もしかしたらと、その後テレビ番組を持っていて、私をインストラクターに
なる特訓をしてい下さった「東京ヨガセンター」創始者の羽成孝先生を
ネットで検索してみた。すると、大分以前以前85歳で亡くなられたのを知った。
元は商社マンだった先生は、「これから必ずヨーガブームになる」と、人に
先駆けてインド人の先生を招聘し「東京ヨガセンター」を開設されたのだろう。
私はインストラクターになった途端に、その道場で指導するより、ヨーガの
宣伝のためか、デモンストレーションのため、都内や近郊の企業など先生に
連れられて何度か行った。
背中に大きな「東京ヨガセンター」と文字入りの、真っ赤なレオタードを着
せられ、大勢の前でヨーガのポーズをやらされたが、先生の解説で動く私を
見る、大勢の視線は決して気分の良いものではなかった。
思えばその頃ほとんど知名度がなかったヨーガを「健康を維持するために
効果がある」ことを、大勢の人に知ってほしかったのだと思った。
その後私が望んで出張インストラクターとなり、六本木の女性専用の高級
クラブ、鎌倉のホテル、名前は忘れたが茨城県の3か所にしばらく通った。
私は指導経験を積みながら、自分でヨーガ教室を開きたいと思ったのは
ダンススタジオは広いスペースがいるが、ヨーガ教室は少し広ければ、ふつう
のマンションの一室でも開けると思ったからだ。それにはもっと知識が必要で
メトロノームを使う指導法はする気はなかった。そのため、何か所のヨーガ
教室に入会し、その指導法を学習した。その頃の何となく暗い雰囲気が嫌いで
私独自の明るく楽しい指導法を確立し、それから自分で教室を開くつもりで
いろいろ学習しながら、都内で物件を探していた。