今月の3連休、彼は自分の実家に離婚宣言をしに行き
義両親の大反対を受け、過呼吸で救急搬送された。
それから、義両親のうろたえ方はひどい。
連休明け、帰ってきて遅くに彼に呼ばれて行ってみると
「3人で仲良くやるにはどうしたらいいと思う?」
って言われた。
言葉だけ書けば、翻意したか?って感じだけど。
顔は能面みたいだった。
色も白いけど(いつも)、表情が抜け落ちている。
「お義父さんに、そう言えって言われたの?」って
聞くと、
「うん、○○さん(私)にそう言いなさいって。」
「で、△△(彼)も3人で仲良くって思っているの?」
と重ねて聞くと、黙る。
「結局、離婚して東京行くって、まだ思ってんじゃないの?」
と聞くと、
「うん、思ってる。」ってあっさり答える。
「俺、もう決めたから。」って。
言いなさいっていう親も親だけど、言う息子も息子。
どっちにも、実はない。
そうかと思えば、長々と話しているな~と思うと、ミシって
不穏な音がする。
二階に行ってみると、いるはずの彼の姿がない。
窓が開いてる。
またかよ…って。
本当は高いところが苦手なくせに、彼は屋根に上りたがる。
で、そっから背面飛びで飛び降りて、後頭部縫ったのはつい先々月。
迎えに屋根に出ると、まだ義父と話し中。
イラついて、ぐるぐる歩きながら話し中。
「もう、やめなよ。」と言うと、電話を渡される。
出るのも、嫌なんだけど
「ごめんなさい、お義父さん。
また屋根上っているからさ。
ちょっと話中断して。」
というと、電話を切る。
でも、
「お父さんも、どうしていいのかもうわからんて。
お父さんも、お母さんももう寝らんないで気が狂いそうだ…。」
と泣きも入る。
義両親の気持ちもわかるけど、もう救急車騒ぎはたくさんだ。
彼は
「お父さんはダメだ、ダメだばっかりで嫌になる。
もう、○○(私)から言ってよ!」
って言うけれど、
「離婚する、東京行くって言ってるのはあんたなんだから
自分でなんとかしなさいよ。」
と取り合わない。
だって、連休中義父に電話をしたときに、
「○○さん(私)も、もう別れたいから、だから当たっているんじゃないの?」
って言われた。
つまり、私自身離婚したいから、わざと彼につらく当たり、追い出そうとしている
んじゃないの?ってことらしい。
「病気もあるし、何も初めてじゃないから、書類持ってきても早々判子
押したりしないで、様子をみるつもりだよ。」って言う私に対して。
もうね、その時の脱力感と言ったら…。
もう、金輪際、義父とは話さないって思った。
また、先日も夜中11時ごろに私の携帯が鳴る。
義父だった。
さっきまで、彼と話していたはずなのに…と思いつつ、出ると
「どうしたら、別れないでやり直せるんだろう?」って。
「私にもわからないよ。
だって、やり直す気なんて、△△(彼)にはないんだもん。
話にならないでしょ。」とそっけなく答える。
「でも、△△(彼)は、どうやったら仲良くやれるか考えようって
言ったでしょ?」と言うので
「お義父さん、そんなん無理やり言わせられてるのわかるよ。
全然そんな気ないのに、無理やり言ってる感伝わるよ。
伊達に10年一緒にいるわけじゃないんだから。」って。
終いには、
「もう、お父さんとお母さんと、△△(彼)連れて心中したい
くらいだ。
お母さんは、その家燃やしてくるとか言ってるし。」
って物騒な話。
あと、A就労の初給与が出て、彼が私と娘にごちそうしてくれるというので
珍しく3人で、彼持ちで外食した。
私としては、既に働きはじめて1か月経つし、その点については褒めてあげて
欲しいと思って、義父に電話した。
すると、珍しく義母が出た。
一通り話をすると、
「まだ、離婚して東京行くって言ってるの?」と言うので、
「うん、それはまだその気らしいよ。」と答える。
「帰り道、コンビニで今日のこと、覚えておいてね…とか言ってたし。」
すると、烈火のごとく怒り出した。
「まだ、そんなバカなこと言ってんの?
