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思考の7割と収入の3割を旅に注ぐ旅人の日々

一般的には遊び(趣味)と見下されがちな「旅」も、人生のなかでやるべき「仕事」である、という気概で旅する旅人の主張と報告。

2006年の極私的重大ニュース

2006-12-31 20:40:13 | 普段の生活(日常)
大晦日ということで、月並みではあるが僕個人的に気になった今年のニュース上位10題を挙げてみる。

2006年に特に気になった話題
 
①浦和レッズJ1優勝
②埼玉県川口市、市道においての保育園児死傷事故
③野球日本代表がWBC優勝
④山と溪谷社がインプレスホールディングスに買収される
⑤埼玉県新座市、中学校内の失神ゲームで中学生が3人逮捕
⑥駐車違反取り締まりの民間委託化
⑦埼玉県ふじみ野市、大井プール死亡事故
⑧テレビ『笑っていいとも!』放送6000回突破(25周年)
⑨マンガ『こちら葛飾区亀有公園前派出所』連載30周年
⑩冥王星削除

①②③⑥⑦については、本ブログでもすでに取り上げているので、そちらを参照していただきたい。
(①2006年12月2日投稿)
(②2006年9月30日投稿)
(③2006年3月21日投稿)
(⑥2006年8月1日、4日投稿)
(⑦2006年6月1日投稿)
これ以外のことについて、以下に簡単に触れておく。

④は、4500万円というホントに家1軒やマンション1室が買える程度の金額で老舗出版社が時代の先端を行くIT企業に渡ってしまい、世の中そんなんでいいのか!? と傍目には思うが、一応は利潤を追求するいち株式会社としては、近年の出版不況を生き残るには仕方ない措置で、経営陣も苦渋の決断だったのだろう。僕の友人のいる出版社も最近、身売りまではいかないまでも社屋を移転したりしたとか、同業他社では廃業しているところもある、という身近なところでの生々しい話も聞くと、勤め人ではない僕としても、うーむ、と考えてしまう。今年始めのライブドア事件のような、会社に携わる人たちの感情なんかは始めから無視して、あくまで利益を生むか否か、というやや非人道的な事例は今後も増えるのだろうな。
ただ、ひとつだけ救いなのは、『山と溪谷』07年1月号の編集後記でも触れているのだが、最近就任した山と溪谷社の30代新社長は、そこそこは山に理解のある人のようであるということ。それにしても、この号から誌面のデザインがえらく変わってしまったな。慣れるのに1年近くかかりそうだ。

⑤は、僕の地元の中学生が逮捕されたという報道は当日から知っていたし、ネット上の掲示板などでも早めの段階で触れられていたことも知っていたが、自分なりに裏付けを取るまで本ブログでも触れないようにして、慎重に扱った。で、結果としては、実はこの逮捕劇があった中学校というのは僕の出身校で、つまり逮捕された3人の生徒たちも失神した生徒もすべて、僕の後輩ということになる。小・中学生のいじめは毎年全国各地で発生しているが、ついに僕の地元でも起こってしまって他人事では済まされなくなってきたか、とあらかじめ覚悟はしていたがやはりショックですわ。
各種報道でもよく取り上げられているとおり、複数人対ひとりのいじめは、昔も今も大なり小なり人が数十人もいれば起こってしまうのはある程度は決まっているが(大人の世界でもそれを発展させた「派閥争い」というものもあるし)、家庭の親や教師の質、教室内の雰囲気、生徒個々人の罪の意識はひと昔前とは日々変化しているようで、予防策やら対応策やらを簡単に発言するのはためらわれるくらいにホントに難しい問題である。
ちなみに、ウチの中学校というのは勉学においても部活においても前々からマジメに取り組んでいた人もいたが、一部にはやはり漏れなくやんちゃなヤツもいて、過去にも二輪車で校内に侵入して授業を妨害したり、教師の説教に腹を立てて一旦家に戻り、日本刀を持ち出してきて校舎内でそれをブンブン振り回して暴れたり、窓ガラスを100枚近く割りまくったり、という“事件”もそこそこあった。でも「補導」はされても「逮捕」までいくことはめったにはない(あるほうが異常なのだが)。だが最近はそういう目立った行為ではなく、全国の他地域と同様に人目につかない場所(この事件ではトイレだった)での陰湿な“仲間外れ”をすることが多いのかな、という印象はある。
複数人で寄ってたかって、ということをやると卑怯だよ、損するよ、罪になるよ、ということを家庭でも学校のクラスでも、街なかの第三者も、よりきちんと教えていかないとな、と地元民としては改めて考えさせられた。

⑧は、言わずと知れた平日昼間の長寿番組がギネス記録を達成するくらいに長続きしているということだが、自称“タモリっ子”の僕としてもとても嬉しい。あるときは得意の船舶や電車や坂に関する豆知識を熱く披露したり、またあるときはポッと出たヘンな言葉にいちいち反応して即興で軽く暴走? したり、というタモリのあの硬軟のバランスの良さにはいつも憧れる。実はこの時間は「森田一義アワー」なのだが、そう考えるとたしかにもっと主役であるタモリがおバカなことをやってもいいのかな、とは思う。最近のレギュラー陣では中居正広(SMAP)や田中裕二(爆笑問題)のような引き止め役もしっかりいるし。

⑨は、これまた有名な『週刊少年ジャンプ』の国民的長寿連載マンガであるが、連載開始が1976年ということで僕と同い年ということになる。その30年間の連載で休載が一度もないというのが凄い。しかも毎年枯れない、しかも進化もする話題の豊富さにもつい唸ってしまう。このマンガを読み始めた20年ほど前の小学生時分でも、少しは成長した現在も、同様に楽しめるというのがホントに凄いと思う。今でもジャンプを立ち読みしているときにププッと吹き出してしまうことはよくある。まさに老若男女全員が楽しめるマンガである、作者の秋本治氏は超人である、主人公の両津勘吉はゴキブリ以上の生命力で不死身である、ということは僕なんかがいちいち書かなくてもわかるか。
連載30周年を記念して9月に出版された『超こち亀』で、同業のマンガ家からのお祝いメッセージの寄稿者のひとりの本宮ひろ志が“こち亀”のことを「長い間使える日用品、日用品が一番長持ちして愛される」と表現していたが、ホントにそのとおりだと思う。

⑩は、日本のみならず全世界の小学生からお偉い学者さんまで、ン億人、いやン十億人に影響する大問題。しかもこんな重要なことが欧米の一部の学会のなかであっさり変更されてしまう、ということに衝撃を受けた。まあ人類よりも大昔からある巨大な惑星に勝手に名前を付けたり順番を決め付けたりしているのも、人類側ではなく宇宙側の目線で考えるとえらくわがままではた迷惑な話なのかもしれない。
出版の面から考えると、理科や地学の教材を扱う出版社は今後しばらくは大変だろうが、まあ社会科の(日本の)市町村合併や農業・漁業の生産高、(世界の)人口統計や地球温暖化による気候・地形の変化などよりはわかりやすい変更点なので、一旦決めごとが固まれば毎年の変動が激しい社会科よりは対処しやすいだろう。

また、今年の本ブログの投稿で取り上げた、他人から見るとどうでもよいであろう僕個人の重大ニュースもついでに以下に挙げておく。

本ブログ掲載済の僕個人的に印象的なできごと

①旅の本『沖縄人力紀行』(彩図社刊)の出版(6月)
②栃木県、熱気球に乗る(11月)
③北海道、20年越しの後志羊蹄山の登山(10月)
④①について、東京新聞さいたま支局の取材を受ける(8月)
⑤ミニコミ誌『野宿野郎』の野宿に参加(7月)
⑥東京都、交通博物館の閉鎖(5月)
⑦二輪車の歩道通行を注意したら、胸ぐらを掴まれた(9月)
⑧山梨県、雁坂トンネルを通る(5月)
⑨香港に行く(2月)
⑩長野県、JR松本駅の自動改札化(10月)

本ブログ開設当初の能書きにもあるように、もっと旅しやすい世の中になればいいなあ、ということにつながる良いできごとを、来年以降はもっと多く取り上げられるようにしたいものだ。

