跳箱

跳び箱でも飛箱でも飛び箱でもとびばこでもいいけどそこはそれ跳箱なんです。体育日和のお供にどうぞ。

Web2.0を目の敵にしてみる

2005-08-31 15:34:29 | メディア
ことを今週の目標(ってもう水曜日だよ...。)にしてみようかと思ったとたん、伊藤氏がクラシックかつ理想主義的なインターネット論を(いまどき)語ってるという記事見つけたのはいつものCNET。

伊藤氏、いまだにデジガジの顧問やってたんだ...。

いわく、

インターネットの本質として一番重要なのは、オープンであることだという。つまり、どこでも接続可能で、さまざまな情報を引き出せる

はあ、接続性の標準化の話と情報(知財)流通の無料化の話が峻別されていればべつにだからどーした、って話ではあります。てゆうか伊藤氏、10年前と言ってる事が変わってない点についてはブレが無いと評価したいところではありますが、10年前から思考がなんにも進歩していないともいえるので、そこんとこ大変残念です。神童も30過ぎればただの人ってことでしょうか...。

Googleが先週発表したIMの「Google Talk」はオープンソースのJabberベースで開発されており、「再びオープンな技術を採用する動きが見られつつある。こうした動きはこれからも活発になるだろうし、そうあるべきだ」

ネットワーク外部性を持つ財を低コストに普及させる手段としてオープンソースを活用するというのは合理的な選択肢の一つですが、トレードオフとして限界収益が比較的低い点を受け入れる必要があるでしょう。一方でネットワーク外部性を持つ財はWTAが発生しやすく自然独占に向かう財でもあるので、その財による収益を重視する事業主体でカネとか権力持っているところならプロプライエタリな実装、フォーラムスタンダード、公的機関標準準拠といった順序で実装手段を検討するのも当然といえます。

で、オープンソースが先に普及してしまったら、しょうがないからその周辺で同じことをできないか考えるでしょう。要するにコモディタイズしてしまった中心財の周辺でスプロールしてくわけです。(で、放置プレイされた中心財がいつの間にかスラム化していくとか)

伊藤氏のスタンスは昔からオープンマンセーなんで別に不思議な感じはしない発言ではありますし、しゃべったというイベントがデジガジ林氏主催ないたいけなベンチャー経営者志望者ないしベンチャー経営者を煽る会なんで無理も無い、とも思いますが、根拠無しに相変わらずそーゆう主張を繰り返しているんだとしたら無責任な話です...。

途中端折ってしまいますが、

Web2.0と呼ばれる次世代ウェブに取り組む企業でも、「成功しつつあるのは、たいていオープンソースで開発し、周りの人たちとつながっている」とした。また、インターネット業界でも大企業が増えているが、「面白い技術やアイデアは小さな会社からでも多く生まれてくる。これからの10年は、ボトムアップで小さな企業がだんだん育ってくる時代になるのではないか」と述べた

上述した理屈に当てはめると解りやすくなるんじゃないすかね?しかもどこが"成功しつつある"企業にあたるのか明示して無いのもずるいよね。うっしっし。

googleあれこれリターンズ2

2005-08-30 23:47:25 | メディア
前回googleについて言及した際、勢いあまってkazuho氏にまで噛み付いたわけですが、kazuho氏が考慮に値するというgoogleによる移動体通信事業への参入の可能性についてもうちっと考えてみようかと。

CNETの永井たんの記事によると、googleが、

同社は8月18日に約40億ドルの新株を発行することを発表

とのことで、財布にはざっくり4000億円程度入る予定であると。言うまでも無く日本でも米国でも携帯電話会社を本気で作るつもりならこれじゃ足りない。これを初期の見せ金にしてトータルで5~10倍のカネを集めきる自信があるなら何とかなると思う。(で、5~10倍のカネが集まるなら一発で集めてキャリア買収したほうが手っ取り早い、一発で集めることが出来ないなら別のことやって一発で集められる状況作ったほうが堅実、で、一発で集められる状況に持っていくのに数年かかるならファンダメンタル変化しちゃうから企画をお蔵入りさせておいたほうがいい、ってことになるんじゃないかと)

もう一方、そもそもgoogleってソフトウェア(てゆうかアルゴリズム一発勝負)カンパニーなので巨大インフラ構築して運営して集客してクレーム処理して、って商売をマネージメントできるか非常に疑問。YBBのような異業種からの通信事業参入事例もあるけど、あの舞台裏を知っている人はだれしも失笑ものだったことに同意願えると思う。いまだに赤字だしね。

それでも以前にも書いたように現在、googleが食い扶持を得ている分野の限界を超えて時価総額を肯定しえるように事業を成長させるためにkazuho氏が言うように移動体通信に参入する必要があるとするなら(移動体通信事業の成長性については別の議論があるんだけどね)googleはMVNOかMVNE事業に参入するか、SIMフリーなgoogle端末(ブラックベリーみたいなやつか?)を作ってネット経由でgoogleマンセーな顧客に売るしかないんじゃないかな?

どっちもあまり儲かりそうな絵にならないけどね。

google的に一番負ける可能性が低いのは経営陣が株価に関心ないと開き直って時価総額減っても放置、時価総額減る前に増資だけぶちかまして現金たんまり抱えてどんな方向にもそれなりに対応できる状況を作って状況変化を待つ。って手な気がするんだけどね。

大きなお友達、ごっちゃごちゃ。

2005-08-30 02:17:43 | ひやかし
要は自社の開発スタイルは優秀なんであると言いたいらしい大きなお友達ことはてな代表取締役な近藤氏、資本主義な時代において"優秀"ならカネ儲かってしょうがないはずという点には一切触れずじまいです。

はてなの開発スタイルがすばらしく優秀であるという仮説が仮に事実であったとすると、今度ははてなの業績が痛々しい実態である点からはてなの経営がはてなの開発スタイルの優位性を帳消しにして余りあるほど問題だらけ、なんではないかという新しい疑惑を生んでしまうのではないかとふと思ったり思わなかったりしたのは例によってCNETのこちらのエントリから。

さて、個別ツッコミ参ります。

コミュニケーションの可能性は、時間や空間の物理的制限を超えて、「いつでもどこでも誰とでも」という世界が実現し始めています

これはPARCのMark Weiser氏が言いだしっぺなUbiCompのヘタクソな引用ですね。日本の政策形成の流れに乗ったところからなら、一昨年に総務省らしからぬえらく趣味に突っ走った研究会運営していたんで有名なユビキタスネットワーク技術の将来展望に関する調査研究会の報告書あたりで言っていることの表面をなぞっただけといえましょう。

総務省の研究会報告書では近藤氏が指摘した空間的・地理的制約からの解放だけでなく、通信対象の制約からの解放、ネットワーク、端末、サービス・コンテンツの選択の制約からの解放、通信能力の制約からの解放、ネットワーク・リスクからの開放といったところまで考慮に入れています。

さて、ここだけなら単に近藤氏の関心のあるところを中心に捨象しただけと考えて見逃してもよかったんですが、続いて、

各個々人が誰とどのようにコミュニケーションを行うかという問題にとどまらず、企業が製品やサービスを開発して提供していくプロセスの中にも影響を及ぼしつつあり、今後その影響はどんどん拡大していくと思います

とコミュニケーション手段における制約が無くなる、もしくは減る、という話と企業の(製品やサービス開発のプロセスの変化という形で)比較競争優位形成手段が変化する(してる)んであると飛躍しているからやっぱ問題です。岩井氏のポスト産業資本主義でも斜め読みしたんでしょうか?

