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思考の7割と収入の3割を旅に注ぐ旅人の日々

一般的には遊び(趣味)と見下されがちな「旅」も、人生のなかでやるべき「仕事」である、という気概で旅する旅人の主張と報告。

2か月連続ホーボージュン

2009-05-24 02:00:04 | 他人の旅話

20日(水)に遡るが、その夜、東京都渋谷区のパタゴニア東京・渋谷店で行なわれた野外行動者の旅話を聴く「スピーカーシリーズ」の、ライター・ホーボージュン氏の「サスライのススメ2」を聴きに行ってきた。本ブログ2007年6月9日の投稿で触れた南米・パタゴニア話の続編のような感じの催しだった。

で、今回は「世界最南端のトレイルを歩く」というテーマで、前回同様に今年初め(の夏季)に再訪した南米・パタゴニアの、一般的には陸路で世界最南端と言われるフエゴ島のウシュアイアやプエルト・ウィリアムスよりもさらに南に位置するナバリノ島に、ほとんど貨物用のようなフェリーで渡って、南極以外では人類が最も南に行ける最果てのその島をみっちり歩いてきた、という旅のスライドショーだった。
ナバリノ島というと、関野吉晴氏が1993年に「グレートジャーニー」のスタート地点に設定したり、96年に新谷暁生氏がホーン岬を冬季にシーカヤックで回航したり、という世界レベルの探険的行為ではなんとなく聴いている島だが、そこに日本人が個人レベルで歩き目的で行った、その話を出す、というのはたしかに珍しいことだと思う。

ジュンさんが時折寄稿している雑誌『BE-PAL』の「OFF THE ROAD」で今月発売の09年6月号からこの旅の短期集中連載が始まり、この歩いた道を「fin del mundo(フィン・デル・ムンド)」とスペイン語読みで表記している。英語読みでは「END OF THE WORLD」となり、つまり「世界の終わり(終わるところ)」という意味になる。意訳すると、まさに最果ての地、ということか。

今回は80名弱(※)の聴衆を前に喋りはそこそこにとにかく写真をスライドショーで多く見せて、連載でも当然すでに使っている写真もあり、おそらく7月号以降でも出てくるかなり貴重な写真の数々を見た。まあ島の現況や(踏み跡がなかったり滑落の危険もある箇所もあって単独行では結構しびれる)踏破した道とその風景など旅の詳細は、今後の連載を読んで知ることにしよう。
スライドショーのなかで珍しくアルゼンチン・チリ国境の政治的な話のようなややお堅い話も出していたが、それも今後の連載に反映しているのだろうか。まあわざわざ飛行機乗り継ぎ乗り継ぎでパタゴニアに行くのが今回で4回目と、この地域にかなりはまって詳しいひとが書くのだから、内容に間違いはないだろう。
まあこれも連載で触れるだろうが、日本を経ってから飛行機・フェリー・徒歩でナバリノ島の南緯55度6分の最南の地点に達するまでに12日かかったのだそうだ。

今回もスライドショーの最初と最後に動画ではないが過去から現在のジュンさんが旅で撮り溜めてきた写真を多用してMacで作成した掴みのスライド集のようなものが秀逸で、ここ数か月は31日(日)の報告会主催の影響でこういった旅話を披露する報場の手法について少し気を付けて勉強している身としては、ああなるほどこういう見せ方もあるのか、キザだけど本心をストレートに出すにはこのくらいカッコイイ演出も必要なのかな? とまたもや唸った。
今回の「サスライのススメ2」は仙台・名古屋・神戸にも巡回するので、この画像にまずやられて刺激を受ける旅人はより増えると思う。

最近のジュンさんの人気によって定員80名の予約申込はすぐに埋まったそうで(僕も最後の1、2人のところに滑り込みセーフだったくらい)、実際の会場にも僕以上のジュンさんのファンや旅道具マニアもいたかな。
今回は国外の放浪旅やトレッキングが未体験の若者が多く聴いていたということもあり(僕のように一昨年の話も聴いたことがあるのは10名くらい)、旅で実際に使った道具の解説と展示も多かった。
衣類、靴、コッヘル、一眼レフの予備としてのコンパクトデジカメ、地図などいろいろ見て触れられたが、なかでも特に気になったのは、雑誌『モノ・マガジン』の最近の連載でも触れていたデジタル一眼レフカメラ(EOSkissデジタル)のシャッターに装着してリモコンによるセルフ撮影を、しかも50mくらいの長距離からでも無線でシャッターを切れるという機器で、せいぜい5~10m程度しか離れられないセルフタイマー撮影や有線のセルフポートレート以上にサマになる引きの画の撮影が実際にできている今回のジュンさんの写真に興味津々であった。上の写真がその「ワイヤレスシャッターレリーズ」。

そういえば、一昨年は初めてジュンさんと対面して、おぉ、ホンモノだ、と感動しきりだったのだが、今年は本ブログ2009年4月20日の投稿でも触れたように、代々木公園で行なわれた「アースデイ東京2009」のいちコーナーでもジュンさんを見かけていて、まさか野外業界内でも最近特に多忙なひとを2か月連続で間近で観られるとは。
そろそろジュンさんの言文一致ぶりにも慣れてきたので、今後は読み物とともに実際に何か旅関連の催しや、雑誌連載をまとめた単行本の出版などで直接かかわっていけたらいいなあ、と切望する。


※2009年5月27日の補足
ジュンさんのブログの27日分では、会場の定員は100名とあるが、実際の出席者は立ち見はあっても名簿上とは違ってそんなにはいなかったように思う。でも聴衆はそれぞれ、しっかり観て聴いて、ジュンさんの手法の何事かを盗んで自分の旅に生かしてやる、という静かな熱気はたしかにあった。

07~08年の、チベットを含むアジア自転車旅の報告会を催します

2009-05-15 09:19:15 | 他人の旅話

本ブログ2009年2月28日の投稿でも触れた、大学時代の後輩が昨年にチベットなどを自転車で旅した話の続きなのだが、実は今月末に、彼の旅の報告会を開催することになった。主催はどこかの団体の後ろ盾なく、僕個人的に手弁当で。

で、この報告会の件は実は3月あたりから動いていて、先月から出席者を募り始め、彼の親しい間柄の人々を優先的に受け付けていて、すでに会場全体の半分強の来客を見込んでいたりする。でもまだほかにもなんとか入れそうなので、本ブログを訪れる方でも興味関心のある方はいるかもしれないと思い、ここでも告知してみる。

先の本ブログの投稿ではチベットに行ったことしか主に触れていなかったが、厳密にはその旅は07年12月にタイ・バンコクを出発して、ラオス、中国(雲南省~四川省~青海省~チベット自治区)、と経由して、08年11月にネパール・カトマンズに達した、という旅の行程だった。
まあその道中でいろいろなことに巻き込まれたというか起こったのだが、その細かいところはここではあえて触れないでおき、報告会の場で語ってもらうことにしますか。
僕はそのだいたいの話はすでに聴いているし、道中の写真の大半を見せてもらっている。僕以外にも、彼の一部の友人知人はmixiの日記を通じても結構知っているだろうし。

ちなみに、旅人の名はタムラアキオで、そろそろ落ち着いてきたのでぶっちゃけると実は彼、07年にミニコミ誌『野宿野郎』で自主制作してそのDVDを08年に限定販売した映画『野宿戦隊! シュラフマン<予告編>』の主演シュラフである「シュラフマンレッド」で、その変身前の「アキオ少年(中2)」だったりもする。それがなんのことかは、『野宿野郎』5号の表紙と巻頭あたりの記事も参照してみてちょ。
というかこの報告会について、『野宿野郎』のウェブログ14日分でも告知されている。

優先的な受付のときにも使った、今回の報告会の概要は以下のとおり。

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タムラアキオ報告会

●内容 : 2007年12月~2008年11月のタイ~ラオス~中国~チベット自治区~ネパールの自転車旅のスライドショー

※進行具合によっては、田村とアジア、特にチベットに精通した旅人とのちょっとした対談をしたり、『野宿戦隊! シュラフマン<予告編>』を上映したりする可能性もあります

●日時 : 2009年5月31日(日) 14時~16時30分
      
※開場および受付開始は13時45分頃から

●会場 : 豊島区立勤労福祉会館 第3・4会議室(4階)
       東京都豊島区西池袋2-37-4
     
※池袋駅西口より徒歩約10分、同南口より徒歩約7分、池袋消防署となり
※会場への行き方はこちらの地図を参照のこと 

●参加費: 300円

●申込 : なし、当日会場に直接お越しください
     
※ただし、事前におおまかな参加人数を把握したいので、できるだけ予約していただけると助かります
※予約時に、氏名と当日に連絡が取れる連絡先をお知らせください
※当日の開場は予約済みの方を優先し、当日受付の方は立見となる可能性もあります
            
●事前予約受付、報告会全体に関する問い合わせ先(藤本)
      
※e-mail : watarureport@mail.goo.ne.jp , watarureport@yahoo.co.jp
      
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という感じ。
『野宿野郎』ウェブログでも受け付けていますが、本ブログでも受け付けております。
会場は最大で約55~60名入れるけど、まだいくらか空きがあるので、どうかなーと思いまして。

それでこのような告知の仕方となると、来客はやはり彼が昨年に主に旅していた中国で出会った旅人や『野宿野郎』関係者が特に多くなりそうだが、そのなかにはどこかの野外・旅系媒体(例えば、YとK社とかT新聞出版局とかY出版とかE出版社とかK社とかS館とかR人とか。これだけ書けばわかる人はわかるか)が取材に来てもおかしくないくらいの著名な方々が出揃うかも。
しかもまだ会の進行については具体的には詰めていないが、ひょっとしたらその(野外業界では日本を代表する)方々にも飛び入りで少し喋ってもらうかもしれない。最近のアキオ少年の人脈は結構面白いぞ。むふふ。