ノロウイルスか、ただの食あたりか、どちらにせよ旅立てないのは問題だ

2006-12-29 17:45:50 | 普段の生活(日常)
実は、26日深夜から体調不良に陥っている。当初は原因不明の発熱・頭痛・腹痛がいっぺんに襲来し、翌27日からは発熱と頭痛は治まったものの今度は腹痛が下痢に移行し、いまだ苦しい状態が続いている。
最近流行りのノロウイルスの影響かな? とも思ったが、あれは基本的には二枚貝から感染するようで、ここ数日間は貝類なんかまったく食べていないのになんでだろう? ほかのものを調理した人から感染したのかな? それともただ単に近所の某スーパーで買った惣菜の具材のどれかが不良だったのかな? ととにかく種類を問わず食べ物すべてに疑心暗鬼になっている。

いやそれにしても、この下痢は久々のかなりの大物で、発症してからすでに3日目に入るというのに、胃腸薬を飲んでも正露丸を飲んでも一向に回復の兆しがない。トイレ(洋式)には時間帯問わずほぼ1、2時間おきに行かねばならんし、行ったら行ったで便器に座っていきんでも出てくるのは便ではなく(茶色の、スープカレーのような)小水のようなものばかりだし、深夜もこんな感じで急に肛門のあたりが熱くなって目が覚めるものだから睡眠不足にもなっているし、ととにかくこんな投稿を書いている場合ではなかったりする(食事中にお読みになった方、すみません)。今現在も、肛門が刺激されると気体が出るのか液体が出るのかどちらなのか、どちら用の対処をすればよいものか? と判断に迷う場面を断続的に迎えている。

で、そんななか旅先での体調不良について振り返ってみると、僕は旅の最中はそんなに大病を患ったことはなく、最悪でも風邪か擦過傷か軽度の捻挫・骨折くらいで済んでいて、旅でも普段の生活でも入院歴もないこともあって、旅するには比較的丈夫な身体を持っているのかな、という自負は前々からあった(こういうことを振り返るときは両親に感謝したいもの)。下痢についても、1999年秋に自転車旅の途中に山口県内のとある公園の端っこでテントを張って風邪を治すために2日間寝込んだときと、2001年冬にネパールに行ったときにカトマンズ滞在中に水か何かであたったときくらい。しかも両方とも1、2日でなんとか外出できるくらいに回復した程度のものだった。
今回の下痢は明らかにその上を行っていて、発症から3日経っても出てくるものは液体ばかりだし、胃腸がおかしくなっているせいか食べ物はほとんど受け付けない。昨夜のテレビ『とんねるずのみなさんのおかげでした』の食わず嫌い王決定戦スペシャルで、サービス精神旺盛俳優・唐沢寿明が普段は僕も好むサーロインステーキを食べていたが、その画を観ていただけでも吐き気がするほどだった。今日も意を決して家から出てみると、書店やコンビニエンスストアでよくやる立ち読みも、いつもは30分でも1時間でも続けていも平気なのに、今日は5分立っているだけで立ちくらみがした、という過去最悪の状態であった。なんでかね。

先週までの予定では、今週はもし普段どおりの健康体であれば、大阪・京都方面か福島・茨城方面への小旅に出ようと考えていて、第一希望の前者のために普通夜行列車「ムーンライトながら」の指定席券もあらかじめ取っておいたのだが、それもただの紙片になってしまい、うーむ、困った、と自分で自分に呆れている。もし下痢男の状態で列車に乗っていたとしたら相当のひんしゅくものになったであろうから、まあ強行しなくてよかった。

べつに最近外国に行ったわけでもないのにもしこの下痢が明日明後日(4、5日間)まで続くようであればちょっとヤバイかな、普段はできるだけ医者に行かないようにちょっとの不具合でも薬物投与のみで我慢していたのだが今回はいよいよ降参かな、と思い始め、この年越しの忙しい時期にこんな症状を診てくれる医者はいるのかな、と気になりつつある。まあ本を読んだり、映画を観たり、本ブログ用のネタを考えたりしてだましだましやりながら、回復を自分自身で祈っている。明日はどっちだ。

※参考資料 厚生労働省:ノロウイルスに関するQ&A

行列するほどのもんかなあ、“吉牛”  

2006-11-01 23:59:16 | 普段の生活(日常)

10月の月始めから5日間の期間限定で販売が再開された吉野家の牛丼、略して“吉牛”だが、先月は北海道に行って食べられなかったので今日、東京都の有楽町に映画を観に行ったついでに、日本一の売り上げを誇るらしい有楽町駅前店で食べてみた。常に経済的に困っている僕が食べたのはもちろん、380円の並だった。

で、その結果は、なんか以前の牛丼よりもしょぼくなっているなあ、というのが率直な印象。肉は少ないし、味もやや薄まっているように思う。アメリカ牛の脂身と赤身がほどよく混ざっていて丼と相性の良い「ショートプレート」を使用しているそうだが、たしかに肉の柔らかさはあるが、以前よりもかなり薄く切っているような気がする。
まあ有楽町駅前店は日本一の回転率を誇る店で、昼のピーク時は店員の数もふつうの店の2倍くらいになるから(厨房から客のいるカウンターに品物を運ぶ・会計する専門の店員や、行列している客に先客が食べ終わって空いた席を案内する専門の店員を数人配置)、薄利多売? によって味も薄まるのかもしれない。これで380円か、と先のアメリカ産牛肉輸入禁止問題をきっかけに始まった豚丼の並330円にすでに慣れきってしまった身体には、牛丼がそれよりは50円上乗せにしてはやや物足りなさを感じた。これだったらまだ豚丼のほうがましだよな。行列ができるほどの味ではないと思うのだが、不思議だ。

そもそも僕の場合、拙著『沖縄人力紀行』(彩図社刊)の71~72ページでも挙げたとおり、数ある食肉のなかでも豚肉が最も好きで、もちろん牛肉よりも数段好き。だから、先の問題を受けて吉野家、松屋、すき家、なか卯、らんぷ亭などのご飯ものチェーン店で揃って豚丼が登場したことは、僕にとっては歓迎すべきことだった。それは現在も変わっていない。北海道・十勝地方の炭火で焼かれた豚肉スライスに甘くて濃いたれがたっぷりかかる(彩りとしてその上にグリーンピースものせる)本家・豚丼よりは並1杯で280~330円とかなり安っぽいが、普段の生活においてはそれでもこの手軽さにはかなり助けられている。
しかも、10月からの月始め5日間は牛丼を出すキャンペーンはただやるぶんにはよいのだが、この店ではその期間中は丼もののメニューは牛丼のみになり、豚丼や定食は休止していた。実は今日はこの店で昼と夕方の2回食べたのだが、比較的落ち着いた時間帯の2回目はほかのメニューを頼めるのかな? と試してみたのだが、やはり休止と言われ、結局2回とも牛丼を食べた。店内も牛丼一色という感じだった。
だから、今回の牛丼再開騒ぎは豚丼好きの僕にとっては少々厄介なもので、せっかく最近は豚丼も浸透してきたのだから、客の好みを考慮して牛丼と豚丼を併用して客側の選択肢を多く保っておいてほしいよな、と思った。でも店側からすると、輸送コストやら在庫管理・調整やら何やらの都合によって牛丼一辺倒になるのは仕方ないのであろうことは、以前、某ファミリーレストランの裏方バイトの経験もある僕としてもそのへんの台所事情はなんとなく察することはできる。
まあ今後はこの5日間は静観して、それ以外の日に豚丼を食べることにしますわ。

ところで吉野家というと、沖縄県内の店舗では県内限定のメニューとしてタコライスがあるのだが、あれを本土でも試してみると結構面白いと思うのだが、どうだろう? まあわざわざ本土に迎合した営業をしなくても、こんな全国展開しているチェーン店であっても、このような地域限定メニューみたいなものを各地で設けて、「ご当地プリッツ」や「ご当地キティ」のようにそれぞれ独自色を出していくのも楽しいとは思うけどね。アメリカ産牛肉の安全性が取り戻される? 今後は、メニューは牛丼のみでいく! という強いこだわりがあるのであればまあそれはそれで潔くて感心はするけど、今の時代、輸入禁止の頃のような多様性があったほうが顧客のウケは良いように思う。