その家は、3人で住むっていうから、お父さんもお母さんも無理して
お金出したんだから。
離婚するなら、お金貸してからしろ!って言っているんだ。
東京なんて、一人で行っても自殺行為でしょ。
△△(彼)には1銭も渡さないで、こっちに還してもわらないと。」だって。
思わず、
「だったら、お義母さん、離婚したら、私と○○(娘)アパートにでも
引っ越して、この家売れって言ってるってることなのね?」
と冷淡に聞くと、
「いやそれは、△△(彼)にそう言ってるって話で…。」だって。
もうね、何が何だか…。
義父は、二言目には死にたいだの、心中だのって言うし、
義母は、二言目にはお金の話だし。
ある意味、彼の親っちゃ親らしいけど…。
もう、ほんとうんざりだ。
明日、義母はこっちの病院の診察がある。
うちに寄るのか、寄らないのか。
もう、聞く気にもならない。
義両親の大反対を受け、過呼吸で救急搬送された。
それから、義両親のうろたえ方はひどい。
連休明け、帰ってきて遅くに彼に呼ばれて行ってみると
「3人で仲良くやるにはどうしたらいいと思う?」
って言われた。
言葉だけ書けば、翻意したか?って感じだけど。
顔は能面みたいだった。
色も白いけど(いつも)、表情が抜け落ちている。
「お義父さんに、そう言えって言われたの?」って
聞くと、
「うん、○○さん(私)にそう言いなさいって。」
「で、△△(彼)も3人で仲良くって思っているの?」
と重ねて聞くと、黙る。
「結局、離婚して東京行くって、まだ思ってんじゃないの?」
と聞くと、
「うん、思ってる。」ってあっさり答える。
「俺、もう決めたから。」って。
言いなさいっていう親も親だけど、言う息子も息子。
どっちにも、実はない。
そうかと思えば、長々と話しているな~と思うと、ミシって
不穏な音がする。
二階に行ってみると、いるはずの彼の姿がない。
窓が開いてる。
またかよ…って。
本当は高いところが苦手なくせに、彼は屋根に上りたがる。
で、そっから背面飛びで飛び降りて、後頭部縫ったのはつい先々月。
迎えに屋根に出ると、まだ義父と話し中。
イラついて、ぐるぐる歩きながら話し中。
「もう、やめなよ。」と言うと、電話を渡される。
出るのも、嫌なんだけど
「ごめんなさい、お義父さん。
また屋根上っているからさ。
ちょっと話中断して。」
というと、電話を切る。
でも、
「お父さんも、どうしていいのかもうわからんて。
お父さんも、お母さんももう寝らんないで気が狂いそうだ…。」
と泣きも入る。
義両親の気持ちもわかるけど、もう救急車騒ぎはたくさんだ。
彼は
「お父さんはダメだ、ダメだばっかりで嫌になる。
もう、○○(私)から言ってよ!」
って言うけれど、
「離婚する、東京行くって言ってるのはあんたなんだから
自分でなんとかしなさいよ。」
と取り合わない。
だって、連休中義父に電話をしたときに、
「○○さん(私)も、もう別れたいから、だから当たっているんじゃないの?」
って言われた。
つまり、私自身離婚したいから、わざと彼につらく当たり、追い出そうとしている
んじゃないの?ってことらしい。
「病気もあるし、何も初めてじゃないから、書類持ってきても早々判子
押したりしないで、様子をみるつもりだよ。」って言う私に対して。
もうね、その時の脱力感と言ったら…。
もう、金輪際、義父とは話さないって思った。
また、先日も夜中11時ごろに私の携帯が鳴る。
義父だった。
さっきまで、彼と話していたはずなのに…と思いつつ、出ると
「どうしたら、別れないでやり直せるんだろう?」って。
「私にもわからないよ。
だって、やり直す気なんて、△△(彼)にはないんだもん。
話にならないでしょ。」とそっけなく答える。
「でも、△△(彼)は、どうやったら仲良くやれるか考えようって
言ったでしょ?」と言うので
「お義父さん、そんなん無理やり言わせられてるのわかるよ。
全然そんな気ないのに、無理やり言ってる感伝わるよ。
伊達に10年一緒にいるわけじゃないんだから。」って。
終いには、
「もう、お父さんとお母さんと、△△(彼)連れて心中したい
くらいだ。
お母さんは、その家燃やしてくるとか言ってるし。」
って物騒な話。
あと、A就労の初給与が出て、彼が私と娘にごちそうしてくれるというので
珍しく3人で、彼持ちで外食した。
私としては、既に働きはじめて1か月経つし、その点については褒めてあげて
欲しいと思って、義父に電話した。
すると、珍しく義母が出た。
一通り話をすると、
「まだ、離婚して東京行くって言ってるの?」と言うので、
「うん、それはまだその気らしいよ。」と答える。
「帰り道、コンビニで今日のこと、覚えておいてね…とか言ってたし。」
すると、烈火のごとく怒り出した。
「まだ、そんなバカなこと言ってんの?
