毎年恒例の、今年1年の僕なりの重大ニュースについても触れておく。世間一般のものと個人的なものを。
以下は、今年は特に印象的なできごとを10個挙げたということで数字に意味はなく、ベスト10もしくはワースト10ではない。
●一般
1 サッカー日本代表、W杯ベスト16 (6月)
2 埼玉県防災ヘリ墜落事故 (7月)
3 チリ落盤事故から33名救出 (10月)
4 富士山の入山者数が40万人突破 (8月)
5 国際宇宙ステーション(ISS)に野口総一・山崎直子と日本人宇宙飛行士が同乗 (4月)
6 東北新幹線が新青森延伸、全線開業 (12月)
7 日航機墜落事故から25年経過 (8月)
8 菅内閣発足 (6月)
9 谷亮子が現役引退 (11月)
10 栗城史多が大人気 (1~12月)
本ブログですでに触れたこともあるものばかりなのであまり多くは触れないが、みっつだけ少々。
2、これは埼玉県民としてもいち登山者としても大きな事故で、僕としては今年も引き続き論議されている昨夏の北海道・トムラウシ山の大量遭難よりも大惨事と受け止めている。僕も今後特にお世話になり続ける地元の秩父という山域や登り方に絡むできごとでもあったし。その後出ている県防災ヘリの後続機の導入や出動費用負担の話の動向も注視してゆく。
9、僕と同い歳の
谷亮子(旧姓田村)、近年活躍中のスポーツ選手のなかでも特に早い時期、中学生の頃から活躍してきただけに特に印象深い。柔道への姿勢も競技・五輪や世界選手権の出場への意識の高さにも毎回驚かされた。いかにも主役然としたよくできたヒトだ、と同い歳ということを忘れて尊敬する選手のひとりだった。
だから今年にとうとう国会議員になって、結局は議員活動1本に絞ったが、競技との掛け持ちは正直厳しいだろう、よくやったよ、若手も伸びているし引退してもいいじゃあないか、と実は選挙前に話題になっていた頃から思っていた(出馬すれば当選は間違いなかったし)。まあとにかく、お疲れさんでした。今後は議員活動で日本のスポーツをより盛り上げてほしいっす。
10、本ブログでも度々触れているのでもう今更挙げることもないが、まだ一度も本人を見かけたことがないので来年こそは何かの機会に生で拝みたい。媒体露出が増えるにつれてさらに有名になって良くも悪くも外圧が高まっているが生で会う前に、かねてから通っている? エヴェレストから生還できるのかどうか。
そういえば今秋は忙しくてひとつ出し忘れた小ネタだが、Yahoo! の「知恵袋」でも今年は彼についての書き込みが増えて(いくつかのテレビ出演の影響だなあ)、とりわけ9月の書き込みは秀逸だった。登山業界人のほぼ総意と言ってもよい的を射た意見なので、参考までにリンクを張る。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1146998496
べつに単にエヴェレスト登頂を目指すとかそこから生中継を敢行するとかはじゃんじゃんやればいいんじゃないの、とは思うのだが、それに「単独」と「無酸素」を無理矢理くっつけて殊更に目立とうとするのはねえ。周りの大人の都合もますます複雑に絡んでまったく純粋ではない登山になる。ゴテゴテくっつけずに単純に登頂を目指せばいいのに、登山+中継に固執するために6000万円もかけてホンモノからあえてニセモノへの道を突き進んでいるようで、もったいない。
それから、個人的なものを。
●個人
1 ツイッターにはまる(1~12月)
2 東京都最高峰・最低峰同日登頂 (2月)
3 御柱祭を山出しのみ見物 (4月)
4 『PEAKS』参入で月刊登山専門誌が三つ巴に (5月)
5 かとう×とみーのトークショー (10月)
6 旅系のトーク・講演に行きまくり (1~12月)
7 家庭内地デジ化 (11月)
8 ICレコーダー購入 (10月)
9 パスポート再取得 (12月)
10 校正仕事での突然の別れ (10月)
1~5はすでに触れているので、6~10について。
6、今年数回触れたが、まあいつになく旅人や突飛な行動者の話を毎月行っている地平線会議とは別の場で生で聴く機会が多かった。数えてみたら今月中旬までで計22本で、すべて東京都内の催し。