ただ、今回は基本的には客前で喋るのが初めてのアキオ少年の意向によって、主に顔を知っている知り合いに向けて報告する場、というふうに仕立てるつもり。そのためにやや内輪的な雰囲気の会になるかと思うが、そこはあらかじめご了承いただきたい。

しかし最近のチベット関連の話となるとどうしても、昨年も北京五輪開催前の聖火リレーなどで一般的な報道でも注目度が高まった「FREE TIBET」の運動に熱く参加する人々が集まってつい政治的な問題を主張・議論する場に発展しがちかも。だがこの報告会ではそんなふうに侃々諤々となってしまうようなお堅い話は抜きにして、あくまでひとりの旅人が自転車を駆って純粋に東南アジアと中国を旅した、なかでも前々から思い入れのあったチベットの最近の実情を旅人目線で伝えたい、というだけのことにしたい。だから、チベット自治区以外の地域の話も結構あるのよね。

そんなわけで、チベット限定の話の場ではなく、あくまで僕も好む自転車による「人力」の旅の発展型の話になるだろうから、特にその点に惹かれる方に当日お越しいただけたらこれ幸い。こうして公に告知しておきながら、なんともわがままな言い分ですが。

では、まだ開催まで2週間ほど時間がありますんで、アキオ少年との面識の有無にかかわらず、興味のある方の問い合わせをお待ちしております。

「アースデイ東京2009」のなかの「人気ライターによるパッキング対決!」を観に行ったが……

2009-04-20 02:00:19 | 他人の旅話

先週末の18~19日に東京都・代々木公園で開催されていた「アースデイ東京2009」に、19日(日)に行ってきた。
毎年4月22日の「アースデイ」の直近の週末に開催されていて今年で8回目だというこの催し、当初から気にはなっていたが今回初めて行ってみた。すると、午前中から入口からえらい人だかりで混み混みで、驚いた。環境問題への関心が年々高まっているということなのか。

それで、出店や各所で行なわれる催しをひととおり巡ってみると、これまでは環境問題、最近流行りの言葉を使うと“エコ”(本来の「生態学」とはちょっと違う意味の使い方だが)を「商売」にするのはどうなんだろう? と東京ビッグサイトで毎年12月に催される「エコプロダクツ」を数年前に観に行ったときからずっと感じていて(まあこれは大企業のブース出店ばかりの、背広姿の会社員同士が本気の商談も行なう場面が多く見られる結構お堅い見本市のような催しなのだが)、アースデイ東京も同様に商売っ気が強くてやや胡散臭い催しなのか、とやや偏見を抱きながら敬遠していたふしもあった。
だが、出店をちらほら覗くと小規模の手弁当的な団体やNPO法人が多く、おおむねそんなに露骨にガツガツと利益を追求しているようでもなく、出店者も来場客も環境をテーマに据えた祭りという感じでともに楽しんでいた光景があちこちで見られ、これまでの偏った先入観はやや払拭された。

まあ今後の環境問題へ広くしかも持続的に取り組んでいくうえでは、ある程度は「商売」として成り立ったほうが社会的地位も上がってより多くの人々が現代人(特に「先進国」と呼ばれる国の国民?)の生活がおかしい、改善せねば、ということがより意識できるようになるだろうことはわかりやすいので(例えば地産地消とか燃料電池車普及とか太陽光発電とか)、地球環境(エコ)の悪化を心配する以前にまずは人類の所業(エゴ)を省みて改善する、という姿勢で今後もこのような動きが広がっていくのは良いことなのかな、と意を新たにした。

また、飲食物の出店でもマイ箸・マイカップ・マイボトルの持参を呼びかけていて会場内のゴミの削減に努めていて、(100円のデポジット制による)食器の貸し出しも実施していてその面からも環境に配慮していることが体験的にわかる。昼時はかなりの行列ができていたな。まあそれでもビン・缶などの燃やせないゴミなんかはある程度はどうしても出てしまうが、使い捨ての紙皿や紙コップをバンバン浪費するよりはいくらかはましな取り組みだと思う。

来客を見渡しても、通りすがりではなく始めからこの催し目当てで訪れた感じの人が多いかな、と感じ、慣れた手付きでそれらに取り組んでいる様子もよく見かけた。環境への意識は年々高まっている、のかな。
まあ会場全体の雰囲気を見て、良い傾向ですな、と感心しきりであった。しかも来客は若い女子率が高く、男女比だけを見ても4:6くらいで女性のほうが多かったかも。

で、19日に出かけた最大の目的は、渋谷駅寄りの「グリーントークステージ」という場所で14時30分から30分ほど行なわれた「グリーン×アウトドア 人気ライターによるパッキング対決!」を観ることで、野外業界の書き手で最近特に勢いのあるホーボージュン(斎藤潤。写真右端)と村石太郎(写真左端)の両氏が登場し、それぞれの旅の自前装備公開のような対決であった。
ただ、ほかの予定の都合もあって時間が短かったため、ホントは舞台上で自前のバックパッキング旅の装備を紹介するほかに寝袋を広げたりテントを張ったりたたんだり、出した装備のザックへのパッキングの速さを競うような文字どおりの対決もやるつもりだったようだがそれはカットされ、靴・衣類・食器・火器・エアマット・その他自慢の一品を紹介するだけにとどまった。

でもそれでも、ジュンさんは以前も講演を聴いたことがあるのでその喋りは聴き慣れているが、この業界では「王子」という冠もあるらしい? シュッとした身のこなしの(近年はアラスカ通いが続いている)村石さんが生で喋るところは今回初めて見かけたので特に興味深く聴き、『BE-PAL』や『フィールドライフ』などの野外系雑誌でも書くような装備自慢? のような道具話は面白かった。さらに1時間でもできる濃ゆい内容なので、やはり時間が短すぎるよなあ。

なお、このなかで出ていた話のひとつに、『山と溪谷』で07年からジュンさんと村石さんが月替わりで担当して執筆している連載「山岳装備大全」の書籍化が最近決まったとのことで、これは嬉しい。この連載、それぞれの登山用具の歴史からメーカーごとの製品の特長から細かく書き出して写真撮影にもこだわっていてかなりマニアックな記事なので、登山・トレッキングに関する道具マニアにはたまらん内容になるはず。ちなみに、先週発売の『山と溪谷』09年5月号では靴下を扱っている。今後の展開が楽しみ。

一般的な環境問題を扱う出店も多かったが、「アウトドアビレッジ」という一角では野遊び道具を扱うメーカー・ブランドの出店もいくつかあり(THE NORTH FACE、パタゴニア、スノーピークなど)、地球環境をより意識するためには野遊びから、というところをもっと主張できると良かったかな、とやや物足りなく思った。僕も肩入れするこの分野からの出店が今後もっと増えるとよいのだが。この業界では有名どころのモンベル、キャラバン、カリマー、コロンビア、ミレーなんかも得意で参加しそうな催しだけどなあ。

結局は11時頃から19時すぎまで代々木公園の会場内に入り浸り、予想以上に思いっきり楽しめたので、今後ももっと積極的に行ってみようかしら。

『最後の冒険家』展の開催期間延長と、石川直樹のここ数年の表現欲への違和感

2009-04-06 03:00:45 | 他人の旅話

2月に触れておくべきだったのにすっかり忘れていたことを。

昨年末に本の話で触れた、石川直樹が熱気球による太平洋横断に挑んで昨年2月に消息を絶った埼玉県出身の冒険家・神田道夫を04年からのふたりの交わりを含めて克明に記録・執筆したノンフィクション『最後の冒険家』(集英社刊、現在2刷)に関する『最後の冒険家』展という展示が、今年2月16日(月)~4月3日(金)まで、東京都千代田区の集英社ミュージアム(集英社の最近建てられた別館の1階)で開催されていた。

これ、本の終盤の「第八章 悪石島漂着」に、08年夏、具体的には7月にこの原稿で獲得した第6回開高健ノンフィクション賞受賞発表とほぼ同時期に、鹿児島県・トカラ列島のひとつ悪石島(あくせきじま)に04年遠征時に使用したゴンドラが奇跡的に漂着したという報せを聞いて、本を出版するにあたってその島に行った話も追記している。
石川くんが島からその連絡を受けて実際に島に渡って、ゴンドラを確認したのちに、それとそのなかに残っていて回収できた装備のいくつかを東京まで運搬して、このたび版元主催でゴンドラ(上の写真参照)と装備のいくつかを展示していた。この話は昨年の雑誌『Coyote』No.33でもカメラ回収に絞って詳細に書いていたな。

本の193ページに石川くんがそのとき発見した装備について触れているが、そのうちカメラ3台(キヤノン・EOSKiss、ニコン・FM2、フジ・645Zi)、時計、ビデオカメラ、衛星電話、高度計、パルスオキシメーター(SPO2=経皮的動脈血酸素飽和度を測定する小型機器。主に病院や高所登山・トレッキングで健康状態の判断の目安として利用されている)、無線機、双眼鏡、衛星携帯電話、ヘッドランプ、手袋、酸素マスク、目出帽、インナー手袋、がガラスケース内に展示されていた。
4年半の漂流でそれぞれボロボロになってはいるが、それでもまだしっかり原形を留めているモノもあり、当時の熱気球「天の川2号」が太平洋上に不時着したのちに漂流したが巨大コンテナ船に運良く救助されて、それ以降のこの装備たちの時間の流れをいろいろ想像してそれが膨らんで、冒険的な行為に挑むことについて再び考えさせられる、この本の読者や神田さんに思い入れのある者にとっては興味深い展示であるね。

