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思考の7割と収入の3割を旅に注ぐ旅人の日々

一般的には遊び(趣味)と見下されがちな「旅」も、人生のなかでやるべき「仕事」である、という気概で旅する旅人の主張と報告。

ボランティアのためのボランティア、の身近な実例

2011-10-20 21:00:25 | 東日本大震災
3月の震災以降、その災害ボランティア活動を注視するうえでちょいちょい触れているRQ市民災害救援センターは、これまでに僕の友人知人も東京でも宮城県・登米の活動の拠点でも計10人以上かかわっている団体だが、今週、そのひとりについての活動経験に関するインタビュー記事が掲載されたのが良かった。「ボランティアOBOGインタビュー」にて。
その対象は(ダジャレではないが)、“大将”のことで、ここ数年の僕の野宿仲間のひとり。6月以降、アルバイトの合間にちょいちょい登米へ出かけていることは聞いている。

記事にもあるように、この7か月の東北の災害ボランティア活動への参加者というと大概、海沿いの特に被害の大きな地域へ活動に赴いたさいにはできるだけその惨状を生で見ておきたい(言い方は悪いが、ある種の「怖いもの見たさ」か。正直、僕もそういう性分ではある)、という理由から、泥かき、瓦礫の撤去、側溝の清掃、ような比較的体力の要る作業をいわゆる最前線でやりたい、という傾向になってしまいがち。そんなできるだけ前へ前へ行きたい人たちのためにいろいろお膳立てをする後ろの人も各自治体のボランティアセンターやNPO団体などでもともに必要になってくるのは当然のことで、実際にそのような裏方的な活動をしていた人のことも報道でいくらか見聞きしてきたが、“大将”は(過去に介護職の経験もあることが活きている)もてなしの心と、料理という大得意分野で役立つことができる後者の活動をあえて選んでいる。「縁の下の力持ち」的なこちらも重要な行為であるね。

(実は本ブログのネタでも過去に無記名でちょいちょい登場している)“大将”の料理には僕もたまにお世話になってその実力はよく知っているが(それに記事中の研究所? の創設にも軽く立ち会っているし)、それにしても僕と同い歳で体型も似ていて(挨拶代わりに互いの腹の脂肪の付き具合をたしかめ合ったりしながら僕のほうが細い、とか誕生日はどっちのほうが先だっけ、とか会うたびに軽く口論になる。でもまあスキンシップの範疇で)、経済力もほぼ同等なのに、今年は東北に、いや東北以外もよく出かけているよなあ、と今回きっちり明文化された記事を改めて読んでその行動力に脱帽。
親しい仲間内ではその風貌から“ビリケンさん”と呼ばれて軽く偶像扱いされて、普段は昭和時代のサブカルチャーにやたら詳しくてホントは20歳くらい年齢をサバ読んでいるのではないか? とたまに疑いもしてしまう、酒は種類を問わず大好きで一升瓶を持つ姿が似合う漢だが、なんか今回は別人みたいでカッコイイぞ。

ここ2、3か月で被災地の災害ボランティア活動の規模が縮小傾向のなかで、RQも同様に年末に向けて縮小予定である方針をすでに打ち出しているが、今後の被災地支援はこういう後ろ的な役回りのことの割合が高まってくるのだろうね。

僕は今度こそ12月にいくらか時間ができると思うのだが、なんとか年内にまた東北へ行けるかなあ。

『青空ユニオン』のチャリティーオークションで支援

2011-06-03 18:00:03 | 東日本大震災
僕は金欠続きで一切触れることができないのが悲しい現実だが、被災地支援の一助として先月中旬にYahoo!オークション内の「東日本大震災 チャリティーオークション」で、ホーボージュンさんを中心に野外業界関係者による『青空ユニオン』を立ち上げて、多くの業界著名人に呼びかけて野外関連の出品が相次いでいる。

主にツイッターで漏れ聞くところによるとかなりのお宝モノが続出らしく、道具好きの僕としてはよだれもののモノばかりなのか。
また、モノのほかにも今後は業界人と一緒に○○できる権、という人的サービスも出品されるらしく、その代表的なものにジュンさんのライター仲間で最近各誌で頻出している(僕はまだ喋ったことはないが昨年ある催しで一度見かけたことはある)仙台出身ですでに被災地にも足を運んでその旨も『PEAKS』5月号に寄稿している高橋庄太郎さんの「地元・東北の山を僕がガイドします券」みたいなものも出てくるとか。そういうのはいくらの値が付くのかね。

ここに参加してお金を出すことも支援につながるので、参加できる方はぜひ。

宮城県南部を歩いて見つけた春

2011-04-28 08:00:03 | 東日本大震災
気が滅入る写真ばかりなのもどうかと思うので、15日(金)~21日(木)の宮城県南部滞在中に見かけてほっと和んだものも5枚挙げておく。



16日昼、仙台市青葉区、宮城県庁と仙台市役所に近い錦町公園。満開。


17日午前、亘理町、JR亘理駅の東側に隣接する城の外観の悠里館(図書館・郷土資料館が入っている公共施設)のそば。ここも満開だった。
ちょうど通りかかった地元の方によると、2、3日前はまだそんなでもなかったのが急に気温が上がった影響で満開になったそうで。


17日昼、岩沼市、(場所の確認のために立ち寄った)岩沼市ボランティアセンターから徒歩5分の、主に県外からのボランティア活動者に提供しているキャンプ地の公園。


18日午後、亘理町、亘理町ボランティアセンターになぜか据えられているビリケンさん。
あ、これは春は関係ないか。


21日午後、亘理町、JR亘理駅の地図案内板。
数年かかるかもしれないが落ち着いたら、これらをがつがつ食べるために、そして冬~春にかけては名産のいちごをたらふく食べるために、必ずこの町を再訪する! と決めている。今後ももちろん気にし続ける。
まあそれでなくても、できるだけ早めに再訪できるように努めたい。僕の名にかけても。


以上で先週の宮城県関連の報告は終わり。
でも後日、気が向いたら追記するかもしれない。

亘理町のボランティア活動も含む滞在中のあれこれ

2011-04-28 07:00:07 | 東日本大震災
18日(月)~21日(木)に4日間参加した、亘理町でのボランティア活動について写真主体で報告。
以下は僕が体験した、県外からの活動者も受け入れている自治体のひとつの亘理町に限ったことなので、ほかの自治体などでは仕組みが微妙に異なってくるだろうし、時間経過によってやり方も徐々に改善されて変わるかもしれないので、今後どこかへ活動に行かれる場合は話半分に参考程度に。
でも1日の活動の流れは、石巻市の活動に参加した人のブログなどを拝見すると似たようなものではないかと思う。
ちなみに以下の写真は流れを説明しやすいように並び替えているので、撮影日時はばらばら。

ちなみに、なぜ亘理町だったのかというと、先の投稿でも触れたように3色の旗を用いて住民の意思を尊重する点など復旧の仕組みの打ち出し方が各被災地のなかでも早く上手く、ボランティア活動関連の情報を探っていると比較的情報出しがきめ細かくて県外のボランティア参加者の受け入れ態勢も進んでいて(しかも煩雑でいつ返事をもらえるか不透明な事前申込制ではなく、当日に飛び入り参加できるのが良い。僕のように先の予定が見えにくい者にはここが重要)、それ以前に前々から僕の名前の付く自治体は全国でここだけなのでどんな感じか一度来てみたかった、ということもある。理由はこの3点。
それに元々、先月に何も起こっていなければ今月上旬あたりにふつうに東北地方の小旅で立ち寄るつもりだったし。どちらにせよ気にはなる土地だった。



ボランティア活動に参加する場合、亘理町は8時30分から受付が始まり、その直前は行列になることも。「新規」の場合は氏名・住所・電話番号を記入。ボランティア保険の加入もしていなければその場でできる(僕は宮城県入りの前に地元で「天災Aプラン=4月1日からの年間保険料490円」に加入済み)。参加2日目以降の「継続」の場合は氏名のみに省略できるが、記名は必ず行なう。
そしてその場で付箋を2枚渡され、そこにも氏名を書き、1枚はボランティアセンター(以下、センター)からの活動場所のニーズ票(引っ越し作業の確認票や伝票みたいなものか)にホッチキス留めにして、誰がそこに参加しているかを把握する。もう1枚はセンターの控え。もし何かあったときのために。
そのあとに「新規」の場合は、名字をマジックで書いたガムテープを上着の上腕の見えやすいところに貼る。これがほかの自治体では腕章を巻いたり何もなかったりするらしいが、ガムテープが最も簡便か。これがボランティア活動者の証。ただ、雨中の作業では剥がれやすいのでまた貼る必要があるかも。僕は4日間剥がれずに済んだけど。