企業とユーザーが直接対話を行いながら製品の改善を行ったり、新製品の企画すら行っていくという事が可能になってきており、実際にそういう事例が出始めています

近藤氏は逆説的にこれまではそうしたプロセスが無かったと主張されたいようですが、マーケティングをかじったことがある人ならだれでも思い浮かぶように、フォーカスグループインタビューやグループデプスインタビュー、各種の市場調査といった手段を駆使して企業は製品やサービスの企画を進めてきたわけです。

インターネットを活用することによってこれらのコミュニケーションコストが低減する、という主張であれば、あー、そーね、で済むのですが、近藤氏が知ってか知らずか、これまではそんなもん無かったといわんばかりの主張を展開するなら非常に誤解を招きやすい表現といえるでしょう。

そしてそういう変化が最も早く訪れているのは、まさにそのインフラそのものであるインターネット産業だと思います

この主張については単純に疑問があります。新しいチャレンジを率先して実行することが出来て、かつその動機があるのは費用負担余力と競争のある産業分野でしょう。たぶん、自動車とか金融・保険といった分野の方が着実かつ迅速に新しい有効な技術を活用していくと思います。(とはいえ、近藤氏の言い分がこれらの業種で通るとは思いませんが...。)

さて、ここまでの流れではユーザーと企業の関わり方は通信技術の発達によって変化するはずであり、事実変化し始めている、と主張しているのですが突然、

一般的な会社が製品を作る方法とは異なり、例えばLinuxの開発者は一箇所に集まって仕事をしたりはしませんし、給料も基本的に貰いません。コストが必要ないために、資金を調達する必要もありません。会社、社員といった概念はなく、一般的な意味での「組織」が存在しているのかどうかも疑問です。しかし、各個人が力を持ち寄って、大きな組織力が生まれていることは確かです

と、OSS開発プロジェクトであるLinuxの開発プロジェクトを持ち出してばらばらの個人がネットワークを介して大きな仕事している例を挙げています。これでなにか前段の主張が補強できると思ったのでしょうか?まず、OSS側の主張の根拠としていまや古典となっている伽藍とバザールくらいは最低限読んであるんでしょうな?そもそも営利事業の運営手法に非営利事業の手法を用いることでなぜ経営効率が向上して業績が従来の営利事業的運営手法より向上するといえるのかその辺、まじめに論じてみたまえ、と論文指導したくなってきますが、めんどくさいんで止めます。

すさまじくどーでもいいですが、おまけに指摘しておくと、OSS開発に参加している個々人について三菱総研の調査報告を見る限り、この分野でも2:8の法則はしっかり働いているらしいので、ほんとに皆がよってたかって、な開発になっているのかと問われるとナゾが多々残りますし、そもそもOSSプロジェクトの中でも有力なプロジェクトには多数の大手IT企業が参加しており、さらには主要な(とまで言える)貢献を果たしている点についてどう整理をつけるつもりなのかひじょーに疑問です。

さらに言うならば、OSSだからカネかからないからカネ集めしないでいい、という主張も眉唾物です。つい最近の話題だけ見てもLinuxの商標権問題のようにカネが直接絡むケースもあれば、Bitkeeperからの移行問題のようにカネで解決しなかったがゆえにややこしくなった問題もあります。

人が複数人絡んでそこに利害(主義主張含む)の衝突ないしは不一致が起こればなんらかの問題解決手段が必要になるわけですが、そこからカネによる解決という一番シンプルな解決手段を最初から排除しておくと非常にややこしいことになりやすいと考える跳箱は古臭い人間なんですかね?

跳箱的にいろいろ書いてみたんですが、肝心の近藤氏は

これはいわば世界中の腕利きの大工が寄ってたかって趣味で建物を作って無償で配布し、その建物を世界中の個人や企業が使っている

といった非常に素朴な認識を示しているので、どーも状況をよく理解しないまま主張しているらしいことが判明。やれやれ。

跳箱的にはOSSについては知的財産のコモディタイズ過程として整理したいとこです。

ところで、OSSプロジェクトで商用プロプライエタリソフトウェアを凌ぐ先端的な機能実装に成功している事例というのはどの程度あるんでしょうかね?そんなに無いと思うんですが...。

まあいいや、話を戻そう。

前半でユビキタスネットワーク社会の到来によってコミュニケーション制約の低減が現実のものとなったので企業はユーザーと対話することが出来るようになったと主張し、行き着くところはOSSプロジェクトのような個々人の力をネットワークによって紡ぐことによって生まれる新しい組織形態に変化していくんじゃないかと寝言をつぶやいて

自社製品のユーザーと対話を積極的に行いながら、社内にある組織力以上の力を発揮

すべきであるとの主張に纏め上げているのですが、やっぱり大きなお友達な近藤氏は、

会社はだれのものか

平凡社

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でも斜め読みしたんじゃないかと疑いたくなります。

企業経営者なら、ユーザーや各種の取引先を含めたステークホルダーの相関全体を踏まえて自社の強み、弱みを把握しているもんです。

情報を社内に閉ざし、自社の能力だけに頼ってサービスを開発している場合は、社員の知識や知恵の合計以上の製品を作ることはできません

そんな会社どこにあんのか?と問い詰めたいもんです。

10人しかスタッフがいなくて資本力もないようなベンチャーでは大した競争力は生まれません。はてな自身必ずしもこうした競争力を得るためにユーザーと対話を行ってきたわけではありませんが、結果として1つの有効な方法となりつつあるのではないかと感じます

社内資源がきわめて限られているために大手との競争において厳しい状況に置かれているからユーザー(厳密には顧客とはちがう意味になる)を戦力化する、という発想自体は割とよく見かけるので別にだからどうということはないですが、OSS的な手法を営利事業において活用する場合、権利義務の整理、いってみればユーザーとの取引条件(権利処理)の整理をきちんとやっておかないと後々大きな事業リスクとなる可能性があるのがイタイ感じです。

