和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

だれだってできる。

2016-02-14 | 本棚並べ
少ない本棚を、いざ整理しだすと、これが
終らない。少なくとも本棚の前には
本を置かないようにしよう。
出来る限り、棚を前後二重に本を並べないように。
などと思っていると、次には、
この本はこっち、あの本はあっち、
と欲がでてくる。

もともとは、本を読まないので、
何となく、本棚整理をはじめて。
それでも、ちっとも読まないとなると、
本棚整理が、はかどります。


そして、すこしづつ
あなたは、本をひらきはじめる(笑)。

本の背がぼろぼろになった
岩波新書の梅棹忠夫著「知的生産の技術」を
とりだしてくる。
その第5章は「整理と事務」。
そのはじまりは

「わたしが小学生のころの教科書にあった話
だとおもうが、本居宣長は、自分の家の書棚から、
あかりをつけずに必要な本をとりだすことができた
という。また、どこそこの棚の右から何番目、
といわれていってみると、ちゃんとその本があった、
というような話をきいた。・・・・
これはじつは記憶力の話ではないので、
宣長の『整理のよさ』をものがたっているだけのこと
であろう。整理の方法さえよければ、
これくらいのことは、だれだってできる。」

うん。それではと
八木秀次監修「精撰尋常小学修身書」(小学館文庫)
をひらくと、ありました。
以下全文。

  せいとん

本居宣長は、わが国の昔の本を読んで、
日本が大そうりっぱな国であることを
人々に知らせた、名高いがくしゃであります。
宣長は、たくさんの本を持っていましたが、
一々本箱に入れて、よくせいとんしておきました。
それで、夜、あかりをつけなくても、
思うように、どの本でも取出すことが出来ました。
宣長は、いつもうちの人に向かって、
『どんな物でも、それをさがす時のことを思ったなら、
しまう時に気をつけなければなりません。
入れる時に、少しめんどうはあっても、
いる時に、早く出せる方がよろしい。』
といって聞かせました。
宣長が名高いがくしゃになり、
りっぱなしごとをのこしたのには、
へいぜい物をよくせいとんしておいたことが、
どれだけやくにたったか知れません。


う~ん。「知的生産の技術」のルーツは
修身書の本居宣長からも影響されている
のかもしれませんね。
ということは、修身書のない現代は
整頓の混沌ワールドを生み出してる。
かもしれないなどと、
本棚整理をしていると、少しずつ
思いはじめる(笑)。
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知識を得た感がある。

2016-02-13 | 道しるべ
雑誌買いました。
文藝春秋永久保存版
「司馬遼太郎の真髄『この国のかたち』」
没後20周年3月特別増刊号。
最初の対談は
磯田道史氏と半藤一利氏。

はい。私はこれだけで満腹。
吉村昭氏との比較も鮮やか。


う~ん。たとえば

磯田】 司馬作品の面白さ、わかりやすさ
の理由には文体もあって、基本的にあの世代までが
持っていた漢文文体の簡潔な姿を受け継いでいますね。
また、『この男の面白さは何々なところである』と
書いて、『この男はこういうところが面白い』とは
書かない。読者は、面白いと宣言されてから読むわけ
だから面白いとわかるし、知識を得た感がある。そして、
面白いところを指摘している司馬さんの偉大さを
印象づけることに成功するんです。

半藤】『さすがに司馬さんは、よく人物を見ている』
と読者は思います。まさに司馬文章術だね。(p32)



半藤】 坂本龍馬だって、『こんなに偉い人だったの。
近代日本を築く推進力の中心にいた人なのか』と、
目から鱗が落ちた感じでしたよ。いまになってわかるのは、
『竜馬がゆく』のネタ本は大正時代に龍馬大絶賛の講談本です。
僕はその本、持っていますから(笑)。司馬さんは
トラック何台分も集めた資料を読み込んだのち、
一流のものは使わないで、三流の資料を使うんです。
三流を使っていながら、ネタ本とは全然違う人間に
仕立てちゃう。・・・(p34)


う~ん。雑誌を買うとは、
こういう言葉を拾えるよろこび。
ということで、
「この雑誌の面白さは何々・・・」
それは、読んでのお楽しみ(笑)。
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放棄してくれるとは限らない。