今年もあえて8月15日に靖国神社に行ってきた

2006-08-15 21:00:16 | 普段の生活(日常)
終戦記念日の今日の午後、東京都千代田区九段北の靖国神社に行ってきた。今日に限っては日本一注目された場所ですな。実は昨年の今日もここを訪れている。
まあそれ以外にも普段から、日本武道館・千鳥ヶ淵周辺や市ケ谷に訪れたときに、気が向いたらここにも足を延ばしているのだが(毎年最低1回以上)、やはり最近よく騒がれている今日のような節目の日の実際の様子はどんな感じなんだろう? と気になり、2年連続で8月15日の参拝となった。
ただ、早朝から大きく報道されていた問題の? 小泉首相の「公約を果たすため」の参拝は8時前に済み、彼は来るのか来ないのか、と報道陣も参拝者も気を揉んでいた昨年に比べると、今年は今日最大の“事件”はもう済んでいたので、午前中はいくらか騒然としていたようだが、午後になると昨年ほどの緊張感はなく、意外と穏やかだった。
夕方の報道では参拝者数は昨年よりも多い25万人以上だそうで、たしかにそのくらいの人数はいっているかな、とは思った。僕が15時すぎに参拝の列に並んだときも、手を合わせ終えるまでに20分ほどかかった。

参拝者を見回すと、昨年同様に僕よりも若めの若者も結構多かった。まあさすがに節目の日で、しかも夏休みの盆の時期だからなのかもしれないが、最近はやや高齢化した戦没者の遺族よりも、戦没者とは直接的なつながりはないけれども平和を考える若者が徐々に増えてきた、という傾向分析は当たっている(まあそのなかには僕も含まれているか)。
でも、61年以上前に国内外多くの戦地で散った彼らの犠牲があって現代日本があることを考えると、現在の日本国民全員にかかわってくることだから、近年加熱している靖国神社の話題は戦後生まれの若い世代であっても他人事にはできないよな、過去の事実から目を背けることは罪だよな、とは最近よく思う。それは拙著『沖縄人力紀行』(彩図社刊)の後半でも少し書いた。

昨年、6月23日に沖縄へ、8月6日に広島へ行って戦没者を悼む60回目の式典を見届けたこと、さらには日付はずれたが8月下旬に長崎と知覧にも行ったことを踏まえて今日、靖国神社に再訪してとりあえず思ったこととしては、そうやって過去の出来事に静かに想いを馳せる日に、その場所を、一国の長? が今朝のような余計な緊張感を漂わせるべきではないよな、ということ。

公的参拝だ、私的参拝だ、合祀だ、分祀だ、政教分離だ、非宗教法人化だ、国立追悼施設に移行だ、などなどいろいろな言い分があるが、実際に戦没者を悼むべき場所は静かなままにしてほしい。議論は別の場所で、最低でも10年以上の時間をかけて重ねていく必要がある。僕個人的には、とりあえずはいわゆるA級戦犯というか責任者は分祀して、1978年の合祀前の状態に戻してほしいとは思う。その当時も合祀は満場一致で賛成、という雰囲気ではなかったようだし、ドラマや映画などでよくあるセリフだがやはり、「責任者は責任を取るためにある」とも思う。
沖縄戦で米軍に追い詰められた軍人が何の罪もない住民を投降阻止のために殺したり自殺を強要したり、靖国神社に祭られている戦没者の約7割が餓死で亡くなったようなことについては、多分に責任を負うべきである。人を「使う」側と「使われる」側の人の立場と責任は分けたほうがよいと思うけどなあ。

靖国神社の在り方に触れることはホントに難しいな。でもいつまでも先送りにはできない問題かね。それを気付かせてくれた、という意味では、任期はあとわずかの現首相はある程度は評価できるのかもしれない。部屋を散らかすだけ散らかして、後片付けはせずにその場を離れるいたずらっ子のようなやり逃げ感はあるけど。
あと、前々から首相の「私的参拝」で気になることとしては、靖国神社への往復移動に毎回公用車を利用していることが腑に落ちない。私的と言い張るのであれば、移動も自費で公共交通に、徒歩+地下鉄もしくはタクシーにしろっちゅーの、とも思う。よく考えると自転車でも行ける距離だよな。警備の問題があるから仕方ない、という言い訳は通用しない。ほんの30分ほどの往復移動であっても税金からくる公用車に乗っておきながら私的と言い張る感覚がよくわからん。国会議員ってみんなこんな“変人”ばかりなのかな? と今回の問題とは関係のない議員もひっくるめてつい疑ってしまう。

まあとにかく、僕の地元から靖国神社へは片道で、徒歩と電車で約1時間30分、運賃で言うと390円で行けるから、僕個人的には今後も8月15日にこだわらずに自分のペースで靖国神社を再訪したい。


※以下は靖国神社とその付近の写真集。すべて2006年8月15日の14~18時に撮影した。


靖国神社の入口あたりでは、8月15日に限ってはこのような横断幕を掲げた表現活動が盛んになる。


上の写真と同様に、愛国心、歴史教科書、小泉首相の参拝などに関する様々な抗議活動も盛んになる。これは中国に対するもの。


第二鳥居あたりの参拝者の列。これは僕が並んだ15時すぎの様子。昨年はこの時間では参拝者もこの状態よりは少なかったが、今年はやはり午前中の注目度の高さから、午後もそれに連動して参拝者は比較的多く、たしかに昨年よりも約5万人増えたという感はある。


僕が参拝したときの拝殿の様子。


靖国神社に関する展示がある遊就館のそばには戦時中に亡くなった馬や犬(軍犬)の慰霊像もある。馬のところにはニンジン、犬のほうにはドッグフードが供えられていた。


8時前には小泉首相も出入りした到着殿。それ以降も要人の出入りもいくらかあり、報道陣が待機していた。おまけに、誰か有名なヤツが来るのか? とテレビ局やライヴ会場の前で芸能人の出入り待ちをするような感じの一般参拝者も多かった。


拝殿の参拝者を撮影する日本の報道陣の後方で、外国の記者が刷りたての夕刊紙を撮影していた(写真右下)。と言っても、撮っていたのが全国紙ではなくそれよりも過激で大きな文字の見出しが目立つ「東京スポーツ」や「夕刊フジ」だったので、これが日本国民の一般的な傾向、とやや誤解されて報じられるのかなあ、と少し気になった。前者には「乱闘」という言葉が使われていたし。


拝殿から第一鳥居のほうに戻ると、夕方なので中継をつなげる、もしくはVTR撮影をする報道機関がいくつかあった。これは中国語を喋っていたので、おそらく中国の報道機関であろう。


さらには、軍服姿の人が余興したりもしていた。参拝者がはけてくる夕方はよく目立つ。トランペットを吹いたり、「天皇陛下万歳!」と万歳したりしていた。こういうのもコスプレ(扮装)と言うのだろうか。


8月15日の九段下交差点付近には警察車両が当然多く並び、場合によっては車両規制もされ、警察官も各地から大量動員される。この日もほかの日と同様にもっと静かに参拝できないものか、とこの騒々しい雰囲気には違和感を覚えるのだが、問題が問題だけに現状では仕方ないか。

東京都板橋区の赤塚溜池公園の落雷現場を見に行く  

2006-08-10 23:30:34 | 普段の生活(日常)
8日朝、東京都板橋区赤塚にある赤塚溜池公園で落雷があり、それで近所に住む63歳の男性が死亡したという報道があった。僕はこの周辺もたまに散歩で訪れている見慣れた地域で、近くには住宅地や区立美術館や首都高速5号池袋線も通っている思いっきり街なかでこんな被害が出たということに驚いた。僕も登山で過去数回雷雲につかまったりもしてヒヤヒヤした経験があり、この世の中で五指に挙げられるくらいに特に嫌いなもののひとつに雷を挙げていることから、雷に関する事件事故の報道はとても気になる。ということでこの現場を9日夕方に、国立競技場にサッカーを観に行く前に確認しに行った。