活動するさいの基本装備はボランティア活動関連の媒体に頻出しているので割愛。ヘルメットも登山用のを持参したが、そこまで必須の現場には今回は行かなかった。あと長靴は、屋内作業で釘の踏み抜きによる怪我が相次いでいるともよく見聞きするので、僕は事前に釘の踏み抜きも防止する安全靴タイプの長靴をホームセンターで1580円で買って用意していたのでそこはぬかりなし。そこまで高質の長靴ではない人向けにも、踏み抜きを防ぐ硬い中敷きをサイズ別に貸し出していたので、活動前に長靴にそれを借りて入れればよい。現場への移動前に確認されるので、たぶんそれを入れないと現場に行かせてもらえないと思う。
そういえば、センターには寄贈された長靴も結構あって、それを借りる人も少数ながらいた。軍手やゴム手袋も結構あったな。でも基本的に各自で持参すべきでしょう。
ちなみに昼食ももちろん携行するが、実は4日目に伺った御宅では多めに差し入れを出していて(なんとミスタードーナツのドーナツとか、コンビニの惣菜パンとか、コカコーラ・ポカリスエットとか)、最初はもちろん固辞するが、押し問答が続いて結局は生ものを残すのもなんなのでありがたくいただき、昼食が浮いた日もあった。まあ稀な例だがそんなときもある。ほかにもお茶、おにぎり、みそ汁を出していただいた御宅もあった。


受付が終わると、8時30分からセンター内でニーズのマッチングが始まり、センターの「マッチング班」の方が案件を次々に読み上げていき、ここでは自分がやりたい作業を挙手制である程度選べたりする。ただ、最もニーズの多い個人宅の作業の場合はクルマを持ち込んでいる方や複数人のグループを優先的に決めていた。
例えば10人欲しい場合に、5人と3人のグループに個人で来ている人を2人付けて10人にする、みたいな。クルマを出せる人は同乗して資材の運搬もできるだけ行なえることも最初に要求し、ニーズ票に見合う人員にできるだけ近付けてマッチングしていた。
案件によっては市場の競りのように白熱することもある。基本的に泥かきや家財の移動などの体力の要る作業も厭わない、そういうことをやりたい人が男女問わず訪れているため、意外に早めにマッチングが済む。そういえば女性も毎日、参加者全体の1~2割はいたか。
ちなみにニーズの大半は個人宅の泥かきや家財・畳の移動だが、ほかにも支援物資の搬入・仕分け、役場関連のテント設営、炊き出し、避難所の年配の方の話し相手、役場の罹災証明書の発行事務補助、活動中に発見した写真やアルバムなど小物の洗浄・整理、活動者が帰着後の資材洗い、後述する「自衛隊風呂」の入浴介助(ホームヘルパーや介護福祉士の有資格者をできるだけ求めていた)、など、女性やそんなに体力に自信のない人にもできることはあり、だいたい希望どおりに参加していた模様。


マッチングが終わると、ニーズ票に関するオリエンテーションが軽くあり、先程の付箋2枚をここで渡して参加人数を確定してリーダーを決めて(だいたい経験者? による自己申告制。リーダーは緑色のビブスも着る)、その場で軽く自己紹介があったりなかったりして、そのあと作業に必要と思われる数の資材を用意して、自前のクルマで運べる人はそれを積んで(特に「ネコ」とも呼ばれる一輪車が大物だな)、活動者とともに現場へ移動。
クルマが出せない場合はボランティアセンターが用意したハイエースの送迎もあるが、その順番待ちで活動可能時間をロスするので(この時点で9時前後)、ホントは活動者全員と資材を丸々載せられる例えばハイエースみたいな大型のクルマを出せる人が多いと事はより上手く運ぶか。ワゴン車と小型乗用車と2台に分乗して行くこともよくある。
ちなみに、海岸に近い活動場所の場合は、もしもの津波警報にも随時注意しなければならないので、携帯電話で直ちに連絡が取れて何かあったときはクルマですぐに西方へ逃げ帰れるような態勢にする。


で、現場へ移動して(個人宅作業は大半は、ボランティアセンターから3~4km東の、津波被害のある地域へ行く)、だいたい活動開始が早くても実質はどこも9時30分~10時かね。
そのくらいから始めて、1時間に10分程度の休憩と昼に1時間程度の休憩を挟み、最大で15時30分頃まで活動する。と決められているのでそのとおりに作業に従事。早く終わることもあれば、人数が足りなくて思うように作業がはかどらずに翌日以降に継続案件として持ち越す場合もある。実際の現場ではニーズ票の記載だけではわからない摘み残しの作業もあるだろうから、そうは上手くいかないこともあるか。

ちなみに僕は4日間ともに個人宅へ行ったが、初日は海岸から4kmほど西の個人宅。床下浸水も比較的軽微だが、庭にうっすらとヘドロが積もっていて(そのへんが津波が最も西方へ達したあたりだそうで)、それを8人で庭や生垣を中心に取り除いたり、ついでに枯れ草をむしったり(だから実質は庭の手入れか)、細かな家財や可燃・不燃ゴミを分別してまとめたりした。
晴れの日で、マスクを着けていても埃をそこそこ吸ったかも。

2日目は7人で床下浸水で済んだ個人宅の門前のヘドロのかき出し。あとで地図を見ると海岸から約3.5kmの仙台東部道路の近所。ダメになった家財の搬出はすでに済んでいた。一輪車で何かを運んだのはいつ以来のことだろう。
そこでのもうひとつの作業が、倉庫兼鶏小屋の20cmほどの厚さのヘドロのかき出し。なんか2×2mくらいの小屋内で烏骨鶏を趣味的に数羽飼っていて、でも津波で鶏は全滅してしまったとのこと。
ヘドロだけならまだしも、ヘドロとその上にうっすら積もった鶏糞の臭いが合わさった複合的な臭いがまたなんとも。でもマスクを着けながらも10分くらいスコップを握っているうちに臭いにも慣れたけどね。
この日は雨天で、どの現場も雨が強まるなかでの作業は危険度が増すとのことで午前中で作業終了、とセンターからの指示があったが、ここでの作業はキリ良く午前中の2時間で終了した。


3日目は、いちご農家の全長71mのビニールハウス脇の泥出しを3本。でも実質は泥ではなく、仙台東部道路周辺の水田の稲の、秋の収穫後に残った根っこが津波で剥がされて西へ流れてきたもので、それを5人で延々と門前へ運び出す。稲を積むよりも一輪車で運び出す時間のほうが長く、ここが4日間で最も体力的に気張ったところ。本来は10人くらい欲しかったので、結局は翌日以降にも継続した御宅だった。
ちなみに、県外というと全国各地から活動者が訪れているが、ここでの個人的に来ていた男5人のうち3人が偶然にも埼玉県民で、作業の合間に埼玉近郊の地名がたくさん出たのが驚き。
ただ、休憩中にこの御宅の被害についても聞いた。20年超栽培しているいちご農家で、でも今回の津波で農機具はいくつかやられて、土壌は塩害によって今後4年くらいは作付ができなくなって数百万円の損失だろう、生活保護を受けないと今後立ち行かない(水・電気・ガスは大丈夫だったが家屋の床下浸水では被害が軽微と判断され、その程度では見舞金も出ないのが残念、と住民によってそのへんの温度差もあるようで)、という現実も聞いた。もちろんこちらから無神経に積極的に根掘り葉掘り訊き出すという感じではないよ。
偶然だろうが、今回伺った4件の御宅ではそこの主人たち自ら被害について切り出してくださるところばかりだった。そう考えると、一期一会の他所者であっても単に話し相手が欲しい、という避難者も結構多いのかもしれないのかも、と感じた。

4日目の個人宅は、ボランティアが数回入っていて瓦礫や流木の撤去や床下の泥出しや家財の移動はほとんど済み、その残りをやるかと思ったが実際には屋内と玄関先の清掃を中心に5人で。
床板を剥がしたところは今回初めて見たが、被災当初は大変だったんだろうなあ。仙台東部道路の東側で被害が比較的大きな御宅で、海岸から2km弱。床上どころか1階が津波でほぼ浸水したと。2mくらいか。周りの御宅では赤旗が出ていたところもあり(つまり家も放棄)、クルマで移動中の車窓からも西側よりもこの東側のほうが段違いに家の傾きや瓦礫・ゴミの搬出量が多いことからも、被害の大きさを実感する。
今も町の中心部の避難所暮らしで、時折片付けのために人手を求めるここの主人によると、亡くなった身内もいて、被災5日目に水が引いてから撮った当時の被害を記録した写真を見せてもらうと(これも僕ら活動者のほうから見せてくれ、とせがんだわけではなく、ぜひ見て知ってもらいたい、と話し好きの主人のほうから見せていただいた)、東方の松の木が流れてきて1階に突っ込み、ほかにも玄関先の道路は瓦礫ばかりでそこを乗り越えないと家に達しないくらい酷い状態だったと。
流木をチェーンソーで搬出しやすいように切り分けて少しずつ片付けて、被災から1か月でクルマも車庫に入れるくらいにまでなんとか戻っていた。最近ようやく水も出るようになった。
このときは早急にやることは済んでいてしかも好天だったこともあってか終始ほのぼのとしていたが、ここまで復旧させるのにかなりの人手がかかったのだな、と写真を見て言葉に詰まった。こういう御宅は他地域にもまだまだたくさんあるのだろうか。