なんにせよ、論旨展開するに当って下敷きに使ったらしいネタの処理がいいかげんなのがどーもいただけないですし組み立てもいまいちスムーズといえないです。一番イタイのはもちろん、なにを主張しても儲かる絵に纏め上げられていない点であります。

Web2.0ねぇ...。

2005-08-29 04:16:32 | 連絡帳
北米のVoIPサービスは1999年に(北米的に)Internetから国内一般電話網に対して無料通話サービスを提供して瞬く間に(確か3週間で30万人、5週で50万人とか、そんなくらいだったと記憶)おっそろしい数のユーザーをかき集めたdialpad社(久しぶりにアクセスしてみたらまだあった、だいぶ変わったけど)のVoIPサービスを思い出すまでも無く、AT&T等の長距離キャリアのノーテンキな回線卸方針が幸い(災いとも言う)してきわめてテキトーな提供条件で広まってしまっていたことは周知の通り。

そんな状況を遅まきながら引き締めにかからなければこれはまずいかもとFCCがお触れを出して下知に従わなければヒデーゾ、コラ、とやったのにVoIP事業者ブーイング、というのがこちらのCNETの記事

一方、日本では、総務省が先手を打って0AB-J番号付与には厳しい条件をつけた(跳箱はそんなに無茶な条件とは思わないんだけどねぇ)んでヘタレなVoIP事業者は050番号でお茶を濁しつつ、どこが儲けどころかよくわからないVoIPサービスを無いよりゃまし、で提供し続けつつ現在に至っているのも周知の通り。

で、話戻って米国では、これまで野放しに限りなく近い状態でテキトー極まりないサービスを提供していたVoIP事業者たちがFCCから今頃になってE911きちんと提供するか、E911きちんと提供できない電話会社なのウチ、それでもつかってくれる?と正直にユーザーに説明して、オッケー、オレは気にしないさ、ベイベー、と返事してくれた豪気なユーザーにしかサービス提供しちゃいけませんっ、といわれて右往左往。

なんだかなぁ、なんですが、そこでふと、現在カリフォルニア州在住でWieb2.0推進派な江島氏を思い出したのでした。(前振り長いなぁ)ついこないだ、江島氏が江島氏的にSOAはなんだかななんだけどWeb2.0はマンセーなんでそっち方面にレッツゴーだと連絡(なのか?)があったんですが跳箱的にはWeb2.0キライなんでSOAでレッツゴーだと返事(なのか?)したので、なんでWeb2.0ズイマーなのかちと説明せねば、と思いつついいネタないかしらだったもので...。(前振りすげー長いなぁ)

さて、最近便利なWikipediaによると、Web2.0とは、

Proponents of the Web 2.0 approach believe that web usage is increasingly oriented toward interaction and rudimentary social networks, which can serve content that exploits network effects with or without creating a visual, interactive web page.

なんだそうで、基本的には今後の"Webページ"をどーつくるかな話らしいんですが、

An earlier usage of the phrase Web 2.0 was a synonym for Semantic Web. The two concepts are similar and complementary. The combination of social networking systems such as FOAF and XFN with the development of tag-based folksonomies and delivered through blogs and wikis creates a natural basis for a semantic environment.

Semantic Webと同義でもあるらしいんでVoIPもその範疇に入っていると考えても問題なさそうだと判断してみた。

今後、The Internetを祖としたネットワークサービスに対する依存度をさらに高めた社会が嫌でもやってきてしまうだろうところは皆様同意のところでしょう。

で、そういった社会において社会インフラの信頼性は誰が担保し誰がコストを負担し、誰が仕様変更すべきなのか?ぶっちゃけ、Web2.0な社会ですと119番コールしたけどルータ故障で繋がりませんでした、その間に餅をのどに詰まらせたオジイちゃん逝っちゃいましたとかシャレにも何にもならないことが起こりそうで怖い怖い。

Semantic Webと同義だというなら(いや、江島氏が言ってるわけじゃないけど)、Web2.0も信頼性の科学とかも考慮に入れて社会の有様を無理なく移行させるためにはどういうステップ論踏まなければならないのかきちんと足元見た議論が欲しいんだよね。ところがWeb2.0 Conference 2005のスピーカー見ててもそういう抑えた発言しそうな人が見当たらない。(あ、でもOzzieのオッサン出てるなぁ、行こうかなぁ。Web2.0はキライだけどOzzie氏は好きだし)

そういう議論するためには、これまでの社会インフラの成立・発展の過程、現在の管理体制とその根拠を勉強(いい加減とかNTTうそつきとか言う前に最低一度は長期増分費用モデルそのものをいぢってみるとかさ)して理解しておかないと議論の土俵にも上がれないジャン?

基礎を疎かにしていると単に目新しい画面をにぎやかにする技術がまた流行ってんなぁ、でおしまいになっちゃうんじゃないのかな?

とか考えてんの。

googleあれこれ 数えるのめんどくせ

2005-08-26 04:39:19 | メディア
跳箱的には利用者数が伸びるにしたがってバリューチェーンをびろーんと伸ばした新サービス投入でしか(あ、効率改善もあるけど)自力の売上向上策が見つからなくなっていると決め付けているgoogleがまた新サービス開始していたらしいとは、おなじみCNETのこちらの記事によります

相変わらずライツコスト負担しない方針を貫いているようです。所詮、google Talk使う→gmail使う→googleのブランドカテゴリについてのコミュニケーションチェンジに一役買うかも、な玩具な感強し。

どうもネットのアプリケーションサービスやっている人たちってのは通信事業をなめてかかっている気がします。まあどうでもいいんすけどね。

って書いたらkazuho氏もgoogleが電話分野押さえると、だなどと...。マジかよ。電気通信そんなに簡単なもんじゃないぜよ?

