らない海もあって、つまり標高差は2000m以上あって、何気に都会と自然の多様性がしっかり見られる、そして温暖湿潤気候(ケッペンの気候区分で言うところのCfa)による日本らしい四季もある、ヒトも含めた動物が暮らしてゆくうえではバランスが取れている良い土地であることは世界的に見ても珍しく、そこでより自分たちらしく遊ぶにはどうすればよいか? 果たして何ができるのか? を突き詰めるうえでも面白そうな舞台だと思ったから。そんな「遊び場」として視るうえでも興味深い土地が身近にあることは幸せなことだと常々思っているのだが、それに気付いていない人が結構多い現状がもったいない。
しかも僕の場合、ホントはさらに突っ込んで「人力」でふたつの山をつなげたかったが、「同日登頂」という縛りを考えると多少は公共交通に頼る必要があるのはまあ仕方ない。それは今後の課題としておこう。

以下に、その模様を写真で少し振り返ってみる。



23日(火)、まず雲取山登山のほうは東日原から(3か月前にも下山で利用した)大ダワ林道を登るつもりだったが登山道の崩落と凍結で通行止めという札が掛かっていて、少し戻って野陣尾根・富田新道から登るように変更した。
その序盤の日原林道、陽当たりの良いところは雪もすでに溶けているが、日陰にはまだ雪というか氷が残っていて、ツルツル滑る。場所によってはアイゼンを履いてもよかったかも。



その途中、山側の3mくらい上方でカモシカを発見。この山域は二ホンジカは(近年増えて)よく見かけるし山中でテント泊や野宿すると鳴き声もよく聞くが、カモシカを生で観たのは初めて。しばしお互いにどう動くかの様子見が続いたが、最後はカモシカのほうがさらに上方に逃げた。
が、その逃げ足と腹回りを見ると結構太っていて足取りは重く、肥満体の僕が言うのもなんだがそんな体型で野生動物と言えるのだろうか、とついツッコみたくなった。



当初は雲取山山頂の避難小屋で泊まるつもりだったが、登路の変更で行った富田新道の踏み跡がほとんど消えていて(でもツボ足ラッセルするほどの深い積雪ではなかった)、意外にルートファインディングと急登に苦しみ、冬用の赤テープに助けられた。結局、この日のうちに石尾根上の小雲取山(1937m)にすら上がれず、念のために携行していた1~2人用テントが不本意にも役立ってしまった。
夜は僕も含む2人がテントで、残る1人が寝袋と銀マットで外で野宿。でも気温はそんなに低くなく(20時頃でも3度だった)、野宿した仲間はイスカの厳冬期用の寝袋を使っていたため、寒さは気にならずにいびきをかいて安眠できた模様。



24日(水)、石尾根に上がり、そこから30分ほとで雲取山に登頂。上の写真とほぼ同じ位置だが、山頂の一等三角点を入れて撮ってみた。ホントに雲ひとつない快晴だったので左後方に富士山がくっきり見える。ほかの山々の眺めも最高。
同行者は山座同定に夢中なので、セルフタイマー。ここの無雪期の登頂経験はあっても冬季登頂は初めてだそうで。



雲取山から10時すぎに下山および愛宕山への登山開始。石尾根の開けた場所は雪はほとんど溶けていて水溜まりができている箇所も多く、さらにアイゼンを履きながら下っていると泥が付きまくって歩きにくくてすぐに外したいところだが、日陰の凍った箇所の通過も時折あって簡単には外せない。
結局、2時間ほどアイゼンをいつ外すかのタイミングに迷いながら、途中で山岳救助隊の訓練登山? らしきハイペースの一団に追い抜かれたりしながら下り続けた。



七ッ石山(1757.3m)へは登らず、その手前の分岐から南側の巻き道を下って鴨沢バス停を目指す。そこでも凍って滑りやすくなった箇所があり、まだ辛うじてアイゼンがあると助かる状態の道が予想外に続いて、今回の全行程のなかで最も緊張感のある箇所だった。
何気に、アイゼンを外した状態で歩いていてツルッと滑って写真左側の谷のほうに滑落して大惨事に、という可能性もなくはないからねえ。冬の奥多摩も意外に侮れない山域なのだな。山の事故って、こういう一見たいしたことはない箇所での気の緩みからもよく起こりやすいですし。