活動を終えてセンターに戻ると、まずは資材を返却。最も混み合うのは15時30分~16時30分頃か。資材の大半はヘドロなどで汚れているので、それをホースによる水道水だと弱いので高圧洗浄機で洗っていた。この作業を担当するのもボランティア。
このあとに水道水で長靴の底を簡単に洗浄できるようにもなっていてそれで洗い、この帰着の時間帯にはセンター入口にはうがい薬も用意されていて、それも必ず済ませる。だいたいはここで流れ解散か。
リーダーはセンター内の「活動報告」のコーナーで、活動内容や引き継ぐ内容を報告・確認したりもする。


で、帰着後の入口には日替わりで活動者向けの差し入れが用意されているときも。
だいたいは菓子類だが(なぜか特に「うまい棒」が大量にあったりもした)、ときにはトマトやいちごが出たり、炊き出しがあったり(炊き出しでピザや豚汁もあるらしいが、行ったときはそういうのには当たらなかった)。3日目には炊き出しで焼きそばが出た。


飲み物の差し入れも甘いものも甘くないものも随時置いてあった。温かいコーヒーも砂糖付きで飲める。
ほかにも生活用品的な差し入れもあり、歯ブラシ、カイロ、タオルなどもあった。日々の息抜きのための本の寄贈も少々あった。


各地からの応援の寄せ書きもちらほら。
ほかにもボランティア活動の諸注意やウェブサイトでも随時報告している活動実績も紙で貼り出していた。後者はインターネット上で散見するに、東北地方を中心に60か所以上? 設けられているらしい被災地の各ボランティアセンターのなかでも、この亘理町のセンターはよく報じられて人もモノも多い石巻市に次いで日々の参加が多く(週末は350~400人かそれ以上のときも)、しかも比較的上手くまわっているほうではないかね。立地やライフラインの条件が比較的良いと幸いなこともあるだろうけど。
ちなみに、13日(水)の『めざましテレビ』のここを取材した様子の放送分も観ていた。


亘理町の18日付の広報。僕も町に滞在中にもらった。先週に訪れる以前は一般的な報道では亘理町はたしかに比較的少なかったようだが、被害はあり、こうして着実に活動し続けているセンターもある。


キャンプ地について。基本的にはセンターから徒歩1分のこの「町民の広場」が駐車場になっていて、その周辺の草地にテントを張るようにしている。水・トイレもある。しかもヨークベニマルが写真右奥方向に徒歩2分のところにあり、食料の入手は容易で、雨対策に注意すれば慣れると結構生活しやすいかも。
ここ以外にももうひとつ、センターから徒歩7、8分とやや遠いが「前沼公園」も駐車場兼キャンプ地に指定している。
クルマは活動のために車中泊で長期滞在の人もいるし、日帰りの人もいるし。前者は遠方のナンバーも多い。試しに20日17時現在の駐車場に停まっていた(20日の活動終了後の)クルマのナンバーを試しに100台調べると、以下のとおり。
宮城41、横浜4、土浦3、練馬3、品川3、秋田2、宇都宮2、仙台2、相模2、湘南2、山梨2、岐阜2、旭川1、札幌1、室蘭1、青森1、福島1、那須1、栃木1、野田1、柏1、千葉1、習志野1、熊谷1、所沢1、足立1、多摩1、川崎1、長岡1、長野1、松本1、石川1、伊豆1、沼津1、豊橋1、名古屋1、三重1、大阪1、和泉1、神戸1、姫路1、島根1、山口1、熊本1、だった。北は旭川から南は熊本まで、幅広いやねえ。四国の方もほかの日に訪れていたような気がする。東北地方は他所者を受け入れ難い風土、とはたまに聞くが、僕が今回滞在した、それ以前にいくらか旅した実感ではそうとも言いきれないとも思うので、外部の力をもっと受け入れてもらえるような行動をできれば、と思う。


これは先月の投稿でも触れたスノーピークがセンターに寄贈した大型のテント。基本的に団体向けに広場の奥に張りっぱなしで随時貸し出しているが、テントなしの少数の活動者のために相部屋? 対応もしているらしい。
そうだなあ、2か所全体でテントは80張くらいは受け入れられるかも。「町民の広場」だけでも最も多いときで約50張あったか。1~2人用の小型のであればもうちょいいけるかも。でも活動者が増えるであろう黄金週間は凄い混雑ぶりになるのか。洗濯ひもに洗濯物が毎日ぶら下がっていて生活感が滲み出ていたり、大型の鍋や折りたたみの椅子を持ち込んだ長期滞在っぽい人も数人いた。
この場の雰囲気を考えると、4年前の夏に青森県へねぶたを観に行ったときに毎年その時期に臨時開設しているサマーキャンプ場に少し泊まったときに似ているか、と思った。ひとつの目的に打ち込むために訪れて精神的にゆるやかなつながりと覚悟のある、というほどでもないけど共通認識がある点も似ているかも。


下の写真の町役場に近い児童センターの駐車場に設けた、自衛隊風呂。陸上自衛隊の兵庫県の第3師団(第3特殊武器防護隊)の災害派遣。兵庫県だけに「六甲の湯」という名称で無料開放していた。
基本的には、入浴時間は13~21時で、奇数日は避難者も含む地元民向けにチケットを配布して19時まではその所有者優先で、偶数日は特に制約なく誰でもどの時間帯でも入浴できるようにしていた。
僕は20日夜に行き、これは初体験。夕食時間帯のあとだったからか混んでいて30分以上並んだ。なぜかそのときは男性よりも時間がかかりそうな女性のほうが空いていたなあ。
脱衣場より奥の内部は最大で20人までに制限し、洗い場はさすがに銭湯よりも狭かったが、洗い場は湯量も温度も調節できるし、湯船は2.5m×4mと意外に大きく、もっと芋洗い状態かと思ったら洗い場の隙を見て入ればそこそこ足も伸ばせる感じだった。そのときは5日ぶりの入浴(3日活動したあと)という薄汚れた感じだったので、生き返った。日本人の心である風呂は良いねえ。
ここもしっかり秩序は保たれていて、地元の方が並んでいる様子を見ただけでは海沿いから避難している方か否かの区別はつきにくいが、ともに良い雰囲気だった。
入浴施設は、クルマで行けるところはセンターでもいくつか案内していたが(例えば名取市内のスーパー銭湯とか。地元の宿で開放しているところもあった)、でも徒歩圏内で気軽に行けるところがあるのがなお良いね。


センターから徒歩6、7分の、町役場。建物は外見では地震で大幅に崩れてはいないが内部は使えないようなので、向かいにプレハブ小屋を建ててちゃんと機能していた。災害対策本部もそのなかにあり、敷地内にはコミュニティFM局「FMあおぞら」も設置して稼動していた(79.2MHz。7~19時)。


ただ亘理町、ボランティアセンターのページでも告知しているが、5月1日(月)からは県外からの活動者の新規受け入れを一旦止めるとのこと。

この人数制限の措置は亘理町に限らず石巻市・岩沼市・気仙沼市・相馬市など県外のボランティアも受け入れる自治体やNPO団体すべてに共通することだと思うが、単に今度の黄金週間中の休日を利用して県外から訪れる人が急激に増えすぎると対応し難くなる、ということ。
もうひとつの理由は、特に被害の甚大な地域では今も瓦礫の撤去が終わっていない、まだ自衛隊や消防がばりばり活動していて一般のボランティアは立ち入り難いところも多く、そこがある程度片付かないとボランティアも手を付けられないので、ニーズが増えないためでもある。逆に、先の投稿でも触れた応急危険度判定で緑(活動は屋内・屋外ともに可)と黄(活動は屋外のみ)の判定の家屋では作業できるが、そこは片付けが日々進んでいるところにさらに大勢押しかけるとボランティアの供給過多になるため、現状では申し出はありがたいがそのように人数制限せざるを得ない、のだと思う。
だから今現在も完全に自衛隊頼みで、彼らがボランティアが活動できる範囲を徐々に拡げてくれるのを待つしかない。やることが全然ないのではなく、物理的にやりたくてもできない状況か。まあ個人宅の片付け以外にもやることはあるし、それ以前に被災地へ行かなくてもやるべきこともあるので、行けない場合は普段の生活を粛々と送るしかないか。

17日(日)の亘理町・岩沼市・名取市

2011-04-26 09:30:03 | 東日本大震災
17日(日)は丸一日かけて、JR亘理駅と名取駅のあいだを徒歩で北上しながら、(津波をある程度食い止めることに役立ったと評される)仙台東部道路の周辺を中心に視てきた。
こちらも注釈の追記はまた後日するかも。

ちなみに写真は自治体ごとに分けているので、以下の順番は撮影順とはちょっと違う。仙台空港周辺で名取市→岩沼市→名取市と市境付近を通っていたりもするから。


●亘理町(17日7~11時)


交通規制。町の許可証のある、もしくはボランティア活動のクルマは通行可。その措置も宮城県内の自治体でもいち早く導入したっけか。


奥の高台が常磐自動車道とつながっている仙台東部道路で、それを東側から見る。この道路の西側(写真奥のほう)も、東西を通る道路のアンダーパスから津波が浸入して床下浸水した家は多い。








亘理町独自の取り組みで、建物の応急危険度判定とは別に住民が意思表示するための3色の旗を設けている。「緑」が建物も家財もすべて残したい、「黄」が建物は残したいがゴミや瓦礫は撤去してほしい、「赤」が建物も瓦礫などもすべて撤去可(放棄)、というふうに。