で、僕はこの展示を2月下旬に観に行っているが、先週3日(金)で終了するということでその直前の2日(木)に再訪してみたら、好評につき来月8日(金)まで開催期間の延長が決定していた。しかもこの展示場所の開館時間は平日の9時30分~17時30分なのだが、先週末の4日~5日と来月2日~6日のみ土日祝日も特別に開館するとのことで、平日に行くのが厳しくて見逃していた人には朗報か。本の読者や神田さんのこれまでの熱気球遠征に大なり小なりかかわった人はぜひ見ておくべき展示だと思うけどなあ。

ちなみに、2月の展示開始当初から最近追加された展示に、3台のカメラから回収した3本のフィルムがあった。これは『Coyote』でも触れていたが、各カメラメーカー(キヤノン、ニコン、フジフイルム)の技術者にフィルムの回収と現像を依頼したが、さすがに4年半も漂流しているだけに結局は何も写っておらず真っ黒もしくは真っ白だったが(ニコンのカメラのみフィルムの巻き方が逆だっけか)、逆にもし何か写っていたらそれこそ奇跡だな。その漂流時間の長さをモノを見ながら感じるだけでも楽しいと言ったら語弊があるが、まあ興味深い。これを石川くん流に表現すると、「カメラも太平洋上の海流を旅してきた」ということになるか。

繰り返しになるが、本の読者や神田さんの関係者はぜひ見に行くべし。


それから話が大きく変わるが、1日の投稿で最近いろいろな旅人と対話する機会があったことについて触れたが、偶然にもそのなかでほぼ全員からこの本や展示も含めた石川くんのここ数年の写真や文章による表現活動(仕事)への批判的な言い分を立て続けに聴いたりもした。自己陶酔型の表現だ、ホントに自分ひとりで撮ったり書いたりしているのか疑問、表現(取材)対象が多すぎて結局は何を伝えたいのか、など、いろいろあった。

まあそれは賛否どちらにせよ彼のここ数年の仕事に興味関心があるということの表れなのだが、僕は本ブログでも度々触れていることからもわかるように基本的には同年代である石川くんの表現はおおむね好きだし共感できる部分も多いのだが、その一方でここ数年の出版業界、とりわけ旅関連の媒体で彼の毎月何かしらの雑誌に頻出している様子を見ると、「旅」を「商売」にしすぎでは? という違和感もあるにはある。最近の雑誌『PAPER SKY』no.28ではついに雑誌の表紙にも登場しちゃったし。画的にそれはどうなんだ?

石川くんの出版業界においての仕事ぶりは彼が今ほど有名になる前から、本や写真集なんかまだ出版していない頃から見ているが、最近は始めから取材名目で出かけることも増えているようだが基本的には自分がまず旅して体験して、それをのちに写真なり文章なりで再現する、という体が基本なのはほかの旅関連の作家やライターとほぼ同じで、『最後の冒険家』に限って考えても元々は「遊び」と言ったら失礼だが神田さんきっかけの当時はもちろん表現云々や損得勘定なんて眼中にない「空の旅」に出て、のちにそれを執筆によって再現して出版して「仕事」に昇華している。

が、ここ数年はほかの表現対象について見ると(スターナビゲーション、ホクレア号、ニュージーランド、極地、祭事、富士山、壁画、家屋など)、とりわけ雑誌記事についてはその取って出しのペースが速いし表現対象が多岐にわたっていてつまり風呂敷を広げすぎなのでは? 旅で見聞きしたことがちゃんと自分のなかに吸収されているのだろうか? それが即座に表現することによって自分の身体に貯まらず(血肉にならず)に右から左へすり抜けてはいまいか? と余計な心配をしてしまう。
それとも、旅の只中にいる時間(インプット)よりもむしろそのあとに対象を表現として完成させる作業の過程(アウトプット)のほうがそれを吸収・定着できる時間と捉えていたり、しかも表現対象がそれぞれ独立したものではなくて自分のなかではすべての点が線でつながっている横断的なもの、と見ているのかなあ。

まあ媒体露出が盛んということは、それだけ商業出版に見合う表現の撮り分けと書き分けが間断なくできている、つまり写真家・作家というか表現者として出版の現場から認知されているという証拠で(相対する出版関係者の仕事の質、出版業界外の石川くんの評判、彼のかかわる媒体の需給バランスはこのさい置いておいて)、昨年も石川くんの写真展を2本観に行ったときにもその受付にあった芳名帳を見ると写真・出版関係者の名前がずらずら並んでいたくらいだからなあ(なかには石川くんよりも一般的に有名な写真家や作家の名前もちらほらあった)。

それにしてもその露出の多さを見るにつけ、おそらく石川くんの祖父である芥川賞作家の故石川淳からの隔世遺伝による表現欲の深さには感心を通り越して最近は呆れることもある。
まあこれは、なんだかんだと理由をつけて彼ほどは行動できない低調な“自称旅人”からのやっかみと言われればそれまでだが、ここ数年の石川くんは「旅」をすること自体よりもそれを表現して「商売」につなげる欲が無意識のうちに先走っているように見えて、それでは彼がマミヤ製中判カメラを携えて世界各地を巡っている行為は07~08年の中田英寿と同様に損得勘定抜きのまずは自分のための純粋な「旅」とは呼べないのではないか、とも思ってしまう。まあどこまでが純でどこからが不純かの線引きも人それぞれ基準が異なるから判断はつきにくいし、もちろん「自分探し」ではないんだろうけど。

また、今年に入ってからの最新の「仕事」のひとつに、『最後の冒険家』と同じく集英社刊の文芸誌『すばる』09年4月号から始まった連載があり、これは東京都・山谷と大阪府・釜ヶ崎と並んで“三大ドヤ街”と称される神奈川県横浜市・寿町の中心に08~09年の年末年始にひょんなきっかけで短期滞在できることになってその地区をつぶさに視てきたことを書いてゆくようだ。これは「旅」とはまた違った文化人類学的? な香りのする記事になるのか。でもこれもやはり、ほぼ取って出し状態で「仕事」つまり「商売」になっているのよね。商業誌に即座に執筆しているだけに。

それから、写真に限って考えても、石川くんは本分の写真家として受ける取材などで自分が見たままの光景を撮る、記録する、それをとにかく受け手と分かち合いたい、とよく言っているが、その撮影の現場で後々に写真集などで他人に見せることが前提で被写体へカメラのシャッターを押すという計算がホントにあるのかないのか、それは当人にしかわからないが、どうも最近の『Mt.Fuji』(リトルモア刊)などの写真集のまとめ方を見ると現場でも「記録」よりはそういった計算のうえでの「表現」のほうが先走っているような気がする。まだ最初に出版した写真集の『POLE TO POLE 極圏を繋ぐ風』(中央公論新社刊)のほうが旅を「記録」しながら自らもおおいに楽しんでいる雰囲気がちゃんと伝わってくるけどなあ。2冊目の『THE VOID』(ニーハイメディア・ジャパン刊)以降はあえて悪く言うとカッコつけの写真になっている、と僕は感じる。
まあこれは受け手の写真の好みにもよるが(文章も同様か)、石川くんの写真には違和感があると断言しているその分野に精通している僕の友人(彼の出身大学の大先輩にあたる)からすると、淡々としすぎていて血が通っていない、それに表現を商業的なことへとにかく結び付けようという意識が作品から目立つ、ということなのかなあ。そんな言い分を聴くとまたいろいろ考えてしまう(例えば、東京都・国立新美術館で来月6日まで開催中の「アーティスト・ファイル2009」に写真家というか「芸術家」のひとりとして参加していることは認められるのか? みたいな)。

僕もここ数年で趣味として撮影者の老若男女問わず数百の写真展を観てきたなかで、石川くんの写真には写真展からも写真集からも淡白さや無機質さばかりを感じることがよくあり、それはそれで作品としては悪くはないのだが、しかしそれを意図的に計算しながら出しているふうに透けて見えてしまい、そうなると共感よりも違和感のほうが多めに発生するのよね。
まあそれ以前に僕個人的にだが、世界の他地域の他人の日々の営みを写真で切り取らせてもらうことが自分の「作品」である、と嬉々として堂々と謳っている(他者への敬意や配慮に欠ける、ある意味失礼な?)写真家が多いために昨今の写真業界に違和感がいくらかあるせいで、ついそういう批判ありきの偏った見方になってしまうということもあるけど。
でもまだ石川くんの写真からは、特に自然への畏敬の念が少しは感じられるかな。どうだろう?

