バモラに食べ放題ランチしに行くと、一人ぼっちでもそもそ食べてるでっかいはげアタマのおっさんがたまにいて、たまに通りかかった若い衆がカードキーを首からぶら下げてると呼び止めて一緒にメシ食おうと誘ってきたもんです。ときたま通り掛りに若い衆の伝票をひょいと持ってオレガハラットイテヤルとウインクしてくれたりもしましたっけ。
あんなにエライヒトとは露知らず。
あんなにエライヒトとは露知らず。
UCBの取り組みついてのこの記事は要チェックです。(業務連絡)
が、しかし、記者の掘り下げがたりません。食い足りません。ぷんすか。
ところで、一点だけ突っ込み。
そこでWilenskyのチームは、オンライン上の売主がどの程度誠実/不誠実かを評価するための統計的モデルを使った「EM trust(EMはexpectation maximization=「期待最大化」の略)」と呼ばれるアルゴリズムを構築したという。この技術はウェブサイトにも応用可能だろう
これは、合わせ技にしない限り使えないです。こういう技術好きですけど。
が、しかし、記者の掘り下げがたりません。食い足りません。ぷんすか。
ところで、一点だけ突っ込み。
そこでWilenskyのチームは、オンライン上の売主がどの程度誠実/不誠実かを評価するための統計的モデルを使った「EM trust(EMはexpectation maximization=「期待最大化」の略)」と呼ばれるアルゴリズムを構築したという。この技術はウェブサイトにも応用可能だろう
これは、合わせ技にしない限り使えないです。こういう技術好きですけど。
北米のVoIPサービスは1999年に(北米的に)Internetから国内一般電話網に対して無料通話サービスを提供して瞬く間に(確か3週間で30万人、5週で50万人とか、そんなくらいだったと記憶)おっそろしい数のユーザーをかき集めたdialpad社(久しぶりにアクセスしてみたらまだあった、だいぶ変わったけど)のVoIPサービスを思い出すまでも無く、AT&T等の長距離キャリアのノーテンキな回線卸方針が幸い(災いとも言う)してきわめてテキトーな提供条件で広まってしまっていたことは周知の通り。
そんな状況を遅まきながら引き締めにかからなければこれはまずいかもとFCCがお触れを出して下知に従わなければヒデーゾ、コラ、とやったのにVoIP事業者ブーイング、というのがこちらのCNETの記事。
一方、日本では、総務省が先手を打って0AB-J番号付与には厳しい条件をつけた(跳箱はそんなに無茶な条件とは思わないんだけどねぇ)んでヘタレなVoIP事業者は050番号でお茶を濁しつつ、どこが儲けどころかよくわからないVoIPサービスを無いよりゃまし、で提供し続けつつ現在に至っているのも周知の通り。
で、話戻って米国では、これまで野放しに限りなく近い状態でテキトー極まりないサービスを提供していたVoIP事業者たちがFCCから今頃になってE911きちんと提供するか、E911きちんと提供できない電話会社なのウチ、それでもつかってくれる?と正直にユーザーに説明して、オッケー、オレは気にしないさ、ベイベー、と返事してくれた豪気なユーザーにしかサービス提供しちゃいけませんっ、といわれて右往左往。
なんだかなぁ、なんですが、そこでふと、現在カリフォルニア州在住でWieb2.0推進派な江島氏を思い出したのでした。(前振り長いなぁ)ついこないだ、江島氏が江島氏的にSOAはなんだかななんだけどWeb2.0はマンセーなんでそっち方面にレッツゴーだと連絡(なのか?)があったんですが跳箱的にはWeb2.0キライなんでSOAでレッツゴーだと返事(なのか?)したので、なんでWeb2.0ズイマーなのかちと説明せねば、と思いつついいネタないかしらだったもので...。(前振りすげー長いなぁ)
さて、最近便利なWikipediaによると、Web2.0とは、
Proponents of the Web 2.0 approach believe that web usage is increasingly oriented toward interaction and rudimentary social networks, which can serve content that exploits network effects with or without creating a visual, interactive web page.
なんだそうで、基本的には今後の"Webページ"をどーつくるかな話らしいんですが、
An earlier usage of the phrase Web 2.0 was a synonym for Semantic Web. The two concepts are similar and complementary. The combination of social networking systems such as FOAF and XFN with the development of tag-based folksonomies and delivered through blogs and wikis creates a natural basis for a semantic environment.
Semantic Webと同義でもあるらしいんでVoIPもその範疇に入っていると考えても問題なさそうだと判断してみた。
今後、The Internetを祖としたネットワークサービスに対する依存度をさらに高めた社会が嫌でもやってきてしまうだろうところは皆様同意のところでしょう。
で、そういった社会において社会インフラの信頼性は誰が担保し誰がコストを負担し、誰が仕様変更すべきなのか?ぶっちゃけ、Web2.0な社会ですと119番コールしたけどルータ故障で繋がりませんでした、その間に餅をのどに詰まらせたオジイちゃん逝っちゃいましたとかシャレにも何にもならないことが起こりそうで怖い怖い。
Semantic Webと同義だというなら(いや、江島氏が言ってるわけじゃないけど)、Web2.0も信頼性の科学とかも考慮に入れて社会の有様を無理なく移行させるためにはどういうステップ論踏まなければならないのかきちんと足元見た議論が欲しいんだよね。ところがWeb2.0 Conference 2005のスピーカー見ててもそういう抑えた発言しそうな人が見当たらない。(あ、でもOzzieのオッサン出てるなぁ、行こうかなぁ。Web2.0はキライだけどOzzie氏は好きだし)
そういう議論するためには、これまでの社会インフラの成立・発展の過程、現在の管理体制とその根拠を勉強(いい加減とかNTTうそつきとか言う前に最低一度は長期増分費用モデルそのものをいぢってみるとかさ)して理解しておかないと議論の土俵にも上がれないジャン?
基礎を疎かにしていると単に目新しい画面をにぎやかにする技術がまた流行ってんなぁ、でおしまいになっちゃうんじゃないのかな?
とか考えてんの。
そんな状況を遅まきながら引き締めにかからなければこれはまずいかもとFCCがお触れを出して下知に従わなければヒデーゾ、コラ、とやったのにVoIP事業者ブーイング、というのがこちらのCNETの記事。
一方、日本では、総務省が先手を打って0AB-J番号付与には厳しい条件をつけた(跳箱はそんなに無茶な条件とは思わないんだけどねぇ)んでヘタレなVoIP事業者は050番号でお茶を濁しつつ、どこが儲けどころかよくわからないVoIPサービスを無いよりゃまし、で提供し続けつつ現在に至っているのも周知の通り。
で、話戻って米国では、これまで野放しに限りなく近い状態でテキトー極まりないサービスを提供していたVoIP事業者たちがFCCから今頃になってE911きちんと提供するか、E911きちんと提供できない電話会社なのウチ、それでもつかってくれる?と正直にユーザーに説明して、オッケー、オレは気にしないさ、ベイベー、と返事してくれた豪気なユーザーにしかサービス提供しちゃいけませんっ、といわれて右往左往。
なんだかなぁ、なんですが、そこでふと、現在カリフォルニア州在住でWieb2.0推進派な江島氏を思い出したのでした。(前振り長いなぁ)ついこないだ、江島氏が江島氏的にSOAはなんだかななんだけどWeb2.0はマンセーなんでそっち方面にレッツゴーだと連絡(なのか?)があったんですが跳箱的にはWeb2.0キライなんでSOAでレッツゴーだと返事(なのか?)したので、なんでWeb2.0ズイマーなのかちと説明せねば、と思いつついいネタないかしらだったもので...。(前振りすげー長いなぁ)
さて、最近便利なWikipediaによると、Web2.0とは、
Proponents of the Web 2.0 approach believe that web usage is increasingly oriented toward interaction and rudimentary social networks, which can serve content that exploits network effects with or without creating a visual, interactive web page.
なんだそうで、基本的には今後の"Webページ"をどーつくるかな話らしいんですが、
An earlier usage of the phrase Web 2.0 was a synonym for Semantic Web. The two concepts are similar and complementary. The combination of social networking systems such as FOAF and XFN with the development of tag-based folksonomies and delivered through blogs and wikis creates a natural basis for a semantic environment.
