goo blog サービス終了のお知らせ 

思考の7割と収入の3割を旅に注ぐ旅人の日々

一般的には遊び(趣味)と見下されがちな「旅」も、人生のなかでやるべき「仕事」である、という気概で旅する旅人の主張と報告。

今更ですが、旅絡みのメールって便利ですね

2008-08-12 22:00:20 | 他人の旅話
メールといえば、原始メール(ハガキ・封書)や格安? のクロネコメール便ではなく、もうすっかり世間一般に浸透している電子メールもしくはeメールの、最近の旅に関する話。

僕は基本的にアナログ的な原始メール派のために自分が旅先から、もしくは旅の最中の旅人とのメールについては一昨年くらいまではそんなに積極的にやりとりしてこなかったのだが(特に携帯電話・PHS類ではなくPCのほう)、一昨年にブログを開設したのに伴って徐々に使うようになってきた。今では公私ともに文書や画像もそこそこ送受信するようにもなった。
まあこの慣れの遅さ? は、PCに慣れてきたというかウィルスなどのPCの安全性にまつわる諸問題が僕のなかで徐々に解消されつつあるからなのだが。

で、そろそろ慣れてくると、国内はもちろんのこと国外でもインフラが整っていれば世界じゅうどこでも、しかも電話と違ってほぼ無料で迅速に文章やら写真やら動画やらをやりとりできるのは凄いことだ、と今更ながら実感しまくっているところ。遅い?
今はネパール・パキスタンヒマラヤの高所登山や毎年の南極観測隊でも毎日のようにふつうにやりとりできるし(特に先月も触れた、竹内洋岳氏のブログで今夏の8000m峰2座登頂の詳細が各種媒体の報道よりも速く正確にわかる、南極・昭和基地から取材記者がブログをほぼ毎日のように更新できるのは凄いな、とか)。時代は変わったんだねえ、と目を細めてつい遠くを見てしまう。

時代の流れによる進歩というか便利さにはあまり執着しない僕も、メールに関してはデジタルカメラと同様にかなりの恩恵を今後も授かるだろう(主に「安さ」の面で)、と確信している。通信速度や速報性を重視したり音声のみの場合にはまだ衛星電話のほうが分があるだろうが、安さを考えるとねえ。

それで時期的には偶然なのだが、今月に入ってからちょっとした用件でブラジルと中国・チベットを旅している旅人とメールのやりとりをする機会があった。発信元は、前者は大西洋岸の街・ポルトセグーロ(帝国書院の地図帳には載っていない街なのよね)で、後者がチベット自治区の中心地・ラサから。
今となっては当たり前のことなんだろうが、自分もこのような遠距離のやりとりをするほどになるとは、とその2地域からのメールを読んで今更感慨深くなったりする。と同時に、自分の居場所と実際には数千km離れている相手方との距離感もなんだかよくわからなくなってくる。

国外の旅はインターネットの普及によってかなり様変わりしてきた、というのは近年の旅行業界ではよく聞く話だが、今回のように近所にいるのに近い感覚でやりとりできることがわかると、たしかにそうだな、と改めて思う。
ここ数年は旅先からウェブサイトやブログをマメに更新している旅人もたくさんいる。でもこの行為については旅を「表現」するという意味では人によって功罪の意見は分かれるだろうけど、まあそれでもこんな時代になっちゃったんだなあ、と僕もおおむね受け入れてはいる。

うーむ、僕もいずれは、国内ではそこそこ行なっているブログの更新を国外から行なう状況になるのだろうか。今のところは適当に構えていて、どちらかと言うとあまり積極的に更新する気はないんだけど。というか、旅を「自分が楽しむ」ことと「他者に伝えること」の比重を考えるとやはり前者に重きを置きたいし置くべきだし(僕としてはその割合は9:1か8:2くらい)、まだまだ国内の旅のほうが依然面白いし。
まあ、なるようになるか。

ちなみに、チベット・ラサにいるのは大学時代の後輩だったりするのよね。
今年3月の暴動発生以降はきな臭くなってきて6月までは外国人の入域を拒んでいたこの街に、外国人向けのツアーや報道ではなく個人で、しかも人気の青蔵鉄道などの公共交通ではなく自転車旅として北方のゴルムドから自走して、途中の検問を計画的に越えたりしながら先週入りやがった。
まだこの北京五輪の時期でも、というかこの時期だからこそ? 街の警備は昨年までに比べるとかなり強化されているなかで人力移動でラサに入ったというのは、チベットの専門家もベタ褒めするくらいに珍しいことだ。
一部報道では外国人・日本人問わず旅行者はもうツアーでちらほらラサ入りできるようになっているらしいが、この時期に自転車で到達したのは彼だけではないかな。もしほかの国のチャリダーもいたとしても、日本人はなお珍しいか。
今後、チベットで高地ならではの頭痛をやりすごしながら旅する本格派チャリダー(自転車乗り)はまた増えてくるのかな。今後の動向も楽しみにしよう。でも彼は来月あたりからPCなんかとても使えないような、さらに荒涼とした土地を目指すようだけど。

「シール・エミコ支援基金」に賛同

2008-08-01 20:00:18 | 他人の旅話
2007年11月18日の投稿でも触れた、(自転車業界ではかなり名の通った)細切れで自転車地球一周中でゴール目前のシール・エミコ&スティーブ・シール夫妻が、今年は来月から来春にかけて東アジアを走破して日本にゴールするというその最後の完結の旅の準備を進めてきたのだが、そんな矢先に大きな問題が再び発生。
エミコさんの数年前に治療したがん(子宮がん)が、6月に再発したのだ(厳密にはそこからの転移)。
これはこの1か月ほどのあいだは各種媒体ではあまり出ていなかった話かもで、最近ようやく、エミコさんが今春まで連載を持っていた雑誌『CYCLE SPORTS』08年8月号で少々報じられたくらいかな。最近はチェックしていないけど、数年前から夫妻を追跡取材しているテレビ『NEWS23』では扱ったのだろうか。

僕はこの話は地平線会議の線で6月中旬から知っていて、たまたまちょうどこの時期に、日本にいる普段は奈良県内の山奥で“地球ド田舎暮らし”をやっている夫妻宅に行く機会があった友人ががん再発直後のエミコさんの生活ぶりを撮影したデジカメ写真も先日見せてもらったのだが、うーむ、お天道様は何も悪いことをしていない朗らかなこのお姉さんにどこまで試練を与えれば気が済むのだろうか、と複雑な心境でその写真に見入った。

エミコさんは今後は9月から予定していた旅はもちろん延期して治療に再び専念するわけだが、そのさいに治療方法を以前の放射線治療とは別のカタチで行なうことになりそうで(放射線は身体に負担がかかるのでもう使わないほうがよいとか)、そうなると治療費が相当かかるのだそうだ。しかも治療以外にも個人的な諸問題が山積み状態。
そこで、旅の装備面や、会員向け機関誌『OUTWARD』の連載「Ride for Life」でお世話になっているモンベルが、エミコさんのがん治療支援のための基金を先月立ち上げた。支援金の振込先やメッセージの送り先などの詳細はモンベルのウェブサイト内の「シール・エミコ支援基金」専用ページに詳しいので、興味・関心のある方はこちらを参考に。
自転車関係(主にJACC)の仲間のウェブサイトやブログでもこのページのリンクを張っているのはよく見かけるので、そちらからアクセスしても良いでしょう。
ちなみに、僕も毎号欠かさず読んでいるこの連載も、治療専念のために休載するとのこと。本人は毎号ここに書けることがホントに楽しみで、今回で連載が途切れることを物凄く残念がっているんだって。

それで、旅人の端くれの僕も何かできないものかと思い、とりあえずこの基金に賛同することにした。先日の埼玉県・川口でのフリーマーケットの売り上げの一部を、近々そこに入金するつもり。金額はいくらにするかの配分はまだ考え中だが、現状は“下流”状態で微々たる金額しか出せないが、それがどのくらい今後の治療と旅に役立つかはわからないが、こういった(人命にかかわる)自転車旅の先輩を支援するということは夏季・冬季五輪以上に参加することに意義があるはず。

実際にエミコさんにお会いしても、自転車に乗っているとき以外でもただでさえ面白い(コテコテの関西人気質の)お姉さんであるし、これまでの旅とがん治療の経過を見て考えても、同じ人力派の旅人としても見過ごすことはできない。
せっかく十数年かけて紆余曲折を経ながらもあと少しで地球一周旅を完遂できる、というところまで来ているのだから、やはりそれをぜひ達成してもらいたいし、その様子をいちファンとして見届けたいので、基金に賛同した。

なお、今後のエミコさんに関する情報は自身の公式ブログよりも、エミコさんと仲の良い自転車仲間や地平線会議の関係者から聞くほうが早いし詳しいはずなので、より深く知りたい方はそういったエミコさんの友人知人にあたってみては? 僕も今後は主に後者を頼りにして、コトの行方を見守ることにする。

アライテントへ片道30分の修理行

2008-07-21 09:00:19 | 他人の旅話

先日、某友人の所有するテントのフレーム(メーカーによっては「ポール」とも呼ぶね)のうち1本が折れた、修理したい、という旨を聞いたのだが(上の写真参照)、以前に某登山用品店の商品管理を2年ほど経験していてそのなかで修理品の受付も少々担当していた僕としては、その当時に見られそうでなかなか見る機会がなかった症例なので興味深く、それを預かって見せてもらい、修理することになった。機種は、日本を代表する山岳テントメーカーであるアライテントの「トレックライズ0」。完全に1人用で、しかも約6年使ってきた結構年季の入っているやつ。