おっと、後半はなんだか石川くん批判みたいになってしかもそちらのほうが長くなってしまったが、でもこれに近い意見を最近ほかの旅人からもよく聴いているため、仕方ない。本項はその人たちの代弁のようなカタチにはなったかもしれない。
ただ先に挙げたように、基本的には彼は表現者としては好き。でも最近は「旅人」として見るには違和感がある。「旅」を食べていくための生業として表現によっていくらか切り売りする必要があるのはわかるが、それをやりすぎ、ということ。まだ旅主体のノンフィクションの分野では椎名誠や高野秀行や服部文祥のほうがひとつの物事にじっくり取り組んでいて数段濃い血が通っている印象があり、そちらのほうがより親しみが持てる。

僕も本ブログのタイトルで「旅」は「仕事」だ、と謳っているが、それは「旅」を金銭を得るための手段にしていく、つまり「商売」に固執していくという意味ではなく、ヒトが一生のなかで費やす大多数の時間(一般的には賃金労働だが)を旅に出たりそのあれこれを考えて見極めることに費やしたい、という意味で「仕事」と謳っていて、現在の石川くんのように「旅」を即座に「商売」に結び付けようとは思っていない。自分の旅で得たことや周りの旅事情も鑑みて導き出された自分なりの考えをもっと咀嚼したいから。僕は石川くんよりも旅に関する物事の咀嚼の速度が遅い、もっと簡単に言い換えると僕は食べ物を噛む時間がかかりすぎということなのかな。

繰り返しになるが、やはり「旅」を「商売」として過剰(普段の生活の必要最低限以上)に絡めてしかも多種類の事柄を同時進行? でそれぞれつまみ食いするというか大風呂敷を広げるというのは、あえて悪く言うと自分の行動力とともに表現欲や知識欲の深さを周りに見せつけたい(それこそ自己陶酔?)、それを格闘家風に言い換えると「技のデパート」状態を自慢しているだけでは? という見方もしてしまい、自分の立場を「旅人」と位置付けるのであればどうしても不純な行為だと思うんだよなあ(表現欲の強弱の問題か)。
これは石川くんに限ったことではなく、有名無名問わず「旅」を撮ったり書いたりする人全員に言えることだけど。

まあここで戯言を挙げたところでその欲深さを感じさせることもなく相変わらずの(熱血的な雰囲気も出さずに)飄々とした風体で今後も世界各地を旅し続けるであろう石川くんの表現活動が廃れることはしばらくないだろうし、受け手(読者)が離れることもそんなにはないだろう。が、05年の南米の事故のようなちょっとしたきっかけから足をすくわれることがまた起こらないように、という面からも一応気にしておく。陰ながら応援はし続けるけどね。

とりあえず今回、集英社によって石川くんの「仕事」の一端となってしまった、『最後の冒険家』展を見に行った友人知人の感想を片っ端から聴きたいなあ。


※2009年6月某日の補足
雑誌『BRUTUS』No.664 によると石川くん、現在はカメラはマミヤではなくプラウベル・マキナ670というのを使用しているのね。変更したのは知らなかった。
記事中で世界各地への行動に道連れにして酷使しているそのカメラを写真で見せていた。それだけ肌身離さず携行して撮り歩いているということか。

辛辣な意見も直接耳にしているが、それでも着実に集まっているシール・エミコ支援基金

2009-03-20 21:00:19 | 他人の旅話
本ブログでも昨年少し触れた、昨夏からがんが再発して闘病中の、自転車地球一周を中断しているシール・エミコさんを応援する目的で始まった「シール・エミコ支援基金」の続き。
今月発行のモンベルの会報誌『OUTWARD』No.43によると、2009年1月26日現在で527万4453円の支援金が集まったとのこと。
各地で呼びかけが拡がったり、この支援のためのオークションも催されたりもして、着実にその活動の輪は拡がっているようだ。

が、昨年に僕のフリーマーケット出店中にもそういった動きがあるよ、と微力ながら訪れるお客さんに伝えていて微々たる金額だが協力していただいたりもしているのだが(もちろん強要しているわけではなく、シール・エミコという旅人がいるよ、と告知する程度に)、あるときに自分は自転車乗りだと名乗る男性に、そんなもの(基金)には絶対に協力できないねえ、という反対意見を直接頂戴したりもした。

その人曰く、病気になるのは運命でそれを厳粛に受け入れるべき(自助努力で旅が続けられなくなったらやめるべき)、他人のカネに頼っているようではダメだ、それに頼るようになったら人生終わり、というような厳しい言い分だった。エミコさんと同様に自転車好きなので少しはその動きに理解のある方なのかと思ったが、それ(自転車)とこれ(基金)は話が別のようで。

それを聞いて、僕としては基金つまりカンパはべつにエミコさん本人から望んだわけではなくて周りのエミコさんを応援したいという人が自発的に立ち上がって、その想いがお金という(おそらく)最も実用的なカタチで集まった結果だ、もちろんその見返りなんかも求めていないし、と角が立たない程度に反論しようと思ったが、(僕の普段の喋り方を知っている人はわかると思うが)僕が実際に口に出して反論するとやはり角が立ってしまうので、ついそう言おうとしたのをぐっとこらえて、その場では場の雰囲気がそれ以上気まずくならないようにその人の言い分をじっと聴くだけに留めておいた。

ただ、たしかにエミコさんの友人知人や、僕のような同じ自転車乗りとしてのエミコファンや、最近会員数が20万人を超えたというモンベルの会員や、ここ数年のテレビ『NEWS23』の取材や雑誌・書籍の露出の影響でここ数年エミコさんの生き様に同調というか共感する・した方、言わばエミコさんの「味方」の人々が賛同して協力するのはわかる。
だが、彼女と縁もゆかりも何もない人からすると、なんだそれ、社会から著しく逸脱して(現実逃避して)自己満足の旅をしているだけじゃん、なんでそんなものに肩入れするのか、という反対意見がいくらか出てもおかしくないとは思う。特に旅を「趣味」や「道楽」としか捉えられない人からすると。

普段の生活のなかでも、よく近所のスーパーやコンビニエンスストアなどの店に募金箱を設置したり、駅前の街頭募金で子どもの手術費用の協力を声掛けで求めたり(年齢の都合で法的に国内で手術できないため、主にアメリカで手術するための渡航や入院の費用でン千万円かかるようなやつ)、各地の災害の被災地への義援金を募っている様子を見るが、やはりその当事者や関係者とほんのちょっとでも知り合いでないとそれらの具体的な内情も把握していないうちから協力するのは難しく、現代においての他人へのささやかな「善意」の使いみち、この場合はお金の行方について考えさせられることは、僕もボーイスカウトで毎秋の「赤い羽根の共同募金」を毎年手伝った経験上、よくある。
たしかに僕も赤の他人のそれらすべての募金に実際に協力できるかというと、うーむと迷い、躊躇することもある。協力できたとしても、財布に残っている買い物のお釣りの小銭程度になるか。

そんな募金を求める人々と縁遠い世間との温度差を知りつつも、でも僕の場合は以前にも少し書いたがエミコさんの知り合いというほどではないが直接話をしたこともあるし、人によっては旅が人生において「趣味」や「道楽」以上のものになる感覚も人一倍知っているクチで、つまりエミコさんのいちファンでもあるし、ということで、周りでどんな意見が出ようとも言われようとも前向きに協力する側にいる。まあカンパなんだから、協力・応援したい人だけが関与すればよいだけのことだ。

先週10日発売の雑誌『BE-PAL』09年4月号で、エミコさんの友人であるシェルパ斉藤さんが連載「シェルパ斉藤の旅の自由型」の終盤で、昨夏の話だがスーパーカブを駆っての北海道八十八ヶ所巡礼後に完成した納経帳を大阪のエミコさんに見舞いがてら直接届けていたことを書いているが(道中の願掛けも、すべてエミコさんの体調を気遣うことだったようで)、僕の地平線会議の仲間内数人が昨夏に病床のエミコさんのために作って贈った千羽鶴のほかにもこのような現金以外の応援の仕方もあり、これはこれで良いと思う。
先の辛辣な意見を言った自転車乗りのように確固たる信念があって自分は協力できない・したくないと明言するのは自由だが、基金も含めてそういった他人の善意の使いみちを批判するのは筋違いであるね。

その自転車乗りとは単に波長というか人生観が合わなかった、というだけで、べつにその言い分を聴いて怒り心頭で今にも殴りかかろうかということもなく(ただ「カンパ」の意味がちゃんとわかっていないようには思うけど)、人の想いも思い入れも千差万別で、まあそんなに落ち込むことではないか。
僕も本ブログでこういった事実の報告をその協力・応援の意味合いで出しているのだが、この項を読まれる方もまあ協力するか否かはお好きなように。

最近のジョン・ミューア・トレイルと徒歩旅の装備の軽量化話

2009-03-13 00:00:33 | 他人の旅話

また10日夜のことになるのだが、東京都新宿区のパタゴニア東京・目白店で、アメリカ西部の「ジョン・ミューア・トレイル(以下、JMT)」を08年6月に踏破した旅人の「スピーカーシリーズ」、つまりスライドショーがあり、聴きに行ってきた。喋り手は昨年9月から三鷹市で『Hiker’s Depot』というひと味違った野外道具店を経営している土屋智哉(つちや・ともよし)氏。
ここ数か月、野外系雑誌では『岳人』08年11月号、『山と溪谷』09年3月号、『ヤマケイJOY』09年春号などでの露出も多いひとなので、野外業界、とりわけ歩き旅偏愛者のなかでは結構名の通っているひとかな。

JMTというと、アメリカ西部のヨセミテ国立公園からセコイア国立公園にかけてのシエラネヴァダ山脈のほぼ中央部に設定されている全長約340kmの言わば自然歩道で、でもトレイル中はほとんど標高3000m以上の高原を行き(だから高度に慣れていないハイカーが高山病に陥る事例もあるとか)、半日がかりで越える峠越えも多々あり、さらにはコース南部には山脈最高峰のマウント・ホイットニー(4418m)があったりと、「自然歩道」という軟派? な一言で片付けるほど気軽に行けるものではないトレイルだったりする。
夏季は国立公園のレンジャーによるトレイル全体の巡回管理もバッチリ行き届いていて踏破するうえでのキャンプや排泄などの規則もしっかりあるし、熊も頻繁に出没して特に夜のキャンプ中の食料対策に注意を払う必要があるし。

と思ったのだが、それは主にヨセミテからセコイア、もしくはその逆に、全行程を荷物を背負って毎日寝袋やテントやタープを背負って野外で泊まり渡りながら一気に踏破する「スルーハイク」の話で、所々の山脈東側の国道から出入りしやすい箇所では日帰りから数日間のような短期間でトレイル周辺の自然を観光というかつまみ食いするようなハイカーやトレイルランナーも結構いるようで。

