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思考の7割と収入の3割を旅に注ぐ旅人の日々

一般的には遊び(趣味)と見下されがちな「旅」も、人生のなかでやるべき「仕事」である、という気概で旅する旅人の主張と報告。

とりあえずは文句たらたらの郵政民営化

2007-10-01 19:57:27 | 普段の生活(日常)

今日から郵便局、郵便、郵便貯金、簡易保険事業が民間会社4社に分社化される、いわゆる“郵政民営化”が本格的に始まった。
が、その概要を報道で見る限りは一般庶民の僕にとっては良い変更点はひとつもなく、逆に特に各地の、銀行や信用金庫のような先輩格? の民間金融機関が進出できない山間部や離島の郵便局(特に簡易郵便局)が合理化やら採算性重視やらによって淘汰されずに在り続けることができるのだろうか、全体的なサービス水準の低下や地域による格差拡大になりはしないか、ということのほうがかなり心配。実際、今日から特に配達業務で人員が削減されたり、簡易郵便局が廃止されたりということも全国各地で結構あるようだし。

民営化によって変更点がいろいろあるなかで僕が特に影響を受けるのが、郵便事業のなかでそこそこよく使う定額小為替の手数料が1枚あたり10円から100円に値上げされることか。この10円というのは元々かなりのコスト割れらしいが、でもこれまでもほかの事業でそのマイナス分はそこそこ補填できているはずだから、今回も20~30円くらいの値上げ幅であれば仕方ないと諦めるが、いきなり90円値上げというのは違うんではないか、と憤る。3枚買ったら30円だったのがいきなり270円の負担増か。うーむ、こんなに高くなると送金の仕方を再考しようか、と悩む。

また、官製ハガキ、もとい民製ハガキ? の切手や通常の50円と80円の切手の絵柄も変更されたが(ただ実際には、上の写真の左側の旧式の残りをすべて捌かないと今日からの右側の新式のほうの販売は行なわないようだ)、特にハガキのほうでは新しいほうの絵柄が雀というのはどうなんだろう? 明らかに芸がないし華やかさも足りない(逆に淡い色使いの絵柄になったことによって落ち着いた大人の雰囲気になった、と良くも解釈できるが)。これひとつに限らず鳥類にこだわるのであればトキ以外にも、エトピリカ、ハクチョウ、イヌワシ、クマタカ、ライチョウ、ウグイス、メジロ、ホトトギス、コウノトリ、ヤンバルクイナなど、記念切手ではなく通常切手の絵柄ももっと全国的な幅があるべきだと思うのだが。ワンパターンにとどまらずにこういうことを改善していくこともサービスの一環ではないかい?

なんで僕がこんなに切手の絵柄にこだわるかというと、最近、拙著『沖縄人力紀行』(彩図社刊)の広報のために郵送する手紙の作成で特に80円切手をよく利用していて、通常切手だけでは芸がないためにあえて日々新作が登場する記念切手をよく利用するから。今年も元日から昨日までの9か月間で80円切手を計400枚買っているのだが、もっといろいろな絵柄もあってほしいなあと思うことはよくある。印刷コストなんて絵柄を変更するだけなんだから、原版がきちんと作られていればべつに問題ないだろうに。

また、このくらい大量に切手やハガキをあらかじめ買うことがわかっていれば、巷の金券ショップでもよくやっているように販売価格を3~4%くらい割引してもよいと思う。例えば80円切手を100枚買うと8000円かかるが、これらが割引で7680~7760円になる、というふうに。値上げばかりではなく逆にこのくらい値下げするサービスがあってもよいはず。

今日の日中は近所の、窓口の数は4か所くらいとそんなに大きくはない郵便局に2軒行ってみたが、窓口対応では局員、もとい社員? が利用客からの新たな注文が増えたりして少々混乱しているふうに見えた。まあ業務の効率化や新しく導入されたIT端末の仕組みなどに慣れるまでにまだ時間はしばらくかかるだろうからそんなに目くじらは立てずに静観するつもりだが、システム構築に1000億円もの費用を投入しておいてこれまで以上に不便になるようであれば、郵政民営化を親の敵とばかりに強引に推し進めた小泉純一郎元首相をずっと恨み続けようと思う(ついでに言うと、息子の孝太郎という大根役者を育てた、というか放任した責任も取ってもらわねば納得いかない)。と、民営化されたことによる文句は今からいろいろある。

とにかく<今日から民営化されても、旅でも普段の生活でも頻繁に利用し続けることには変わりない郵便局の行方は今後も超気になる。


※2007年10月11日の追記
数日前に東京都・新宿西口の金券ショップに出かけたときに、80円切手を100枚単位で販売しているところがいくつかあったのだが、そのなかで最も安いところでは100枚で7520円、というのがあった。だから定価8000円の94%の額面ということになるか。こんなに値引きして大丈夫なのかなあ、とも思うが、消費者としてはこの金額では80円切手が6枚分無料になるということだから、当然得ではある。新会社も、94%は厳しいにしても96~97%くらいなら販売できるのではないか、というかやるべきだと思う。
今週発売の雑誌『週刊プレイボーイ』43号でも僕の指摘と同様に定額小為替の手数料値上げにツッコミを入れていたが(小為替の額面よりも手数料のほうが高くつく事例なんかも出しながら)、値上げする部分があるのであれば値下げする部分もあるべきだ。

91件中69件

2007-09-20 10:00:29 | 普段の生活(日常)
まず身近な方々への業務連絡としては、19日にPHS(ウィルコム)の機種変更を済ませ、夜から電話番号もメールアドレスも変更なしで復旧しましたんで、引き続きよろしくお願いします。

そういえば9月19日というと、昨年と3か月前の6月19日に続いてミニコミ誌『野宿野郎』の“のじゅくの日”の催事に参加したというか見物してきたが、東京都台東区の谷中霊園(規模的に「谷中墓地」よりは「谷中霊園」という表記のほうが妥当)で行なわれたその詳細はウェブサイトや近々発刊予定の6号に譲るが、まあ一言でまとめると場所的には上野の美術館や東京藝術大学が近いこともあって“芸術野宿”という感じであった(下の写真参照)。野宿野郎専属? のホンモノの芸術家も来ていたし。



で、野宿明けの19日昼にPHSの機種変更に行き、15日の沢登りからの不通状態を脱して、5日ぶりに健康で文化的な? 人並みの生活に戻った。そして、保留になっていたメールを5日分受信してみると、91件もあった。こんなに溜まるものなのか。

が、その内訳をよく見ると、そのうちの69件がいわゆる“迷惑メール”であった。まあ主に出逢い系サイトのものやね。数年前からこの電話のアドレスをパソコンで入力しなきゃならん場面はあるし、僕は基本的に懸賞応募好きのためか個人情報の漏洩が人並み以上にあるらしく、毎日十数件のこういったメールが来る。
これらの文面の傾向を考えると、以前はふつうに10代や20代前半のキャピキャピした感じの若い女子を装ったものばかりだったが(萌え系とか水着系とか)、最近はそれに加えて日中は暇を持て余していることを強調する人妻や熟女系、それに男子が会社経営などで金持ちの(お金はひとりで使いきれないくらいあるけど男運はない)女性の相手をして金銭を得る“逆援助交際”的なものも増えてきたな。

まあとにかく日々そんなメールが来て、文面もしくはメールのドメイン名を見てyahooやexciteやso-netなどのいつ失ってもよいフリーメールの“捨てアドレス”で主に深夜や早朝の時間帯に送信されてくることを判断してはそれらをいちいち消去する、という不毛な作業が続いている。以前来たものとまったく同じ文面のメールもよくあり、春なのにクリスマスがどうのこうのとかいう時期的におかしなメールもある。どんだけやっつけ仕事なんだよ。

最近はただ消去するだけでは単調すぎて飽きるので、もちろん返信はしないが、それらの中学生レベルの稚拙な文面を見ながらこの表記はおかしい、文章の基本がなっていない、などと校正者としてツッコミを入れながら校正の練習をしたり(なかにはたまにビジネス文書っぽいまともなものもある。でも内容はしっかり援交やいかがわしい仕事の案内)、特に休日に送信されてくるのを見て、あらあら休日なのにご苦労なことですなあ、こんなことを休日に書いていて虚しくないのかなあ、と勝手に想像したり、こんなものを書くだけで収入になるサクラのアルバイトっていいなあ、と少々うらやましく思ったりする。

最近のサクラバイトは深夜の時間帯は大半が男子が女子になりすまして書いているらしいが(こういったメールに引っかかりやすい男子のツボを心得ている同じ男子のほうが、ふつうに女子が書くよりは効果があるとか)、良い商売だなあ。でも僕は真似はしないけど。

ちなみに、このほかの22件のメールの内訳にも触れておくと多かった順に、アルバイトなどの労働関係12件、5件登録しているメールマガジンの一部の6件、1件登録しているメーリングリストの2件、友人知人から2件、であった。
15~17日が3連休だったからということもあったためか友人知人からのメールはほとんどなく、友達少ねえなあ、と改めて思ったが、最近よくやりとりするのはしょっちゅう会っているひとたちだから、まあいいや。

今後も深夜・早朝も、そして休日も、と時間帯を問わずいろいろなメールがやってくるのだろうが、今度、一度はまともに返信して(キャッチセールスにわざと引っかかる感じ)、その送信者を取材してみようかなあ。

JOBAな日々

2007-09-07 23:00:39 | 普段の生活(日常)
今後のマラソン・ロードレース大会への参加を見据えて2か月前からたまに走り始めたりしたが、走る以外に何か安くて良い運動はできないもんかなあ、と思っていたところに、最近の健康器具関係で流行っているロデオマシーンに目を付けた。座っているだけで座席が揺れて乗馬と似たような運動効果を発揮する、正確には「乗馬フィットネス機器」というやつね。
それで、7月から近所のホームセンターや電機店で数台試乗したすえに最も気に入ったのが、現在テレビCMも流れているナショナルの「JOBA(ジョーバ)」である。

たぶん中国製? の安物では2~3万円くらいから買えるものもあるが、上位機種は10万円以上する国内大手メーカーのブランドもの? のこれはやはり高級なだけあって、一般的な前後の動きのみならず左右や上下にも動き、座っているだけで尻が8の字を描くような動作になり、面白い。最上位機種であるEU6442ではほぼランダムに動きが変わる設定が4種類あり(もちろん手動で好みの設定にも調整できる)、気になる部位を集中的に動かすことができる。
最近流行り? のメタボリック症候群を高校生の頃から先取りしている僕は特に腹が出ているために、専ら「ウエスト」という前後によく動く設定で乗っている。速度を上げると少し汗ばんだりもする。ただ少し首が痛くなるかな。
僕は乗馬の経験は一度もないが、これはランダムの設定にするとホントに馬に乗ったときのような感覚になる、のではないかと思う。安物よりは良い動きをする。乗馬経験者(もちろん競馬騎手も含む)がこれを試したうえでの意見が聴きたいなあ。

店頭の広告ではこれに乗ることによって、ダイエット、運動不足の解消、(ゴルフのショットの)飛距離アップ、美しい姿勢(を保つ)、足腰の健康維持、軽い有酸素運動、の6つの運動効果が証明された、などと宣伝している。効くのは腹まわりだけかと思ったら座席を両太ももで押さえたりもするから足腰にもいくらか効くようだ。ホントかね。
でも、たしかに室内でテレビを観たり音楽を聴いたりすれるときにただ寝転んだりするよりは、これに乗っていれば知らないうちに勝手に運動もできてしまった、という良い効果が期待できるかもしれない。

ただ、実際に買うとなると10万円以上もの大金はさすがに出せないので、近所の電機店でほかの客が少ないときを狙って週に2、3回タダ乗りを繰り返している。せっかく店頭でも電源を確保してデモ機を試乗できるように用意しているのだから、使ってあげないと電気の無駄だし。

だから今後もしばらくは、試乗は背が低いために禁止とされているお子様の興味本意と羨望の視線を浴びながら、また店員の「今日も来たのかよ、アイツは絶対タダ乗り目的だよ」という困惑の視線も浴びながら、JOBAに乗り続ける日々は続く。だって、運動に余計にお金をかけたくないんだもの。
あとは有酸素運動の意味合いで自転車に乗るという手もあるが、最近はとにかくJOBAまっしぐらなのである。
また、実際の乗馬にも前々から興味はあるが、JOBAに乗り始めた影響で再びホンモノの馬に乗る機会も模索し始めた。乗馬の体験コースもいろいろ調べてみるとどれも結構お金かかるのよね。やはりお馬さん関係は競争馬の馬主やムツゴロウ王国も含めて、金持ちの道楽なのだろうか。でも一度は馬にタダ同然で乗ってみたいなあ。

埼玉県朝霞市の、故本田美奈子のモニュメントを見に行った

2007-08-03 10:00:07 | 普段の生活(日常)

昨日午前、埼玉県朝霞市の東武東上線・朝霞駅南口の最近新装された駅前広場にある、去る7月31日に除幕された故本田美奈子の記念モニュメントを見に行った。

朝霞市出身の彼女が(厳密には出生は東京都葛飾区で、3歳から朝霞市に移住)、2005年11月に急性骨髄性白血病で他界して以降も亡くなって残念だ、という声は地域を問わずあちこちで聞く。この埼玉県南部の新座・朝霞・志木・和光四市の出身者のなかでは故尾崎豊と並んで特に大成した芸能人だけに(何をやってきた人かはもういちいち触れなくてもいいよね)、38歳という若さで亡くなったときのショックは大きかった。生前の彼女は芸能界入りして以降も市内から仕事に通っていたというくらいに地元を大切にしていたこともあってか、現在でも惜しい人を亡くしたねえ、と語り草になっている。そのため、今回の朝霞市の玄関口のここにモニュメントが設置されたというのも納得かな、とほぼ地元民からややひいき目に見ると思うのだが、どうだろう?