このテント、硬軟問わず主に登山者向けの商品を提供し続けるこのメーカーにあって、もう少しハードルを下げて山頂を積極的に目指さないトレッキングや平地の徒歩旅にも使えるややお手軽な仕様で、しかも軽量で(1.25kg)、各種野遊び人に数年前の発売からウケは良いらしい。最近も、ムック『自転車人』No.12の中盤で紹介されているように映画監督の(でもここ数年は本職よりも北海道の冬季自転車旅に傾倒している)平野勝之氏も自転車旅で愛用しているように自転車乗りが携行している事例も増えている、と思う。つい先日も、自転車乗りの知人が同モデルを他メーカーのテントと比較検討したうえで最終的にこれを選択して購入した。徒歩旅の多い僕も、金銭的に余裕があればこれが欲しいと常々思っている。
軽い装備って、それだけで大きな特長なんだよね、特に行動中は使っている時間よりも使っていない時間のほうが長いテントや寝袋の場合は。

それで先週、要修理状態のこのフレームについてアライテントに直接問い合わせたところ、ふつうに小売店経由で受け付けてもよいが会社へ直接持ち込んでも対応してくれるとのことで(ただし昼休み時間は除く)、会社の住所を見ると埼玉県・東所沢なので僕の地元から自転車で30分、徒歩でも1時間くらいで行ける距離にあり、小売店に出すよりも自分で持ち込んだほうが話は早そうなので、先週末に自転車で直接行ってみた。だから本稿タイトルの時間は、僕の住まいからアライテントまでの片道の移動時間が30分、ということ。

実際に行ってみると、JR武蔵野線・東所沢駅も近いちょっとした倉庫街の一角にあり、その付近の道路は所沢市街や西武ドームへ行くときなどに度々通過しているのだがこのメーカーの所在にはこれまでまったく気付かずにいて、ああしまった、こんな近いところにあるのかー、とまず驚いて後悔もした。白地に橙色の文字の看板を思いっきり見落としていた。

外観はいかにも古くからある家内制手工業的な町工場といった風情で、従業員規模も20名以下という感じか、と見た目でまず思った。以前に山岳雑誌『岳人』でこの社内の仕事風景を取材していたイラスト記事を読んでいて内部の雰囲気はなんとなく知っていたが、実際に入口を開けて従業員の方にモノを預けて修理の旨を伝えてその場で待つためにパイプ椅子を用意してもらってそれに座ってひとしきり落ち着いてから工場内を見渡すと、テントメーカーだけに作業のための大きな平台があったり生地があったり、奥のほうには数々の商品の在庫が棚にびっちり収まっていたりして、野外道具好きの僕としては大興奮。入口左側にタイムカード、右側に下駄箱とサンダルがいきなり目に飛び込んでくるのもいかにも町工場らしい。

それに僕もこのメーカーの、主にかなり厳しいヒマラヤ登山や国内でも冬季の登山や自転車旅などにもよく使われている(やり方によってはフライシートを張らずにあまり手間をかけずに使える)「ゴアライズ1」を約10年使っている顧客でもあるので、普段からよくお世話になっているメーカーの秘密基地とも言えなくもない内部事情を目の当たりにして興奮しないわけがない。なんなら靴を脱いで上がり込んで、社内をつぶさに見学したいくらいだ。

今回はトレックライズ0のフレーム交換(一応はレアメタルの一種であるスカンジウム含有のもので、旧来のジュラルミン製フレームよりは少々軽量化されているやつ)のほかに、約2年前からバカになっている僕のゴアライズ1の入口の、ファスナーのスライダー交換もついでに依頼してみた。フレームのほうは交換方法がウェブサイトで図解で紹介されてもいてフレームの仕組みは知っているので、部品だけ買うことができればあとは自分でやろうと思えばできるが、そこはせっかく目の前に本職の方がいるのだからお任せしたほうが早く済むに決まっているので、遠慮なくお願いした。
で、結局、待つこと約20分でそのふたつの修理があっさり完了し、拍子抜け。フレームのほうは1か所でも折れていたらテントの生地がちゃんと張れないし(まあ現場で折れても「リペアスリーブ」とテープ類があれば応急処置はできるが)、前々から気になっていたファスナーのほうも閉めたとたんに閉めたところがジジジと開いていく様子に辟易していたのだが(特に夏場の平地では蚊が侵入しやすくて困る)、そんな悩みがこんな短時間で一発で解決して、ああ、持ち込み修理ってスバラシイ、と改めて思った。うー、こんなことならもっと早く診てもらえばよかった。

料金も、その場で伝票を作成してもらい、ほかにフレームまわりの部品を2点買ったりもしたうえでの合計が3000円となり(というか、消費税込みでキリの良い金額になるように調整して数十円おまけしてもらったのだが)、部品代とは別途で技術料を取られることもなく交換・購入した部品のみでこの価格となった。フレームはバラを3本分交換してもらい(折れが1本、極端な曲がり癖がついているのが2本。でも、ある理由で2本分の価格にまけてもらった)、スライダー交換のほうも1200円程度で済み、これでまた不安なく野外のあちこちでテントを張れるのならば安いもんだろう、と納得。

よくよく考えると、最近の旅や登山関連の友人知人でもトレックライズ・ゴアライズシリーズも含めてこのメーカーのテントを愛用している人を即座に顔が思い浮かぶだけで7、8人挙げられるくらいにアライテント率は高いので(僕が知っている範囲内でのテント所有者の約7割。実はアライテントで製造している某登山用品店オリジナルのテントも含む)、修理も意外にやりやすいことを吹聴しようかな。

それに、このメーカーでは近年は各種要望に応じた改良・特注品の製造も盛んで、最近目立つところでは例えば、日本人初のヒマラヤ8000m峰全14座登頂を目指していて8日に10座目(ガッシャブルム2峰。8035m)に登頂した竹内洋岳(たけうち・ひろたか)氏の入口をもう1か所追加するなどした高所登山仕様の「ヒロモデル」とか、トレックライズ0のフライシートを少し大きめに設計して軽量感を損なわずにストック(トレッキングポール)を立てて前室を広げられるホーボージュン氏の「ホーボーズ・ネスト」とか(後者は昨年6月に実物を見たことがある。昨秋に雑誌『BE-PAL』で100張限定で発売したら、すぐに売り切れたそうで)。
そんな特殊な事情にも対応してくれる、野外業界においては世界に誇れる良質の製品を提供し続けている技術屋集団が距離的に身近にあることは、ホントに幸せなことである。えっへん、と他人事ながらつい誇らしい気分にもなる。全国のアライテントユーザーの方々、うらやましいでしょう。

今回はこの会社内に滞在したのは正味30分弱という、予想外にあっさりとした修理行であった。僕としては地元から距離的に近いし、こんなに行きやすいのであればテントをもっとバンバン手荒に扱って頻繁に修理に持ち込めるな、と改めて精神的な安堵感も得ることができ、より一層アライテント信奉者ぶりに拍車がかかったのであった。今後もアライテントの回し者と呼ばれようとも、ここ一筋でいくつもり。

まさか『探険倶楽部』が復刊するとは

2008-07-18 10:00:11 | 他人の旅話

15日、ふつうにいつもどおりに雑誌『山と溪谷』08年8月号をチェックしていたら、いきなり興味深い広告が目に付いた。
よく見ると、1995~96年に青人社から刊行された『探険倶楽部』が山と溪谷社から“ヤマケイ”の増刊号として、誌名もちょこっと変更して『探険倶楽部AGAIN』として復刊されたとのこと(Vol.1)。ノーマークだったので、腰を抜かすほどではないがびっくらこいた。

これ、ちょうど僕が大学生時分で山でも川でも島でもどこでもいいからとにかくあちこちに旅立ちたい! という意欲が最も盛んだった頃に4冊発刊されたからよく憶えていて、いつの間にか休刊? してしまい、残念だなあ、1号からもっとマジメに買って読んでおけばよかったなあ、買ったのは最後の4号(上の写真の左側。この号は「北海道・知床岬へ海岸沿いを徒歩で進んで到達する」という特集に惹かれて買った)だけだったし、とその後時折4号を引っ張り出して眺めてはしきりに溜め息をつきながら後悔していたので、このたびの復刊は超嬉しい。復刊、しかも山と溪谷社に鞍替えして救済的? に復刊するとはいったいどういうコトの運びだったのだろうか?

まあそんな台所事情の詮索は置いておいて、数ある旅・登山・自転車・カヌー・スキーなどの野外系専門誌とはまた違った視点からの探検的な、でもそんなに大学探検部っぽい学術的なお堅い話は少なくて独創性のある行為の結果や考察についての記事が多く目立って、それらとはまた異質の面白さがある雑誌なのだが、今後もそんな体でいくのだろうか。だったら期待していこうじゃあないか、と鼻息荒くいきなり2冊買って(1冊1200円とやや高いけど)絶大なる信頼を寄せることにした。でも、かなりマニアックな雑誌なので採算取れるのかなあ、というのが少し気がかりではあるが。
ただ、巻末の制作スタッフの一覧を見ると、主にフリーで活動している方が集まって創っている感じなので、ヤマケイは出版のための場所を提供しているだけ、という感じなのかな(この野外業界? でフリーか勤め人かは人名を見ればだいたいわかる、という僕もある意味マニアックな人種なのだろうか。また、“ヤマケイ”に関しては勤め人のほうもいくらかわかる)。

ちなみに、この誌名では一般的な「探検」ではなく「探険」と表記しているのだが、その理由については冒頭で“隊長”が触れているし、後半のモノクロページでもそのふたつの表現に関する考察がなされているので、その疑問は雑誌をひととおり読み進めていけば解決するはず。これを考察しているおじさんもまた面白いひとなので、機会があれば一度は生でかかわってみるとよいかもしれない。まあ僕はこのひとが毎月出没する場所をよく知っているんだけど。