近年の日本の歩き旅人のJMTに関する重要な参考書として、日本とアメリカの歩き旅や国立公園事情に詳しい加藤則芳さんが1999年に出版した『ジョン・ミューア・トレイルを行く』(平凡社刊)が挙げられるが、これは加藤さんが94~95年にトレイルを全踏破した話で(94年に途中で断念し、95年に再起して全踏破した)、当時よりもインターネットが普及している現在は情報源としてはやや古くなってきた感はある。が、それでも本文中の情景描写や行程表は今もおおいに参考になり、このトレイルに興味関心のある旅人の必読書であるね。土屋さんもスライドを見せる合間にこの本を引き合いに出しながら解説を進めていた。

例えば、本にもあるようにJMTは国立公園内を通るために入域するのに事前に許可を取る必要があるのだが、加藤さんもそうしていたようにヨセミテからセコイアへ南下する場合のほうが取得しやすく、逆に北上するほうが取得は難しく、今は英語ができる人はインターネットで事前に取得もできるが、南下の場合はヨセミテで(人数制限している)許可のキャンセル待ちのために2、3日待つ余裕があればだいたいキャンセルが出てくるから現地での取得も可能だろう、とかいう自分の体験談も加味して、という感じで話を進めていた。

で、トレイルとその周辺の環境や現地での行動の仕方についてはこの本を読めばよくわかるので置いておいて、僕が最も興味があったのが、これまでにJMTを初見でスルーハイクした旅人の話をちらほら聴いたのを総合するとみんなだいたい1か月前後かけて行っているのだが、土屋さんは現地の友人の援助(行程後半の食料の補給)は受けたが全行程をその半分以下の13日間という短期間で踏破したということ。これはかなり衝撃的な数字かと思う。

土屋さんは元々は昨秋の独立前に勤めていた東京都・御徒町の「ODBOX本店」の店員時代から業界内では登山というか歩き旅においての荷物の軽量化、最近の横文字に言い換えると「ウルトラライトハイキング」の分野に長けているひとなのだが、その経験と知恵を駆使して、JMTは食料も水も込みで15kg前後の荷物で行っていたとのこと。
会場で渡された資料のなかに全装備の重量がそれぞれ1g単位で細かく書かれた装備表もあったのだが、これまでの大半が20~30kgの装備で時間をかけて行った者が多いなか、このくらい軽量化できたからこそ日程を短縮して行ける(しかもこれでトレイルランニングよろしく部分的にも走破は一切していないとのこと)、というのは僕も目からウロコであった。

特にJMTは日本に比べて川の徒渉がやたらと多い、という話のなかで、これまでは重い荷物で行く人はちゃんとした登山靴を履いてサンダルも持参して、徒渉時に脚が濡れてもよいように登山靴からサンダルに履き替えて渡る、というのが一般的だが、土屋さんの場合はトレイルランニング用の靴(モントレイル・ハードロック)1足のみで行き、徒渉でもこれを履いたままざぶざぶ浸かって渡り(6月だと深いところでは股下まで浸かる箇所もある)、そのあとは基本的に乾燥している高地なのでしばらく歩いていればしぜんに乾く、というふうに軽く済ませていたとか。
荷物が重くなると足の保護のためにもある程度ソールの硬さがある良質の登山靴が欲しいが、荷物が軽ければ(と言っても15kgでも結構あると思うが)もっと軽やかに行ける靴でもよいのではないかと提唱していて、どちらを選択するかはJMTを何日間で踏破するかという事前の計画の詰め方や各々の歩きの姿勢にもよる。という話が特に面白かった。

また、食料を全行程分背負うか、それとも途中で一旦下山してそれを調達するか麓の郵便局などに留置きであらかじめ送っておいたものを回収してゆくか、はたまた土屋さんのように他人の力を借りるか(他人の力を借りることを潔しとするか否か)、そこがJMT全踏破を考えるうえで最も頭を悩ませる難題かと思う。
複数年かけて細切れで行くのであればそんな心配する必要はないが、行くなら一気に全踏破、がJMTと向き合うには最も適切な方法かな、と加藤さんの本を読んでかなり感化されているひとりとしては、いつもそう考えている。

ただ、僕も最近は近場の標高2000m未満の低山は(特に沢登りの影響で)荷物軽めで運動靴で行く機会が増えているので、軽量化にはおおいに納得できるし興味もある。しかし、まだまだ登山に関しては古い感覚も持っているために(道具は軽さよりも質とか、自助努力で行きたいとか)、その詰めは甘いけど。でも土屋さんは三鷹の店の開店作業の都合で6月に2週間強しか行く時間が取れなかったこともあったそうだが、それでも長丁場のJMTでさらっとやってしまうのか、とちょっと驚いた。

ほかにも興味深かったのはやはり装備の話だった。なかでも特筆モノを以下に3点挙げてみる。

キャンプ中の食料対策としては、夜中の就寝中に熊に食料を奪われないように密閉できる「ベア・キャ二スター」という筒を事前に用意すべき(この方法が流行る前は、「カウンター・バランス」という、食料を袋に入れてそれをロープで結んで熊の手が届かないくらい高い木の枝に投げて引っ掛けて吊るしておく、という手法もあった)。
実際に使うときは食料以外にも歯磨き粉のような臭いのするものにも熊は反応するとのことで、臭いのあるものはとにかくそれに完全に密閉して、少なくとも泊まり場から30m以上離して置いておく。
(返却に戻る手間は必要だが)それは現地でレンタルもできるが、最近はネット通販でも購入できるので、大きさが数種類あるなかから自分の食料の量に合わせて現地入りする前に事前に用意したほうが賢明。重量は0.8~1.2kgくらい。ただし日本では使いどころがない(あってもヒグマがそこそこいる北海道の知床や日高くらいか)。

キャンプ中の蚊対策としては、特に水辺では蚊柱が立つほどではないが多く発生することがあり、現地で買える虫除けを使いつつ(ユーカリの香りのするやつ)、荷物の軽量化のためにテントではなくタープやビヴィサック泊まりの場合はモスキートネットは必須。だったら蚊対策のために軽量のシングルウォールのテント泊まりのほうが無難。雨はほとんど降らない土地なので、雨の心配よりもとにかく蚊の心配をしたほうがよい。

7~8月の繁忙期? でも残雪があるときはあり、それよりも早い時期に行く場合は4~8本爪の軽アイゼンがあればあったほうがよいかも。ただし午前中のある程度雪が締まったときに通過すればアイゼンなしでも通過できることはできる。昼以降だと雪がぐずぐずになって歩きにくい。この通過は行程を調整してなんとかなる(JMTはキャンプの仕方に条件はあるが場所は自由にどこでも張れるので、雪渓を1日の午前中に通過する行程になるように自分で調整すべき、ということ)。
土屋さんもアイゼンは実際に1回しか使わなかったそうで。しかもそれも、せっかく持ってきたんだから1回くらいは使っておかないと、ということで。つまり4本爪をお守り程度に持参するくらいの認識でよい? ただ年によってトレイルの積雪の状況が変わるので、運次第のところもあるかも。

とかいう感じで、多い日は1日10時間以上の行動で30km以上進んだりもしながら、途中でJMTともかぶっているさらに(総距離4000km以上だったか?)長距離のトレイルである「パシフィック・クレスト・トレイル」を数か月かけて北上するトレッカーと頻繁にすれ違ったりしながら(そんな長旅なのにニューバランスの靴で歩いている身軽? な人もいたとか)、ホントに13日間で踏破したのだそうだ。

土屋さんは大学探検部時代に前時代的な? 重荷を担いでいた時期もあったとかで、その反動? で今のような行動形態に進化したようだが、その変遷についても今度訊いてみたいですなあ。
また、スライドを見せる前に話していた、就職においてのパタゴニア東京とのちょっとした因縁や、この会場であった目白店には客として頻繁に買い物に来ている、という話も面白かった。

三鷹の、土屋さん好みの「ウルトラライト」なモノばかり揃っていてマニアックらしいという店、昨秋の開店当初から『BE-PAL』などでも当然知っているしウェブサイトも随時チェックしているのだが、そんなに遠くない距離なのでいつでも行けるだろう、と楽観していてまだ一度も行っていないのよね。僕の旅関係の複数の筋(しかもいずれも僕よりも店から離れた地域在住の方々)からも良い店だ良い店だ、という評判は度々聞いているので、いいかげん一度は行っておかないと。僕も死ぬまでに一度は行っておきたいJMT、これに関する個人的に訊きたいこともあるし。

一度は行っておきたい、というと、上の写真の左側にあるJMTの公式地図のような「JOHN MUIR TRAIL MAP-PACK」というのを10年以上前にヨセミテに岩登りに行った大学時代の後輩に買ってきてもらい(ちなみに右側が土屋さん作成の地図や資料)、それを加藤さんの本とともにちょくちょく引っ張り出しては眺めていて、脳内ではJMT全踏破の青写真はすでにできあがっている。
のだが、その前に国内でやるべきことがまだまだ山積しているのではないか、例えば「関東ふれあいの道」の踏査の続きとか赤石・飛騨山脈の全山縦走とか、と自分なりに課題を設けていて、いまだにJMTには手が出ないのよね。早く国内でそこそこの経験を積んでこちらにも着手したいんですがねえ。いつになりますかねえ。自分でも先々の予定がよくわからない。

とりあえず、今年は登山や歩き旅を装備面から見直してもうちょい軽量化を意識しようかな、と今回の土屋さんの話を訊いて意を新たにした。
花粉症で体調もぐずぐずで行こうか否か少し迷ったが、なんとか聴きに行けて良かった。