特に、松尾由香、四角友里、野川かさね、佐々木大輔、中嶋徹、佐藤裕介、横山勝丘、あたりの僕と同世代かやや若い年頃でここ数年の活躍が目立つ人々に初めて会えたのは大きい。やはり媒体を通じてよりも実際に会って話を生で聴くほうが理解はより深まる。
7、ついにウチも地デジカの侵攻に遭い、地上デジタル化の波に呑み込まれてしまった。ただ、アンテナを従来のものに追加しただけなのでまだ地上アナログ放送も観られる。ウチの老人たちがよく観るテレビは買い換え、平面でやや大きめのテレビが先月から2台導入されているが、僕の部屋のテレビはまだブラウン管のアナログ。でもテレビっ子としては、来年どこかのタイミングで買い換えないと。最近地デジ対応テレビも徐々に値下がってきたし。
ちなみに、このついでに衛星放送も観られるようになって観たい番組の選択肢が倍増し、最近憂慮しているインドア志向により拍車がかかりつつある。このままではブログタイトルを変更しなければならんかも、というちょっとした危機感もあるにはある。
8、実は今年最高の買い物が、前々から所望していたICレコーダー。より良い製品を求めて待ち続けたら今年になってしまった。ICレコーダーの売り場の変遷はデジカメと同様に動向は数年前から常に注視していた。
で、買った機種は
オリンパスの「Voice-Trek」シリーズのV-85というやつで、今夏の新モデル。基本の録音のほかにFMラジオの受信・録音と音楽プレーヤーにもなるというスグレモノで、こういうのを待っていた。しかもUSB接続で音楽ファイルもPCで容易に扱えるし。現状では費用対効果も考えると過去最高の性能だと思っていて、案の定気に入っている。今は録音よりは音楽プレーヤーとしての頻度が高く、最近はPerfumeのアルバムを3枚分入れて連日聴きまくっていたりする。
なお、実は5のトークショーをこれで録音していて(会場だった東京都・西荻窪の「
旅の本屋のまど」の川田正和店長も了承済み)、来年早めにこれを文章に起こしてなんらかのカタチで披露するつもり。だが、テープ起こしの類は以前から苦手で完成にしばらく時間がかかりそう。でも来春までには作れるか。
9、1月に失効したパスポートを、最近働いてまとまったお金があるうちにと思って今月に再取得した。今はICチップ内蔵で10年用が1万6000円もかかるとは。しかもそのぶん分厚くなって携行や管理がよりめんどくさくなるのか。これはここ数年で頻繁に外国へ行く人はどう対処しているのだろうか。
ただ、取得したはいいけどひとまずどこかの国へ行く予定はなく、しばらくは成田空港や、近々何かの催しに乗じて行こうと思っている在日米軍基地へ入るときの身分証明書としてしか出番はなさそう。
10、最後に、以下はすんごい長くなるが、今後の僕の生き方に関する大マジメなことを。これが今年最もいろいろ考えたできごとかも。
今年は8~11月に、出版関連のそんなに大規模でもない会社ではあったが紙の出版物の大きな校正仕事に従事していた。このとき会社では期間内に集中して制作物をより良い状態で完成させるために僕以外にも校正者を最終的には7人雇って、平日・休日問わず8人でシフトを組んでまわしていた。足りないときは派遣会社からさらに増員し、とにかく校正にかなり力を入れていた。そんなに校正者の役回りが重視される仕事は久しぶりだった。でも現場は頻繁にやりとりする編集の方も結構くだけた雰囲気で、終始楽しかったけど。
そんななか、仕事に入ってから1か月半ほど経った10月上旬、僕よりも歳上で校正の経験は僕以上にあるらしいそのうちのひとりの女性が突然、亡くなった。
特に事件・事故に遭ったとかではなく、脳溢血で倒れて、だったそうで。
らしい、というのはまだ仕事を始めてから1か月ほどの期間では、メンバーそれぞれの素性はまだ完全には見えていない状態で、より打ち解けてくるとしたらこれからだろうから、徐々にお互いのことがわかってきてさらに楽しみだな、と思っていた矢先のできごとだった。
