動物たちにぬくもりを!

動物愛護活動の活動経過や日々の出来事、世の中の動き等幅広く紹介します。

深い縁で結ばれた愛犬と杉本彩さん

2017-04-23 05:55:13 | 新聞記事・Webニュース・テレビ・書籍・ブログなど

「私がこの子に選ばれた」
  深い縁で結ばれた愛犬と杉本彩さん


2017年4月20日(木) sippo(朝日新聞)


杉本彩さんと「でんじろう」

女優・杉本彩さんと、チワワのでんじろう(でんちゃん)との出会いは、今から5年ほど前。
管理しきれず飼育放棄に至ったパピーミル(※1)から、保護団体によって救出された犬だった。
当時、でんちゃんは5歳。
「初めて出会ったときから、舌は出っぱなし」
でんちゃんが収容されていた保護施設にはたくさんの小型犬がいた。
賑(にぎ)やかな鳴き声の中、でんちゃんはただ静かに、杉本さんを見つめていたという。
「何か感じるものがあって、そばに寄ったんです。そうしたらケージの隙間からそっと前脚を出してきた」
抱き上げてみると、とてもおとなしくて控えめ。
それでいて、まっすぐな眼差(まなざ)しで懸命に何かを語りかけているようだった。
「私が選んだというより、むしろ私が彼に捕まったっていう感じ(笑)」
しかしその時すでに、杉本家は動物でいっぱいだった。
「家は京都と東京にあって、私は行ったり来たりの生活。当時は猫が10匹。犬も、やはり保護施設から来た小梅(パピヨン、メス、現在17歳)とキナコ(フレンチブルドッグ、メス、現在11歳)がいました」


「君には必要な子」強い勧めで迎えた命
これ以上動物は引き取れない、と、一度は諦めて家に戻った杉本さん。
だが、その様子を見ていた夫の松山さんが「君にはあの子が必要だよ」というほど、強く勧めてきたのだという。
「20代のころ、10年間一緒に暮らした猫が死んだ時に、食事が喉(のど)を通らないほどのペットロスになったんです。それで病的なまでに痩せてしまって・・・」
当時マネジャーだった松山さんはひどく心配し、無理やり彼女を喫茶店へ連れて行った。
「スプーンで口をこじ開けられて、泣きながらオムライスを食べさせられた」
でんちゃんと出会ったとき、自宅にいたパピヨンの小梅ちゃんはすでにシニアだった。
「もしかしたら、お別れもそう遠くないかもしれない。それまでは小梅を連れて、東京・京都を往復していましたから、小梅に何かあって、またあんな落ち込み方をされたら大変だと思ったんじゃないかしら(笑)。彼曰(いわ)く、でんちゃんを抱いた時の私の顔が、ものすごく穏やかだったんですって」
一方のでんちゃんも、里親が決まるものの、トライアル(お試し期間)で何かしらトラブルがあって返される、を繰り返していた。
「でんちゃんに原因はないんです。里親予定だった家庭の事情が急に変わったり、先住犬との相性が良くなかったり。何度も戻って来ると聞いて、やっぱり私が引き取る運命なんだな、って」
そうして杉本家に引き取られたでんじろうは、先住犬や猫たちともすんなり馴染(なじ)み、穏やかでマイペースな日常を手に入れた。
「高齢になった小梅に替わって、東京についてきてくれるようになったんですが、新幹線移動もなんのその。外ではおとなしいけど、家では偉そうにしてます」
健康面では何ら問題ない、というでんちゃんだが、歩くとき、少し足をひく。
「京都で散歩させていて、うっかり、硬い地面の上でダッシュさせちゃったんです。それで前十字靭帯(じんたい)を傷めてしまって・・・。チワワは膝(ひざ)が弱い子が多いってこと、うっかり忘れていた。私のミスです」
自分の過失に落ち込んだ杉本さんは「芝生の上を散歩させてあげたい」と運転免許を取得。
「幸せにしてあげるため最善を尽くすのが飼い主の役目ですから」
そんな杉本さんが、動物の保護活動を始めたのは20代のころ。
スタジオの敷地で、病気の子猫を保護したのが始まりだった。

愛護活動の背景には 幼い日の原体験が
「治療して、自宅で養育しながらチラシを作って里親探し。どうにか見つかったものの、情が移ってしまって・・・。いざ引き渡す段階になって、大号泣」
里親さんが思わず引き取りを遠慮するほどだったが、意を決して譲渡した。
それからもこつこつと保護活動を継続。
治療費や食費のために、着なくなった服を売るバザーを開催。
寄付も集まり始め、野良猫の相談も頻繁に持ち込まれるように。
彼女のそんな活動を知った、保護団体からも連絡が来るようになり、ペット問題の実情を知るようになる。
「本格的に問題意識を抱くようになったのは、2006年に起こった『ひろしまドッグぱーく事件』がきっかけ。生き物の命をモノのように扱う人たちがいることがショックでした」。
杉本さんが動物愛護に熱心になった背景には、幼いころの辛い体験がある。
「小学生のころ、ある日学校から帰ったら、可愛がっていた猫がいないんです。どうしたのかと親に聞くと、『動物愛護団体に連れて行ってもらった』って」
その時の、胸が張り裂けるような怒りと悲しみ。
人間の身勝手に翻弄(ほんろう)される命を思うと涙が止まらなかった。
「いち早く大人になって、自分の判断と責任で、動物と暮らせるようになりたい!と思いましたね」
これまで、たくさんの犬や猫を見送ってきたという杉本さん。
京都には立派な、ペット用のお墓も用意した。
「保護活動を始めて25年。高齢や病気、障害やトラウマで里親が見つかりにくそうな子ばかり引き取ってるから、別れも多い。でも、私がいないと生きて行けない子たちがそばにいると、めそめそしていられないんです。無理にでも、元気にならざるを得ない。そうするうちに自分も立ち直れる。実は救われてるのは私たちのほうなんです」
自分で選んだ道ながら、何かに導かれているような気がする、とも。
「団体を立ち上げたのは、政府や企業を相手にするには、個人では限界があるからです。今は、前回の法改正で取り残しになった『8週齢問題(※2)』と生体販売や生体繁殖の『飼育環境の数値的ガイドラインの策定(※3)』、業者が繁殖して流通する生体の『マイクロチップの義務化』を目指して、各方面に働きかけています」
でんじろうたちに支えられながら、杉本さんの闘いは続いている。

※1)劣悪な環境で、愛玩動物を大量繁殖させる施設
※2)生後8週に満たない幼齢の動物を販売してはならないとする規制
※3)劣悪な環境で飼育されることのないよう、ケージの大きさや温度管理などを数値化、ガイドライン化すること


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