和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

足利義満のチャイナ趣味。

2021-12-30 | 産経新聞
産経新聞の正論欄(2012年・12月28日)で
平川祐弘氏は、こうしてはじめておりました。

「文学研究が同時に外交研究として通用するなら、秀逸な
証左だが、西原大輔東京外語大学国際日本学研究院教授の
『室町時代の日明外交と能狂言』は見事な国際文化関係論だ。
著者は気持ちのいい学究で、遠慮せず、先輩の誤りを指摘し、
問題の所在を明らかにする。」

はい。気になったので
西原大輔著「室町時代の日明外交と能狂言」(笠間書院)を
注文すると、昨日届く。

はい。平川祐弘氏の12月28日の産経の文章が
いまいち呑み込めない箇所があったのですが、
はい。西原氏の本を手にすれば理解が深まる。

といっても、ろくに私は読んでいないのですが、
まあ、いいでしょう。「はじめに」から引用。

「能の成立を考えるに際し、戦後的価値観にとらわれてはならない。
権力者に抵抗するのが正義だなどという発想は、歴史を見る眼を
曇らせてしまう。むしろ御用役者は、将軍の意を迎えるべく、
最大限の努力をしたのである。そして、将軍の意向の一部に、
明(みん)や朝鮮に対する外交政策が含まれていたことは、
言うまでもないだろう。義満が唐人風の服を着てチャイナ趣味を満喫し、
明の使節を歓迎しようとしている時、
唐人を日本から追い返す≪白楽天≫のような能が作られるはずもない。
逆に、義持が明との断交を進めている時、
チャイナを賛美するような作品を上演することなど、
自殺行為に等しいのである。

14世紀後半から15世紀前半にかけては、能の大成期と呼ばれる。
ちょうどこの時期には、日本と明朝(みんちょう)との間で、
勘合貿易や私貿易などの通商が盛んに行われた。
その反面、朝貢(ちょうこう)や冊封(さくほう)、
あるいは倭寇(わこう)をめぐって、
激しい外交的、軍事的軋轢(あつれき)が生じてもいた。

・・・・能が誕生した頃、日本と明朝との間には、
友好と緊張が併存していた。能を庇護した足利義満は、
前のめりにチャイナへ接近した。・・・・・
中華崇拝、親チャイナ志向の為政者が能のパトロンであった
という事実は、謡曲を解釈する上で非常に重要な要素である。」

はい。私は「はじめに」の10ページほどの文をすこし
引用しているだけなのですが、「はじめに」の最後の箇所も
引用しておきます「本書のねらい」という箇所です。

「本書を執筆するにあたり、
現代の国際情勢が大きな刺激になった。
平成22(2010)年の尖閣事件以降、中国共産党は、
東シナ海での侵略的姿勢を強めている。また、
南シナ海の島々と軍事基地化は・・・・
 ・・・・
一方、現在も両国間の貿易は相変わらず盛んであり、
双方に大きな利益と繁栄をもたらし続けている。

有力な日本企業のほとんどが、争うように大陸に進出した。
日本の会社が利益を求めて中国に殺到した様子は、あたかも
室町時代の有力大名や寺院が、船を仕立てて次々と勘合貿易に
参入した事実を思い起こさせる。

以下、日本とチャイナの政治的、軍事的対立と、
相互の旺盛な通商という、21世紀初頭の状況を念頭に置きつつ、
室町時代の日明外交と能狂言との関係について論じてゆく。

なお、本書では中華人民講和国の略称を『中国』とし、
一般名称には『チャイナ』を用いた。」(p1~10)




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