赤塚溜池公園へ行くには、最寄り駅は都営地下鉄三田線の始発駅・西高島平駅から600mほど南下するのが最も早く行ける方法なのだが、僕はいつものように東武東上線に乗り、下赤塚駅から1.5km北上してこの公園に向かった。公園のすぐ南にある東京大仏や赤塚植物園に行くときもいつもこの経路を徒歩で辿っている。
で、公園に着くと、すでに落雷したらしい木のそばに近所の住民と思われる人たちが木のそばに集まっていて、木を見上げながら亡くなった男性を悼んでいた。木の前には住民手による花や線香も供えられていた。午後の台風(7号)一過で空は晴れ間も見えてきたなか、付近住民がひっきりなしに訪れていた。普段であればここは憩いの場なのだろうが、昨日はそんな雰囲気はなく、訪れた人はみんなやや暗い表情であった。


普段は周辺の散策をする人や遊具で遊ぶ子どもや池で釣りをする人のような、ごく平和な光景が見られる公園。中央の2本の高い木に落雷した。

この報道を最初に聞いたとき、なぜそこそこの広さがある公園で落雷の被害があるのかが気になっていた。ふつうは公園の建物かどこかに避雷針が設置されているもので、それがあれば大丈夫だろう、と思ったのだが、実は落雷した木というのがヒマラヤ杉で(2本並んでいた)、しかも結構生長していて樹高も16~17mほどあり、この公園のなかでも最も高い木であった。そして避雷針もそこから10mほど離れたところにあったことはあったのだが、こちらの高さは11mほどで、つまり避雷針よりも木のほうが高いということ。雷はふつうは地上から高いものに落ちるというから、木のほうが高い現状ではこの避雷針はまったく役に立たなかったということか。


写真右が落雷した2本の木で、左にあるポールが避雷針。道路を走る軽ワゴン車の高さで双方を見比べてもらえるとわかるが、やはり木のほうが高い。

ここに落雷した当時の様子はわからないのではっきりしたことは言えないが、木を見に来ていた近所の人たちのひそひそ話をまとめると、8日朝に男性が落雷に遭ったときはヒマラヤ杉のすぐそばにある瓦屋根付きの公衆トイレに雑談相手とともに雨と雷を避けるために避難していたようだが、雷がその木にピカッと落ちて電流が地上に伝わったとともに、木のやや下のほうの結構長い枝葉がそのトイレの屋根にまで垂れ下がっていて、そのためにトイレの建物のほうにも電流が伝わってきて、たまたまその男性がトイレのやや外側に出ていたときに命中してしまったらしい。その証拠に、トイレのそばには割れた瓦も落ちていた。


写真右奥の建物が公衆トイレ。その屋根に木の枝葉が垂れ下がっている。落雷によってさらに垂れ下がったようだ。

直撃した木のほうは、さすがにマンガやアニメのように幹がまっぷたつになったということはないが、表皮をバリバリと伝わって地上に達したようで、その2本の木ともに表皮が不自然に剥がれていた。その面積も長さも剥がれ方もとても人為的なものではなく、明らかに強力な電流が流れた跡であることがわかる。しかも地上から10mくらいの高さでも表皮が剥がれて元の表皮との色の違いがはっきり表れていたところもあった。


落雷した2本の木を別の角度から。当然ながら、杉が始めからこんな縞模様で生長しているわけではなく、やはり電流が通過した跡だと思う。


上の写真の手前の木のアップ。人為的にこんなにきれいに幹の出っ張ったところの表皮を剥がせるわけはないから、電流が通った道筋であるとわかる。

落雷の避け方は諸説あり、野外でのサバイバル関係の本などでは木の幹から3~4m離れた木の枝葉のなかに隠れて身を低くしていれば大丈夫とか、いや、木の樹高より長い距離を幹から離れていないとダメだ(赤塚のこのヒマラヤ杉の場合は幹から16m以上離れるということか)、とか、いろいろある。最近は前者でも空中放電する可能性があるから、どちらかというと後者のほうが避けられる、らしい。
山で木のような高いものがない場所で雷雲につかまった場合も、立って歩くのは危険で、身を低くしながら避雷針のある小屋や木のような自分の背丈よりも高いものがあるところを探したほうがよいということはよく聞く。でも実際に雷に遭うと、緊張してそう簡単には動けないよね。

僕も最近では2年前に東京・奥多摩で沢登りの終盤に突然雷雲に囲まれて、ピカッと光ってから雷鳴が轟く、を繰り返すあいだの数十秒間ごとに身を低くしながら源頭部を登り、小屋というか岩室のようなものに早足というかほぼ駆け足で避難した、ということがあった。そのときは周りに植林された杉が密集している場所にいたので落雷の心配はないかとも思ったが、雷鳴がどんどん自分のほうに近付いてくることがわかるとさすがに怖く、空中放電の話も聞いているからしぜんに身を低くしながら、併せて襲来した(一時的な)豪雨なんかにはかまわずに、緊張感から心拍数が上がるなかで(心拍数100以上はあったと思う)とにかく早足で雷を避けられる場所を目指した。実際に雷に遭うと冷静な対処は簡単にはできないものだ。
後々考えると、大自然のなかにおいてこのような切羽詰まった状況を体験するというのは、自分という人間はちっぽけな生き物だということを改めて実感できる良い機会ではあったが、机上でなんだかんだ言っても実際に遭遇するとやはり怖いよね。

それに、街なかでも一般的によく言われる時計やネックレスなどの金属品を身に付けていればそれを外すべきとか、ゴム製品のような絶縁製品を身に着けていれば大丈夫というのがあるが、これもまったく意味がなくて、雷は金属ではなくとにかく高いところ、つまり人間で言うと頭から落雷するとのことで、ゴムも強力な電流であれば簡単に通電してしまうとのことで、とにかく身を低くしていたほうがまだ助かる可能性があるとか。まあ頭よりも高い位置で傘を差すのはやめたほうがよいのは明らかか。
さらに、一見安全そうな家のなかにいても、電灯や電話線・コンセントや水まわりから放電することがあり、それらから離れたところにいないと結局は危険、という話もある。ただ、クルマのなかはこれまでの説どおり電流がボディの表面を伝わって地上に抜けるので安全のようだね。

そんなことを考えながら、2本のヒマラヤ杉を1時間ほど近くから遠くから見て、触れて、亡くなった男性のことを想った。地震や台風や大雪とはちょっと質が違うが、雷のような自然の力にも、たとえ街なかであってもそれらをうまくやり過ごす力はいくらかは身に付けていないといかんな、故長谷川恒男が言ったように、現代を生き抜くことは冒険なのだな、と改めて野外での自然体験の重要性をこの街なかの公園でしばし考えた。
こういう自然現象の場合は運の良し悪しもあるのだろうが、その傾向や気象の変化や実際に遭ったときの避け方をいくらか知っていれば、現代を生きていくうえで何も知らないときよりは数段有効なのは明らかなので、少しでも生き延びられる確率を上げるために、野外体験をより積んでそのなかでの意外性を知る努力は怠らないようにしたいものだ。

まあ地球という星は基本的には人智を超越した意外性が重なって成り立っている星だから、その歴史や大気の動きからすると落雷というのはごくふつうの自然現象なのだろうが、それらに対して畏怖の念を抱きながら生きる、というのはいつの時代も変わらないもんだね。そのへんの人間はあくまで「自然のなかで生かされている」という意識が(僕も含めて)現代人はかなり希薄になっていてなまっているように思う。今回の事件を受けて、改めてそんなことを考えた。

今日のふじみ野市大井プールの状況

2006-08-04 23:04:07 | 普段の生活(日常)
埼玉県ふじみ野市大井プールで小2女児が亡くなった事故から4日経過したが、今日、その現場を見に行ってきた。と言ってもプールの周りは埼玉県警察によって封鎖されていたり青シートがかかっていてプール内部が見えないようになっているから、その隙間からちらっと覗けるかどうかというくらいだったが、とりあえず僕の身近な場所で起こったこの事故というか「事件」と言ったほうが良いかもしれない一件の現場を見ておきたかった。
以下の写真はすべて今日の昼頃に撮影した、撮って出しのもの。