僕が見に行った正午前も、まあ目新しさにもよるのかもしれないが老若男女問わず断続的にこのモニュメントを見に来て、これに刻まれている(生前に書いた)「笑顔」という題の詩を読んだり写真を撮ったりしていく人が結構いたが、人気の高さは相変わらずで、今後もこのような光景は随時見られるのではないかと思う。
ここは僕の家からも自転車で30分強でお手軽に行けるので、近いうちにまた様子を見に行こうかな。

“自称旅人”であっても皆勤賞の投票行動

2007-07-30 11:45:21 | 普段の生活(日常)
今月中旬から昨日までいつになく盛り上がった参院選だが、僕ももちろん投票に行ってきた。というか、“自称旅人”という立場であってもそれなりに政治のことも気になるわけで、これまでに国・県・市問わず選挙の投票は期日前投票のときもあるけどすべて行っていて、つまり皆勤賞モノであったりする。やるべきことはやっておかないと、普段も本ブログでも言いたいことにも説得力が付かないからね。とは言っても評論家のように熱く語るつもりはないしその素地もないけど、選挙のときに限らず行政、特に国政の様子はふつうに気になる。

まあ僕の場合は一般的によく問題視されている年金・教育・雇用・消費税・憲法9条などの面もそれなりに気にはなるが、なかでも特に旅に関すること、ダムや高速道路などの大規模公共事業、道路行政、環境問題あたりの政策をどう扱うのかが気になり、投票のさいもそのような僕の身近なところが判断基準となる。少なくとも、今の与党の政策はそれを考えると正しいとは思えない、という考えは10年ほど前からはっきりしているので(例えば、北海道・道東自動車道や高規格道路の延伸、長崎県・諫早湾の干拓事業、熊本県・川辺川ダムの建設など)、僕はいつものようにいわゆる野党のほうに投票した。これまでの与党のやり方ではどう考えても日本は“美しい国”にはならない、と僕は判断した。というか、余計なダムや農地を造って生態系を必要最低限以上に壊すことが美しいことなのだろうか? と数年前から判断している。

昨日の午後は雷が轟いたり小雨がぱらついていたりして微妙な空模様であったが、その天候どおりに夜の開票結果にも(特に自民党の関係者には)電撃が走った、のかな? 投票率は60%を超えたら面白いのになあ、と思ったがそんなには上がらなかったけど、期日前投票が1000万人超えしていたりして凄いことになったので、ちょっと面白かった。これでインターネット投票が早く実現されて若者がもっと積極的に投票に加われば、日本の政治も今以上にもっと変わるだろうになあ。
今回は特に東北・中国・四国・九州地方の1人区で自民党離れが相次いだのが特徴で、地方にもいよいよ政権交代の波が押し寄せているのか、とホントに驚いた。このへんの地域を旅してみても、自民党の政治家の看板やポスターが目立ち、ここはガチガチの保守的な自民党圏なんだな、ということを毎回嫌というほど見せつけられるものだが、今後はその雰囲気も少しずつ変わって行くのかもしれない。来月前半にちょこっと東北に行くかもしれないのだが、その雰囲気もたしかめる時間があればたしかめてみようかな。

ちなみに、僕の地元の埼玉県でもこれまで安泰? だった公明党が議席を失ったという異例の事態も起こった。神奈川県も同様か。世間では自民党対民主党という構図が目立つが、その陰でこんな煽りも受けていたりするのね。公明党について細かく触れるとまた複雑になるのでやめておくが、この結果を見るととりあえずは埼玉県でも今後は民意がきちんと反映されそうだ、という予感はある。

そうそう、東京都の川田龍平候補は無事に当選して、同年代のよしみでちょこっと応援していた僕としては嬉しい(実は先週も池袋駅東口で演説している様子を2mの至近距離で見かけた)。衆議院に限らず参議院でももっと若い世代の血が入らないと良くならないよな、とは常々思っていて、彼がその突破口になるかも、と楽しみにしている。政治は“老害”が目立つ悪狸や世襲議員だけのものではないのよね。

これで衆議院は近々解散して総選挙になると思うが、というか解散せずに今のままの体制で引っ張っていくと逆に余計にひんしゅくものではないかと思うのだが、そうなるとまた大量の税金投入によって選挙が行なわれるだろう。でも先々の国民の生活を考えるとそれも仕方ないか。
ちなみに、“ワーキングプア”の立場からするとこういった大規模選挙の実施によって、世論調査、出口調査、演説や集会の警備、投票所の設営・撤収、報道の支援、などの臨時の雇用が創出されたりもして、少しは恩恵を授かることができたりもする(僕も少々かかわったことがある)。あくまで付け焼き刃の雇用であることはわかっているけど。

まあとにかく、ここ1年の国政は特に見逃せない、と思うけどなあ。老若男女問わず、旅をしているか否かを問わず、今後は政治に無関心のままで居続けると逆にヤバイことになるかもよ。

「行動するニート」の1週間日記

2007-07-07 19:57:13 | 普段の生活(日常)
雑誌『週刊文春』の椎名誠の連載エッセイ「風まかせ赤マント」でもたまに日記風の記述になるように僕もたまには気まぐれに日記風にしたくなることもある。1週間分まとめて放出するのでまた長文になるが、読めるもんなら読んでみやがれっ! という感じでとりあえず挙げてみる。
しかも先月の毎週45時間ほど働いていた(しかもその時間はすべて大量のゲラ=校正紙と向き合っていた。1日平均でA4判用紙200枚くらい)のとは打って変わって、今週は1時間たりとも働かなかったニート状態でもあった。

7月1日(日)

ここ7週間は毎週末、遊びに行ったり野宿したりとなんだかんだで外出していてやや疲れたので、天気は上々の外出日和ではあったが久々に家で朝からゴロゴロする。特に何かやるわけでもなくとにかくゴロゴロする。テレビ『噂の! 東京マガジン』を観たのも久しぶりだった。だが、先週までの忙しさに慣れてしまった身体では暇を持て余すことに違和感があり、このまま夜までゴロゴロし続けるのはもったいないよなあ、と思い、夕方に近所の図書館に新聞と雑誌を読みに行く。そのあとは近くの柳瀬川の土手を自転車で軽く流す。

夜は3日の投稿にもあるように、テレビ『情熱大陸』の内澤旬子氏の回を観ることに力を注ぐ。言い換えると、この30分の放送時間に集中するために日中はゴロゴロして体力を温存していた、ということになる。その甲斐あってやはり面白かった。

そのあとの『世界遺産』の石見銀山の回も観た。逆転? で先月下旬に世界遺産に登録されたここは数年前から気になってはいたがまだ見に行ったことはなく(ウチの親は昨年行ったらしい)、これで知名度が過剰に上がり、またしばらく行きにくくなってしまった。ほとぼりが冷めるまで半年以上はかかるだろうか。
それにしても、噂によるとここは規模的には大きくないらしく、たしかに歴史は古いし昔は銀の生産量も世界を代表するくらいだったが、なんで急にここに決まったのかね。ユネスコの選定を検討する人のなかに鉱物オタクの人がいたからなのだろうか。

7月2日(月)

午前中は校正仕事の書類整理をしたり今後の予定を確認したりして、午後から新宿に出かける。

実は先月16~17日に行った山梨県の「Team Sherpa」で、今年1月に買ったニコンのデジカメ(クールピクスL6)が不調になり、新宿駅西口の新宿エルタワー28階にあるニコンのサービスセンターに10日ほど前に修理に出していて、完了したものを回収しに行った。修理代金は1万994円とやや高いが、もうこのカメラの操作性に慣れて気に入っているため、修理してでも使い続けたかったので嬉しい。
そして実はもうひとつ、1月に続いてまた発生した“デジカメ空白期間”にその場しのぎのデジカメをもう1台買っていて、それはL6も買った家の近所のケーズデンキで展示品処分で売られていたフジフィルムのファインピクスA500だったりする(これでデジカメ購入は4台目)。
これまでは記録媒体は一貫してSDカードにこだわっていたが、このたびxDピクチャーカードや20種類以上のカード類を読み込めるカードリーダーも買い、ニコンのほうも戻ってきて結局はデジカメ本体もカードも二刀流となった。そのため、かなり予定外の散財になったけど。SDカードもxDピクチャーカードも使える最新機種のA800を買おうかとも思ったが、A500が1万1800円と安かったし、フジフィルムのカメラは高品質のCCD搭載で画素数にかかわらず画質が良いことで知られるため、試してみたかったのだ。

そのあとはすぐそばのビックカメラに行き、切らしていたパソコンのエプソン製プリンタのインクを買う。僕がよく使っているのは純正インクではなくエコリカのインクを充填したやつで、6色セットを買うと4380円となり、純正よりはいくらか安いので助かっている。発色もべつに問題ない。まあ品質第一のプロであれば純正を選択するのだろうけど、一般人であれば再生させたこれで充分よね。なんで充填がダメとか訴訟沙汰になるのかがよくわからない。リサイクル、いいぢゃない。

さらに新宿駅付近のギャラリーに写真展を観に行くと夜になり、最後に池袋でまだ観ていなかった映画『パッチギ! LOVE&PEACE』を観る。事前予想よりはそんなに感動して泣いたりはしなかったが、勧善懲悪のハリウッド映画嫌いでそうなるとCG嫌いでもあるはずの井筒和幸監督が、今回あえてそれを駆使して石垣島で撮影したというヤップ島の空襲シーンを多く入れたのは、「生きる」ことを示すために相当力を入れたんだな、ということの表れで、ちょっと驚いたが感心した。テレビ『タモリ倶楽部』でホッピーや焼酎を呑んだくれているただのおっさんではないことを再認識した。
この映画の公開前に日本テレビで撮影のメイキングを含めた特番を放送していたのをちょろっと観たのだが、そこでは主人公・アンソン役の井坂俊哉が監督に「役に没頭できていない」などと散々怒鳴られまくっていたが、その愛? のダメ出しの連発によって鍛えられ、上映されたOK分はなかなか良かったと思う。井筒組って凄いね。

7月3日(火)

朝から、最寄り駅前にあってよく行くマンガ喫茶と図書館で、本ブログのネタおよび画像の整理とメールチェック。ちなみに最近よく利用している駅前のあるマンガ喫茶では、朝は7時から12時までの5時間以内であればいくら居ても500円、という割引料金をやっているところがあり、そこをよく活用している。店内の清潔感はよろしくないが、ドリンク飲み放題やおしぼりのサービスもあるので気に入っている。結局、ここと図書館と夜は家で計9時間はパソコンの画面とにらめっこしていた。

そのあとはこれまた自転車で行ける場所にあるユニクロに行き、処分品扱いで1枚290円と安くなっていたパンツを数枚買ったり、前々から気になっていた「BODY TECH ドライコンプレッションロングスパッツ」が1本1000円にまで値下がっていたので、即買う。登山で近年よく利用されている、ワコールのCW-Xやザ・ノース・フェイスのバイオテックスのようなトレッキングタイツ? に約3年前から興味があり、でもそれらは1本1万円以上と高価なので手が出せなかったが、おそらく似たような機能の(膝のねじれを防いだりとかかな?)これも山でそこそこ使えるのではないか? と気になっていたので、ちょうど良い買い物だった。でも夏に穿くと暑苦しいので、本格的に使うのは今秋以降かな。最近はシェルパ斉藤氏もモンベルの「サポーテックタイツ」をよく利用しているし、登山や歩き旅においての“タイツマン”は年々確実に増殖しているような気がする。 

7月4日(水)

午前中は二度寝してうだうだして、昼すぎに家から自転車で15分ほどの、川越街道沿いのマクドナルド(関東圏なので略すときは「マック」ね)に行ってメガてりやきを食べる。これを食べるのは2回目で、一度写真を撮っておきたかった。



僕はマックでもそれ以外の同業他店でもてりやき類はあまり食べないのだが、メガマックと同様に珍しいものはなんでも試したくなる性分のため、これにもそつなくがっついておく。903キロカロリーというのは凄いね。思いっきり胃がもたれる。
また最近は割引券をもらった影響もあって、週に2、3回はマックに通っている。先月からハンバーガーが80円から100円に値上げしたとか、大都市圏とそれ以外の店舗での価格設定が別々になることなどの新たな試みも行なっているが、割引にはいつの時代もやられる。まんまとマックの術中にはまっている。

そのあとにヤマト運輸の営業所でメール便を1通出してから、市役所に行って国民年金の免除申請をする。常に年金の支払いなんか無理! という状態の僕としてはこの申請はほぼ毎年やり慣れていて、全額免除は無理としてもなんとか半額免除にできないかな、という感じでとにかく毎回申請だけはしてみる。年金なんか払えるわけないだろ、と逆ギレしてバックレる若者が多いなか、毎年窓口に顔を出しているだけ僕はまだましなほうだよな、と自分で自分を褒め称えてみる。
ただ、その審査は相変わらず世帯ごとなので、現状では両親の扶養家族になっている僕としては一緒くたにされて世帯の合計の年収で計算・審査されるので、個人事業主として今もちょこちょこ働いている両親に収入がそこそこあると、全額免除は難しい。
ちなみに、地域を問わずどこでもそうなのかもしれないが最近送られてきた納付書には、先の年金受け取り情報不備問題のお詫び文が同封されていて、なんだかなあ、と阿藤快のように落胆する。