私的録音補償金制度のその後

2005-08-26 03:55:37 | 知的財産権
二ヶ月前に経済産業省が私的録音補償金制度を人柱にしようとしている話を書いたんだけど続報がCNETに載っていたので紹介しとかねば。

その他の課題として「私的録音録画補償金制度の課題」が挙げられた。その中には、「録画技術の進展やコンテンツのオンライン配信の普及といった中、補償金制度の縮小や廃止の是非も含めた根本的な見直しについて、期限を設定した上で検討すべきだ」との意見も多くあった。また「すでに制度が破綻をきたしており、速やかに廃止すべき」との意見もあったため、補償金制度の存続の可否や制度を廃止した場合の段階的縮小の是非、補償金制度の見直しといったことも検討すべきだとした。

作戦は順調な模様。目をつけられたくは無いもんです。

制度そのものの問題は『その他の問題』といった取り上げ方ではなく、個別の課題として取り上げるべきではないか」との意見

も出たとか?誰だよ...。(すまん、議事録読んでないです)

うかつにSOAなんて書くから...。

2005-08-21 07:35:32 | 連絡帳
SSS氏からもらったコメントにどう答えるかなぁ、でもまじめに答えると話が拡散しちゃう恐れが多分にあるなぁ、でも日経にアレの記事出ちゃったしなぁ、でもなぁ、としょっぱなから歯切れ悪いことこの上ないです。すいません。

まず、跳箱的にはSOAに関する議論の存在に気づいたのはkazuho氏からトラバもらってkazuho氏んとこのブログをざらっと読んでからのことだったりしたことを白状しておきます。当然、最近の総務省と経産省の動きとか含め5年くらい前(つい最近です、すいません)からこの手の協調アーキテクチャについて関わってきていたのですが、トラバもらったりしているご縁な方々周辺でそういう議論になっているとは露知らずでありました。流行ってたのね。

参戦するわけじゃないけどSOAについて整理しとくために書き出しておくと、跳箱的には前提としているSOAの定義は前回も引用した通り、日経BP準拠ってことで行きますが、もっとゆるいです。(昔考えてた時はもうちょっと厳密だったんだけど...。)

跳箱的な関心は総務省のまとめたユビキタスネット社会におけるプラットフォーム機能のあり方に関する研究会最終報告書のフレームワークくらいの粒度で足場を作って情報フロンティア研究会報告書で示されている程度の粒度の各論とその周辺からカネになるネタを引き出してとりあえず流れを作り出すところだったりします。

この関心の粒度からすると、

kazuho氏の主張はこの辺渡辺氏の主張はこの辺店長の主張はこの辺

と前提するとどうも議論がかみ合わないんです。というかそういうの跳箱的には、あ、そっすかなんとかしといてね、で終わりになっちゃうんよ。技術に疎い商売人にしたらそれらすべての投影図であるところの商売の在り方の部分に関心があるんであって、詳細の議論については投入可能なコストに収まるか?採用するアーキテクチャ別の限界市場規模はどのくらいなんか?もしくはどのくらいになりえるんか?といった変数要因として把握したいだけだったりします。カネにしか関心ないからなぁ、跳箱。

と、立場表明したところで、SSS氏のコメントを引用しつつ跳箱的整理をしてみようかと。

SOAの「サービス」には、AppleやYahoo!のWidgetのような簡易ブラウザ上の「アプリケーション」やEclipse/OSGi等のプラグインによる「アプリケーション」も含まれるだろうと思います(Java6には、JavaScript実行環境も入りますし)。

跳箱的了解では交換可能な財の単位であればなんでも「サービス」としてまるで問題なかろうと考えています。コンビニのPOSレジ&レジ打ちバイトのセットもSOAに組み込みうるサービスモジュールという考え方です。

つまり管理が簡単であれば、ローカルのアプリケーションもリモートのWebサービスもどちらでもいいのだろうと思います。この辺はSOAの記事では殆ど触れられませんが。

はいはい、その点まったくもってアグリーです。跳箱的には容易に組み換え可能なビジネス(サービス)モジュールをどのようなマーケティングコンテクストに乗っけて組み立てて、なにからどうカネを巻き上げるか?というテーマとして認識しています。注釈つけるなら対象範囲はSSS氏よりルーズにもっとだだっ広く解釈してくだせぇ。

MSも色々やるだろうしSOA周辺は3年で技術が確立すると思います。

ここんとこよく解んないなぁ?MSがいろいろやるのはいつものことだし、MSを他の企業名に置き換えても同じだし。SOAという概念セット自体は1980年代にクライアントサーバ(別にサーバクライアントと古式に読んでもいいすけど)なシステムの売り込みが最新流行だった時代にはすでに登場してたわけで、現在、そこかしこで流行っているらしいSOAは1990年代末に雨後の竹の子状態で勃興した各種ASPなんかを連結して運用しようそうしようという流れを基にそのエンタープライズ市場向け実装の方法論の部分が一人歩きしている話なんじゃないかと考えます。

ゆえに跳箱的にはなにをもって3年と区切っているのかよくわからないのね。(前提としている議論の粒度がちがうせいもあると思うけど)

なので、

サービス/アプリの単位が小さくなって、販売で儲けるのは難しくなるなと思います。

ここの部分は、跳箱的粒度を前提とするとそうばっかりはいえないでしょ、となります。こちゃこちゃと小さな技術ツールのどれが主流になるか?といった議論ばかりしていれば、取引単位が小さくなって販売で儲けるのは難しい、というシナリオもありえますが、一方、とことん汎用化が進んで、それこそメモリ並みに大量に使うものになって市場規模がとことんデカイ(つまり対象範囲が広くて単純なソフトウェア部品で知的財産権が守られている)ということになればそれなりにビジネスになるはずじゃん?その代わり、たぶん、その単純なソフトウェア部品が実現する機能とか、その設計思想とかを前提とした社会が実現していないといけないわけで。(スチームパンクな社会とかを想像してみたらどうだろ?蒸気機関というシンプルな技術があらゆる分野に使われているっつう...。でもスチームパンクな社会ならディファレンスエンジンチックな計算機じゃなくて量子論的な計算機の方が先に実現できたかもしれないねぇ...。どうでもいいけど)

まあなにはともあれ、商売にならない、と悲観することもなかろうよ、ということで。

ところで、冒頭でアレ、と書いたからにはそこにも落としどころが必要だろうなぁ。要するに跳箱的にはすでに何度か紹介してるLiberty Allianceに準拠した仕組みと新しい本人確認についての社会的合意形成の組み合わせが突破口になるんじゃないかと考えてます。べつに冒頭で紹介したアレが当る、と考えてるわけじゃないですがホリエモン暴れて地固まる、みたいなことってしょっちゅうあるじゃん?