大井プールもある、ふじみ野市総合体育館の正面入口(南側)。この辺りは普段は農作業のトラックや土砂・廃棄物を運ぶダンプカーばかり通行するのだが、今日は(おそらく事故後は毎日)報道関係の人たちを送迎するためのタクシーや黒塗りハイヤーが数分おきに往来する、ちょっと異様な交通であった。


大井プールの看板。元々はここは旧大井町の町民プールだったのだが、2005年10月の旧上福岡市との合併で「ふじみ野市」になったから、看板もこうやって紙を貼ってその変化に対応している。新しい看板を作らないようにするための経費節減ということなのか。


大井プールの駐輪場。プール内部は工事用の青シートがかかっていて見えない。


大井プール西側の正面入口に献花台が設置されていた。その左の日陰には報道陣が待機していた。日向はとても暑いので日陰にいないとやってられない状態。やはりこういう体力勝負の取材は若手が担当するようで、大半が僕と同年代かやや若めの人たちであった。


大井プール北側の駐車場。やはり報道関係の取材車・中継車ばかりが並んでいた。民放キー局、国営放送、地元局のテレ玉(旧テレビ埼玉)が揃い踏み、という感じ。


おそらく、事故があった吸水口の解体した箇所ではないかと思う(北側)。ここも青シートがかかっていた。


大井プールとはあまり関係ないが、ここから数百m離れるとこのような雑木林が広がるのどかな土地だったりする。ただ、この辺りは外灯が少なく、鉄道駅や国道や路線バスの経路からもかなり離れているために人もクルマも通行は比較的少ないので、深夜の不法投棄の温床になっていたりする。


大井プールに行く前に一応見に行った、ふじみ野市東部の上福岡プール。合併前は旧上福岡市民プール。ここは大井よりもややしょぼい感じで施設の老朽化も激しいらしく、今季初めから休止しているようだ。実はこの700m南に隣の富士見市の「富士見ガーデンビーチ」という大井と同じくらいの大きさのプールがあり(ウォータースライダーもある)、ふじみ野市民も相互利用できるようにしていて、そこは今日もふつうに営業していた。

吸水口の柵が外れていたのは女児が流される前に監視員が気づいていたこと、それなのに先に遊泳している人を上げる前に責任者を呼びに行ったり道具を取りに行ったりしたこと、柵は6、7年前からボルトではなく針金だけで固定していたこと、1986年のプール開業当時とはプール壁面の柵を固定するネジ穴と柵が掃除などで何回も取り外したことによって合わないことがわかっていたのに改善してこなかったこと、事故があったその柵は7月15日のプール開きから一度も点検していなかったこと、ふじみ野市(A)→太陽管財(B)→京明プランニング(C)の下請けというか孫請けのつながり、B-C間はAに無断で契約していたこと、Cの監視員アルバイトは事故当時13人いたこと、しかもその人たちにはプール監視のための講習を受けさせていなかったこと、しかもそのなかに泳げない人がいたこと、などなど、この一件の真相は日々明らかになってきているが、その報道を聞くたびに頭を抱えてしまう。やはり、いろいろな落ち度が重なって起こってしまった人災であることは間違いない。
まあ一般人による詮索はこのへんにして、あまり頼りない? 埼玉県警察の捜査・検証の結果を待つしかないが、とりあえずはやはり元々の責任はふじみ野市になるだろうな。2005年10月の上福岡市と大井町の合併によって誕生したばかりの市だが、それによる業務の引き継ぎがうまくいかなかったなどの言い訳は通用しないよね。今後の遺族への対処もきっちり見届けたい。

違法駐車を捕り逃がした? in池袋  

2006-08-04 21:00:29 | 普段の生活(日常)

昨夜は、来週12日から順次全国公開していく野外派人間必見の映画、『狩人と犬,最後の旅』の試写会のために東京・新宿に出たのだが、その前に所用で池袋西口界隈を歩いているときに、路上駐車を取り締まる民間監視員2名を発見した。

6月に道路交通法が改正されて2か月が経ち、東京都内では銀座界隈で取り締まっている様子は数回見かけたが、僕の馴染みの街である池袋でその人たちを見るのは昨日が初めてだったので、しばらくその成り行きを観察してみた。
で、その監視員たちを少し離れたところでじっくり見ていたのだが、彼らが駐車車両を発見するのが遅かったのか、その運転者が用事があったらしいビルから2分で出てきたため、何のやりとりもなく監視員をあざ笑うかのようにすぐにクルマに乗り込み、走り去ってしまった。せっかく発見したのだから、違反を告げるあのシールを打ち出してフロントガラスに貼り付ける瞬間を見届けたかったのだが、残念。運転者にも事情があるのだろうが、やはり道路の端を歩く歩行者にとってはこの“鉄の塊”は邪魔だからなあ。

この取り締まりによって他地域ではそこそこの抑止効果は表れているようだが(まあそのぶん運転者が監視員を殴ったりして逮捕沙汰になる事例も多いが)、池袋に関してはあまり変化は見られないのよね。
いつも違法駐車の列ができる箇所を数地点知っているのだが、5月までと同様にクルマが停まっている様子は今もよく見る。ただ、運転者のほうも取り締まりには警戒の目を光らせているようで、緑・黒ナンバーの営業車両ではないふつうの白・黄ナンバーのクルマでも見張り役? の同乗者が待機している様子を以前よりも多く見かける。
でも歩行者の立場からすると、車道と歩道の区別のない道路なんかでそうやって一応は正当性を主張しているような停め方をしていても、本来クルマが停まっているべきではない場所に停まっているような邪魔なものは邪魔なのよね。サイドミラーが車道側に突き出ているのもウザイし。走っていないときくらい畳んでおけよ! と運転者および同乗者の顔を睨むこともしばしは。その塊を避けるために車道に出ると、道路の残りの空間を疾走するほかのクルマをいちいち気にしながら通過しなければならないという余計な手間も増え、毎度毎度違法駐車車両には腹が立ってくる。

都市部のロードプライシング制度は早急にやるべきだよな、と東京都心に出てくるたびにほぼ毎回思ってしまうよ。この仕組みを前々から打ち出している石原慎太郎東京都知事は基本的にはあまり好きな人物ではないのだが、この案やディーゼル車規制のような道路交通政策に限ってはなぜか僕も納得できる部分が多い。そんなに遠くないうちに実現するかもね。

埼玉県ふじみ野市の大井プールで人災  

2006-08-01 22:30:46 | 普段の生活(日常)
7月31日の午後、埼玉県ふじみ野市の大井プールで、小学生の女児が水流のあるいわゆる「流れるプール」の排水口に吸い込まれて亡くなった事件は、昨日は深夜に帰宅したため今朝に知った。全国紙はみな一面で扱っているのね。
このプールは僕の地元から西北西に6kmの地点という近場にあり、たまにポタリング(自転車による散策)でここを通りかかることもよくある言わば生活圏で、そんな近所でこのような事故が起こったことは誠に残念である。
各種報道で報じられるとおり、管理体制(特に施設側)がずさんで、100%人災としか言いようがない。事故を未然に防ぐ手段はいくらでもあったはずだ。なぜ、柵を固定したり金網を張ったりして予防策を施していなかったのかね。水圧によってそれらを固定するネジやボルトが保てないものなのかね。

このようなプールをよく利用するお子さんというのはたしかに、こういう排水口に近付いていたずらというか力試しのようなことをやりたくなる傾向があることはわかる。僕も小・中学生のときに行った東京都練馬区のとしまえん(豊島園)や埼玉県滑川町の森林公園の大きなプールでこういうものを発見すると、柵を力づくで外そうとは思わないが、興味本意で近付いて水流の強さを確認することはよくやった。そういう発想は「大人」の管理者たちにはなかったのだろうか。

それと、今後はこの事故の原因究明後は責任問題が挙がるだろうが、市が民間? に委託しているプールの監視員よりはやはり施設側の責任になるだろうな。監視員は常駐4人、巡回2人だったそうで人数的には不足はしていなかったようだ。だが、50分に1度の点検で吸水口のふたつある柵のうちひとつが外れていたことを発見したものの、連絡優先で現場の対応がはっきりできなかったことが気になるが、水流を調節する施設側の対応の遅さのほうが気になる。やはりプールと言えども、人命にかかわる今回のような問題が起こり得ることを(子どもの目線で)予測できなかったように見えて、これがまた残念。