2016-02-12 | 短文紹介
読売新聞2月11日「編集手帳」。
そこに、こんな箇所。

「日本が戦争を放棄しても、
戦争が日本を放棄してくれるとは
限らないからである。」

その前には

「『戦争放棄』をうたった憲法9条は
限りなく尊いが、それだけで
悲惨な戦禍が避けられる保証はない。」

ちなみに、
この一面コラムの最後は


「国の姿かたちに思いを致す日である。
〈あせ水をながしてならふ剣術の
やくにもたたぬ御代(みよ)ぞめでたき〉
(江戸狂歌)。
平和のおかげで現在の繁栄を築き、
『めでたき』心が骨の髄まで徹した国
だからこそ、胸を張って汗水を流すことができる。」


産経新聞の2月11日。
「阿比留瑠比の極言御免」。
その最後を引用。

「・・社民党も又市征治幹事長名で7日に
『ロケットの発射』と題する談話を発表し、
こう主張した。
『いたずらに「北朝鮮の脅威」をあおり、
ミサイル防衛システムの整備・強化や
『南西諸島防衛』名目の自衛隊の沖縄展開に
利用することは、北東アジアの緊張関係を
かえって増幅しかねない』
だが、北朝鮮の脅威は別に『あおる』までもなく
今そこに厳然としてある。社民党が、
砂に頭を突っ込んで身に迫る危機を見ないように
して安心する『ダチョウの平和』に安住するのは
勝手だが、国民を道連れにしようとしないでほしい。
民主党の保守系議員は、ここで執行部の社民党化路線に
歯止めをかけられないようでは、存在価値が疑われても
仕方あるまい。」


当日の産経抄は
自民党の宮崎謙介衆院議員(35)を取り上げています
(この名前忘れないように覚えておくことに)。
え~と。この宮崎謙介は
「昨年、男性の国会議員として初めての
『育児休暇』取得を宣言すると、たちまち
『時の人』となった。普段は自民党に手厳しい、
朝日新聞や毎日新聞も応援団に加わった」
という例の人。
一面コラムの最後も引用

「『小人閑居して不善をなす』ともいう。
器量の小さい人が世事を離れて暇をもてあますと、
ついよくないことをしてしまう。
宮崎議員は育児休暇の間、一体何をするつもり
だったのだろう。」

ちなみに、2月10日の産経新聞「正論」は
古田博司氏でした。
そのはじまりだけ引用。

「ここ最近の韓国と北朝鮮のドタバタ劇を見ていて、
日本の国民はうんざりしているのではないだろうか。
その庶民の常識は正しい。庶民から遊離した一部の
マスコミですら、『北朝鮮のネライは』とは、
あまり言わなくなった。以上は朝鮮半島問題が、
もはや分析段階ではなく、周りの諸国がどうすべきかという、
政略段階に入ったことを意味している。」

うん。この文は切り抜いておきたい。
切り抜きといえば、
その前の段階の古新聞が溜まって、
即、廃品回収へだしたい見苦しさ。

産経歌壇(2月10日)の
伊藤一彦選の2首目に

 古本市遠くなりたり書斎から
 まづは読むべし処分するべし
    東京・練馬 吉竹純

うん。私の場合、まづは古新聞の整理。
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かかる時、久保田さん。

2016-02-10 | 本棚並べ
河上徹太郎著「史伝と文芸批評」(作品社)に
「久保田万太郎」と題する短文が載っており、
今回はじめて読む。
「この度不慮の訃に接した」とあるので
追悼文です。

「氏(久保田万太郎)を私に紹介したのは、牧野信一だった。
私と牧野さんと二人で所在がなくなると、よく牧野さんが
お座敷をかけるのは、久保田さんだつた。当時久保田さんは
愛宕山にあつたNHKの音楽兼演芸課長だつたが、
いつでも気持よく山から降りて来てつき合つてくれた。」

気になるので、もうすこし引用させてください。

「殆ど下町つ子しか書かなかった久保田さん・・・
舞台が狭いが故にその純粋さは一層保証されるのである。
牧野さんにとつて、そして私にとつて、
久保田さんは普遍的な文学精神だつた。
人は久保田さんの好き嫌ひが激しく、頑固な性分を指摘する。
或ひは公平に見てそうかも知れない。
然しそのために通せた意図の純潔は、その賜物である。
それは小説の主題の狭さと同じ結果を呈する。
今いつたことは人づき合ひの上に現れることだが、
例へば酒の上で久保田さんは非常に愛想よく、
あの有名な急ピッチの盃の応酬で忽ちいい気持に
させられるのだが、こちらの身になつて見れば
手放しで気を許してゐられないものがあつた。
それは久保田さんの己を持することの厳しさであつて、
その対象が人間であらうと文学であらうと同じことなのである。
厳しさとは批評の厳正さに通ずる。およそ近代文学批評など
と縁の遠い久保田さんから批評精神の真髄を伝へられるとは、
これまた理窟にならないが・・・・
要するに、例へばヴァレリーが乱世の中に
精神に絶望してゐない如く、
私は形なくとも文学精神の偏在を信じてゐる。
かかる時、久保田さんの死に遭つて
下町文学が滅んだなど嘆きはしない。
その自信をつけてくれたのが久保田さんだからである。」
(p217~219)
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中途半端。

