メールといえば、原始メール(ハガキ・封書)や格安? のクロネコメール便ではなく、もうすっかり世間一般に浸透している電子メールもしくはeメールの、最近の旅に関する話。
僕は基本的にアナログ的な原始メール派のために自分が旅先から、もしくは旅の最中の旅人とのメールについては一昨年くらいまではそんなに積極的にやりとりしてこなかったのだが(特に携帯電話・PHS類ではなくPCのほう)、一昨年にブログを開設したのに伴って徐々に使うようになってきた。今では公私ともに文書や画像もそこそこ送受信するようにもなった。
まあこの慣れの遅さ? は、PCに慣れてきたというかウィルスなどのPCの安全性にまつわる諸問題が僕のなかで徐々に解消されつつあるからなのだが。
で、そろそろ慣れてくると、国内はもちろんのこと国外でもインフラが整っていれば世界じゅうどこでも、しかも電話と違ってほぼ無料で迅速に文章やら写真やら動画やらをやりとりできるのは凄いことだ、と今更ながら実感しまくっているところ。遅い?
今はネパール・パキスタンヒマラヤの高所登山や毎年の南極観測隊でも毎日のようにふつうにやりとりできるし(特に先月も触れた、竹内洋岳氏のブログで今夏の8000m峰2座登頂の詳細が各種媒体の報道よりも速く正確にわかる、南極・昭和基地から取材記者がブログをほぼ毎日のように更新できるのは凄いな、とか)。時代は変わったんだねえ、と目を細めてつい遠くを見てしまう。
時代の流れによる進歩というか便利さにはあまり執着しない僕も、メールに関してはデジタルカメラと同様にかなりの恩恵を今後も授かるだろう(主に「安さ」の面で)、と確信している。通信速度や速報性を重視したり音声のみの場合にはまだ衛星電話のほうが分があるだろうが、安さを考えるとねえ。
それで時期的には偶然なのだが、今月に入ってからちょっとした用件でブラジルと中国・チベットを旅している旅人とメールのやりとりをする機会があった。発信元は、前者は大西洋岸の街・ポルトセグーロ(帝国書院の地図帳には載っていない街なのよね)で、後者がチベット自治区の中心地・ラサから。
今となっては当たり前のことなんだろうが、自分もこのような遠距離のやりとりをするほどになるとは、とその2地域からのメールを読んで今更感慨深くなったりする。と同時に、自分の居場所と実際には数千km離れている相手方との距離感もなんだかよくわからなくなってくる。
国外の旅はインターネットの普及によってかなり様変わりしてきた、というのは近年の旅行業界ではよく聞く話だが、今回のように近所にいるのに近い感覚でやりとりできることがわかると、たしかにそうだな、と改めて思う。
ここ数年は旅先からウェブサイトやブログをマメに更新している旅人もたくさんいる。でもこの行為については旅を「表現」するという意味では人によって功罪の意見は分かれるだろうけど、まあそれでもこんな時代になっちゃったんだなあ、と僕もおおむね受け入れてはいる。
うーむ、僕もいずれは、国内ではそこそこ行なっているブログの更新を国外から行なう状況になるのだろうか。今のところは適当に構えていて、どちらかと言うとあまり積極的に更新する気はないんだけど。というか、旅を「自分が楽しむ」ことと「他者に伝えること」の比重を考えるとやはり前者に重きを置きたいし置くべきだし(僕としてはその割合は9:1か8:2くらい)、まだまだ国内の旅のほうが依然面白いし。
まあ、なるようになるか。
ちなみに、チベット・ラサにいるのは大学時代の後輩だったりするのよね。
今年3月の暴動発生以降はきな臭くなってきて6月までは外国人の入域を拒んでいたこの街に、外国人向けのツアーや報道ではなく個人で、しかも人気の青蔵鉄道などの公共交通ではなく自転車旅として北方のゴルムドから自走して、途中の検問を計画的に越えたりしながら先週入りやがった。
まだこの北京五輪の時期でも、というかこの時期だからこそ? 街の警備は昨年までに比べるとかなり強化されているなかで人力移動でラサに入ったというのは、チベットの専門家もベタ褒めするくらいに珍しいことだ。
一部報道では外国人・日本人問わず旅行者はもうツアーでちらほらラサ入りできるようになっているらしいが、この時期に自転車で到達したのは彼だけではないかな。もしほかの国のチャリダーもいたとしても、日本人はなお珍しいか。
今後、チベットで高地ならではの頭痛をやりすごしながら旅する本格派チャリダー(自転車乗り)はまた増えてくるのかな。今後の動向も楽しみにしよう。でも彼は来月あたりからPCなんかとても使えないような、さらに荒涼とした土地を目指すようだけど。
僕は基本的にアナログ的な原始メール派のために自分が旅先から、もしくは旅の最中の旅人とのメールについては一昨年くらいまではそんなに積極的にやりとりしてこなかったのだが(特に携帯電話・PHS類ではなくPCのほう)、一昨年にブログを開設したのに伴って徐々に使うようになってきた。今では公私ともに文書や画像もそこそこ送受信するようにもなった。
まあこの慣れの遅さ? は、PCに慣れてきたというかウィルスなどのPCの安全性にまつわる諸問題が僕のなかで徐々に解消されつつあるからなのだが。
で、そろそろ慣れてくると、国内はもちろんのこと国外でもインフラが整っていれば世界じゅうどこでも、しかも電話と違ってほぼ無料で迅速に文章やら写真やら動画やらをやりとりできるのは凄いことだ、と今更ながら実感しまくっているところ。遅い?