雲取山からの下山は完了し、鴨沢からの路線バスと、JR奥多摩駅からのJRと、都心に出て水道橋駅へ。ここから雪山へ行ける格好のまま都営地下鉄三田線に乗り換えて御成門駅へ行く途中。まあ水道橋駅の南側にはさかいやスポーツやICI石井スポーツの支店があってこちらへ行くには違和感のない格好だが、北側へ行ってしかも地下鉄にも乗るとなると、ちょっと浮いた気分。
学生時代はそんなことはまったく気に留めなかったが、そこそこ大人になった今になって平日夕方のラッシュ時に登山の格好で都心を出歩くのは少々恥ずかしい。そんな年頃になってきたのか。



愛宕山東側の、ここの名物? の急傾斜の階段を直登。しかもわざわざ雪山フル装備を背負って、ホントに(簡単にではあるが)雪山に行った直後にこういった急登が残っているのは年齢的にはだんだんキツくなってきたなあ。



で、すっかり暗くなってしまったが愛宕山の三角点に到達した僕。たぶん、この山に冬山用重登山靴を履いてピッケルやアイゼンまで持ち込んだアホなヤツはほとんどいないと思う。まあさすがにアイゼンは境内の石が傷むので使わなかったけど。
三角点の埋まっている石囲いの蓋も開けて、3人でしばらく三角点を愛でたり到達記念写真を撮り合ったり登頂前に買っておいた発泡酒で乾杯したりもした(境内でのそのくつろぎぶりは失礼かとも思ったが、たまの無礼講は勘弁してほしい)。そうして懸案というか目標だった同日登頂は無事に完結した。めでたしめでたし。


同行の仲間もやっとこの継続登山? を完遂できてご満悦のようで、演出役としては楽しめていただけたようでなにより。
それに、僕ひとりだったらこんなくだらない? ことを嬉々としてやらなかっただろうから、最高峰と最低峰というふたつの山を1日のうち(24時間以内)に有機的につなげる、という着眼点も含めて、ある意味新鮮な登山形態で良い経験となった。こんなおバカ企画をともにした(僕よりも歳上で実は結構いい歳した)ふたりに、こちらこそ感謝したい。

そして後日、というか登山からまだ4日しか経っていないが、今回の登山を機に都内以外の最低峰と最高峰の場所をインターネット上で調べるようになったのだが(最高峰はそこそこ気にしていたが、最低峰もより気になるようになった)、いろいろ調べてみるとそういう話に精通している標高・三角点マニアが結構いるものなのね。まあ僕もタモリ同様に読図が得意なほうなので、その気持ちはよくわかる。
今後は、人工の山では(昨秋に行った)日本最低峰と言われる大阪府大阪市の天保山(4.53m)以外のほかの道府県の最高峰・最低峰へも足を運ぶかもしれないので、追々調べてゆこうっと。

リハビリというかなんというか、の地元の山歩(さんぽ)

2010-02-19 11:11:44 | 登山
昨日、昼前からだったが埼玉県は奥武藏へのちょっとしたハイキングというか山歩(さんぽ)に出かけた。
目的は最近の運動不足で弱っている足腰のリハビリ、写真撮影、とある乾電池のテスト、などいろいろあった。
ホントは早朝からでもしっかり行くべきところだが、先週末から開幕して熱戦続きのバンクーバー五輪の生中継を毎日結構観ているため、昨日も同様に午前中は観ていたから出発が遅れた。それに昨日は國母和宏で話題? のスノーボード男子ハーフパイプがあって特に気になっていたし。

ちなみに、山はいくつか候補を挙げて結局行ったのは、近年は岩登りの練習でばかり行っている日高市の日和田山(305.1m)、の山頂のほうと、そこよりもちょい北の物見山(375.4m)だった。
しかも昨日の午前中は東京近郊は今年もう何回目だっけ? というくらい今冬は多い降雪があり、昼前にはやんで晴れ間も少しはあったものの、昼下がりでも山道の日陰には雪がちらほら残っていた。



こんな感じで。写真奥が物見山山頂。県内の標高700m程度以上ならまだしも、300m前後の低山で雪が見られるのは珍しいことで、ひと味違う光景で楽しかった。
それに、午後に気温が上がるにつれて杉の枝葉に載っているみぞれ状の雪がぼたぼた落ちてくるのだが、雨とはまた違ったその音が間断なく聞こえるなか樹林帯を歩く、という機会もこの歩き慣れている地元の山ではめったにないことなので、新鮮な音であった。