で、同じ文脈で、Coral Consortiumも重要と考えてます。

これをユビキタスに運用することまでフォーカスに入れると、これまた何度も紹介しているUoPFとかDLNAとかの出番が出てきてOMAも見ておかなきゃ、って話になると。そうすると、IETFとかITU-Tなんかも見ておかないとよくわからないなぁてな話になるじゃないかと。以下話は拡散し続けるわけです。

近藤氏、クールビズに物申す

2005-08-20 02:13:03 | ひやかし
図書館に行ったら暑かったと、100円くらいならカネ払うからエアコンの温度下げやがれと、なんで思い通りにならんのじゃ、コラ、と大きなお友達ことはてな代表取締役の近藤氏がお怒り気味なのは例によってCNETのこちらのエントリでのこと。

いやはや、自分の意見を全自動で「まっとう」と肯定できてしまうノーテンキさは素敵です。素敵過ぎます。

ここで何を言ってもエアコンのスイッチのボタンを"ポチッ"と押して設定温度を「27度」にすることは叶わぬ願いのようだ、ということでした。一体館内にいる利用者や職員全員で汗を流しながら、何を必死で守っているのだろうと思ったのは言うまでもありません

図書館の職員は必死で地球環境を守ろうとしていたんでしょう、そうにちがいありません。

末端の組織構成員はきちんと理由を理解していようがいまいが、上からの申し送りをきっちり守る、正しい組織のあり方です。近藤氏その他のエアコンの温度設定を下げやがれゴラァという要求を断固拒否し通した図書館館長は表彰モノですね。

どうも毎度毎度のことなのでいささか食傷気味なんですが、近藤氏は自分の不勉強を棚に上げて、あわれな現場職員の振る舞いをつるし上げるのが好きなご様子。ほんとわがままな中学生みたいな感性である意味感動を覚えます。

さて、近藤氏はカネ払えばいいんだろ、カネ払えば、と言いたげですが、夏場の快適温度とは言いがたい28度に空調設定する動きは環境省が推進しているクールビズに由来します。(個人的には総務省も経産省も内閣府も庁舎内が暑くてかなわないんでできたら役人諸氏にはふるってご来社願いたいと思う今日この頃ではあります)

クールビズとは、エアコンの温度設定を28度に上げて電力消費量を減らして火力発電所から排出される二酸化炭素を減らそう、そのためには夏場の服装をなんぼかでも涼しげにしないと辛すぎるから夏場はノーネクタイでいこうぜ、という、なんだか沖縄のかりゆしウェアのだっさい版みたいなお国の企画であります。

詳細は、環境省特製のこちらのサイトで紹介されています。

暑がりには大変残酷な企画ではありますが京都議定書がはらほらひれはれな状態になっていたり、実際問題石油っていつまで持つのよ、ってなみんなが忘れた振りしている問題があったりしますので跳箱的には不満ではありますが、ここは我慢のしどころでありましょう、と理解しております。(経団連ももろ手を挙げて協力中ですし)

ちなみにお隣の石油ガブノミ国家であります中華人民共和国もものすげー勢いでクールビズ推進中とのこと。政府の号令が日本と違ってものすげー勢いで浸透する国なのであっちの方が効果出るの早いかもしれません。

つまり、28度が快適か?が出発点なのではなく、人間、何度までだったら耐えて仕事できるか?が出発点になっているわけです。ちなみに"28度"の根拠は労働安全衛生法事務所衛生基準規則五条3項に記載されている、

事業者は、空気調和設備を設けている場合は、室の気温が十七度以上二十八度以下及び相対湿度が四 十パーセント以上七十パーセント以下になるように努めなければならない。

に由来しています。二酸化炭素排出量を可能なかぎり削減するためにどこまで上値を追いかけられるか?が出発点だったのがよくわります。

とはいえ、跳箱も含め世の男衆は女性陣より暑がりであるらしいことが解ってきているらしい(だいたい3~5度ちがうんだそうな)ですが、厳密なこと調べている人たちが独立行政法人土木研究所にいたんでここでリンクだけ紹介しときます。関連論文はたどっていけば引き当てられるはず。

とりあえず何度だったら快適なんじゃ?と問われれば、毎日新聞で紹介されていた神戸女子大の平田教授と和歌山大学の今村助教授の話を紹介しときます。

やっぱ(男衆の立場から言えば)22~23度が夏場の快適~、な温度設定らしいすね。

さて、ちょこちょこっと調べればすぐに理由がわかる程度のこともきちんと調べもしないで、おそろしく自己中心的な思考を根拠に世の中間違ってる!と主張するのはやめときなはれ、と大きなお友達な近藤氏には何度も申し上げてるんですが、ホント、懲りないお方です。

あまつさえ、自社の会議スタイルを他人に押し付けんとするあまり、

市役所の中で「図書館の空調の温度設定について」という会議があって、その会議にメッセンジャーで市民が参加して発言でき、会議の内容がポッドキャスティングされたらどんなに良いだろうと思います。もはや、そうすることは技術的に可能ですし、ほとんどコストもかかりません。市役所が市民の声を聞いてはいけない理由など何も無いはずです。しかし、そんな会議が実現するのはまだ当分先の事のように思えます

などとのたまっておりますが、見当違いでしょう。近頃のお役所はクールビズを推進している環境省も含め(まあ運用に問題がありまくりとかいろいろありますが)パブリックコメントという制度を設けて広く政策に対する意見募集(笑)してますぜ?

つまり、近藤氏の主張は根本からズレていて、どんなことが、どこで、どのように決定されているか?その決定プロセスもしくは既決事項についてどのような物言いつける手段が用意されているか?について、まるで知ろうともせずに、自分の思い通りにならないあれやこれやにケチをつけているだけに見えます。(だからといって突撃厨になれとは言いませんが...。あれはすこぶる迷惑です)

「ユーザーの声を聞く」ことを否定する理由は次第に薄れていき、多くの企業や組織がIT技術を駆使しながら利用者や他のステークホルダーとの対話を積極的に行っていく社会になっていくと思います

誰も否定してないのにね、滑稽な主張です。大きなお友達な近藤氏自身が社会ときちんと向き合っていないから、このようなズレた主張を繰り返すことになるんでしょうが、世の中ときちんと折り合いをつけられないから大きなお友達なわけでもあるので致し方ないということかもしれません。

ところでユーザーとの対話を大事にしようと主張されている近藤氏の経営しているはてなという会社のユーザーさんの一部からはてなの対応がマズい、という声が挙がっている由、まずは足元を何とかすることを考えてはいかがか?

P.S.
それにしても近藤氏という御仁は新聞読んだことないんだろうか?