町内でも特に被害が甚大な荒浜地区の小学校。ちょうど桜が満開の時期だったのがなんとも。




阿武隈川の河口。








まだ西側の蔵王連峰の白さが目立つ時期。


阿武隈川の土手下に漂着物が固まっているところもあり、優先順位はかなりあとになるだろうが、最近各地で展開されつつある被災者の大事なモノを拾い集める「思い出探し隊」のような活動も今後は亘理町でも必要になってくるはず。ボランティアセンターでも活動中に発見されたモノは随時回収・乾燥・整理されていた。


●岩沼市(17日11~17時)


岩沼市ボランティアセンター隣の仮設住宅。




仙台空港と航空大学校の南部の道路は通りかかったときは信号機が使えず、交差点では警察による交通整理が。で、よく見るとその担当は警視庁(の応援)だったのよね。復旧は進むのか。





●名取市(17日13~20時)


津波被害のない場所でも、道路の地割れというか損傷はいくつかあった。




仙台空港。玄関口の曲がっているこの表示だけでも直してほしいものだが。






空港内、仮設の1階搭乗口兼出口。入口から左に進んだトイレも仮設。


空港東側の、仙台空港アクセス線の線路。フェンスが津波でなぎ倒されたりして、復旧にはかなり時間がかかりそう。しばらくは代行バス頼みか。


13日に一部再開した空港、よく1か月で再開できたものだなあ、とちょうど航空機の離陸を見たりもしながらしばし感嘆。


水田の塩害。舐めてみるとたしかに塩辛かった。




ドラム缶がたくさん転がっている場所は、産業廃棄物処理場やリサイクル工場のような化学薬品系の腐臭が漂っていた。このへんの土壌はごっそり替えないとならんのかも。






JR名取駅構内の掲示板。


絵手紙。だいたいは名取市民宛てに気遣う内容だった。

16日(土)の仙台市青葉区・宮城野区

2011-04-26 09:00:00 | 東日本大震災
の写真をひとまず。注釈は後日追記するかも。
もちろん、日々復旧は進んでいて状況は常に変化しているだろうから、実際に僕が行ったときの写真だということはご注意を。


●仙台市青葉区(16日9~12時)


4年前に拙著の営業でも訪れた仙台では老舗の書店「金港堂」。


宮城県庁。




仙台駅の新幹線ホームの復旧工事はこんな感じで行なわれていた。25日(月)に運転が再開して良かったね。


仙台ロフトでたまたま入った大用のトイレのタイル。

●仙台市宮城野区(13~18時)




ある生協では店内がまだ復旧していないので、商品を外に出して買い物かごに入れながら販売していた(天候変化への対応もあってあまり店を広げられないので、品数も限定される)。レジも稼動していなかったので会計は電卓で、しかも商品の価格も釣り銭の出しやすい50円や100円単位に設定して販売していた。
もっと壊滅的な石巻市以北でも、イオンや西友ほどではない小規模のスーパーや商店ではこういった対応がまだまだ多いのではないかと察する。


東北楽天ゴールデンイーグルスの本拠地








瓦礫とともに、プロパンガスがそこらじゅうにごろごろ転がっていた。









自衛隊によってこんな感じで道路の通行は確保されていた。こういうところを歩いて今回の自衛隊の活躍は凄いね、とホントに実感したわ。


普通乗用車ならまだしも、大型車もこういう惨状だから。






七北田川河口付近。おそらく地元民による、再起を誓う教会? が設けられていたりとか。




こういった外壁がスカスカの状態の工場もいくつかあった。地震と津波と火災とで3重にやられたのだろうか。






近所にキリンビール仙台工場があるが、津波で流失した製品がごっそり固まって漂着しているところもあった。これは道路脇の小川に隙間なくびっしり沈んでいる様子。ちなみにほぼ未開封状態なので、試しに缶やペットボトルの中身を開けてみると問題なく飲めた(ように思う)。でもこういうのは家屋や工場やクルマなどに比べて優先順位は低いだろうから、片付けはかなり後回しだろうね。


ほぼ平常に戻っている仙台駅周辺はともかく、その高いビルが林立する中心街と、そこから路線バスと徒歩で1時間半程度で行ける(クルマであれば30分もかからないか?)、宮城野区東部の海に近い土地との数kmの距離でこんなにも被害の差があるのか、とその落差にしばし呆然となった。仙台市内でもこのような壊滅的な土地はある。
仙台市内のこれらの地域でも、数時間視ただけでもボランティア活動で踏み込むなんてまだ無理な状況の場所が多く、まだまだ自衛隊・消防隊頼みか。

仙台より

2011-04-21 22:00:30 | 東日本大震災

ツイッターでは随時触れていたが、先週15日(金)夜から今夜まで約7日間、宮城県内に滞在。明朝に帰京というか帰玉する。
それで、明日の地平線会議の報告会の東日本大震災特集の回を聴きに行くつもり。先月から会場の節電の影響で報告会の開始時間が早まっているのよね(真っ当な勤め人には厳しい時間帯ですわね)。

で、この1週間で僕が何をやっていたかを簡単に挙げると、16日(土)~17日(日)にJR仙台駅周辺と仙台市宮城野区、それに亘理町・岩沼市・名取市の東部の被災地をJRと路線バスと徒歩による移動で視てきた。
続いて18日(月)~今日21日(木)に亘理町でボランティア活動に4日連続で参加してきた。ここは県外からのボランティアを早くから募っていた自治体のひとつ。しかもテント泊も可なのが良い。水道もトイレも使える場所で、そのテント場から徒歩2分と近所にヨークベニマルがあって買い出しもしやすく(水や納豆はむしろ東京近郊よりも豊富で拍子抜け)、やや寒かったがそれでも予想以上の快適テント生活だった。
なぜ活動の地を亘理町にしたのかとかも含めて(ツイッターでは再三触れているけど)、詳しいことはこの1週間に1000枚近く撮った写真のなかから厳選して、それと併せて後日報告するつもり。帰ってからまとめるのが大変だー。
でも、各種媒体だけではわからない、現地に行ったからこそわかったことも多いので、できるだけテレビや新聞・雑誌には載らない点について触れたいものだ。できるかな。

そういえば、明日の報告会でもいくらか話が出ると思うが、先月下旬から僕の旅関係の知り合いでも各自で個人的に被災地各所へ向かい(大半が宮城県内。特に石巻市が多いか)、ボランティア活動に参加したり取材活動に勤しんだりしている。そのなかで僕は比較的出遅れたほうかも。

ちなみにその取材で刮目モノだったのが、依然大問題の福島第一原発の正門前へ赴いて、そこで防護服なしで放射線量を測定した、というやつか。まあそれも、その道の第一人者的な教授の調査・分析による正しい手法だったから問題なかったようだけど(その記事は先週の『週刊新潮』に掲載済み。気になる方は探してくだされ)。

今回はあくまで「旅」ではないので当然ながら、セルフタイマーで記念撮影みたいなことはしなかったが、今後も「旅」ではない東北地方の太平洋岸通いは不定期ながらもしばらく続くな、と思った。これも基本的には物見遊山ではなくボランティア活動で。
まだ余震もあるにはあるが、先週までほどの強さではなくなったような気がするので、今後はそれにもめげずにどこも支援物資よりも人手がもっと必要になってくるか。

それで僕個人的には今後は、被災地を再訪するための資金作りが最大の懸案だが、昨日ひとつ本ブログを使った暴挙? を思い付いたので、それはまた別の投稿で触れることにする。


※22日(金)の追記
写真を追加した。16日(土)夕方の、仙台市宮城野区の東部、七北田川の河口付近。

ホーボージュンのボランティアの心得「ボランティア志願の君へ。」

2011-04-15 10:30:39 | 東日本大震災
ホーボージュンさんのブログの6日付に、これから需要がどんどん高まるであろう被災地へのボランティア活動に向かうさいの心得が、今月初めに配布開始のエイ出版社の『フィールドライフ』2011年春号に4ページ掲載されているのだが、そのPDFでも公開されている。阪神淡路大震災のときの活動の経験をもとに書かれたもの。
僕は誌面でもすでに読んでいるし、このPDF版ももちろんチェックしている。

最近、ほかの団体やすでに東北地方の被災地で活動してきた体験者の話も随時確認しているが、理想的な考え方と取り組み方はだいたいこの一文に集約されると思う。これから向かう方はぜひ。

ちなみに僕も今後、現地で活動するかもしれないことを考えて先日、ボランティア保険に加入しましたわよ(天災Aプラン)。

茨城県東部の被災状況

2011-04-10 23:59:01 | 東日本大震災
茨城県東部の被災状況とそれに関することを、3日(日)に潮来市と鹿嶋市、9日(土)に高萩市と日立市、のJR駅前とその周辺、それからJR水戸駅と、以前に小旅や仕事で訪れたことのある場所を中心に青春18きっぷの残りを使って視てきた。
僕の地元から距離的に近い被災地で、前々から多少なりとも縁のある土地なので気になったもので。