7月5日(木)

午前は新宿に出て、歌舞伎町のシアターアプルで短期集中上映していた、1月に観逃していた映画『幸せのちから』を観る。場内は何気に満員。まあ500円で観られるから仕方ないか。平日なのでやはり年配のおじさんおばさんが多かった。
全体的に場面展開のテンポが良く、コネなしのオーディションで勝ち上がったウィル・スミスの息子の演技も良い。ハリウッド映画は暴力的で短絡的なものばかりというマイナスの印象があるが、そうではない内容で予想以上に満足できる映画であった。実話に基づいているというのも説得力がある。
ほかには、営業職って大変だなあ、とも思った。最近、拙著『沖縄人力紀行』(彩図社刊)をより多く売るために方々への書店営業をかじっている僕としては、精密機械の営業と仲買人という人付き合いが命の職業設定はちょっと身に染みた。

次に、2日に続いて写真展を見に行ったり、郵便局に切手を買いに行ったりもする。それと、マンガ誌「ビッグコミックオリジナル」も立ち読みしておく。この日発売の7月20日号(14号)から、僕が今イチ押しのマンガ『岳 みんなの山』が完全連載化されるとのことで(雑誌掲載の場合は「みんなの山」という副題が付くのよね)、楽しみであるがその反面、掲載ペースがこれまで以上に上がって質は低下しないかなあ? と少し心配にもなる。週刊モーニングの『働きマン』のように、大事な作品は時間をかけて月イチ連載でもよいように思うのだが。

そのあとに一度池袋を往復してから再び新宿に戻る。

この日の最大の目的は、大学ワンゲル時代からの14年来の友人ふたりと久しぶりに新宿駅前の居酒屋に呑みに行くことで(今回は「東方見聞録」だった)、これは毎年不定期で開催している。数ある酒席のなかでも気心の知れた間柄によって僕の本性が最も露わになる居心地の良い集まりである。ちなみに、ふたりとも拙著を僕からけしかけたわけでもなくお買い上げいただいているお得意様でもある。
大学時代の面子と会うときは基本的に呑むのはビール一辺倒となり、チューハイやカクテルなんて甘ったるくてガキっぽいアルコール類なんてクソ食らえ! という体育会系の呑み方になる。僕も基本に立ち返ることができる集まりで、毎回楽しい。
その流れのなかで、ひとりに『野宿野郎』5号を売りつけたりもした。実はこの3人とも、この5号の表紙や巻頭で目立っている「シュラフマン」の素性をよく知っている面子だったりするのだが(まあそのなかでも最もよく知っているのは僕なのだが)、これにツッコミを入れたり、最近どうよ? 的な話をしたりしながら、お開きになる23時前までおおむね笑っていた。
そのあとに近所のマックに行って甘いものを食べて口直ししたりして、結局は帰宅は3か月ぶりに午前様となった。

7月6日(金)

午前中はパソコン内のデータを整理したりブログネタを書いたりして、午後に電車で大宮に出かける。主目的は2か月ぶりの献血。大宮駅構内にある、行き慣れている献血ルームに行く。いつもの成分献血(血小板)を行なう。
前回はこことは別の某献血ルームで運悪く? 新人の看護師さんに当たってしまって採血時に針が血管まで深く入りきっておらず、採血はできても返血はできない、よって採血中止、それで内出血になって1週間ほど半径約2cmの青あざが残ってちょっと痛かった、ということがあったが、この日の担当は手慣れたお姉さん(しかもべっぴんさん)で迷いなくスッと針を刺してくれたため、返血も問題なく、採血中もうたた寝ができるくらいに快適でご機嫌であった。針を扱う看護師のほうに迷いというか緊張感があるとそれがこちらにも伝染するため、採血はとにかく自信を持って針を刺せる方に当たることを祈るしかない。
ちなみに、この日で献血回数は47回となった。粗品もジュースもきっちりいただく。

続いて、大宮駅前の「ジュンク堂書店大宮ロフト店」、北与野駅前の「書楽」、さいたま新都心駅から少し歩いたところにある「紀伊國屋書店」を徒歩で巡り、拙著が在庫してあるかどうかを確認する。ジュンク堂と書楽は昨年から1部ずつ置かせてもらっているが、4月に営業した紀伊國屋は検索すると取り寄せ扱いになっていて、つまり置かせてもらえなかった。残念。
ひとしきりそれがわかると、同業他者? の方の様子が気になる。1日の投稿でも取り上げた石田ゆうすけ氏の『行かずに死ねるか!』(幻冬舎文庫)が発売1か月弱ですでに増刷し、本ブログでも昨年度々紹介したカベルナリア吉田氏の最新刊『沖縄へこみ旅』(交通新聞社刊)を少し立ち読みしてみると、吉田さんは回数にすると僕の数倍は沖縄入りしているだろうから、ネタの多さとそのひとつひとつの細かさはさすがだなあ、などと唸りながら感心する。

閉館間際の図書館でパソコンを触り、夕食(スーパーの閉店間際の半額惣菜)を買って帰宅。

7月7日(土)

東京都江東区有明の東京ビッグサイトで毎年この時期に開催される本好きの祭典? の「第14回東京国際ブックフェア」に行く。3年連続3回目。
しかも、会場に入場する前にビッグサイト内の飲食店でカレーライスを食べるのが僕のなかでは毎年恒例になっていて(しかも混雑する前の11時台に)、ここではどこの店に行ってもイマイチのカレーなのだが、今年もつい食べてしまい、予想どおりにがっかりする。何ががっかりかというと、市販のレトルトカレーくらいのレベルのものにちょこっと具を足したようなものが700円とか800円とかで売っているという、費用対効果の悪い店ばかりだから、ということ。実質、400円以下でもよいくらいのカレーなのよね。せめてC&Cとかリトルスプーンとかが出店してこないかなあ。

正午すぎにこの催しの招待券を持っているために無料で入場し、出展しているブース全体を1時間かけてひととおり散策する。今年もかなり賑わっている。これは今年は講演の目玉ゲストとして椎名誠を招いたという影響もあるのかな。ただ、講談社や小学館や集英社のような大手の版元のブースは思いっきりお子様向けの内容にしてあり、来場客に媚びている感じがしてあまり好きではない。それよりは、大修館書店、吉川弘文館、農山漁村文化協会(農文協)、北海道新聞社、交通新聞社のような落ち着いた雰囲気で独自路線を貫いている感じの版元のほうが内容的には好きだな。巡回しながら、バーゲン本を2冊(計1100円)買う。

それと、今回目当てにしていたことがもうひとつあって、それは午後に「活字文化推進コーナー」で岡崎武志氏と南陀楼綾繁氏がそれぞれ1時間ほどの講演を行なう、というのをちょこっと見に行きたかった、ということもある。ただ、これは予約制だったらしく、30席ほどの座席はほぼ満席で、御二方とも立ち聞きで済ませた。
で、その終了後に南陀楼さんにサインをもらえたらいいなあ、と念のために3日の投稿でも挙げた「しのばずくんトート」を持ってきていて、実際にサインしてもらえた。この会場でも相変わらず750円で販売していたな。それで、サインの列に並んでいるときに彼の左隣に誰かいるなあ、と思ってよく見たら、なんと(これまた3日の投稿参照の)、今や“時の人”の内澤旬子画伯がいて、驚いた。今週のできごとのなかでこれが最も驚いたな。画伯もトートにサインしていて、僕も結局、南陀楼・内澤夫妻連名のサインをいただいた。これは貴重だな。
そうなるともっと根掘り葉掘り訊きたいことがあったのだがそうもいかないので、今回は御二方とはまた一箱古本市に出店してくださいね、ええ出店します、くらいの軽い挨拶だけで済ませた。

そのあとは再び場内を軽く一周してから17時前に会場をあとにして、池袋に行く。ちなみに、いつも東京ビッグサイトへ行くときの往復は、東京メトロ有楽町線の辰巳駅から徒歩で済ませているため、池袋へも1本で行けるし、しかもりんかい線利用よりも安く移動している。
これまた不忍ブックストリートつながりで、豊島区南池袋の「古書往来座」で7日と8日開催の古本市「第3回外市」を覗きたかったのだ。
この店の前はほぼ毎月通りかかっていて開いていれば立ち寄ることもしばしばあるが、古本市に行くのは今回が初めてであった。まあ箱の数は店前でやるだけなので12、3店と少なく、不忍よりはかなりこぢんまりとした内輪的な催しであった。欲しい本もいくつかあったが、1日の投稿にもあるように積み置きの本がひどい状態になってきたので1冊も買わずに我慢しておく。まあまた9月に開催するようなので、そのときまでになんとかしたい。あと、往来座でもしのばずくんトートを販売していた。売れているのかな?

これでやっと、ニートのわりには慌しかった1週間が終わるなあ、とまだ帰宅せずに池袋西口の某マンガ喫茶で本項を書きながらひと息ついている次第。


このほかにも日々、ミートホープ、山口県光市の母子殺害公判、久間章生元防衛大臣の口癖の「しょうがない」発言、埼玉県さいたま市北区のスクールゾーンでの小学生の死亡事故、九州の大雨被害、などの各種ニュースや時事問題も常に気になるし、それに毎日引きこもっているわけではなくて外出して他人ともよく接触しているし、最近ひとくちに悪者扱いされがちなニートと言っても、週刊ヤングジャンプ連載のマンガ『カジテツ王子』の主人公・辰也よりは数段まともな生活をしていると思う。たとえ無収入であっても、今後の何かにつながることをやる、いつでも旅できる準備は行なっているぞ、という意識を持ちながら行動しているのよね。ニートだからといってただ遊んでいるわけではないのですよ。このような身のこなしの軽い? ニートだって実際にいるのだ。

とは言っても、来週からちょこちょこ働く予定はあるので、また勤め人になるかも。でもまたすぐに暇人に逆戻りするかも。1か月先の勤務予定が自分でもよくわからない日々は今後もしばらく続く。

「世界禁煙デー」にホントに禁煙している人はいるのかなあ?

2007-06-06 21:09:21 | 普段の生活(日常)
「拙著『沖縄人力紀行』の補足18」でタバコの問題について触れたが(詳細は今日アップしました)、去る5月31日はWHO(世界保健機関)の制定した「世界禁煙デー」で、世界的に禁煙を促している、ということを知っている人はどのくらいいるのかなあ、と気になる。また、日本ではこの日から今日(6月6日)までを「禁煙週間」と制定していて、健康にもうちっと気を付けようよ、という運動も細々とながら毎年行われている。

まあ基本的に嫌煙派の僕としてはこれらの呼びかけによって受動喫煙を被る機会が減れば嬉しいことは嬉しいのだが、現実には相変わらず喫煙者は多く、最近は主要鉄道駅周辺が条例によって歩きタバコ禁止、と謳われている場所が増えてきたがそういった地域でも平気でスパスパ吸っていやがる喫煙者を依然よく見かけたり、横断歩道の手前や公園のベンチの足元に吸殻が散乱している様子もよく見かけるわけで、これはホントにシンガポールのようにポイ捨てしたら罰金3万円とかそれ以上とか、環境面からも健康面からももっと厳しく処していくべきではないか、と毎日思う。

ただ先月、携帯灰皿や灰皿専用の空き缶をしっかり用意しているような良い喫煙者にも数人出会っていて(このうちのひとりは大学時代の後輩)、そういう気遣いができるのであれば僕もまあそんなに目くじらをたてなくてもいいか、と見直すこともある。要はタバコの扱い方というか周囲をどのくらい意識できるかという視野の広い・狭いの問題で、やはり僕にとっては今後もタバコの吸い方ひとつでその喫煙者が「大人」や「社会人」か否か、を判断するときの材料になり続ける。

今月中にアップする予定の「拙著『沖縄人力紀行』の補足19」でも、引き続きタバコの問題について触れようかと考えている。ただ、拙著を読まれた数少ない読者の方のなかには、なぜ旅の本でタバコ云々を書いているんだ? と疑問に思われる方もいるのだろうが、野ざらしで行く人力の旅の最中にも、ポイ捨てされたタバコによって旅人(僕)に多大な被害がおよぶこともある、という過去の体験について触れようと思っている。これ以降、僕の喫煙者不信はさらに高まり、喫煙者は非喫煙者とは徹底的に差別化されるべきだ、そんな輩がタバコによる罪を犯したら即刻禁固刑にしてもいいくらいだ、と本気で思うようになった、というきっかけについて今度、改めて考えることにする。

娘さんはよく聞いたのだろうか? の山男の結婚ラッシュ

2007-05-20 18:00:47 | 普段の生活(日常)
昨夜、東京都品川区のJR五反田駅そばの行きつけの居酒屋にて、大学時代に所属していたワンダーフォーゲル部の仲間の結婚を祝うパーティーのような披露宴のような催しがあった。しかも、昨秋から今春にかけて4組もの夫婦が立て続けに誕生し、基本的には女性との縁は薄い男所帯では異例? の展開で、先月にこの催しの案内を初めてもらったときは、なんじゃこりゃ!? とえらく驚いた。