Semantic Webと同義でもあるらしいんでVoIPもその範疇に入っていると考えても問題なさそうだと判断してみた。
今後、The Internetを祖としたネットワークサービスに対する依存度をさらに高めた社会が嫌でもやってきてしまうだろうところは皆様同意のところでしょう。
で、そういった社会において社会インフラの信頼性は誰が担保し誰がコストを負担し、誰が仕様変更すべきなのか?ぶっちゃけ、Web2.0な社会ですと119番コールしたけどルータ故障で繋がりませんでした、その間に餅をのどに詰まらせたオジイちゃん逝っちゃいましたとかシャレにも何にもならないことが起こりそうで怖い怖い。
Semantic Webと同義だというなら(いや、江島氏が言ってるわけじゃないけど)、Web2.0も信頼性の科学とかも考慮に入れて社会の有様を無理なく移行させるためにはどういうステップ論踏まなければならないのかきちんと足元見た議論が欲しいんだよね。ところがWeb2.0 Conference 2005のスピーカー見ててもそういう抑えた発言しそうな人が見当たらない。(あ、でもOzzieのオッサン出てるなぁ、行こうかなぁ。Web2.0はキライだけどOzzie氏は好きだし)
そういう議論するためには、これまでの社会インフラの成立・発展の過程、現在の管理体制とその根拠を勉強(いい加減とかNTTうそつきとか言う前に最低一度は長期増分費用モデルそのものをいぢってみるとかさ)して理解しておかないと議論の土俵にも上がれないジャン?
基礎を疎かにしていると単に目新しい画面をにぎやかにする技術がまた流行ってんなぁ、でおしまいになっちゃうんじゃないのかな?
とか考えてんの。
SSS氏からもらったコメントにどう答えるかなぁ、でもまじめに答えると話が拡散しちゃう恐れが多分にあるなぁ、でも日経にアレの記事出ちゃったしなぁ、でもなぁ、としょっぱなから歯切れ悪いことこの上ないです。すいません。
まず、跳箱的にはSOAに関する議論の存在に気づいたのはkazuho氏からトラバもらってkazuho氏んとこのブログをざらっと読んでからのことだったりしたことを白状しておきます。当然、最近の総務省と経産省の動きとか含め5年くらい前(つい最近です、すいません)からこの手の協調アーキテクチャについて関わってきていたのですが、トラバもらったりしているご縁な方々周辺でそういう議論になっているとは露知らずでありました。流行ってたのね。
参戦するわけじゃないけどSOAについて整理しとくために書き出しておくと、跳箱的には前提としているSOAの定義は前回も引用した通り、日経BP準拠ってことで行きますが、もっとゆるいです。(昔考えてた時はもうちょっと厳密だったんだけど...。)
跳箱的な関心は総務省のまとめたユビキタスネット社会におけるプラットフォーム機能のあり方に関する研究会最終報告書のフレームワークくらいの粒度で足場を作って情報フロンティア研究会報告書で示されている程度の粒度の各論とその周辺からカネになるネタを引き出してとりあえず流れを作り出すところだったりします。
この関心の粒度からすると、
kazuho氏の主張はこの辺、渡辺氏の主張はこの辺、店長の主張はこの辺
と前提するとどうも議論がかみ合わないんです。というかそういうの跳箱的には、あ、そっすかなんとかしといてね、で終わりになっちゃうんよ。技術に疎い商売人にしたらそれらすべての投影図であるところの商売の在り方の部分に関心があるんであって、詳細の議論については投入可能なコストに収まるか?採用するアーキテクチャ別の限界市場規模はどのくらいなんか?もしくはどのくらいになりえるんか?といった変数要因として把握したいだけだったりします。カネにしか関心ないからなぁ、跳箱。
と、立場表明したところで、SSS氏のコメントを引用しつつ跳箱的整理をしてみようかと。
SOAの「サービス」には、AppleやYahoo!のWidgetのような簡易ブラウザ上の「アプリケーション」やEclipse/OSGi等のプラグインによる「アプリケーション」も含まれるだろうと思います(Java6には、JavaScript実行環境も入りますし)。
跳箱的了解では交換可能な財の単位であればなんでも「サービス」としてまるで問題なかろうと考えています。コンビニのPOSレジ&レジ打ちバイトのセットもSOAに組み込みうるサービスモジュールという考え方です。
つまり管理が簡単であれば、ローカルのアプリケーションもリモートのWebサービスもどちらでもいいのだろうと思います。この辺はSOAの記事では殆ど触れられませんが。
はいはい、その点まったくもってアグリーです。跳箱的には容易に組み換え可能なビジネス(サービス)モジュールをどのようなマーケティングコンテクストに乗っけて組み立てて、なにからどうカネを巻き上げるか?というテーマとして認識しています。注釈つけるなら対象範囲はSSS氏よりルーズにもっとだだっ広く解釈してくだせぇ。
MSも色々やるだろうしSOA周辺は3年で技術が確立すると思います。
ここんとこよく解んないなぁ?MSがいろいろやるのはいつものことだし、MSを他の企業名に置き換えても同じだし。SOAという概念セット自体は1980年代にクライアントサーバ(別にサーバクライアントと古式に読んでもいいすけど)なシステムの売り込みが最新流行だった時代にはすでに登場してたわけで、現在、そこかしこで流行っているらしいSOAは1990年代末に雨後の竹の子状態で勃興した各種ASPなんかを連結して運用しようそうしようという流れを基にそのエンタープライズ市場向け実装の方法論の部分が一人歩きしている話なんじゃないかと考えます。
ゆえに跳箱的にはなにをもって3年と区切っているのかよくわからないのね。(前提としている議論の粒度がちがうせいもあると思うけど)
なので、
サービス/アプリの単位が小さくなって、販売で儲けるのは難しくなるなと思います。
ここの部分は、跳箱的粒度を前提とするとそうばっかりはいえないでしょ、となります。こちゃこちゃと小さな技術ツールのどれが主流になるか?といった議論ばかりしていれば、取引単位が小さくなって販売で儲けるのは難しい、というシナリオもありえますが、一方、とことん汎用化が進んで、それこそメモリ並みに大量に使うものになって市場規模がとことんデカイ(つまり対象範囲が広くて単純なソフトウェア部品で知的財産権が守られている)ということになればそれなりにビジネスになるはずじゃん?その代わり、たぶん、その単純なソフトウェア部品が実現する機能とか、その設計思想とかを前提とした社会が実現していないといけないわけで。(スチームパンクな社会とかを想像してみたらどうだろ?蒸気機関というシンプルな技術があらゆる分野に使われているっつう...。でもスチームパンクな社会ならディファレンスエンジンチックな計算機じゃなくて量子論的な計算機の方が先に実現できたかもしれないねぇ...。どうでもいいけど)
まあなにはともあれ、商売にならない、と悲観することもなかろうよ、ということで。
ところで、冒頭でアレ、と書いたからにはそこにも落としどころが必要だろうなぁ。要するに跳箱的にはすでに何度か紹介してるLiberty Allianceに準拠した仕組みと新しい本人確認についての社会的合意形成の組み合わせが突破口になるんじゃないかと考えてます。べつに冒頭で紹介したアレが当る、と考えてるわけじゃないですがホリエモン暴れて地固まる、みたいなことってしょっちゅうあるじゃん?