今回の復刊号を見ると執筆陣も豪華で、しかも僕がここ数年見知っているひとたちも結構書いている(なかには毎月のように会っている人もいる)。しかもやはりその人選は各種専門誌のような偏りがなく、ごった煮的な雰囲気があって面白い。この人選を見ると今後も何かやってくれそうな期待感はある。
なお、この復刊号の5ページの目次でその執筆陣を見て、僕だけでなく、あれ? このひらがな表記のひとは誰? とつい目線がそこに行ってまずは気になってしまうひともいるかもしれない。まあこれが誰のことなのかは本誌とウェブサイトで要確認ということで。この話はまったく聞いていなかったぞ。まあいいや。

というわけでこの雑誌、強力にお薦めしたい。早速、モニター応募しようかな。

最近、今週末からついに銀座で出店の「放浪書房」も含めて知り合いの媒体露出が多いぞ

2008-07-11 23:59:36 | 他人の旅話

最近の自分以外の旅関連の特に目立ったできごととして、10日発売の『BE-PAL』08年8月号のなかの石田ゆうすけ氏の連載「リアル旅人図鑑」(158~159ページ)に、本ブログ左側にもブックマークしている「放浪書房」の店主・とみー氏(以下、とみー)が実名で登場している、というのがある。
この連載では同年2月号に登場した『野宿野郎』のかとうちあき編集長に続いて濃ゆい知り合いがまたもや登場し、うーむ、僕の周りは(石田さん経由ではあるけど)みんな最近面白いし勢いもあるよなあ、と記事を読みながらつい唸ってしまった。
放浪書房とはなんぞや? とその実態が気になる方は、直ちにこの記事をお読みくだされ。

また、このページ下段でも告知されているのだが、11日から東京都・銀座一丁目の東急ハンズ銀座店9階南側の自転車売場のそばに放浪書房が期間限定で出店していて、今日の夕方に見に行ってきた。上の写真がその様子。
まあおおまかに何を出品しているのか、なんで今回は銀座というお洒落な一等地で出店することになったのか、などの詳しい情報はビーパルの記事とブログ「旅する本屋な毎日」を併読していただけると幸いである。

今日はまだ初日で平日だったこともあってか来客は少なく、しかも出店地が高級感漂う銀座ということで土地柄を考えると普段の来客はどちらかと言うと女性のほうが圧倒的に多いだろうし、そこでは場違い? な旅道具や旅本に興味のある方の来店は見込めるのだろうか、ということからとみー本人もあんまり客来ないよー、と漏らしていつもの快活さがなくやや弱っていたが(しかも普段の旅色の濃い野外での出店と違って屋内なので、それで本調子ではないことも影響しているのかもしれない)、まあ12~13日の週末は来客がもっと見込めるのではないか。
普段販売している本類以外にもこの催事のために用意した限定品もあり、これは特に海好きには見逃せない一品だと思うので、こちらも見に行くだけでも面白いかも。まあそれも含めて何かしらを買って放浪書房の売り上げに貢献できたらなお良いけど。
でもそれ以前に、とみー本人が性格も良いし面白いので、ビーパルを読んで興味が湧いた東京近郊の方はこのさい行って直接会ってたしかめてみる価値はあると思う。

それと、この催事は11~13日に力を入れてとみーが東急ハンズの営業時間内は終日特設コーナーに張り付いて手売りするほかに、ブログにもあるとおりに目玉として、『野宿野郎』と『旅と冒険』のふたつのミニコミの編集長が来店して自ら手売りする、というのもある。
で、それをいつやるのかと訊いたところ、別々の日にやる予定だったがいろいろ事情があって2誌ともに13日の午後、特に夕方あたりに行なうようだ。ただその詳しい時間はわからないしふたつとも同じ時間にかぶるかもしれないしそうではないかもしれないが、とりあえずこの日に2誌とも行なう、はず。旅好きの方もそうでない方も、こちら目当てで見に行ってもよいかもしれない。僕も行くつもり。

ちなみに、催事自体は13日で終わりではなく22日まで開催するそうで、ほかの日も営業時間内はふつうに出店の様子を観察できて買い物もできるので、まあとにかく時間があれば、銀座に出る機会があれば一度行ってみては? 店頭の手書きPOPを見るだけでも楽しいかと。

そういえば今回のビーパルの記事を読んで改めて思ったが、特にここ1年で僕の旅関連の知り合い(顔見知り程度のひとから、サシ=僕と1対1で遊んだり呑みに行ったりするくらいの「友達」と呼んでもよいひとまで様々)の媒体露出が相次いでいる。まあ当然ながらそれは野外系の媒体が多いのだが、代表的なところでは月刊誌『BE-PAL』『山と溪谷』『岳人』『CYCLE SPORTS』『ソトコト』、ムック『ヤマケイJOY』『自転車人』『自転車生活』、フリーマガジン『R25』『フィールドライフ』、モンベルの会員向けの機関誌『OUTWARD』、朝日新聞、産経新聞あたり。このほかにも一般誌でもちょこちょこ見かけるし。
ほぼ毎月、知り合いの誰かしらがどこかの媒体に登場していて、最近は彼ら彼女らが頻繁に登場するのを見てもあまり驚かなくなって慣れてきた。
そのなかでも『野宿野郎』の勢いが特に凄く、今年は年始から各種出版物のほかにも週刊誌、テレビ(民放キー局)、ラジオ(FM・AM)の出演による露出も多い。一般人の僕としては指をくわえていいなあ、うらやましいなあ、としきりに思いながらそれらを受け取っている。

今年下半期もいろいろな動きはありそうだ。僕にもそのうちお鉢がまわってこないかなあ。1日の投稿でも触れた産経新聞の記事のような他人の土俵で相撲を取っている感じではなく、僕への単独取材も随時お待ちしております。僕自身は面白おかしいことは喋れないし書けないけど、代わりにそれぞれの企画意図に沿う方も場合によっては紹介できるかもしれません。そんな知り合いの裏情報も含めて、僕の(主に人力移動の)旅関連のアナログ的な人脈と情報量は各種取材でも結構役に立つかもしれませんよ(まあその点に自信があるからこそ、旅話主体の本ブログをやっているわけで)。

おきらく女子旅的な新感覚の京都案内

2008-03-24 10:30:16 | 他人の旅話

22日夜、僕も拙著『沖縄人力紀行』(彩図社刊)の販売でいつもお世話になっている東京都はジュンク堂書店池袋本店で行なわれたトークセッション「おきらく女子旅のススメ」を聴きに行った。ゲストは、国内外の旅関連のイラストと文筆を手がける松鳥むう(まつとり・むう)、とまこ、の両氏。
今回はお題が「女子旅」ということで、そんなに堅くない女子目線からの旅の話で、これまではどちらかというとお堅い旅話のほうを好んでいた僕としても、こんな旅の見方ややり方もあるのか、とおおいに参考になった。50名超の出席者を見てもたしかに女子率が高かった。

で、僕が特に注目したのはトークセッションでは後半に喋った松鳥さんのほうで、上の写真にもある最近出版の旅のイラスト本「ちょこ旅京都 おさんぽ気分でまち歩き」(アスペクト刊)もこの場で買い、サインももらった。
これまでに僕のなかでは京都という場所は旅先としては国内外問わずあまりに有名すぎて敬遠してきたのだが、2、3年前から京都市内で自転車による観光や1泊2500円前後のゲストハウス(安宿)が流行っているという情報を小耳に挟んだり、面白い店もたくさんあることも知り、さらに調べてみると僕好みのカレー店も結構多く、と改めて考えると30代になった今になってこの地の古くからの「古都」という印象とはまた違った京都らしいいろいろな物事を新たに発掘するのも楽しいかも、と思うようになってきた(近所の奈良も同様)。

これまで敬遠してきただけに京都に関しては疎く、その記憶も中学3年時に修学旅行で訪れたときのままでほぼ止まっている。一応そのときに清水寺、金閣寺、銀閣寺、二条城、平安神宮のような主要な文化財は巡ってはいるが、さすがに中学生時分で歴史が云々というのは頭に入りにくいから、少しはオトナになった今改めて再訪し直したらいくらか面白くなるはず、と調べていくうちに京都への意欲も日に日に増しているのよね。
京都には昨年1月にも、左京区白川通沿いの「ガケ書房」に拙著でお世話になるために行ったりして1日だけ歩いたことは歩いたのだが、それだけではやはり時間は足りないので、松鳥さんがこの本の取材でゲストハウスを拠点に長期滞在しながらあちこち巡ったように、京都は滞在型の観光のほうが得策かもしれない。まあ僕の場合は泊まりは野宿主体になるだろうけど。市内には他地域よりも銭湯が多く残っていて助かるし。

そんななかこの京都本の出版ということで、タイミングがメチャメチャ良いではないか、と偶然の出合いにちょっと驚く。京都というともう超有名なだけに各種媒体で情報が溢れまくっているが、女子目線のイラストで市内各地の情報を紹介していく、という手法がこれまでになく新鮮にも思い、少し読んでみるとたしかに女子にはおおいにウケそうな雰囲気の本に仕上がっているな、と僕としても好印象。これ、ウケが良ければ『こげぱん』のように今後も京都以外の各地に手を広げてシリーズ刊行していく可能性もありそうだ。

また、松鳥さんは左のブックマークにある「旅する本屋な毎日」の「放浪書房」店主・とみー氏の友人ということで、彼のこのブログや雑誌『島へ。』の連載「ダイビング事始め」を経由して彼女のことは1年ほど前から存じ上げているのだが会ったことはなく、昨年から興味はあった。
それでこの催しでようやく実際に旅話を生で聴くことができ、最近僕がよくかかわっている野宿関連の女性陣に負けず劣らずの強い個性を放つ面白い娘さんであることはよくわかった。ということで、今後も彼女と彼女のイラストに注目し続けていくことにする。