近年の埼玉県って、傷害事件や交通事故も含めて人為的ミスが重なったことによる事故が多いように思う。僕の地元で、しかも公共の場でこんな事件事故が起こると他人事ではなく思い、せっかくの夏休み序盤にこういう痛い問題が噴出するとは悲しいもので、亡くなった方の遺族と一緒に暗い気分になる。
先のシンドラー社製のエレベーターの全国的な欠陥による事故と同様に、この市民プールも欠陥施設と言えるかもしれない。ただ、ここ以外にも全国的に似た構造のプールはたくさんあるだろうから、ふじみ野市ばかり問題視している場合ではなく、全国的に再点検しないとね。

関東地方は梅雨明けしたばかりで夏の盛りはまだまだこれからだから、プールを提供するほうも利用するほうも、気を引き締めたいものだ。もちろん、そんな人工的な施設のみならず、自然の海や川や湖であれば尚更である。
実は事故発生件数では、僕がよく行く山の事故よりも、これらの水際の事故のほうが圧倒的に多いから(まあ利用者数が水関係のほうがケタ違いに多いから当然か)、水際に行く方はお気を付けて。
基本的に陸で生活する人間にとって水のなかに全身浸るという行為は、足が付かない、呼吸がしにくいことも含めて身体が不安定な状態になるという完全に非日常的な行為だから、やはりより注意深くならないとね。そう考えると、山を登るという行為はほぼ2本足で立てるし、呼吸もしやすいから(まあ登る山の傾斜や標高にもよるが)、水モノの行為よりは日常に近い行為なのかもしれない、なんてことも連想するが、まあとにかく、どこに行くにしてもあまり浮かれずに慎重に行きましょうよ。

今日は節目の日で良い写真と映画を観たのに、主に北朝鮮のせいで落ち目の日に

2006-07-05 23:59:24 | 普段の生活(日常)
今日で本ブログを開設してちょうど6か月が経過した。ということで僕的にはちょっとした節目の記念日なのだが、朝っぱらからの北朝鮮のミサイル6発発射やら韓国との国境近くの竹島周辺の問題やらで、午前中はどんよりとした気分であった。何が目的なんだ? 北朝鮮。

そんな暗い気分を払拭すべく、というわけではないが数日前からの予定どおりに午後は東京都内に出かけ、まずは東京メトロ神楽坂駅近くのセッションハウスという建物で6日まで開催中の、作家・渡辺一枝氏の写真展『花のチベット』を観に行った。
一枝さんの写真展はこれまで未体験だったのだが、展示されていた写真は旦那の椎名誠氏の写真よりはなんとなく柔らかい雰囲気があり(花もたくさん撮っているし)、空気の薄いチベットの荒涼とした高原を馬に乗って数回、何十日間も渡り歩いた人には見えないよな、と彼女を旅関係の催しで見かけるたびに、そして今日も思った。

実は先週1日には、銀座の富士フォトサロンで6日まで開催中の椎名氏の写真展『~FinePixS3Proと行く~ 祭り旅と極北旅』も観に行っていて、場所は異なるが同時期に写真展を開催するこの夫婦の生命力というか表現意欲の強さを改めて思い知らされた今日この頃。そんじょそこらの一般市民とは訳が違う、相変わらず物凄いおばさんとおとっつぁんである。

続いて夕方は、JR東中野駅そばの映画館・ポレポレ東中野で7日まで公開中の映画『プージェー』を観に行った。しかも夕方の回では上映後にこの題材が産まれるきっかけとなった旅「グレートジャーニー」の主役である関野吉晴氏と監督の山田和也氏の対談があり、それも楽しみにしていた。この映画の前売券は事前に買ってあったのだが、なんだかんだで東中野に行くタイミングが合わず、家からもそんなに遠い場所ではないからいつでも行けるだろう、と先延ばしていて、気付いたら今日に至っていた。
映画のあらすじは以前フジテレビ系列で毎年放送していた「グレートジャーニー」を毎回欠かさず観ていたのでなんとなくは知っていたが、その本放送で使わなかった部分もかなりつなぎ合わせていて初見の画や言葉も多く、立派な映画に仕上がっていた。

今日は偶然にも午前の事件は北朝鮮と韓国のこと、午後の外出は中国・チベットとモンゴルのこと、そして日本と、僕個人的には良くも悪くも東アジア5か国の物事で揃ってしまった。午前の事件のほうで精神的に落ち込みはしたが、午後の趣味のほうで盛り返し、差し引きゼロにはなったかな、と思ったが、『プージェー』は基本的に(特に後半は)悲しい話なので、ややマイナスの気分。
しかも、帰宅したら北朝鮮が夜にも7発目のミサイルを発射したというから、それを聞くともう訳がわからなくなり、最終的には思いっきりマイナスの気分である。
ミサイルの発射は成功したのか(わざと寸止めなのか)失敗したのか、北朝鮮の上層部の内紛なのかアメリカと話し合いの場を持つための威嚇なのかはよくわからんが、僕のちょっとした記念日を踏みにじるとは、許せん。僕はこれまでは北朝鮮に対しては拉致問題のこともあるし、あまり強く刺激せずに穏便に冷静にいこうよ、と思っていたのだが、今後は市民レベルからもっと北朝鮮に対して毅然とした態度を取らねばならん、と今日の一件で少し気が変わった。こんな個人的な理由からも、北朝鮮の行動には腹が立った。日本以外の近隣諸国でも緊張感が高まるし、それに日本海上で操業している漁船などに命中したら、そしてその海に棲む海洋生物たちが無為に大量に死んだり汚染されたりしたらどうするんだ。身近なところでは日本の食卓にもかかわる大問題だぞ。

ホントは映画鑑賞後の関野×山田対談で旅の在り方に関することで改めて感じたことについて書こうと思っていたが、今日はいろいろなことがあって頭のなかでまとまらないので、本ブログで追々反映させていくことにする。

今日から施行のタバコ増税も大賛成    

2006-07-01 18:30:46 | 普段の生活(日常)
今日からタバコがまた増税され、1本当たり約85銭、1箱にすると大半の銘柄で20~30円の値上げになるそうだが、なんならもっと、それこそ2倍以上値上げすればいいのに、と増税のたびに毎回思う。
喫煙者による受動喫煙やらタバコの吸い殻のポイ捨てやらで、そうではない周りの人たちに散々迷惑をかけているのだから、その迷惑料としても、愚行を何の気なしに繰り返す輩を撲滅するためにも、まだまだ最近の増税額は生ぬるい。世界的に見ると日本のタバコ税はかなり低めに抑えられているというし。

それに、最近始まった禁煙外来の保険適用というのもアホな話で、周りに迷惑をかけながら自分で勝手に不健康になっているくせに、自分で自分の首を絞めているくせに、いざとなったら他人様(非喫煙者)のお金(税金)も使ってなんとか改善しようという、他人にべったり依存する魂胆が許せない。そういう仕組みを作る国もどうかしている。本来は自己責任で、自分自身で解決すべきことなのに。
この期に及んで禁煙外来に駆け込むような人たちというのは、喫煙とは関係ないが2004年4月にイラクで武装勢力に拘束された日本人3人のことを詳しく考察もせずに世間の風潮に乗っかって安易に非難していたクチなのかな? というのが少し気になった。

嫌煙派の僕でも、現代社会においてのタバコという嗜好品と喫煙という行為を完全否定はしないし、携帯灰皿を利用するなどしてまともな吸い方をする喫煙者もいることはわかっているが、どうしてもタバコを吸い続けるのであれば、そんな他人のお金に頼らずに開き直って覚悟して、不健康まっしぐらに突き進んで早めに寿命を迎える潔い人のほうがまだましだと思う。