その家は、3人で住むっていうから、お父さんもお母さんも無理して
お金出したんだから。
離婚するなら、お金貸してからしろ!って言っているんだ。
東京なんて、一人で行っても自殺行為でしょ。
△△(彼)には1銭も渡さないで、こっちに還してもわらないと。」だって。
思わず、
「だったら、お義母さん、離婚したら、私と○○(娘)アパートにでも
引っ越して、この家売れって言ってるってることなのね?」
と冷淡に聞くと、
「いやそれは、△△(彼)にそう言ってるって話で…。」だって。
もうね、何が何だか…。
義父は、二言目には死にたいだの、心中だのって言うし、
義母は、二言目にはお金の話だし。
ある意味、彼の親っちゃ親らしいけど…。
もう、ほんとうんざりだ。
明日、義母はこっちの病院の診察がある。
うちに寄るのか、寄らないのか。
もう、聞く気にもならない。
お久しぶりですね。
現在の状況を読ませて頂きました。
シドも、旦那様と同病です。シドは、1型なので旦那様とは、気分の振幅や波長は違いますが。服用している薬も症状も違います。まず、これは前提条件として、お力になれるかは分かりませんが、一応同病者の見地としてコメントさせて頂きます。
理想と現実は相反するもの。あなたの理想と現実も相反するもの。ギャップが大きければ大きいほど、あなたへの精神的ストレスは、計り知れないものがあります。本当によく耐え、そして懸命に生きているあなたの姿に好感が持てますし、頭が下がる思いで一杯です。本当にお疲れ様です。
離婚云々の話は、先日多くの方のコメントを読ませて頂き、皆様本当に沢山の知恵や経験をお話しされておりましたので、シドは同病者の立場として、役に立つかどうかは分かりませんが、シドの考えを述べさせる機会を頂きたいと思います。
シドは、旦那様をどうすればよいかという事について、自らの経験も踏まえ、述べたいと思います。もう離婚する方向でご自身の中で、腹は決まっているかもしれませんが、一読頂ければ幸いです。
シドは、旦那様が就労を目指す、それは賛成です。最終的には精神疾患患者の多くがそこを目指します。しかし、旦那様の言動や置かれている立場、衝動的で、幼稚な思想、自分が真にどのような病であるか、認識不足ですね。気分の波も収束せずに、気分のまま、思いつくまま、現実が見えずに万能感により、ホラ吹きのような状態に陥り、自分がした行動は意味があるのだと、強く思い込む。まったく本質が見えていない。簡単に言うと短絡的で、自己中だという事です。
シドは、医師ではありませんので、一同病者としての意見ですが、これらの旦那様の行動、言動は、病的な躁症状ととるか、旦那様自身のパーソナリティーの問題であるか、あなたの中で、切り分けは出来ていますか?