4組とも新郎は僕の後輩にあたり、そのうち1組は部員同士のカップルであった(ウチのワンゲルの40年超の歴史では、部員同士で結ばれた例も多い)。ただ、学生時代から実は付き合いが長く、生活が安定してきたりして機が熟した今回やっと結婚、という例が多く、新郎それぞれの同期の仲間内ではそのような展開になるかも、と知っていたようだが、僕は4組ともこうなるとはほとんど知らんかったし、3人の新婦さんたちを実際に見るのも今回が初めてだった。新婦さんはべっぴんさん揃いで(古い言い回しですまん。この表現が好きなもので)、正直、なんでこの娘とコイツ(後輩)が結ばれるんだ、美女と野獣とはこのことだ! といまだに結婚を疑ってしまう組もあったが、まあ人それぞれ巡り合わせのタイミングをうまく掴めて良かったね、と今となっては保護者のような感覚で素直な気持ちで祝えるけどね。
まあ僕も今回の新郎たちを先輩としていくらかお世話した立場から、それなりの感慨はある。でもこんなにほぼ同じ時期に集中するとは、古いところでは10年以上前からこの面子を知っている僕としては、その貧乏学生当時の印象からするとホントに予想外の結果である。

催しの中身は最初の幹事による乾杯と、途中に今回の十数人の祝う側の出席者から4組へのプレゼントがそれぞれ贈呈され、それを受けての新郎新婦からの挨拶があったりもしながら、あとは新郎新婦への質問責めというか冷やかしと、久々に会う先輩後輩との近況報告やら名刺交換やらを織り交ぜながら、ふつうの飲み会という感じで進んだ。
出席者は現役学生が1名いた以外はみんな就職していたりして、偉くなりやがったなあ、歳を取ったなあ、などという懐かしさを伴いながらのしみじみした会話も交されながら、宴は続いた。僕も2、3年ぶりに会う先輩後輩が多かった。懐かしい顔を見ながらのこの仲間内の場に身を置くと、たしかにみんな歳は取っているのだが学生当時に時間が遡ったかのような若々しい雰囲気に包まれ、当時のノリに立ち返ることができた。

昔から飲み会にかなり力を入れるウチのワンゲルらしい(学生の頃は週に3、4回飲みに行くのは当たり前であった)、居心地の良い集まりであった。大きな会場を借りきった形式張った披露宴のようなものよりも、このような、それこそ同じ釜というかコッへルや鍋の飯をともに食らった、気心の知れた仲間内でのいつもの店での集まりのほうが落ち着いてやはり良い。
今回初めてこの場に紛れ込んだ3人の新婦さんには、この一風変わった男連中が勢揃いしている光景を生で観てどのように映ったのだろうか。ただ、みんなそれなりに歳を取って大人になったので、(僕にとっては)10年ほど前の学生時代のような激しさは薄れ(一気飲みとか、素っ裸になったりとかいうことね)、やや物足りなかった人もいるだろうけど、今回は趣旨が特別なのでまあ仕方ないか。
それに、近年の飲み会では僕がお世話した後輩が成長して、さらに下の年代の子に「あのなあ、ワンゲルというのは~、登山というのは~」などと説教じみたことを言ったり言われたりする様子を端から見るだけでも面白く、今回もそれに近いノリもあった。そういった光景を肴に、細い目になって感慨にふけりながら、久々の“地元”の宴席の雰囲気を存分に味わった。

そして催しの締めでは、今回集まった主賓4組以外の十数人のなかでは一応は2番目に年長さんだった僕が急に挨拶することになったのだが、めでたい気分でビールをいつも以上に飲みまくってかなり酔っ払ったために思考が停止し、ぐだぐだな挨拶になってしまった。昔からこういった大勢の注目を集めるかしこまった挨拶は苦手なので勘弁してほしいんだけどなあ。

ホントは、

「結婚して自分の時間の大半を捧げられるくらい大切に想える異性と一緒に人生を歩むことも、創造性のある新しい旅のカタチなのかもしれない」

とかいう殊勝なことを言いたかったがダメだった。すまん。こんなんだから、いまだに後輩から勝手に創られたあだ名で呼ばれたり、ときには舐められたりするんだよなあ、と少々反省(まあメリハリを効かせてちゃんと怒ったりマジメなことを言ったりするときもあるけど)。

で、この場を使って4組の、特に新郎のためにあらかじめ少し用意していた伝えたかったことを改めて挙げるとすると、ワンゲルで世間からはやや変わり者扱いされながらも自分の脚で山を登ったり、自分の手で岩をがしがし掴んだり、水流に揉まれたり、積雪に足をとられて難儀しながらも一歩ずつ前進したり、大自然からの容赦ない雨や風に打ちのめされたり、テントや寝袋を使って寝たり、焚き火で食事を作って食べたり、というワンゲルで繰り広げてきた現代的な便利さからあえて離れた原始的なことを体験して生きている実感を得る方法を人一倍知っていることは、これからの時代も貴重な財産となるはず。そういった世界を知らない人たちよりも身体的精神的な強みがあり、ちょっとやそっとの落ち目のときや不測の事態に陥ったときにもへこたれない地力をすでに兼ね備えているはずだ、と僕個人的には思っている(できれば、拙著『沖縄人力紀行』(彩図社刊)のまえがきにそのようなことを書いているので、それを読んでほしいなあ。この一文は僕も学生時代のワンゲルの活動で得たことを大きく反映させているから)。

今後もふたりで、もしくは今後増える家族とともに、学生のときほどハチャメチャでなくてもいいから引き続き野外の自然のなかで遊び、人間は自然のなかで生かされていることを人一倍意識できる大人で在り続けてほしいな、と願う。日帰りハイキングでも自転車による身近な地域のポタリングでもいいから、何かしら他者とはひと味違う遊び方を知っているんだぞ、というちょっとした自負のもと、山・川・海・岩・雪と野外の自然のなかで様々な場面で今後も遊んでいってほしい。
まあとにかく、4組の新郎新婦さん、おめでとう。末永くお幸せに。このうち1組はすでに年内に第1子の出産予定もあり、そちらも楽しみにしております。

2時間の予定だった催しは大幅に延び、2次会に行きたい者はすぐそばの早朝まで営業の居酒屋へ2次会に行き、このときになると主賓は次々に帰ってしまったため、あとは久々に会った仲間との積もる話や思い出話にさらに花を咲かせる会になりながら、4組の幸せの余韻を噛み締めながら、僕は結局は朝帰りになるまで酒席を楽しんだ。こういうめでたい日であれば、二日酔いになっても本望というものだ。

ちなみに、こうして結婚話が相次ぐと当然ながら僕のほうにもオマエはどうなんだ、と恋の話略して“コイバナ”が飛び火するが、僕についてはこれまでと同様におそらくずっと独身貴族? で在り続けるだろう。僕はここ1、2年でやけに行動的になって、様々な場面で女性との出会いや喋る回数はたしかに増えたが、大概は事務的なやりとりに終始し、まったく色気はなく、それ以上の深い付き合いにはなりにくい。女性との付き合いを頑なに拒んでいるわけではないが、今回集まった面子のなかでは現役学生1名を除いてはおそらく年収は最も低くて(なんせ昨年の年収は2桁だったから)、しかも人生において無駄な? 旅に傾倒している僕の“だめんず”とも呼べる現在の生活状況を客観的に見ると、自分のことだけで手一杯で、最悪は僕が“主夫”になってもよい、キャンプ道具を駆使せざるを得ないくらいの生活レベルになっても大丈夫、という覚悟がある女性でないと付き合えないだろうな。そんな酔狂、もといスバラシイ女性、いるのかね?
だから、今後も相変わらずひとりで好き勝手に行動していくつもりなので、僕に異性について根掘り葉掘り問い詰めても無駄なのですよ。

とは言っても、今回の仲間内の結婚ラッシュによって少しは異性への意識も改めないといかんかなあ、女性誌を読んでもっと女性の心理を勉強しようかなあ、と思い直し、とりあえずはもっと痩せないとな、と軽く誓いを立てながら、久々の始発のJR山手線に乗り込んだ。



2次会後の、20日4時30分台の西五反田のある路地裏。この界隈で二日酔いの頭を抱えながら朝を迎えたのは学生時代から数えて今回が何十回目になるだろうか。
今後も五反田は、僕ら“ワンゲラー”にとっては「青春」という甘美な言葉を連想するときに毎回必ず思い出す、思い入れの深い特別な土地で在り続けるだろう。少なくとも僕にとって五反田は、世間一般でよく認識されている色街ではなく、「青春」の街なのだ。

最近1か月の投稿の訂正というか補足

2007-05-16 21:00:38 | 普段の生活(日常)
ここ1か月の本ブログの投稿のなかで、いくつか訂正というか補足しておきたいことがあるので挙げておく。


●2007年4月23日 「拙著『沖縄人力紀行』を導入していただいた図書館が徐々に増えております 」

5月上旬に、拙著を置いていただいた図書館をもう1館発見した。それは沖縄県の那覇市立図書館で、しかも3冊導入していただいたとか。ありがたい。これで23館ということになる。もっと増えるといいなあ。


●2007年4月27日 「拙著『沖縄人力紀行』の補足17 みんな“some pig” 」

この中盤で、インドの「ベンガルール」と「ムンバイ」という地名を挙げたが、これらは以前はそれぞれ「バンガロール」と「ボンベイ」という、イギリス統治下の名残による英語読みだったのはよく知られる話。でもインドは近年、これまでの英語読みの地名を現地読みに戻すようになり、官公庁の公式情報や地理関係の資料でも現地読みを先に出し、以前の見慣れた英語読みをカッコ書きで併記する、というカタチで表記していることが多い。代表的なところでは、

・コルカタ(カルカッタ)
・ヴァラナシ(ベナレス)
・ムンバイ(ボンベイ)
・チェンナイ(マドラス)
・ベンガルール(バンガロール)

となっている。僕がよく使う、高校生以上の地理の学習でお馴染みの地図帳『新詳高等地図初訂版』(帝国書院刊、下の写真参照)でも最近はそのように表記されている(中学生向きのものも同様)。僕は国内外地域を問わず地名を挙げる場合はできるだけ現地の読み方や表記を尊重しようと心がけているため、今後も現地読みでいきたい。
また、登山、特にヒマラヤ山脈の山々の場合は現地読みが特に難しくて一般的でもないため(標高8611mのK2は「チョゴリ」とか、標高8027mのシシャパンマは「ゴサインタン」とか)、これらはこれまで同様の一般的な読み方でいくつもり。
ただ、標高8848mで世界最高峰のエヴェレストに関しては、チベット読みが「チョモランマ」で、ネパール読みが「サガルマータ」であることは世界一の山だけに結構知られているので、これは登山関連の雑誌・書籍と同様に、チベット側(北側)からの登山の場合は前者、ネパール側(南側)からの登山の場合は後者、と使い分けていくことにする。例えば、近々の予定? では、三浦雄一郎が2003年に70歳でネパール側から「サガルマータ」に登頂し、今度は2008年に75歳でチベット側からの登頂を目指しているが、その登山の場合は「チョモランマ」という表記になる、という感じ。


●2007年5月1日 「不忍ブックストリート「第4回一箱古本市」当日の動向 」

4月29日開催の「第4回一箱古本市」での僕の最終的な儲けは4250円と書いたが、よく考えると3月に出店を申し込んださいに出店料2000円を「不忍ブックストリート実行委員会」に支払っているため、それも差し引いておかないと。しかも、これを郵便局に振り込むときは電信払込みだったため、手数料として210円も出費していたりする。
で、それを踏まえて改めて計算し直すと、

7000(※1)-750(※2)-2000(※3)-2000(※4)-210(※5)=2040円

※1 「第4回一箱古本市」での書物13点の売り上げ合計
※2 しのばずくんトート(バッグ)購入
※3 『野宿野郎』編集部の打ち上げ参加費
※4 「第4回一箱古本市」出店料
※5 「第4回一箱古本市」出店料支払いのときの手数料

となり、最終的な儲けは2040円となる。これを出店6時間で時給換算にすると340円となり、微妙。商いとしては失敗なのか、それとも一応はプラス収支なので喜ぶべきなのか。これにさらに家から「古書ほうろう」および「コシヅカハム」までの往復の交通費も差し引くと1000円ちょっとになり、当日の労力を考えるとやや呆れてしまう。でも、この主催者の南陀楼綾繁氏はライター稼業で得た原稿料の10倍近くを古書の購入に費やしているそうだから、それに比べたらプラス収支で終わるというのは良いことなのかもしれない。それにこの額面以上に催し全体を楽しめたからまあいいか、と自分で自分を慰めておく。


●2007年5月5日 「“旅する本屋”と業務提携」

このなかで、「ららぽーと TOKYO-BAY」3階にある「放浪書房」は路面店、と書いたが、訂正。よく考えると商業施設内でしかも階上に店を構えているために路面店ではなくテナントだし、店主のとみー氏が屋外で、それこそ各地の道端で店を広げている様子のほうこそまさに文字どおりに路面店だな、と思う。店が道路に面しているというよりも、実際に道路というか通路上で販売していたりするから。
また、先週に東京23区内で出店する、という話は結局、本業のイラスト稼業やららぽーとの店の改装で忙しく、中止となった。6月にまた西方に出張するという話も聴いているが、今後の展開はどうなることやら。この店の経営はホントに放浪状態で、この現代的な不安定さはこれはこれで面白いけどね。今後都内で営業する場合はぜひ見に行きたいなあ。