催しのあとの本のサイン会では時間がなくてあまり喋れなかったが、国家資格である看護師を辞してまでしてなぜ絵で食べていくことになったのか、僕も好きな沖縄やネパールに関してのこと、滋賀県出身だそうだがその地元や最近人気の彦根城のゆるキャラ“ひこにゃん”にどういった印象を持っているかなど(僕は1995年に琵琶湖の周りを徒歩で一周したこともあって、滋賀県の地理には詳しいつもり)、気になる点はまだたくさんある。またの機会に問い詰めてみようか。

とりあえずこの本を片手に今度、京都市内をゆるく散策してみようかな。特に109ページの、舞妓さんが来る銭湯というのは物凄く気になる。下心は取っ払って、近いうちにぜひ見に行きたい。

毎度毎度、感動よりも嫉妬の『グレートジャーニー』

2008-03-22 12:00:03 | 他人の旅話
昨夜、テレビ『グレートジャーニースペシャル 日本人の来た道』を観た。
いやー関野吉晴氏、相変わらずブータンや中国で自転車漕いで、雪山を登って、馬に乗って、ゴムカヌーでメコン川の上流域を下って、シーカヤックで朝鮮海峡を横断して、さらには所々で医療活動もして、と濃い内容の旅であるね。

一応、昨年5月の地平線会議の報告会で今回の「南方ルート」の旅の大筋は知っていたが、改めて映像を観ると今回は当然というかなんというか計画どおりに旅が進まないことがよく挙げられていて、でもそんななかでも少女の足の治療につてを辿って奔走するように自分のやるべきことはきっちりこなしているところが毎度のごとくカッコイイのであった。

ただ、番組では最後のほうに触れていた報告会のあとの昨年8月に行った北朝鮮のことは初耳で新鮮で、結局は監視付きで自転車で合計12kmしか走れなかったが、テレビカメラ付きでああいったことが許可を得たうえでできたというのは今の日朝関係を考えるとかなり革命的なことかもしれない。平壤では人がふつうに出歩いている様子も撮っていたが、あれは大丈夫なのかな。
でも、各地での出会い・出合いを大切にする自転車を漕いでいた関野さんとしてはそれができないことに憮然とした(と僕には見えた)表情だったのが印象的であった。

あと僕個人的に(ややマニアックかもしれないが)ひとつ引っかかったのは、メコン川源流域の登山のところで関野さんがグレゴリーのザックを背負っていたことで(よく見ると、堀田貴之・シェルパ斉藤両氏なども使用していた2006年までのモデルの「リアリティー」かな。現行の「トリコニ」とほぼ同じ大きさ)、これまでの装備面の援助ではモンベルとオンヨネの製品が目立っていたのに、アジア旅なのに近年流行りのアメリカ産のグレゴリーですか、とちょっと驚いた。関野さんまでもがグレゴリーに手を出すとは、とグレゴリーの大型ザックには(高価なので)あえて手を出さずにいる僕としては軽くショックを受ける。まあ良質のザックだからいいんですけど(でも自転車に乗っているときには国産のダックスのやや小さめのザックを使っていたのでまあいいか)。

で、僕は『グレートジャーニー』を観たあとには毎回凹む。この番組では良い風景もたくさん映し撮っていたりしておおいに感動しそうなところをそれはなぜかというと、僕よりも何かと忙しいはずの関野さんがあれだけの濃い内容の旅をここ十数年毎年できていることで、農業に例えると大規模経営的でかつ有機栽培もできている感じの関野さんよりも、アイガモ農法をやりたいけれども(それをやるためのアイガモすら飼えない・買えないくらいに貧しくて)ままならない小作農風情の僕のほうが時間はたっぷりあるはずなのに、なぜあのような壮大な旅ができないのか、と毎度毎度嫉妬するのよね。
これまでの実績や経済力の違いもあるだろうけど、でも最も肝心なのはやる気の問題なのかなあ、と昨夜の放送後から今朝までまた考え、悩み、寝不足になった。『グレートジャーニー』の放送後は毎回こんな感じで翌朝まで地図帳を広げながら悶々とする。

でも毎回結局は、僕は特に国内の旅にこだわり続けているからいいもんね、と結論付けている。しかし内心、この番組や地平線会議の場で世界各地を旅する人々の話を聴くたびに嫉妬心とともに悔しさのような複雑な感情もあることはたしかで、その感情を抱きながら指をくわえながら最近も毎月悶々としている。
まあとりあえず35歳くらいまでは、断続的にある仕事をやりすごしながら自分の身の丈に合った小旅をやっていくことになるかなあ、と漠然と思っている。

偶然にも自分好みの話が相次いだ、最近の雑誌連載記事

2008-01-10 11:33:12 | 他人の旅話
先月から今月にかけて、僕が普段からよく読んでいる守備範囲内の野外系雑誌で特に注目すべき記事が相次いだので、触れておく。

まず、2007年12月15日発売の『岳人』2008年1月号で、この号から新連載「備忘録 -語り残しておきたいことども」というのが始まり、どうやら近年の登山業界に貢献してきた重鎮を招いて、これまでの半生と登山事情を踏まえながら未来に向けてぜひ残しておきたい話を聞いてゆくという趣向の連載だ。岳人は今年はアルパインクライミングに回帰するということで、旧来? のヴァリエーションルート方面の話にはやや疎い僕としては、『岩と雪』の頃かそれ以前のことも話題として出てくるのかなあ、と今から楽しみ。改めて勉強し直したい。
その第1回として、野外道具メーカーのマジックマウンテンを立ち上げた国井治氏が登場している。

一昨年も書いたが、現在は僕の地元に拠点があるこのメーカーは僕としても少々思い入れが深いというかここが扱う道具にちょくちょくお世話になっていて、その点から興味深く読んだ。かねてから気になっていた「マジックマウンテン」という社名の由来もなんとなくは聞いたことがあるが、今回の記事でちゃんと認識することができた。
まあ僕だけでなく超有名なところでは、7日夜のNHKスペシャル『夫婦で挑んだ白夜の大岩壁』で取り上げられた、昨夏にグリーンランドの大岩壁「オルカ」を初登攀および初登頂した山野井泰史・妙子夫妻とも縁があり、山野井さんは1994年からこのメーカーの道具をアドバイザーとして使っていて、この番組を観ていてもマジックマウンテンのテント、ロカのロープ、グリベルのヘルメットなどのこのメーカーが製作もしくは輸入代理で扱っている商品を多々使用しているのが目立った。
というくらい、かなりの登山好きには良質の商品を扱っていてよく知れ渡っているメーカーだと思うのだが、それでも巷で比較的有名なモンベルやゴールドウイン(ザ・ノース・フェイスやヘリーハンセンなどのブランドを扱う)に比べると知る人ぞ知るという感じのメーカーなんだろうか。うーむ。このさいもっと憶えておいてほしいメーカーですなあ。

あと本線から少し逸れるが、山野井さんはマジックマウンテンのほかにもエバニューでもアドバイザーを担当しているが(主に輸入代理のムーンストーンのウェアか)、それと併せての年収が300万円? ということなのだろうか。以前何かで読んだときは200万円強程度だと記憶しているが、まあ最近は講演や各種媒体の取材が増え、それに自著『垂直の記憶』(山と溪谷社刊)の重版による印税や雑誌の原稿料などで収入は2002年秋のギャチュンカン以前よりも上積みされているのかもしれない。
それにしても7日の番組でよくもあれだけ自分の登山や普段の生活(や凍傷で失った手足の指の様子)にテレビカメラを向けさせたなあ、以前はあんなこと絶対やらなかったよなあ(1996年にマカルー西壁を単独で登ったときにTBSの取材を同行させたのは好ましくなかった、みたいなことも言っていたし)、と観ていて驚いた“山屋”さんは多いはず。やはりここ数年は山野井さんのなかで自分のやってきたことを伝えたい、という意志がより強まったからなのだろうか。まああくまで番組に自ら「出演した」というよりは取材陣に「映させた」という感じなのだろうけど。
でもいち山野井ファンの僕としては改めて観て、指の大半を失ってもあれだけ凄い登攀ができるのだから(しかも夫婦で)、現在も日本が誇れる世界最強クライマーであることに変わりはない。

次に、2007年12月20日発売の『CYCLE SPORTS』2008年1月号で、この号からシール・エミコ氏の連載再開を含めて新連載が多く始まったが、なかでも僕が気になっているのが新連載のひとつの「本誌・むつみのただいまイベント散歩ちゅ~!」だったりする。
これは編集部の齋藤睦嬢(表記は「むつみ嬢」のほうが妥当か)が各種自転車の催しに参加してその様子を報告するというもので、その第1回が僕も数年前から気になっていた、沖縄本島北部で毎年11月2週目に開催される「ツール・ド・おきなわ」だった。いいかげん観に行きたいのだがなあ、航空会社の割引設定はこの週だけ渋いこともあって(たぶん自転車乗りでこの週だけえらく混む、輪行の自転車が急増して大変、という理由でそうなっているのだと察する)、いまだ行けていないんだよなあ。
まあこの催しは近年は自転車関連以外の各種媒体でも国内最大の市民レースであるとよく取り上げられてきて、ホビーレーサーのみならずプロのほうもツアー・オブ・ジャパンやツール・ド・北海道やジャパンカップと同様の位置付けで結構本気で戦っているようだ。うーむ、一度は生で観てみたい。

で、僕としては昨年の短期集中連載の「ヒルクライ娘(ムスメ)」が好きだったので、実はヒルクライムの大会で女子部門では上位入賞するくらいのかなりやるローディー(ロードバイク乗り)であるむつみ嬢のこの連載もとても楽しみにしている。昨年の連載「ツール・ど・ムサシ」も含めて、これらの催しの参加がホビーレーサーのようにお金にはならない自己満足的な「趣味」ではなく、取材という「仕事」、つまり参加することも収入につながる、という点から考えるとうらやましいなあ、と指をくわえながら思っている人は僕だけではないはずだ。自転車好きにはこれ以上は望めない理想の環境ではないか。