もったいないので出しておきたい、最近のチベット自転車旅話

2009-02-28 00:00:39 | 他人の旅話

昨年末も少し触れた、本ブログのちょっとした仕掛けである毎月末の特に挙げたい写真シリーズで、今回初めて他人が撮影した写真を使ってみる。もちろん撮影者は了承済み。

これだけを見て山名がすぐにわかる人は、そこそこのチベット通か。
さらにこれが、2008年10月上旬に撮影されたもので、しかもその撮影者がここまで(というかこの麓のタルチェンという村まで)自転車つまり人力移動のみで到達した、と挙げると、結構なチベット通の方々はほぼ漏れなく刮目する、はず。

この山は中国・チベット自治区、チベット高原西部(チベット語で「ンガリ」と呼ぶそうな)に聳えているこの地域の象徴的な独立峰の聖山であるカン・リンポチェ、通称カイラス山(6656m)。細かく挙げるときりがないので割愛するが、信仰の山なので現代でも特別な未踏峰のままで、ヒンドゥー教、ボン教、ジャイナ教、仏教の最高レベルの聖地である。

1980年代から外国人の巡礼が許可されているそうだが区都のラサからも1000km以上西方にあり、大概の外国人旅行者は昔も今もラサからクルマ(オフロードに強い四駆。しかも昔からランドクルーザーやパジェロといった日本車が定番らしい)を複数人でチャーターして十数日かけて往復してくるところか。先に挙げた宗教の熱心な信者のなかには、人生を懸けて、大概は一家総出で全身を地面の前方に投げ出す「五体投地」を繰り返しながら尺取虫形式でじりじり進み、数百日かけて「巡礼」する人も多い。しかも高度4000m以上の高原だけにただでさえ標高は高く、旅するにはある程度は登山や高所順応の知識も必要かと。
たまの十数日の休暇を利用して仕事の片手間で行くには困難な、というかそんな半端な気持ちと取り組み方で先進国? の人間が興味本位で行くには失礼千万な、まさに何かを懸けて行くべき聖地と呼ぶにふさわしい山である。僕も今後、一度は行って生で見てみたいものだが。

そんなクルマ利用の旅人が多いなか、このカイラスへあえて自転車、主にMTBのツーリング仕様で旅したがる酔狂? な旅人も例年わずかながらたしかにいて、代表的なところではその道のりを本にまとめて出版している九里徳泰・安東浩正の両名が有名か。自転車のみならず登山にも詳しい。それぞれの著作では九里さんは『チベット高原自転車ひとり旅』(山と溪谷社刊)で1980年代、安東さんは『チベットの白き道』(同刊)で1990年代の話を書いているが(しかも安東さんのほうはあえて厳冬期に旅している)、そののちの21世紀に入ってからも自転車で行っている人がちらほらいることは度々耳にしている。

で、本ブログでこれまでもたまに触れてきたが、2007年12月から2008年11月までの約1年間、インドシナ半島と中国南部・西部を中心に自転車で旅してきた大学時代の後輩がいて、その彼がこのように昨秋にカイラスにも到達していたのよね(ここに行くのが最大の目的であった)。

ただ、かなりの自転車旅の通であれば、距離的にチベットで1年間だなんて時間かかりすぎでは? と思われるかもしれないが、2008年の中国は3月の中国政府によるラサ弾圧から始まって、4~5月の世界最高峰チョモランマの聖火リレーによる登山隊の規制強化、5月の四川省の大地震、そして8月の北京五輪と、ここ数年でも特に外国人の入域規制が強化されて、外国人が旅するには難易度がかなり高くなっていた。しかも自転車でとなると、各地の検問に度々引っかかったり無下に追い返されたりして進路が絶たれて、だからほかの進路を模索して、とほとんど思いどおりに進めない状態であったとか。特にチベット自治区内は厳しかったそう。

そんな例年とは事情が異なる国勢のなか、成都などの比較的大きな街にしばらく滞在して情報収集を続けたりしながら旅の最大の目的地であるチベット自治区内への潜入の機会を窺い、数々の検問をなんとか突破して8月上旬の北京五輪開幕前にラサに入った(もちろんローカルバスや飛行機や最近人気の青蔵鉄道利用ではなく、あくまで自転車移動にこだわって)。当時は日本人の旅行者もほんのわずかの状態のところを人力移動のみで行き(この時期は外国人の人力移動は珍しかったのでは?)、チベットの専門家も注目する成果となった。
その後も順調に西進して2か月後にカイラスに到達し、そこからアリ経由で再び東に戻り、最終的には昨年11月下旬にネパールの首都カトマンズにゴールして、旅は約1年間で終結した。

という、ここ数年のチベットの旅話のなかでも客観的に見ると結構内容の濃い旅をしてきた旅人が身近にいるわけだが、最近その話を聴いたりデジカメ写真を見せてもらったりしながら、検問での警備とのやりとりや検問突破の方法、昨夏は厳戒態勢と報じられていたラサ滞在の実態、標高5000m以上の峠越えや高地での高度障害への対処、ほかの旅人との触れ合い、各都市でのインターネットの普及具合など、これはどこかで記事にするなり報告するなりすべき内容がてんこ盛りではないか、とあらかじめ熟知している後輩というひいき目を取っ払って客観的に考えても、世に出すべき情報をたくさん持っている、と感じていた。

その希少価値は先に挙げた(現在も仕事でチベットに頻繁に行っている)チベット通のひとりである安東さんも認めるところで、この話を埋もれさせておくのはもったいないと思い、とりあえず掘り返してこの場を使ってカイラスの写真を出してみた。
もっと出してもよいが、本人もmixiのほうで写真をたくさんアップしているし、昨年末の帰国後に地平線会議の報告会の場で写真のプリント集を仲間内に見せたりはしている。この動きをもっと広げられないもんかなあ、と今、彼の素性をよく知っている関係者? のひとりとして、いろいろ考えている。

そんな最近のチベットや自転車旅の話に興味関心のある方はとりあえず、地平線会議の場で彼と会えますよん。なんなら僕から紹介もできるので、超気になる方はお問い合わせを。

内澤旬子×高野秀行×宮田珠己トークセッション、たぶんではなくホントに旅の話だった

2009-02-20 23:55:50 | 他人の旅話
先程、東京都・新宿のジュンク堂書店新宿店で行なわれたトークセッション『たぶん旅のはなし』を聴きに行った。
出演は、近年、ノンフィクションを面白おかしく書くという意味の「エンタメ・ノンフ(ィクション)」の分野で活躍するタイトルどおりの3人の作家が登場した。まあこの3者の現在の出版業界においての立場をおおざっぱに考えると、椎名誠よりも一世代若い作家さんたち、ということになるのかな。

僕は(今回の催しの言い出しっぺらしい)内澤旬子さんと、“タマキング”こと宮田珠己(みやた・たまき)さんについてはそれぞれ雑誌『ヤングサンデー』と『旅行人』の連載記事で10年以上前から知っているが(それに内澤さんは一昨年から不忍ブックストリート・一箱古本市の出店で間接的にお世話になってもいるし)、エンタメ・ノンフの名付け親? であるこの分野で現在特に乗りに乗っている高野秀行さんは05年の『世界のシワに夢を見ろ!』(小学館刊)で初めて知ってから、とやや後発。
早稲田大学の探検部から文筆に入るというと西木正明・船戸与一両氏をどうしても連想するが、それよりももっとくだけた感じのこのような本を書くひとが彼らの後輩にいるとは、と当時遅まきながら驚いた。しかも、先月の『本の雑誌』09年2月号の宮田さんとの那珂川下り対談で、探検部上がりなのにカヌー経験がゼロに等しいというのもまた驚いた。

今回の催しは、この3者が昨秋あたりから組んで「エンタメ・ノンフ文芸部」という、なぜかそれぞれ得意のノンフィクションの分野からかけ離れた小説を趣味的に書く、みたいな動きが始まっていて、その流れで決起集会のような意気込みで起こったのかな。でも本業? の取材や執筆のほうがふつうにあるためにその活動は停滞気味でぐだぐだな感じのようだ、というのは最近の3者のブログや日記をそれぞれ読んでいてもわかる。

で、セッション自体は主に宮田さんが質問を内澤さんと高野さんに振ったりして仕切るような感じで進み、まあいろいろと旅にまつわることを実質1時間強聴いた。3者それぞれ単独でもこのような催しを開けるくらいの豪華メンバーなので時間が足りないなあ、もっと聴きたいなあ、と思いつつも、笑いの多いその場をおおいに楽しんだ。
おそらく、会場にいた来客も僕と同様に3者同時に前々から好きだった、というわけではなく、どなたかの熱狂的? なファンで、3者が(ここ数年で)つながって文芸部を組んだことによる影響でほかの方も知ることになった、という人が大半ではないかな(例えば、元々は高野さんのファンで、そこから内澤さんと宮田さんを知った、という感じで)。3者ともに本の筆致はかなり独創的ですし。

特に、今回が初対面の高野さんと宮田さんのうち、“タマキング”こと宮田さんが生で喋るとどんな感じなのだろうか、というのが僕はずっと気になっていて、実際に生タマキングを観て聴くと想像以上に場を上手くまわしていて、今は東京都西部? のスットコランドを拠点に妻子を養いながら文筆1本でやっているけれども過去に会社員経験もあるだけに意外にまともなひとなのか、ということが改めてわかった。でも所々に高野さんが“脱力系”の作家と呼ぶのもわかる、彼の著作の筆致どおりのふざけた? 表現もいろいろ飛び出して、面白かった。

話の内容はさすがにすべては挙げられないが(この場にいた人限定のネタとしては、高野さんの被っていた帽子の図柄も行く場所によっては洒落にならないし)、僕が特に引っかかったのは、3者ともにかっちりと決め打ちした体験や取材を経て書くものではなく、普段のなんでもないようなことを書きたい、でもそれを書くのが難しい、と言っていたこと。
例えば、内澤さんであれば本作り・トイレ・屠畜、高野さんであれば辺境・巨大未知動物・アヘン、宮田さんであればジェットコースター・ウミウシ・ホンノンボ(ベトナムの盆栽や盆石のようなもの)、のような決まったテーマおよび取材対象を設けずに、ただ旅先をふらふら歩いたりカフェでまったりしているだけで何か書くことが見付かってそれをそのまま書く、みたいなことをやりたいのだそうだ。