で、同じ文脈で、Coral Consortiumも重要と考えてます。
これをユビキタスに運用することまでフォーカスに入れると、これまた何度も紹介しているUoPFとかDLNAとかの出番が出てきてOMAも見ておかなきゃ、って話になると。そうすると、IETFとかITU-Tなんかも見ておかないとよくわからないなぁてな話になるじゃないかと。以下話は拡散し続けるわけです。
まず、跳箱的にはSOAに関する議論の存在に気づいたのはkazuho氏からトラバもらってkazuho氏んとこのブログをざらっと読んでからのことだったりしたことを白状しておきます。当然、最近の総務省と経産省の動きとか含め5年くらい前(つい最近です、すいません)からこの手の協調アーキテクチャについて関わってきていたのですが、トラバもらったりしているご縁な方々周辺でそういう議論になっているとは露知らずでありました。流行ってたのね。
参戦するわけじゃないけどSOAについて整理しとくために書き出しておくと、跳箱的には前提としているSOAの定義は前回も引用した通り、日経BP準拠ってことで行きますが、もっとゆるいです。(昔考えてた時はもうちょっと厳密だったんだけど...。)
跳箱的な関心は総務省のまとめたユビキタスネット社会におけるプラットフォーム機能のあり方に関する研究会最終報告書のフレームワークくらいの粒度で足場を作って情報フロンティア研究会報告書で示されている程度の粒度の各論とその周辺からカネになるネタを引き出してとりあえず流れを作り出すところだったりします。
この関心の粒度からすると、
kazuho氏の主張はこの辺、渡辺氏の主張はこの辺、店長の主張はこの辺
と前提するとどうも議論がかみ合わないんです。というかそういうの跳箱的には、あ、そっすかなんとかしといてね、で終わりになっちゃうんよ。技術に疎い商売人にしたらそれらすべての投影図であるところの商売の在り方の部分に関心があるんであって、詳細の議論については投入可能なコストに収まるか?採用するアーキテクチャ別の限界市場規模はどのくらいなんか?もしくはどのくらいになりえるんか?といった変数要因として把握したいだけだったりします。カネにしか関心ないからなぁ、跳箱。
と、立場表明したところで、SSS氏のコメントを引用しつつ跳箱的整理をしてみようかと。
SOAの「サービス」には、AppleやYahoo!のWidgetのような簡易ブラウザ上の「アプリケーション」やEclipse/OSGi等のプラグインによる「アプリケーション」も含まれるだろうと思います(Java6には、JavaScript実行環境も入りますし)。
跳箱的了解では交換可能な財の単位であればなんでも「サービス」としてまるで問題なかろうと考えています。コンビニのPOSレジ&レジ打ちバイトのセットもSOAに組み込みうるサービスモジュールという考え方です。
つまり管理が簡単であれば、ローカルのアプリケーションもリモートのWebサービスもどちらでもいいのだろうと思います。この辺はSOAの記事では殆ど触れられませんが。
はいはい、その点まったくもってアグリーです。跳箱的には容易に組み換え可能なビジネス(サービス)モジュールをどのようなマーケティングコンテクストに乗っけて組み立てて、なにからどうカネを巻き上げるか?というテーマとして認識しています。注釈つけるなら対象範囲はSSS氏よりルーズにもっとだだっ広く解釈してくだせぇ。
MSも色々やるだろうしSOA周辺は3年で技術が確立すると思います。
ここんとこよく解んないなぁ?MSがいろいろやるのはいつものことだし、MSを他の企業名に置き換えても同じだし。SOAという概念セット自体は1980年代にクライアントサーバ(別にサーバクライアントと古式に読んでもいいすけど)なシステムの売り込みが最新流行だった時代にはすでに登場してたわけで、現在、そこかしこで流行っているらしいSOAは1990年代末に雨後の竹の子状態で勃興した各種ASPなんかを連結して運用しようそうしようという流れを基にそのエンタープライズ市場向け実装の方法論の部分が一人歩きしている話なんじゃないかと考えます。
ゆえに跳箱的にはなにをもって3年と区切っているのかよくわからないのね。(前提としている議論の粒度がちがうせいもあると思うけど)
なので、
サービス/アプリの単位が小さくなって、販売で儲けるのは難しくなるなと思います。
ここの部分は、跳箱的粒度を前提とするとそうばっかりはいえないでしょ、となります。こちゃこちゃと小さな技術ツールのどれが主流になるか?といった議論ばかりしていれば、取引単位が小さくなって販売で儲けるのは難しい、というシナリオもありえますが、一方、とことん汎用化が進んで、それこそメモリ並みに大量に使うものになって市場規模がとことんデカイ(つまり対象範囲が広くて単純なソフトウェア部品で知的財産権が守られている)ということになればそれなりにビジネスになるはずじゃん?その代わり、たぶん、その単純なソフトウェア部品が実現する機能とか、その設計思想とかを前提とした社会が実現していないといけないわけで。(スチームパンクな社会とかを想像してみたらどうだろ?蒸気機関というシンプルな技術があらゆる分野に使われているっつう...。でもスチームパンクな社会ならディファレンスエンジンチックな計算機じゃなくて量子論的な計算機の方が先に実現できたかもしれないねぇ...。どうでもいいけど)
まあなにはともあれ、商売にならない、と悲観することもなかろうよ、ということで。
ところで、冒頭でアレ、と書いたからにはそこにも落としどころが必要だろうなぁ。要するに跳箱的にはすでに何度か紹介してるLiberty Allianceに準拠した仕組みと新しい本人確認についての社会的合意形成の組み合わせが突破口になるんじゃないかと考えてます。べつに冒頭で紹介したアレが当る、と考えてるわけじゃないですがホリエモン暴れて地固まる、みたいなことってしょっちゅうあるじゃん?
で、同じ文脈で、Coral Consortiumも重要と考えてます。
これをユビキタスに運用することまでフォーカスに入れると、これまた何度も紹介しているUoPFとかDLNAとかの出番が出てきてOMAも見ておかなきゃ、って話になると。そうすると、IETFとかITU-Tなんかも見ておかないとよくわからないなぁてな話になるじゃないかと。以下話は拡散し続けるわけです。
言葉も無かったころからのSOA推進派としては、BuzzWordだろうがなんだろうが流行ってくれないことには何も始まらないから煽れや煽れそれ煽れ、な立場であることを告白してしまう跳箱が例によってつっかかっているのは、最近カリフォルニア州民になって大きいことはいいことだと思い始めているらしい江島氏の新連載宣伝エントリのリンク先の昔のエントリだったり。
とりあえずタイトルにSOAって書いちゃったんでSOAについて一言も触れないと、なんじゃそらすぎるので、SOAが普及するかどうかは協調ゲームなナッシュ均衡が成立しえる社会状況が作り出せるかどうかなんだよ~、とかいやらしいこと言うつもりは無いですが、SOAについては技術の問題である以前に経済の問題であり心理の問題であるでせう、と薀蓄傾けるふりだけしておきます。
さて、江島氏の新連載は老舗(日本じゃ新顔)なComputerWorld誌に掲載される由、なにをどう頑張るかはまったくわかりませんが、とりあえずガンバレ。
で恒例のツッコミツアー。
最初はこちら、
この業界の媒体はどうしても広告主と記事の対象がいつも近すぎるので、一般的なメディアに比べると批判的なスタイルをとりつづけるのは逆風が強いだろう
"この業界"とおっしゃいますが専門誌ってなそんなもんだろう?対象市場規模が小さくなればバリューチェーンを伸ばしにくくなるので、当然のように利害関係が表面化しやすくなるわけで。江島氏が"一般的なメディア"としてなにを想像しているかにもよるけどね。
とはいえ、最近の日本のIT企業宣伝部が広い心を持っているといいなぁ、と願っているふりだけしてみます。
お次はこちら、
我々はデモクラシーというパラダイムに生きる市民なのですから、そういうスタイルの切り口は読者からは必要とされているはず
我々はcapitalism=資本主義というパラダイムに生きる消費者(であり多くの場合は無産階級)であるわけです。democracyは生きているという幻想に生きている市民というなら解りますが...。
ホントのこと言い過ぎて広告付かなくなって廃刊にならないよう願うことはできますが、ホントに「そういうスタイルの切り口は読者からは必要とされている」なら購読料なり読者からのお布施なりでカネが廻らなければウソなのでカネのかからない応援(のふり)くらいしか提供できないのが残念でなりません。
言ってる事がどんなに立派(にいっけん見えても)でもその足元がケチつけられる企業側の寛大さ(うぷぷ)に依存しているのであるなら、その辺の扶養家族な中学生の社会批判と大差ないです、なさけないです。
どうも江島氏は
あたりの影響を受けたんじゃないかと思うんですが、
美しいとか醜いとか、好きだとか嫌いだとか、もっと主観的で豊かな表現で彩られた
言説空間があってもよかろ、と、それでもってクリティークであると言っているんですがそれは柄谷氏に失礼というものでしょう。ガキっぽい好き嫌いの表明を批判=クリティークであるなどと言ってしまうのは、もう、正直言って失礼とか何とか言う前に躾がなってないって感じです。
さてはて、なにはともあれ、30歳にもなって扶養されるのは当然という姿勢がなんともイタイタしい江島氏による資本主義批判な立場でのIT哲学が読めるのはComputerWorldだけ!、と宣伝だけは協力しておこっと。