2016-02-09 | 本棚並べ
昨日。
段ボールやカレンダーの裏などに、
習字の手習い。
手習いの四文字はというと「中途半端」。
数枚練習して、
そのまま、本棚などに
置いたり、セロテープで貼ったり。

昨日。気になっていた新刊届く。

加藤達也(産経新聞前ソウル支局長)
「なぜ私は韓国に勝てたか」(産経新聞出版)
その序文に代えては題して
「韓国は法治国家に非ず」。
そこに、こんな箇所がありました。


「検察から出頭要請があったばかりに14年夏ごろは、
あまりの圧迫感から吐き気を催したこともありました。
しかし、そもそも、私のコラムは刑事訴追されるような
ものだっただろうか。何度も自問してきました。
結局は安易な謝罪、遺憾表明をしなくてよかったと
心の底から思っています。
水面下で話し合いを持って、遺憾の意など示して
折れてしまえば、将来も問題を蒸し返されて
延々と弱みになりかねないことは、
日韓の歴史が証明しています。
中途半端な妥協をしなかったからこそ、
無罪になったと私は確信しています。
なぜ私は韓国に勝てたか。
その問いかけには、この不可解な隣国と
今後も付き合っていく上での有効な
ヒントがあるような気もします。」(p10)


うん。買うにたる新刊一冊。
わたしといえば、加藤達也氏に
賛成票を入れる心持で買わせていただきました。
どこから読んでも切り口は新鮮。
朝鮮半島の新鮮な一冊。


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そいつはいい。

2016-02-08 | 本棚並べ
本棚整理をしていたら、
河上徹太郎著「史伝と文芸批評」(作品社)がある。
そこに「座右の書」という2頁の文。
一読、印象深い箇所があるので、
あらためて引用することに。

「いつか女房連れで福原麟太郎氏に会つた時、
氏は御愛想に『河上さんはうちでよく本を御読みでせうね』
といはれたら、女房が『ええ、ところが何かと思つて見ると、
自分で書いたものを一生懸命で読んでるんですよ』と答へた。
福原さんは、『そいつはいい』とわが意を得たやうに
笑つて下さつた。」(p123)


う~ん。
この、私のブログも数年たつのに、
ちっとも、私自身読み直さない。
うん。そいつはよくない。
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前後二列は止めたい。

2016-02-08 | 本棚並べ
本を読まないので、
せめてと、本棚の整理をはじめる。
はい、高齢(じゃなかった)恒例。
それで、読んだ気分になる。

本棚では、
棚の本の前のスペースに本を置いてしまう。
ついつい、やります。
今回は、その前後二列を解消する作業。
これをやっていると、
何だか本を読んだ気分になれる。
少ない本でも再会するよろこび。

遅読と本棚整理の結びつき。
そういえば、本を読んでいて、
引用されている本が出てくると、
ついつい、読むのをやめて、
ネット古本を検索する。
もうこれは、常習化してます。

勉強が嫌で、本に手を出す、学生時代。
本を読み通せず、本棚整理をする現在。
脱線を、本をたよりに修正する心がけ。
はい、それだけ。


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百人一首の笑い。

2016-02-07 | 本棚並べ
本を読まないので、本棚を整理。そういえば、
織田正吉著「百人一首の謎」(講談社現代新書)があった。

その「あとがき」を引用。

「日本の詩歌はもともと言語遊戯性を色濃く持っている。
和歌、連歌はエスプリを詩歌の形で表現するものであった。
和歌にはみやびなものと言語遊戯としての笑いが同居し、
時代が下るとともに和歌と狂歌に分類される。
連歌は正風の連歌と誹諧の連歌に、
俳諧はまた俳句と川柳に分類される。
俳諧は誹諧が表記を変えたものだが、
誹諧はもともとおかしみという意味である。
同じ文芸形態で笑いのあるものとないものとに
分けるのが日本の文芸の大きな特色である。
そういうことを見ている過程で関わったのが
『百人一首』であった。
定家には言語遊戯として詠まれた歌が多い。」(p190)
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百人一首と学問。

2016-02-05 | 古典
注文した「百人一首の世界」届く。

今井書店(北九州市八幡東区祝町)
400円+送料300円=700円

久保田正文著「百人一首の世界」(文藝春秋新社・昭和40年)