物見山のちょい南で送電線が横断しているのだが、鉄塔のちょうど真下から見上げる機会もなかなかないと思うので、見上げてみた。シンメトリーな感じがちょっとカッコイイ。写真を撮りまくり。



西武秩父線・高麗駅から日和田山を経由して物見山へ行き、来た道をそのまま戻ってきて、と往復のコース取りにした。今回は縦走にはこだわらずに歩くこと以外の目的(小学生以下でも軽々行ける短い行程なのに写真を300枚以上撮ったりとか)が主だったのでそうしたのだが。
で、途中で昼寝したりしてわざと時間をやりすごして、このように日和田山の山頂から日高・川越方面の夕景から夜景に変わっていくさまを眺めたりした。


そんな感じで、日和田山周辺であえて暗くなるのを待ってから、ヘッドライトを使いながら下山もして(だから乾電池のテストで)、でもまあ慣れた道なので問題なく下れた。半日でやるべきことはすべて滞りなくこなせたという安堵感を携えて帰途に就き、ドラマ『不毛地帯』の放送時間には間に合うように帰宅できた。
という感じだった。



なお、主旨からはちょっと逸れるが、気になっていた男子ハーフパイプ決勝は予約録画しておいて『不毛地帯』のあとに観た。國母は8位と惜しかったねえ。まあそんなときもある。
先の物議を醸した彼の服装・態度問題について触れると、そんなことは周りの“大人”がちょいちょい注意すればよいだけで(結局は橋本聖子団長が収拾したが)、わざわざSAJ(全日本スキー連盟)が出場辞退がどうとかしゃしゃり出ることではないだろうに、と思った。頭が固いというかなんというか。
まあたしかに国の代表というよりは公の場に出る著名人という点では國母に問題はあるけど、そこまで酷くはないよなあ。僕の身近なところでも本分の競技で判断すればいいじゃあないか、という意味で國母を擁護するというか彼に好意的な意見をいくつか見聞きしたが、彼の服装・態度がどう映るかは観る人の世代や立場にもよるのかも。例えば“腰パン”の是非も、20代よりも上か下かでたぶん分かれるよなあ。まあ僕はそれは嫌いなほうだけど。
しかしまあどの分野にも言えるが、その道の第一線でバリバリ活躍する人というのはえてしてそのような鋭い刃物のように尖った自我というか他者を容易に寄せ付けない雰囲気を持っていて、周りからの視線や評価云々は目に耳に入らず・入れずにとにかく自分のやりたい・やるべきことに邁進してひとつの物事に集中するものだから、ある程度は致し方ない面もある。そこを容認できるか否か、見方にブレがあるか否か、観るほうの“大人”の器量も問われる。報道機関は特にそのブレがあってはならんよねえ、相変わらずブレまくりだけど。
4年前のトリノではまだスノーボードの競技種目にはいまいちピンと来なかったが、遅まきながら2年前からボードを始めた身としては今回の國母の技術の高さは以前よりもよくわかるので、4年後のソチ五輪も楽しみだなあ。

いよいよ真打ち登場、の元祖女子山マンガ

2010-02-10 00:00:35 | 登山
愛読誌の『山と溪谷』で、何気に17年もの長寿連載になっているゲキさんの山マンガ『でこでこてっぺん』が単行本化され、来月発売となった。概要は以下のリンクに。

http://direct.ips.co.jp/book/Template/Goods/go_bookstempyamakei.cfm?GM_ID=YK730000&SPM_ID=1151&CM_ID=004400316&PM_No=&PM_Class=&HN_NO=00440

僕はこのマンガ、単行本はいつ出るかいつ出るかと期待して待ちくたびれたが、連載200回を記念してこの時期に出版となった。まあどんな内容のマンガなのかは、上のリンクから見本を見てもらうとして。基本的には縦組数コマによって、関西人らしいゲキさんの関西弁口調というかネームによって登山報告や登山絡みの身辺雑記を描いているのだが(どちらかと言うと後者のほう、特に山好きではない人々とのかかわり方の話が面白い)、山をやっている人だからこそわかるあるあるネタも多く、登山経験の多少を問わず楽しめるはず。
昨年あたりから女子目線の登山エッセイやマンガが当たっているが、ホントにこの作品がその先駆けだろうね、と1993年の連載開始時からの結構古い? 読者の僕は思う。

