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江戸がすごい

2009-07-31 21:18:56 | ビックリしたこと
いつだったか、深川ではじめて深川飯を食べたとき、「おいしい」じゃなくて「なつかしい」という言葉がもれたことがある。

私ったら江戸に生きたことがあるのか。

確かに昔から江戸には親近感がわいていた。最近、杉浦日向子改修の「お江戸でござる」を読んだらさらに江戸が近くなった。


江戸東京博物館のミニチュア


それにしても江戸はすごい。世界に誇れる日本独自の文化があり、今よりずっと生きやすかったのではないかと思う。

江戸の庶民はほとんどが狭い長屋に住んでいて、外国人は「よく日本人はそんな劣悪な環境で何百年も耐えられたものだ」と驚くそうだが、それは江戸の人が町全体を住居として考えていたからだろう。

銭湯へ行き、その2階で近所の人たちと世間話をし、神社の境内で涼む。町の中にバスルームやリビングルームがあるようなもの、長屋は寝室だったのだ。

そんな町が江戸には1000以上あり、みんな自分の町に誇りを持ち「隣りよりいい町にしよう」と思っていた。

町に痩せた子供や体の不自由なお年寄りが世話をされずにいると「お前のところは弱いのものを見てやっていないんじゃないか?」と軽蔑された。

江戸にはボランティアや福祉に相当する言葉はなかったが、力のある人が力を貸し、お金のある人がお金を出す、それが少しも恩着せがましくなく、当たり前だったそうだ。

江戸社会は徹底したリサイクル社会。

紙くずはすき直して何度も書物や紙として再使用し、最後は本のハードカバーの芯に。

使ったろうそくのロウは買い取って溶かして新しいろうそくに。

個人のかまどや火鉢の灰も業者が買い取り、肥料、染め物、酒造り、糸作り、漢方、洗剤などの材料として使われたそうだ。

それに、知ってた?
17世紀の3大都市、ロンドン、パリ、江戸のうち、常に水が流れている水道を持っていたのは江戸だけだったんだってね。すごいハイテクなしくみだったそうだよ。

それから18世紀の初め、欧米でもまだまだ庶民が旅などできなかった時代、5街道が整備された日本では庶民がさかんに旅行していたんだよね。

お金をかけて旅をする人もいたけど、無銭でも旅に出られたんだそう。大家さんに「通行手形」を一筆書いてもらえば全国どこへでも行けたので、無銭の人は各宿場で皿洗いをしたりして働き、少し稼いだら次の宿場へ行く、みたいな旅だったようだ。楽しそう。

江戸の人たちは精神もとても自由。

「人間一生、物見遊山」つまり「せいぜいあちこち見て見聞を広め、友達をふやして死んでいけばいい」と思っていたので、火事が起こったらすべて焼けてしまうようなモノには価値を置いていなかったらしい。芝居を観たり、相撲を応援したり、旅に行ったり、あとに残らないことにお金を使うのが粋とされていたんだって。

ステキ♪ 江戸。

あ~、また江戸に生まれたい。



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