和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

作ったら全部おしまい。

2012-03-18 | 短文紹介
「Voice」4月号に
養老孟司・岩村暢子対談「『家族』が壊れて国滅ぶ」を読んだのです。
次を読みたくなり、
養老孟司・隈研吾対談「日本人はどう住まうべきか?」(日経BP社)を購入。
うん。方丈記の「世中にある人と栖(すみか)と、又かくのごとし」ということへの言及がひょっとしてあるかという興味もありました。ですが、ちょっと違うようです。
まだ、さわりしか読んでいないのですが、
とりあえず、最初の方にある、この箇所を引用。


養老】 大工さんが建築現場から遠ざかっているんですか。
隈】  現場にはいるんですが、仕事の内容が工場の労働者に近くなってきちゃっています。かつて日本の大工さんといえば、クライアントの家に絶えず出入りしていて、生活のクセを知り尽くしていたので、そこに住んでいる人のニーズを汲み上げて、プランニングもアフターケアもできたんですけど、今はそうではない。作ったら全部おしまい。工事のときだけの使い捨ての存在で、その前もその後も、住んでいる人と関係がない。
昔の大工さんは、クライアントからニーズを聞いたり、図面を引いたり、といった作業を全部自分でやりましたから、責任感だって当然、強くなる。だから、地震でその家が壊れたら申し訳ないと思うわけです。でも今の大工さんは、組み立てだけを請け負っているから、責任なんて感じようがない。仮に責任があってとしても、断片化された中での部分的な責任ですから。継続する時間という一番大事なものを見失ってしまった今のシステムの中でしたら、そういう無責任なメンタリティになっても不思議じゃないですよね。この話は、そのまま原子力発電や災害対策の問題に置き換えることができます。(p21~22)


うん。住まいと「継続する時間」なら、
方丈記でも、一貫しているような気がしないでもありませんね。

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