千葉県旭市の海岸や福島県以北ほど甚大ではないにしても、先の大地震の爪痕はそこらにも今もある。あとで注釈を加えるかもしれないが、とりあえず写真のみ。

ただもちろん、以下の写真のようなところばかりではなく被害は軽微で、国道のクルマの交通量も通常に戻ってガソリンスタンドも行列は解消されていたりして、と通常の生活に戻っている地域のほうが多い。
ああでも、スーパーやコンビニエンスストアでは水は相変わらず少なかった、もしくは入荷しても平常時よりもやや割高感はあったか。


●潮来市(3日午前)











●鹿嶋市(3日午後)





















●高萩市(9日午前)











●日立市(9日午後)





















●JR水戸駅・水戸駅前(9日午後)












年内じゅうに、復旧ぶりも視るために再訪できたらしようかな。

なお、今後も被災地の写真を出すことがあるかもだが、当然ながら撮影時からその後の復旧が進んで刻々と土地の状況は変化するはずなので、できるだけ撮影日時を付記するように心がける。

21日(月祝)のJR舞浜駅前

2011-03-23 15:30:53 | 東日本大震災
21日(月祝)の午後に小雨のなか、東京都内へ所用で出かけたさいの空き時間を使って千葉県浦安市のJR舞浜駅前を観に行った。
祝日なので、本来ならばやや肌寒い天気であってもここを玄関口とする東京ディズニーリゾートがとても繁盛しているところだが、先の大地震によって臨時休業が続いて閑散としていた。浦安市の道路は液状化現象が市内あちこちで起こり、生活に支障をきたしている。同じく海に近くて標高の低い、もしくは埋立地によって地盤が元々緩い東京都江東区や江戸川区も同様らしい。
ということを、報道では小耳に挟んでいたがやはり実際に観に行って自分の目でたしかめなければ、と思い、ひとまず身近なところを小一時間歩いてみた。



舞浜駅前ロータリーのバスとタクシー乗降場も液状化で隆起したあとがあちこちにあり、標識が傾いていた。


ディズニーリゾートラインの駅付近の路面も修復が進む。今回は行かなかったがおそらく、東京ディズニーシーのほうも同様だろうね。


駐車場。泥を被るドナルドダック。台風のときでもここまでは汚れないか。


駐車場全景。休日にはほぼ満車になって活気のあるはずの日本屈指のテーマパークの駐車場らしからぬ寒々しさ。
写真中央奥の盛り上がった白い建物がスペースマウンテンだっけか(僕はランドは1回しか行ったことないので、あまり詳しくない)。液状化による地割れの補修はほぼ終わって平らになったが、吹き出た土砂や水溜まりはまだあちこちに残り、小一時間歩いただけでズボンの裾が登山の下山時みたいにどろどろに汚れた。


再び駅前へ戻る途中、歩道では砂や土のう補修した箇所もちらほら。しかも起伏があるので、ふつうの感覚で歩くと何回もつまずく。ランドとシーは電力供給の問題が解消されればそろそろ営業再開できるようだが、そんな夢の国? へ足を踏み入れる前の歩道を歩くだけでこのような現実をしばらく見せつけられることになり、再開したとしても来客の愉しみは半減するかもなあ。


駅前のロータリーで補修の工事中の様子。徐々に平らになりつつある。


上の写真の直近。左側にあるのは噴水。奥のほうが思いっきり隆起して、噴水の縁と同じ高さになってしまっている。でも浦安市中心部ではもっと隆起したり土砂が溜まったりで酷かったところもあるようね。


上の写真の位置からさらに接近して、高さ比較で試しに500mlペットボトルを置いてみた。まあ少なくとも20cmかそれ以上盛り上がっているか。場所によっては上に乗っかると舗装がべこべこ動くところも数か所あった。ひとまず、こういうところは後回しで人通りの多いバス停付近を優先的に補修すべきか。


舞浜駅の反対側の出口(北口)付近も観てみた。歩道は地割れ、車道も数十cm陥没していて通行に支障のある箇所も多々あった。


舞浜駅内。11日(金)から断水が続いているため、水は出ない。埋立地は道路の崩壊よりも上下水道管の損傷のほうが痛手か。


これだけを歩いて観ても、複雑な気分であった。となると、テレビや新聞では四六時中報じられてそろそろ知ったつもりになりつつある被災地へ実際に行くとどういう感情が生まれるのだろうか。

テレビの報道で被災地というと主に岩手県・宮城県・福島県の太平洋側がよく報じられるが、千葉県もその一部にもちろん含まれる。千葉県東部の太平洋岸に近い地域の被害状況は、知り合いのたびたろうさんの先日そのへんを観に行ったことをブログで触れていて、そちらがわかりやすいかも。
報道でも今週からはからようやく浦安のような近場についても触れられるようになったか。21~22日は(11日以降の在京キー局の報道では苦情殺到の粗相が多い?)フジテレビが浦安などの近所の取材に力を入れていたかな。
まあ被害といっても、自治体ごと壊滅したところもある東北地方の太平洋岸に比べれば液状化や断水程度で済んでまだましなほうか。鉄道・バスも計画停電に注意しながらもほぼ終日運行されるようになったし、クルマも平常どおりに通行できるし。

で、これらを生で観て、それに今週の報道で支援物資輸送が徐々に活発になってきたと知り、そろそろ僕も被災地へ行ける、行くべきタイミングとなったかな、と思った。
しかも先週から気になっている、被害状況があまり報じられない地域、茨城県・千葉県、ほかにも東北地方の山間部についても結構気になるもので、支援の意志を抱きながらもできればそういうところを観たいとは思っている。

ただ、今月中はこまごまとした用事があって大きく動けないが、もろもろ調整して来月になんとか1週間以上の時間を作って東北の被災地へ行けるとよいのだが。
と、先週から度々触れているモンベルのアウトドア義援隊への関与を軸に、ほかにも行きたいところは特に岩手県や福島県でも数か所あるのだが、いろいろ検討し始めている。


※30日(水)の追記
東京ディズニーリゾートを所有するオリエンタルランドグループのニュースリリースはここ

モンベルとエコセンの支援物資輸送に関する変更点

2011-03-22 23:45:19 | 東日本大震災
13~18日の投稿は書きなぐりのためかつまらない誤字がいくつかあるので、あとで訂正する。

それで、追記した18日の投稿のリンク先に飛んでもらえばわかるが、モンベルのアウトドア義援隊では全国からの支援物資の物量がそろそろ50tにまで増えて、被災地へ届ける前のその仕分け作業で人手とクルマがもっと必要になってきた。
また、連携しているNPO法人日本エコツーリズムセンター(エコセン)が募っている支援物資の送付先がモンベルが構えた山形県天童市の倉庫に統一された。
それから、そのふたつの団体による太平洋岸の被災地により近い、宮城県登米市東和町米川の小学校にも救援センターを設けて、物資の輸送の前線基地ができたことによって今後流動がより活発になるかね。
と、モンベルの辰野勇会長も現地で輸送トラックのハンドルを自ら握って最前線で実働しながら、態勢が徐々に整ってきて良い方向へ向かいつつある。

他地域でも先の3連休あたりからボランティアを受け入れる自治体が増えてきて、塩釜港に昨日から大型タンカーが入港できるようになって被災地近くのガソリンなど燃料不足がやや解消に向かい、東北自動車道は今日から緑ナンバーと黒ナンバーの大型車両が通行可能になって物資輸送がより活発になり、状況は刻々と好転している。
福島第一原発のほうも主に消防庁の活躍でやや好転しているか。放射性物質の影響による野菜の出荷停止の問題の解消には時間を要するのか。

それとともに、今日のNHKの番組である被災者の意見としてあったが、復興もありがたいけど(被災者のストレスを減らすためにも)それよりも先にやってほしいと言っていた1万8000人超の行方不明者の捜索と安否確認がもっと進めばなあ。


そういえば、昨日の午後に東京都内への所用ついでに(液状化現象の被害が多い)千葉県浦安市のJR舞浜駅前、まあつまりは日本屈指のテーマパークである東京ディズニーリゾートのディズニーランドのほうの近辺の様子を観てきたので、後日その写真を出してみる。
そのへんを小一時間歩いて地震の爪痕を観ただけでも、考えるべきことは多かった。


なお、先週からの投稿へ付けられたコメントも一応読んではいるのですが、状況は常に変化していて今更触れても無駄なこともあるし、投稿の中身とは無関係の揚げ足取り? もあるので、申し訳ないですがこの惨状からとにかく改善するための想いのある建設的な言い分でなければ、今後も基本的に無視または削除しますので、あらかじめご了承ください。もし削除されたとしたら、僕の観点からすると不適切なコメントだというふうにご理解を。その手間をほかにもっと前向きに考え、取り組むべきことに費やしてほしいです。
その件に関する提案や苦情などの込み入ったことは返信は遅れるかもしれませんがメールでも承りますので、引き続きよろしくです。

日本人ならばもっと被災地の面影と被災者の心情に寄り添いながら、前向きにいきましょう。

モンベルもエコセンもスノーピークも被災地へ(追記とリンク追加あり)

2011-03-18 23:45:53 | 東日本大震災
先の投稿でモンベルの「アウトドア義援隊」の、東北地方の被災地を支援する動きについて触れたが、ボランティアの受付は止めているものの、石川県・羽咋から宮城県・仙台への物資輸送は実際には17日から始まり、仙台の拠点から被災地への輸送も同日に始まっている。