そういえばゲキさん、ヤマケイ以外の仕事もちょろっとやっているのは過去にいくつか見たことがあって本名も知っているが、そういう個人情報的なことも単行本のどこかで触れているのかしら。
まあいいや、来月の発売がとても楽しみ。特に山好き女子は必読でしょう。まあ男もだけど。
なんなら現在の予約特典のみならず、発売後に発売記念のサイン会でも催してほしいのだが、どうなんだろう。ヤマケイのこの本の担当の方、よろしくー。


※10年5月中旬の追記
『山と溪谷』10年6月号の102ページに、ゴアテックスウェアの宣伝とのタイアップ記事ではあるけれども、『でこでこてっぺん』の特別バージョンがカラー掲載されていてびっくり。しかも連載よりも内容倍増の4段組ですし。ただ、これだけのために本誌を買うのはうーむと思うので、あとで図書館から借りてきてカラーコピーしたい。

予想よりもそんなに寒くはなかった、でも身体的にはダメダメだった八ヶ岳

2010-01-15 05:55:59 | 登山
先の3連休の後半も利用して10~12日の2泊3日で八ヶ岳に行ってきた。昨年2~3月の登山の続きの意味合いで。よって、同行者も前回と同じ某探検家の秘蔵っ子とともに。

長々と文章化はめんどくさいので、以下の10点の写真で振り返る。



10日(日)、渋御殿湯。八ヶ岳というと近年は交通至便な美濃戸口から赤岳周辺のほうばかりに行っているので、JR茅野駅から路線バスでここに来るのは久々。それにしてもこの注意書きを見ると、たしかに宿の前なので(特に繁忙期の)長時間の休憩はいかんだろうけど、雪山へ入るために10分間かそこらだけ身支度を整えるくらいはいいじゃんか、ケチ、とつい毒づきたくなる。
ただ、ここ数年の登山関連の媒体では、ここから黒百合ヒュッテを経由して入山するコースが初心者向けで最適、とよく取り上げられるから、これは比較的良識に欠ける? 初心者へ主に注意喚起する意味合いの文言なんだろうけど。



昨年の登山と大きく変わったことは、相棒が自前のピッケルとアイゼンとスパッツを新調したことか。なかでも、アイゼンは今冬から発売されたブラックダイヤモンドの「セラックストラップ(ABS)」で、これ、従来の鉄やクロモリではなくステンレス製で、重量も鉄製よりもやや軽くて1kgを切っていて錆びない、という利点があり、これを使っている人はまだ少ないだろうから、僕も触らせてもらって愛でていたら欲しくなってきた。ちなみに僕のアイゼンは国産のカジタのLXB12なのだが、浮気はいかんね。高いし(1万6800円だっけか)。
悔しいので、持ち主よりも先に写真を出しちゃえ。



初日の夜は、相棒のたっての希望ですき焼きとなった。肉は牛肉、卵もパッキングに注意しながら持参、味付けにはしょうゆとともに日本酒も少し入れたい(でも今回忘れた)、などと結構なこだわりぶりがあった。僕はすき焼きの肉は豚肉でもよい、むしろ豚肉のほうが好きなクチなんだけど(肉は牛か豚かで論争になり、各人の育った家の背景というか生活レベルもわかる?)、でもまあたしかに牛肉は旨かった。



11日(月祝)、実は今回の登山の趣旨は相棒にもっと雪山に慣れてもらう意味での雪上訓練だったので、黒百合ヒュッテの目の前の斜面でアイゼン歩行やら滑落停止やらを1時間弱やってみた。もっと凍ってカリカリの斜面のほうが良かったか。
でも天狗岳の登頂もしておきたいので、結局は僕が事前に考えていた“セックン”メニューの半分くらいしかできなかった。ホントは富士山でもっとしっかりやったほうがよいだろうから、またいずれ富士山でやりたいものだ。僕も雪山の感覚が鈍っていてやり直したいし。



せっかく来たので天狗岳くらいは登頂しておかないと、ということで午後に東天狗(標高2646m)に登頂。僕はここの登頂は4回目(※当初は5回目と書いたが、後日数え直したら4回目だったので訂正)。風は予想よりも強くなく、東西南北すべて眺めは上々。昨年に南方から縦走してここも登頂するつもりだったが、強風で断念した悔しさは少し晴らせた。
三角点のある西天狗へ往復30分強かけて行くのはめんどくさいので、やめておいた。