●2007年5月7日 「道路上でより注意する必要があるのは歩行者、クルマのどちらでしょう?」

道路上の交差点では直進優先、広路優先と書いたが、これは当然ながら信号機や横断歩道の有無にかかわらず共通すること、のはず。もちろん、信号機が設置されている場合は直進方向が青信号のときの場合で、横断歩道が敷設されている場合はそれがあるところを渡るべき、という小学生でもわかる基本的なことは、特に交通量の多い場所では遵守すべきだよな。
ごくたまに、平日の登下校途中や休日に親に手を引かれた小学生が交差点の横断歩道前で赤信号で待っている横から“大人”が平気でずかずかと渡っていくのを見かけるが(特に関西圏に多い)、こんなふうに子どもの良い手本にならないことばかりしているから“大人”の信用や威厳は年々薄れていくんだよな。この“大人”たちには良心の呵責みたいなものは微塵もないのだろうか。まあそれがない鈍感な状態だからこそ平気で渡っているんだろうけど。
歩道上を自転車で我が物顔で疾走するとか、タバコのポイ捨てとかいう事例もそれと同様に、悪い“大人”の実情がよく見られるがゆえに「負の連鎖」が今後も続いていくのだな、と落胆することが最近多い。まあこれは最近に限った話ではないか。
だから僕は最近は、特に僕の得意分野である徒歩や自転車の移動についてはできるだけ子どもの手本になるような移動の仕方にしよう、主張する前に義務を果たすべきだよな、とほんの少しだが意識しながら行動するようなってきた。一応、道路交通法はクルマや二輪車のみならず歩行者や自転車にもかかわってくる法律なので、1億以上の人々とかかわるこの国の社会のなかで、それによる秩序の保持にはたとえ“交通弱者”であっても協力していくべきだよな、自己満足では済まされない他人を意識した生き方をしなくちゃならないよな、ということを方々を旅しながらここ数年で特に考えるようになった。
この国では国土面積のわりに人が多くいる、クルマが多くあるからこそ、どんな移動手段でも共通で対等な道路交通法のような必要最低限の秩序が必要なわけで、みんながみんな信号無視したりして前方から横から好き勝手に通行していたら、そりゃあ事故も無限に増えるだろうし。

他人から見られている、という意識より持つべきことは、過度にそれを意識せざるを得ない芸能人に限らず、一般人にも共通することだ。最近、巷では「鈍感力」という言葉が流行っているが、こと道路交通にかかわる場合は鈍感で居続けることは罪ではないか、しかも致命傷ではないか、と思う。まあおそらく、歩いたり自転車に乗ったりする機会はほとんどないであろう、男女の関係にこだわる大作家? の渡辺淳一にはわからない感覚だろうけど。



地図帳『新詳高等地図初訂版』(帝国書院刊)。最近の校正仕事でも重用していて(近年変化の激しいEU加盟国とか、ケッペンの気候区分とか)、この歳になって改めて地理の勉強をしているような感覚でほぼ毎日触れている。
最近は、デジタル派にとっては「GoogleEarth」によって学習や机上旅行のようなものが格段に便利になったが(しかも、いち個人の家の敷地や某国の軍事施設なんかも覗き見できるし)、生粋のアナログ派の僕としては同じ地図を読むにしてもこのような地図帳、ひいては紙媒体のほうに触っているほうがまだ安心するのよね。

先週1週間のできごとと締めの野宿 

2007-04-08 21:00:36 | 普段の生活(日常)

僕が方々で人と会うごとに「普段は何をやっているの?」とか「最近どうよ?」などと近況を尋ねられて、定職に就いていないんですよ、と回答するとき、ホントに毎月毎週不規則な行動をしているために回答の仕方に困ることがよくある。で、その回答の一例として先週1~7日の1週間は何をやっていたかを、日記というほどではないが以下に簡単に記録しておく。

4月1日(日)

某鳥類のマークが目印の某有名運送系会社で引っ越しのアルバイト。東京都内某所の集合住宅内の引っ越し作業。新年度のこの時期は繁忙期で依頼が集中するため、会社も作業員集めに毎年苦慮していて、日給が通常よりも4~5割高めの1万円を超えることもある。だがそれでも必要な人数が集まらず、ここ数年はグッ○ウィルやフル○ャストをはじめとする人材派遣会社に頼ることが多い。
この日は5~6月並みの暖かさで、発汗量も休憩時の水分摂取量も多かった。こんなときに階段で手運びになると大変なのだが、同じ階での平面移動が多く、助かった。

4月2日(月)

午前は拙著『沖縄人力紀行』(彩図社刊)の書店営業で使う案内・注文書の準備や図書館での導入をお願いする手紙の作成。午後は最寄りの図書館のインターネットが利用できるパソコンで書店や図書館の問い合わせ先を調べたり、続いて書店に移動して地図を立ち読みしたりしながら書店営業の計画を立てたりする。とにかく拙著を全国的にいかに広く普及させるかということを終日考えていた。ここ数か月は頭の思考の約5割は拙著の売り方云々のことで埋め尽くされている。

4月3日(火)

1日と同じ会社で、今度は東京都内某所にある某高校の移転作業。エレベーターがない現場だったので(まあ学校にエレベーターがあるほうが珍しいか)、荷物や資材などはすべて階段利用で手運びしたため、ひどく疲れた。トラックで資材運搬の移動で通った環七道路もゴトー日ではないにもかかわらず普段よりもやや混んでいた。

4月4日(水)

拙著の書店営業。今春から近場の関東圏を中心に書店営業を始めた。この日は青春18きっぷ利用で(今春はJR発足20周年記念ということで通常の3500円引きの8000円で販売していて、助かる)、群馬県の高崎・前橋、埼玉県の熊谷・上尾・さいたま新都心、千葉県の流山を巡った。1月の関西圏の営業と同様に弱小本である拙著をなんとか置いてもらえる確率の高そうな、比較的大規模の書店を主に目指す(またもや直感に頼った)。拙著の案内・注文書を計7店に配布した。
まあ僕は元々は全国各地の書店巡りが趣味なので、いろいろな書店の立地条件や営業形態や書店員さんの反応を見るのは楽しいので、この営業もべつに苦にはならない。

4月5日(木)

埼玉県某所の製本所で、製本補助のアルバイト。某有名通販カタログの製本前後のものに触れる。でも丁合する前のそれはただの重い紙の束(1個あたり15kgくらいだろうか)なので、特に大きな感慨はなく、その山に終日埋もれた。作業で装着する軍手をそろそろ新しいものに交換しようかと少し悩みながら作業に従事した(まあ100円程度の出費で済むものなのだが、僕はケチなので穴が開くまでは使い続ける)。
夜は再び地元の図書館のパソコンで書店営業に関する検索しまくり。ほかにも普段から巡回しているいくつかのウェブサイトもいつものように確認。本ブログの誤字脱字チェックもこのときにたまに行なっているが、この日は目が疲れて気分も乗らなかったのでパス。

4月6日(金)

書店営業。再び青春18きっぷ利用で神奈川県の鴨居・横浜・関内に行った。ある書店で手厳しいことも言われつつ、なんとか計8店に案内・注文書を渡すことができた。時間があればホントは藤沢や茅ヶ崎や平塚あたりにも行きたかったが、そこまで行くと夕方の客が多い時間帯にぶつかって書店員さんに話を聞いてもらう確率が下がるため、空が暗くなりかけたところで断念。
夜は東京都・広尾の都立中央図書館で琉球新報などの地方紙の拾い読み。本ブログで使えるネタ探しや事実確認が主目的。ついでに、知人が掲載されている記事も確認してコピーしておいた。

4月7日(土)

偶然にも5日と同じ製本所で、同じカタログの製本作業に従事。ただ内容は5日と少し異なり、体力的にもいくらかはラクな作業であった。ちなみに、この会社の少し前のテレビCMの「飲み会という名の合コン」というセリフが好き。僕は合コンは未体験だけど。誰かその場を用意してくれないかなあ、などと不謹慎なことを考えたりしながら単純作業をこなした。

その後、一旦家に戻って野宿道具などを準備してから、ミニコミ誌『野宿野郎』の花見野宿に参加するために東京都・新井薬師公園に向かった。かとうちあき編集長などほぼ毎月会っている方、たまに会う方、今回初めて会った方十数人入り乱れたところにかなり遅刻して22時30分頃から紛れ込んだ。桜は夕方からの降雨でほぼ散っていた。
『野宿野郎』のウェブサイトに本ブログのリンクが張られている関係で本ブログの読者もいて嬉しい。先頃コメントをいただいたアフロあきら氏と話す機会もあった。参加した面々はくだること・くだらないことを交えてよう喋るので、僕はいつものように聞き役に徹した。僕も含めて、かとう編集長が発する不可思議な毒牙? というか魅力? にやられた、ひと味もふた味も変わった参加者たちの野宿への熱い想いを込めたやりとりを見ているだけでも超面白い。その光景を肴にビールや発泡酒を2、3本飲めるくらいだ。僕が本ブログの文字量とは対照的にこういった催しであまり喋らないのは、この参加者同士の強烈な個性のぶつかり合いに圧倒され、僕なんかが本ブログのまわりくどい記述のように野暮ったく口を挟む余地がまったくないからなのですよ。
ただ今回は天気が悪く、日付が変わった8日1時頃まで雨が降っていた。雨がやんだ3時頃に湿気が多いなか寝袋に潜り込んで、僕個人的にやや忙しかった1週間を野宿で締めくくった。

以上が先週のおおまかな結果。ただ先週は青春18きっぷが使える期間ということでいつも以上にあちこちに出かけた、やや特殊な週であった。いつもは拙著のための調べ物をしたり、より良い条件の労働(出版校正に限定)をハローワークなどで探す時間がもうちょい多くなるが、ここ数か月は大概はこのような日々になっている。
ちなみに、先週の書店営業で特に重視したのは前橋の「けやきウォーク」(上の写真参照。桜は満開だった)、流山の「流山おおたかの森S・C」、鴨居の「ららぽーと横浜」と、先月中旬に相次いで開業したみっつの大型複合商業施設で、いずれにも紀伊國屋書店が入っているため。新規の、しかも売場面積が比較的大きなこの書店であれば拙著を扱っていただけるかも、と思い、行ってみた。各店の書籍の仕入れ担当の方の結論が気になる。

以上のように、労働面では最近流行りの言葉で言うところの“ワーキングプア”な状態で“ワンコールワーカー”のような勤務形態で、その合間に拙著をいかに世間に広めるかも考えながら生活している。僕が派遣の勤務形態で利用している会社は最近の報道番組の特集にあるように、人を番号のみで管理されるとか、現場でひどく危険な作業(アスベスト吸い込みまくりの解体作業とか)を押し付けられるということはなく、製本作業が多い。交通費も給料とは別に少しだけ出るし、やや恵まれているかも。それに現場によっては社員から「アルバイト」や「派遣」ではなく名前で呼ばれることもあってそこそこはひとりの人間として扱ってもらえてもいる。先の報道の数々は条件の悪いところばかりつまんでいるな、やや過剰な演出だよな、という印象がある。
なお、7日の冒頭で「偶然にも」と書いたのは、前日夕方に労働内容の確認をするまでは基本的にはどの現場に行くかはわからないので(派遣元と派遣先との人数調整のやりとりにもよるし)、今回はたまたま5日と7日が同じ現場になったことを「偶然」と表記した。

あと最近はそれに加えて、某有名出版社の「校閲」の仕事を在宅で不定期で担当してもいるため(主に誤字脱字を探すだけの「校正」よりもさらに内容に深く踏み込む作業のため、やや複雑で時間も要する)、資料片手にそれに数日間集中して目を普段の生活を営む必要最低限以上に酷使することもある。

最近はこんな感じの生活が続き、今年は旅に出る機会は例年よりもかなり少なくなりそうだ。これでは本ブログの趣旨から逸脱してしまいそうなのが心配。でもいいかげん借金生活から脱却したいしなあ。日常と非日常のどちらに力を入れるか悩むところだ。

暴力団同士の「縄張り争い」って、何?

