赤羽から志村城跡
志村城は豊島氏一族の志村氏により築かれた城です。1455年(康正元年)に下総千葉氏の内紛が起こり、馬加氏(まくわりし)によって亥鼻
城を追われた千葉自胤が、扇谷上杉氏を頼って武蔵に逃れ太田道灌によって庇護され「武蔵千葉氏」を称した際には、千葉宗家が根拠と
する赤塚城の支城として、一族の千葉信胤が入りました。
1524年(大永4年)には北条氏綱に攻められ落城し、以降は北条氏の支配下に置かれたと考えられますが詳細は不明で、小田原征伐後に
廃城となったものと考えられています。現在、本丸跡はマンションや板橋区立志村小学校になっており、二の丸跡に志村熊野神社が建立さ
れています。本丸と二の丸の間には空堀が残っています。
長久3年(1042年)に当地の豪族であった志村将監が紀州熊野から勧進したと伝えられている。また、天喜年間に源義家が父頼義と共に奥
州へ追討の際に武運長久の祈願をしたとも伝わっている。後の1455年に千葉自胤が志村城に入ると志村城の守護神と定められた。
志村城は1524年に北条氏綱に攻められ落城し、その後廃城になった。その後大正13年(1924年)には郷社になり、近隣町村の鎮守として
祀られている[1]。社殿は昭和32年(1957年)改築されている。 -Wikipedia
(志村城跡~志村熊の神社 : 東京都板橋区 2012.07.16 撮影)