のぶさんの花便り

デジカメと花に夢中な《のぶさん》ですが
これからは、風景やスナップにチャレンジ

千葉さわやか散歩 その15 ⑥

2018年09月22日 05時33分34秒 | 写真

龍角寺から房総風土記の丘、房総のむらへ

江戸時代末期の水車小屋を再現しています。房総地方にもかつて昭和初期頃まで数多くの水車小屋があったと伝えられています。
水車の用途には、動力と灌漑がありますが、当館の水車は動力用として作られています。

動力用として、穀類の精白用搗臼(つきうす)2基と挽臼(ひきうす)を設置しています。搗臼は穀類の精白、藁打ち、油絞り等に、挽臼は搗臼で精白した
穀類を挽いて粉にするために使いました。

なお、水車の動かし方には、上掛式(水車の頂部に水流をあて、水車を回す方式)、胸掛式(水車の中央部に水流をあて、水車を回す方式)及び下掛式
(水車の下に水流をあて、水車を回す方式)がありますが、この水車は、胸掛式になっています(水車の直径3.6m)。
 

「腕木門(うでぎもん)」は、武家屋敷に入る門です。親柱からは、前後に腕木、左右の親柱の上部に冠木(かぶき)が通されます。さらに、腕木にのせた出
し桁(だしげた)に垂木(たるき)を掛けて屋根を付け、板扉か格子扉(こうしとびら)を設けたことから、こう呼ばれます。腕木門から続く生け垣は、馬上からの
目隠しのため施されたものです。

         

佐倉市宮小路にある中級武士の武居家をモデルに再現しています。
武居家は,江戸時代後期に建築された寄棟造(よせむねづくり)の平屋建てで,主屋は土間・勝手(台所)・食事室・居間・寄付(取次)・座敷(客間)で構成さ
れてます。主屋の他には,稲荷,腕木門(うでぎもん)・菜園などがあり,全体が土塁と生け垣で囲まれています。主屋へ上がることができ,調度なども見学できます。

主屋は佐倉藩士の住宅であった武居家をモデルにしています。『慶応元年(1865)佐倉藩堀田氏分限帳』によると、小納戸部屋番で90石取りの田嶋伝左
右衛門の屋敷であったことがわかります。 日頃の生活に利用する「居間」「食事室」「勝手(台所)」「土間」という居住空間と「式台(玄関)」「寄付(取次)」「座敷
(客間)」という客用空間とに区別できます。座敷側と居間側の両方に縁を回し、左右対称の平面の造りになっています。

         

明治13(1880)年千葉市長洲に建てられ明治44(1911)年まで使用された第2代目の千葉県議会議事堂を、当時の写真や銅版画によって外観を再現してい
ます。
屋根は、日本で古くから行われてきた平瓦と丸瓦を交互に置く本瓦葺きですが、前面のベランダや窓は西洋風で、擬洋風建築と呼ばれる和洋折衷の
独特な外観です。

県内に残る佐原などの古い町並みを参考に、めし屋・そば屋などの飲食店から鍛冶屋までの16軒の店先のほか、旅館の外観を再現した総屋(総合案内所)
の17軒の建物で構成されています。他に古い町並みにはよく見られた、稲荷や地蔵、火の見やぐらなども再現しています。

また、商家16軒のうち、8軒の2階は展示室になっており、各店に関係が深い原料・製作工程・道具、技術、製品、販売・流通、年中行事などを紹介しています。

 

安房の農家の撮影を終えて、水車小屋~武家屋敷を巡り管理棟(旧千葉県会議事場)前を通り、房総のむらの目抜き通りと言える商家の
街並みに。この街並みは、多くの映画・テレビのロケ地として利用されておる。
 

(千葉県印旛郡栄町 : 2009.12.20 撮影)

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