あと、僕個人的に思うこととしては、嗜好品というモノは「大人のたしなみ」という、周囲への配慮や自己責任という気構えがきちんと成り立ってこそのモノだと思うのだが、路上での歩きタバコやら吸い殻のポイ捨てやらトイレの個室内での喫煙のような周りを困らせる愚行を延々繰り返すようなヤツは、どの視点からどう考えても「大人」ではなく、嗜好品を楽しむ資格なんてないのだよ、と終日禁煙の鉄道駅のホームの柱の影でこそこそと紫煙をくゆらせているようなオヤジなんかを見みかけるたびに思う。こういう「頭隠して煙隠さず」という感じの行為もいただけない。我慢ができなければ、「大人」ではない。

先週末も、早朝に僕がよく通行する最寄駅付近の沿道のゴミ拾いを2時間ほど行なったら、拾ったゴミの総数の約7割がタバコの吸い殻だったことを思い出すと、今の時代は「大人」ではない人たちがやたらと多いんだなあ、と絶望的な気分になり、いつもの清掃後と同様に深くため息をついてしまった。
そういった間接的に被害を被っているきれい好きの人たちのためにも、タバコの値段は1箱当たり少なくとも700~800円くらいに設定してほしいものだ、と僕は10年以上前から切望している。イギリスは1000円近いんだそうだが、日本もそのくらいの価格設定でより強く責任を持たせるべきである。

テレビ番組の取材などで、「タバコがないと生きていけない」とか言い訳しているヤツがよくいるが、そんなのは大ウソで、だったらタバコを吸い始める前はどうやって生きてきたんだ? 吸わなくても生きてこれたんぢゃないの? とすかさずツッコミを入れたくなる。もう少し「大人」になったら? と思ってしまう。
とりあえず、周囲に迷惑をかける事態が発生するのは嗜好品の本分ではないはずだから、世の喫煙者にはタバコの扱い方を今一度見直してもらいたい。喫煙者のその吸い方が現状のままの体たらくでいくと、高校か大学あたりで「タバコの吸い方」なんていう道徳教育を施さなければならなくなるのかな? と心配になる。喫煙も会員制とか免許制にするとか、かなりの荒療治が必要になる時期が訪れるのはそんなに遠くない時期かもしれない。
増税はそれを再考する良い機会なので、今後もじゃんじゃん値上げしてほしいものだ。

極私的のど飴ランキング

2006-05-29 13:45:32 | 普段の生活(日常)

先月からなぜかのどの調子が悪く、最近はほぼ毎日、何かしらののど飴を朝から晩まで断続的に食べている。で、僕個人的に最近特に気に入っているのど飴の銘柄ベスト5を挙げてみた。

第1位 キシリクリスタルCOOLのど飴・ソーダ味(三星食品)
第2位 沖縄シークヮサーのど飴(ノーベル製菓)
第3位 VC-3000のど飴(ノーベル製菓)
第4位 LOTTEのど飴(ロッテ)
第5位 はちみつきんかんのど飴(ノーベル製菓)

まあこれ以外にも過去に20種類以上は試していて、もちろん薬局にあるトローチや浅田飴なども試しているが、基本的にはスーパーやディスカウント店で比較的安定供給されている安価なもので日々研究している。新製品が発売されるたびについつい味を確認したくなる。しかものど飴限定で。
ただ、いろいろと試していると、これはどう考えても失敗作だろう、と袋を開けて1個目を食べ始めてから10秒もしないうちに低い評価が下るものもある。例えば、今回第1位に挙げて最近特にはまっている「キシリクリスタルCOOLのど飴」(上の写真参照)の同シリーズ品に「キシリクリスタルミントのど飴」というのがあるが、僕はこちらのほうで使われているミルク香料とミントが合わさった味が苦手で、嫌いである。同じシリーズものであっても好き嫌いがはっきり分かれるので、やはり味を変えて1種類ずつ食べてみないとわからないものだ。
そんな感じでいろいろと食べまくって試行錯誤を経て、現状では上記の5銘柄が僕にとっては間違いのない商品である。まあ味覚には個人差があるので、あくまで参考程度に留めて聞き流してほしい。

特にここ2週間はのど飴の出動回数が多く、なかでも先週半ばには思いっきり風邪をひいて久々に38度以上の熱を出してウンウン唸っていたときはホントによくお世話になった。アルコール類は一滴も摂取していないしらふ状態にもかかわらず、通勤で電車の座席に辛うじて座れたとしても吐き気をもよおすくらいにひどい状態で(普段は絶対にあり得ないこと)、そんな日は無理して労働(最近は東京都内で短期間の校正仕事)に出向いても健康体のときよりも作業効率はガクッと落ちて、ほとんど役に立てなかった。こんなにひどい状態は数年ぶりで、ここまでやられると何に対してもやる気が起こらなくなり、街なかで(体調不良時は余計気になる)歩きタバコの輩が無差別に出す火と煙に対抗したり、風邪とは無縁そうな元気な人を見てうらやんだりする心の余裕も完全になくなってしまう。
僕は毎年1、2月に流行るインフルエンザにはまったくかからないのだが、この春から夏に変わる時期と秋頃の朝晩の気温の差が激しいこの時期は体調を崩すことが多く(まあ僕に限った話ではないだろうが)、のど飴を買う回数もどうしても多くなるのよね。

また、第5位の「はちみつきんかんのど飴」のような柑橘系の濃い甘さがあるものは、のどの調子が悪いとき以外にも登山中の行動食として携行することが多い。普段の生活よりも余計に糖分を欲する運動を行なうため、そういうときはこのくらいの味の濃さがちょうど良かったりする。また、分類上はのど飴ではないが、琥珀色で球形の「カンロ飴」(カンロ)も好きで、これもよく山で食べている。
特に冬山ではこの糖分が体温を維持するのに有効で、何かしらの飴を必ず持参するようにしている。しかも、のど飴ではないふつうの飴ではなく、行動中の寒さと高所の空気の乾燥によって体調不良になるかも、と最悪の事態に陥ることも想定して、塗り薬や飲み薬と同様に医薬品の一部という意味合いで鼻とのどの通りが比較的良くなるのど飴をあえて選択することが多い。
今後もより良いのど飴探訪の旅はまだまだ続きそうだ。

立正大学卒業生としては大ショックの、学生会館との別れ  

2006-05-15 00:30:48 | 普段の生活(日常)
2006年5月14日、東京都品川区の都道317号・山手通りから西方向を望む。左奥が立正大学の学生会館、手前右の新しくて高めの建物が同大学の総合学術情報センター。図書館やPC関係の施設が入っている、らしい(まだ入ったことはない)。そして手前左側の空いたところが大崎警察署の敷地。2009年2月完成予定で改築するらしく、現在は1km東に仮移転中。


今回は立正大学の卒業生・現役学生限定の話。
実は昨日(14日)は交通博物館に行く前に、僕の母校である立正大学の大崎校舎に行ってきた。と言うのも、ここでサークル活動を経験した人ならよくわかるだろうが、その大半の活動拠点であった学生会館(6号館)が今月中旬から取り壊されることになった。
正門前に掲示されていた告示によると、建物自体は取り壊さずに耐震補強工事なんかを施して、教室や学外の人たちとの交流の場にするらしい。先日、僕が学生時代に所属していたワンダーフォーゲル部(以下、ワンゲル)の後輩というか現役学生から聞いた話によると、最近は学生の数が増えすぎて教室が足りなくなり、教室を増設する必要があるそうだ。そのための改装ということらしい。
ちなみに、ウチの大学は大崎のほかに埼玉県の熊谷市にも校舎があり、以前は昼間部(Ⅰ部)は1~2年の教養課程が熊谷校舎で、3~4年は大崎校舎、と学年によって学ぶ場所が分かれていた。また、夜間部(Ⅱ部)は4年間ずっと大崎のほうになっていた。
が、近年は福祉学部やら心理学部やら新しい学部がいくつかでき、学生を受け入れまくり、その結果、校舎内が年々手狭になってきているようだ。それで、1~2年と3~4年で校舎を分ける、ということではなく、最近は(ほかの大学でもよくあるように)学部ごとに校舎を分けてきていて、やや交通不便な熊谷校舎よりは、どちらかというと東京副都心? で何かと便利な大崎校舎のほうが比重が高くなってきているということも聞いた。そんなことから年々手狭になってきて、今年の学生会館の取り壊しに至ったようだ。
最近は講義によっては学生が教室内の椅子に座りきれなくなり、立ち見というか立ち聞きになってしまっているものもあるとか。そういうことを聞くと、学生を問題なく受け入れを整える計画は立てているのかね、と、「ご利用は計画的に」という某消費者金融の宣伝文句も頭に浮かびながら、この大学のいちOBの僕としては最近の大学経営にちょっと物申したくなる。学生時分は学業とワンゲルの活動の傍ら、せっせと学費を自分で稼いで納入していたのだから、口を挟む資格はあるよな。しかも僕が入学した1994年から、Ⅰ部・Ⅱ部制から昼間主・夜間主コース制に切り替わって年間の学費も跳ね上がり、学費を工面するのがちょっと大変だったいうこともあったから、なおのことだ。僕らのカネで建てているのだから、どうせ建て替えるのであれば卒業生もきちんと利用できる施設にしてほしいものだ。