今はネパール・パキスタンヒマラヤの高所登山や毎年の南極観測隊でも毎日のようにふつうにやりとりできるし(特に先月も触れた、竹内洋岳氏のブログで今夏の8000m峰2座登頂の詳細が各種媒体の報道よりも速く正確にわかる、南極・昭和基地から取材記者がブログをほぼ毎日のように更新できるのは凄いな、とか)。時代は変わったんだねえ、と目を細めてつい遠くを見てしまう。
時代の流れによる進歩というか便利さにはあまり執着しない僕も、メールに関してはデジタルカメラと同様にかなりの恩恵を今後も授かるだろう(主に「安さ」の面で)、と確信している。通信速度や速報性を重視したり音声のみの場合にはまだ衛星電話のほうが分があるだろうが、安さを考えるとねえ。
それで時期的には偶然なのだが、今月に入ってからちょっとした用件でブラジルと中国・チベットを旅している旅人とメールのやりとりをする機会があった。発信元は、前者は大西洋岸の街・ポルトセグーロ(帝国書院の地図帳には載っていない街なのよね)で、後者がチベット自治区の中心地・ラサから。
今となっては当たり前のことなんだろうが、自分もこのような遠距離のやりとりをするほどになるとは、とその2地域からのメールを読んで今更感慨深くなったりする。と同時に、自分の居場所と実際には数千km離れている相手方との距離感もなんだかよくわからなくなってくる。
国外の旅はインターネットの普及によってかなり様変わりしてきた、というのは近年の旅行業界ではよく聞く話だが、今回のように近所にいるのに近い感覚でやりとりできることがわかると、たしかにそうだな、と改めて思う。
ここ数年は旅先からウェブサイトやブログをマメに更新している旅人もたくさんいる。でもこの行為については旅を「表現」するという意味では人によって功罪の意見は分かれるだろうけど、まあそれでもこんな時代になっちゃったんだなあ、と僕もおおむね受け入れてはいる。
うーむ、僕もいずれは、国内ではそこそこ行なっているブログの更新を国外から行なう状況になるのだろうか。今のところは適当に構えていて、どちらかと言うとあまり積極的に更新する気はないんだけど。というか、旅を「自分が楽しむ」ことと「他者に伝えること」の比重を考えるとやはり前者に重きを置きたいし置くべきだし(僕としてはその割合は9:1か8:2くらい)、まだまだ国内の旅のほうが依然面白いし。
まあ、なるようになるか。
ちなみに、チベット・ラサにいるのは大学時代の後輩だったりするのよね。
今年3月の暴動発生以降はきな臭くなってきて6月までは外国人の入域を拒んでいたこの街に、外国人向けのツアーや報道ではなく個人で、しかも人気の青蔵鉄道などの公共交通ではなく自転車旅として北方のゴルムドから自走して、途中の検問を計画的に越えたりしながら先週入りやがった。
まだこの北京五輪の時期でも、というかこの時期だからこそ? 街の警備は昨年までに比べるとかなり強化されているなかで人力移動でラサに入ったというのは、チベットの専門家もベタ褒めするくらいに珍しいことだ。
一部報道では外国人・日本人問わず旅行者はもうツアーでちらほらラサ入りできるようになっているらしいが、この時期に自転車で到達したのは彼だけではないかな。もしほかの国のチャリダーもいたとしても、日本人はなお珍しいか。
今後、チベットで高地ならではの頭痛をやりすごしながら旅する本格派チャリダー(自転車乗り)はまた増えてくるのかな。今後の動向も楽しみにしよう。でも彼は来月あたりからPCなんかとても使えないような、さらに荒涼とした土地を目指すようだけど。