ふたりとも体調不良などによって思ったよりも進めず、テント泊は2泊ともに頃合いを見て適当に登山道の脇にテントを張った。キャンプ指定地まで到達できなくて、ごめんなさい。
整地にはスコップが役立った。
夕食後は、僕の過去の雪山登山の体験談、相棒の恋愛事情、相棒が数年前から懇意にしている某探検家の知られざる? 私生活の様子、ふたりとも薄く? かかわっている地平線会議の来し方行く末、某野宿娘をはじめとする仲間内の近況や色恋沙汰を含む人間関係へのツッコミ(つまり陰口)などなど、ここではとても書けないオフレコにすべき本音満載のガールズトークならぬ“ボーイズトーク”を連日22時頃までやっていた。だから翌朝は寝坊して、学生時代にはあり得ない時間の遅い出発ぶりになったけど、たまにはいいか。
なお、集団ではあえて寡黙がちになる僕も、このようなサシの場では結構喋るので、僕の本音をもっと知りたいという方は、一緒に山にでも行きましょう。



今回は食事はどちらかと言うと相棒主導だったので、僕が水作りを担当して「水作り奉行」になった。写真はピンボケですみません。水を作るのにもちょっとした技やこだわりがあり、これの上手いか下手かでテント生活においての人間関係が微妙に左右されるのですよ。というちょっとした技術的なことを、各種媒体でももっと取り上げてほしいよなあ。



12日(火)、平日だが僕も相棒も休暇を取って(僕も珍しく今月は仕事が山積み状態なのですよ)、登山というか下山続行。
昨年も立ち寄ったが時間がなくて入湯できなかった、標高2150m地点にある本沢温泉の野天風呂「雲上の湯」。このときはちょうど吹雪いていたので(東京都内でも降雪があったそうね)、湯の温かさには助かる。



登山道と林道が交錯する、標高1600m地点の本沢温泉入口。このへんまで下っても積雪は結構あった。
写真右の北西方面に5kmほど進むと、昨年行った稲子湯に達する。たしかこのへんって、昨秋に設定された八ヶ岳山麓スーパートレイルの一部だったっけか。シェルパ斉藤さんが雑誌『BE-PAL』の最近の連載で触れていて興味はあるので、あとでまた情報収集しようっと。



本沢入口で歩くのを終えてタクシーを使おうかと思ったが、結局はさらにJR小海線の海尻駅まで歩いた。ここも標高1034.8mと意外に高地なのね。雪がしんしんと降る、なかなかの旅情がある簡素な駅だった。
が、小海線の駅看板とかで昨年から? PRで萌えキャラを採用していたりするのね。これはこの沿線の旅情に合わないような気がするのは気のせいだろうか、うーむ。


予想よりも気温は低くなく(テント泊の朝晩もマイナス20度を下回ることはなかったし)、11日の東天狗の登頂時は風も強くなく、念のために持参したダウンジャケットも出番がなかった。そのぶん余計な荷物になったよなあ。

そういえば、今回の登山は出発から僕も相棒もともに問題山積で、僕のほうは昨年11月から痛めていた右足踵はほぼ治ったがそれでも身体面はボロボロで、普段からの頭痛はあり、先月の風邪によるのどの違和感は続き、出発2日前に寝違えてなぜか背中の左側を痛め、さらには正月はほとんど動かなかったために正月太りもあり(正確に計測していないが実感ではたぶん体重は先月よりも5kg近く増えたと思う。帰宅後に計測したら、やはりそのくらいだった)、とまさに不摂生の塊の状態だった。だから登高も昨年よりもきつく、参った。まず痩せないとなあ、と10分おきに猛省していた。まあこれは自業自得のこと。

でも今回、僕は連休中に軽く日帰り登山で済ませるだけのつもりだったが結局は久々のテント泊山行となり、年始から再起しなければ、と前向きに自分の暮らしぶりを見直す良い機会となった。先月に相棒からまた雪山に行きたい、と誘われたうえでの今回だったのだが、そのきっかけを作ってくれたことには感謝したい。

来月と再来月も単独か複数人かは未定だが、軽めでもいいから雪山に行けたら行こうかしら。