昨日も暑い日でした。
妹と福島市へ行ってきました。
相馬在住の母方の叔母が県立医大病院に入院したのでそのお見舞いに。
福島市に住む末の妹と待ち合わせていたのですが、
家族バラバラで避難生活をしている母の実家の叔母や
従弟とも会うことができました。
震災以来会うのは初めてだったので、思いがいろいろとこみあげ
涙がこぼれました。
今朝の新聞には、「縮む福島県」という大きな見出しで、
特集記事が組まれていました。
原発の収束から終息までの工程表が示す気の遠くなるような長い時間。
私たち福島県民はこれからどう生きていけばいのか。
昨晩のNHKで原発特集番組がありましたが、
私たちにとって救いになるような言葉は見当たりませんでした。
絶望のあまり自ら命を絶つお年寄りがいます。
出荷した肉牛から基準値を超えるセシウムが出たと嘆く人がいます。
親潮と黒潮がぶつかる豊かな漁場をもつ福島の海。
私たちを育んできた美しい大地。
故郷はこの私の血肉となって脈打っています。
他県の人たちから、この風景、産物、そして人までが、
疎まれ拒まれている現実も少なからずありますが、
どうかここで生きる人たちをこれ以上追い込まないでほしい。
「私たちは東電の補償ではなく果物を売って自前で生きていきたいのです」
果樹農家の人の言葉です。
そして、昨夜。
札幌の次男夫婦に赤ちゃんが産まれました。
陣痛が長く続いて苦労したようですが、母子ともに元気!
女の子です。
新たないのちの誕生。
ほんとうにありがたいことです。
3月11日、この赤ちゃんはママのおなかの中にいて、
たまたま帰省していた川俣の実家で、訪ねていた私たちとともに、
あの恐ろしい揺れを経験しました。
その日やっとのことでいわきへ戻り、15日の3号機の爆発のあと、
ようやく彼らは札幌に脱出できました。
私はおなかの赤ちゃんのことがず~っと心配でした。
だからなおのこと、無事の誕生は大きな喜びです。
一足先に産まれた長男ベビーとは、ちょうど1カ月違い。
二人とも、お母さんのおなかの中で大変な経験をしたけれど、
よく元気に育ってくれました。
次男ベビーが、この先、ママの生まれたあの家へ
連れて行ってもらえることは、おそらく無いでしょう。
でも、大人である私たちは、この福島に生きる子どもたち、
福島につながる子どもたちが、
そのことを誇りとして生きていける、そんな故郷を
踏ん張って作っていかなければなりません。
「がんばろう」「がんばれ」
これらは人に言う言葉でも人から言われる言葉でもないんだな。
自分自身に呼びかける言葉なんだな、と思います。
「がんばっぺ、私」
妹と福島市へ行ってきました。
相馬在住の母方の叔母が県立医大病院に入院したのでそのお見舞いに。
福島市に住む末の妹と待ち合わせていたのですが、
家族バラバラで避難生活をしている母の実家の叔母や
従弟とも会うことができました。
震災以来会うのは初めてだったので、思いがいろいろとこみあげ
涙がこぼれました。
今朝の新聞には、「縮む福島県」という大きな見出しで、
特集記事が組まれていました。
原発の収束から終息までの工程表が示す気の遠くなるような長い時間。
私たち福島県民はこれからどう生きていけばいのか。
昨晩のNHKで原発特集番組がありましたが、
私たちにとって救いになるような言葉は見当たりませんでした。
絶望のあまり自ら命を絶つお年寄りがいます。
出荷した肉牛から基準値を超えるセシウムが出たと嘆く人がいます。
親潮と黒潮がぶつかる豊かな漁場をもつ福島の海。
私たちを育んできた美しい大地。
故郷はこの私の血肉となって脈打っています。
他県の人たちから、この風景、産物、そして人までが、
疎まれ拒まれている現実も少なからずありますが、
どうかここで生きる人たちをこれ以上追い込まないでほしい。
「私たちは東電の補償ではなく果物を売って自前で生きていきたいのです」
果樹農家の人の言葉です。
そして、昨夜。
札幌の次男夫婦に赤ちゃんが産まれました。
陣痛が長く続いて苦労したようですが、母子ともに元気!
女の子です。
新たないのちの誕生。
ほんとうにありがたいことです。
3月11日、この赤ちゃんはママのおなかの中にいて、
たまたま帰省していた川俣の実家で、訪ねていた私たちとともに、
あの恐ろしい揺れを経験しました。
その日やっとのことでいわきへ戻り、15日の3号機の爆発のあと、
ようやく彼らは札幌に脱出できました。
私はおなかの赤ちゃんのことがず~っと心配でした。
だからなおのこと、無事の誕生は大きな喜びです。
一足先に産まれた長男ベビーとは、ちょうど1カ月違い。
二人とも、お母さんのおなかの中で大変な経験をしたけれど、
よく元気に育ってくれました。
次男ベビーが、この先、ママの生まれたあの家へ
連れて行ってもらえることは、おそらく無いでしょう。
でも、大人である私たちは、この福島に生きる子どもたち、
福島につながる子どもたちが、
そのことを誇りとして生きていける、そんな故郷を
踏ん張って作っていかなければなりません。
「がんばろう」「がんばれ」
これらは人に言う言葉でも人から言われる言葉でもないんだな。
自分自身に呼びかける言葉なんだな、と思います。
「がんばっぺ、私」