「まなびとあそび――序にかえて」をひらく。
そこに、こんな箇所。

「ついでに、時代を逆にたどって、江戸時代末期、
十八世紀なかごろ、本居宣長の青年時代まで行ってみれば、
百人一首は学問のはじめでさえもあった。二十歳すぎたころ、
宣長は医学の勉強をするために京都へ出た。あるとき、
『百人一首の改観抄を、人にかり見て、
はじめて契沖といひし人の説をしり、そのように
すぐれたるほどをもしりて、此人のあらはしたる物、
餘材抄、勢語臆断などをはじめ、其外もつぎつぎに、
もとめ出て見けるほどに、すべて歌まなびのすぢの、
よきあしきけぢめをも、やうやうにわきまへさとりつ。』
と、『玉勝間』のなかでかいている。
契沖の『百人一首改観抄』は、現在でも、
百人一首を論ずるほどのひとは、かならず立ちもどって
みなくてはならぬ研究書のひとつである。・・・・」

契沖までは、御免こうむって
「玉勝間」なら、簡単に手にできる。

うん。でも余り間口をひろげるのは、
ただ本の収集にしかならず、
またしても「中途半端」へとつながる危険(笑)。

うん。色紙に「中途半端」と
書いて壁にでも貼っておこうかと、
そう思う2月。
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暇をかけて。

2016-02-03 | 道しるべ
産経新聞2月2日の「正論」欄は
竹内洋氏が書いておりました。
題して「阿部次郎、高貴なる落魄の精神」。

そこに安倍能成氏について触れられております。
その文の最後の箇所を引用。

「ところで昭和34年10月の『朝日新聞』に
能成が(阿部)次郎の追悼文を書いている。
次郎の才能や功績を揚言しながらも、
我が強く自己中心的な性格とか、
学内行政にも色気をもっていたが、
人望がなかったなどと書いている。
この追悼文には次郎の遺族を怒らせた
いわくがある。
次郎がこれを読んだとしたらどうだろうか。
激高などせず、ただ苦笑したように思える。
次郎存命の時から、能成は誰にでも
率直な物言いをしていたが、そんな能成を
『善良なる野人』と日記に書いていたからである。
次郎の振る舞いには高貴なる落魄(不遇)という
不敗の精神を思い起こさせる。」

これを読んだら、どう読んでも、
竹内洋氏は阿部次郎氏を浮かび上がらせるのに、
安倍能成氏のエピソードを引用したように
読めてしまうなあ。

そんなことを思って
昨日は竹山道雄著作集をとりだす。
けれども昨日は寝てしまう(笑)。

今日は、きちんと引用。
竹山道雄著作集4「樅の木と薔薇」(福武書店)
に「安倍能成先生のこと」と題する文があります。
その文のはじまりは

「安倍さんはよほど特別な人で、
没後十何年たった今になっても懐かしい。
思い出さない日はほとんどないかもしれない。
去る者日々に近しである。」(p198)

せっかくなので、この箇所も

「昭和15年の秋に一高校長としてこられた・・・
挨拶がすんで懇談となった。先生は私の前に来て、
『あんたは船田君の奥さんの兄さんじゃそうですね』
と言われた。
船田享二というのは、京城大学でローマ法を受け持って
いたので、後になって芦田内閣だったかの無任所大臣となり、
一頃は三木武夫とならんで呼ばれていた。
私の妹がその妻だった。安倍さんがそれまで
京城の法文学部長をしていたときに同僚だった。
こう問われて私は答えた。『はい、そうです』。
そして言った。『先生は京城で船田とよく
おつき合いをなしましたか?』
すると安倍さんは答えた。
『いや、つき合わん。気が合わんからつき合わん。
あれは先天的な嘘つきじゃ』
私は驚いた。初めて会った者にむかって、
こういうことを言う人があるのだろうか。
・・・・
安倍さんのこの複雑さをわれわれが理解するまで
には、かなり暇がかかった。」(~p200)

残念ですが、中をはぶいて
最後を引用することに、

「監督能力が非常にあった。
晩年に大きな勲章をもらわれたとき、
門下生が三百人も集まってそれを祝ったが、
そのとき先生の挨拶が心をうごかすものだった。
『みなさんがすることを草葉の蔭から見ています・・・』。
このころはさすがにお年で、うす暗い電灯の下に
立っている姿には多年の労苦の疲労憔悴の翳が
さしていた。あの沈痛な俤が目の底にのこっている。
これを聞いてから、
私は今だにどこかから見ていられているような
気がしてならない。いま私は老いて疲れて、
もはや先生の期待にはそえずその監督に
堪えることはできなくなってしまった。
頭の中ではたえずさまざまな考えが立ちのぼるのだが、
それを形成するだけの気力がない。
ただ湧いてくる考えを唇に浮べて、
独言して呟くだけである。そして、
その独言は安倍さんにむかって話しかけている。
先生は私の言うことにも耳を傾けてくださったから・・・。
・・・・
安倍さんに接しなかった若い人々は、
あの直接人を呪縛する比類ない人間味を
知ることができない。
残念だけれども仕方がない。
あの心と心のつながりを伝える方法がないのである。」(p222~223)


