朝、何気なく海を見ていたら、"友ヶ島"に灯りが!
白と赤の灯りが何秒かおいて交互に点滅する灯台。
今までも見たような気もするけど、島影もはっきりしてるし、いっちょ写してみるか・・・が、頭の写真。ズーム40倍。
ネットで調べてみたら、4つの無人島群からなる"友ヶ島"のうち、西端の沖ノ島にある「友ヶ島灯台」でした。
ちなみに「友ヶ島」は島群の名前で、「友ヶ島」という名前の島は無いのです。
1870(明治3)年、工事着工、72年(明治5)に初点灯。技術指導は英国人リチャード・ヘンリー・ブラントン。
大坂条約(幕府と英国間で結ばれた兵庫開港にともなう条約)により、当時5基建設された灯台のうちの1つだそうです。
この灯台の西40mが東経135度だそう。
ということは明石の天文科学館のほぼ真南ちゅうことですなぁ。
目視ではこれぐらいの大きさ
そして小さい頃から見ていてなじみのある・・
淡路島野崎(大震災のときの"野崎断層"の野崎ですよ)にある"江崎灯台"。
やはり大坂条約でブラントンの指導で建設されたの5灯台のうちの1つだそう。
1871(明治4)に初点灯。
こちらは赤と白の灯りが点滅はせずに、灯りはついたまま交互に色が変わるだけ。
あと、須磨海浜公園の西端にオブジェとしてある「赤灯台」。元は「和田岬灯台」で、こちらも大坂条約の5灯台のうちの1つ。
現存のオブジェは明治期に改築された後のもの。
な~んと、身近に3灯台。
残りの二つは瀬戸内海西の入り口、福岡県門司と山口県下関にあるとのことですよ。
ちなみに丹後半島網野の八丁浜から少し南の海沿いに東経135度のモニュメントがあるので、これらは南北一直線上にあるちゅうこと。おもしろいねぇ。。。
ほっほ~っ、東西関係でいうと、うちから真北に行くと丹後半島の鳴き砂で有名な「琴引浜」にたどり着きそうな感じかなぁ?
友ヶ島、じつは若い頃からの憧れの島です。
旧日本軍の砲台やレンガ造りの弾薬庫や建物が今でもあって、「廃墟、探検!」心そそります。
昔は淡路島からも船が出てたような気がするんだけど?・・・
今は加太からの船便しかなく、満点バイクでちょい探検!とはいかなくなって、今に至る。。。。。
いつかは行きたい「友ヶ島」だな~
白と赤の灯りが何秒かおいて交互に点滅する灯台。
今までも見たような気もするけど、島影もはっきりしてるし、いっちょ写してみるか・・・が、頭の写真。ズーム40倍。
ネットで調べてみたら、4つの無人島群からなる"友ヶ島"のうち、西端の沖ノ島にある「友ヶ島灯台」でした。
ちなみに「友ヶ島」は島群の名前で、「友ヶ島」という名前の島は無いのです。
1870(明治3)年、工事着工、72年(明治5)に初点灯。技術指導は英国人リチャード・ヘンリー・ブラントン。
大坂条約(幕府と英国間で結ばれた兵庫開港にともなう条約)により、当時5基建設された灯台のうちの1つだそうです。
この灯台の西40mが東経135度だそう。
ということは明石の天文科学館のほぼ真南ちゅうことですなぁ。
目視ではこれぐらいの大きさ
そして小さい頃から見ていてなじみのある・・
淡路島野崎(大震災のときの"野崎断層"の野崎ですよ)にある"江崎灯台"。
やはり大坂条約でブラントンの指導で建設されたの5灯台のうちの1つだそう。
1871(明治4)に初点灯。
こちらは赤と白の灯りが点滅はせずに、灯りはついたまま交互に色が変わるだけ。
あと、須磨海浜公園の西端にオブジェとしてある「赤灯台」。元は「和田岬灯台」で、こちらも大坂条約の5灯台のうちの1つ。
現存のオブジェは明治期に改築された後のもの。
な~んと、身近に3灯台。
残りの二つは瀬戸内海西の入り口、福岡県門司と山口県下関にあるとのことですよ。
ちなみに丹後半島網野の八丁浜から少し南の海沿いに東経135度のモニュメントがあるので、これらは南北一直線上にあるちゅうこと。おもしろいねぇ。。。
ほっほ~っ、東西関係でいうと、うちから真北に行くと丹後半島の鳴き砂で有名な「琴引浜」にたどり着きそうな感じかなぁ?
友ヶ島、じつは若い頃からの憧れの島です。
旧日本軍の砲台やレンガ造りの弾薬庫や建物が今でもあって、「廃墟、探検!」心そそります。
昔は淡路島からも船が出てたような気がするんだけど?・・・
今は加太からの船便しかなく、満点バイクでちょい探検!とはいかなくなって、今に至る。。。。。
いつかは行きたい「友ヶ島」だな~