そして、たぶん最近の最大の目玉が、今日発売の『BE-PAL』2008年2月号の「石田ゆうすけのリアル旅人図鑑」かと思う。この連載は2006年5月から始まり、自転車で世界一周した石田さんの目線で選ぶプロではない? 面白い旅人を国籍・性別問わず独断で公募もしくは自らのコネで毎月取り上げて聞き書きしてゆく連載。といっても毎月読んでいると、石田さんは独身なだけにそうなると基本的に女性が登場する機会が多いのだが、それはまあ仕方ないことか。
で、今号で登場しているのがなんと、本ブログでも度々触れているミニコミ誌『野宿野郎』のかとうちあき編集長なのよね(実名で)。最近は僕も身内以上にしょっちゅう会っていろいろかかわっている(かもしれない)知り合いがカラー2ページで大きく取り上げられるのは珍しく、他人事とは思えないくらい嬉しい。しかも僕が中学生の頃から16年購読(愛読は今年で計19年)している愛読誌に登場するのだから、喜びもひとしおである。

実はこの記事の実現に僕も昨年一枚噛んでいる(と思う)のだが、まあそれは置いておいて(本ブログ2007年6月17日の投稿も参照してほしい。たぶん最初のきっかけはこれだと思う)、まあこの記事のとおりいろいろな面から見ても面白おかしい娘なのだが、ここではもうあえて触れまい。とにかくこの記事を読んで、さらには『野宿野郎』も買って読んでほしい。2006年12月号の冒頭で下部にちょこっと載っていたのとは訳が違う。思いっきり厚待遇ではないか。
僕が拙著『沖縄人力紀行』(彩図社刊)のことで一昨年も昨年もビーパル編集部に手紙を書いてもまったく相手にされなかったのとは大違いだ。だから僕は嬉しさはあるがそれとともにこの記事を読んで編集長にちょっと嫉妬していたりもするのだが、世に広く出るひとというのは大概は一般大衆を凌駕する「ふつうではない」何か突き抜けたモノを持ち合わせているものだから(この連載もその点を深く掘り下げているわけだし、それを「才能」と言うのだと思う)、その要素がまったくない凡人の僕としては潔く諦めるしかない。まあいいや。

あとこの記事中で特に要注目なのが、105ページの持ち物の26番にある「カネゴン」ですな。僕も昨年にこの実物を数回見て触ってもいるのだが、ホントに年季が入っていて(触角? が片方取れているし)、荷物の軽量化を度外視してどこにでも連れ回すくらいにホントに好きなんだな、と少々呆れもした。そういう面から見ても面白いかもしれない。
でも彼女、実際に会うとそんなに不思議ちゃんという感じではなく(僕は一昨年に最初に会ったときはその気があるのかと正直思ったりもした)、誰とでも意外とふつうに話をしてくれるのよね。でも見ず知らずの人が「頭脳パン」のくだりも含めてこの記事のみの印象だけで判断すると、やや不思議ちゃんなのかと勘違いされるかもしれない。

今年は雑誌ではなく本をしっかり読みたいなあ、雑誌にしても野外系以外の未知の分野にも幅を広げたいなあと思っているのだが、こういった得意分野の雑誌は依然やめられないので、今後も細かいチェックは果てしなく続きそうだ。

『月刊現代』2008年2月号のほうはそんなに赤面はしないわけで

2007-12-29 03:00:13 | 他人の旅話

20日の投稿で触れたこの日放送のNHK総合の番組『首都圏ネットワーク』の特集に登場した、現在南米にいるウチのおじさん(父)の続報というか親孝行? の第2弾。
28日発売の月刊誌『月刊現代』(講談社)2008年2月号は222~232ページの『入門 大人旅』 という短期集中連載の「第3話 出会いがあるから「ひとり旅」」でも、3人の旅人を紹介しているうちのひとりとして、おじさんについても取り上げている。
講談社は僕も一生縁はないであろうと思うくらいに出版業界では最大手だからなあ。東京都・護国寺に聳える社屋のそばはたまに通りかかるけど。なんでこんな大手に引っ掛かったのかなあ、と最初にこの話を聞いたときは不思議に思ったが、元々はこの記事を執筆しているノンフィクション作家の加藤仁氏がおじさんのウェブサイトを見つけて読んで接触してきたということで、とっかかりは雑誌掲載云々という損得勘定よりは、旅好き同士の旅の談話的な個人的なかかわりのほうが先に立ったうえで面白いから記事に発展、ということなのかもしれない。

早速、昼間に買って記事を読み(『月刊現代』なんて買うのは初めてだなあ)、先のテレビ放送分と併せて考えると、どちらかと言うとテレビのほうはおじさんひとりにのみ焦点を当てた感じで、今回の11ページ中約3ページ分の取材記事のほうが藤本家の家庭環境についてもちょこっと触れた、テレビ以上に突っ込んだ内容になっている、かな。だから、おじさんとおばさん(母)をはじめとするウチの様子を垣間見るにはこの記事のほうがわかりやすいと思う。まあご興味のある方は書店や図書館などで手にとってご覧いただければ幸い。一応、きちんと取材したうえで執筆している記事であることはたしかで、身内が読んでも特に問題点はなく、事実として認識してよい内容になっていることは愚息? からも認める。

なお、20日の投稿で僕はあえてリンクしないと触れたおじさんのウェブサイトのURLも記事中に掲載されているので、ご興味のある方はご自由に覗いていただけるとよろしいかと。いつも旅の最中はこのなかの掲示板に旅先の(できるだけ日本語対応している)インターネットカフェから近況を書き込んだりしているので、これがわかりやすいかも。実は身内としてもここへの書き込みで最近どこにいるか、の最新情報を知ることもままあり、そのくらい連絡もそこそこに適当に行動しているのよね。
まあもし何か問題があれば、国外の旅であればほかの旅仲間や外務省や各国の大使館・総領事館から連絡が来るだろう、と留守番をするほうも結構楽観的に見ている。おじさんは若い頃から全天候型の登山をやっていることもあって(植村直己のように垂直から水平に移行した、という感じ)、危機管理能力は一般的な旅人よりは比較的高いことは(20日の投稿でも触れたように僕はおじさんの旅の手法はあまり好きではないにしても)認めているし。
まあ対自然と対人では危機的状況への対応の仕方はちょっと異なるかもしれないが、後者のほうも記事中の「群の旅」で経験を重ねているから、問題ないでしょう。

ちなみに、記事中でおじさんのサイトの情報量が多いことについても触れているが、旅先でメモ用に東芝・リブレット(現在廃版?)という小型のパソコンを携行して情報をそこにこまめに入れているため、帰国してからのサイトの更新もやりやすいようにしている。というか、最近は家にいるときはほぼ無職で毎日思いっきり暇を持て余しているので、“主夫”業の合間に(お金にならない)サイトの更新を頻繁に行なっているのだが。一応は若い頃からどちらかと言うと理系頭でパソコン歴もン十年という感じなので(サイトもホームページ作成ソフトなんかは使わずにHTMLタグのみで安上がりに作っている)、一度サイトをいじりだすと「やめられない止まらない」状態になるようだ。

まあウチの在りようはだいたいこのふたつの媒体露出でわかるでしょう。ちなみに、媒体露出第3弾以降はありません。このふたつのみ。でも今後も何かあるかもしれないなあ。いつまた不意に出るかと思うとちょっと怖いなあ。

あと、20日の放送分をDVDに録画しているのだが、もしこれをぜひ観てみたい! という奇特? な方がいらっしゃいましたら、そのDVDのコピーを差し上げます。左のブックマークにある「問い合わせ先」に問い合わせてみてください。僕のより詳しい連絡先をご存知の方はそちらでもかまいません。ただし、今回はタダでホイホイと差し上げるわけにはいかないので(コピーも手間がかかるし)、ご希望の方にはメールにてちょっとした(お金はかからない、というか、かけたら犯罪になるよな)交換条件を出します。それを飲める方のみに差し上げることにします。よろしく。

『首都圏ネットワーク』の放送はやはり恥ずかしかったなあ

2007-12-20 23:00:09 | 他人の旅話
どうも、(16日の本ブログ投稿でもお知らせしたとおり)今夕のNHK総合の首都圏向け番組『首都圏ネットワーク』の後半の「文化流行最前線」というコーナーで、今は南米世界遺産巡り旅でペルーの首都はリマに滞在していると紹介された中高年バックパッカーおじさんの三男です。

放送内で扱われた時間は思ったよりも長く(コーナー全体で11分33秒、そのうちの半分以上がウチの父)、そのやや白髪おじさんとウチの内部を映さないでくれ~、と悶絶しながら放送を一応はきっちり観届けた。やはり自分の肉親と毎日生活している場所(まあ玄関と1部屋のみだったが)が公共の電波によって短時間ながらも晒されるというのは超恥ずかしいですな。テレビなのに思わず赤面してしまった。まさか、最後に南半球の宿から電話でスタジオと生でつなぐという仕掛けまであるとは驚き。出国してからここ1週間の生態というかペルーの写真もテレビを通して初めて観たぞ。身内なのに。

で、まあそのおじさんはひとまず置いておいて、コーナーの序盤で東京都は西荻窪にある旅専門書店「旅の本屋のまど」が紹介され、川田店長のコメント撮りもしていたのには失礼ながら笑ってしまった。
というのも、今夏に西荻窪に移転する前の吉祥寺時代から拙著『沖縄人力紀行』(彩図社刊)を置かせてもらっていることもあって僕も馴染みの書店であるし、実は先週と先々週にも店長に挨拶に伺っていることもあって、少々面白おかしかった。ちなみに先々週は私用で、先週はミニコミ誌『野宿野郎』の催し(サイン会)の手伝いで行ったんだけど。