病発症前と病発症後で大きな違いはありましたか。大きな違いがあったならば、病的な躁症状によるものと考えられます。確かに、この病は現代医学では完治は難しいです。しかし、症状を抑制する薬は、存在します。シドの主治医は低め安定を目指し治療にあたります。シドも主治医の意見には賛成で、閉鎖病棟に入院し、様々な薬、組み合わせを試しました。閉鎖病棟では、常に看護師さん、医師がいるので、強力な精神安定薬を試しました。睡眠薬も気分安定剤も血中濃度ギリギリまであげました。入院中は一時無気力になりましたが、結果シドにとっては、現時点で最適な薬を手に入れる事が出来ました。
退院後は、社会復帰に向けて、家事を手伝いました。洗濯物、掃除、皿洗い、確か6ヶ月ほど続けたと記憶してます。少しずつ負荷をかけて、発病前の6割程度の力で現在の職場で働いています。給料は、安いですが、頑張れます。「いいかげん」に仕事をしています。「良い加減」です。
前フリが長くなりました。すいません。
シドが伝えたかったのは、旦那様を閉鎖病棟に気分が安定するまで長期入院させる事で、最適な薬を見つけて欲しいなと。気分が安定して、現在少しだけ落ち気味になるまで。旦那様は、まだエネルギーが高いし、全く安定していない。治療のための薬、症状お抑制させるための薬に出会いましたか。抗鬱剤、特にSSRI系の薬をお飲みなら、これだけの躁的病的なエネルギーがあるなら、その薬効で気分にムラがあるのかなと思ったりもします。特に2型の場合は、まれに抗鬱剤を処方する医師もいると主治医から聞いた事があります。
あなたは、10年間、本当に頑張ったと思います。
離婚する事になったとしても、シドはあなたを尊重します。
あなたの優しさと深い情、ブレない気持ちには感服です。
シドの話は、そういうあなたの考えもあるんだなという程度にお読み頂ければと思います。
最後に、この病を克服して、病と共に生きていくという、旦那様自身が覚悟しなければ、なりません。人に迷惑をかけない、病の事をよく勉強せる。そして、病識を持つ事。旦那様が、それに気付き、病に対して、改善していくのだという覚悟を決めて、命を大切に生きて欲しいです。
あなたの心は、決まっているでしょう。
シドは、あなたを尊重し、あなたと娘さんが幸せになる事を願っています。
ご自愛ください。
愛を込めて。
シド〆
>本物のシドです。
本当に、驚愕しました。
そして、号泣しました。
仕事中なのにも関わらず…。
腹は、8~9割決めているつもりです。
でも、ストンって自分の中に降りてきていません。
きっと、時が熟すのを待っている感じです。
彼の今の問題が短絡的で、自己中だと言うのは
ご指摘通りです。
それが、病気の影響なのか?そもそもの人間性なのか?
これは切り分けられないと思っています。
結婚するとき、彼は私が仕事をしているにもかかわらず
「俺の給与だけでやって欲しい。」って言いました。
当時、そっかそれならそれで頑張ろうって思いました。
でも、義両親を見ていると、小さいころからこの態で
育てられたら、甘ちゃんにしか育たないよなって。
つまり、本質的な部分は彼の人間性からくるものだと思います。
それでも、病気以前はそれをよしとしない理性や分別があった
ものの、今では、それを抑止できていないって感じています。
この病気は心ではなく、脳の病気だと思います。
たぶん、短絡的で自己中な人間性をコントロールするべき
前頭葉部分が欠損しているのでは???って。
私も医師ではないので、イメージだけの話ですが。
あと、抗鬱剤もご指摘通りに飲んでいます。
サインバルタ(SNRI)40mgです。
これは現在の担当医の判断ではなく、一番最初の医師から
引き継がれ、減らしに減らしてこの状態と言った感じです。
おっしゃる通り、これを減らすというのはありだと思います。
だた、担当医が入院に否定的なためよほどでない限り難しいです。
さらに、家を出るとなれば、転医しなければならずさらに薬の
調整は困難でしょう。
そもそも彼には私たち家族と、病気を抱えて一緒に
苦楽を共にするっていう覚悟がないのです。
そのくせ、私たちを捨てた後も後悔しない覚悟はあるのだそうです。
私の覚悟しきれない残りの1~2割はここにあります。
彼がこれからも家族とともにと覚悟するのであれば、多少の起伏は
あったとしても、貧乏しても現行の家族のままで行くことが
一番いいのではないかと思えるのです。
こんな状態でもです。自分の苦労は度外視ですが。
でも、その覚悟が彼には皆目ない。
ちゃんちゃらおかしいですよね。
笑ってください。
コメント、本当にうれしかったです。