ということを、その動きにモンベル仙台店の現地本部で個人的? に入ってかかわっている(まだお会いしたことはないが、『BE-PAL』の野田知佑さん絡みの仕事などで活躍中の)フォトグラファーの村山嘉昭さんのツイッターのツイートで随時知るのだが、この動きは今後もっと太く長くなるかしら。

また、13日の投稿では触れるのを忘れたがもうひとつ気になる団体で、そのモンベルと人手でこれから連携する、(地平線会議とも縁の深い)広瀬敏通さんが代表理事を務める「NPO法人日本エコツーリズムセンター(略称はエコセン)」も東京都・西日暮里に本部を構えてまずは支援物資を募っている。その最初の仕分けが今日済んで、これからそれを届けに仙台へ向かうようで。

モンベルも人手に関しては、まだ受け入れ態勢が整っていないから受け付けられない、というよりは現状で最大の問題は物資輸送のための車両のガソリンや軽油を確保し難いことのようなので、そこが改善されるまではうまくまわりそうにないか。
まあ東京と仙台以北を結ぶ高速バスの運行が再開されたくらいなので、人の流れは徐々に良くなってくるはず。
仙台市のように地元民限定でボランティア活動が始まったところもあるが、まだその規模を拡大するのは来月以降? と時間がかかりそう。

それからもうひとつ、スノーピークの支援物資の輸送も気になる。物資は予想以上に集まったために受付を一旦中断していたが、ひとまず18日に最初の物資輸送の準備が整い、新潟県・三条から社内の6人の先行部隊が出発して明日に被災地入りだそうで。
こちらも今後はこの活動を継続するためには全国各地の(モンベルよりはやや小規模だが)販売店の店員や、社外のボランティア的な人材を募ってまわしてゆく必要が出てくると思うため、今後の活動も気にする。
なんなら、仙台でモンベルと組んだりすればなお良くなりそうなのに、と思うのだが、どうなりますか。
こちらもその活動にかかわっている方のひとりの、「スーパー店長ブログ」でその模様を随時報告している。


義援金の寄付とともに支援物資の受付の動きも都道府県、さらには市町村単位でも大口の団体のほかに個人による受付も徐々に始まっている。
ちなみに僕の地元でも、未使用の毛布と未開封の紙おむつの2品に限定されるが、来週から物資を募集し始める。

が、各地で支援の受け入れは徐々に広がりを見せてはいるが、本ブログでは以上のみっつの野外系企業・団体の今後のは動向を特に注視してゆく。
ほかにも支援物資の品数の幅広さや受付方法のしやすさを比較して、僕が参加しやすいと思った近場の団体は昨日までに2、3決めたので、来週末から義援金と支援物資について僕個人的にも本格的に何か行動し始めるつもり。


※20日(日)の追記
モンベルの「アウトドア義援隊」の物資の送付先が昨日、山形県天童市に変更された。ウェブサイトを要確認。

※23日(水)の追記
スノーピークの報告は22日(火)からnoasobi.comに移行した。
モンベルの「アウトドア義援隊」のサイトで、活動状況の報告を掲載。以降、更新に要注目。

モンベルの「アウトドア義援隊」も日々刻々と変化

2011-03-15 23:45:31 | 東日本大震災
13日の投稿で触れたモンベルの「アウトドア義援隊」、今週からはモンベルの会員が所有しているポイントを寄付できる仕組みも整って、いち会員としては被災地への協力の仕方の選択肢は拡がった。

それから、今週からボランティアの登録受付も始まったが、モンベル仙台店に設置した現地連絡本部が今日午後に一時閉鎖され、それも一旦止まった。再開するかどうか、今後の状況の変化を注視して見極めるしかない。

人手については各種媒体や過去の震災の経験者からよく聞かれることだが、まだ余震が頻発して二次災害の可能性もある現状で素人がいきなり被災地へ行っても役に立ちそうにない、というよりも逆に迷惑なので、ひとまず人的なことは自衛隊と消防隊のようなプロの方々に託すしかないか。むしろこの現地の惨状を目の当たりにしてそこで頑張る方々の心的なケアのような後方支援を、各自の家族や友人知人を中心に行なうべきなのか。

一般人の僕らは、お金や物資提供で今後のために備えたいもの。ほかに協力しやすいところでは、献血、節電、節ガソリンくらいかな。

ちなみに、義援隊への物資提供について今日ひとつあったことだが、ある友人が早速、東京都内のモンベルストア店頭に物資を持ち込むと、まだ店内でも節電のために営業時間を短縮する影響もあってか受け入れ態勢が整っていないらしくて断られて、代わりに石川県羽咋市のモンベルの倉庫へ直接送るように変更して対処した(物資はいきなり仙台ではなく、ひとまず羽咋に集約するようで)。
まだ計画停電の予定と同様に状況はその都度変化するので、しばらく様子見でよいかもしれない。

まだまだ続く緊急地震速報にもめげずに、一般の報道も日々注視し続けよう。


※4月10日(日)の追記
「アウトドア義援隊」の支援物資の受付は8日に締め切られた。
今後も物資の細かいニーズはあるだうろけど、被災地の仮設住宅の建設もそこへの入居も一部で始まったりしているので、野外道具に関してはそのなかでの重要度は低くなってきた段階になってきたか。

野外系大手メーカー2社による復興支援

2011-03-13 23:45:30 | 東日本大震災
東北地方太平洋沖地震→東北関東大震災、今日も朝からテレビの報道を注視し続けると壊滅した被災地へ徐々に諸外国の緊急救助隊も受け入れながらの救助活動や行方不明者の捜索に力が入り、津波注意報は夕方に解除され、津波による海水も徐々に引いてきて、余震は続くものの全国的に被災地を支援する態勢が整いつつある。
ただ、太平洋岸の被災地にはよく触れるけど、内陸部や、在京テレビ局の支局がないから中継は手薄だけど被害は福島県以北と同様にあるはずの茨城県と千葉県の様子も気になるわね。

直ちに人・モノ・お金をかけるべきこの状況で、自衛隊や消防のようなその道のプロとは別に一般人がその流れに加わるにはどうすればよいかを考えたときに、ボランティア活動は明日から仙台のように受け入れが始まるところもあるが全体的にはまだ体制があまり整っていないのでしばらく様子見したいところで(1995年の阪神淡路や2004年の中越のときのそういった活動に参加した方からも安易な個人参加は多重事故や支援食料不足の可能性も出てつまり邪魔になってよろしくない、逆に迷惑になる、とはよく聞く)、そうなると募金活動への寄付が最も参加しやすいか。

で、ツイッターでTL(タイムライン)を眺めていても募金活動がすでに始まっている団体は多く、徐々に増えてもいるが、まあそこは詐欺に気を付けて普段から信頼できるところを使ってみるとよろしいわね。一般的にはコンビニエンスストアやインターネットのポータルサイトが最も身近なのか。

それとは別に、僕も顧客として少々つながりのあるところで善い動きは、野外系メーカーのモンベルとスノーピークが災害援助のための物資提供を募る、と表明している。
具体的には、モンベルはテント・寝袋・ガスストーブ・食品(生ものは除く=乾物やフリーズドライということか)、スノーピークはテント・寝袋・マット、を募っている。明日からの受付方法などの詳細は各ウェブサイトにて。


モンベル
【アウトドア義援隊 ご協力のお願い】

スノーピーク
東北地方太平洋沖地震に伴う災害援助物資提供のお願い


また、モンベルのほうはこれに加えて辰野勇会長の名義で援助金も募り、さらには過去の震災時にも活動実績のある「アウトドア義援隊」を立ち上げ、被災地に近い宮城県仙台市青葉区のモンベル仙台店を拠点に、支援物資の配布などのボランティア活動を始めるそうで。野外生活の知識や経験の豊富で、不測の事態でも比較的対応しやすい野遊び好きの立場からのこういった支援の仕方もあり、(いくらか生活条件が悪くても衣食住と移動を単独ででも賄える知識と知恵のある)僕の周りの友人知人でも各自治体主導のボランティアよりはこういうカタチのほうが参加しやすい、という人も多いかもしれない。
僕も来週と再来週の仕事の都合がつけば短期間ながらも行けたら行きたいのだが、まだ未定。

今のところ、この野外系メーカーでは大手の2社がいち早く支援を表明しているが、今後、ほかのメーカー・店舗や野外関連団体も追随するはず。
というのも、モンベルを取りまとめ役としてほかのメーカーや登山用具店などにも物資提供の協力を呼びかけて集約する、という流れは阪神淡路のときもあり、僕もその16年前の1月中旬~下旬に某野外道具店の商品管理のアルバイトに従事していた最中に、その活動の流れに薄くではあるが参加している(当時、僕はバイトをさぼって神戸へ行きたかったが、そうしなくてもここでもやるべきことがある、とそのとき社員に諭されて出荷業務に力を注いで、結果的にはその支援活動に微力ながらも貢献できたのは今も思い出深い)。
だから今後、各メーカー・店舗から(まあ大概は順序的に新品からではなく、でも実際の使用にはまったく問題ないアウトレット品やデッドストックが主体になると思うが)物資提供は相次ぐはず。ひとまず自分の生活圏と得意分野の範疇で動けばそれで良い。