その次のワイン通の、国内でユースホステル泊まりに慣れている男性の部分をもっと詳しく掘り下げてくれればいいのに、と思った。

で、後半のウチのおじさんの出番? なのだが、放送分を観たうえで身内にしかわからない内情を以下に少々補足する。

まず、今の時期に南米に行っているというのは、実は行く話は数年前からあったのだが、若い頃から登山をやっているおじさん(父)よりは体力の乏しいおばさん(母)がペルーやボリビアのようなアンデス山脈沿いの標高の高い地域に馴染めるか否かということが前々から懸案で、おばさんに夏の富士山を登らせて山頂付近の山小屋に泊まらせて高所への適性を見極めたりして、数年がかりで準備してきたりしている。放送にあったナスカの地上絵のあとに行くであろう超有名世界遺産のマチュピチュもたしかに高所は高所にあるし。もちろん、やや老体のおばさんと一緒となると今頃の夏季でないと厳しいよね。
ちなみに、マチュピチュは特におばさんのほうが、ウチの冷蔵庫にあの空中都市の写真の切り抜きを一時期マグネットで貼り付けて毎日それを眺めてはうっとりしていたくらいにずっと憧れていた場所だから、今回はそこに行くことができれば来月になんとなく予定しているパタゴニアやマゼラン海峡は何かの問題が発生してもし行けなくなったとしても、冥土の土産としてはもう満足の出来かと思う。
なお、世界遺産切り抜きは、フランスのモンサンミッシェルや熊野古道など数種類ある。ほかにも良い景色のベタなものとして富士山もあるけど、ここは環境か文化か云々で登録はまだ無理か。

次にガイドブックの拡大コピーだが、これは特に老眼のおばさん用にこしらえるもので、しかも何事においてもケチなウチの場合は『地球の歩き方』のようなガイドブック類を買うことはほとんどなく、近所の図書館で旅する・した地域の本をしょっちゅう借りてきては安上がりに済ませたりしている。
また、コピーしたものを携行するというのは、旅先で立ち止まってガイドブック(特に地図)をいちいち開いていると、特に治安のあまりよろしくない地域では悪者に襲われるさいの「鴨がねぎを背負ってやってくる」的な標的になりやすいので、コピーして折り畳んだものをポケットに入れて、足を止めずに移動しながらもすぐに出し入れできて必要最低限の情報を即座に確認しやすいようにする、という危険回避のための技でもある。
ちなみに、コピーに失敗した用紙はウチで小さく切って裏白をメモ用紙に使っている。なので、ウチのメモ用紙の裏は昔から大半は旅の情報が入ったものなのよね。各地の詳細な地図とか、宿の住所とか、交通機関の経路とか。

それから自炊用の電気調理器だが、導入したのは実はふたりで旅する機会が増えたここ数年のことで、16日の投稿で両親は旅先では現地食を食べると書いたが、おばさんのほうが日本食がふつうに大好きで(白米がないと生きていけないクチ)、現地食にあまり慣れないことがあってつまりおばさん用に導入したのであったりする。だから、ふたりではなくおじさんが単独で旅する場合はやはり現地食が主体になる。今年の上半期にモロッコにひとりで1か月ほど行ったときはそうしていたのかな。
まあ欧米のような比較的物価の高い地域では自炊のほうが安上がりだし、現地食に飽きたときのための、しょうゆ、海苔、味噌汁、お茶漬けの素、ゆかりなどの日本の味を抑えの切り札として持っておきたいということもあるか。

ほかにも身内ならではのツッコミどころはたくさんあるけど(旅の費用は主に年金で賄っていることにはまったく触れていなかったなあ)、あとは今回の放送でおじさんのような旅の手法に興味を持たれた方には、僕と実際にお会いしたときにこっそり教えますので、地平線会議や『野宿野郎』の場で問い合わせを。または、おじさんに直接問い合わせてみてもよろしいかと。
ちなみに、おじさんのウェブサイトは2001年から開設していて、以前にこれまたNHK教育テレビの中高年向けのパソコン入門番組で紹介されたこともあるのだが、ここではそのリンクはあえて張らないでおく。

というのも、僕はこのおじさんおばさんの影響はたしかに多分に受けて育っているのだが、特に対外的に強調して尊敬しているわけではなく、仲もほかの家庭に比べると実はそんなによろしくはなかったりする。
特に旅に関しては僕個人的には「人力」という強いこだわりがあり、それをそんなに強く意識して旅してはいない両親とは旅の方向性にいくらかのズレがあり(最近は世界遺産巡りが主体だし)、もちろん「蛙の子は蛙」的な共感を得る部分もあるにはあるが、そうではない、僕的には承服というか納得できない部分のほうが多く、尊敬の対象にはならないのよね(まだミニコミ誌『野宿野郎』に携わる面々のほうが凄いと思う)。
これはおそらく身内にしかわからない皮膚感覚的な、かなり微妙で複雑な事柄だと思うので他人には詳しく説明できないが、まあ簡単に言うとおじさんは「バックパッカー」で僕は「旅人」である、ということか。これは僕が現在は国内の旅にこだわっている、そして横文字が嫌いなことも一因としてあるけど。だから、ウチの家庭の場合は世間一般の旅に関する事象については一家言どころか二、三家言はあり、そういうものを視る目はかなり厳しいのですよ(それが良いことなのか悪いことなのかはよくわからないけど)。以前も少し書いたが、藤本家は旅が「家業」みたいなものなので。

ちなみに、おばさんはおばさんで欧州への短期間のパックツアーにも友人を誘ってよく行くので(今年は初夏に北欧にも行っている)、さしずめ「トリッパー」かな。また、ふたりの兄は大学卒業後はあまり旅はしないほうか(一応、兄弟3人ともにボーイスカウト活動の経験はあるけど)。「バックパッカー」と「旅人」の違いについては追々触れることにする。
それといつか、英単語で言うところの「travel」「journey」「trip」「tour」「excursion」の違いについても触れたいのだが、ちょっと難題だなあ。

そんなわけで、超恥ずかしい放送がようやく終わってホッとしている。身内がちょこっと映るだけでも身体にあまりよろしくないなあ。そうなると、今後あり得ないとは思うがもし僕がそんな取材を直接受けるとなると、もっと酷いことになるかもしれない。でも拙著のためにも、もし僕にも今後何かありましたら媒体は問わず取材などもしっかり受ける所存ですので、よろしく。



先の取材のお礼として番組スタッフからいただいた、NHK印のクッキー。取材を受けた当人に成り代わり、愚息? が美味しく完食しました。

少々恥ずかしいが一応は事実の、近々の身内の旅話放送予定

2007-12-16 09:00:30 | 他人の旅話
首都圏在住の方限定の、近々のテレビ放送のお知らせ。
NHK総合(首都圏放送センター)で平日夕方に放送されている『首都圏ネットワーク』の20日(木)放送分で、なんとウチ(藤本家)の内部が撮影された模様が映る、らしい。といっても特に、近年は年金暮らしとなって自由な時間がより多く持てるようになったために僕以上に旅狂いになっているウチの父への人物取材だったのだが。
僕も今回の取材があったことはつい最近知らされたのだが、2001年から中高年向けの旅絡みのウェブサイトを開設している父のそれを覗いたうえでNHKの取材班から接触してきたようで(どうやらディレクターがかなりの旅好きらしい)、先月下旬から今月上旬にかけて取材班がウチやウチの近所を訪れてサクサクとロケハン(もちろんロケーション・ハンティング=下見のことね)と本取材を済ませたとのこと。なんとまあそんなことがあったとは、と驚いた。

内容はおそらく、還暦はとうに越えて片割れは今年で70歳になってもいて、そうなると当然ながらすでに年金暮らしになっているウチの両親、特に父が、その年金を老後のために蓄えることなく支給されるごとに使い果たしながら、お仕着せのパックツアーではなく旅の全行程を個人手配で準備し、世界各地で(特にアジア方面が多いが)、現地ではローカルバスや鉄道で移動し、持参した(念のための)日本食にべったりではなく地元の食堂の料理を地元民と同じ場でがっつき、節約のために安宿を泊まり渡りながら行く(日本人バックパッカーの溜まり場はあまり好きではないようで、『地球の歩き方』などのガイドブックに掲載されていない宿も自分の足で結構開拓しているようだ)、まさに最近の若者がよくやるバックパッカー的な旅を今も実践している、ということについて触れているのだと思う。内容までは聞いていないのであくまで予想だが。

本ブログでも度々触れているが、僕の家族・親戚のあいだではウチの両親が「旅」と称して毎年頃合いを見て国内外各地に家出? もしくは行方不明? になることはすでに規定路線になっているのだが、客観的に見るとこの歳でも嬉々としてバックパッカーをやっているのは金井重(かない・しげ)さんのようにかなり珍しい人種ではないかとも思うため、今回のような取材が入ったのかもしれない。そう、ウチは意外に物珍しい家庭なのだ、と思う。

以前にもほぼ同内容で中高年向けのある機関誌の取材も受けているし、あとでまた情報は出すが偶然にもこのNHKの取材と同時期に超大手出版社のある月刊誌の取材も受けていたりして、近年、藤本家の珍しさがちょこちょこ世間様に露呈されつつあるようだ。嬉しいやら恥ずかしいやら、かなり複雑。

でもまあ、僕が本ブログや拙著『沖縄人力紀行』(彩図社刊)で書き連ねている主張に至っている原点が、今回の放送を観ると少しはわかるかもしれない。一応はこの両親の影響を多分に受けて僕も現在のような旅ばかになっていることは、紛れもない事実なので。
だから僕自身にもちょこっと関係のありそうな放送ですな。というわけで、少々恥ずかしながらも今回は少し力を入れて事前に告知することにした。普段からあまり親孝行らしいことをしていない僕としても、たまには少しそれらしいことをやってみるか、ということもある。

『首都圏ネットワーク』の放送時間は18時10分から19時までで、最近の放送を見るとおそらく番組中盤の「文化流行最前線」という特集で、5~6分間程度扱われるのではないかと予想する(「中高年の自由旅」というやつか)。これだけお知らせしておいて当日に緊急の重大ニュースに差し替えられたりしてお蔵入りになったら少々悲しいし仕方ない面もあるが、ホントは当初は先週13日(木)に放送する予定だったものをわざわざ1週間延期しているため、そうなるとほぼ間違いなく放送はあるだろう。
それにしても、普段生活しているウチの内部が公共の電波で流されるというのは少々恥ずかしいなあ。なんせ藤本家初のことだからなあ。しかもいきなり国営放送局だし。4日後の放送まで期待もあるが不安のほうが大きい。一応、先日取材班を家に迎えるにあたって撮影で映りそうなところは重点的に掃除したようだけど。

まあそれでも僕も20日の放送分はきっちり観るつもりなので、お暇なら観てよね。よろしく。

冬の北海道旅のもうひとつの愉しみ!?