とりあえずタイトルにSOAって書いちゃったんでSOAについて一言も触れないと、なんじゃそらすぎるので、SOAが普及するかどうかは協調ゲームなナッシュ均衡が成立しえる社会状況が作り出せるかどうかなんだよ~、とかいやらしいこと言うつもりは無いですが、SOAについては技術の問題である以前に経済の問題であり心理の問題であるでせう、と薀蓄傾けるふりだけしておきます。
さて、江島氏の新連載は老舗(日本じゃ新顔)なComputerWorld誌に掲載される由、なにをどう頑張るかはまったくわかりませんが、とりあえずガンバレ。
で恒例のツッコミツアー。
最初はこちら、
この業界の媒体はどうしても広告主と記事の対象がいつも近すぎるので、一般的なメディアに比べると批判的なスタイルをとりつづけるのは逆風が強いだろう
"この業界"とおっしゃいますが専門誌ってなそんなもんだろう?対象市場規模が小さくなればバリューチェーンを伸ばしにくくなるので、当然のように利害関係が表面化しやすくなるわけで。江島氏が"一般的なメディア"としてなにを想像しているかにもよるけどね。
とはいえ、最近の日本のIT企業宣伝部が広い心を持っているといいなぁ、と願っているふりだけしてみます。
お次はこちら、
我々はデモクラシーというパラダイムに生きる市民なのですから、そういうスタイルの切り口は読者からは必要とされているはず
我々はcapitalism=資本主義というパラダイムに生きる消費者(であり多くの場合は無産階級)であるわけです。democracyは生きているという幻想に生きている市民というなら解りますが...。
ホントのこと言い過ぎて広告付かなくなって廃刊にならないよう願うことはできますが、ホントに「そういうスタイルの切り口は読者からは必要とされている」なら購読料なり読者からのお布施なりでカネが廻らなければウソなのでカネのかからない応援(のふり)くらいしか提供できないのが残念でなりません。
言ってる事がどんなに立派(にいっけん見えても)でもその足元がケチつけられる企業側の寛大さ(うぷぷ)に依存しているのであるなら、その辺の扶養家族な中学生の社会批判と大差ないです、なさけないです。
どうも江島氏は
![]() | トランスクリティーク ― カントとマルクス批評空間このアイテムの詳細を見る |
あたりの影響を受けたんじゃないかと思うんですが、
美しいとか醜いとか、好きだとか嫌いだとか、もっと主観的で豊かな表現で彩られた
言説空間があってもよかろ、と、それでもってクリティークであると言っているんですがそれは柄谷氏に失礼というものでしょう。ガキっぽい好き嫌いの表明を批判=クリティークであるなどと言ってしまうのは、もう、正直言って失礼とか何とか言う前に躾がなってないって感じです。
さてはて、なにはともあれ、30歳にもなって扶養されるのは当然という姿勢がなんともイタイタしい江島氏による資本主義批判な立場でのIT哲学が読めるのはComputerWorldだけ!、と宣伝だけは協力しておこっと。
ひさしぶりに森氏がなんか書いていると思ったらなんのこっちゃないApple社というかiPodについての信仰告白、いやなんなら愛の告白といってもいいただのノロケでした。
森氏、読みかじった新書と新聞の囲み記事の内容を鵜呑みにするクセは直したほうがいいんじゃないすかね?
文化を実践する手間を省くために、ヒトとして作り上げてきた文化を算盤から電卓、コンピュータへと急速に進展するテクノロジーに預けてしまっている。そしてその「外部化」によって、結果的に自らの内部から文化を追い出してしまう傾向には、どんどん拍車がかかってきている
暗算は文化であると。いや、文化かもしれねぇですが、高速に大きな桁数の暗算できない人は文化的でないと。そうですか、跳箱はできませんです。野蛮人ですんません。
結果、自身の内部で緻密に作り上げた計画に従って何らかの目的を達成するよりも、コンサマトリー(即時報酬性の高い刹那的で自己的な行為)なコミュニケーションや消費を好むようになり、ついにはこれまでの価値観であれば十二分に耐えられる程度であっても不快と感じて、そんな状況に対して反射的に行動を起こすといった「動物的」な行動様式をとるようになりつつある
突然論理が飛躍するのは森氏の文章の特徴のような気もしますが、一応突っ込んでおくなら(検挙率自体が下がっているとかいろいろ突っ込みどころはあるにせよ)警察庁の各種統計を見る限り犯罪発生件数も少年非行も減少傾向にあるようなので、どのような社会的問題がどんくらい起こっているから、動物的な行動様式をとるようになりつつある、と結論付けているのかぜひ説明いただきたいところです。
で、ここまでの言説は森氏自身のものか正高氏のものなのかいまいち判然としない書かれ方なのですが、続く節で、
この現実を一概に「サル化」と呼び、それをイコール「退化」として嘆き、否定する気には僕はならない。単純なその判断は、素朴なヒト至上主義に裏打ちされたものではないか。「おサルで何が悪い」とちょっと開き直ってしまってもいいかな、とすら思う
と書いているのでどうも正高氏の説にアグリーしてそのうえでサルであると開き直っているようです。森氏が自身はサルであると告白している分にはああそうすか、という感想しかもたないのですが、近頃のヒトはみなサルであるというのならそれはメーワク、って話を書いとかなきゃと思うしだい。
つまり、社会インフラの変遷にともなってその上で行われるコミュニケーションの有り様が変化したことによって行動様式が変化したか?との問いには定量的に観察できるのでそれはまあ変化したなぁと、返答することにはなりますが、跳箱はそれをサル化だとは思いません。
したがって後段で、
iPodのスローライフ志向と、ケータイによるサル化とは、時代的に共鳴しあっているといえないか
との問いに対してはそんなことねーでしょ、と答えます。
そもそもAppleが、「iPodはスローライフを目指しているんです」って言ったとするならiPod Photoはどう説明するんすか?
Apple社がなんか耳当たりのいいメッセージを言い出したなら、これまでそれは常にApple社とそのコンペティターとの比較を困難にするための言葉の煙幕だったことを思い出していただきたいものです。
なんてゆうか歴史(というかデータ)を忘れることについてApple教徒ほど柔軟性を発揮する人々はなかなかいないと思うのですが、
コンテンツをネットから送り込むiTMSなしでも、日本で大ヒット
と森氏ははしゃいでいますが、Apple自身が発表している資料によるとiTMSがスタートしたのはiPodの出荷実績が100万台近くに達してからでしたし、2003年4月28日にiTMSがスタートしてから同年5月6日にiTMSが100万DL達成するまで9日間しか掛かってません。日本のiTMSについては、これだけ期待され待ち焦がれられたサービスであったにもかかわらず、100万DLに達するまでに4日も掛かったのはむしろ時間掛かりすぎの感もあります。
常になんらかの学習を強要するハイテクに対して潜在的な嫌悪感を持つ人を魅了するもの
と持ち上げていますがつまりiPodはツーカーS(あのジジババフォン)みたいなもんであるということすか、そうすか、カッコいいっすね。
あえて「機能を削る」という付加価値によって成功したウォークマンのルーツと成功体験を忘れ
森氏はソニーは録音機能を外そう、いや外すべき、と意図してウォークマンを再生専用機とした、と主張されているようですが、少なくともSony Histryの記載を鵜呑みにするなら初代Walkmanについては入らなかったから入れなかったつうほうが事実に近いんじゃないですかね?
跳箱も三代目以降については意図的に再生専用機として開発してラジカセまたはミニコンポも買ってもらう、つうコンボを意図的に展開していたんじゃないかと考えていますが...。(実際、Walkman発売されてからミニコンポやラジカセの出荷台数伸びてんだよねぇ)
さて突っ込みツアーに戻りますが、
テクノロジーによる文化の外部化の過剰な弾みの行き着くところ=サル化という新たなベクトルで文明を眺めたとき、利便性の向上とは特定機器のハイテク化/高機能化ではなく、ネットワークへの機能の分散や環境への埋め込みといったユビキタス化にあるのではないだろうか
そもそもサル化していないと考えているのではなから意見なんざ一致しないのですが、シンプルな機器が相互依存することによって全体としてスマートにサービスを実現するという絵面は美しいですが当面難しいでしょうね。相互依存する機器間の機能バランスを「誰か」がディレクションしなくちゃいけないわけですから、一社ですべての機器を提供できる企業ならシステムコンポ的にバランスの取れたものを提供できるかもしれませんが、そうでないとバランス悪い機器の組み合わせに四苦八苦することになりかねません。てゆうか、各企業は自社のキーコンポーネントを軸に自社の他の製品と組み合わせすることを推奨するでしょうからUoPFやDLNA、Coralがなんといおうが、ユビキタスな機器のコモディタイズが行き着くところに行き着くまでは、競合する価値があると企業がみなす分野であればあらゆる分野で「過剰な弾み」がつきまくるはずではないかと。
どうもインテリな方は自分の好きなもんを自慢するに当って屁理屈ならべたがりすぎる気がします。
森氏、読みかじった新書と新聞の囲み記事の内容を鵜呑みにするクセは直したほうがいいんじゃないすかね?
