アラ還のズボラ菜園日記  

何と無く自分を偉い人様に 思いていたが 子供なりかかな?

真説 国定忠治 平成弐拾七未年 其の弐拾七

2015年05月10日 | 近世の歴史の裏側

五目牛村の徳を訪ねた。帰宅してから聞いたのであるが、玉村宿の役人一河が相談の結果、徳が玉村宿へ出店(大津屋源助店借)することは支障ありと決まり、店受の保証人沢屋助左衛門が三右衛門と入れ違いに五目牛村の徳まで飛脚を立てて通知したとのことだ。

事態の急変に驚いた親戚の安五郎が、帰りの飛騨と一緒にやって来て、夜中に帰った。

 宿役人は合議の上、徳の大津屋源助旧宅への出店を拒んだのである。

融通無碍の江戸の社会とはいえ、玉村宿の公的決定を覆すことは土台無理である。福島村の住人とはいえ、玉村宿に居を構え二十四か村の組今村に睨みを利かす大総代の三右衛門であっても、この一件は万事休すであった。

五目牛村公私挙げて後見になってくれと頼まれ、女侠徳を愛人として保護したにも係らず、

後見の権威として玉村宿出店を暗黙のうちに引き受けていた三右衛門の男としての面目は丸潰れとなった。

きっぱりけじめをつける徳は、翌十日沢屋を訪れて、この件は無かった事と、店受を断わっている。 翌十一日、他の願いを裏切るような結果となったことの責任を取って、三右衛門は「世話」をする、受けるの「後見」を解消する一札を徳に渡した。

 

                                   つづく



最新の画像もっと見る

コメントを投稿