2007-10-29 09:33:38 | 他人の旅話

先日、知人から「ハマジム」という(ややアダルトビデオ系統の)会社が2004年に制作した『UNDERCOVER JAPAN』というDVDを借りた。そして観た。
これは「北海道、東京、沖縄、ニッポン裸のドキュメント三部作。」と題して、3名のピンク系映画監督がそれぞれの地域で、2003年の12月25日つまりクリスマスから年越しを経て、2004年の1月1日つまり元日までの各地の様子を、ハンディカム片手にテーマを決めたり決めなかったりしながら撮影したものをまとめた3部作。

僕が、というか貸し主が特に注目したのが第一部の、平野勝之監督による「暴風の北海道『風と共に去りヌ』」という、年末年始の北海道は礼文島・利尻島・稚内~宗谷岬の様子を自転車で自走しながら撮影しながら報告する、というもの。ちょうどこのときは低気圧の接近で悪天に閉じ込められたりしてかなりやられたようで、そのなかでの平野氏の心情の吐露というかつぶやきが前面に押し出されていた。

僕は平野氏が監督して1999年に公開した、自身が冬季に静岡県・浜松から北海道・礼文島北限のスコトン岬を自分撮りしながら走破したロードムービー『白 THE WHITE』を、本ブログでも度々触れている東京都は東中野の映画館「ポレポレ東中野」で観て以降、気になる監督というか自転車乗りとして当然挙げていた。だからこの「暴風の~」はその続きなのかと思ったのだがそうではないらしく、あくまで2003~2004年の年越しのいちネタとして出向いた、という面が強いようだ。でもクリスマスに暴風の礼文島を赤いサンタクロースの格好をしながら自転車で走る、という奇妙な画はやはり彼しか思い付かない発想だなあ、彼らしいなあ、と率直に思った。

ちなみに、平野氏はこのビデオのなかでも本業のアダルト映画の撮影よりもむしろ自転車の旅自体が好き、と言っていたが、その関係で自転車関連の雑誌にちょくちょく寄稿している様子は見かける。最新のものでは、今月中旬に山と溪谷社から発売されたムック『自転車人』2007年秋号(No.9)に「WELCOME TO STARLIGHT HOTEL」という記事を寄稿している。毎年行く北海道の旅について書いているのだが、まあ彼らしいこだわりの強い自転車旅の在り方が示されていて、面白い。
ただ、このなかで最近の自転車乗りの愛称? である「チャリダー」という言葉が、北海道では主に「カネはないけどヒマはある」貧乏学生を示すような蔑称のような意味合いで使われている、という記述には僕的にはやや違和感があったけど。「チャリダー」はもう全国的に浸透しているし、最近は若者のみならず定年退職やらリストラやらで毎日が日曜日状態になったおとっつぁん連中が健康維持やこれまで働いてきたことへの労いなどの意味合いで旅し始める事例も年々増えてきて、自転車乗りの年齢層は全国的に広まっているように思う。旅は若いうちにやっておくことに越したことはないが、金井重さんや函館の“も~さん”やウチの両親などの(客観的に見ると)若くはないひともじゃんじゃんやってもよいのではないか、とも思うため、今後は「チャリダー」の意味にももっと幅を持たせるべきだと思うのだが。

で、ビデオのほうの話に戻ると、利尻島のあとに年越しを宗谷岬で迎えるために稚内からえっちらおっちら北上するのだが、その目的も年越しをここで迎える二輪車乗りや自転車乗りが集結するという噂を聞き付けてその様子を記録するために行くのだが、たしかにふつうにクルマで訪れる観光客もいるけど大勢の(野ざらしの移動手段で自力到達する)旅人がホントにいろいろな地域から集まっているのだな。真冬の宗谷岬周辺の雪の付き具合はこんな感じなのか、やはり海っぺりだけに特に西方向からの風が超強いのね、年越しはバス停で宴会か、年明けには花火の打ち上げって誰が持ってくるんだ、元旦には宗谷岬到達証明書の特別仕様が毎年もらえるのか、ふむふむ、とおおいに参考になった。

また、本ブログでも今年初めにも少し触れたが、冒険サイクリストの安東浩正さんが2006~2007年の年越しをここで迎えた、という話はその後ちょくちょく聴いていて、さらにはその宗谷岬で知り合った二輪車仲間のうち数人が今年になって地平線会議の報告会にもちらほら来るようになって僕もその常連の方々とお知り合いになっているのだが、このビデオのなかにもそのうちの数名が映っているかもしくは声のみ記録されているらしく、それがどこかは僕にはわからなかったが、あの状況のなかホントに宗谷岬に行っているんだなあ、と改めて感心した。

僕は宗谷岬には1999年11月に自転車で、2005年9月に路線バスで、の2回行っているのだが、特に前者のほうでやや降雪に見舞われて雪中走行はちょろっと体験したが、このビデオほどのひどい状況ではないしスパイクタイヤを履くほどの雪でもなかったので、雪中自転車走行はほぼ未経験と言える。
また、2004年2~3月に3週間ほど道央、具体的には旭川・名寄・紋別・網走・北見・陸別・帯広あたりを徒歩とJRとヒッチハイクでうろついた経験もあるが、ただそれも内陸部ばかりで気温も最も下がった日も-24℃くらいで(陸別で)、北海道の雪道を行く感覚は掴めたけれども強風はあまり体験することはなかったので、このビデオの光景への憧れはそこそこある。

昨年末はノロウイルスで倒れたから今年の年末こそは行ってみようかなあ。どうしようかなあ。財布とも相談しないと。それに自転車はややボロい状態で要修理状態だし、やや高価なスパイクタイヤを新調するお金もないし。そうなるとタイヤの裏側から釘を打ち付けてスパイクタイヤを自作するというかなりマニアックな改造をしようかなあ。でも面倒だしなあ。そうなると最近は僕はどちらかと言うと「徒歩ダー」なので歩いて行ってみようかなあ。などと只今いろいろ思案中。

JR有楽町駅前にて、再び三者会談   

2007-08-01 12:00:22 | 他人の旅話

昨夜、本ブログ2006年12月1日の投稿にもある、(甲信越の登山帰りの)出がらし紋次郎さんと、(編集部の業務を1週間停止して北方に逃亡? する)ミニコミ誌『野宿野郎』のかとうちあき編集長との三者会談が、東京都のJR有楽町駅前の居酒屋で7か月ぶりに実現した。と言っても、おふたりを急遽同時に捕まえることができただけで、たいした議題もないふつうの飲み会だったが。
前回と同様に旅に関する・関しない濃い話が聴けて超楽しかった。会う機会が少ないおふたりが対話する様子をもっと見たかったなあ。内容は秘密、というか特に出がらしさんの話が多岐に渡っていてしかも酔っ払っていたのであまり憶えていない。ひとつだけはっきり憶えているのは、かとう編集長はエイヒレが好き、というオヤジ的な趣味があることか。この娘さんはホントに面白い引き出しが多いなあ。
僕も締め切り間近の校正仕事を早めに仕上げて、旅立ちたくなった。早ければ明後日には発つつもり。

7月1日放送のテレビ『情熱大陸』の、「イラストルポライター」というお仕事を改めて知る

2007-07-03 11:11:14 | 他人の旅話
7月1日夜放送の『情熱大陸』は、本ブログの今年の投稿でも度々名前を挙げているイラストルポライターの内澤旬子氏だったのだが(ただの「イラストレーター」ではないですね。訂正します)、なんかこれはもう他人事とは思えないくらいに手に汗を握りながらかぶりつきでVHSビデオの予約録画(しかも2台)をしながら観た。
今年初めに出版して好調の『世界屠畜紀行』(解放出版社刊。現在7刷)以前から、最も古いところでは『東方見便録』(小学館刊)を現在の週刊ヤングサンデーで連載していた10年ほど前から注目していたが(あれはまだヤンサンが隔週刊だった頃かなあ? 記憶が曖昧)、僕が近年興味のある書き手のひとりであるし、今年4月に僕も参加した不忍ブックストリートの「第4回一箱古本市」でも間接的にお世話になったし、まだ内澤画伯と喋ったことはないが僕もある種関係者かもしれない、という感じの身近な感情を抱きつつ、楽しく鑑賞した。おおむね笑える内容だった。

今年に入ってから内澤さんと旦那の南陀楼綾繁氏のブログを読み直していて放送分に時折出てくる内輪ネタ的な様子(「魔窟」とか「ホーンブック」とか)もそこそこ付いて行けたのだが、南陀楼さんとは結婚して10年経過していること、内澤さんは食事のときは左利き(というのはよくあるが)でイラスト執筆のときは両手にペンを握りながら描ける、しかも描いているときに左右の区別がつかなくなること、僕も1枚購入した「しのばずくんトート(バッグ)」計400枚の制作費が15万円かかったこと、などの放送で初めて知ることも多かった。さすが綿密な長期取材で鳴らす情熱大陸。