で、取り壊されるこの学生会館に入っていたサークルなどの各種団体はどうなったのかというと、この校舎から歩いて数分の居木神社(わかる人にはわかる)の北側にこのほど、「12号館」という3階建ての新館を建てて、そこを使うことになった。周りは住宅なのでそんなに仰々しい建物にはなっていないが、そこそこの大きさはある。おそらく、この近辺の地理を知っている立正OB・OGがこの建物を見ると、よくこの狭い範囲のなかでこれだけの土地を取得できたな、と驚くだろう。
ここは学生会館の取り壊しに合わせてここから切り替わるカタチでやはり5月中旬から使われ始めるようで、ウチのワンゲルも含めて各サークルのそこへの引越しは完了している。また後輩に聞いたところによると、ここの各部屋は学生会館のときの部屋よりも少し狭いらしい。

この学生会館も交通博物館と同様に、70年間とまではいかなくても結構な歴史があり、僕が所属していた今年で創部42年になるワンゲルも昔から散々お世話になっていた。そのため、この建物にもかなりの愛着があり、残念無念である。
まあ館内は老朽化が進み、僕が学生の頃から外壁にひびが入っていたり塗装が剥げていたりして痛々しい状態にはなっていたから、安全性を考えると仕方ないことなのかもしれない。
交通博物館と同様に、とても思い出深い、自分の家と同じくらいの思い入れの深さがある建物がなくなっていくのはホントに淋しいですなあ。学生会館にも深々とお辞儀をして、しばし別れを惜しんだ。
全国各地の立正大学の卒業生のみなさま、母校はここ数年、えらく変化してきておりますぞ。

連休中の新宿の人出 

2006-05-03 23:30:34 | 普段の生活(日常)

今日の日中は所用で新宿に行った。やはり大型連休中なので新宿駅付近はえらい人出であった。

今年の黄金週間は連休を長く取っている人は多くて9連休になるそうだが、大半の人は今日から7日までの5連休のカタチが多いのではないかと思う。まあ現在職が不安定な僕としては、あえて休もうと思えばいつも連休にできるのだが。

電車を利用する乗客の混雑度は普段の週末とほぼ同じだったのだが、テレビ『笑っていいとも!』でお馴染みのスタジオアルタやカメラのさくらや・ヨドバシカメラのようなビルが林立する街なかでは、普段の週末の2倍以上の人は出歩いていたように思う。みんながみんな国外の観光地や国内の温泉へ旅行に行ったり帰省したりしているわけではないのね。

今年は一昨日からガソリン価格が再び値上げされたことによって、今年に限っては出費のことを考えて各地への移動はクルマから鉄道に乗り換えた人もいくらかはいるかもしれない。そのくらい、東京都内屈指のターミナル駅は例年よりも多めの人出であった。

今年の桜鑑賞はやや不完全燃焼

2006-04-06 00:00:01 | 普段の生活(日常)
2006月4月2日、地元・埼玉県の柳瀬川(荒川の支流)の土手に咲く桜。この写真を撮ったのは午前中で、花見の場所取りシートが方々に広がっているだけで、まだ客はいない状態。ちなみに、東武東上線の線路に近いここから上流(写真奥)に約9km遡ったあたりに、アニメーション監督の宮崎駿が住んでいたりする。


今年の僕の実家の近所にある桜の木は先週末をピークにそろそろ散り始めているが、なんだか今年は見頃というか見る条件が悪かったような気がする。
低気圧の通過による雨や強風が続き、近所の木では満開にならないうちに雨風によって花びらがいくらか落ちてしまい、すでに葉桜になったものも結構ある。
そんな微妙な天候が連日続いたため、花見客も例年よりはやや少ない。まあ花見で訪れる他所者が少なくなるということは、それによるどんちゃん騒ぎによって排出されるゴミの量も例年よりは減って地元民としては片付けがラクではあるが、いざ客足が減るとなると毎年のこの付近の風物詩が損なわれるようでやや寂しくもある。
でもまあ、この時期のこの桃色の花々を見て和めるのは助かる。日本人であることを再確認できる良い機会にもなっているしね。他地域では例年どおりの開花になっているのだろうか。

ちなみに、桜と言えばものすごく遅ればせながらなことなのだが、最近になってようやく、昨年大ヒットしたケツメイシの『さくら』をフルコーラスで聴いた(1番のみは度々聴いたが)。良かった。この時期の音楽番組なんかでも桜関連の歌をよく取り上げたりしているが、僕の桜関係の歌ランキングは以下のとおり。

第1位 さくら(独唱)/森山直太朗
第2位 さくら/ケツメイシ
第3位 さくらさくら(唱歌)

まあ人それぞれお気に入りは異なってくるが、これ以外にもここ数年は福山雅治や河口恭吾やコブクロなど桜関連の歌を出す歌手は多いね。近年やや西洋かぶれ的になってきた日本人の心を今一度取り戻したいというか見直そう、との意欲からこのリリースラッシュにつながっているのだろうか。

何の変哲もない週末

2006-04-01 21:17:21 | 普段の生活(日常)
世間では4月1日の年度始めということで、学生・生徒が次の学年に進級したり、会社員の役職が人事異動によって上に下に変動したり、平成の大合併(市町村合併)がようやく落ち着いたり、国民の声を反映させていないわけのわからん法律がいつの間にか施行されたり、テレビ番組の放送内容が改編されたりなど(テレビ『恋のから騒ぎ』も新メンバーになったし)、様々な場で大きな変化が見られる。

だが僕個人的には、この日を迎えたからと言っても特に色めき立つようなことはなく、劇的な出会いや別れも身内以外にはなく、ふつうに衣食住をこなして、アルバイトにいそしんで、溜まったテレビ録画や雑誌を観て読んで片付ける、いつもとまったく変わりのない週末である。
今日はエイプリルフールだ、と言っても、特に思い付くウソネタもなく、淡々と過ごしている。というか、基本的にウソが嫌いな僕は今日のエイプリルフールという催しの存在意義がよくわからないクチで、4月1日だけはウソをついても大丈夫、という免罪符のもとでホラ話を吹く人の神経がよくわからん。何か得することというか幸せになれることでもあるのかね、バカぢゃなかろうか、とも思っている。

逆に、最近の朝晩の冷え込みや強風によってややカゼ気味になったり(花粉症とは少し違う)、自転車でふつうに車道左端を合法的に走っているにもかかわらず後続のクルマにクラクションを鳴らされたり、今のアルバイト先は喫煙者が多かったり、迷惑メールがこれまで以上に増えたり、実家に入れる生活費が突如値上がりしたり(前年同月比50%アップ)など、悪いことのほうが目立っていたりする。
ということでやや落ち目の1日ではあるが、明日以降、現在満開中の近所の桜を眺めて心を落ち着けることにしよう。たとえクローンのソメイヨシノであっても、ちょうどこのピンクを楽しめる時期で助かった。

そんななか、新年度だからというわけではないが、実は5月か6月あたりに、旅にかかわる(僕個人的には)一大行事を控えており、その準備にも連日忙しかったりする。
本ブログでも後日随時報告していくが、僕個人的にはこれまでの学校の入学・卒業や身内の冠婚葬祭と同等かそれ以上の、人生変えちゃう夏かもね、というくらいの一大事である。これによって最近はやや睡眠不足になっていたりもするが、まあどんな結果が出るか楽しみではある。