2007-02-08 19:00:39 | 普段の生活(日常)

5日から6日にかけて、東京都内の4か所で暴力団同士の抗争というか報復? による発砲事件が連続して発生した。発生した順番としては5日に港区西麻布、港区麻布十番、6日に豊島区高田、渋谷区道玄坂だったが、昨日、このうちの豊島区高田の現場を見に行った。
なぜこの場所が気になったかというと、実は僕が昨年後半に一時期勤めていた会社がこの近所にあり、そのときはこの現場マンション(上の写真中央の茶色の建物)付近をほぼ毎日通っていた身としてはどうしても気になるから。で、その現場マンションの内部にも管理人に一言断ってから入り(当然ながら無断で立ち入ったら不法侵入になるから)、さすがにまだ警察が捜査していたのでその手前の警備員が立ちはだかっているところまでしか入れなかったが、上の階に上がって銃弾が打ち込まれたドアの位置も確認したりして(警察の捜査中なので弾痕のある箇所はA2判ほどの大きさの白い紙で隠されていた)、マンション全体の雰囲気は掴めた。

マンション自体は一般住民も多く住んでいる何の変哲もないもので、この近辺の普段の様子をそこそこ知っている身としてはここでこんな物騒な事件が起こるとは考えにくい。現役の暴力団員もそれ以外の“足を洗った”(けれどもずっと狙われ続けることもある?)元団員も、今となってはそういう人たちは各地域に分散していて一般住民の生活に紛れ込んでいて、いつどこで何が起こるかわからない状態になっているのだな。映画やテレビドラマでもよく表現されるように、たとえ堅気の世界に戻ったとしても、報復攻撃で延々と尾を引く可能性は多分にあるか。
6日と7日の各種報道でもあったように、この付近は教育機関も企業も多く(前者では学習院大学とその附属学校、後者では明治安田生命の関連会社や大正製薬が特に目立つ)、目の前の新目白通りも時間帯を問わず交通量が比較的多い。まあ事件はその動きが少ない朝の5時台に発生していて、周囲への大きな被害はなかったが(周りに気を遣ったのではなく、単に寝込みを襲ったということなのだろうが)、それでも拳銃の発砲騒ぎという普段の生活の流れからするとあり得ない事件は付近住民にとっては怖いよな。

で、僕としてはこの手の映画やテレビドラマなどの描写で前々から気になることとしては、この手の人たちというのは、仁義だなんだと言ってはいるが、実際にほかの団体と対決するさいには飛び道具を多用したり複数人でひとりをボコボコにするような手段を選ばない報復の仕方になり、それは卑怯な行為だな、男としてそういうことばかりやっていて恥ずかしくないのかな、と思う。1対1で飛び道具なしの肉弾戦をするほうがまだ潔い(当然ながらこれもダメな行為ではあるが)。
まあ手段や周りの視線なんかをいちいち気にしていたら暴力団の活動なんかやってられない、というそっち系の輩の勝手な言い分もあるのだろうが、いずれにせよ卑怯な手法で、簡単に言うとカッコワルイ。最近の流行りもんで言うところの亀田3兄弟のボクシングや山本“KID”徳郁の総合格闘技のような闘い方のほうが(このさい彼らの普段からの尖った言動は置いておいて)まだカッコイイし、彼らのほうがよっぽど「漢」である。これは世界各国の戦争や紛争にも共通することだが、飛び道具の使用と集団攻撃はやはり卑怯であるよ。

それに、暴力団同士の騒ぎでよく言われる「縄張り争い」という言葉の意味合いがそもそもよくわからない。日本という国の成り立ちを一千年二千年、それよりもももっと昔から考えると、元々は誰のものでもなかった土地を、“みかじめ料”をパチンコ店や風俗店などから取り立てながら牛耳る、という感覚がわからん。
今回も、元々は東京都内をまとめる住吉会系の縄張りに、西の山口会系が進出するとかしないとかいうことで揉めた過程で起こった事件のようだが、いつからこの土地はそんな輩のものになったのだろうか。7日のテレビ『スッキリ!!』でテリー伊藤も暴力団同士の縄張り争いについて憤慨していたが、僕も同感で、武器を使ったりという卑怯な手段でそれを行なうことはどう考えてもおかしいし、ずるいし、くだらない。

僕個人的には、各種賭けごとや風俗にはあまり興味・関心を示さないのは暴力団の活動の資金源になるから、ということもあって敬遠している。というか、そんなものよりももっともっと楽しくて為になる「野遊び」というものを幼少時から知ってしまっているから、そういったいざこざ混じりの物事が僕の目からは物凄くくだらないものとして映る。

これは極端な事例だが、先日の投稿でも挙げた沢木耕太郎の『凍』(新潮社刊)の275ページで、クライマー・山野井泰史氏の現在のパートナーである(まだ独身で長尾性の頃の)妙子氏が1991年のマカルー(8463m)の登山後に重度の凍傷の治療で病院に入院しているときに、同じ病院に小指を詰めた暴力団員が入院してきたが、女性病棟に(登山中の凍傷によって)手足18本の指を詰めても泣き言を言わない人がいる、と医師がその団員に言い、しばらくしてその団員が妙子さんを菓子折りを持って訪ねてきた、という逸話を出している。
登山という行為に(生死の境を綱渡り状態で行くくらいに)のめり込むことを「物好き」というあっさりとした表現で簡単に片付けることはできない、妙子さんの“山屋”らしい人間としてのホントの強さを持っている人の生き様を見ると、暴力団の抗争云々というのは、たとえ指を失ったとしても自分の好きなことをやり続ける人もたくさんいる、そういう酔狂? な世界を知ってしまった僕からするとホントにちっぽけなものに見えてしまう。
妙子さんがその登山でそんな重度の凍傷を負いながらもなんとか下山した経緯というのがまた泣ける、しかも複雑な話なのだが、これは各自で登山関係の本や雑誌などを探し出して読んでいただきたい。

そういえば、先月中旬に関西方面に行ったときに、僕が大阪府内を訪れるとほぼ毎回行く某銭湯で(ヒントは、JR大阪環状線の範囲内の某地下鉄駅から徒歩1、2分という交通至便な場所にある銭湯。情報誌でも紹介されるくらいに有名)、上半身は入れ墨(刺青)だらけのそっち系の30代くらいの男と脱衣場で一緒になった。旅先ではよく銭湯に行く僕としてはそれだけならよく見る光景でべつに改めて驚きもしない(有名温泉地や大型のスーパー銭湯では「入れ墨お断り」の但し書きがよくあるが、地域密着型のこぢんまりとした昔ながらの銭湯ではあまりその文言は浸透していないため、いろいろな柄を背負って入浴している人をよく見かける)。
ただ、そこで珍しかったのは、その兄ちゃんには20代前半くらいの若い子分というか付き人が終始張り付いていて、入浴後に兄ちゃんが服を着る段階でその付き人がシャツやら上着やら腕時計やらの兄ちゃんが身に着けるものひとつずつを用意して差し出しながら身支度を補佐していたことだ。そんなベタな上下関係の様子は実際にはあまり見かけないので、僕も着替えながら横目でその一挙一動を興味津々ながら観察できて勉強になった。あの兄ちゃんたちもやはり、関西圏が主戦場? の山口組系の団員だったのだろうか。

そんな光景を改めて生で見ると、暴力団というのは現実世界でたしかに存在しているのだなあ、と考えてしまう。警察にはこれまで以上にそっち系の人々の取り締まりおよび根絶に力を入れてほしい。僕のような一般住民としても、彼らの資金源になるようなものにはできるだけ手を出さないようにしたいものだ。だが、近年よくある某有名消費者金融の利用者に対してそっち系の人が脅迫まがいの督促をしながらやりとりしている様子を録音したものを入手した報道なんかを見ると、普段の生活のなかであちこちに一般住民が知らないうちに暴力団の手が加わっているという物事は多々あるのかもしれない。まあとりあえずは情報収集しながら、できるだけ自己防衛に努めたいものだ。

“デジカメ依存症”を認識しながら、新規購入

2007-01-28 09:33:07 | 普段の生活(日常)
12日夜に京都府京都市内でデジカメ(ニコン・クールピクスL3)を2006年7月に使い始めてからまだ半年しか経っていないにもかかわらず壊してしまってから半月が経過した。
デジカメに一切触れていない時間をいくらか過ごしたわけだが、いつも手元にあったそれがないだけでなんか4、5日前から精神的に落ち着かなくなってきた。
一応、先週に関西から戻ってきてからすぐにそのデジカメを小売店経由でメーカー修理に出してはみたが、壊れた理由が落下の場合は故意でもそうでなくても当然ながら無料保証の対称にはならずに有料修理になり、一昨日に受けたメーカー側の修理見積りの結果、修理金額はなんと約1万8000円であった。実はこれ、昨夏にこのカメラを買ったときの1万6800円という金額を上回っていて、修理に出すよりも新たに買い直したほうが安い、という最近の家電製品によくある結果が出た。

で、昨日、経済的には依然厳しいにもかかわらず、新たにデジカメを買いに行くことにした。昨日は土曜日だったのだが、幸いにもこの日は毎週、新聞の折込広告でコジマ、ヤマダ電機、ケーズデンキなどの大手家電専門店の広告がたくさん入ってくるため、まずはそれで商品価格の比較検討ができるため、買い物するのに大きな参考になった。いずれの店も家から自転車で20分前後の距離にあり、店をハシゴしながら実際に自分の目で価格調査をしながら、自分にふさわしいデジカメを買いに行った。
最近のデジカメ市場は新製品投入のサイクルが早く、各メーカーともに5、6か月も経つと新製品が続々登場するような感じで競争が激しく、回転が早く、それらを扱う小売店の価格競争も数年前よりも熾烈になってきている。それぞれの商品の値札には「他店価格調査済」という表記を入れて他店との差別化を主張しながら、とにかく他店よりも低い値段で販売することに躍起になっている。まあ消費者にとっては追い風になるこのような争いはもう全国各地で見られる光景か。

そんななか、僕が少し前からいくつか目を付けていた製品のなかから今回、先のデジカメと同じニコン製のクールピクスL6を買った。ケーズデンキで1万4800円! というえらい安さであった。一応は600万画素の写真が撮影できるこれがこの値段というのは何かの間違いだろう!? と思ったが、店員によるとメーカーからは近々、春の商戦に向けての新製品が投入されるとかで、すでにこれは市場では型落ち品になりつつあってこの店では在庫処分品扱いになっているから、とのこと。ほかの店も回った結果、ここが最も安かった。先のL3よりもやや高機能で後発のL6がそれよりも2000円安く販売されているというのも不思議である。この仕組みはどうなっているんだ、家電業界。

なんかこんなに安くカメラが買えてしまうのは、旧来のフィルムカメラ時代に購入・維持管理に苦労した方々に申し訳ない思いも少々あるし(僕も現在もたまにフィルムカメラによる撮影も行なうから、カメラ・フィルムの扱いや思い入れがデジカメが流行ることによって総じて雑になった現状に加担することにはちょっとした罪悪感がある)、ひとつの製品を末永く使うほうが“もったいない”の精神に則っていて人間として真っ当だとも思う。
が、時代は何事においても物事の速度が加速してデジタル化に移行しつつあるし、その流れに乗ることは苦手ではあるけれども完全に乗り遅れるのはちょっと辛いかな、と最近よく考える僕としても、最近は旅でも普段の生活でも記録・情報収集の面でデジカメの出番が非常に多く(質・内容は問わず数にすると毎年1万枚以上は撮影している)、しかも本ブログで使用する写真もすべてそれで撮影しているから、ここ半月のデジカメなし生活というのは「写真が撮れないのは苦しいなあ~」と毎日溜め息をついてしまうくらいの禁断症状が出まくった状態であった。つまり、僕はすでに完全に“デジカメ依存症”に陥っているということ。

ただ、「依存症」という言葉からよく連想されるタバコやアルコール類は健康や周囲への悪影響が心配されるが、それと違って今回のデジカメの場合は完全に自分の身にのみ降りかかっていることなので、それを患っていてもとりあえずは他人に迷惑をかけるわけではないからまあいいか、といくらか開き直ることができる。
それに、最近は各誌の書評でもよく取り上げられている自転車本『自転車依存症』(白鳥和也、平凡社刊)のように、カメラ以外でもいろいろな趣味の面でやや病的な依存症が確認される機会は増えつつあると思う。これらも、家族や他人を巻き込んでおらずに自己責任で対処するのであればまあそれを患ったままの状態で生きていってもいいのかな、それらがあることによって怠惰になりがちな普段の生活のなかに心の拠りどころができて潤う、という精神的に良い効果も期待できるし、とも思う。

そんなことをくどくど考えながら、今回改めて僕自身3台目となるデジカメを買い直した。
幸いにもクールピクスL6は先のL3の後継機種であるために操作方法も重量も電池・メモリーカードの仕様(単3電池・SDカード)もほぼ同じで、しかもL3に比べると液晶画面が大きくなったし(2.5型)、感度もフィルムカメラで言うところのISO800まで対応だ(L3はたぶん400かな?)。しかもこの機種のもうひとつの目玉として、L3よりも省電力の設計で造られていて、リチウム単3電池2本で最高1000コマの長寿命撮影ができる。実は僕は前々からこの点に注目していて、このL6によって旅先での電池交換回数と普段使用しているニッケル水素電池の充電回数が減ることによって、電池が切れたときの対応がしやすくなり、少し進化したこの機種にはかなり期待している。まさに大物新人である。
でも、他人よりもやや撮影条件の厳しい野外にカメラを持ち出す機会が比較的多い僕としては、再び6か月程度かそれよりも少ない時間内でこのカメラを再び壊してしまうような気がする。
そんな心配もあって、さらには昨日までの“デジカメ空白期間”をなくすためにも、比較的安価な予備のデジカメを保険としてもう1台買おうか、ということも京都でL3を壊してからずっと考えていて、今回ももう少し手持ちの現金があれば同じものをもう1台買いたかったのだが、持ち合わせがないのでもし買ったとしたら4台目となったそれは諦めた。でもちゃんと働いて、早めに予備分を買うつもりではいる。今回のL6、もし2台買ったとしても2万9600円だからね。ひと昔前ではあり得ない価格だな。

