アラ還のズボラ菜園日記  

何と無く自分を偉い人様に 思いていたが 子供なりかかな?

幻の民サンカ其 50 箕について 1

2015年12月13日 | 近世の歴史の裏側

箕作り村とは、数十戸稀には百戸を超す一村全世帯の殆んどが、大半が生業として箕の製作にたずさわり、しかも製作によってのみ生計のおおかたを維持してきたような村落のことである 各府県に一村ないしは、四、五ヶ村ほどの割合で存在するのが、普通だったが全く存在しない県も、いくつかある。 

関東地方の平野郎に位置する、その村の名を仮に吉嵐村としておく仮名にしたのは、

所在する県名まで伏せたのは そうしなければすぐどこの村か特定できるからである。

関東地方は、農家の数に比べて箕作り村が少なくなかった。

吉嵐村は二つの字からなり昭和九年の世帯数は九〇、人口は五九九と記録されている。

昭和末現在は合わせて七十数戸だが それも老人の独り暮ししがかなりあって、年々減少の傾向にある。

吉嵐村は関東地方に多いローム層の台地の突端に位置して、下から近つくと丘上の村の様に見える。 

中心部は車一台がやっと通れる位の道が屈折していた又はアップダウンを繰り返しながら家々のあいだを通っているなんともいえない風情を感じさせるしっとした集落であったが、昭和三十年代の半ばごろまでは、ほんの二、三軒をのぞくほとんどの家庭が箕作りを主な生業とし、それによって子供を育て学校へ通わせていた。                           

                                 つづく