それと、つげ義春や内田百を引き合いに出しながら、特に高野さんが「(旅して)ここに来るんじゃなかった」と後悔するような旅が好き、ということも話していたのが印象的で、何かを求めて旅するのではなく、旅していたら無意識のうちにこんな展開になってしまった、というその場その場の状況の変化に流されることを楽しんだり逆に侘しくなったりすることを表現するのは、たしかに観察・洞察力よりも表現力をより必要として難しいかもしれない。芸術性というか感性の問題でもあるのか。

僕の旅関連の友人知人でもつげや内田のような作品が好き、という人もたしかにいて、逆にもっと前向き? で自助努力型の旅話(やはり主に人力移動の旅ということ)が好きな僕としては、いずれ彼らのような独特の世界観のある本もちゃんと読まなければなあ、と数年前から思っていたので、今年からなんとか手を付け始めようかしら。つげの『貧困旅行記』だけは薄く読んでいるけど。3者ともにこの本が好きなんだって。

また、旅先で長期滞在したりして地元の方と濃密な関係になることを宮田さんが「食い込む」と表現していたが、その事例を内澤さんと高野さんが話していたのも興味深かった。逆に宮田さんは「食い込む」のはあまり好きではないそうで。僕も宮田さんと同感で、あまりに旅先の人と濃密にかかわりすぎると逆に視野が狭くなる気がする、と旅先で出会う人々と意識的に距離を取ることもよくあるのだが(客観視もある程度必要だが、できれば主観のほうを大事にしたい)、まあこれが良いことなのか悪いことなのかは旅人によっても異なるのでどちらか一方に決め付けられないし、いろいろな旅の仕方があっても良いとは思う。

そう考えると、内澤さんが今年に千葉県内? のどこかに短期移住して豚を飼って育てながら一緒に暮らすとか、高野さんの(4月に出版を控えている新刊の)他人の記憶探しを題材とした「メモリークエスト」を突き詰める、そしてそれらを書く、という「食い込む」ことありきの手法も旅や表現の仕方としてはアリなのかもしれない。でも宮田さんは現在は集英社のウェブサイト上で連載が進行中の細切れで行なっている四国遍路でも、引き続きあまり食い込まないようにするのかな。ちなみにその連載タイトルは「だいたい四国八十八ケ所」と、これまた宮田さんらしさが出ている。

その後の質疑応答と仕事の告知ののちのサイン会では宮田さん→内澤さんの順にサインをもらい(高野さんの本も欲しかったが、財布の中身が本を買ってしまうと帰宅できなくなるくらい寂しかったので諦めた)、それぞれ少し喋りもでき、満足。特に内澤さんのほうはすでに所有している『世界屠畜紀行』(解放出版社刊、現在11刷)の一昨年に発売されてすぐに買った初版を持参してそれにもらい、ようやく2年越しでこの本にサインが入った。めでたし。

そんな感じで、結局は3者ともにバランス良く発言がまわり、事前予想以上にちゃんと「旅」の話になっていた。僕もそれを受けて、改めてこうして旅について考えることが多く、有意義な場であった。旅を書く、しかも面白おかしく書くのって、簡単そうで難しいのよね。
時間が許せばもう2、3時間は聴き続けていたい話、そして3者の豪華な組み合わせであった。また催してほしいですなあ。


※2009年2月22日の補足
高野さんのブログの21日分で、被っていた帽子の話を出しちゃった。まあ面白いことは面白いけど、最近の大学生の逮捕が続出するような風潮にあっては、なかなかしびれる絵柄の帽子である。この職務質問話をトークセッションの最初の掴みのネタにしていた。

「放浪書房」の明日はどっちだ

2008-12-31 19:00:55 | 他人の旅話

今年最後の投稿は自分の旅話にしようと思っていたが、急遽差し替え。

29日、盟友である旅する本屋「放浪書房」の、千葉県船橋市の「ららぽーと TOKYO-BAY」に出店していた路面店? が閉店というか撤退した。急な話なので驚いたが、店主・とみー氏によるブログを見直すとその兆候は1か月ほど前からあるにはあった。
まあその経営に関する細かい事情はとみー氏のみぞ知るところで、あまり他人がとやかく言うべきことではないので僕も発言は控えておくが、「スリフトモール」という1坪程度の面積で出店者が思い思いの商品を並べて固定式のフリーマーケットというかセレクトショップのように自由に販売する、というのは面白い試みだなあと見ていたので、閉店は誠に残念。

で、営業最終日の29日夜に店舗に行ってきた。JR京葉線・南船橋駅が最寄り駅のここは昨年から数回訪れていてすでにその常連気分による道程も慣れているが、そんなららぽーと通いも今回で最後になるのか、と思うと複雑な気分。
店舗も数か月前に訪れたときよりも陳列している本は減っていて、というかあとでとみー氏に聞くとすでに商品の搬入は止めていたそうで、以前よりは物量が減ってやや質素な店構えになっていた。その最後の勇姿? の写真を上に挙げておいた。

最後ということで記念に何か買っておくか、と店のなかから特に気になった本を1冊買い、店をあとにした。たぶん、僕がこの店舗の最後の客かな。でもその売り上げ金も手数料云々を差し引いても、どうやらとみー氏の手元にはほとんど入ってこないらしい。という感じの複雑な金銭面の問題が今回の撤退の大きな理由のようで。まあ致し方ない。
店舗の撤収は30日に完了しているそう(後日訂正。撤収は31日午前までに済ませた)。

それで、「放浪書房」の今後の全国各地を放浪しないときの普段の商売についてとみー氏に電話して確認したところ、とりあえず来月から主に週末に東京都内などの街なかで路上出店の機会を増やすそうで、早ければまず来月中旬に都内でゲリラ出店するかもしれない。それは2008年10月20日の原宿と同様に、また僕も絡んで合同出店というふうに仕立てるかも。まあ決まり次第、どちらからともなくブログで告知するだろうから、お楽しみに。

今回の撤退、最近の世間の不況とか“派遣切り”とかと奇しくもタイミングがほぼ同じなのがまたなんとも複雑に思うが、まあここはアイデアマンであるとみー氏独特の発想をより生かしつつ、なんとか踏ん張ってほしい。
来年も放浪書房の動向は注目していきますよ。


これで今年の投稿は打ち止め。
で、最後に今年からの投稿の仕組みについてひとつ解説。
実は今年1月から、毎月末の投稿すべてに大きく加工した写真付きの投稿を出していた。写真もその月の特に大きなできごと、というか僕がどうしても写真ありきで出しておきたいネタをあえて選択して出す、という試みをこっそり行なっていた。

これ、本ブログ左側の「過去の記事」(2008年12月とか)をクリックすると、まずはその月の月末の投稿から表示されてそこから月始めに向かって降順で表示される、という仕組みを利用して、毎月の投稿のなかでも特に僕が見ていただきたい写真が真っ先に見られるように細工したのだ。例えば2008年3月のところをクリックすると、まず猫の写真付きの投稿が出てくるでしょう。そんな感じ。
これは今年始めに思い付いた、自分でもスバラシイではないか! と自画自賛している手法なので、来年以降も継続するつもり。

では、良いお年を。

人力派には今年大ヒットの新書2冊

2008-12-10 23:59:17 | 他人の旅話

上の写真にある、先月発売の2冊の新書が良い。

・『自転車の安全鉄則』(疋田智、朝日新書)
・『サバイバル! -人はズルなしで生きられるのか』(服部文祥、ちくま新書)

おふたりとも本ブログでも過去に数回触れたこともあるので、お暇だったら探して読んでみてちょ。

疋田氏のほうは、最近は環境問題云々によってもより目を向けられるようになって「流行」から「文化」に移行できるか否かの分岐点にある(交通手段としての)自転車を取り巻く現状について取り上げている。
これ、特に帯の文言のインパクトが凄く、たしかにここ数年若者を中心に自転車が流行るのは良い傾向なのだが、信号無視、歩道爆走、逆走(道路の右側通行)、などの目を覆いたくなるようなどヘタな乗り方がまだまだ多く見られ(特にママチャリ)、これはまあ自転車行政の失敗による惨状なのだが、そこを今一度真剣に見直していかないと、という警鐘の意味が多分に含まれている。ホントに人命にかかわることよね。今年6月の改正道路交通法によって容認されてしまった、自転車の3人乗り問題についてもちゃんと触れている。
僕もそれらの、自転車が「車両」の一種であるという30年以上前からの事実への世間の認識の薄さを本ブログでも度々取り上げているが、そこをなんとか解消できる1冊となるか。疋田氏は今回は特に道路行政に携わる方々に読んでほしいと自身のメールマガジンで書いているが、たしかに全国の各自治体で購入して読むべき良書である。