そんなわけで引き続き、“デジカメ依存症”がより強まりそうな生活が再び始まった。やはりデジカメ利用の画像があったほうが、ただでさえ長文ばかりで読むほうとしてはおそらく退屈に思われることも多々あるであろう本ブログもよりわかりやすく進められるから。



ニコン・クールピクスL6を買ってすぐに試し撮りをしたかったので、とりあえず見栄えの良い題材を探していたが見つからなかったので、僕が所有しているミニコミ誌『野宿野郎』の1~5号すべてを引っ張り出して撮ってみた。操作はL3とほぼ同じなので違和感なく扱えた。ホントは「MADE IN INDONESIA」のこれよりももっと高級なデジカメも一眼レフを含めて欲しいのだが、まあすでにこの系統の機種の扱いやクセに慣れているし、またすぐに壊すかもしれないから、ということで比較的安価なこれに落ち着いた。デジカメを製造している各メーカーには、今後はもう少し外部からの衝撃や水・砂に耐えられる強靭な設計を期待したい。
ちなみに、写真が小さくてわかりづらいかもしれないが、右から2番目の白色表紙に桃色の文字・写真の4号に付箋がたくさん付いているのは、「4号校正係」としてかとう編集長に昨秋の4号増刷前に誤字脱字を指摘するためにチェックしたところ。改めて正確に数え直してはいないが、一応は校正のプロのつもりの僕なりに厳密に判断すると30~40か所はあったかな(まあ最終的に訂正するか否かの判断は編集長に委ねられるけど)。
なお、5号はまだすべて読んでいないのだが、全体をざっと確認すると誤字脱字はそこまで大量にはなく、誌面の質は4号以前よりは間違いなく上がっていると思う。ぜひご一読を。

それぞれに脈絡はない最近のお知らせいろいろ

2007-01-23 21:00:49 | 普段の生活(日常)
本ブログに関する・関しないにかかわらず、最近の僕個人的な(分類するのが難しい)お知らせをいくつかまとめて挙げておく。


●先の関西行の第一義は、書店営業

9日から14日に関西に行っていた、というのは、兵庫県西宮市の西宮神社の「福男選び」に参加したり、同姫路市で出がらし紋次郎さんと遊んだりもしたが、実はこの最大の目的は拙著『沖縄人力紀行』(彩図社刊)の書店営業であった。
ただ、主にジュンク堂書店、旭屋書店、紀伊國屋書店のような全国展開の比較的規模の大きな書店を狙い(そういった大きな書棚のある書店でないと僕の弱小本はまず置いてもらえないだろうと踏んでいるため)、東は京都から西は姫路まで、“ひとり三都物語”という感じでこの区間の主要駅前の書店を中心に巡った。

で、結果としては、関西というとお金が絡む商売ごとに関してはこと渋いというか厳しい、という先入観があったのだが、あらかじめ作成してある拙著のプレスリリースや注文書や媒体の書評・取材掲載コピーをまとめた書類を手に実際に巡ってみると、事前予想よりも意外と話を聞いていただけて、その場で1冊や3冊仕入れましょうと即決される、嬉しさで泣けてくるくらいありがたい書店もあった。なかには、忙しい時間帯にもかかわらず旅行書担当の方を飛び越して店長自ら話を聞いていただけた書店もあった。そうなるともう恐縮である(まあ基本的にどの書店でも夕方から夜にかけての忙しい時間帯に行くことは避けていたが、仕方なく行かざるを得ないときもあった)。
実際に足で「稼ぐ」と意外と良い結果が得られるもので、結局、注文書は計20店で受け取っていただけた。予想では13~14店いけば良いほうかな、と思っていたが、それ以上の結果が出て嬉しい。まあこれは、弱小本である拙著も一応はトーハン、日販、大阪屋のような大手取次でも取り扱っていてふつうに流通していて、そのために入荷してももし売れなければ返品できる、という対処もできることが書店に話をなんとか聞いていただけた決め手になっていると思う。こんなとき、版元の(特に旅行書の分野についての)知名度に感謝したくなる。

ただ、今回は時間に制約があったり、その過程で少し観光というか遊びに行ったりして営業に100%力を注げなかったが(まあこれは自分が悪いのだが)、それでも今回の結果には満足している。ほかにもあと2、3店、旅行書の担当の方と会えずに話が振れなかった(僕の直感でおそらく置いていただけるのではないかと感じた)書店もあったため、まだまだ開拓の余地はありそうだ。年内にまた営業に行こうかな。
まあ関西以外のほかの地域も巡りたいことは巡りたいのだけど、とりあえずは東京・名古屋とともに全国的にも比較的大きな商圏の京都・大阪・神戸周辺は特に力を入れたいものだ。インターネット書店も良いが、本はやはり実際の書店で手にとっていただくほうが数段わかりやすいので、とにかく拙著をより多くの人の目に触れるところに出さないと売れないよな、と今回、出版物の書店営業の重要性を僕にとっての“アウェー”の地で改めて痛感したのであった。

ちなみに、その過程で拙著が関西圏の書店の書棚に実際にあるのを確認できたのは、ジュンク堂書店三ノ宮店の2冊と、同書店大阪本店の1冊であった。やはり元々は関西圏から始まったジュンク堂書店は関東圏の池袋・大宮同様にありがたい。
でも今回の営業の結果、どうやら注文書を配った書店からは実際に注文をそこそこいただいているようなので、これまた嬉しい(書店に注文書を配布したからといって、それで発注が確約されたわけではないから。
書店の都合もあり、検討次第では注文なしという可能性も当然ある)。関西圏にお住まいの方は、これらの大きな書店に行けば拙著が近々入荷すると思うので、よろしく。

●京都の「ガケ書房」にも行ってみた

京都市北東部に「ガケ書房」という上記の大きな書店よりは小さな書店があるのだが、営業の過程でここにも12日夜に行ってみた。この書店の存在は、本ブログでも度々触れているミニコミ誌『野宿野郎』で昨年初めて知ったのだが(5号87ページにもこの書店の山下賢二氏が寄稿している)、関東圏でも珍しいこれを置いているというある種奇特!? な書店というのはどんな感じの店なのだろうか、と全国の書店巡りが趣味の僕としては前々から気になっていて、今回京都にも行く機会があったので行ってみた。

ただ、京都駅から直線距離で北北東約6kmの位置にあるここは路線バスでたぶん30~40分ほど、徒歩と京阪本線と叡山電鉄を駆使しても1時間ほどかかるくらいに街の中心から外れた場所にあり、行くのがちょっと大変。だが行ってみると、店舗面積は小さいながらも様々な種類の雑誌や書籍が並んでいて、マンガ、オタク・サブカルチャー系の本、旅本、文芸書、ミニコミ誌、写真集など硬軟問わずいろいろな出版物が置いてあり、事前予想では旅関連の出版物ばかりなのかと思っていたがそうではなく、東京都の中野・高円寺・吉祥寺あたりの数々の怪しい? 書店をとにかくごちゃまぜにしたような品揃えであった。
位置的には市街の外れにあるにもかかわらず、一瞬はそこにいるのを忘れてホントは京都ではなく中野ブロードウェイあたりに来ているのではないかという錯覚に陥るようなゆるい雰囲気が店内にはあり、これで店内に試し読み用の椅子が置いてあったりしたら2、3時間は根を張って読みふけってしまいそうな書店であった。でもそうすると商売にならないか。

で、そんなふうにして店内を物色した結果案の定気に入ったここでも拙著の宣伝をしてみたら、即決で試しに1冊置いていただけることになった。まあこれは、すでに版元の本をいくつか扱っていたり、僕も『野宿野郎』5号の寄稿者であることを白状したりしたから話が早かったということもあり、まあとにかくありがたい。ここで拙著が売れるかどうかはわからないが、この近所には京都大学や京都造形芸術大学などの教育機関が集中しているために若者が多く、彼ら彼女らに自転車の重要性や“正しい乗り方”が拙著によって広まればいいな、と期待している。“正しい乗り方”というのは、この近辺でも夜間に歩行者のいる歩道を無灯火で疾走するような自転車が多く見られたからで、そのへんは拙著でぜひ再考してもらいたいもんだな、と思いながらガケ書房をあとにした。
みなみに、ここへの往路は徒歩+鉄道で路線バスは利用しなかったのだが、復路は京都駅まで徒歩であった。その距離は約7km、時間にすると寄り道抜きで計算すると1時間30分以上かかった。この行程がまた週末の平安神宮や祇園を経由したりして寒い夜にもかかわらずいろいろと面白かったのだが、それを挙げるとまた長文になるのでやめておく。ガケ書房を再訪するさいは、京都駅から歩いて清水寺や南禅寺や銀閣寺を見物しながら1日がかりで到達する、という日帰り小旅風に行くと面白いかもしれない。


●『沖縄人力紀行』はこの図書館でも貸出中

拙著『沖縄人力紀行』(彩図社刊)の広報を昨秋から全国の図書館に向けて続けているが、そんななか以下の2館でも拙著を導入していただいたことを確認した。


神奈川県

・厚木市立中央図書館

愛知県

・半田市立図書館


以上の2館のうち、半田市立図書館については実は昨年10月のかなり早い段階で、というか全国にお知らせする過程のなかでいちばん最初に拙著導入可の連絡をいただいたとても素晴らしい図書館で、嬉しい。
愛知県内の図書館はこれで豊川市中央図書館と合わせて2館となったが、これはやはり2005年に地球環境への配慮を再考するという趣旨で開催された愛知万博(愛・地球博)の開催地であることも影響しているのかもしれない。そういえば、2005年9月に現地会場を観に行ったときも、会場入口に自転車駐輪場がしっかり整備されていて、場内では自転車タクシーも数多く運行していたし(下の写真参照。撮影は2005年9月9日)。それをきっかけに、愛知県はほかの都道府県よりも自転車への理解がより深まっている、はず。

これで、とりあえず現在は拙著が全国の9つの図書館に置いてあることを確認した。今後も良い返事を期待したい。ほかにも置いてある図書館はあるのかなあ。
ちなみに、全国の拙著のお知らせ済みの図書館数は今日現在で631館となった。まだ全国47都道府県の3分の2弱だが、まあ引き続き細々と続けていく。




●最近話題の不二家埼玉工場って……

先々週から不祥事で話題になっている不二家だが、この主な舞台となっている埼玉工場(埼玉県新座市)というのは実は、僕の家から自転車に乗って鼻歌を2、3曲歌うと着いてしまうくらいの近所にあり、先頃はテレビ局の取材車が某国営放送局を含めてよく訪れていた。JR新座駅から武蔵野線の府中本町行きに乗って、駅を発車して10秒ほど経ってから進行方向左側(南側)の車窓を見ると、この工場の敷地内を俯瞰できる。現在は当然ながら製造ラインは停止しているはずだが、それでも数日前も場内の照明は点いていて、現在はおそらく保健所の立ち入り検査を経て、機械類のメンテナンスや場内の清掃が徹底して行なわれているのだろう。
山崎製パンと森永製菓が経営の支援に回るとか、社長が交代して22日に新社長が発表されたりして報道合戦もそろそろ落ち着いてきたか。

地元で起こっている問題だけに、そりゃあ気になる。やはり事件は会議室だけではなく現場で起きているのだなあ。それに、札幌工場、泉佐野工場、平塚工場などで次々に同様の偽装工作があったことが発覚して企業イメージがどんどん崩れていっているが、この一大ブランドが今後どこまで再建されるのかされないのか、見物である。ペコちゃんも舌を出している場合ではなく、再建するならばまずはその舌を引っ込めるところから始めないといかんよな。

で、ここで地元民としてひとつ思うのは、偽装を施すことを指示していた工場の監督者というか責任者はともかく、その下で働いていたアルバイト・パートというのはその大半が僕と同じ新座市民であろうから(地元の求人広告でもここの求人はよく出ているし)、その人たちが思いっきりとばっちりを受けた、というのが残念。
前々から従業員からの内部告発のようなものはあったそうだが、やはり最終的に決定を下した(問題点を揉み消した)おそらく市外在住の現場の責任者の責任が厳しく問われるべきで、ほかの従業員には責任はないはず。場内をネズミが這い回っていたりしたらすぐに何かしらの対策は取るはずだが、上のほうがこういうことに対して何も対処してこなかったというのはちょっとねえ。製品を床に落としても3秒以内に拾い上げれば問題ない「3秒ルール」というのも、小学生じゃあるまいし、ここの製品を心待ちにしている(いた?)顧客への責任を考えるとお粗末な体制としか言いようがない。
この一件だけで工場の業務に携わっている多くの懸命に働いている(と信じたい)新座市民が一様に悪く見られるという感じの悪影響が出るのは地元民としてはとても悲しいものだ。

新年を迎えて半月足らずで僕個人の今年の重大ニュースのひとつにいきなり入ってきた一件である。ちなみに、僕は過去にこの工場で働いたことはないのだが(地元の友人ではここの経験者はやはりいる)、僕がほかの某大手パン工場でこことほぼ同様の作業に従事した経験則で考えると心当たりのある問題点がいくつかあり(おそらく飲食業、特に食べるものを作るほうの人全般に該当すること)、この事件は氷山の一角で、以前の雪印乳業の一件以降も「他所は他所」という感じでそのへんが改善されていない工場は案外多いはず、と僕は思っている。それはまた今年の年末に重大ニュースを振り返るときに改めて触れようかと思う。