文化を実践する手間を省くために、ヒトとして作り上げてきた文化を算盤から電卓、コンピュータへと急速に進展するテクノロジーに預けてしまっている。そしてその「外部化」によって、結果的に自らの内部から文化を追い出してしまう傾向には、どんどん拍車がかかってきている
暗算は文化であると。いや、文化かもしれねぇですが、高速に大きな桁数の暗算できない人は文化的でないと。そうですか、跳箱はできませんです。野蛮人ですんません。
結果、自身の内部で緻密に作り上げた計画に従って何らかの目的を達成するよりも、コンサマトリー(即時報酬性の高い刹那的で自己的な行為)なコミュニケーションや消費を好むようになり、ついにはこれまでの価値観であれば十二分に耐えられる程度であっても不快と感じて、そんな状況に対して反射的に行動を起こすといった「動物的」な行動様式をとるようになりつつある
突然論理が飛躍するのは森氏の文章の特徴のような気もしますが、一応突っ込んでおくなら(検挙率自体が下がっているとかいろいろ突っ込みどころはあるにせよ)警察庁の各種統計を見る限り犯罪発生件数も少年非行も減少傾向にあるようなので、どのような社会的問題がどんくらい起こっているから、動物的な行動様式をとるようになりつつある、と結論付けているのかぜひ説明いただきたいところです。
で、ここまでの言説は森氏自身のものか正高氏のものなのかいまいち判然としない書かれ方なのですが、続く節で、
この現実を一概に「サル化」と呼び、それをイコール「退化」として嘆き、否定する気には僕はならない。単純なその判断は、素朴なヒト至上主義に裏打ちされたものではないか。「おサルで何が悪い」とちょっと開き直ってしまってもいいかな、とすら思う
と書いているのでどうも正高氏の説にアグリーしてそのうえでサルであると開き直っているようです。森氏が自身はサルであると告白している分にはああそうすか、という感想しかもたないのですが、近頃のヒトはみなサルであるというのならそれはメーワク、って話を書いとかなきゃと思うしだい。
つまり、社会インフラの変遷にともなってその上で行われるコミュニケーションの有り様が変化したことによって行動様式が変化したか?との問いには定量的に観察できるのでそれはまあ変化したなぁと、返答することにはなりますが、跳箱はそれをサル化だとは思いません。
したがって後段で、
iPodのスローライフ志向と、ケータイによるサル化とは、時代的に共鳴しあっているといえないか
との問いに対してはそんなことねーでしょ、と答えます。
そもそもAppleが、「iPodはスローライフを目指しているんです」って言ったとするならiPod Photoはどう説明するんすか?
Apple社がなんか耳当たりのいいメッセージを言い出したなら、これまでそれは常にApple社とそのコンペティターとの比較を困難にするための言葉の煙幕だったことを思い出していただきたいものです。
なんてゆうか歴史(というかデータ)を忘れることについてApple教徒ほど柔軟性を発揮する人々はなかなかいないと思うのですが、
コンテンツをネットから送り込むiTMSなしでも、日本で大ヒット
と森氏ははしゃいでいますが、Apple自身が発表している資料によるとiTMSがスタートしたのはiPodの出荷実績が100万台近くに達してからでしたし、2003年4月28日にiTMSがスタートしてから同年5月6日にiTMSが100万DL達成するまで9日間しか掛かってません。日本のiTMSについては、これだけ期待され待ち焦がれられたサービスであったにもかかわらず、100万DLに達するまでに4日も掛かったのはむしろ時間掛かりすぎの感もあります。
常になんらかの学習を強要するハイテクに対して潜在的な嫌悪感を持つ人を魅了するもの
と持ち上げていますがつまりiPodはツーカーS(あのジジババフォン)みたいなもんであるということすか、そうすか、カッコいいっすね。
あえて「機能を削る」という付加価値によって成功したウォークマンのルーツと成功体験を忘れ
森氏はソニーは録音機能を外そう、いや外すべき、と意図してウォークマンを再生専用機とした、と主張されているようですが、少なくともSony Histryの記載を鵜呑みにするなら初代Walkmanについては入らなかったから入れなかったつうほうが事実に近いんじゃないですかね?
跳箱も三代目以降については意図的に再生専用機として開発してラジカセまたはミニコンポも買ってもらう、つうコンボを意図的に展開していたんじゃないかと考えていますが...。(実際、Walkman発売されてからミニコンポやラジカセの出荷台数伸びてんだよねぇ)
さて突っ込みツアーに戻りますが、
テクノロジーによる文化の外部化の過剰な弾みの行き着くところ=サル化という新たなベクトルで文明を眺めたとき、利便性の向上とは特定機器のハイテク化/高機能化ではなく、ネットワークへの機能の分散や環境への埋め込みといったユビキタス化にあるのではないだろうか
そもそもサル化していないと考えているのではなから意見なんざ一致しないのですが、シンプルな機器が相互依存することによって全体としてスマートにサービスを実現するという絵面は美しいですが当面難しいでしょうね。相互依存する機器間の機能バランスを「誰か」がディレクションしなくちゃいけないわけですから、一社ですべての機器を提供できる企業ならシステムコンポ的にバランスの取れたものを提供できるかもしれませんが、そうでないとバランス悪い機器の組み合わせに四苦八苦することになりかねません。てゆうか、各企業は自社のキーコンポーネントを軸に自社の他の製品と組み合わせすることを推奨するでしょうからUoPFやDLNA、Coralがなんといおうが、ユビキタスな機器のコモディタイズが行き着くところに行き着くまでは、競合する価値があると企業がみなす分野であればあらゆる分野で「過剰な弾み」がつきまくるはずではないかと。
どうもインテリな方は自分の好きなもんを自慢するに当って屁理屈ならべたがりすぎる気がします。
遅い鳥氏ってガキ大将っぽい子とか好きだったりする?