また、服部氏のほうは、要は数年前から突き詰めている「サバイバル登山」の実例と手法をまとめたもので、時計やGPSやヘッドライトやガス・ガソリンコンロやレトルト食品などの近代的な道具や一般登山道にできるだけ頼らずにいかに「自分の登山」を行なえるか、というかなり精神性の高い筆致が相次ぐ。でもライターは使うのね。
それがあまりに高いために、07年8月の北アルプスの登山中に国の特別天然記念物である雷鳥に石を投げようかと(3児の父という立場から)逡巡するように、世間一般で遵守されている(人間が勝手に作った)法の枠組みを飛び越えてしまいそうな行動も垣間見られる、というかそんな表現ばかりでいろいろ考えさせられるし(これらの危うい表現ばかりの本を、老舗の筑摩書房がよく容認したよなあ)、レベルは彼よりも数段下だが同じく登山をかじっていてしかも単独登山に傾倒している身としては「フェア」や「フリー」の思想には共感できる部分も多い。
服部氏が現在編集に参加している山岳雑誌『岳人』のなかでもその哲学は時折小出しにしているが、やはり前作の『サバイバル登山家』(みすず書房刊)とともに本として1冊に凝縮されると面白い。
ちなみにこれは読んだ人にしかわからないネタだが、僕も旅や登山ではテーピングを10年以上前から愛用している。ガムテープよりも応用範囲が広くてたしかに便利。あと、本の後半にある(1996年の)K2登山には実は僕の母校からふたりの先輩も参加していた。そのうちのひとりは、現在ヒマラヤ8000m峰14座登頂を目指していて今年で11座登頂の竹内洋岳氏なんだけど。服部氏、そのふたりとは仲良かったのかなあ。

今回特に面白いのは、2冊とも「新書」という形態で出版されたこと。単行本よりも安価なのはもちろんのこと、軽くて薄くて携帯性は良いために文庫本と同様に手軽に読めて、特にここ数年は会社員を中心に売れているというこの形態で(文庫本よりも造本からして知的で勉強にもなるという好印象もあるためか)、僕が非日常でも日常でも突き詰めている「人力」にも深くかかわってくる主旨のこの本たちが世間でどこまで勝負できるか、というのが見物である。他人の本ながら、売れ行きと評判が物凄く気になる。服部氏のほうでは前作も今作も、ノンフィクションライターの最相葉月がベタ褒めしていることも一応知っている。
発売から1か月ほど経つが、今も東京都内の比較的大きな書店をいくつか巡回するとおおむねまだ平積みや面陳が続いていて、出版サイクルの早い新書のなかでもまだなんとか踏み留まっているかな。

とにかく、できるだけ売れてほしいなあ。ヘタな小説や自己啓発本を1冊読むよりもこの2冊を読むほうが、今後の現実世界を見据えるうえでは数段有意義なはずだ。それぞれ10万部以上売れると、数年後にはもうちょっと人力で旅しやすい世の中になると思う。
大げさかもしれないがあえて断言するとこの2冊には、地球上で生かされている人類がより謙虚になって21世紀を人力で旅する、そして生き続けていくうえでの「正答」が詰まっている。強力に薦めたい。

「放浪書房」のちょっとした変化と、今週末のちょっとしたお知らせ

2008-11-28 06:00:19 | 他人の旅話
本ブログ左側にもブックマークしている、“旅する本屋”こと「放浪書房」が今週、ウェブサイトを開設。ホームページ(もちろんウェブサイトの「トップページ」の意味よ)は以下。

http://horoshobo.com/?page_id=96

ふーん、こんな感じなんだ。先月の東京都・原宿での合同路上出店のときにウェブサイト開設話は聞いていたけど、なかなかカッコイイですなあ。今後徐々に充実していくだろうから、期待大。
そうそう、早速、本ブログへのリンクも張っていただき、感謝。なぜなら、店主・とみー氏とは「盟友」ですから。基本的に引っ込み思案で、しかも人の好き嫌いが結構激しい僕が珍しく、ここ1年で急速に仲良くなった人物のひとりなのよね。

それから今週末、30日(日)午後に開催の東京都・神保町は「カフェフルーク」という飲食店での催しに、僕も条件付きで出店できる、みたいな話になった。

「ワンテーブルマーケット(One Table Market) かわいいモノには旅をさせよう。〜次は誰かのたからもの〜 vol.1」というお題のこの催しの詳細はリンクから飛んで確認していただくとして、ホントはこれは店内の面積の都合で先着6名様が基本的には店内で出店する催しなのだが、もし晴れた場合は店外でも出店できるそうで。それで僕はその店外のほうで出店、ということになった。

だが、屋外なので雨が降ったらもちろん出店できないということになるのよね。だから、今のところは30日の僕の出店できるか否かの予定はお天道様のみが知るところである。ちゃんと晴れるかなあ。拙著『沖縄人力紀行』(彩図社刊)のほかにも売りたいモノはいろいろあるんだけどなあ。今、僕個人的にかなりの経済危機でもありますし。

まあ当日は雨が降ったら降ったで出店は潔く諦めて、ふつうにひとりの客としてこの催しを覗きには行く。元々そのつもりだった。
では、明後日まで晴れ乞いしてみるか。

なんと、母校で椎名誠を招くとは

2008-10-16 08:00:16 | 他人の旅話

今月、僕の母校(立正大学)で、東京都・品川区教育委員会との共催で文学部公開講座を5週連続で実施している。今年は「旅 -日常と非日常-」という僕好みの主題で、昨夜の3回目がなんと作家の椎名誠だった。これは万難を排して行かねば。

2時間の講演の題目は「辺境の食卓」で、北極圏でカリブーの胃袋を食べたとか、ホワイトボードを使ってアナコンダの生態を図解したりとかいう椎名さんらしい“ゲテ食”話に、年配の方が多い聴衆からも度々笑いが起こっていた。
ほかにも、日本の水洗トイレのせせらぎ音は不要、お骨仏(おこつぼとけ)が普及してほしい、携帯電話の問題で先日ドコモショップに初めて行った、など、食とは無関係の話も含めて多岐にわたっていた。雑誌連載で再現するかなあ。

ちなみに「日常と非日常」については、旅人が非日常の場に行く・入ることは「異文化同士のタタカイ」と表現していた。なるほど。

70歳まではお互いに好きなことをやる、という約束

2008-10-11 20:00:18 | 他人の旅話
昨日触れたテレビ『人生の楽園』を観た。“も~さん”ほどの歳で自転車を5台乗り分ける人はいても、ICI石井スポーツの定番テント「ゴアライト」を使う人は珍しいか。良い選択。

最も膝を打ったのは、早期退職して退職金を奥様と二分して、「70歳まではお互い好きなことをやる」と決めてそれぞれ旅とキルト創作に傾倒していること。これは相当の信頼関係がないと困難なはず、と感心。近年は「熟年離婚」も増えているし。

も~さん夫婦よりはちょい歳上のウチの両親と比較すると、退職金はゼロに等しい(フリーの仕事だったため)、孫がいない、海の幸に乏しい、ゲストハウスの運営よりも自分が旅したい、近年の旅は人力よりも公共交通を多用、か。国内で地に足の着いたも~さんに比べ、ウチは“冥土の土産”的な諸外国への旅ばかりだからなあ。まあどちらもこの年代にしては活動的ではあるけど。
も~さんの手法、ひとつ勉強になった。

も~さん、いよいよ全国放送へ

2008-10-10 07:00:15 | 他人の旅話

関東圏では11日18時からテレビ朝日系列で放送の『人生の楽園』という番組で、北海道函館市でゲストハウス「自遊旅」を運営中の通称“も~さん”こと、毛利剛氏が登場する。

数年前から函館に旅好きのおっちゃんがいる噂は小耳に挟んでいたが、そのも~さんを初めて認識したのは2005年出版の『東北自然歩道を歩く』(田嶋直樹、無明舎出版刊)だった。
そんななか昨夏、青森ねぶたの跳人参加でも~さんと数年来の付き合いのある野宿仲間の影響で、僕もねぶたサマーキャンプ場(写真参照)で彼と初めて対面し、一緒に鍋も囲んだ。

自転車以外にも競技スキーや登山やカヤックなど、野遊びの経験は豊富。こういう活動的な年配の旅人が増えると高齢化が年々進む日本もより華やかになるのにねえ。そのヒントが今回の放送に詰まっている、はず。

「シール・エミコ支援基金」の途中経過

2008-09-13 07:30:57 | 他人の旅話

本ブログ2008年8月1日の投稿でも触れた、細切れで自転車地球一周中で、あともう少しでその旅が完遂できるところまで来ているシール・エミコさんの再発したがんの治療を応援するために、大阪府の野外道具メーカー・モンベルが7月に設立した「シール・エミコ支援基金」の話の続き。

今週届いたモンベルの会員誌『OUTWARD』No.41でも、基金のこと、旅を中断して治療に専念するエミコさんがこのなかで持っている連載「Ride for Life」が今号から休載されること、夫のスティーブ・シールさんからのメッセージ、が上の写真のように2ページにわたって掲載されている。

それで基金の途中経過についても触れられていて、2008年8月18日現在の支援金の総額は234万7155円となった、と報告されている。僕個人的にもその前週にたいした金額ではないが協力したためにこのなかに僕の想いも含まれているはずだが、なかなかの金額になった、のかな。これは多いのか少ないのかよくわからないけど、どうなんだろう。
でも、今月に入ってからのエミコさんが入院しての治療では放射線治療ができないぶんだけ相当の出費になるらしく、この金額でもまだ足りないだろうし、退院後のリハビリというか普段の生活と残りの旅にもお金はあればあるだけ良いに決まっている。なので、僕は今後も都合がつけば(またもや微々たる金額だろうけど)基金に再び協力する所存である。

そんななか、入院中のエミコさんを元気付けるために、彼女の仲間内および僕の旅関連の仲間内でもある有志十数人で、折り鶴をたくさん折って千羽鶴にして贈る、という試みが先月にあり、その作業の様子もちらっと聴いた。僕は先月はいろいろとてんぱっていてその作業には結局参加できなかったけど、さらに詳しく聴いたところによると千羽鶴のほかにもとにかくエミコさんを想っての仕掛けを充実させたようだ。
そんな動きもある。

エミコさんの体調はどんな感じで今後どう回復していくのだろうか。引き続き経過を気にしていくことにする。