●「バカ」「アホ」の表現、自分の身の丈に合った文章

17日の投稿で世界遺産の姫路城で見られる問題点について触れたさいに「バカ」とか「アホ」とかいう表現を使用したが(過去の投稿でも数回あるが)、僕がこういったやや厳しい表現を用いる理由について誤解のないように補足したい。これ、5日の投稿で触れておこうと思ったのだが忘れていた。

本ブログでは基本的に自分の身の丈に合った表現で書いていこう、ということを常に肝に銘じてはいるが、そんななか、自分のなかで良識的倫理的に100%曇り一点もなく間違っていると確信したコト・モノについては「バカ」「アホ」、それに「お前」「ふざけんな」「10年早いんだよ」のようなやや厳しい表現も使用しながら追及するようにしている。これがもし1%でも自分に自信がないことであれば当然控えるようにもしている。
で、世の中の活字をしたためる人というのは、インターネットや活版印刷上で文章を書くさいには(人ではなく画面や紙と対峙しているためか)普段以上に気が大きくなって、つい勢いが増して普段の他人と対峙しての喋り言葉の発想以上の罵詈雑言を書く傾向があるが(巨大掲示板「2ちゃんねる」が顕著やね)、僕はそうならないように自制している。
ただ、テレビ番組で言うところの『ビートたけしのTVタックル』の浜田幸一(もしくは大竹まこと)、『スッキリ!!』のテリー伊藤、『スタ☆メン』の太田光(爆笑問題)などの面々ほどは荒々しくはないが、それでも僕も「バカ」「アホ」のような表現は実際に他人と交わるさいにも、さすがに彼らのように乱発はしないがそこそこ使っている。仮に使うにしてもここ数か月のわかりやすい事例では、本ブログ2006年9月1日の投稿の一件のようなどう考えてもふざけている場面に限っている。

また最近では、自転車で車道の左端を道路交通法どおりに正しく通行しているときに、そんな僕に真正面から対向してくる右側通行の自転車(逆走=道路交通法違反)とかち合ったときに、その運転者が僕に対してガン(眼)を飛ばしたり舌打ちをしたりして、(実は罪を犯していることがわかっていない)自分がさも正しいことをしているかのような逆ギレ気味の悪態をついてきたときに「アホか、おのれは!」とか「自転車の乗り方が間違っているんだよ!」などと厳しく言って道路交通への認識を改めさせることはよくある。場合によっては蹴りも入れる。
まあこれは言い方をもう少し柔らかくしたほうが相手に受け入れられやすいことはわかっているが、そんな無知でしかも理不尽な輩と対峙するとつい興奮するのよね。まあそのくらいの言葉は普段の生活でも人を選んでふつうに発しているので、文章もそれと同様の感覚で書いている。

そんなわけで、本ブログでは裏表なく、そんなふうに文章表現が僕の普段の人間性というか実力(『電車男』で言うところの“スペック”か)と同等になるように日々努めている。
ネットの掲示板などに書き込んでいる人たちというのは、「死」とか「逝」とかいう漢字も使いながら大層なことを匿名で書いていることをよく見かけるが(僕はそれらの字はさすがに使わないようにしている)、そういう普段の生活でも口に出すべきではないことも平気で書き込んでくる実は“逃げの姿勢”の人たちと実際に1対1で間近で対面して、その実力というか人間力を自分の目できちんと確認したい、という欲は常にある。
もし僕がそういう人たちと実際に対峙したときにケンカ腰っぽいかなり険悪な雰囲気になったとしても、その相手と相撲で言うところのがっぷり四つで組めば、昔から相撲道に進むことを薦められる機会が多かった僕としては負ける気はしないなあ。実際に対戦してみたいものだ。


いくつかの項をまとめたら結局はまた長文になってしまったが、まあいいか。とにかく、本ブログは引き続きそんな表現も時折使いながら、どんな題材であっても建前はできるだけ排除して本音で主張と報告を進めていく所存である。

誕生日にひとりファミレス 

2007-01-05 23:30:35 | 普段の生活(日常)

毎年、誕生日には普段はめったにやらない目新しいことに果敢に挑もうと努めているのだが、今年は「ひとりファミレス」を試みた(ちなみに昨年は、本ブログの開設)。
これは、最近はファミリーレストラン略してファミレス各店は平日昼間に単独の客も貪欲に取り込もうとランチメニューに力を入れていることや、深夜に机が必要なマンガ家や文筆業の人がひとりでよく仕事をしたりすることもあって、今では男女問わずひとりで入店することはそう珍しいことではないのかもしれない。
だが、僕は基本的に各種ファミレスを利用する回数は年に2、3回ほどと比較的少なく、しかも過去にはすべて2人以上の複数人でしか入ったことがなかった。僕にとってはこの類の店で食べるというのは、ちょっと大げさかもしれないが普段の家や、総カウンター席で回転率重視の店での食事とは異質の、特別な空間と時間を持つべき一大事、という希少価値を勝手に見出している。そう、ひと昔前に都会の大手百貨店での家族揃ってのたまの買い物ついでに最上階のレストランでお子様ランチを食べるような、ある種の緊張感を伴うような感覚が、僕にはファミレスに対してはまだある。ちなみに、僕にとってのその(憧れだった)レストランは東京都・池袋の東武百貨店のこと。

また最近は、他人の旅話でも、食事ができて、トイレはあって、空調も効いていて、と何かと便利なファミレスを宿代わりに利用して一夜を明かす、という事例を度々聞くようになったし、そんなふうにいつもとは違ってひとりで入店したときの雰囲気も確認したくて、今日初めて「ひとりファミレス」を試してみた次第。

で、入ったのは家の近所のガストで、東京近郊各地で複数人で過去に数回入ったことがある店のため、緊張することもなくふつうに食事できた。ただ、家から徒歩数分の場所にあるこの近所の店というのは、僕が高校生の頃にまだガストではなくすかいらーくだった頃にアルバイトしたことのある店舗で、ちょっと感慨深かったりする。
普段はこの店の前はよく通りかかるけれども実際に利用したのはほんの数回しかないため、入店したのは思い返してみたら実に13年ぶりであった。当時は家庭が経済的にやや落ち目で、自分の昼食代や小遣い(主にワンゲルの活動費)の足しにと思って、アルバイト禁止の学校に内緒で週末のみ1年半働いたことが(今となってはもう時効よね)、ガストで最もベタなメニューである目玉焼きハンバーグ(上の写真参照)を食べながらも思い出される。
店舗内の内装の雰囲気はさすがにガストに移行しただけに変わったが、机とトイレの配置やバックヤードへの通路の構造は以前と変わっておらず、ああ、こんなんだったよな、と目を細めて懐かしむ。

でもまあ、結局はふつうに楽しむことができ、今後もこの店は食事でも仕事でも使えるな、「ひとりファミレス」は旅においてもかなり有効な手段だな、と確信した。
ただ、それを初めて試した日が誕生日で、31歳になりたてのブ男がひとりでドリンクバーに何回も通う、という画は客観的に見るとちょっと寂しいかもな、と思った。やはりこういう店は、「ファミリー」という冠が付くくらいだから居酒屋と同様に気の合う家族や仲間たちと複数人で訪れてのびのびとくっちゃべる場所であり、またマンガ『THE3名様』(週刊ビッグコミックスピリッツ連載)のようにそんなに気は合わなくても一緒にいるだけでなんとなく安心する人たちと机を囲むような和みというか堕落のための場所なのかな、という思いがより強くなった。
「孤独」というのはやはり、ヒトや動物がまったくいないだだっ広い荒野にひとりで佇んでいるときよりも、ある程度狭い面積のなかで大勢の他人がいる状態のときにひとりで紛れ込んでいるときのほうがより強く感じることなのよね、というどこかで聞いたことのあるセリフを思い出したりもした。

それでも、ひとりの時間はそこそこは楽しめたので、近いうちにほかの店舗でもまた試してみよう。

ふつうの休日のような、でも幸先は良い元日   

2007-01-01 23:30:25 | 普段の生活(日常)
謹賀新年。

今年も、本ブログと、拙著『沖縄人力紀行 -徒歩以上クルマ未満の速度で日本を視る-』(彩図社刊)を引き続きよろしくお願いします。

で、今日は2007年最初の日だが、今回の2006年から2007年の年越しは僕としてはそんなにたいした感動や感慨はなく、紅白歌合戦も含めて年またぎのテレビ番組を各局覗いてみても、なんか例年と変わり映えしませんなあ、といつになく冷ややかに観ていた。
まあこれは、先週に下痢生活をしていた後遺症らしき虚脱感があって、体調はまだ完全には回復していないからということと、昨日は病み上がりなのにもかかわらず小旅で久々に結構歩いて疲れたから、ということもある。
とは思いつつも、外気で冷やした(いつもの発泡酒よりは奮発した)缶ビールとみかんで、ひとり用こたつに入りながら、それらの温度差を面白く感じながら新年をちんまりと祝った。
今年は僕以外の家族もノロウイルス? にやられていて、新年の挨拶や元旦の初詣もなく、ふつうの休日のようにみんな家でうだうだしていた。

年越しでひとつ驚いたのは、大手携帯電話会社3社の電話が通話規制されるのはわかるのだが、僕が常用しているウィルコムのPHSも4回に1回の規制がかかり、通話もメールの送受信も規制されたことだ。おっ、それだけウィルコムも最近人気が出てきた証拠なのかな、とDDIポケット時代の6年前からここの顧客である僕としてはちょっと嬉しかった。まあ今年は深夜から友人と外出することもなく、この時間から頻繁に通話やメールのやりとりをする人もいないから、規制がかかってもべつに悪影響はないんだけど。

そして朝、僕の初日の出鑑賞時間は、家の窓から7時20分頃だった。太陽が昇る方角にやや高めの家やマンションが建っているため、毎年、一般的な6時40~50分台には見られないので、各地よりも遅れるのは仕方ないよな、と諦めている。

で、そんな例年とあまり変わり映えのない祝日のなかでひとつ嬉しかったのは、東京都の国立競技場で午後に行なわれたサッカー天皇杯で、我らが埼玉県代表の浦和レッズがガンバ大阪を破り、2年連続で優勝したことだ。昨年同様にテレビ観戦であった。
実は、昨年12月にリーグ優勝したときの満足感がかなり大きく、これで力を使い果たした感のある浦和は今回の天皇杯はまあべつに勝てなくても仕方ないかな、と僕も応援にあまり力を入れていなかったのだが、ノロウイルス感染者やケガ人が続出し、ブラジル勢は帰国もしているほぼ“2軍”の状態ながらも、リーグ戦ではあまり出番のなかった小野伸二が主に活躍したりしてあれよあれよという間に決勝まで進み、今日の優勝に至った。
まあ実際に勝てばそりゃあ嬉しいし、リーグと天皇杯の2冠、それになかなか達成できない2年連続の(トーナメント戦の)優勝も当然ながら嬉しい。あまり力を入れて応援していなくてごめん、と反省した。
でも、こんなに常勝軍団ぶりがふつうになってくると、最近のプロ野球・阪神タイガースのように、勝つことのありがたみが薄れるようにも思う、というようなことは、さいたま市在住(しかも埼玉スタジアム2002の近所)の、古くからの“浦和人”の友人も言っていた。
まあたしかにどの分野でも勝負ごとには勝ったほうが良いことは良いのだが、弱いチームこそ応援しがいがある、という状態から脱却した今後も勝ち続けられるのか、人気と応援の質はこのまま維持できるのか、ということは、試合後の表彰式でキャプテンの、実は準決勝後にギックリ腰になったが回復して体調を決勝に合わせてきた山田暢久が天皇杯を頭上に掲げる様子を観ながらも気になり、複雑な気分であった。まあ幸先は良いですね。

あとは、年賀状を出す代わりに友人知人に年始の挨拶メールを打ちまくり、右手親指が疲れる。代わり、というのは昨年3月に祖母が亡くなって喪中だからということもあるが、僕は基本的に1年間のなかで度々会う方には年賀状は書かない主義で(目安としては年に3回以上)、あまり会うことのない方や僕が出すよりも先にいただいた方には返事は書くけれども、書くとしても毎年多くても10枚くらい。こんな体たらくは社会人としては失格なのかな?
ここでまたひとつ驚いたのは、昨年に熱気球の作業でより親しくなった安東浩正さんから年賀状が届いたことだ。まあ作業に参加した人たちへの礼状の一部としてのものなのだが、世界的冒険サイクリストから賀状をいただくなんて、誠に恐縮である。梨元勝以上に申し訳ない気分。家宝にしようっと。
ちなみに、安東さんは今回の年越しは北海道最北端の宗谷岬で迎えるらしい、ということは聞いていた。毎年、ここで年越しを迎える物好きな二輪車乗りが結構いるのだそうで(クルマ利用者もふつうにいるようだ)、安東さんも例の冬季シベリア縦横断仕様の自転車で行っているとか。自転車で行っているのは安東さんだけなのかな? 僕もいつかは、と興味はあるけど、厳冬期の装備を揃えるだけで結構体力を使うから、二の足を踏んでいるのよね。

まあそんなこんなで、昨夜からの24時間中約18時間はこたつに入りっぱなしの典型的な寝正月の初日になり、旅に関する要素はまったくないぐだぐだな1日になったが、まあこんな日もある。動かないわりには全体的には幸先良い1年の始まりになった。明日からは少し動こうかな。