アラ還のズボラ菜園日記  

何と無く自分を偉い人様に 思いていたが 子供なりかかな?

会津若松鶴ヶ城は、桜の蕾みはかたかった

2013年04月14日 | 名所旧跡

竹馬の友と30年ぶりに、会津若松鶴ヶ城へ興味が有ったのは

鶴ヶ城公園内にある、千利休の子・少庵が建てたと言われる茶室です。

戊辰戦争後、城下に移築され保存されていましたが、平成2年に元の場所である鶴ヶ城内へ移築復元されたので、

 

 

平成23年春には幕末時代の瓦(赤瓦)なったのも、興味が有りました。

なを、八重の桜の詳細な史実に基くブログは、迷道院高崎さんが

掲載しておりますので、参考になると思います。

http://inkyo.gunmablog.net/e287024.html
 



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4 コメント

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Unknown (迷道院高崎)
2013-04-15 19:21:06
拙ブログをご紹介頂き、ありがとうございました。
鶴ヶ城へ行ってこられましたか。
私が行ったのは、かれこれ10年ほど前かな。
まだ、あまり歴史に深い興味もなかった頃です。
今なら、もっと違う思いで見てこられたんでしょうが。
またいつか行けるかな?
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古い奴ほど古いモノが、 (wasada49)
2013-04-15 20:51:23
コメントを頂き光栄に思います。
鶴ヶ城は、再建はともかく文化遺産と私は思いますが、
行政は財政難手っ取り早い、観光地に、すぐに集客が
有る方法を選ぶ手段に、首長も米国に習い自分の
人気中の業績にするんですね。
人々も偏った情報で蟻の行列を好み、時代の先端を
歩んでいる陶酔に陥ることが満足なんです。
逆に考えると、なぜ高崎は県庁所在地に
成らなかったか、しかし、現在は現実に県職員は
新幹線で公務を行っているのですから
新幹線でお陰で各量販店他、各社が本社として
高崎市に有る現実が、その辺がキーポイントと感じます。
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北国はこれから春なのですね。 (西方の農園主)
2013-04-16 11:04:06
利休の息子 少庵は確か2番目の奥さんの子で利休の実子ではないんですよね。

壁がずいぶん黄色に見えますが肉眼でもそうでしたか?

昭和46年に鶴ヶ城は見ましたがこんなに白かったかしら?

鶴ヶ城をバックに超ミニスカート姿の写真が残っていますが見ると吹き出してしまいます。

お天気に恵まれたようで良かったですね。
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八重一色 (wasada49)
2013-04-16 15:31:47
先妻・宝心妙樹の子で嫡男・千道安と、後妻・宗恩の連れ子で娘婿で千少庵の関係と思います。

福島県全体で八重一色でお土産は勿論、ビールのラベルまで八重の◎●でした、そんな訳で、お城も茶室も模様替えをしたようです。

壁は本聚楽土使用するのでアースカラーですが、今風に色鮮やかな合成j樹脂で仕上げて有りました。


お城も同様に、漆喰でなく白塗料でした。

超ミニスカートの件は、都合によりコメントを差し控えさせていただきます。
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