和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

漱石。来年の夏休み。

2021-08-18 | 本棚並べ
本棚から夏目漱石を出してくる。

夏目漱石『坊っちゃん』
高島俊男『漱石の夏やすみ』(ちくま文庫)
中村吉広『チベット語になった「坊っちゃん」』(山と渓谷社)
ちなみに、集英社新書ヴィジュアル版に
『直筆で読む「坊っちゃん」』(2007年)があった。
はい。漱石といえば、わたしは初期作品でもう満腹。

「坊っちゃん」には、清さんが出てくる。

「清は時々台所で人の居ない時に
『あなたは真っ直でよい御気性だ』と賞める事が時々あった。
然しおれには清の云う意味が分からなかった。・・・」

「田舎へ行くんだと云ったら、非常に失望した容子で、
胡麻塩の鬢の乱れを頻りに撫でた。余り気の毒だから
『行く事は行くがじき帰る。来年の夏休にはきっと帰る』
と慰めてやった。」

その田舎はというと
「地図で見ると海浜で針の先程小さく見える。」

「ぶうと云って汽船がとまると、艀(はしけ)が岸を離れて、
漕ぎ寄せて来た。船頭は真っ裸に赤ふんどしをしめている。
野蛮な所だ。尤もこの熱さでは着物はきれまい。
日が強いので水がやに光る。見詰めていても眼がくらむ。
・・・見るところでは大森位な漁村だ。・・・」

うん。坊っちゃんは海水浴じゃなくて温泉でした。

「おれはここへ来てから、毎日住田の温泉へ行く事に極めている。
ほかの所は何を見ても東京の足元にも及ばないが温泉だけは立派なものだ。
・・・・

湯壺は花崗岩(みかげいし)を畳み上げて、十五畳敷位の広さに仕切ってある。
大抵は十三四人漬ってるがたまには誰も居ない事がある。

深さは立って乳の辺まであるから、運動の為めに、
湯の中を泳ぐのは中々愉快だ。おれは人の居ないのを見済しては
十五畳の湯壺を泳ぎ巡って喜んでいた。

ところがある日三階から威勢よく下りて今日も泳げるかなと
ざくろ口を覗いて見ると、大きな札へ黒々と
湯の中で泳ぐべからずとかいて貼りつけてある。・・・」

はい。このくらいにして、つぎは
高島俊男著「漱石の夏やすみ」。

はじまりには、こうあります。
「『木屑録(ぼくせつろく)』は、夏目漱石が
明治22年、23歳のときにつくった漢文紀行である。
漱石は第一高等中学校の生徒であった。
この年の夏やすみを、漱石は旅行にすごした。

・・・・この房総旅行の見聞をしるしたのが木屑録である。
・・・・木屑録は同級生の正岡子規に見せるためにつくったものであるが、
その子規はこの年五月に喀血し、七月はじめに学年試験がおわるとすぐ
郷里松山へかえって静養していた。
子規が東京にもどったのは九月すえであるから、漱石が
子規に木屑録をしめしたのは月末か十月はじめであろう。
子規はこれをつぶさによみ、批評をつけて漱石にかえした。・・・」

この漢文紀行を高島さんは現代語に訳しておりました。
うん。ここを引用。

「房州旅行中、おれは毎日海水浴をした。
日にすくなくも二三べん、
多くは五たびも六たびも。

海のなかにてピョンピョンと、
子どもみたいにとびはねる。
これ食欲増進のためなり。
あきれば熱砂に腹ばひになる。
温気腹にしみて気持よし。

かかること数日、毛髪だんだん茶色になり、
顔はおひおひ黄色くなった。
さらに十日をすぎて、茶色は赤に、
黄色は黒にと変色せり。

鏡をのぞいてこれがおれかと、
アッケにとられたり。」(p20)

はい。もう一冊は
中村吉広著「チベット語になった『坊っちゃん』」
なんですが、もうすっかり内容を忘れてしまってる。
こちらは、夏休みの宿題。


コメント (2)
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