和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

知的生産のキツネ。

2021-08-05 | 本棚並べ
梅棹忠夫著「知的生産の技術」の最終章「文章」に、
キツネが登場します。

「じっさい、くるしまぎれに、キツネつきみたいな状態になって、
無我夢中でかきあげてしまうことがおおい。・・・・・

さらさらといくらでも文章がかけるひとをみていると、
ほんとうにうらやましいとおもう。

こういうのは、うまれつきの才能ということもあろうが、
わたしはやはり、教育と訓練におうところがおおきいとおもう。
わたしなども、わかいときに、そのような教育と訓練をうけて
いたら、キツネのたすけをかりなくても、ゆうゆうと文章がかける
ようになっていたであろうが、いまからでは、手おくれである。

それでも、くるしみながらも、すこしずつでも文章をかきつづけ
ることができているのは、やはり、友人たちからおそわった、
文章のかきかたの技術についての知識と経験のおかげだとおもう。

天成の文章家でなくても、一定の技術的訓練によって、だれでも、
いちおうの文章はかけるようになるものと、わたしは信じている。」
(p199~200)

はい、スラスラと書けると噂の加藤秀俊氏は、その著
「わが師わが友」の「社会人類学研究班」のなかで、

「梅棹さんは、大文章家であるが、執筆にとりかかるまでの
ウォーミング・アップの手つづきや条件がなかなかむずかしいかたである。
一種のキツネつき状態になって、そこではじめて、あの名文ができあがる。」
(p84)

はい。藤本ますみ著「知的生産者たちの現場」には
「遅筆の梅棹さん」とあり、リアルです。そこも引用。

「だが、新しいシステムを採用することと、
原稿の生産性があがることとは、別の問題である。

原稿依頼のファイルはつぎつぎと書斎に持ちこまれたが、
いったんはいってしまうと、なかなか出てこなかった。

計算したわけではないから、はっきりしたことはいえないが、
しめきりまでに原稿といっしょに返ってくるのは、
二、三割ではなかっただろうか。

しめきりがせまって、編集者から催促の電話が何度もかかり、
しまいに京都までおはこびいただいたが、ついに完成しなかった
ものもある。一年、二年ともちこし、とうとう出版社のほうから
とりさげられたものや、十年、二十年をへて、
いまだにそのまま眠っているものもあるようだ。

『遅筆の梅棹さん』の評判は、わたしなどがくる前から、
知る人ぞ知る、有名な事実だったのである。」(p238)

うん。藤本ますみさんが指摘されるキツネ関連では
富士正晴氏(p96)からはじまり
梅棹氏本人も語ります
「予定どおり原稿ができなくて四苦八苦しているとき、先生はよく
『原稿というもんはキツネがついてくれないとできんもんでな』
といわれる。」(p224)

加藤秀俊さんも研究室に顔をみせます。

「『梅棹さんは?』といって、
加藤秀俊先生がのぞかれた。事情を説明するとすぐ、
わかったというしるしに笑いをうかべられて、
『また、いつものキツネ待ちですか。ごくろうさま』と、
編集者とわたしにねぎらいの言葉をかけて出ていかれた。」
(p227)

小松左京氏が登場する箇所は
「テーブルのほうでは、いつものおしゃべりがはじまった。
ほんの三十分か一時間のおしゃべりが、この部屋に集まる人びとの
情報交換となり、おたがいを知りあう大切なよりどころとなる。
・・・・
いつのまにか、梅棹先生の原稿ができあがらないことが、
みなさんに知れてしまった。小松さんが、

『いっぺん、みんなでシンポジウムをせないかんなあ。
《「知的生産の技術について」の筆者に原稿をかかせる
  キツネについて》というテーマはどうやろ』といいだした。

『そらええなあ。そのときはぼく、一番前にいてきかしてもらいます』
と先生。・・・・」(p231)

はい。『キツネのたすけをかり』というのは、
新書「知的生産の技術」を読んでも、読みすごしてしまいますが、
どうやら、研究室ではつとに有名なことだったのでした。

はい。知的生産の現場に住むキツネ。
この夏、キツネの痕跡を探す楽しみ。


コメント (2)
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