ところで、
竹内洋氏の正論の文には
こんな箇所がありました。
「能成は誰にでも率直な物言いをしていた」。
「率直」といえば
平川祐弘著「竹山道雄と昭和の時代」(藤原書店)の
「あとがき」で平川氏はこう書いておりました。

「文章を書くとは選ぶことである。
選ぶからこそめりはりもつく、人生も選ぶことである。
『(東京の)有名な府立中学といえば一中、三中、
四中、五中、六中などであった』と私が第二章に書いたら、
慎重な人から『そんな書き方をすれば府立二中の関係者の
反感を買いますよ』と注意された。その種の気配りを
良しとお感じの方も多いであろう。しかし
そのような風潮に気兼ねするかぎり、
戦前の日本のエリート校であった旧制第一高等学校の
教授であった人を語ることは難しくなってしまうではないか。
世の一部の人の反感を過度におそれるならば、
当り障りのないことしか書けなくなってしまう。
それでは自縄自縛である。
私は『竹山道雄と昭和の時代』を率直にありしがままに
書きたいと思っていただけに、そのような注意を受けたことに
逆に驚き、不安を覚えたのであった。・・・」

うん。ここももうちょっと引用しないと、
意味が通じないかもしれないのですが、
ここまでといたします(笑)。

「率直」というキーワードで、
もう一冊引用したい本があります。
池永陽一著「学術の森の巨人たち」(熊本日日新聞社)。
そこに平川祐弘先生との出会いが語られた箇所でした。

「私が先生と初めてお会いしたのは、
(講談社)学術文庫で新渡戸稲造の『西洋の事情と思想』
の解説をお願いした時である。そもそも解説は、
読者のために当該の本の特徴や優れた点、
著者の学問や思想の位置付け、どう読めばいいか
などについて無難にまとめる方が多いのだが、
先生の解説を頂いて目を通したとき、
実は大いに驚いた。
それまで私は新渡戸稲造を、『太平洋の架け橋』
を説き、日米両国の新時代をひらいた優れた偉人の
一人だと思っていたのだが、先生はこの本の解説では
新渡戸の人物や思想を彼のプラスの面だけでなく、
こちらが予想もしないマイナスの面も遠慮なく書いておられ、
文庫の解説にしては極めて厳しい内容になっていたのだ。
今思えば先生の学問的姿勢からすれば当然のことだった
のかもしれないが、さすがにこの時は、
『この本の対象は、一般の読者ですから』と
無理にお願いして、新渡戸のプラスの面も
いくらか強調して書いていただいた。
この時まで平川先生のように率直に自分の考えを
表明される先生にはお会いしたことがなかったので、
驚くと同時に、これからは心して接しないと
大変だと思った。しかし、その時から
平川先生の著書を学術文庫に収録したら
面白くなるのではと思ったのだ。・・・」(p113~114)

うん。「率直」の系譜を思う。

たしか、柳田國男著「故郷七十年」の
はじまりの方に、
利根川に舟を浮かべて、
飲み水を汲みにいく場面がありました。
いくつかの川が合流してくると、
きれいな水が帯のように流れてゆく
箇所があるのだそうです。
そこをめざして水を汲みにゆく。
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立ち向かった。

2016-02-01 | 本棚並べ
窪田章一郎著「百人一首の鑑賞」(赤坂書院)の
古本が今日届く。
これで、「百人一首」関連で15冊ほど
本立てに並ぶことに。

うん。百人一首の魅力を
窪田章一郎氏は「はしがき」で
こう表現しておりました。


「『百人一首』については古来多くの著書があり、
その恩恵を受けながら、百首のそれぞれの歌について
書くに当たっては、緊張感を覚えながら立ち向かった。
このことが楽しい想い出となっている。」


うん。だらだらと本を並べるより、
こんな本のなかから一冊を選ぶなら、
「田辺聖子の小倉百人一首」(角川文庫)。
はい。私はワクワクしながら読んでおります。
ちなみに、この文庫解説は俵万智。
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