追伸:遅い鳥氏と跳箱の崇拝している神様が違うらしいことは了解~。
追伸の追伸:スパウェアをスパイウェアとカンチガイしたのは秘密です。
追伸の追伸の追伸:なんちゅーエントリ書いてんだか>自分。
追伸:遅い鳥氏と跳箱の崇拝している神様が違うらしいことは了解~。
追伸の追伸:スパウェアをスパイウェアとカンチガイしたのは秘密です。
追伸の追伸の追伸:なんちゅーエントリ書いてんだか>自分。
さて、遅い鳥氏から身も蓋もないエントリにトラバ頂いていたので、なんで身も蓋もない突っ込みを入れているのか補足エントリ書いて見ます。
大きなお友達な近藤氏が経営しているはてなという会社はコミュニティサービスを提供して会員組織を成長させることによって媒体価値を高めて広告収入を得たり、少々の利用料を会員から徴収する事によって売り上げを得たりする会社らしいです。
ということは、はてなという会社の事業価値決定モデルにおいてはネットワーク外部性が比較的強い影響を及ぼすはずです。
ということは、はてなという会社は自分流を押し通して社会一般と隔絶した価値観やタームに依存していると内集団偏向していって自滅するリスクが高くなるものと考えます。(まあ跳箱的にははてながつぶれようがどうしようが知ったことじゃないですが)
省略しまくりますが、そういった事業特性をもっている企業の経営者がメディアにおいて内輪の言い回しを平気で使いまくって社会一般でどのように表現されている事象であるかに無頓着であるように見受けられるというのはあまりほめられたものじゃないでしょう。というより跳箱はそーゆうの見ると脊髄反射でつっこみいれてしまいます。
そういった根っこの部分でオカシナことをしている会社や経営者が、
何か新しいブレイクスルーを生み出す可能性を秘めている
とはとても思えないのです。
それから跳箱のどこかのコメント欄にも書きましたが、跳箱はフリーライドを前提とした事業モデルは持続可能性が低くて他人にツケを廻している恥知らずなやり口と考えてますので大嫌いです。このへんも跳箱が大きなお友達な近藤氏に冷たい理由のひとつだったりします。
ちなみに跳箱的には森氏はあまり評価してません、てゆうかできません、あの方。
大きなお友達な近藤氏が経営しているはてなという会社はコミュニティサービスを提供して会員組織を成長させることによって媒体価値を高めて広告収入を得たり、少々の利用料を会員から徴収する事によって売り上げを得たりする会社らしいです。
ということは、はてなという会社の事業価値決定モデルにおいてはネットワーク外部性が比較的強い影響を及ぼすはずです。
ということは、はてなという会社は自分流を押し通して社会一般と隔絶した価値観やタームに依存していると内集団偏向していって自滅するリスクが高くなるものと考えます。(まあ跳箱的にははてながつぶれようがどうしようが知ったことじゃないですが)
省略しまくりますが、そういった事業特性をもっている企業の経営者がメディアにおいて内輪の言い回しを平気で使いまくって社会一般でどのように表現されている事象であるかに無頓着であるように見受けられるというのはあまりほめられたものじゃないでしょう。というより跳箱はそーゆうの見ると脊髄反射でつっこみいれてしまいます。
そういった根っこの部分でオカシナことをしている会社や経営者が、
何か新しいブレイクスルーを生み出す可能性を秘めている
とはとても思えないのです。
それから跳箱のどこかのコメント欄にも書きましたが、跳箱はフリーライドを前提とした事業モデルは持続可能性が低くて他人にツケを廻している恥知らずなやり口と考えてますので大嫌いです。このへんも跳箱が大きなお友達な近藤氏に冷たい理由のひとつだったりします。
ちなみに跳箱的には森氏はあまり評価してません、てゆうかできません、あの方。
店長からEdyでCRMなエントリに対するトラバもらったので、跳箱がなぜポイント交換変動相場制はに懐疑的か少々書き足しておこうかと。
そもそも現実の通貨において変動相場制が導入されたのは1971年のニクソンショック以後のことです。
じゃあ変動相場制導入以前の世の中はどうなっていたかというといわゆるブレトン・ウッズ体制下にあったわけです。
でブレトン・ウッズ体制な世の中とはなんぞやという点についてはWikiに書いてあるがな、というと一部でブーイングするモノグサなやつがいそうなのでWikiから転載しておくと、
金1オンスを35ドルとさだめ、そのドルに対し各国通貨の交換比率をさだめ
ていた世界のことです。いわゆる1ドル360円時代です。(蛇足ながらなんで元のレートが2%切りあがったといって日経が連日騒いでいるかってのはこのへんをちゃんと勉強していくと、そーだよなー、と納得できるようになります)
つまり固定相場制です。
さて、ここまで復習すると現在のテーマについてなんぼか理解しやすくなっているはずです。(てゆうか30歳代後半以上のやつはガキのころ遭遇しているんで、よく思い出してください、てゆうか跳箱はマセガキだったので、うっすら覚えてます)
各種のポイントサービスはポイントとなんらかの財との交換率をほぼ固定して提供しています。要するに概ね固定相場制となっているわけです。
ところで利用者にとって一番の問題は、ポイントと交換できる財の幅がポイント提供主体の事業上の制約によって限られている点です。
で、そこに一定の交換手数料を徴収する代わりにポイントと交換できる財の幅を広げるサービスを提供するポイント交換事業者の登場する余地があったわけです。
だけど、これって一種の両替商でしかないんだよね。
このような環境下では基軸通貨にあたる信用力のあるポイント(航空会社のマイレージとか)を軸に一種の固定相場制を実現すれば(って実現されてるし)十分事足りるわけです。あらゆるポイントサービスの実経済における財との交換率が相対化する、と仮定しないと市場=取引所モデルへの移行が起こる、とは考えにくいでしょ。
で、ポイントと財の交換率が相対化するってのは、あなたの持っている300ポイントが昨日は300円の商品と交換できたのに明日は285円の商品としか交換できなくなる、って話です。そもそもレート変動はどういう根拠で行われるのさ?って話です。
ほんと、そんなもん実現しそうな気がまるでしてきません...。
ちなみに跳箱的に最近教えて君が来るようになったみたいなんで店長には関係なくて申し訳ないですが、名も知らぬ教えて君に告知です。ニクソンショックってなんだ?とかそーゆうつまらねー質問はWikiして自分で調べてくださいとここにあらかじめお断りしておくですよ。Wikiリンクしてないところでわからないところがあったらぐぐるなり本買って調べるなり自助努力してください。跳箱は教えて君の家庭教師じゃないの。ごめんね。
そもそも現実の通貨において変動相場制が導入されたのは1971年のニクソンショック以後のことです。
じゃあ変動相場制導入以前の世の中はどうなっていたかというといわゆるブレトン・ウッズ体制下にあったわけです。
でブレトン・ウッズ体制な世の中とはなんぞやという点についてはWikiに書いてあるがな、というと一部でブーイングするモノグサなやつがいそうなのでWikiから転載しておくと、
金1オンスを35ドルとさだめ、そのドルに対し各国通貨の交換比率をさだめ
ていた世界のことです。いわゆる1ドル360円時代です。(蛇足ながらなんで元のレートが2%切りあがったといって日経が連日騒いでいるかってのはこのへんをちゃんと勉強していくと、そーだよなー、と納得できるようになります)
つまり固定相場制です。
さて、ここまで復習すると現在のテーマについてなんぼか理解しやすくなっているはずです。(てゆうか30歳代後半以上のやつはガキのころ遭遇しているんで、よく思い出してください、てゆうか跳箱はマセガキだったので、うっすら覚えてます)
各種のポイントサービスはポイントとなんらかの財との交換率をほぼ固定して提供しています。要するに概ね固定相場制となっているわけです。
ところで利用者にとって一番の問題は、ポイントと交換できる財の幅がポイント提供主体の事業上の制約によって限られている点です。
で、そこに一定の交換手数料を徴収する代わりにポイントと交換できる財の幅を広げるサービスを提供するポイント交換事業者の登場する余地があったわけです。
だけど、これって一種の両替商でしかないんだよね。
このような環境下では基軸通貨にあたる信用力のあるポイント(航空会社のマイレージとか)を軸に一種の固定相場制を実現すれば(って実現されてるし)十分事足りるわけです。あらゆるポイントサービスの実経済における財との交換率が相対化する、と仮定しないと市場=取引所モデルへの移行が起こる、とは考えにくいでしょ。
で、ポイントと財の交換率が相対化するってのは、あなたの持っている300ポイントが昨日は300円の商品と交換できたのに明日は285円の商品としか交換できなくなる、って話です。そもそもレート変動はどういう根拠で行われるのさ?って話です。
ほんと、そんなもん実現しそうな気がまるでしてきません...。