で、今回はできれば現地へ行けるといいな、とは昨日のこの告知を知ってから考えている。ただひとつ心配なのは、今はちょうど花粉症にやられていて機能が低下している時期なので、そのやや弱った状態で行っても使えないただのお荷物になる可能性があり、健康状態も見極めないとなあ、という不安もあるにはある。行くとしたら、粉塵対策も兼ねたマスクが特に必携だな。
でももし行けなくても最低限、芸能人やプロスポーツ選手ほどの高額ではなくても寄付すればよいと思うので、まあいずれかの方法で協力するつもり。つもりぢゃないな、絶対する。

今年のどこかのタイミングでまだ未踏の地域が多い三陸海岸もぜひ旅してみたいと思った矢先の大惨事だから(実は早ければ今月の最終週に行こうと軽く企てていた……)、僕個人的には縁はそんなになくても気にはなる地域だから。というか、日本人ならば戦争以外では戦後最悪最大の結果になりそうなこの緊急事態を常に気にしなければならないと思う。

初体験の「帰宅困難者」ではあったが、野宿困難者ではなかった

2011-03-13 23:30:59 | 東日本大震災
11日(金)の14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震によって、宮城県栗原市で最大震度7、その規模は修正を重ねてM9.0と国内観測史上最大(世界で4番目の規模)となったこの大地震の影響は、僕の地元の埼玉県南部でも少なからず影響はあった。

地震発生翌日の昨日12日(土)から今日13日(日)にかけて、テレビでその報道をくまなく観て、地震よりもその直後の太平洋岸への大津波による被害の大きさに呆然とした。
特に、北から八戸市、宮古市、釜石市、大船渡市、気仙沼市、南三陸町、東松島市、仙台市宮城野区の津波到達の瞬間や最大波の映像を観ると、クルマや漁船がいとも簡単に流されたり、津波が堤防をゆうに越えて街地になだれ込んだり、家屋が流されて12日に落ち着いてから現地にカメラが入ると家の基礎部分しか残っていない、とかいう被災地の画の数々は衝撃的で、映画を観ているかのようだ、なんて軽々しく口にはできない(していた人もいたけど)、複雑に思う一大事である。人知をはるかに超えた威力を観て、所詮は人間なんて地球上でちっぽけで無力な存在なんだなあ、と改めて思い知らされるとともに、これによる惨状を今後のためにもしっかり記憶・記録しておかなければならない(そういう意味では、報道関係者以外で津波の様子を録り続けていてその映像をテレビ局に提供してくれた一部の地元民を、報道特番ではその行為は危機意識が足りないと批判していたコメンテーターもいたが、結構偉いことだと思う)。
また、福島第一原発の炉心溶融への対処と、住民の被曝も気になる。そちらは今日夕方までに最悪の事態は免れたみたいね。

それで、地震・津波によって今夜時点で北海道~関東地方で1300人以上亡くなってしまった方々の冥福を祈りつつ、今後ひょっとしたらそれが東日本全体で数千人かそれ以上に膨らむかもしれない行方不明者の早期発見にも期待しつつ、タイトルにもあるが11~12日に僕個人的にはその影響初めて東京都内で「帰宅困難者」になったことについて時系列で、人によっては不謹慎だと感じる部分もあるかもしれないが、そのときの印象を僕なりに正直に記録しておく。
今回の写真はデジカメ不携帯だったので、ウィルコムPHSで。



●11日(金)

14時46分
昨秋もお世話になっていた東京都新宿区内の会社で校正仕事に従事していた最中に、のちに規模はM9.0に上方修正される今回最大の地震が発生。ぐわんぐわん横に揺れた。たしか9日の地震と同様に緊急地震速報は出ていなかったように思うがどうなんだろう(これの精度はまだまだやね)。
そのときは9階建ビルの2階にいたのだが、初体験の強い揺れでびっくり。しかも長かった。
揺れが収まるまで室内のモノの落下に備えながらも足は止まった。こんなときは人間、なかなか動けないものなのだな。

14時49分
揺れが完全に収まりはしないが弱まったところでビルの入口の扉をオートロックで閉めきられないように開けて退路を確保しながら外に降りると(エレベーターは当然止まった)、ほかの建物からもすでに避難のために外に出ている人が多く、目の前の普段はそこそこ交通のある2車線道路ではクルマもすべて一時停止していて、完全に揺れが収まるまで動かなかった、というよりは地震のショックで動けなかった感じ。
後々観た報道では、このときにすでに太平洋岸に大津波警報が出ていたのね。
外に出ながら、やはり混み合うもののツイッターはふつうに覗けるのには驚き、しばらくウィルコムのPHSでモバツイを凝視。

15時22分
発生から15分ほどで少し落ち着いたので仕事場に戻り、でも余震はひっきりなしに続くので仕事に集中できず、また大きな揺れがあると再び外に避難に出て、ビル上部からの落下物に注意しながら揺れが収まるのを待った。ほとんど仕事にならない。街路樹や消火栓や電線の揺れがなかなか止まらない光景も初めてだったかな。
で、周りの人々は発生直後から携帯電話での通話を試みるが当然規制がかかっていて通じなくて、でも近くに運良くあった公衆電話からは固定電話へいくらか通じたようで。ちなみに僕はこの時間にPHSで自宅の固定電話にかけて数回で通じて、在宅していた両親と連絡が取れた。家はモノがいくらか落下しただけで停電とか断水とかいう大きな問題はないことを知る。
こういう緊急時は混み合う大手の携帯電話よりも、公衆電話や比較的利用者の少ないPHSのほうが強いのかしら、なんてことを思った。でも今回の被災地のど真ん中ではその限りではないだろうけど。でも近年、携帯電話の普及によって公衆電話を徐々に減らしたことによる歪みがあるのでは、とも感じた。

16時00分
余震はずっとあるものの、最初ほどの大きな揺れではなくなったので、仕事再開。社内ではラジオを流せるので、そこからの随時の情報提供を気にしながらやっていたが、まあ机にかじつりつきながらも余震によって少しは心は乱れるので、冷静を装いつつもいつも以上にじっくり対処。

18時00分
仕事中、テレビなしで映像を観られる環境ではなかったので(周りには携帯電話のワンセグで観ていた人もいたけど)津波のことはよくわからないが、主に東京近郊の地震による被害報告は随時小耳に挟んでいた。だから、鉄道はすべて止まっている、東京ディズニーリゾートの駐車場が液状化現象、東京タワーの先端が曲がった、とかいう情報はリアルタイムで仕入れていた。中継が出ていたからそのへんはツイッターよりも早かったか。となると、パソコンや携帯電話が使えない被災地でもやはりラジオは効果大だろうね。
そんななか、たまに外に出てみると通りの歩道は歩いて帰宅する人が徐々に増えてきて、近所のコンビニエンスストアではパン・おにぎり・弁当のような生ものは早々と売り切れ、でも菓子やカップ麺はまだ残っている、なんていう事態が発生していることも併せて知る。
消防車やパトカーのサイレンの音も数十分おきに聞こえると、都内も人的被害が結構あるのかなあ、と少し気になる。

22時30分
徒歩で帰宅する人が絶えず、新宿駅前の歩道は帰宅困難者の混雑で凄いことに、なんていう報道があると、さらに気になる。
都心へ乗り入れる鉄道、僕の場合は常用する東武東上線が今日じゅうに復旧しないことをここで知り、なぜ西武鉄道や東急線や京王線はこのあと動くようになったのに東武は……、とその差異も気になる。
これで、どうせ帰れないし、家は無事だと知っていて25kmほど歩いて直ちに帰宅するほどの切羽詰った状況でもないからと開き直り、代わりに仕事に傾倒。緊急事態なので無礼講? で、社内的にも帰るか社内に泊まるかの判断も各自にお任せ、というお達しも出たので、今夜はどう動くか動かないかと考えながらまだなんとなく働く。
家よりも内心は周りの(家屋がやや古い)友人知人宅のほうが気になって、結局は仕事を完全にさぼるというほどではないがその合間にツイッターで周りの状況を確認したり、メールで連絡をもらった友人とやりとりしたり、ということもやっていて結局はさぼり気味だった(メールも、ドコモとかよりはウィルコムのほうが通じやすかったみたい)。
この頃から地下鉄が徐々に運転再開し始めて、でもJRの復旧は明日に、とも知り、帰宅困難者のために無料開放している学校や百貨店や公共施設もこれで少しは空くかなあ、と少しは楽観視できるようになった。