SOAなんて

2005-08-19 01:40:37 | 連絡帳
言葉も無かったころからのSOA推進派としては、BuzzWordだろうがなんだろうが流行ってくれないことには何も始まらないから煽れや煽れそれ煽れ、な立場であることを告白してしまう跳箱が例によってつっかかっているのは、最近カリフォルニア州民になって大きいことはいいことだと思い始めているらしい江島氏の新連載宣伝エントリのリンク先の昔のエントリだったり。

とりあえずタイトルにSOAって書いちゃったんでSOAについて一言も触れないと、なんじゃそらすぎるので、SOAが普及するかどうかは協調ゲームなナッシュ均衡が成立しえる社会状況が作り出せるかどうかなんだよ~、とかいやらしいこと言うつもりは無いですが、SOAについては技術の問題である以前に経済の問題であり心理の問題であるでせう、と薀蓄傾けるふりだけしておきます。

さて、江島氏の新連載は老舗(日本じゃ新顔)なComputerWorld誌に掲載される由、なにをどう頑張るかはまったくわかりませんが、とりあえずガンバレ。

で恒例のツッコミツアー。

最初はこちら、

この業界の媒体はどうしても広告主と記事の対象がいつも近すぎるので、一般的なメディアに比べると批判的なスタイルをとりつづけるのは逆風が強いだろう

"この業界"とおっしゃいますが専門誌ってなそんなもんだろう?対象市場規模が小さくなればバリューチェーンを伸ばしにくくなるので、当然のように利害関係が表面化しやすくなるわけで。江島氏が"一般的なメディア"としてなにを想像しているかにもよるけどね。

とはいえ、最近の日本のIT企業宣伝部が広い心を持っているといいなぁ、と願っているふりだけしてみます。

お次はこちら、

我々はデモクラシーというパラダイムに生きる市民なのですから、そういうスタイルの切り口は読者からは必要とされているはず

我々はcapitalism=資本主義というパラダイムに生きる消費者(であり多くの場合は無産階級)であるわけです。democracyは生きているという幻想に生きている市民というなら解りますが...。

ホントのこと言い過ぎて広告付かなくなって廃刊にならないよう願うことはできますが、ホントに「そういうスタイルの切り口は読者からは必要とされている」なら購読料なり読者からのお布施なりでカネが廻らなければウソなのでカネのかからない応援(のふり)くらいしか提供できないのが残念でなりません。

言ってる事がどんなに立派(にいっけん見えても)でもその足元がケチつけられる企業側の寛大さ(うぷぷ)に依存しているのであるなら、その辺の扶養家族な中学生の社会批判と大差ないです、なさけないです。

どうも江島氏は

トランスクリティーク ― カントとマルクス

批評空間

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あたりの影響を受けたんじゃないかと思うんですが、

美しいとか醜いとか、好きだとか嫌いだとか、もっと主観的で豊かな表現で彩られた

言説空間があってもよかろ、と、それでもってクリティークであると言っているんですがそれは柄谷氏に失礼というものでしょう。ガキっぽい好き嫌いの表明を批判=クリティークであるなどと言ってしまうのは、もう、正直言って失礼とか何とか言う前に躾がなってないって感じです。

さてはて、なにはともあれ、30歳にもなって扶養されるのは当然という姿勢がなんともイタイタしい江島氏による資本主義批判な立場でのIT哲学が読めるのはComputerWorldだけ!、と宣伝だけは協力しておこっと。

imeemだと

2005-08-17 00:24:59 | メディア
以前、P2Pなグループウェアなgrooveを紹介したけどgrooveのSNS版みたいなサービスがあるらしいとはCNETのこちらの記事による。

日本語版の記事だとなんのことやら?だけど、この辺読むとなんのことやらそれなりに理解できます。

面白い。

森氏の信仰告白

2005-08-17 00:15:59 | 連絡帳
ひさしぶりに森氏がなんか書いていると思ったらなんのこっちゃないApple社というかiPodについての信仰告白、いやなんなら愛の告白といってもいいただのノロケでした。

森氏、読みかじった新書と新聞の囲み記事の内容を鵜呑みにするクセは直したほうがいいんじゃないすかね?

文化を実践する手間を省くために、ヒトとして作り上げてきた文化を算盤から電卓、コンピュータへと急速に進展するテクノロジーに預けてしまっている。そしてその「外部化」によって、結果的に自らの内部から文化を追い出してしまう傾向には、どんどん拍車がかかってきている

暗算は文化であると。いや、文化かもしれねぇですが、高速に大きな桁数の暗算できない人は文化的でないと。そうですか、跳箱はできませんです。野蛮人ですんません。

結果、自身の内部で緻密に作り上げた計画に従って何らかの目的を達成するよりも、コンサマトリー(即時報酬性の高い刹那的で自己的な行為)なコミュニケーションや消費を好むようになり、ついにはこれまでの価値観であれば十二分に耐えられる程度であっても不快と感じて、そんな状況に対して反射的に行動を起こすといった「動物的」な行動様式をとるようになりつつある

突然論理が飛躍するのは森氏の文章の特徴のような気もしますが、一応突っ込んでおくなら(検挙率自体が下がっているとかいろいろ突っ込みどころはあるにせよ)警察庁の各種統計を見る限り犯罪発生件数も少年非行も減少傾向にあるようなので、どのような社会的問題がどんくらい起こっているから、動物的な行動様式をとるようになりつつある、と結論付けているのかぜひ説明いただきたいところです。

で、ここまでの言説は森氏自身のものか正高氏のものなのかいまいち判然としない書かれ方なのですが、続く節で、

この現実を一概に「サル化」と呼び、それをイコール「退化」として嘆き、否定する気には僕はならない。単純なその判断は、素朴なヒト至上主義に裏打ちされたものではないか。「おサルで何が悪い」とちょっと開き直ってしまってもいいかな、とすら思う

と書いているのでどうも正高氏の説にアグリーしてそのうえでサルであると開き直っているようです。森氏が自身はサルであると告白している分にはああそうすか、という感想しかもたないのですが、近頃のヒトはみなサルであるというのならそれはメーワク、って話を書いとかなきゃと思うしだい。

つまり、社会インフラの変遷にともなってその上で行われるコミュニケーションの有り様が変化したことによって行動様式が変化したか?との問いには定量的に観察できるのでそれはまあ変化したなぁと、返答することにはなりますが、跳箱はそれをサル化だとは思いません。

したがって後段で、

iPodのスローライフ志向と、ケータイによるサル化とは、時代的に共鳴しあっているといえないか

との問いに対してはそんなことねーでしょ、と答えます。

そもそもAppleが、「iPodはスローライフを目指しているんです」って言ったとするならiPod Photoはどう説明するんすか?