ちなみに跳箱的に最近教えて君が来るようになったみたいなんで店長には関係なくて申し訳ないですが、名も知らぬ教えて君に告知です。ニクソンショックってなんだ?とかそーゆうつまらねー質問はWikiして自分で調べてくださいとここにあらかじめお断りしておくですよ。Wikiリンクしてないところでわからないところがあったらぐぐるなり本買って調べるなり自助努力してください。跳箱は教えて君の家庭教師じゃないの。ごめんね。
毎々、世間を騒がせる個人情報とか企業秘密とか国家安全保障上の機密事項とかの漏洩事故とか事件とか起こるたびに大騒ぎされるセキュリティ問題ですが、普段はおんなじ記者がセキュリティ厳しすぎると利便性が低いとか、これまたブーイングしてくれたりするのでなんだかな?感ひとしおであります。
さて、日経BPのIT Proによると、
企業の62%は,ネットワーク終端で認証を受けたユーザーによる不正侵入を経験しており,「ドアマン型のみではセキュリティ対策が十分でないことは明白だ」(IDC)。また,CSOの88%は,ユーザーのアクセス規制を厳しくすれば,全体のネットワーク・セキュリティが向上すると考えている
んだそうです。当たり前ですが商売人が予算削るとき真っ先に削るのが大概セキュリティコスト(異論あるかもしれんけど、経験上。WIREDもそーいってまする)なんで、わかってるけど予算ないのよね、なこと多し。DIAMETERとか出てくればとりあえず、いいなぁ、なんて。
本気でやるならIMSベースでやらんと、と常日頃念仏唱えていたら、いつの間にかIMSをベースに(いや、不勉強でもうしわけない)、ITU-TがFGNGN、ETSIがTISPANって感じで仕込みしてたのね、ってこれまた日経BP IT Proに載ってた。やっぱ、そーでなきゃ。まだまだ時間掛かりそうだけどね。
AAAは金勘定のためだけに必要なわけじゃないんだよ、やっぱ。(とはいえ、コスト倒れじゃやっぱ使えんし...。)
さて、日経BPのIT Proによると、
企業の62%は,ネットワーク終端で認証を受けたユーザーによる不正侵入を経験しており,「ドアマン型のみではセキュリティ対策が十分でないことは明白だ」(IDC)。また,CSOの88%は,ユーザーのアクセス規制を厳しくすれば,全体のネットワーク・セキュリティが向上すると考えている
んだそうです。当たり前ですが商売人が予算削るとき真っ先に削るのが大概セキュリティコスト(異論あるかもしれんけど、経験上。WIREDもそーいってまする)なんで、わかってるけど予算ないのよね、なこと多し。DIAMETERとか出てくればとりあえず、いいなぁ、なんて。
本気でやるならIMSベースでやらんと、と常日頃念仏唱えていたら、いつの間にかIMSをベースに(いや、不勉強でもうしわけない)、ITU-TがFGNGN、ETSIがTISPANって感じで仕込みしてたのね、ってこれまた日経BP IT Proに載ってた。やっぱ、そーでなきゃ。まだまだ時間掛かりそうだけどね。
AAAは金勘定のためだけに必要なわけじゃないんだよ、やっぱ。(とはいえ、コスト倒れじゃやっぱ使えんし...。)
ニセモノの良心な孝好氏から再びコメントとトラックバックをもらったけどbatonってなんだろ?商売人としてはかなりナゾだがこういうときは便利なはてなに答えが載ってた。
えーと、一種のチェーントラックバックみたいなもん?ウチで酒かっくらってほろ酔いなのでさかのぼれるところまで遡ってみることにする。てゆうかペッパーサラミまいうー。酒すすむー。
跳箱にたどり着くまでにこのチェーンは、新しいものから順に孝好氏、高城さん、武蔵野さん、ありんこさん、さらんへさん、あっちょんぶりけさんまで一本道で遡れる。ここで、Tokoさんルーツとベルリン、りんりんさんルーツに分岐(てゆうかここで合流)、Tokoさんルーツは、matsumo_hさん、yukonさんと遡るもリンク記載無く、探索断念。ベルリンルーツは、minaさん、hotchaiさん、フランス暮らしさんでマダムナイスさんルーツとマダムアラダスさんルーツが合流、マダムナイスさんルーツは、りささんとソウルライターさんが合流してるんだけど、ここが面白くて、ソウルライターさんもりささんがルーツなのね。もひとつおまけに、マダムアラダスさんのルーツもりささんなのね、大団円。じゃなくて、ヒナキさんがルーツ、ここで再び逆エビさんルーツとLittlepiggyさんルーツが合流。この辺、ハテナのなかをぐるぐる廻っているらしい。飽きてきたので探索を止める。
ふむ、だいたい6/15までの9日間で19人、直系で16~17代になるみたい。へー、おもしろーい。全体像マップしたら面白いのになぁ。めんどくさいからやらないけど。
なるほど、どんなもんか見当付いてきたところでアンケート(?)に答えると、
★Total volume of music files on my computer
(コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量)
101MB。ヨメさんに全部消されたから跳箱のファイルは0MB。跳箱のファイル消して自分のファイル入れてるヨメさんも実は跳箱から取り上げたiPod Shuffle放置プレイ中。(ひでー)
★Song playing right now (今聞いている曲)
なんも聞いてない。聞かないとダメなら...。
今、かけた。
★The last CD I bought (最後に買ったCD)
ヨメさんが買ってきたやつだけど...。
★Five songs(tunes) I listen to a lot, or that mean a lot to me
(よく聞く、または特別な思い入れのある5曲)
定番、Time after time。
Africa。着うたもこれ。
何だ?この,ユーウツは!!。てゆうか30歳なんかとーっくの昔に通り過ぎちゃったよ、どーしよう...。
また会う日まで(賛美歌405番)てゆうかそのイントロの細野氏のトーク。
強く儚い者たち、正直過ぎてこわーい。
★Five people to whom I'm passing the baton (バトンを渡す5人)
跳箱、ブログ暦短いからあんまり知らないんだよね...。
とりあえず、
ビール氏
店長氏
チチ氏は...、すでにバトン行ってるか。(こりゃこまった)
うーむ、あと3人はあとで考えよう。
てゆうかビール氏、店長氏こーゆうのトラバして怒らんだろか...。(ゴメンネ)
えーと、一種のチェーントラックバックみたいなもん?ウチで酒かっくらってほろ酔いなのでさかのぼれるところまで遡ってみることにする。てゆうかペッパーサラミまいうー。酒すすむー。
跳箱にたどり着くまでにこのチェーンは、新しいものから順に孝好氏、高城さん、武蔵野さん、ありんこさん、さらんへさん、あっちょんぶりけさんまで一本道で遡れる。ここで、Tokoさんルーツとベルリン、りんりんさんルーツに分岐(てゆうかここで合流)、Tokoさんルーツは、matsumo_hさん、yukonさんと遡るもリンク記載無く、探索断念。ベルリンルーツは、minaさん、hotchaiさん、フランス暮らしさんでマダムナイスさんルーツとマダムアラダスさんルーツが合流、マダムナイスさんルーツは、りささんとソウルライターさんが合流してるんだけど、ここが面白くて、ソウルライターさんもりささんがルーツなのね。もひとつおまけに、マダムアラダスさんのルーツもりささんなのね、大団円。じゃなくて、ヒナキさんがルーツ、ここで再び逆エビさんルーツとLittlepiggyさんルーツが合流。この辺、ハテナのなかをぐるぐる廻っているらしい。飽きてきたので探索を止める。
ふむ、だいたい6/15までの9日間で19人、直系で16~17代になるみたい。へー、おもしろーい。全体像マップしたら面白いのになぁ。めんどくさいからやらないけど。
なるほど、どんなもんか見当付いてきたところでアンケート(?)に答えると、
★Total volume of music files on my computer
(コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量)
101MB。ヨメさんに全部消されたから跳箱のファイルは0MB。跳箱のファイル消して自分のファイル入れてるヨメさんも実は跳箱から取り上げたiPod Shuffle放置プレイ中。(ひでー)
★Song playing right now (今聞いている曲)
なんも聞いてない。聞かないとダメなら...。
![]() | ボーン・トゥ・ドゥ・イットクレイグ・デイヴィッド, M.ヒル, C.デイヴィッド, D.ヒルビクターエンタテインメントこのアイテムの詳細を見る |
今、かけた。
★The last CD I bought (最後に買ったCD)
![]() | Mahala Rai BandaMahala Rai BandaCramworldこのアイテムの詳細を見る |
ヨメさんが買ってきたやつだけど...。
★Five songs(tunes) I listen to a lot, or that mean a lot to me
(よく聞く、または特別な思い入れのある5曲)
![]() | Time After Time: Best OfCyndi LauperSony Music Catalogこのアイテムの詳細を見る |
定番、Time after time。