23時48分
仕事がそろそろ尽きたので、まあ着の身着のままでも池袋駅で横になって駅寝できればいいな、せっかくだからいろいろな場所の様子を観に行くか、と決めて会社を辞す。ちなみに、社内的には僕が普段から野宿をたしなんでいることは伏せていて、今回の都心の被害も阪神淡路大震災のような都市部の直下型地震ほどでもないので、このくらいの緊急事態? でも、というか帰宅できなくても何も問題ないと思っていることはあえて言わなかった。まあわざわざ隠すほどのことでもないけど。この時間に出ることを心配されたけど、普段からよくやっていることだからなあ。まあ夜歩きに不慣れな若い女子は単独ではやるべきではないね(一部を除いて)。
ひとまず近所のコンビニを数軒巡ると、やはり生の食べ物はきれいさっぱりなくなっていたが、菓子類やカップ麺の在庫の補充は進んでいるところもあった。
鉄道の運行再開も増えてきたので、この時間に歩く人はそのぶん減ってきたが、それでも普段の夜に比べるとこの時間帯は週末でもほとんど人通りはない道路なのになあ、という箇所でも数人で固まって歩く会社帰りの人々を頻繁に見かけるのは珍しい光景。

●12日(土)

0時3分
ひとまず帰宅困難者の開放場所のひとつである、会社からも近い早稲田大学・大隈講堂を観に行くと、座席はほぼ満員で、すでに寝ている人もちらほら。
そこで初めてNHKの地震直後と現在の被災地のニュース映像を大画面で観た。そのときは火災が起こっている様子をよく映していたか。しばらく呆然としたあと、なんだこれ、とすぐには現実のできごととして受け入れ難い画ばかりだった。
20分ほど観て、さらに移動。



1時5分
徒歩で池袋駅へ向かうが(この早稲田・池袋界隈は普段からよく歩いていて、クルマが入れないような裏道も知っているので問題なし。やはり普段から歩いておいて土地勘をより養っておくと心の余裕も生まれるものやねえ)、途中でコンビニや深夜営業しているスーパーがあるとだいたい立ち寄る。店内のやや荒れた様子を観察。野菜・果物といった生鮮食品は意外に残っていた。
普段から携行しているPHSの充電器用の単三乾電池を仕入れ、コンビ二でお湯は使えるのでそれでカップ麺を食べ(文字通り道草を食ったカタチ)、目白通りの下り方面は大渋滞でクルマのブレーキランプが延々目立つのを見やりながら、普段の2倍以上の時間をかけていろいろ観察しながら池袋駅へ向かう。駅に近付くにつれて人も増えてくる。

1時31分
池袋駅東口に到着。タクシー乗り場は九十九折で50人以上の行列ができていて、なぜかはわからないが怒号が飛んでいたりもした。気が急くのはわかるけれども。



1時42分
池袋駅構内に入り、昨夜23時前から運転再開してまだ運行していた西武鉄道の改札口を観察してから、JR改札周辺をぐるっと一周してみる。
あちこちで壁際に新聞紙やJRの旅行商品のパンフレットを敷いて座ったり横になったりしている人がずらずら並び、数百人規模。まあなかにはアルコール類を持ち込んでプチ宴会になっているところもあったが。夏場の台風によって鉄道が一時不通になったときにこういう場面はたまにあるが、しかし池袋歴30年の僕からすると規模的にはこの帰宅難民? ぶりは過去最大だった。でもまあこれだけ先客がいると僕も入り込みやすい。おそらくこの半分くらいは、僕と同じ東武東上線沿線住民という“同士”だろうね(残り半分はJR利用者か)。



2時30分
東武百貨店の入口近くで空いた場所を発見し、僕もそこで横になって駅寝態勢に。久々に、日常の通勤時なので当たり前だが寝袋やツェルトも持っていない状態での想定外の着の身着のまま野宿だなあ、と思いながら就寝。床は冷たくて腰が冷えるのが気になるが、微風のある外よりも断然暖かいのでそこは助かる。偶然にもこのときは(遅まきで今冬から導入した)ユニクロのヒートテックの上下を着ていたので、それも少し助かったか。
ただ、昨夜から引き続き花粉症の症状は容赦なく襲い、このときも鼻水ずるずるで鼻も詰まり、結局はいつも以上に仕事した影響で目もかなり疲れていたので(校正者は目が命)、とりあえず風の避けられる場所で“同士”が多いなかで落ち着いて横になって目を閉じることができて、普段の深夜は容赦なく締め出されてシャッターで閉じられる大都会トーキョーのターミナル駅の一角で堂々と駅寝できることは幸い(一般的には帰宅できないことが問題の状況なのに。それでは幸せのハードルが低いのか?)。

5時0分
でもやはり床の冷たさが気になるのと、余震が度々あって周りの人のたぶん携帯電話からだろうが緊急地震速報のあの警告音が4時前からちょいちょい聞こえるので(ツイッターで確認すると、長野県栄村のほうで震度6弱と大きかった地震のやつか)、4時台は熟睡できずにうつらうつらしていたが、結局は5時に起きる。この頃から東京メトロ(地下鉄)でおそらく有楽町方面の都心の都心から帰ってきて池袋駅で乗り換えのため駅内を移動する人が増えてわさわさしてきたので、起きざるを得ない状況にもなった。
東武東上線の運転再開を改札前の閉められたシャッターの前で待ち構える人が徐々に増える様子も珍しいよなあ、と遠目から寝ぼけ眼で眺める。

6時5分
東武東上線の運転再開が案内され、人の流れが変わるのを見届ける。僕はこのさいだから、ともう少し池袋駅とその周辺を観察するためにまだ残る。
トイレに行くついでに再び駅構内をぐるっと巡ると、どこも大型店舗の新規開店・セールなどの行列待ち後や球場の試合終了後や競馬場の大レース後のような紙類の敷き物や菓子・空き缶ゴミの散乱ぶりで、普段から定宿にしている? ホームレスもそこまで節度なく散らかさないので、清掃する職員もいつも以上に大変そう。ちなみに僕は自分が使ったぶんは自分で片付けた。つまり、そこで寝ていた数百人は駅寝のマナーがなっていないということになるが(雨風がしのげる場所があるだけ幸せに思うべし)、まあそういうことに慣れていない人たちだから、ある程度は仕方ないか。
今回の経験を踏まえて今後、野宿という行為をはじめとする不測の事態で活かすべきサバイバル技術への一般的な理解は深まるのかなあ、とその散乱ぶりを見ながら思った。
地上に上がると、松屋・吉野家・マクドナルドのような馴染みの飲食店はほとんど臨時休業。だが、富士そばだけはなぜか開いていて、偶然にそばの在庫があったのだろうか。店内で行列ができていて足の踏み場がほとんどないくらいに混んでいた。そりゃあ、冷え込む朝に温かいそばは効果絶大だからなあ。

7時31分
JRのいくつかの改札前や改札内にも運転再開を待つ人垣ができていて、というか改札付近にモニターが設置してあってそこでNHKニュースを流しているので、それを観る人も併せて多かった。が、私鉄は動くのになぜJRはまだ動かないのか、早くしろ、という利用客側の無言の圧力はそこかしこで感じた。



8時8分
せっかくだからと駅前でほかにも立ち寄るか、とふと思ったあるところに行ってみたが、そこも臨時休業だったので、眠くもあるのでそろそろ帰途へ、と方向転換。
東武東上線ではなく通勤用の回数券を持っている有楽町線で帰ったが、車内は土曜日朝の下りなのに平日朝のような混み具合で面食らう。東北地方の地震が関東平野のいち地域にまで波及するとは。

9時25分
電車はいつも以上に混んではいるがこの時間になると運行速度はほぼ平常に戻り、ようやく帰宅。
昨日に電話で聞いてはいたことだが、自室の本棚の一部が地震で崩れている様子を目の当たりにすると、やはり凹む(ただ、元々やや難のある棚で、改善の余地はあると常々気にしてはいたので、崩れるかもと覚悟はしていた)。これまで震度4までの地震では崩れなかったが、今回は地元では震度5弱を記録するともうダメか。うーむ。
ひとまず状況把握して、眠いので2時間ほど仮眠してから取りかかる。



22時0分
テレビの報道をザッピングしながらたまに緊急地震速報が出るたびにどきっとしながらも片付けて(ついでに不要物を選別して軽く断捨離も試みた)、でも思ったよりも早く済んで復旧したのは帰宅から約11時間後となった。
片付けて、夕食で、そのあとシャワーを浴びて洗濯もして、ようやく落ち着いたのがこの時間。
まあ崩れたことよりも、人的な致命的な被害がなく、早めに普段の生活に戻れたことが幸い。
ちなみに、こういう全国的な非常事態が発生したときはいつも、被災地の好転を願いつつしばらくはアルコール類の摂取を自粛している。僕的には、屋内ではそんなときに呑みたい気分であってもアルコールに逃げるのは現実逃避でそれこそもっと不謹慎なことだと思うから。



これからどんどん人とモノとお金(と電気とガソリンも?)をかけていかなければならない、特に酷い岩手県~福島県の壊滅的な被災地の惨状に比べればこの都市部の帰宅難民? ぶりなんてたいしたことではなく、とりあえず自分の身近なところはなんとかなった(これから生鮮食料がやや不足するかもしれないという懸案はあるが、自分の周りで気になるのはそのくらい)。
今後は余震と東京電力の「輪番停電(計画停電)」に気を付けながら、今朝時点で東日本全域で30万人超と言われる被災者の生活への対応と、1万人超という安否不明者の捜索と、被災地への外部からの支援を含めた政府(民主党)の対応や自衛隊の災害派動による「激甚災害」への対処と、周りのあれこれを気にすることに注力できるか。