思い出して、本棚から
「山片蟠桃賞の軌跡 1982~1991」(大阪府)を出してきました。
以前、この賞について、谷沢永一氏が司馬遼太郎さんとの関連を書いており(それがどの本で読んだやら忘れております)、古本で購入してあったものです。
その第一回(1982年度)受章者がドナルド・キーン氏でした。
昨日は、その箇所を読みなおしておりました。
ドナルド・キーン氏の受賞記念の講演と
そのあとに、司馬さんと谷沢さんの「お祝いのことば」が掲載されております。
読み甲斐がありました。
今度読み直したキーン氏の講演では、
この箇所に、注目しました。
「・・もう一つ、これはあるいはいちばん大切なことかもしれませんが、私は1953年頃から何回も何回も日本に来たことがありまして、もう日本のことを外国だと全然思わなくなったんですけれども、日本で、自分の中にもう一人の自分がいるということを発見したんです。どういう意味かというと、ケンブリッジ大学にいた時分、私はその生活が大好きでした。いちばん自分の性質にむいている生活だと思いました。修道院のような生活で、本ばかりとつきあっていました。場合によっては、1週間、自分の講義の時間以外は自分の声をほとんど使わなかったこともあります。私はそれでいいと思いました。学者はこんなものだと思いました。しかも私は学者以外の何者でもなかったのです。どんな簡単な仕事でも大失敗をしたはずですが、学者の道しか考えられませんでしたから、私はしかたなく学者になったのでした。ところが日本に着いてから、そのもう一人が同じ私の中にいるということが分かりました。狭い意味の読者のために書くよりも、広い読者層のためにものを書くことが、私に、よりむいているということが分かったのです。・・・そして、その発見と同時に、一種の解放感もありました。自分のほんとうの可能性を発揮できることが、日本で初めて分かったのです。・・・」(p43)
つぎには、司馬さんのお祝いの言葉から、
「キーン先生の学問的業績というようなものは、たいへんなものであります。さらにはゆたかな芸術鑑賞の感覚と、まれなほどの芸術的文章の才をあわせもっていらっしゃるのです。こういう人を、神様は一世紀に何人も生みださないと思うのですが、そういう方が、よりにもよって、当時、世界文学の中でも辺境ともいうべき日本文学を専攻してくださった・・・・なんとしあわせなことであったでしょう。おそらくこの人のようなかたはもう二度とお出にならないということは、みなさんも思っていらっしゃるだろうと思います。そういう意味で、本日は一期一会ともいうべきありがたい日であります。キーン先生は、年齢でいいますと、私より一つ上であります。・・・」(p64)
うん。谷沢永一氏のお祝いの言葉も、
引用したいのですが、この次にします。
「山片蟠桃賞の軌跡 1982~1991」(大阪府)を出してきました。
以前、この賞について、谷沢永一氏が司馬遼太郎さんとの関連を書いており(それがどの本で読んだやら忘れております)、古本で購入してあったものです。
その第一回(1982年度)受章者がドナルド・キーン氏でした。
昨日は、その箇所を読みなおしておりました。
ドナルド・キーン氏の受賞記念の講演と
そのあとに、司馬さんと谷沢さんの「お祝いのことば」が掲載されております。
読み甲斐がありました。
今度読み直したキーン氏の講演では、
この箇所に、注目しました。
「・・もう一つ、これはあるいはいちばん大切なことかもしれませんが、私は1953年頃から何回も何回も日本に来たことがありまして、もう日本のことを外国だと全然思わなくなったんですけれども、日本で、自分の中にもう一人の自分がいるということを発見したんです。どういう意味かというと、ケンブリッジ大学にいた時分、私はその生活が大好きでした。いちばん自分の性質にむいている生活だと思いました。修道院のような生活で、本ばかりとつきあっていました。場合によっては、1週間、自分の講義の時間以外は自分の声をほとんど使わなかったこともあります。私はそれでいいと思いました。学者はこんなものだと思いました。しかも私は学者以外の何者でもなかったのです。どんな簡単な仕事でも大失敗をしたはずですが、学者の道しか考えられませんでしたから、私はしかたなく学者になったのでした。ところが日本に着いてから、そのもう一人が同じ私の中にいるということが分かりました。狭い意味の読者のために書くよりも、広い読者層のためにものを書くことが、私に、よりむいているということが分かったのです。・・・そして、その発見と同時に、一種の解放感もありました。自分のほんとうの可能性を発揮できることが、日本で初めて分かったのです。・・・」(p43)
つぎには、司馬さんのお祝いの言葉から、
「キーン先生の学問的業績というようなものは、たいへんなものであります。さらにはゆたかな芸術鑑賞の感覚と、まれなほどの芸術的文章の才をあわせもっていらっしゃるのです。こういう人を、神様は一世紀に何人も生みださないと思うのですが、そういう方が、よりにもよって、当時、世界文学の中でも辺境ともいうべき日本文学を専攻してくださった・・・・なんとしあわせなことであったでしょう。おそらくこの人のようなかたはもう二度とお出にならないということは、みなさんも思っていらっしゃるだろうと思います。そういう意味で、本日は一期一会ともいうべきありがたい日であります。キーン先生は、年齢でいいますと、私より一つ上であります。・・・」(p64)
うん。谷沢永一氏のお祝いの言葉も、
引用したいのですが、この次にします。
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