![]() | Toto IVTOTOColumbiaこのアイテムの詳細を見る |
Africa。着うたもこれ。
![]() | DON’T TRUST OVER THIRTY(紙)ムーンライダーズポニーキャニオンこのアイテムの詳細を見る |
何だ?この,ユーウツは!!。てゆうか30歳なんかとーっくの昔に通り過ぎちゃったよ、どーしよう...。
![]() | YEN卒業記念アルバムオムニバス, ゲルニカ, 戸川純, イエロー・マジック・オーケストラ, サンディー&ザ・サンセッツ, 立花ハジメ, 越美晴アルファミュージックこのアイテムの詳細を見る |
また会う日まで(賛美歌405番)てゆうかそのイントロの細野氏のトーク。
![]() | クムイウタCocco, こっこ, 根岸孝旨ビクターエンタテインメントこのアイテムの詳細を見る |
強く儚い者たち、正直過ぎてこわーい。
★Five people to whom I'm passing the baton (バトンを渡す5人)
跳箱、ブログ暦短いからあんまり知らないんだよね...。
とりあえず、
ビール氏
店長氏
チチ氏は...、すでにバトン行ってるか。(こりゃこまった)
うーむ、あと3人はあとで考えよう。
てゆうかビール氏、店長氏こーゆうのトラバして怒らんだろか...。(ゴメンネ)
MSN、ついに新たな日本語検索エンジンへ切り替え--デスクトップ検索も正式版に
より。
モンキー野郎ども、MSN Desktop searchの日本語版が正式版で発表だ、ダウンロードすべし。
モンキー野郎ども、もひとつ業務連絡だ。ウチのシステムじゃこいつのタブ使ってると経費清算できねーぞ、こんちきしょう。
より。
モンキー野郎ども、MSN Desktop searchの日本語版が正式版で発表だ、ダウンロードすべし。
モンキー野郎ども、もひとつ業務連絡だ。ウチのシステムじゃこいつのタブ使ってると経費清算できねーぞ、こんちきしょう。
eラーニング市場動向:ネットラーニング岸田徹氏のお話を伺って
より。
例えばポータルやサーチのような派手さはないが、最終的には数千億以上の市場規模にはなるだろうとの予想が各所から出されている
現状、「2005年の感触値で500億前後はあるだろうか」ということで、上手くシェアを取れば上位企業は上場は出来るくらいのサイズになっている
元祖近視眼的インターネット中華思想主義者の渡辺氏がまたも隅っこをほじくりかえしております。
適当に調べてみてすぐに判った範囲で考えてみる。矢野経によると2003年の国内の教育産業(学習塾、資格取得学校、英会話、カルチャーセンター、幼児英才、教材、企業研修、eラーニング含む)は3.7144兆円規模(前年比0.1%増)で同年のeラーニング市場は390億円だったらしい。同じく2004年はは総市場規模の言及が無い(っていうか足し算めんどくさいからはしょる)けどざっと見て3.5-4兆円市場ってのがパイの全体像だとわかる。
同じようにざっと見て、最大規模の学生向け市場は縮小傾向(てゆうか人口ピラミッドがどこがピラミッド?って形してんだから仕方ない)、法人向け市場の成長と資格とか語学を含む能力開発っぽい収入(個人と法人と両方の、ね)を増やす役に立ちそうな分野がかろうじて成長しているという感じらしい。eラーニング、というかITを活用した教育ってのはこの成長分野で商売している事業者にとってのコスト低減や付加価値向上のための手段であって、市場で上位になれば上場できるぜ、うっしっし、てな切り口で捉えても、だからなんだよ?よ冷たい視線を浴びるだけの話になるんじゃないか?
その他コンテンツを自社制作して著作権を持っていることからある程度の規模を超えると急に利益が出始める点、勝者一人勝ちの構図が生まれやすいことなど教科書の説明事例に出てきそうなモデル
ネットワーク外部性があるからWTA現象が起こるって話でしょうが。お得意のロングテイルはどこにいったんだか。
1)モジュール化、技能の標準化の進みやすい産業:相性が良い
2)全産業通じて標準的で特別競争力に結びつかないところ:相性が良い
ぞっとしない意見です。ひたすらパソコンの画面上で計算ドリルを解かせ続ける古のCAIを思い出してしまいます。もうちょっとSqueakやLego Mindstormsみたいなアプローチで現在の社会制度とも折り合いつけられるような商売っ気のあるものは考えられないんだろうか?
学生の頃読んだ、
みたいな本が最近はあまり出ていないような気がするのは気のせいだろうか?
もうちょっと、ブルーナー先生くらいまで
基本に立ち返ってデザインし直す必要があるんじゃないかと思う。
教育ってのは産業であると同時に資源開発でもあるわけで、国家レベルの競争優位獲得手段(明治なんてまさにそれやってたじゃん)なわけだから、産業競争力=付加価値をつける能力の高さを得るためにどのようなスキル&マインドセットが必要でその育成にはどのような体系を構築する必要があって、それにともなってどのような評価体系と報酬体系(いい職、いい給料とかね)に組み替えて社会全体の評価-報酬系をいじっていくのか、といった視点が必要なはずじゃないのか?
とか読むとそう思う。(毒され過ぎかも知らんけど)
eラーニング白書を出してたALICなんか解散しちゃってるし、文部科学省は小手先仕事ばかりしているしジェンダーフリーとかくだらないし、日教組もくだらないし、市場規模や成長性の実態以上にお先真っ暗感が募るのは気のせいだろうか?
より。
例えばポータルやサーチのような派手さはないが、最終的には数千億以上の市場規模にはなるだろうとの予想が各所から出されている
現状、「2005年の感触値で500億前後はあるだろうか」ということで、上手くシェアを取れば上位企業は上場は出来るくらいのサイズになっている
元祖近視眼的インターネット中華思想主義者の渡辺氏がまたも隅っこをほじくりかえしております。
適当に調べてみてすぐに判った範囲で考えてみる。矢野経によると2003年の国内の教育産業(学習塾、資格取得学校、英会話、カルチャーセンター、幼児英才、教材、企業研修、eラーニング含む)は3.7144兆円規模(前年比0.1%増)で同年のeラーニング市場は390億円だったらしい。同じく2004年はは総市場規模の言及が無い(っていうか足し算めんどくさいからはしょる)けどざっと見て3.5-4兆円市場ってのがパイの全体像だとわかる。
同じようにざっと見て、最大規模の学生向け市場は縮小傾向(てゆうか人口ピラミッドがどこがピラミッド?って形してんだから仕方ない)、法人向け市場の成長と資格とか語学を含む能力開発っぽい収入(個人と法人と両方の、ね)を増やす役に立ちそうな分野がかろうじて成長しているという感じらしい。eラーニング、というかITを活用した教育ってのはこの成長分野で商売している事業者にとってのコスト低減や付加価値向上のための手段であって、市場で上位になれば上場できるぜ、うっしっし、てな切り口で捉えても、だからなんだよ?よ冷たい視線を浴びるだけの話になるんじゃないか?
その他コンテンツを自社制作して著作権を持っていることからある程度の規模を超えると急に利益が出始める点、勝者一人勝ちの構図が生まれやすいことなど教科書の説明事例に出てきそうなモデル
ネットワーク外部性があるからWTA現象が起こるって話でしょうが。お得意のロングテイルはどこにいったんだか。
1)モジュール化、技能の標準化の進みやすい産業:相性が良い
2)全産業通じて標準的で特別競争力に結びつかないところ:相性が良い
ぞっとしない意見です。ひたすらパソコンの画面上で計算ドリルを解かせ続ける古のCAIを思い出してしまいます。もうちょっとSqueakやLego Mindstormsみたいなアプローチで現在の社会制度とも折り合いつけられるような商売っ気のあるものは考えられないんだろうか?
学生の頃読んだ、
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みたいな本が最近はあまり出ていないような気がするのは気のせいだろうか?
もうちょっと、ブルーナー先生くらいまで
![]() | 教育という文化岩波書店このアイテムの詳細を見る |
基本に立ち返ってデザインし直す必要があるんじゃないかと思う。
教育ってのは産業であると同時に資源開発でもあるわけで、国家レベルの競争優位獲得手段(明治なんてまさにそれやってたじゃん)なわけだから、産業競争力=付加価値をつける能力の高さを得るためにどのようなスキル&マインドセットが必要でその育成にはどのような体系を構築する必要があって、それにともなってどのような評価体系と報酬体系(いい職、いい給料とかね)に組み替えて社会全体の評価-報酬系をいじっていくのか、といった視点が必要なはずじゃないのか?
![]() | 国際競争力を高めるアメリカの教育戦略―技術教育からの改革教育開発研究所このアイテムの詳細を見る |
とか読むとそう思う。(毒され過ぎかも知らんけど)
eラーニング白書を出してたALICなんか解散しちゃってるし、文部科学省は小手先仕事ばかりしているしジェンダーフリーとかくだらないし、日教組もくだらないし、市場規模や成長性の実態以上にお先真っ暗感が募るのは気のせいだろうか?