その方、既往症は特になかったらしいが、ただ失礼ながら身体はそんなに強いふうには見えなくて、その頃から仕事量が徐々に増えて忙しくなってきてそれにつれて残業時間も増えてきた頃合いだったので、私生活でのなんらかの問題以外におそらく仕事上の精神的な圧迫感も原因のひとつにあったのかもしれない。でも、くも膜下出血とも言われるそういう症状は前兆を察知するのが難しいようなので、ホントの原因は医者や身内でさえ特定できないのかも。
その方がシフトの出勤日にも無断欠勤した日が続いて、それはなんでだろうと不思議に思っていたが、亡くなってから3日後にその報告を受けて、呆然とした。
同じ仕事を同じ大きな机でつい数日前まで一緒にやって、仕事上必要なやりとりでいくつかものを教わったりしたことも含めて会話のあった方が、こうもあっさりと世の中からいなくなるなんて、と。しかもそんなに歳が大きく離れているわけでもないし、仕事量もよく知っているからそんなに負担がかかるものなのか、なぜだ、としばし悩み、その報を受けた日は放心状態でほとんど仕事が手につかなかった。その後数日間も引きずり、実はその時期にもうひとつ掛け持ちしていた別件の仕事も併せて仕事の出来は今年最悪だったかもしれない。
僕はそんな「突然の別れ」は初体験で、これはある意味、事前に覚悟ができていた病床に伏した親戚が亡くなったときよりも唐突なできごとだったためにショックはより大きかった(ちなみに、ここ10年で親戚が4人病没している)。しかも、野外で例えば登山とかマラソンとか激しい運動をしたうえで亡くなるならまだしも、そういうことはなくて普段のデスクワークのみでもそういう最悪の結果を迎える、ということを近いところで実感するとなんとも。
しかもこの10月上旬というのが不運にも、僕的にほかに問題が三重四重に重なっていて、今年最も忙しかったし、そのため精神的にもかなり追い詰められて本気で泣きそうだった。さしずめ五重苦の酷さだったか。さらにこの時期にかぶってきた友人の祝いごとなんかにも一切参加する気にならず、精神的にも今年どころか、いや、ここ数年で最も落ち目な時期だった。
その後、その方の葬儀に参列した方もそうでない方もみんな日を追うごとにそれを引きずってばかりもいられないくらい仕事に忙殺されるようになっていったが(まあ各人ともに口には出さないだけで忘れたわけではない)、僕はそのできごとは11月の仕事終わりまで完全に頭から離れることはなく(四十九日法要をとうにすぎた今も)、これはしっかり心に留めておかねばならない。
こんなことがあったため、今秋は精神的にかなり不安定だった。振り返ると、仕事に集中するときに発生しやすい頭痛を抑えるための頭痛薬の服用もいつになく多かったか。まあでも今は完全にではないけど幾分持ち直して、それを忘れずに今後も前を向いて行かなければ、と来年に向けて意気込んではいる。
という、僕的にはきついことがあった。
それを踏まえてこの年末にひとつ決めたことがある。その方の遺志や、今後ももし生きていれば担当したであろう仕事量を引き継ぐというほどの大層な行ないでもないが、それも多少は意識して今後も仕事は出版関連、とりわけ校正業務にこだわってゆくのだ! という意志を固めた。
僕はここ数年、仕事が少なくてほかの職種にも興味を抱いて浮気しそうなことがあったのだが、これも何かの縁で、たとえ現状のように仕事はたいして入らなくても(しかも「校正」はかなり限定的な業務で、「編集」よりも狭き門か。最近は編集者の業務の一環で経費節減のために校正の行程もこなす話もよく聞くし)、ひとつのことにこだわるしかない。という、勝手な思い込みと言われればそれまでだが身も心もふらつかずにそろそろ1本の道に絞って邁進しよう、(例えば冒険・探検的な行為のようにわざわざ自分の身を危険に晒さなくても、日常のどんな場面でも)死ぬときゃどこで何をやっていても死ぬのだから、だったら生きるうえで自分のやりたい・やるべきことをとことん突き詰めてゆくべきだ、とこの期に及んで肝が据わった感じ。
なので、すでに仕事用の名刺では名乗っているが、来年以降はさらに「校正者」という肩書きにこだわりながら公私ともに生きてゆくつもり。