相変わらずの厳しさで病気と自分の折り合いをつけていらっしゃる
ご様子がうれしかったです。
でも、私の選んだ旦那はシドさんのように強くなかった。
本当に、残念です。
丁寧なレスポンスを頂きありがとうございます。
8割~9割、ご自身で決めているなら、シドは、あなたを尊重しますし、慎重に物事を決めて判断し、この先歩まれる事を願っています。
旦那様の現在の状況では、心入れ替わるという事は、難しそうですね。シドが、ブログ村に初期ブログを開設した時、数年前になりますかね‥いつもは、同病者の方がコメントを下さるのに対し、あなたは旦那様を支える立場で、シドのブログにコメントを入れて下さった事を、今でも覚えています。あなたのHNも覚えています。
あぁ、この方は、今、必死に頑張っている。旦那様の病に対する情報を少しでも集めようと頑張っている。まさに、孤軍奮闘ですね。だから、シドは、あなたを応援したいし、旦那様の病状が快方に向かうよう、気にかけていました。あなたの努力は、本当に素晴らしいし、愛情深い方だなと思っていました。
シドも、発病から2~3年は、あなたの旦那様と同じように、気分の波に身を任せる時期がありました。妻には、本当に苦労をかけました。シドは、医師から入院するよう指導を受け、閉鎖病棟へ入院。そこで自分自身が情けないと思うようになりました。これ以上は長くなりますのでやめておきます。
ただ、一つ、自分を客観視出来るようになりました。当たり前の事がありがたい。妻の優しい言葉が、情けない自分の胸を突きました。
旦那様も、自分自身を客観視し、当たり前がありがたいと感じ、心に変化が現れれば、良いですが。
シドは、あなたを、古くから知っています。何か手助け出来る事は無いかと考えていましたが、あなたの意思は単純に導き出されたのでは無く、長い年月をかけて、旦那様に尽くしたと思います。本当に情が深く、よくここまで我慢しましたね。シドは、あなたを尊敬しています。
そして、心配していました。
シドが、これだけ心配するのですから、実両親も何倍も心配していると思います。
あとは、義理の両親と、どう折り合いをつけるか。そこでまた心労が募ると思いますが、慎重にそして信念を持って接して下さい。
まだまだ、何かとトラブルはあるかと思いますが、乗り越えられると信じています。あなたは、芯の強い真っすぐな人だから大丈夫。お嬢様の成長を見守り続けて下さい。
最後に、シドは決して強い人間では、ありませんよ。
気分の波を、自己コントロールと薬で、完全にコントロールするのは不可能です。多少の気分変動は、持ち合わせた個性であると言い聞かせています。苦しい言い訳ですが。昔のように、酷い状態に陥る事はありませんが、やはり今でも病識を失わないよう、自分を客観視する。これが、シドの処世術で、身の丈にあった生活を心がけています。当たり前がありがたいという気持ちは持ち続けて生きていきたいです。
また、ブログの方は、時間がある時に覗きにきます。
この先は、あなたが後悔しないよう最善の道を選んで歩んで下さい。
いつまでも、応援しています。
たっぷりの愛情を込めて。古くからの友人へ。
シド〆
こちこそ、丁寧なレスポンスを頂きありがとうございます。
また、泣いちゃいました。
私もよく覚えています。
ネットを巡り巡って、シドさんのブログに到達したときのこと。
あ~ぁ、こんな風にこの病気と対峙できる人がいるんだって。
それまでは、失礼ですがUp Downを繰り返し、そのつらさを
憂う方のブログが多かったので、本当に驚愕しました。
そして、彼自身にはその客観性を期待することが無理に
感じられ
その客観性を持った目になろうと思いました。
一緒にUp Downすることなく、冷静に的確にアドバスできるようにと。
そして、少しでも明るい方へ、穏やかな日々が過ごせる
ようにと彼を支えるというより、引っ張ってきました。
でも、それを繰り返したら、関係性が夫婦ではなくなったという
結果になったのではと思っています。
私は家族という形にとらわれすぎて、夫婦と言う根幹を
なすべき関係性をいびつにしてしまったのだと思っています。
奥さんは、さかしいだけでは務まりません。
古くからの友人って呼んでいただいてうれしかったです。
私も、ずーっと応援していました。
きっと、どこかで家族を守りながら、必死に病気と対峙されて
いるシドさんを想像していました。
立場は違えど、同じ病気と対峙する戦友のような存在でも
あります。
私はもうじき、この戦場から退避するかもしれません。
でも、陰ながらずーっと思いを馳せています。
たっぷりの愛情と、尊敬を込めて。
本当に、ありがとうございます。