和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

二人の達郎。

2011-09-21 | 短文紹介
朝日新聞の日曜日。
その朝日求人という全面広告。
そこに毎回4週連続のインタビュー記事が載っており、
ちょっと、気になるコーナーなのです。
たとえば、8月28日は山下達郎氏の連載4週目。
まあ、最初から引用します。


「音楽だけではなく、映画や小説、絵画、スポーツなどの分野も同じだと思いますが、商品として売っていく中で『世の中を変える世紀の傑作』とか、『数百万人を感動させた』と誇大宣伝を打つケースが少なくない。さらに、多くの媒体や評論家と呼ばれるような存在も巻き込んで、過大評価を流布する例もたくさんあります。そのこと自体はビジネスなので仕方がない。
それは内容とは別の問題なのに、宣伝ほどじゃないとか、過大評価が気に入らないと思う人々が、今度は批判を浴びせます。そういう過大な称賛と不必要な批判が錯綜し対立するたびに、文化は傷つき、人の気持ちもすさむように思えます。
僕は58歳になり、この年齢になってどうにか、的外れな批判を気にせずに生きられるようになりました。できることなら、今の若い人にはそういう周囲の雑音に負けないで仕事をして欲しいと思っています・・・・
だからこそ職種を問わず、仕事人になったら、好き嫌いと良しあしをきちんと区切って、他者の作品や仕事への敬意を払わねばなりません。一つの作品が形になるまでに費やす時間や労力は半端なものではありません。良しあしや好き嫌いがあるのは当然ですが、度を超した評価や批判は、文化自体をも曇らせていくものです。・・・」

初めて山下達郎氏の言葉を聞いたせいか、
あらためて、山下氏の音楽をパソコンにて拝聴しております。

ところで、達郎といえば、
出久根達郎著「漱石先生の手紙」(NHK出版)に
出久根氏が、大好きな手紙文という、引用箇所があり、
一読忘れられないのでした。


「以下後半の部分を紹介します。漱石の書簡2500余通の中で、最も私(注:出久根達郎ご自身のこと)の大好きな手紙文であります。漱石の人となりが一番表われている手紙といえるかも知れません。」

 こうして武者小路実篤へ送った手紙を引用しているのでした。
その手紙文を、ここにあらためて、引用。

「(略)私もあなたと同じ性格があるので、こんな事によく気を悩ませたり気を腐らせたりしました。然しこんな事はいつ迄経つても続々出て来て際限がないので、近頃は出来る丈これらに超越する工夫をして居ります。私は随分人から悪口やら誹謗を受けました。然し私は黙然としてゐました。猫を書いた時多くの人は翻案か、又は方々から盗んだものを並べたてたのだと解釈しました。そんな主意を発表したものさへあります。/武者小路さん。気に入らない事、癪に障る事、憤慨すべき事を塵芥(ちりあくた)の如く沢山あります。それを清める事は人間の力では出来ません。それと戦ふよりもそれをゆるす事が人間として立派なものならば、出来る丈そちらの方の修行をお互にしたいと思ひますがどうでせう。・・・」


そういえば、
出久根達郎著「日本人の美風」(新潮新書)の「二宮尊徳の凄味」には
『二宮翁夜話』からの引用がありました。
ついでに、そこからも、引用しておきます。


「・・・たとえば農家に病人が出て、草取りが遅れた場合、草が多い畑から片づけるのが一般的だが、こういう事情の時は逆だ。草が少ない畑より手入れをし、草の多い畑は最後にやる。草が繁った畑は手間がかかるし、その間に草の少ない畑も皆草が育って手に負えなくなる。従って手間取る畑は荒れてもうっちゃっておき、手軽なところより次々と処理する。『国家を復興するも又此理(ことわり)なり』山林を開拓する時は、大きい木の根はそのまま捨ておいて、そのまわりを切り開く。三、四年もすれば、木の根はおのずから朽ちて、力を入れずして取れる。
村を復興する時、必ず反抗する者がいる。この者に決して拘わってはいけない。無視して、わが勤めに励むことだ。」(p95)

うん。この「二宮翁夜話」は、文庫でたしか読まないけれどももっていたと思ったのですが、残念見つかりません。今回はさがすのをあきらめ、ここまでで撤退。
コメント
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