洗足池から大岡山、西小山
北千束の清水窪湧水などを主な水源とする都内屈指の広さを有する淡水池のある公園です。江戸時代、歌川広重の名所江戸百景『千束
の池袈裟懸松』にも描かれた水辺の景観の面影を今も残しています。春はサクラでにぎわい、秋には紅葉を満喫することができます。
生物に目を向ければ、冬は渡り鳥の楽園となり、夏には水辺を飛び交うトンボなどの姿も見られます。散策スポットとしては、池月橋、水生植
物園のほか、歴史を伝えるものとして勝海舟夫妻の墓、西郷隆盛留魂碑、徳富蘇峰詩碑、名馬池月像などがあります。また、ボートもあります。
洗足池の小島に鎮座している「洗足池弁財天(厳島神社)」。創建年代は不明ですが、古くから洗足池の守護神として北側にある小島に祀
られていたそうです。境内に掲げられている案内板の「由緒沿革」には、以下のように記されています。
創建の年代は、不詳なれど、古来より洗足池の守護神として池の北端の小島に祀られていたが、長い年月の池中に没してしまっていた。
その昭和の初め頃より幾多の人々の夢枕に辯財天が出現せられ、このことが契機となって御社殿建立の話が具体化し、多くの人々の尽力
によって、昭和九年七月洗足風致協会の手により築島遷宮の運びとなり、以来今日に至る間、多くの参拝者に、右御神徳を授けられている。
勝海舟(1823年から1899年)は、官軍のおかれた池上本門寺に赴く途中、洗足池畔に憩い、風景にうたれ、その縁でここに別荘を構えました。
後に海舟の遺言で、屋敷裏の台地に葬られたと伝えられます。妻である民子の墓は、後に青山墓地から移設されました。区指定文化財。
留魂祠(西郷隆盛碑)は、大田区南千束にある名所史跡です。留魂祠は、明治10年(1877)に戦死した西郷隆盛(南洲)を惜しんで、勝海舟
が明治16年に造立した祠です。留魂祠に先立ち、西郷隆盛の漢詩碑を建碑、双方ともに四ツ木薬妙寺境内に造立したものの、勝海舟没後、
勝海舟の遺言により、勝海舟夫妻の墓の隣地にあたる当地へ大正2年に移転したといいます。
(洗足池公園 : 東京都大田区 2013.10.08 撮影)