Apple社がなんか耳当たりのいいメッセージを言い出したなら、これまでそれは常にApple社とそのコンペティターとの比較を困難にするための言葉の煙幕だったことを思い出していただきたいものです。

なんてゆうか歴史(というかデータ)を忘れることについてApple教徒ほど柔軟性を発揮する人々はなかなかいないと思うのですが、

コンテンツをネットから送り込むiTMSなしでも、日本で大ヒット

と森氏ははしゃいでいますが、Apple自身が発表している資料によるとiTMSがスタートしたのはiPodの出荷実績が100万台近くに達してからでしたし、2003年4月28日にiTMSがスタートしてから同年5月6日にiTMSが100万DL達成するまで9日間しか掛かってません。日本のiTMSについては、これだけ期待され待ち焦がれられたサービスであったにもかかわらず、100万DLに達するまでに4日も掛かったのはむしろ時間掛かりすぎの感もあります。

常になんらかの学習を強要するハイテクに対して潜在的な嫌悪感を持つ人を魅了するもの

と持ち上げていますがつまりiPodはツーカーS(あのジジババフォン)みたいなもんであるということすか、そうすか、カッコいいっすね。

あえて「機能を削る」という付加価値によって成功したウォークマンのルーツと成功体験を忘れ

森氏はソニーは録音機能を外そう、いや外すべき、と意図してウォークマンを再生専用機とした、と主張されているようですが、少なくともSony Histryの記載を鵜呑みにするなら初代Walkmanについては入らなかったから入れなかったつうほうが事実に近いんじゃないですかね?

跳箱も三代目以降については意図的に再生専用機として開発してラジカセまたはミニコンポも買ってもらう、つうコンボを意図的に展開していたんじゃないかと考えていますが...。(実際、Walkman発売されてからミニコンポやラジカセの出荷台数伸びてんだよねぇ)

さて突っ込みツアーに戻りますが、

テクノロジーによる文化の外部化の過剰な弾みの行き着くところ=サル化という新たなベクトルで文明を眺めたとき、利便性の向上とは特定機器のハイテク化/高機能化ではなく、ネットワークへの機能の分散や環境への埋め込みといったユビキタス化にあるのではないだろうか

そもそもサル化していないと考えているのではなから意見なんざ一致しないのですが、シンプルな機器が相互依存することによって全体としてスマートにサービスを実現するという絵面は美しいですが当面難しいでしょうね。相互依存する機器間の機能バランスを「誰か」がディレクションしなくちゃいけないわけですから、一社ですべての機器を提供できる企業ならシステムコンポ的にバランスの取れたものを提供できるかもしれませんが、そうでないとバランス悪い機器の組み合わせに四苦八苦することになりかねません。てゆうか、各企業は自社のキーコンポーネントを軸に自社の他の製品と組み合わせすることを推奨するでしょうからUoPFやDLNA、Coralがなんといおうが、ユビキタスな機器のコモディタイズが行き着くところに行き着くまでは、競合する価値があると企業がみなす分野であればあらゆる分野で「過剰な弾み」がつきまくるはずではないかと。

どうもインテリな方は自分の好きなもんを自慢するに当って屁理屈ならべたがりすぎる気がします。

googleあれこれリターンズ

2005-08-16 07:34:24 | 知的財産権
以前からどうもgoogleという会社はライツコストを負担しないフリーライドマンセーな会社なのかもしれん、Gmailは便利だしGoogle Earthも大好きだけどgoogleの会社としてのこーゆう体質は好きになれん、ぷんすか、と考えていましたが、前回紹介したgoogleが計画している書籍検索に関する記事の続報がCNETに出てたので拾っときませう。

権利者側の

Association of American Publishers(アメリカ出版社協会:AAP)のCEOであるPatricia Schroederは、「Googleが行おうとしている手続き上の変更は、著作権侵害を防止する責任をユーザーから権利保持者に移行するものであり、あらゆる著作権法の原則を覆すものである」と、声明を発表して主張

という主張に対して

米国時間11日、Googleは同社のブログで、「出版社、出版業界団体および著者」と協議した結果、11月に「Google Print Publisher Program」を変更するまでの間は、著作権物のスキャンを見合わせることにしたと述べた

とりあえず作業ストップだと。

便利にすることはいいことだけど、他人の権利を侵害してまでやっていい、ってことじゃない。当たり前だと思うんだけどね。

IBM、いまだにMetapodというかPC Core Systemいぢってるらしい...。

2005-08-16 07:23:01 | 収集品
IBMが数年前の冬、赤坂プリンスでやってたイベントに展示してた弁当箱みたいなHDDケースとクレイドルをつなげるとアーラ不思議、パソコンになっちゃうってぇ製品というかプロトタイプ、(たしかMetapadとかPC Core Systemとかいったはず)のコンセプトをいまだにいぢくり続けている人いたんだ、と素直に驚いたのはこちらのCNETの記事

昔たまに見かけた自前環境を丸ごと入れた外付けHDDを持って歩く、ってコンセプトそのまんまなんで現在30~40代な昔のヲタニーチャンのなかにはまれにストライクゾーンの真ん中射抜かれちゃう人もいるかもしれないです。

いやー、昔かばんに入れてもって歩いてたなぁ、3.5inchの200MBなSCSIのHDD。今は出先のパソコンに自前環境突っ込んで動かすなんて失礼なことしないですが。自前の画面もキーボードもトラックポイントもついてるTPのほうがいいもんね。

ところで今回のSoulpod、今の時代だとネットワークリーチャブルな環境だったら業務用P2Pプラットフォーム使った方が便利な気が...。

大きなお友達、ゲーム理論を語らなかった...。

2005-08-13 08:22:53 | ひやかし
跳箱的に段々飽きてきた大きなお友達ことはてな代表取締役な近藤氏の今回のエントリはゲーム理論じゃありませんでした。

かなりどうでもいいんですが、

つまり、なるべく格差をつけた上で、波乱が起きやすいセッティングを要求しました。(なるべく現実社会に近くして欲しかったのです)

現実社会は革命起きやすくて価値観が180度ひっくり返ることが往々にしてあるらしいです。

起業はハイリスクハイリターンの勝負の世界

知らんかった。あらゆる起業がハイリスクハイリターンと言い切る視野の狭さに脱帽です。おそらく、ベンチャー起業を念頭においての発言なんでしょうが、ベンチャーの定義ってそもそもどんぶり勘定ですし、ベンチャーは常にハイリスクハイリターンかと問われれば跳箱の引用に基づく定義に当てはめればそうとは限らないといえます。

そもそも勝負を好む性格で無いと厳しい

ビジネスと丁半ばくちを履き違えてますし、丁半ばくちにも勝ち方はあります。どうも近藤氏はカンだけで経営しているようです。オソロシヤ。

バクチでもなんでもいいんですが、(広義の)ゲームに勝つ理屈については、

ゲーム理論入門

日本経済新聞社

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初学者向けはこのへん。

囚人のジレンマ―フォン・ノイマンとゲームの理論

青土社

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これ読むと成立の時代背景とか解っておもしろいです。

契約と組織の経済学

東洋経済新報社

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なんか実用事例のサンプルとしていけてるんではないかと。

とまあ、この辺さらっと一通り読んでみたら理屈がわかります。

それから「こんなのは単なるゲームなんだから真剣になるのは馬鹿らしい」と真剣に取り組めない人も起業には向かないかも知れません。そもそも人生に目的なんて無いのですから、真剣に取り組めるゲームを各自が探さなくてはなりません