放送後だからできる種明かしをひとつすると、僕は実は、内澤さんが『情熱大陸』の取材を受けている、という情報は本ブログの2007年4月22日の投稿にもある「シェルパ斉藤トークショー」に行ったときに、今回の放送分では「ライター・斉藤政喜さん」と紹介されていた斉藤さんが、トイレ取材の相方? である内澤さんが番組の密着取材を受けていることをばらしていたために得ていて、『東京生活』の連載の「東京見便録」の純心女子学園中学校の取材にもカメラが同行する、つまり「取材の取材」になることもすでに聴いていた。ただ、内澤さんのブログでは3月からテレビカメラが入っていると度々書いているけれども番組名を一切明かしていなかったため、僕もこの件は慎重に取り扱った。

で、その取材の様子も放送分で約2分間使われていたが、それを観ると本来は斉藤さんが主のはずのこの取材が内澤さん主体で見事に切り取られていて、いつもの各種媒体では主役であることしか見かけない斉藤さんが今回は脇役扱いになっているというのが珍しい光景に見えて面白かった。もちろんこの回の記事(No.24の吉祥寺特集の号)もすでに読んでいるのだが、撮り方によってはこんなふうに違った見方にできるんだなあ、と映像の力を再認識した。
それで、そのトークショーのときに、今回の放送によって間違いなく内澤さんの知名度は飛躍的に高まり、今後、斉藤さんと内澤さんの力関係が大きく逆転するのではないか?(文・斉藤政喜よりもイラスト・内澤旬子の名前のほうが先にくる) そしていずれは平成版・辺見庸のような大家になるのではないか? という話が斉藤さんから出ていて、その話も面白かった(2007年4月22日の投稿で言葉を濁していたのはこのこと)。実際、今日のアマゾンの本のランキングで『世界屠畜紀行』は7位になっていたし(ここ1、2か月は3桁以内の順位に確実に収まっている)、その可能性は多分にある。

それから、一箱古本市の様子も約2分間使われていた。内澤さんはこの古本市の様子を映してもらうことを条件に今回の取材を引き受けたそうで、たしかにそのくらい力の入っていることは出店した僕も4月29日におおいに実感できた。
で、実は僕がその日にコシヅカハムでの出店中に、15時すぎだったか、南陀楼さんが自転車でしのばずくんトートを売りに来ていたのだが、その様子も撮影していて、そのときすでに『情熱大陸』の取材のことを知っていた僕としては、南陀楼さんにもカメラが向けられていた様子を見て、むむっ、ひょっとしたら僕も放送分で1、2秒くらいは見切れているかもしれない、と密かに期待していたが、当然ながらそんなことはなかった。今回の主役はあくまで内澤さんなので、当然ながらそのへんの場面も内澤さん主体で構成されていた。でも、南陀楼さんがおまけのような扱いで別の場所でトートを懸命に販売していたカットが差し込まれていたりして、このへんが特に笑えた。僕の全国放送デビューはまたの機会かな(実は僕は物心つく前に一度、ある番組に出演というか無理矢理引っ張り出されたことはあるらしいけど)。

まあそんなこんなで、昨日もこの放送分を、先週急遽買ってしまったDVDレコーダー付きのビデオデッキ(安物)を使ってDVD-Rにコピーしたりもして、結局5回観直して、1回ごとに異なる場面で笑った。
もちろんそのほかの後半の、最近の千葉県旭市の講演やキューバ取材のようなマジメな場面もきちんと観て、僕も本ブログで豚関係の話でちょこっと触れた「屠畜」について改めて深く考え込むふしもあった。ひいき目を取っ払って観ても、『情熱大陸』の今年の放送分のなかでは最高の出来であったと思う。有名芸能人ばかりでは面白くないからね。アメリカの絵描きが屠畜を悪事のように描いている、実際に豚が潰されている、というようなことを全国放送できちんと伝えられたのはとても有意義なことだと率直に思う。

今回の放送によって『世界屠畜紀行』が3万部かそれ以上売れて内澤さんが遠くに行ってしまう、ということは放送で見る性格・性質から判断するにはおそらくないと思われるが、今後どうなるかはわからないので、僕のまだ読了していない『世界屠畜紀行』の初版本に早くサインしてもらわなきゃだな。
東京都の神保町周辺ではすでにサイン本が多く出回っているようだが、やはり直接書いてもらいたいなあ。早ければ秋にでもお願いできるかな。でも南陀楼さんとほぼ同じ体型で、しかも優柔不断というかもじもじするところもブログの記述がえらく長いことも似ている僕としては、その前に南陀楼さんと同様に罵詈雑言を浴びて蹴られたうえに噛み付かれるかもしれない。まあそれはそれで貴重な体験ではある。



2007年6月16~17日にシェルパ斉藤(=斉藤政喜)さん家で野宿したときに、「しのばずくんトート」(写真中央)に寝袋とエアマットをまとめて収納して持って行った。本を入れることを想定して作られたのであろうこのトートだが、このような使い方もある。大きさを考えると普段何かを持ち運びするよりは、室内の収納の一助にするほうがふさわしいかもしれない。
ただ、放送分の制作費15万円という金額を聞いて思ったのは、定価750円×400枚=30万円の売り上げで完売したら15万円の儲け、を期待していたのだろうけど、このトートの質をいち購入者の立場から考えると、ちょっと値が張りすぎるように思う。だからあまり売れなかったのでは? 実は僕も古本市の表彰式のあとに南陀楼さんからこれを買うときも3分間ほど悩んだ。
これは取れてもせいぜい500円かと思う。500円単価にしても完売すれば5万円の儲けになるわけだし、それだけのプラス収支になれば御の字かと思いますよ。でも今回のテレビの影響で何気に近々完売するのかもしれないけど。


※2007年7月5日の補足

3~4日にも知人にこの放送分をDVDコピーしたものをあげるために3回観たのだが、そこで気付いたこととして、字幕? スーパーで「屠畜」が「屠蓄」という誤字になっていたのはわかりやすいが、あと、『東京生活』の版元の「出版社」が「出版」という脱字状態になっていたのも気になったのであった。撮影と編集が別工程だとこうなるのかなあ。テレビって、面白いけど難しい。

最近買った本と目下の悩み 

2007-07-01 18:00:45 | 他人の旅話
ここ1か月で新たに買った、けれどもまだ未読の本をいくつか挙げてみる。

・『旅する南極大陸』(神沼克伊、三五館、2007年3月)
・『関野吉晴対談集 グレートジャーニー 1993~2007』(関野吉晴、東海教育研究所、2007年6月)
・『野宿大全』(村上宣寛、三一書房、2007年6月)
・『行かずに死ねるか! 世界9万5000km自転車ひとり旅』(石田ゆうすけ、幻冬舎文庫、2007年6月、著者サイン入り)
・『自転車生活の愉しみ』(疋田智、朝日文庫、2007年6月)

これらはべつに本ブログのネタとしてわざわざ狙って買ったわけではなく、普段からこのような旅関連の本を好んで買って読んでいる。僕は普段から流行りの文芸書なんかにはほとんど手を出さないので、どうしてもこのような旅本ばかりになってしまう。雑誌・ムックも同様。
また、『自転車生活の愉しみ』については2001年発売の単行本(もちろん初版)のほうをすでに読んでいるが、この6年の経年変化を反映させたりして新解釈になったこれもきちんとチェックしておきたいタチで、しかもこの本については巻末に新たに収録された疋田氏とパックン(パックンマックン)との特別対談も面白く(ここだけすでに読んだ)、そんな良質のおまけまで付いてしまうともう買わずにはいられない。ヤバイ。

ただ、買ったはいいが、昨年末も本ブログで書いたように僕は超が付くほどの遅読で(モーニング娘。風に言うと超超超超くらい)、なんだかんだで読みたいが読めない、まだまだ未読の本が日々増えて困ってしまっている。今日現在でとうとう50冊を超えてしまった。でもこれは本好きの人からするとまだ少ないほうなのかな。
しかも、比較的場所を取らない文庫や新書よりも大きな単行本のほうが多く、積み置きの場所の確保にも日々悩んでいる。どうしよう。今となっては、今春の不忍ブックストリート・一箱古本市でもお世話になった南蛇楼綾繁氏の気持ちがよくわかる。

この主な原因は、随時チェックしておきたい雑誌を読むほうを優先するからで、それが積もり積もってこのような危機的状況に年々追い込まれているのだが、そろそろ読む雑誌やマンガ誌の数(立ち読みを含めると毎月20誌以上)を減らそうかなあ、と本気で考え始める。また、ここ数か月は本ブログの更新にかなり力を注いでいることも影響しているかな。

今ある本をどうするかを早急に考え、対処しないと。僕が買った本をすでに読まれた方にも感想を(気休め程度に?)聴いてみたいものだ。とりあえず『野宿大全』については、著者の村上氏ともつながりのあるミニコミ誌『野宿野郎』のウェブサイト上で今後出る情報に勝手に期待しよう(ここのサイトは毎週2、3回、つまり本ブログよりも頻繁に巡回していたりする)。

ここ数か月で、四畳半の僕の部屋は校正仕事の資料も含めて紙の量が前年同月比で約1.3倍にまで増えていて、そんな火気厳禁であっぷあっぷな状態は今後もしばらく続く予定。このように動きがほぼ止まっている荷物に囲まれている影響であまり旅できない日々が続くかと思いますが(年内は個人的な旅よりは書店営業に力を入れるかも)、引き続き本ブログをよろしく。



『関野吉晴対談集 グレートジャーニー 1993~2007』。この本の241~244ページに収録されている山田和也氏との公開対談は、本ブログ2006年7月5日の投稿にもあるとおり、ポレポレ東中野で映画『プージェー』を観たあとに直接聴いていた。
これを読めば僕が旅について云々書くよりもわかりやすいか。