馬鹿らしいといってゲームに参加しないという手もまたゲーム参加の仕方(つまり解のひとつ)だしょ?参加するに値するゲーム、勝てるゲームと出会うまでゲームしない(つまり起業しない)のも非常に賢いやり方だと思います。(もっとも起業せざるを得ない状態に追い込まれてやむをえず起業するケースも結構多かったりするんだけどね)

起業家に向いているのは、大富豪と大貧民を両方楽しめる性格の持ち主だと思います。大富豪になって勝っている時は楽しいけど、大貧民に転落したら一気にやる気をなくしてしまったり、逆に、大富豪になったはいいけどプレッシャーや緊張ですぐに失敗して負けてしまう、という場合には心を鍛える必要があるでしょう

"心を鍛える"ってのはどういう訓練すか?いや心理学的に方法が無いわけじゃないですが、近藤氏が言いようは野蛮な精神論にしか読めないんですが...。
どうも近藤氏はいざって時に精神論を持ち出して理屈が吹っ飛ぶ傾向があるように思われます。やっぱ宗教家なんでしょうか?大きなお友達にしてはてな教教祖ってことすか?

勝負には美しい勝ち方と汚い勝ち方がある

だれにとっての美しさですかね?勝てば官軍、ってスタイルをウツクスィーと感じる人だっているじゃん。資本主義社会である以上競争は付いてまわるんだから、幼いうちから競争になじませるべし、という主張には賛成しますが、近藤氏個人の価値観に普遍性があるかのように主張する近藤流はどうもいただけません。

むしろ色々なゲームを用意してあげて、一人一人の子供が「この勝負なら自分でも勝てるかもしれない」というゲームを発見することを手助けすべきだと思います。もちろん、勝負を好まない子供のフォローも大事ですが、全員がそういう子供ではないはずです

今回、この点についてだけは同意したいのですが、注がつきます。跳箱的に上記の文に同意する条件は、ゲームとはゲーム理論でいうところのゲーム的状況を指すのであり、近藤氏は"勝負""勝負"と非協力ゲームばかりを念頭においているようですが、協力ゲームを当然に含むものとし、勝負を好まない、のではなく、特定のゲームに参加しないというゲームとの関わり方を選択した子供も当然に容認する、のであれば、限定的に同意です。

ただし、どんな子供も(もちろん大人も)人生というゲームから降りたり参加しなかったりすることは(他者からの支援が無い限り)まあ不可能なはずなんで、どこかでゲームするはずなんですけどね。

近藤氏が勝負好きなのは十分理解しましたが、近藤氏の視野狭窄な思考に基づいて"勝負を好まない子供"のレッテルを貼られる子供は不憫です。(まあ当の子供本人は近藤氏を相手にしてないでしょうが...。)まあ、跳箱も近藤氏に跳箱流の"大きなお友達"というレッテル貼ってますし、他人のこといえた義理じゃないんですがね。

追伸
跳箱の前回ひやかしエントリにもらったトラバにも指摘がありましたし、CNETでもツッコミが入っていますが、

同サービスについては、選挙について当選者や政党に対する人気投票の経過又は結果を公表することを禁じた公職選挙法第138条の3(人気投票の禁止)に抵触するのではないかという指摘がユーザーから上がっている。はてなでは「現在顧問弁護士に相談中であり、対応についても検討中だ」としている

本件については、はてなが事前検討してなかったつうのはどういうことか、とか、どう対応するのか、とか非常に楽しみにしてますんでひとつよろしく。

あー、江島氏だけかと思ったら大きなお友達もクリステンセンのファンだったか...。

2005-08-10 03:25:17 | ひやかし
と嘆いてしまったのは例によってCNETに好評(?)連載中の大きなお友達ことはてな代表取締役な近藤氏のブログのこのエントリ

江島氏も以前跳箱にビジョナリーカンパニー読んだか?って聞いてきたなぁ。10年も前に読んだもんだからほとんど覚えてなくて本棚ひっくり返して読み返してひっくり返ったんだよな。あれ。(あのころカネあんまり持って無かったはずなのになんで買っちゃったんだろ?飲み代の足しにしたほうがよかっただろうに...。>自分)

ちなみに、クリステンセンが言っているのは市場が従前の状況と比べて非連続な状態に変化したとき、従前の市場に最適化されすぎた企業は対応できない、って話なんで、好意的に捉えるなら近藤氏は誤読しているんでないかと。

つまり言い換えついでに言い切ってしまう(はい、ここ、突っ込みどころだよ!)と市場の変化に対する会社の対応力の話なので、大きなお友達な近藤氏の経営している会社の中で従来やってた仕事と違ったことをやってみるかどうか、それをうまくやれるかどうかとはまるっきり違う話だろーと。

てゆうかクリステンセン読んでてそういうことを言っているということは大きなお友達な近藤氏が経営しているはてなという会社は市場に対応できてないってことですか?

そうだったら確かに大変なことです。クリステンセンでも何でも読んで頑張ってください。

ところで、合宿の件、近藤氏がどこで仕事をしようが知ったこっちゃないです。てゆうより跳箱は根本的に仕事キライなのでどこにいっても仕事しないこと請け合いです。

さらに話変わって、どうでもいいことですがちょっとしたツッコミで萎えるようなアイディアはどうせたいしたアイディアじゃなかったんでしょう。可能性の芽なんてどこにでもころがっていますし、今この瞬間にだれかが思いついたスゲーコトなんて世界中で同時に1000人は思いついているはずです。

要は、実現するまでのプロセスをいかにしてクリアし、単なる思いつきをビジネスプランにまとめ、周囲を説得し、実行できる環境を整えて、実行し、成果を挙げていく力があるか?です。(ちなみにこのプロセスに強ければ市場に一番乗りしないでも勝てたりします)

ありきたりの否定的意見ごときすら乗り越えられないアイディアにどの程度の事業性があるのか、大きなお友達な近藤氏の言い分が正しいかどうかは、はてなが上場までたどり着けるかどうか(世俗的ではあるけど、他人資本を入れた会社である以上、評価尺度はそこでしょ)を生暖かく見守ることで確認したいところです。

はてなが上場できたときは近藤氏の言い分は正しかったんだなぁ、と思いますし倒産なりなんなりした場合は間違ってたんだなぁと思うことにします。

P.S.
ほんとにどうでもいいけど、CNETで書き物している人ってクリステンセンのファン多くね?なんか感染しちゃうわけ?